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はてなキーワード: 中学生とは

2020-12-09

誰も今現在公立中学校の様子を知らないのである!!

みんな「公立出身だったけど~」って言ってるけどそれ何年前の話よ…。

で、今の様子はどうなん?中学生ぐらいの子持ちの増田ブクマカ共なんかあれば

世界の隅のEXオタクがAさん勇退について思うこと

読むと人生の何分かが無駄になる、本当にくだらないオタク戯言である

同じファンにはわかっちゃうと思うけど、一応固有名詞イニシャルにする。

私は12年ほど前からEXが好きだった。

ちょうどオカ◯ラさんとコラボとかしていた頃にハマったから、グループ自体大衆向けに認知を広めていったタイミングファンになった大勢のうちの1人だった。いわゆる第二章からファンだ。

忘れもしない、LOVEアルバムDVD映像友達の家で見たそれには、サングラスに剃り込み頭のいかつい見た目で涙を流すAさんが映っていた。ギャップに弱い当時中学生のクソ単純娘、そこで即落ち。その後のオカ◯イル映像で見せられた無邪気な笑顔さらなる沼にドボン

その日から頭の中はEXのことばかり。CDを買いライブDVDを買い、ファンクラブに入会し新曲が発表されれば出演する歌番組を隈なくチェックし。録画して、それを比喩じゃなくテープが擦り切れるまで何度も見た。

そして、それだけ熱心に追いかけていればたどり着いてしまうのが第一章のこと。

私はもちろん、Tさんのことも大好きだった。Aさんの見た目がど刺さりしてるような嗜好の女だから、見た目に関しては別に「綺麗な顔やなあ」くらいの感想だったけど、彼の、グループに対する想いが一番好きだった。多分、彼も元ファンだったから、共感やすいってのもあったと思う。メンバーリスペクトして、Aさんに憧れて、少しでも追いつこうと懸命にもがく彼の姿に勝手感情移入して、大好きになっていた。

でも一章の曲を聴いて、愕然とした。全然違う。こんな歌声には到底敵わない。

もちろん、勝ち負けじゃないと思う。どっちが上とか下とか、比べる必要もないと思う。というか、比べちゃいけないと思う。

でもさ、同じ曲を歌うんだもん。しかも何曲も。私が喜んで買ってたCD、再録祭りだったんだもん。

それを毎日毎日聴きこんだ状態で一章の曲を聴いたら気づいちゃうよ。どこがどう違うか。

正直、歌のうまさ云々だけの話じゃないと思う。世間評価も、あまり関係ない。声の質の相性が、ライブで歌うときの彼ら2人の表情が、圧倒的に”良い”と思った。いや良い悪いじゃないからこの表現は正しくないね。圧倒的に、”私個人にぶっ刺さって”しまった。

Tさんが好きだし、Tさんと歌うAさんが好きだし、2人を見ていたいし応援したいという気持ちは嘘じゃない。絶対本心だった。でも、それ以上にSさんの声と合わさるAさんの声に、100%笑顔で心底楽しそうに歌うAさんに惹かれてしまった。

ちょうどその頃から、彼らを見るのが苦しくなってきた。(当時の)新生EXの7人でいる時の彼らを見るのは楽しかったけど、金◯マとかその他ドキュメンタリーで、ちょっとでもSさんの話をしようとするとすぐに涙をこぼすAさんや、バラエティの嘘発見機に座ったAさんに「正直僕のことが嫌いだ」と冗談めかして聞くTさんを見て、心が痛んだ。背景を知ってから彼らを見ると色々と気持ちがわかっちゃう気がしてこっちまで泣きそうになった。わかった気になってるだけだって言われたらそれまでなんだけど。

Sさんが脱退してから、Aさんはどこか寂しそうだと思っていた。それは、表情がとか声色が、とかじゃなくて、一章の時の映像比較してなんとなく感じたこと。メンバーと笑いあってる時もふざけあってるときも、以前ほどテンションが高くないように見えた。年齢を重ねて大人になっているから、という見方もできるかもだけど、私にはなんとなくそれが、”好きな人たちと好きなことをする”時のテンションから仕事”のテンションに変わったように見えたんだ。

で、その原因は、やりたいことをやれていないからなんじゃないかと思うようになった。彼は歌に対して狂っている人だと思う。これは褒め言葉で、歌うことが狂気的に好きだって意味なのだけど。ただの、その辺の、「歌が好き」という人とは比べものにならないほど、異常なレベルで歌を愛しているのだと思う。

そんな人が、当時のEX環境を、「最高!絶対ずっとここにいたい!」と思っているとは思えなかった。

もちろん、「嫌だ、いますぐ抜けたい」と思っていたわけでもないと思う。でも多分彼はこの頃から自分の好きな歌を自分のやり方で極めたくなってきていたんじゃないかと思う。そしてそれは、グループ方向性とは違うものだった。

その予想は、彼のソロライブを見に行ってより濃いものになった。本当に楽しそうなのだEXで歌っている時以上に。だからさ、近い未来Aさんが脱退することになっても仕方ないなと思ってたんだよ。だって、いちファンとして一番に願うのは彼の幸せから。彼が心から楽しいと思って、本当にやりたいと思えることをやってくれるのが一番嬉しいから。

これが、2011年くらいに思ったこと。でも彼は、それから9年もグループにいてくれた。途中留学したりソロ活動が拡大したりはあったけど、いてくれた。グループに居続けたのは彼の希望というより、周りへの恩返しやいろいろな事情という側面が大きいんじゃないかという気がする。

