はてなキーワード: 一般職とは
一年持たずに。
理由はわりと無茶苦茶だなぁと思うんだけど、相手が自分の浮気疑ってきたから。
もちろんしてないし、そんな影もない(デブスでモテないから婚活したんだよ馬鹿)から
これはまぁ後付けの無理やりな理由だったと今にしたら思うんだけど、
でもまぁ結局は夫婦の夜の生活があまりにもなかったので、もしかしてゲイだったのかなと思う。
知らんけど。
それはまぁいいんだわ。
もちろん浮気とかしてないから有責もなく、ちゃんとお金は取ったし。マンションの頭金にはなるかなーくらいは。
少なくとも自分には「別れたくない!好き!!」みたいな感情は残念ながらなかったから未練もないし。
ありがたくも親は「戻ってこい」って言ってくれたから実家にもどって住む場所には困らないし。
なにより、オタクなので相手に縛られずにオタクを満喫できる生活に戻れたことが嬉しかったし。
当面は困らない。
現状維持であればこの先おそらく困らない。
今のままなら困らないんだけどさーーーー
やっぱさーーーー親が再婚勧めてくるわけ。
やっと出荷したと思ったらすぐ出戻ってくるし。
出戻ってきたらきたでフラフラ遊んでばっかだし。
再出荷先の男の影はないし。
心配ですよねーーーーーーーー
わかるんですよ、わかるんですけど。
薄々感づいてはいるんだけど、一人の方が幸せなんじゃないかな私は。
人と暮らすのはめちゃくちゃ苦ではないけど一人になりたい時があるし。
現状このまま維持がこのままであればできるけど、今後のこと考えたら維持できるかわかんないし。
体調崩すかもしれないし(だから健康のためにはまず痩せろよデブ)
今は良くても今後めっちゃ寂しくなるかもしれないし。
何よりやっぱり親に心配かけてるのがめちゃくちゃ申し訳なくて。
一回失敗したのに、安心させるために結婚してまた失敗したら意味なくね??
とか考えたらめちゃくちゃ悩んでしまって禿げそう。
いやまぁ好きにしろよって感じなんだけど。
でもやっぱ悩むよねーーーーーー。
親の為に生きてるんじゃないとは言いますけれども、親を安心させたい自分もいますし。
寂しくならない保証はないし。
職と金が尽きない保証もないわけで(その保険が結婚かよってのも尤もなご意見ですけれども)
とりあえず金が尽きたら安楽死できる法整備からしてほしいなーとかまで思考がいったり。
するわけですよ。
独身増田、既婚増田、バツ増田、いろんな増田いてみんないいけど、
自分がどの道選ぶかは悩むもんだよな。
anond:20190301200621 自分の場合のことを書いておきます。説明会は絶対必須ってほどでもないかなと。
軽度の身体障害者です。四大卒で約40歳の氷河期世代。現在、派遣社員として一般企業で勤務(障害があることは伝えていない)。
昨年、障害を抱えることになって、就労にクリティカルな影響は出ていないけど、派遣の身分で安定性に不安もあり、今回の選考試験を受験。その記録をざっくり残しておきます。
基礎能力試験はかなり平易な印象。内容的には中学卒業程度では。転職活動でSPIとかやったことある人なら数的推理は十分かと。内角の和とか「知識」が必要な設問はほとんどなく、連立方程式ぐらいまで出来てれば十分。社会、理科は知識問題だし範囲広すぎて対策無理だと思うので、分かんなかったら適当に選ぶ、で。
作文はよく分からない(お題は「誠実とは」)けど、よっぽど支離滅裂なこと書かなければ大丈夫なんじゃないかなと。
ここからが、すでに話題になっている、阿鼻叫喚の地獄となった面接試験である。
二次選考のルールは「いずれの機関からも採用内定を受けられなかった場合は、不合格となります」であり、「全員に二次面接を課します」というルールではない。(参考→http://www.jinji.go.jp/saiyo/siken/senkou/2jichuijikou.pdf)
つまり、「面接のアポを取る」ところから、もう二次選考は始まってしまっているのだ。
一次試験の合格がWEBで発表された2月22日金曜AM10時をもって面接予約解禁、事前にルールをよく読んでいた志望者は志望省庁に速攻で予約をメールまたは電話で入れたが、「インターネット見れないから合格通知が来たらやろう」「平日で仕事中なので、帰ったらやろう」という人間はここで大きく出遅れることになってしまう。
