「エッセイ」を含む日記 RSS

はてなキーワード: エッセイとは

2022-02-23

三島由紀夫中島らも町田康の大ファンエッセイ含めて全作読破してるけど

シュタゲより面白い作品マジで1作たりともなかった。

権威のかけらもないのにシュタゲ凄い。

2022-02-22

日本はいまや普通にあるエッセイ(日記的な)漫画

海外でもあるの…??

特に川尻こだま的なゆるゆるな日常描写漫画エンタメになってるやつ

漫画的なイラスト落書き的なやつはあると思うけど、コマ割ってやってるのってpixv文化圏以外であるのかなあ

ですろくこいんさんありがとお!

検索したらpixvのがトップだったし自分派生パロは見たことあった。あったわ!忘却力よ…

もとネタの人のツイッターも少しだけ遡って見てみたけど、なんかコレジャナイ

なんていうかもっと実際を再現し音が聞こえてくるような動きがあるっていうかそういう、って外国コミックって飛び蹴りしても絵が止まってるのが普通か。日本漫画の絵の躍動感、スゴい。いや記号表現の付随のお陰か。手をふる動き、汗が顔とかキャラクターの周りに現れていろんな感情を表すやつとか、記号表現まりにたくさん溢れてるね?あの表現て読み慣れてないと伝わりにくいのかな?

2022-02-21

anond:20220221173504

なんだろう、この変な読了感は。

ある意味文才がすごい。

女性というのは実母実子であってもある意味敵対しているのだなとわかる名エッセイ

2022-02-18

増田メンヘラにとって救済をもたらすサービスであり続けて欲しい

私は「インターネット上で故人のブログが閲覧できる」ということを知り、廃墟サイトまとめを閲覧していた。

そもそも一体なぜ私が故人のブログに興味を持ったのかということについて述べたいと思う。中学生の頃、図書館南条さんの本を借りた。当時私はリスカアムカを常習的に行っていた。そのような自傷行為きっかけで南条さんの本に辿り着いたと記憶している。

本には、南条さんという人物について、また彼女インターネット上に残したものについて書かれていた。


「死んだらインターネットで公開したものが残り、さらには書籍化されるパターンもあるらしい」

衝撃だった。

南条さんは、生存した証をインターネット上に残して死んだ。いや、「生存した証がインターネット上に残ってしまった」と言い表した方が正しいのかもしれない。


さて話を戻すと、インターネット上で閲覧できる故人のブログというのが、二階堂さんの「八本脚の蝶」という日記サイトだった。利用されていたのは「@niftyホームページサービス」で、このサービスから推測できるように、当時はまだ世の中に気軽に開設可能ブログサイトは広まっていなかったのかもしれない。

二階堂さんもまた、南条さんと同様にに生存した証をインターネット上に残して死んだ。特筆しておくべき点が、二階堂さんは南条さんと異なり「自らの意志生存した証をインターネット上に残して自殺した」という点である


私は、南条さんも二階堂さんもインターネット上でリアルタイムにて追うことができなかった。そのことについてなぜか「残念だ」と感じてしまうの自分自身気持ち不謹慎でたまらなかった。

インターネットではブログサービスの代りに増田流行り始めた。私は主にメンタルヘルスについて発信している増田を好んで見ていた。そのうちそのクラスタ内のある増田について「どうやらあのアカウントの持ち主は自殺したようだ」と囁かれている場面に何度か遭遇するようになった。

このような場面を目撃し私は、非常にモラルの欠けた発言になるのだが「インターネットに生きた証を残して伝説になるのも悪くはない」と感じるようになっていた。


さて、『八本脚の蝶』は2020年2月に文庫化され河出書房新社より発売された。文庫化されるという情報を得た時点で既に私は、自分の心の中で妙にひっかかるものを感じていた。故人の尊厳について考えた。

前置きは長くなったが、本編の日記を読んで感じたことを述べていこうと思う。



その日記は2001年6月13日水曜日から始まっている。

はいつの間にか、2001年当時自分が何をしていたかということについて思いを馳せていた。2001年6月13日水曜日、私は小学6年生だった。私は6年生のゴールデンウィーク旅行先で体調を崩し、風邪をこじらせてしま入院した。自宅で寝ていると熱がぐんぐん上がり、布団に包まっても寒くて寒くてたまらなかった。後になって改めて親とその話をしていると、どうやら熱性けいれんを起こしていたらしい。

ところで北海道運動会は春に行われる。私は運動会当日までに退院することができた。当時の担任先生が「持久走どうする?」と確認してきたので、私は「徒競走だけ出ます」と答えた。グラウンド5周の1キロなんて走りたくなかったのである

私にとってそんな小学最後運動会が終わり、初夏なのか蝦夷梅雨北海道にも一応梅雨のような時期が一瞬だけ存在する)なのかわからない曖昧気候の中で、小学生活を送っていた。おそらくそれが、私の2001年6月13日水曜日だったのではないかと思う。