から本当に、ありがとうございましたとは思うんだ。EXというグループを背負って、引っ張って、守ってきてくれてありがとうって。




でもね、それなら。

勇退ライブくらいやってもよかったんじゃないの?って思う。小規模でも、ライブ配信で一、二曲でもいいから。全員に囲まれての勇退にしてもよかったんじゃないの?って気持ちが消えない。

Hさんと対談してる動画を見て、本当に胸が苦しかった。

彼は十分にやってくれたのに、これからやりたいことをやるのは素晴らしいことのはずなのに、なんでそんなに暗い雰囲気で伝えるんだろうって。言葉の端々に言い訳っぽさが滲むんだろうって。

Aさん、コロナというきっかけもあって色々考えて……みたいなこと言ってたけど、その直後に「Hさんがツアーやって組み立ててくって話もあったんですけど」って、それコロナ前に出てた話じゃん……とか。

ああ、でも、コロナ前にAさんはHさんに相談してて、ツアー組み立ててて、でもコロナでできなくなって、このまま後回しにしてたらどんどんソロの開始遅れちゃうからもう発表するしかいね、ってなったのかな……。でも年明けにライブやるよね?そこじゃダメだったの?とも思うしなあ。

それに自分40歳じゃなくて、EX20周年を節目にするってのはなかったの?みたいなことも思わんでもないし……うーん。

でもまあ、ソロ活動はいいんだ、別に。それで彼のやりたいことなら素晴らしいと思う。ただ、もっと明るく送り出してあげてよ……って思うだけで。(コロナ後に改めてツアーとか考えてるんだったら申し訳ないけども)



でも一個、どうしても気になっちゃうのはTさんことなんだよなあ。

メンバーが倍増した2009年当時、個人的には本当にショックだったんだけど、「メンバー全員がそうしたいなら」と思って無理やり納得したんだよね。

Hさんの「EXというDNAを残していきたいから」という言い分には、「はあ!?私が好きなのはEXという名前でも、そういうテイストの服着た人でもそういうテイストの歌歌うひとでもなくて、この7人で構成されているグループが好きなだけなんですけど!?」って思ったけど。でも全員がそれで幸せならいいかと思ったんだ。無理やり。だってどうしようもなかったし。

でもさ、こないだのユーチューブのAとTの対談で、TさんがHさんから人数倍増させる計画を聞いたのは加入後半年も経ってない頃だって言ってたやん。

ええ……って。別にTさんだって、倍増がめちゃくちゃ嫌だとは思ってないはずだけど、そう信じたいけど、でもその状態でその立場人間が、万が一嫌だと思っても言えるわけないじゃんって思っちゃって。それが「もうちょっと末っ子でいれると思ってた」ってセリフに全部詰まってる気がしちゃって。辛かったなあ。勝手感情移入してるからなんだけどね。

なんか彼は、いやでも比べられる立ち位置にいて、しかもその比べられる相手はすごい人で、自分世間からどう見られてるかとか、どう言われてるかとか全部わかっちゃう時代の中で、必死に頑張っていたわけじゃん。

スランプ10年くらいあったって言ってたけど、そんな状態想像できないほどのプレッシャー背負って、でも酒に女にも薬にも走らず(そんなのわかんないだろって言われたら何も言えんけど、少なくともスキャンダルは出さず)、14年くらい頑張ってきてくれたわけじゃないですか。

その結果、憧れだった相方に、「一生一緒に歌ってく」って言ってくれた人に、やめられてしまうのはなあ。1万人の中から必死でその場所を勝ち取ったのになあ。

ていうか、

・Aの相方ボーカル

新生EXの7人のうちの1人

を決めるという名目で開かれたオーディションで1万人分の1を勝ち取ったのに、半年後に「あのオーディションで落ちた人もボーカルになるよ」って言われて、5年後くらいか相方ソロ活動に精を出し始め、最終的にその相方卒業されるのヤバイな。これはほんとにTさんがなんとも思ってないことを祈るばかり。

結局Aさんも、Tさんと歌いながらずっとSさんが忘れられなかったんじゃないかなとか、もし相方がずっとSさんだったら、脱退なんて選択肢選ばなかったんじゃないのかなとか、そんな邪推はしたくないけど。

でも今後ソロになったAさんはSさんをまたライブに呼んで、ボロボロ泣きながらコラボとかしちゃうんだろうなあ。それを複雑に思う自分と、めちゃめちゃ見たい聴きたいと思う自分がいて頭が痛い。

せめてその時には、同時にTさんゲストで呼んでくれないかなあ。3人で楽しそうに歌う姿が見れたら、この上なく幸せな気がする。はあ、情緒も文ぐちゃぐちゃ。おわり。

anond:20201209155230

一応断っておくが

田舎中学生が全員マッドマックスみたいなわけじゃなくて

その中にも都内大学とか早稲田とか行く子供だってたくさんいるか

それらを一緒くたに教育生活させてるのが異常だねって話ね

anond:20201208155032

「私は男から酷い目に遭わされた。だから男がいない女だけの街に住みたい。そこにいれば性差別性犯罪に遭わずに済む」

と言ってたフェミボコボコ馬鹿にされてたのを思い出すよ。男性差別統計的差別だってな。


自分動物園みたいな公立中で酷い目に遭わされた。だから動物のいない私立中子供を通わせたい。そこへ入れれば子供は酷い目に遭わずに済む」と、女だけの街に住みたがってたフェミの何が違うか自分にはわからないわ。


フェミ肉体労働を男にやらそうとしたから叩かれたんだ」って言うじゃん?