これは、おそらく国家公務員一般職試験の官庁訪問のスタイルを踏襲したためだと思われるが、「面接の機会は合格者に等しく与えられるのだろう」と思っていた人にとっては、わけがわからなかったのではなかろうか。でもまあ、お役所の仕事ってそんなもんで、都道府県や市役所のホームページ見てても、「決まりを淡々と掲載」はしてても、「懇切丁寧に誰にでも分かりやすく紹介」なんてサービスはしてくれないんですよね。そういうところを受けているんだ、という意識は、持っておいた方が良いと思う。今後ふたたび受験する人も。
ただまあ、このやり方だと「在職中でバリバリ働いてくれそうな人」が出遅れてしまうので、省庁にとっても望ましくないのでは?とは思う。
私はその日職場に午前休を予め申請しており、午前中にメールで志望省庁2つを予約。また、予定していなかった省庁から電話で面接の案内がかかってきたので、そこも受けることにした。正直、リクルーティングの電話があるとは全く思っていなかったのでびっくりしたが、5ちゃんねるのスレッドやTwitterを見るとちらほら報告があった。受験票から読み取れる情報は
なので、おそらく大卒で就労に支障の少なそうな障害者を合格者リストから各省庁でリストアップしていたではないだろうか。
週明け、2月26日に開催された合同説明会に参加。「一次試験合格者対象」となっていたが、出入り自由だったので関係ない人もいそうだった(明らかに受験対象年齢を超えてるお年寄りとかもいた)。概ねどこの省庁も受け入れ準備は全く出来ていない(そもそも「障害者採用枠」などというものが今まではなかったわけで)ことが伝わってきた。配属先や職務内容もまちまちで、
といった感じ。(外務省、国税庁はホームページの募集要項に上記内容が記載されていた)
説明会で、「就労経験を生かした仕事に配属されますか」という質問に対し、「そうですね、全く仕事したことがない人だと困っちゃいますけど」などと口走ってしまう担当者もおり、中途採用なのか新人採用なのかの整理もついていないようだった。(係員級の採用でそれは流石にどうかと思うのだが)
私が聞いたすべての省庁で、「新卒採用と同様の研修を受けさせる予定はない」という回答だった(国税庁のように最初から研修前提の告知を出している場合を除いて)。軽作業オンリーならそれでもいいが、普通の仕事も出来るならやらせる、なら同様に研修・教育も必要ではと思うが、これも「単に準備が出来てない(障害者の参加を想定した研修になってない)」部分も大きそうだった。
また、「障害の状態に配慮した勤務は可能ですか」という質問に対し、「フレックスやテレワークがあります」と回答していたが、今回の常勤採用では普通にフルタイムでの勤務が前提で、フレックスやテレワークといった配慮も一般の公務員が利用できるものと同等。「障害に配慮した勤務形態」などというものは存在しないようだった(そういうのは「非常勤」に寄せているのだろう)。
これは内閣府の担当者が言っていたことだが、「(フルタイムでの)勤務に不安がある方や、今回の採用で漏れてしまった方は、非常勤での採用も検討してほしい。今後、非常勤から常勤へステップアップする制度も用意されるので、働いてみて『大丈夫そう』だと思ってからでもいいのでは」とのこと。
面接は、非常に順調に進んだ。というか、最初に受けた第一志望の省庁に即日内定をもらった。
聞かれることは
と、まあ割と普通のことであった。個人的には一番最後の項目が問題で、今回の採用は国家公務員一般職係員級、「国家公務員 俸給表(一)」の一級からのスタートとなる。要するに、一般職の一番下からだ。ここに、民間での職歴16年くらいを加算すると、年収としては400万円ぐらいで、正直結構下がる。ただまあ、冒頭に書いたとおり、今の待遇に不安があるので、問題ありません、と回答した。
続いて、同じ日に設定していたリクルーティング電話のあった省庁とも面接。2時間ぐらい間が空いていたので、時間を潰すのに苦労した。こちらも大体同じような質問内容だったが、「年齢的に若い人間の下に立つことになるが大丈夫か」といったことも聞かれた。現職も派遣で職場の年齢的上下と関係なく仕事しているので、問題ないですと回答。やはり給与面のことは指摘され、「基本的に一定の間隔で昇級昇格していくので、すごく仕事が出来たからといってスピード出世があるわけでもないけど大丈夫か?」と言われた。まあそりゃしゃあないでしょという気持ちで、「大丈夫です」と回答。
内定をもらって、3月いっぱいで今の会社も退職か、と感慨深くなっていたところ、派遣先から正規雇用されることになり(並行して採用面接を受けていたのだ)、流石に長年働いていた先からの採用を断るわけにも行かず(給与もいいし)、内定先省庁へお詫びと内定辞退の連絡をした。私が辞退したことで内定された方は、ご自身と国民のために精一杯働いてほしい。私もこれからも頑張って働いていく。
人事院・各省庁側に期待したいこと
これは全くその通りだと思います。今回の選考対象となる「障害者」は、「障害者手帳」(身体障害者手帳、療育手帳(=知的障害者用)、精神障害者保健福祉手帳の総称)を持っている、またはその基準を満たす診断書が出せることが条件なのですが、これはもうピンキリなわけで。障害の程度・就労に及ぼす影響も千差万別ですし、就労経験自体も同じなわけで。あくまで、合格者の一サンプルとしてとらえていただければと思います。
それはそのとおりだと思います。自分も、今の派遣雇用継続なら(年収ガクッと落ちても)納得して公務員やるつもりでした。ちなみに、経験ゼロで高卒だと年収300万弱ぐらいからのスタートになるんじゃないかと。大卒だともう20万くらい乗るかな?
まあそういうことなんだろうな、とは思いました。こればっかりは、あくまで受け入れ側の基準だし、(もうちょっと配慮があってもいいとは思いつつ)「あらゆる障害者の面倒を見れられる体制を作れ」とまでは正直思っていません。
ピアノを習える程度に収入があって、そろばんや塾と違って将来に何の足しにもならない習い事を許容できる程度に教養のある、そしておそらく両親のどちらか/両方が幼少期にピアノを習っていた上流階級の家庭に生まれた幸運な人だよね。
そりゃそれだけお金と時間があれば中学受験にもお金掛けられるし、結果的に優秀な学校に進める。
私の通っていた高校(非エスカレーター式)では冗談抜きに3人に1人以上の割合でピアノが弾けて、生徒会長の経験者の割合も3割程度あって、15歳なくせに留学経験ある生徒もクラスに1人以上居た。何なの?馬鹿なの?死ぬの?音楽の時間に代わる代わる英雄ポロネーズ弾かないでよ。
そうしてみんなお金あるからいくつも私立大学受験して、早慶の適当な学部に進学してる。一流企業に入ってバリバリ働く人もいれば、一般職で入ってしっかり稼ぐ人とくっついて寿退社する人もいる。いいなあお金持ち。私もお金持ちの家庭に生まれて人生イージーモードしたかったな。お金持ちの連鎖はきっとこれからずっと続くんだろうね。
高校の3年間を同じクラスで過ごし、親友とは言わないもまでも、良好な友人関係を気付いてきた。
田舎の進学校である母校から、私は東京の大学に進み、その後東京の企業に就職し、20代後半の現在に至るまで東京で暮らしている。
Aちゃんは、高校卒業後専門学校に進み、私より数年早く社会人になり、ちょうど私が就職をするのとほぼ同タイミングで東京にやってきた。
(私も彼女もミーハーな性格なので、もともと都会への憧れが強かったのだ。)
ちょうど同じタイミングで二人とも2.5次元舞台にハマったこともあって、一緒に舞台に何度も足を運び、チケット当落に一喜一憂し、物販に朝から並び、地方遠征に繰り出した。
あまりにお互いの熱量が高く、また周りに同じような趣味を持つ知り合いもいなかったので、役者がTwitterやブログでなにかネタを投下してくれる度に、私たちは大げさに騒ぎ、電話やLINEでは満足が出来ず、毎日のように会ってはお互いの推しについて語り合っていた。
そもそも、Aちゃんと会う時に待ち合わせする駅やお店は、ほぼ100%私が決める。
一緒に旅行をする時も、宿、交通、全体のスケジュール検討・決定、全てにおいてこちらに主導権がある。
※私は食べ物や旅など、自分の趣味領域にこだわりがあり、かつリサーチ・プランニングが苦にならないタイプなので、それが不満という話ではない。
ただ、彼女はいつだって「私はなんでもいいよ」「いいね!楽しみ!」と言う。
そのくせ私が連れて行ったお気に入りのお店に、他の友人を連れて行って喜ばれた話を私に向かって何度もする。