でも私立の子供だろうがその親のエリート様だろうが、動物園上がりの低学歴DQN達の労働力恩恵を受けて普通に暮らしてるわけですよ。

校舎の窓を割ったり校長を襲撃したり同級生の物を日常的に窃盗したり廊下バイクで走るような犯罪行為はせずに(あるいはそもそもそうした行為を校内で見る事すらなく)大人しく生きてきた元公立中学生が大半なわけですよ。


酷い目に遭ったから他の子に同じ思いはさせたくないって気持ちも、酷い目に遭った環境(性犯罪者や自分出身中学)を恨んで避けたがる気持ちもそれ自体はわかるよ。多分その人はそれだけ辛い目に遭ったんだよな。

でもそれを男全部とか公立校全部に主語デカしたらダメなんじゃなかったの? 構造差別なんじゃないの? しか自分の嫌ってる属性に面倒な労働はいけしゃあしゃあと押し付け状態のさ。

「私に被害を加えた男は皆ゴミだったので男は全員ゴミ」が異常なのはわかるのに「実際公立中は動物園なのでしゃーない、これは比喩」が許されてんのなんで?



そういえば「女だけの街がうまく行ってたのは最初だけで、やがて中で酷い目に遭っても出られない三角コーナーのゴミ溜めになりました」なんて漫画描いてる奴もいたよね。

「女だけの環境いたことがないくせにどうしてそこが理想郷になると信じられるんだろう」って皮肉なんだろうけど、あれも「私立中は(自分の通ってた公立と違って)いじめ犯罪も起きない安全環境に違いない」って人の思い込みそっくり当てはまるよね。

anond:20201208111547

自分精神衛生第一に考えるならそんなしょーもない駆け引き仕掛ける前に回避行動とった方がよかったんでは

女子中学生だって男子中学生とはまた違った意味でパーよ

まだ15年足らずしか生きてないんだから基本的には判断能力が未熟なんだなって思っといた方がいい

anond:20201209003944

俺なんか一つも思い出せるエピソードがないぞ。いじめられてたのは覚えてるからその手の話なら出来るが、独立したエピソードホントに覚えてない

中学生の頃もいじめられてたのでほとんど覚えてない。覚えてるのは中2の頃に教室いじめっ子に逆襲したら全校集会になって学校中を巻き込んだ大騒ぎになったことぐらい

高校生になったら割かし仲の良い友人も多く、異性とも遊んだので割と覚えてるエピソードが多い

2020-12-08

anond:20201208191254

お前みたいな読解力が中学生以下のやつがわんさかはてなじゃないのか?

anond:20201208174028

キャラの話か?エロ漫画と言ったがどっちかというとエロイラストの方が多いし所謂女性けが多いし、キャラを知ってる人が聞いたらこいつで抜いたんかとバカにされそうで言うのが憚られる…言わないか?それでも聞きたいか?(修学旅行中の男子中学生みたいだなと我ながら思うが…!)

anond:20201208111547

一寸待て

>お互いが向かって左側を歩けば人同士がすれ違えないような狭い道路ではない

歩行者同士がすれ違う時はお互い右に避けるんだぞ

そもそも歩行者は進行方向かって右側の歩道を歩く義務があるんだが

文章を読むとお前は左側の歩道を歩いているようにしか読めん

3人横一列で歩く中学生も大概だが、左側の歩道を歩いていた者に文句を言う資格はない

anond:20201208121549

それって男子中学生とかでもよく見るんだけど、同じ気持ちなのかね

2020-12-07

カー用品店ってなんであんなにギラついてるん?

ヘッドランプ切れて変えようと思ったら、中学生みたいなセンスギラギラパッケージばっかでビビったわ

芳香剤臭いし、充電器とかはやたら怪しい中華製っぽいやつばかり

無印良品とは言わないが、もう少し落ち着いたレイアウトカー用品店はないの?

客層も別に輩ばかりじゃないんだし、主婦ライト層向けカー用品店は需要あると思うんだけど

anond:20201207130814

優秀じゃない

そもそも小学生中学生とかのガキに蔑まれレベルから基本KKOみたいな見た目で冴えない職のおっさんだよ

それをチンポで分からせるって言うしょうもない欲望を具現化したのがそのジャンル

どうせモテないおっさんとか身体もだらしなく勃起力もないし精子運動性最悪みたいな粗チンばっかだろうにね

から身体が幼く性的知識大人に比べたらないような年齢の人にしか劣情を抱けないんだろうが

anond:20201207141623

時間は2時間ちょいの移動時間でも許容できるんだよ結局

東京都郊外市に住んでても新宿とかじゃない限り江ノ島なんて2時間くらいだしね

とにかく移動費がクソ高い、それだけで飛んでしま

理想高校生中学生レベルの財力でも週末は遊びに行けるくらい

このギリギリ範囲が往復2000円だと思う体感的に

往復4000円だと無理

3000円でも無理

毎週行けそうなギリギリが本当にこれ

2020-12-06

anond:20201206181004

中学生でも読めるアニメ雑誌のお便りイラスト募集欄なくなったからなー同情するわー(棒)

棒読みなのは、一部はまだなくなっていないかである

将棋符号思考するプロ棋士

 将棋って指したことありますか?

 将棋楽しいボードゲームで、基本的に殴り合いのオフェンスゲームです。仮にチェスディフェンスゲームで、お互いに防御の構えを組み換えながら敵側の綻びを見つけ出すゲームだとすれば、将棋は蟻の一穴をこじ開け落城させるオフェンスゲームと言ってもいいでしょう。

 チェス競技人口が一説には5億人とも言われる中、将棋競技人口は一千万人程度とガラパゴス様相を呈していますが、明らかにゲームとしてのバランスではチェスに勝っていますチェス公式戦においては先手勝率が40%程度、後手勝率が30%、引き分けが30%程度なのに対して、将棋の先手勝率50%程度、後手勝率は48%、そして引き分け千日手)の確率は2%前後であり、引き分け可能性がチェスに対してずっと少なく、そして先手と後手の勝率拮抗し合っているため将棋ボードゲームとして極めて高い完成度を誇るゲームと言えるのです。

 更に付け加えると、ダメ筋(明らかにダメな手)を含めた、ありとあらゆる手の組み合わせ(ありとあらゆる進行の総数)を計算すると、チェス10120乗程度なのに対して、将棋10の220乗程度ということですからゲームとしての奥深さも将棋チェスを上回っています。因みに、宇宙存在する原子の総数が10の70乗程度ということなので、如何に将棋というゲームが奥深いかは言うべくもありません。つまり、ある部分において将棋というゲーム宇宙それ自体より『深い』のです。


 僕は腕前としてはアマチュア初段程度で、つまりアマチュアが目指すべき差し当たっての目標点にいます。やはりアマチュア二段以上を目指すとなるとかなり強烈な努力必要になってくる印象です。アマチュア初段は将棋普段嗜んでいる人間の中で、上位25%前後の層を指しているとお考え下さい。

 将棋の道は極めて長いです。そして険しいです。詳しくはこの「将棋名人とはどのくらい強いものなのか:https://ncode.syosetu.com/n5490eb/」という素晴らしい記事をご覧になって頂ければよいかと思います。(この記事の作者様と私は同一人物ではありません)

 将棋プロになるためには奨励会という育成機関を通過する必要があります。この奨励会は入会すると6級からスタートとなるのですが、これはアマチュアで言うところの四段以上の腕前に相当すると言われていますしかも、この奨励会に入会するのは小学生中学生少年少女です。つまり大の大人血の滲むような努力をしてようやく到達できる地点に、ある程度の凝縮された努力によって遥かに短い時間で到達できる人々、つまり天才たちだけがこのスタートラインに立つことができるということです。

 さて、当然奨励会員になったところでプロになったわけではなく、プロになれるのは奨励会三段リーグ突破して四段の資格を得た者だけで、年間に四人しか輩出されない仕組みとなっています。更に、四段になった後もプロとしてのグラデーション存在しており、そこには才能の差という影がいつまでも付き纏います

 才能のあるプロ、つまりそんな天才の中の天才は、将棋を指す際にどのように思考しているものなのでしょうか?

脳内将棋

 先に紹介させてもらった記事では、天才達の中でもグラデーション存在しており、将棋トップに立てるのは本当に一握りの人間であることが述べられていました。

 つまりトッププロとは、仮に将棋人口1000万人だとすれば上位0.0001%人間のことです。すなわち、トップの十人、それが実質的日本トッププロ達です。

 羽生善治藤井聡太渡辺明豊島将之永瀬拓矢らがそうです。将棋を指す者達は彼らのことを畏怖の目で見つめ、時折プロが招かれるイベントなどで間近に見る際には、化け物や、宇宙人。あるいはこの世の理を超越したもの意味する視線が、彼らには注がれることとなります

 さて、これらのプロ達に必要ものは何なのでしょう?

 つまりは才能とは一体何なのかという話になるのですが、脳内将棋盤というのがポイントになってきます

 人は、数理的思考能力、つまりIQが140を超えると立体的なイメージをあらゆる角度から検証できるようになるという話があります人間のある種の知的能力と、立体的な像を脳裏に生み出す能力には深い繋がりがあるということなのです。つまり、才能のある将棋指しは脳の中に将棋盤を作り出すことができ、これによってどんな時でも(つまり実際の将棋盤がなくても)脳裏において将棋情報を扱うことができるようになるほか、将棋に関する凝縮した思考を連綿と行うことができるようになるということなのです。勿論、プロもこの「脳内将棋盤」を持っており、彼らの脳内将棋盤にはそれぞれのバリエーションがあることも有名です。

 以下コピペ

羽生四冠

「4分割(5×5中央重複)の部分図が高速で行ったり来たり。盤全体は1度には浮かばない、負荷が大きい。盤面は白、線は黒。駒は外形が無く黒の一字彫り。アマ二、三段くらいになった10歳ごろからこんな風。」