男の子の話をする時に、男の子側にすべてのプランニングを任せた上でそのチョイスがいまいちだった、というような話も聞いた。あと、職場の人がチョイスした送別会のお店が高い!という愚痴とかもあった。(一人5,000円程度だったけど)
最初の、ただ「自分の意見を持たない子」だったらまだよかったのに。
一緒に東京で過ごした約5年ほどの時間の中で、気付いた時には、彼女は所謂「クレクレちゃん」になってしまって、挙句には「選択すること」の責務を他人に100%押し付けた上で、その内容に対して文句を言うような人になってしまっていた。
エピソードの蓄積を経て上記の気付きに至った時に、「もしかしてこれは私がなんでも決めてしまっていたせいなのかな…」とだいぶ思い悩んだ。ひと月ほど毎日、気付けば彼女の事を考えていた時期があった。
さすがに辛くなって、高校時代に私よりも彼女と親しくしていた共通の友人一人だけに相談をしたら、「いや、彼女は高校の時からそんなんだったよ」と軽く返された。
「そうなのか…」と胸落ちすると同時に、当時職場の上司に「もっと他人に興味を持て」と叱責されていた時期でもあったので、その証明みたいでそれはそれで落ち込んだ(蛇足)
まぁここまではなんとなくもやっとする出来事レベルの話で、正直なところ自分の交友関係がかなり広いこともあり、「一人の友人」として相手の良くない部分が目についてしまっているだけだなと思っていた。
それだけ言うと「やべー奴」な印象を与えてしまうかもしれないけれど、彼女は資格職なので、仕事内容は変わっていない。
給与が安いとか上司が嫌だとか、なんとなく節目のタイミングだとかで、それほどの回数に至っているのだ。(多分地元で2回、東京で5~6回転職している。)
その事自体は彼女の自由だし、気になってググってみたところ彼女の職業においてはわりかし異常ではない出来事のようなので、その件については私が口を出すところではないと思っている。
ただ、忘れもしない去年の夏。
上司に毎日のように怒られて精神的に参ってしまったAちゃんは、6回目だか7回目の退職を決意した。
そうしてある日、私に連絡をしてきたのだ。「会社員になりたいんだけど、相談に乗ってくれない?」と。
明確にやりたいことがあるなら良い。今の給料から下がる覚悟があるなら良い。自分で考えて決めたのならそれで良い。
そう思って話を聞いてみると、
「実は20代前半の時にも同じように思ってた時期があった」
「同じ職場に数百人単位で人がいるような場所のほうが人間関係で悩まなくて済みそう」
という、理想を次々に口にした。
(ちなみにこの時、残業終わりに22:00から1時間半ほど通話をして、その前後でも相当数の長文LINEが届いていた。彼女の周りの人間で、東京の会社員は私だけなのだ。)
私、たぶん、この時に初めて彼女にキレた。(実は頭に血が上ってよく覚えていないのですが)
「そもそも知識が無さすぎるから、総合職/一般職の違いと、一般的な就活方法を調べて」
「やってみたい仕事も調べてみて」
「大学卒でなくても、熱意があるならカバーできる部分はある。ただ不利な戦いである事を理解して」
ただ精神的に参ってしまった上での逃避なんだって、勿論気づいていたけれど、
上京して、大学受験も就活もそこそこ「戦ってやった」っていう自負がある自分にとっては、どうしても許せない瞬間だった。
それから1年以上の時間が経つけど、この一件以来、私はAちゃんに対してどうにも優しくなれない。
彼女を含めた数人でご飯を食べていても、彼女に対してだけはどうしても態度が硬化してしまう。最初は自覚レベルだったけど、もう他の子にも本人にも気づかれてしまってるレベルだと思う。さすがにおかしいって自分でも思うのに、その場限り演じることすらできなくなってしまった。
言ってしまえば、ただの「一人の友人」なのに。
この関係を絶たなくても、私のこの先の人生には大きな波は起きないだろうと思うのに。
それでも、もう、彼女のことがゆるせない。
2019年。もう潮時だと思う。
この一年の些細な抱負として、私はAちゃんに会わないことをひそかに掲げている。
私からはそもそもコンタクトを取らないし、共通の友人に誘われても行かない。
それで良いと思っている。
ただ、無性に学生時代の彼女との想い出を思い出してしまう時がある。