森内九段

「立体的でリアルな榧盤に柘植の駒。

盤駒のみの思い浮かべる事はほとんど無く背景も付随。対局中は当時の対戦相手や対局場の雰囲気まで再生普段は自室の背景に板盤。」

加藤九段

「盤は黄色で1一が右上に固定されている全体図で、線は無い。楷書文字1字だけが駒として自動的に動く。」

渡辺二冠

「ダークグレーの空間に、字の書かれていない黒に近い灰色の駒が浮かんでいるだけだが、どちらのどの駒かは分かる。」

佐藤(康)九段

「黒くぼやけた盤面のどこか一部だけが見えている。駒はゴニョゴニョ、あるか無いかからないまま何かある感じ。」

里見女流名人

「盤も背景も黒く、線の無い盤全体に文字の無い黒っぽい駒がモニョモニョ。」

 (出典:AERA No.38増大号'12.9.17天才たちの「脳内パネル」』)

 さてトッププロどころかアマチュア4~5段の人々にはこの脳内将棋盤が基本的に備わっていると言われています。つまり、この脳内将棋盤は確かに、ある程度将棋の強さ(棋力)の指標となるのです。しかし、トップの人々に関してその指標ピタリと当てはまるかというと、疑問だと言わざるを得ません。脳内将棋盤というもの将棋の猛者にとって当たり前のアイテムかつ大前提アイテムであるため、最上位層の人々の能力を測る尺度としては些か信頼性に欠けるということなのです。というか、一応奨励会三段(アマチュアではなくプロ基準の三段)ともなれば、既に常人を超越して人間卒業レベルに至っているので、やはりその中にいる更なる化け物達を推し量るには、脳内将棋盤の有無のみならず別の尺度を用いる必要があります

脳内将棋盤が「ない」。

 つまり、その二者。単なる化け物と、化け物の中の化け物を辨別する際に必要なのは脳内将棋盤が「ない」ということなのです。

 頭の中で将棋盤が無く、視覚的なイメージに頼ることな思考できる人々が、化け物の中の化け物にはいるということなのです。

 例えば、常人は次のように考えます

 「最初の一手……まず、角の斜め前の歩を前に一つ進めるだろ。すると、後手の相手も同じように角の斜め前の歩を一つ進める。だとしたら俺は飛車先の歩を一つ前に突いて、相手も突き返して……横歩取りの筋に合流しそうだ」などなど。
 つまり常人基本的画像、目の前にある将棋盤の視覚的なイメージを用いて思考しており、そのイメージを介さずには将棋を指すことができないのです。ある意味では脳内将棋盤の存在も、視覚的な情報に基づいているという点においてはその思考の延長線上にあると言っていいでしょう。そう、人は基本的将棋を考える際には視覚的なイメージ媒介とするしかないのです。

 しかし、プロの一部にはそのような思考法は――視覚的なイメージを介した思考は――あくまで「補助的なものに過ぎない」と証言する者もいます藤井聡太増田康宏、羽生善治などがそれらの棋士です。

 では彼らはどのように思考しているのでしょうか。

 そう、符号によって思考しているのです。

 将棋符号とは、数字文字によって駒の動きを表したものです。いわば駒の「番地」とも言われるもので、次の記事が参考になると思います

https://book.mynavi.jp/shogi/detail/id=77758

 例えば、少し前に書いた横歩取りの定跡だと以下のような記述になります。76歩、34歩、26歩、84歩、25歩、85歩、78金、32金……。このような記述の仕方は江戸時代以降から共通であり、いわゆる将棋の対戦の記録である棋譜」は古くは数百年前のものが記されています。古い文献において、盤面は視覚的に、絵図を用いて記述されることはなく、符号を使って記述されているのです。

 いちいち絵図で盤面を描き残すよりも、文字で表した方がずっと労力は少ないですからね。

符号思考する

 以下の記述あくまで本人らの証言を参考に記しているものであり、彼らの思考追体験したものでは当然ないのですが、つまり彼らの思考は以下のものになります

 先程書いた将棋符号が、将棋に関する思考を始めた瞬間にズラズラズラ~~~っと文字列で浮かぶのです。

 そう、これがトップ棋士達の思考なのです!

 「ズラズラズラ~~~っ」って……、と自分文章表現力の稚拙さに絶望しそうになるのですが、そう言い表すほかない。そう、真のトッププロにおいては、文字によって思考が行われるのです。そこに画像の介在する余地は、僅かにしかない。羽生善治曰く、「思考基本的符号で行って、その後、ある程度局面を読み終わった後に、自分思考確認するために思考画像に起こす、という作業はありますが、基本的画像思考することはありません」とのことでした。

 先に書いた通り、画像物事を表すというのは、文字列で表すよりも遥かに手間が掛かります。つまり、脳の処理を要します。

 となれば、より情報量の少ない符号によって思考するということが、より高速な思考法として適しているということなのです。

 ある意味、それは楽譜における音符の存在と似ているでしょう。というか、そのものかもしれません。音楽というものは体系化され楽譜という共有形式を持つ以前は、完全に口伝であり、人々が歌い継ぐことによってしか継承を行うことができませんでした。しかしそれが数学的・音楽的に体系化され、楽譜の形を取ることになると、そのような継承の際に起こり得る障害はほぼ完全に撤廃されることとなります。そしてこれらの音符を読むことで、人々はそのメロディー脳裏に想起することができるようになりました。将棋棋士もまた、それと同じ知的処理を行っていると言ってもいいかもしれません。

 つまり、ドミソ、の音符が並んでいるのを見て、タララ~、という和音脳裏に浮かぶのと同じように、将棋トッププロたちは符号によって将棋の盤面を把握することができるのです。これは、将棋のある程度の才能がある人々には必須能力ですし、実際に高位のプロ棋士トップアマチュアは、棋譜を一目見ただけで盤面の進行をまざまざと思い浮かべることができると言われています