二人で泣いた、あの千秋楽の福岡の夜が恋しくなってしまう日がある。
ほいそのまま再掲
「6年勤めたNTTを退職しました」http://kumagi.hatenablog.com/entry/exit-from-ntt
「10年勤めたNTTを退職しました(無能編) 」https://anond.hatelabo.jp/20181126192228 に寄せて。
大きな会社なので、皆さんいろんな理由で退職しているかとは思うのですが、女性のエントリーが無かったのでワーママ編書かせてください。
自分は12年豊洲の会社で開発・PMなどをしていました。その間、産休・育休・復帰を経た後に3年ほど前に転職しました。
少し前の事情になるかとは思いますが、女性の立場から見たNTTについて書いてみます。
子供が出来るまでは、女性でもかなりしっかり仕事をさせて貰っていたと思います。
「女の子だから」と手加減されることは少なく、女性でも必要であればガンガン出張などもあります。
また、一般職/総合職という区切りが無く、全員総合職で男性と同じように採用されているのも良かったです。
男性側も、「女性はあくまでアシスタントだよね」という意識はあまりない方の会社だと思います。
産休育休復帰は当然。時短も取っている方多いですし、とても子育てをしやすい環境かと思います。周りにワーママが結構いるのも良いですね。
ワーママが残業を断るのを辛く当たる風潮も少ない方かと思います。なので、子育てを理由に離職する人は本当に少ないです。
というのも、希望すれば残業無し時短で責任の軽い仕事を選べ、福利厚生もそこそこ給与も安定の中、離職する理由があまりないのだと思います。
しかしながら、女は上には上がれません。NTTの役員ページを見てみましょう。お飾りで女を入れておくとかすらなく、全員が一人残らず日本人のおじさんです。
そう、ここは、日本人のおじさんに全てが最適化された日本人のおじさんパラダイスなのです。
ちなみに、女性でも未婚・子なし等の場合は名誉男性的にある程度まで上がることはありますが、子供を産めばそこで容赦なくマミートラックにぶち込まれます。
また、昇進の問題を横に置いておいても、このような背景があるために子供を産むと難易度の高い仕事が回ってくることは非常に稀になります。(例え本人が希望していても、です)
だからなおさら仕事っぷりを見せて昇進する機会も無い。悪循環ですね。
「給与が高くない」というのは前述のエントリの方々も上げているとおりですが、子供を産みマミートラックに入ると、昇進しなくなるので昇給も止まります。
そのため、20代の給与で殆ど上がらず余生をマミートラックで過ごすことを強いられます。
研究所の方が院卒7年目653万円と書いていましたが、上記マミートラックは500万円台前半です。
「子供がいるなら十分だろ。諦めろ」という意見もあるかとは思いますが、「それを言うから少子化が進むんだぞ☆」と思ったりはします。
加えて、元々ある程度残業をすることを前提に給与制度が設計してあり、基本給を抑えてあるので(日本の会社はどこもそうと聞きますが)、保育園のお迎えなどで残業が出来なくなった場合、例えフルタイム(時短を取得していない)であっても給与は激減します。ちなみに、産前と産後で年収ベースで150万くらいは下がります。
確かに残業は出来なくなりましたが、隣でわざとゆっくり仕事をして生活残業をしているおじさんより成果は上げていました。が、そんなこたぁここでは全く関係ありません。
「自分は昇進などガツガツした世界からは一歩退いて、子育てに無理が無い範囲で働きたい」というワーママ
「40くらいまで頑張って昇進して課長になって、そこそこの給与でまったり余生を過ごしたい」というおじさん
「特に転職するほどの自信は無いが、のんびり残業して残業代を稼ぎたい」というのんびりやさん
自分は、「子育てもあるので残業は出来ない。でも、やりがいのある仕事をし、そこで結果を出したら、産前と同じかそれ以上の給与は欲しい」という「時間で稼げないから成果で稼ぎたい」という注文の多いワーママだったので、フィットしませんでした。
ワーママで転職する人は少ないですが、仕事に割ける時間が少ないので効率的に仕事をして成果を出さねばならないワーママは、年俸制のところへ行った方がお得だと思います。(外資ではマミートラックの倍を狙うことも可能です)