 とは言え、そのことと「思考符号を用いる」ことはやはり一線を画していると言ってもいいでしょう。

 勿論、理屈としては分かるのです。我々が音楽継承する際に楽譜を用いたように、あるいは将棋の対局を語り継ぐために符号によって棋譜を残したように、それらの音符や符号といった記号には意味圧縮することができ、効率的情報伝達を行うことができるのだと。

 勿論、理屈としては分かります。とは言え、それらの記号を使って後世へと情報を伝達することと、それらの記号を用いた思考を正確に効率的実践することとは、また別問題です。

おわりに

符号さえ「ない」。(藤井聡太場合

 というわけで、画像媒介にした思考文字列を媒介にした思考とでは、効率において文字列による思考に軍配が上がるということでした。プロ棋士らによる思考抽象化が極限にまで達すると、本来立体的な駒やそれらの視覚イメージを用いずして思考することが不可能であったはずのボードゲームも、文字列を介した思考によって再現されてしまう、ということなのでした。実に、これは驚くべき異常性であり、そして、個人的には文化として、そして娯楽として、このような常軌を逸した営みを次代へと継承していかなければならないと感じます

 さて、ところで常軌を逸していると言えば、藤井聡太二冠の名前はもはや語るべくもなく有名ですよね。彼のインタビュー記事は相当数発表されていますから、彼の語る様々な内容について把握している方も多いかも知れません。

 その中でも異質のインタビューと言えば、2020年の夏に発表された、小説家白鳥士郎氏によるインタビューでしょう。https://originalnews.nico/139502

――棋士はどなたも『脳内将棋盤』を持っておられます。でも藤井先生は、あまり盤面を思い浮かべておられる感じではないと、以前、記事で拝見したのですが。

はい

――では、対局中はどんな感じで考えらおられるのですか? 棋譜思考している?

「ん……それは、自分でもよくわからないというか。んー…………」

――盤は思い浮かべない?

「まあ、盤は(対局中は)目の前にあるわけですので」

――詰将棋を解くときなどはどうです?

詰将棋は読みだけなので、盤面を思い浮かべるという感じでは……」

――えっ? ……私のような素人だと、詰将棋を解くときこそ将棋盤を思い浮かべるというか……むしろ手元に盤駒を置いていないと解けないくらいなんですけど……。

 将棋プロ世界は腹の探り合いであり、自らの能力本質である思考方法」について簡単に詳らかにすることは、本来無いことと言ってもいいかもしれません。とは言え、これまで語ったようにそれらをはっきりと述べる棋士の人々がいらっしゃるのもまた事実です。そして、このインタビューにおいて行われた藤井二冠の発言もまた、棋士思考の一環を覗くことのできる重要な機会であるように思われます

 さて、ここで述べられているのは、そもそも思考する際に「なにもない」ということです。

 全くの虚無、というわけではないにせよ、少なくとも目の前に分かりやすい形で示すことのできる思考は、存在しないということなのです。

 以下のインタビューで彼は次のように語っていますhttps://shuchi.php.co.jp/voice/detail/3394?p=1

――藤井四段は、将棋の場面を図面で考えるのか、棋譜で考えるのか、どちらのタイプですか。

 聡太 : 基本的に、符号で考えて、最後図面に直して、その局面の形勢判断をしています

 彼は基本的にはこれまで述べたように、「符号」を使って思考するのですが。しかしある種の詰将棋などにおいてはそのような符号さえ必要にしないということでした。

 このような、実際の目視確認脳内将棋盤(符号による棋譜理解)→符号による思考符号さえない思考という構図を単純なステップアップの過程として語ることはできないとは思うのですが、しかし、将棋というゲームについて思考する際に、その思考が極限まで達した人は何かしらの深淵へと、虚無への道を辿っているような、そんな感触を覚えてしまうのは僕だけなのでしょうか。


 さて、というわけで、トップ棋士たちの、良い意味での思考の異常性について語りました。現在12/6午後五時三十分ですが、僕がこの世の隅っこでこの文章を書いている間、世間の大舞台では羽生善治九段豊島将之竜王二冠のタイトル戦第五局が、行われている最中です。

anond:20201206091100

理工系志望者の中学生にとって、高専を捨ててまで通う価値のある普通科高校って実際は少ないと思う

まあ本当の意味での名門校だね

アカデミズムリベラルアーツ精神もない、もっぱら生徒を大学入試に受からせることしか関心のない「自称進学校」には、高専を捨ててまで通う価値は全くない

anond:20201206080919

すべての中学生には高専受験資格があること、理工系を志すなら私立理工系は最悪の選択肢だということを進路指導常識にしていく必要がある。

……えー……中学生なら言うように……責任って取る取らないと言う短期的で時間軸の視座のある日本語のはずであります……

内容

2020-12-05

何故みんな普通に服を着れるの?