意外と転職も出来るものなので、両立で既に大変かとは思いますが、チャレンジの気持ちも捨てないで貰えたら良いな、と思います。
子供が小さいのも少しの間で、あっという間に小学生くらいにはなるものです。(まあ小学校は小学校なりの大変さがあると最近感じてはいますが…)
このマミートラックのワーママたちの賃金を20代基本給のまま張り付けで働かせるの、「子供を産んだ罰金」でしかないし(産まなければ男性と同じに上がったかもしれないわけです)もう少し問題視されてもいいものだと思っています。
まあそもそも残業代ありきで給与設計されているというのがおかしいのでしょうが、もう少し成果や市場価値で値付けする仕組みが浸透し、ワーママが買いたたかれない世界を望んでいます。
https://anond.hatelabo.jp/20181127235600 が消え、魚拓も「個人情報が載っているため」という理由で削除されているので、個人が特定できる情報を削除して手元のコピーを再掲しておく。
「6年勤めたNTTを退職しました」http://kumagi.hatenablog.com/entry/exit-from-ntt
「10年勤めたNTTを退職しました(無能編) 」https://anond.hatelabo.jp/20181126192228 に寄せて。
大きな会社なので、皆さんいろんな理由で退職しているかとは思うのですが、女性のエントリーが無かったのでワーママ編書かせてください。
自分は(再掲者削除、年数および勤務地)会社で開発・PMなどをしていました。その間、産休・育休・復帰を経た後に(再掲者削除、転職時期)転職しました。
少し前の事情になるかとは思いますが、女性の立場から見たNTTについて書いてみます。
子供が出来るまでは、女性でもかなりしっかり仕事をさせて貰っていたと思います。
「女の子だから」と手加減されることは少なく、女性でも必要であればガンガン出張などもあります。
また、一般職/総合職という区切りが無く、全員総合職で男性と同じように採用されているのも良かったです。
男性側も、「女性はあくまでアシスタントだよね」という意識はあまりない方の会社だと思います。
産休育休復帰は当然。時短も取っている方多いですし、とても子育てをしやすい環境かと思います。周りにワーママが結構いるのも良いですね。
ワーママが残業を断るのを辛く当たる風潮も少ない方かと思います。なので、子育てを理由に離職する人は本当に少ないです。
というのも、希望すれば残業無し時短で責任の軽い仕事を選べ、福利厚生もそこそこ給与も安定の中、離職する理由があまりないのだと思います。
しかしながら、女は上には上がれません。NTTの役員ページを見てみましょう。お飾りで女を入れておくとかすらなく、全員が一人残らず日本人のおじさんです。
そう、ここは、日本人のおじさんに全てが最適化された日本人のおじさんパラダイスなのです。
ちなみに、女性でも未婚・子なし等の場合は名誉男性的にある程度まで上がることはありますが、子供を産めばそこで容赦なくマミートラックにぶち込まれます。
また、昇進の問題を横に置いておいても、このような背景があるために子供を産むと難易度の高い仕事が回ってくることは非常に稀になります。(例え本人が希望していても、です)
だからなおさら仕事っぷりを見せて昇進する機会も無い。悪循環ですね。
「給与が高くない」というのは前述のエントリの方々も上げているとおりですが、子供を産みマミートラックに入ると、昇進しなくなるので昇給も止まります。
そのため、20代の給与で殆ど上がらず余生をマミートラックで過ごすことを強いられます。
研究所の方が院卒7年目653万円と書いていましたが、上記マミートラックは500万円台前半です。
「子供がいるなら十分だろ。諦めろ」という意見もあるかとは思いますが、「それを言うから少子化が進むんだぞ☆」と思ったりはします。
加えて、元々ある程度残業をすることを前提に給与制度が設計してあり、基本給を抑えてあるので(日本の会社はどこもそうと聞きますが)、保育園のお迎えなどで残業が出来なくなった場合、例えフルタイム(時短を取得していない)であっても給与は激減します。ちなみに、産前と産後で年収ベースで150万くらいは下がります。
確かに残業は出来なくなりましたが、隣でわざとゆっくり仕事をして生活残業をしているおじさんより成果は上げていました。が、そんなこたぁここでは全く関係ありません。
自分は、「子育てもあるので残業は出来ない。でも、やりがいのある仕事をし、そこで結果を出したら、産前と同じかそれ以上の給与は欲しい」という「時間で稼げないから成果で稼ぎたい」という注文の多いワーママだったので、フィットしませんでした。
ワーママで転職する人は少ないですが、仕事に割ける時間が少ないので効率的に仕事をして成果を出さねばならないワーママは、年俸制のところへ行った方がお得だと思います。(外資ではマミートラックの倍を狙うことも可能です)
意外と転職も出来るものなので、両立で既に大変かとは思いますが、チャレンジの気持ちも捨てないで貰えたら良いな、と思います。
子供が小さいのも少しの間で、あっという間に小学生くらいにはなるものです。(まあ小学校は小学校なりの大変さがあると最近感じてはいますが…)
このマミートラックのワーママたちの賃金を20代基本給のまま張り付けで働かせるの、「子供を産んだ罰金」でしかないし(産まなければ男性と同じに上がったかもしれないわけです)もう少し問題視されてもいいものだと思っています。
まあそもそも残業代ありきで給与設計されているというのがおかしいのでしょうが、もう少し成果や市場価値で値付けする仕組みが浸透し、ワーママが買いたたかれない世界を望んでいます。
なんかの記事を読んで、久しぶりに増田に書き散らそうと思ってログインしたところ、5年前に書いた日記が出てきた。あまりの懐かしさに書こうと思っていたことを全部忘れたので、せっかくだし忘備録として、あの生意気な後輩のことを書こうと思う。
https://anond.hatelabo.jp/20130619155614
生意気な新人が入ってきてひたすらイライラしていたという話だ。当時は社会人4年目、少しばかり仕事も覚えて、後輩もできて部署のメンバーの仲も良く、仕事が楽しくなってきた矢先の話だったので、それはもう彼に世界をぶっ壊された気がしていた。今となってはお恥ずかしい限りだ。
ありがたいことにこの醜い罵詈雑言にブコメも沢山もらって、4年目ごときの小娘がお局なんて片腹痛いわみたいなことも言われて、当時はナニクソこの野郎と思ったものだが、今思えばその通りだなあと感じてあまりのほほえましさに自分で笑ってしまった。
**
あの日記を書いた後、ブコメに小娘がどうこう笑われて腹が立ったので、こうなったら真のお局になってやるわ見てろよブコメどもと思った。返事が返ってこなくても毎日大声で挨拶をして、嫌な顔されても何かにつけてしょうもないことで話かけ、飴ちゃんはいるかと聞いていらないと言われても無理やり押し付け、顔色が悪ければどうした早く帰れと言い、空調の風で寒そうだったらショッキングピンクのど派手なひざ掛けを無理やり掛けてやったりした。もう半ば嫌がらせだった。
なんやかんやで結果的に、あの日記を書いて1年も経たないうちに、彼と打ち解け、すごく仲よくなった。
特に仲良くなるきっかけがあったかどうかは全然覚えてない。気が付いたら、彼の慇懃な敬語はいつしか消え、私にため口をきくようになったし、普通に笑うし、私の肩も軽口も叩くようになり、私の引き出しを勝手に開けてはお菓子をチョロまかすようになっていた。
これがもう、本当に滅茶苦茶嬉しかった。あ、なんか心開いてくれたっぽいぞ!ってわかったし、なによりすごく声がやさしくなったし、私のくだらない話に笑ってくれて、見たか私のお局力!ドヤ!みたいな気分だった(この時は、お節介おばさんとお局様の差が、あまりわかっていなかった)。
そうなると自然に仕事でのコミュニケーションが円滑になり、何かあれば彼もすぐ相談するし、もともと地頭はいいのでこちらもいろいろ相談するようになり、頼り頼られみたいな感じで、先輩と後輩とも知らないうちに打ち解けて、彼が入社する前よりも平和な仲良し部署になっていた。
そういえば、店員への横柄な態度もいつの間にか丁寧な態度になっていた、というか、むしろ一番気を遣うようになっていた。飲み会も一番楽しそうで、酒の量はセーブしながらもいい感じに盛り上げてくれて、おまけにカラオケもうまかった。慇懃無礼で隙あらば睨んできていたやつが、明るく楽しい普通のチャラ男になった。