服のセンスがないと言われて30年経った。

興味がない訳ではない。ファッション雑誌もたくさん読んだしブランド知識もそれなりにある。

高い服から100円の服、ユニクロからしまむら、ハイブランドゴスロリからコンサバまで片っ端から着た。

化粧ももちろんする。プチプラからデパコスまで試した。

腰ぐらいまで髪がある時もあればベリーショートと呼ばれるぐらいの時もあった。金髪の時も茶髪の時もあった。

別段特異な服を着ている自覚はない。黒、グレー、茶、白とかもう大抵誰でも似合うような服を選ぶ。

マネキンを上から下まで買った事もある。全身無地のことだって多い。標準的なMかSサイズの服。身長も標準。

それでもどうしても「服が変」「ダサい」と言われ続けて過ごしている。

もちろんファッション誌の服をそのまま着ても人間合う合わないがあるんだから正解じゃないのはわかっている。

でもこれだけ色々通ったんだからどこかに自分の似合う服装があるんじゃないのか。

でも、ない。ないというか、わからない。私は何を着れば一体一般的人間になれるんだろう。

顔が云々、体系が云々、ではなく「コーディネートが悪い」「服の選択が悪い」と言われ続けている。ここまで来るとあからさまな欠点が見当たらないだけで顔や体系の問題なんだろうなと考えてはいるが。

かに見立ててもらおうにも、何を着せても「似合わないね……」と苦笑いされて終わる。

繁華街に出ればみんなオシャレな服を着て過ごしているように思える。

自分はそれなりに努力というか、理論的に考えて服を選んだり着たりするけど、世の中の全員がそれをできるとは思えない。それほど語っている人を見ないので人生必須スキルではないと思う。(あったほうがいいのには違いないが)

というか理論的に考えた上で「ダサい」と言われる私がいる訳だからますます世の中の人間が普通に服を着れているのがわからない。

どうしてみんな、自分に似合う服を着れるんだろう。どんなに考えても努力してもダサいって言われ続ける。つらい。一生一人前の人間になれない。

もう好きな服を着たいだなんて思いは微塵もない。普通に、「変」って言われずに生きていたい。笑い者になりたくない。恥ずかしくて外に出られない。どうしてなんだろう。

追記

皆色々ありがとう。ちょこちょこ返してるけど返信しきれないので聞かれてる事まとめて答えておきます

パーソナルカラー診断した?

しました。それ自体ものすごく有益情報しかなくて誰もにおすすめしたい。

ただ結局似合うとされる色を揃えて身に着けても「組み合わせが微妙」「違う」って言われるのでもうわからんわい!と増田を書きなぐってしまった訳です。

姿勢が悪いのでは?

自分もそうじゃないかと思って半年前ぐらいに矯正に通って治しました。

治した事はとても良かったんだけど今まで「比較的ヨシ!」とされていた服の印象が変わってしまい1から自分に似合う服の形を探す羽目になった訳です。で、混乱しています

>周りが悪いのでは?

その可能性もありますけど、実際集合写真とかで見ると自分だけ浮いてる・・・って思う事が多いんですよね。結局自分で良し悪しを判断できないから人の意見鵜呑みにするしかない部分もあります

>お店の人に聞いたら?

よく聞きます。お店の人と話すの好きだし化粧品かにおいては1から10まで揃えて貰った事もあります。でも服で同じことすると、家に帰ってから「いやこれ変な服」ってなる事多いですね。(化粧品も稀にある)

あと何故か結婚式とかでヘアセットしてもらう時もやたら一人だけ奇抜で難解な頭にされてる事が多いですね。何も言ってないのに。周りは普通なのに。謎です。

ゴスロリは着ないだろ

中学生とかの頃の話なんですけど周囲の友人が全員コテコテゴスロリ女だったんですよね。

私は基本的に接する相手に合わせて服を選ぶので、周りがいい!というブランドを無心で身に着けてただけなんです。今もそうです。でもいい!と言われるブランドから購入しても致命的にセンスがないらしいです。

まあ全身グッチでもダサい(と言われる)人いますからね。その思考自体ダサいって事になるんだろうなと思います

>好きな服着れば?好きな服がないのがよくないのでは?そもそも思い込みでは?

好きな服があるかないかと言われればあります

これは私が大学生ぐらいの頃の事ですが、ファッション雑誌トップに虎が力強く大口を開けているセーターが載っていたんです。私はいたく気に入って3枚色違いで買いました。

なんとなくお気づきかと思いますがこの服を着ている私を見た人間は口を揃えて「関西ババア」と爆笑した訳です。

なんてひどいことを!雑誌トップに載ってたんだぞ!と私は反論した訳ですが100%笑われるので悲しいというより「本当にこれは駄目なんだ」と認めざるを得ませんでした。基本的にこんなのばかりです。

それでも若いうちは個性的なぐらいがいいじゃん、なんて思えましたがさすがに年を取ると年相応で身の丈にあった服を着るべきだと考えるようになります

でも未だに自分がいいと思う服は虎が強いセーターとか馬がつよいワンピースのままです。

虎が強いヤツ、着なよ!とそれでも言われるかもしれません。でもいくら好きな服でも「関西ババア」と言われたり「隣歩きたくない」と言われるような服を一人でも着る勇気はないですね。

そもそも似合わない人間が無理やり着るのも服に失礼かなと思うんですよね。だから結論的には好きな服を着たいなんて気持ち微塵もないです。

中学生の頃、同じクラス微妙距離感の子がいた。

の子はクセが強くて、強気で、いじめっこ的な気質もあって、私は苦手だなぁ…と思っていた。

実際、その子とはあまり仲良くならずに、稀に話すのみであった。

でもその子の絵は卓越して上手くて。

小学校の中では絵が上手い方だった私は、段違いに上手いその子の絵に、嫉妬さえ通り越した、憧れの念を抱いた。

の子しょっちゅう絵を描いていた。

の子休み時間に描く絵は、街の電柱看板にエアスプレー落書きされているようなポップな画風が多かった。軽快で攻撃的で、少し怖い感じの絵。その子は目玉のモチーフが好きだったっけ。