**
親会社はこの平成も終わらんとする時勢にあって非常に昭和的な会社だったので、女子はお茶汲みコピー以外の枠がないらしく、私だけ一般職へ格下げで皆と一緒に親会社へ出向する、もしくは、全然関係ない部署に配置転換、という選択を迫られることになった。
一応、専門知識の必要な部署にいて、それなりに経験を積んで勉強もして大きな仕事を任されたりしていただけに、この状況はすごく辛かったし悔しかった。ただ救いだったのは、私以上にみんなが怒ってくれて、上司も先輩もどうにかならないか上に掛け合ってくれたし、「今すぐタイでも行ってつけてもらってこい!」みたいな本気だか冗談だかわからない言葉もありがたかった。中でも一番怒ってくれたのは彼で、役員室に殴り込んでサーバーをぶっ壊す勢いなのを必死で宥めた。こいつ相変わらずだなと思う反面、これだけ私のために彼が怒ってくれるのがすごく嬉しかったのを覚えている。私のやってきたことは会社に認めてはもらえなかったけど、彼らがこうして評価してくれていたんだなと思うと、不思議と怒りは沸いてこなかった。
こうして私だけ去った後の部署は、これがもうびっくりするぐらい空気が悪くなった。理不尽な異動に腹立しながらも古い体質の役員から自分と後輩を守ろうとする先輩と、こんな時代遅れの差別断固許すまじ討ち入り上等の彼、その板挟みになった後輩に、親会社の無神経なメンバーと仕事のできない別の上司が加わり、それはもうしっちゃかめっちゃかになっていた。最初は微かだった不協和音はみるみる大きな歪みになり、最終的には、先輩と彼は口もきかなくなった。後輩はオロオロするばかりで、3日に1度ぐらいお菓子をせびりに来ては、やりづらいと愚痴って帰った。さらに上司もどうしたらいいのかわからず、ただただものすごく空気が悪く、もはや誰にも修復不能なまでになっていた。
私がいたらあんな空気にさせないのにという無念と、私が異動したせいでああなったのだという自責と、ただ私の力ではどうしようもなかった無力感と、とにかくもう見ているだけで本当に辛く、人間関係ってスイッチ一つでこうも変わってしまうものかと思って茫然とした。
私が転職することになって、元部署のメンバーが集って送別会を開いてくれた。この時には、もはや会話らしい会話をしていない彼らだったが、私を気遣ってか以前みたいに、和やかで楽しい雰囲気を作ってくれた。会社を辞めるにあたって、彼らのギスギスがとにかく心配だったが、ぎこちないながらも言葉を交わす様子を見て、これで少しでも元の状態に戻ってくれたらと思った。だがその矢先、3次会で入った居酒屋で、些細な切っ掛け、本当に些細だったと思う、彼が先輩の胸倉をつかんでの怒鳴りあいになってしまった。親会社のやり方に不満を抱きながらも、後輩たちの立場が危うくなると感じて収めるように諭してきた先輩に対し、私や後輩(繰り返しややこしいが彼にとっては先輩)がここまでコケにされて言い返せない先輩に不満を抱いていた彼が爆発してしまった。周りの人も騒然として、何とか割って入ってことを収めたものの(なお後輩は気付いたら後ろに逃げていた。危機管理のしっかりした男だ)、これが決定打となって、彼らの関係は完全に決裂してしまった。その後、ドロドロの展開は私の去った後の話なので割愛するが、裁判沙汰にもなり、私が辞めた数か月後には彼も会社を辞めてしまった。
最後の送別会で帰り道に彼が言った「(私)さんが上司だったらよかったのに」という言葉を思い出す。扱いづらくて癖の強い男だったが、可愛くて素直で優秀でまっすぐな男だった。なんでみんな、彼を上手に使ってあげられないのか、すごく不満だった。彼が私を認めてくれたことが嬉しかった半面、自分に彼を使ってあげられる力がないのがすごく悔しかった。仕事を頑張って、それなりの地位につきたいと思うようになったのは、それからだろうか。まあ、現実には失敗ばかりのダメ社員で、自分の仕事で手一杯なので地位云々なんてもってのほかの話ではあるが、何かあれば人を守ってあげられる立場の人間になりたいと思うようになったのは、彼の影響だった。
結局、彼がいまどこで何をしているのかは全然知らないのだが、さっき自分の日記を読み返して、辛い思いをしていないかなあ、元気にしているかなあ、うまくやっているかなあと心配になってきてしまった。