の子の、美術時間に描く絵は、普段とは違う雰囲気を持っていた。毒と繊細さとを纏っていて。その子の重い内面を予感させた。

これは今になって改めて気づいたけれど、その子普段、強く振る舞うが、その実、脆くてセンシティブ性格だったろうね。

卒業式の後、教室に戻ってきて、クラス会も終わって、帰る時間となった。自由時間ができると、何人かの子たちが、卒業アルバム最後の空白のページに、メッセージを書いたり書いてもらったりをし始めた。

私もいつの間にかそのやりとりに混ざっていて、そういうやりとりを何人かとしているうちに、いつの間にか教室がガランとし始めていた。あの賑わいは教室の中から体育館の前やロビーなどの外に移っていたようだった。

教室は、まだセーターが必要なくらいには寒かったが、春の陽射しが、教室の床の木のタイルを暖めていた。

の子も、まだ教室に残っていた。

同じクラスにいた間、あまり会話もなかった私とその子であったけど、私は彼女に絵を描いて欲しかった。

葉山仮名)も、なんか描いてくれない?」

と私は彼女にお願いをした。

すると、彼女はいものごとく、めんどくさいなあとか、しょうがいね!みたいに小言を言いながら、でも、楽しそうに私のページにイラストを描いてくれた。

卒業式の日も、その子の筆箱にはずっしりとたくさんの色のサインペンが入っていて、色も選ばせてくれた。

私はその子が描いている間、私は彼女のページにも凡庸メッセージを書いた。

そうしているうちに、隣のクラスから彼女親友彼女を迎えに来て、その子は急いで教室から出ていった。

なんで日本語タイトルになったら「ズ」を落とすんだろうな

所有格とか複数形のSなんて中学生で習うわけじゃん。

普通にアサシンズクリードっていえばいいのにな。

映画版D&D邦題ダンジョンアンドドラゴンだったのにはびっくりしたわ。

2020-12-04

オタクを辞めて良かった

私の担当は数年前にグループを脱退した。

脱退後の活動音楽活動が中心でライブなども行なっており、何度か足も運んだが今まで経験してきたアイドルライブとは全く異なっていた。なんだかついていけず自然と彼から降りた。その後も「担当」や「推し」はできなかった。彼以上に熱中できる人はいなかったし、そんな気力もなくなっていた。

彼が脱退して数年が経った今日何となく当時のツイッターアカウントログインしてみた。ファンになった2012年当時からずっと使い続けていたそのグループ情報収集用のアカウントだ。当時私は中学生だったのだが「強いオタク」や「面白いオタク」は必然的に年上であり、中には既に社会人オタクもいた。泣かず飛ばずだったそのグループアニバーサリーイヤーを控えており、これから売るぞ!売れるぞ!という時期だったので私のような若輩者も優しく受け入れてくれた。

話を戻そう。そのアカウントタイムラインを見ると、久々の顔ぶれが相変わらず並んでいた。当時と変わらない賑やかなタイムライン。今も変わらずそのグループ応援している人、他のグループへ降りた人、様々居たのだが私はほとんどのアカウントが未だ残っていることに驚いた。その残っていたアカウントは多くが当時から大手」と呼ばれるフォロワーの多かったアカウントなのだが、そのどれもが2012年当時社会人だった。女は性格の悪い生き物である彼女達の年齢を私は覚えていた。そして逆算をしてしまった。

「○○くんしか勝たん🥺」

CD○十枚積んだ!」

「このプチプラコスメマジ優秀✨」

ハッシュタグつけて購買運動しよ!」

新卒の子に○○くん布教した☺️かっこいいし気になるって!」

「こないだの□□での○○くんエロすぎて妊娠した🍼バブ」

見ていたタイムラインが一瞬にして禍々しいものへと変わった。どれもがどんなに若く見積もっても20代後半以降の「大人の」ツイートなのだ。この中のどれかが会社の先輩のツイートだったら?取引先の社員ツイートだったら?母だったら?姉だったら?言葉にし得ない感情を抱き、そっとアカウントを削除した。このまま残していたらあんなに好きだった「面白かったオタク」を「面白がって」しまいそうになるからだった。

あの日、彼が脱退した日、わたしは確かに死んだ。全ての感情を一生分使い、文字通り無に返った。それから生活自分のためのものになった。知らなかったことが沢山あって、どれだけ自分が幼かったのかを知った。学生時代に友人から「生きるインターネット」と呼ばれていたのは褒め言葉ではなかったことも知った。オタクではない人々は、ツイッターで新しい情報を得た際に「えっ!?」などと大声を出さないことも知った。あのタイムラインは、何もかもがオタク教科書だった。その通りのオタクになることがステータスだと思っていた。そして、それを満たした人間があの幼稚で滑稽で異質な空間を作り出していた。

ここで言っておきたいのが、否定ではないこと。これを読んだオタクあなた否定しているわけではないし、わたしの方が優位になったと言いたいわけでもない。ただあのタイムラインを見て「この人たちと同じじゃなくなって良かった」と安心しただけだ。なぜか?分からないままでいてほしい。あなたはあのタイムラインインターネットを盛り上げてくれている「オタクなのだから

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