2002年4月8日、月曜日。おそらくこの日に私は中学1年生になった。中学校に進学したといっても、私が通っていたのは小中併置校だった。わかりやす説明すると、小学生の教室が校舎の2階にあって、中学生教室が3階にあるということだ。つまり中学生になると階段を上る段数が増えるだけのことである

私は新学期の校舎の何とも言えないにおいに敏感な子どもだったので覚えているが、小学生のフロア中学生フロアとでは、においが異なっていた。中学生の階の廊下教室は、やはり中学生らしい大人っぽいとでも言ったらいいのか、とにかく少し変なにおいがしたのを覚えている。

4月も8日頃となると、多くの会社にとっては新年度区切りを迎えてから日経過したというところで、まだ新しい環境には慣れていないという時期ではないだろうか。

2002年4月8日の月曜日二階堂さんにとってのこの日は、ある本に引用されていた詩を見つけることができた日ということになっている。どうしても読みたくて探していたのだという。彼女にとってのちょっとした記念日であるように感じられる。


2002年の3月末~4月初旬の彼女日記確認してみると、すっぽりと更新されていない空白の期間になっていることがわかった。年度末から年度初めは、やはり忙しかったのだろう。

彼女文学部哲学科を卒業した後、編集者レビュアーとして働いていたようだ。新年度が始まって早々しかも平日に、ずっと探していた本が見つかったという出来事日記に書くほどに、彼女は本に対してかなり熱心な人物だったんだろうとぼんやり想像する。


2003年4月1日火曜日、この日は平日だ。

平日だが、二階堂さんの日記は「その一」「その二」「その三」「その四」「その五」「その六」「その七」、これに止まらず「その八」「その九」、さらに続き「その一〇」「その一一‐一」と綴られている。私はそのことに気付き、なんだか雲行きが怪しくなってきたと感じた。「その一一‐二」「その一二‐一」「その一二‐二」と日記は続くが、いくら新年度決意表明にしても長編すぎやしないだろうかと思う。「その一二‐三」の日記の次に、彼女はやっと翌日の4月2日を迎えられたようだ。

しかしその4月2日水曜日日記タイトルは「その一」とある。この日は「その七」まで綴られているが、分割されている記事もあることを踏まえるとトータル9回更新されたということなのだと思う。おそらく当時はスマホなど普及していなかったはずなので、勝手個人的な予想になるが、彼女は自宅で夜中になるまで複数回にわたってブログ記事投稿したのではないかと考える。もしくは、職場PCから小分けして投稿していたという可能性も考えられる。しかし、2002年4月8日月曜日日記から判断する限り、彼女であれば絶対にそんなことはしないのではないかと思う。


投稿あたりの文字数は、今でいうブログ(いわゆる収益化を目的としたブログ)と比較するとかなり少なく感じられる。

しか彼女複数回に及ぶブログ投稿現代増田で例えるなら、短文の増田をかなりの回数にわたって連投しているという状態に置き換えられるのではないかと思う。多くの人はそのような増田のことを、はてなーもしくはいわゆる「病み増田メンタルヘルス系の内容を扱う増田の中でも特に思春期中高生が該当するように思う)」に分類すると思う。事実私も、一晩にかけてそのように連投しているアカウントを見かけると、どうしてもメンタルヘルス系の悩みでも抱えているのだろうかと見なしてしまう。

さて連続して投稿された日記の内容はというと、私が生きてきた中でそのタイトルも作者も聞いたことがないような本から引用である。また、彼女が数年前に受け取ったと思われる知人から手紙引用している投稿も見られる。


ふと私は、おそらく二階堂さんは思考の整理のためにブログを使うというやり方をとるタイプ人間ではないだろうかと感じた。というのも私も時たまTwitterをそのような用途に用いるかである。そしてどういうときにその思考の整理をするかというと、それは「ものすごく死にたいが、どう対処していいか方法が見当もつかないときである。これについては、もしかするとピンとくる方もいるかもしれない。そのようにしばしば私はTwitter思考の整理を行う。なぜなら自分自身脳内の回転及びそれによって生じる思考インターネットに吐き出さなければ、到底処理しきれない状態に陥っているからだ。

そしてなぜあえてインターネット吐露するのかというと、リアル社会には私の話を聞いてくれる人が存在しないからだ。私にとって、リアル社会相手の様子を窺いつつ的確なタイミングでふさわしい言葉相談を持ちかけるという動作は、極めて難しい。過去に何度も相談時のコミュニケーション挫折する経験を重ねたことがきっかけで、そのような事態に辿り着いてしまったのではないかと疑っている。


彼女本心は今となってはわからない。そのため私のような人間が、勝手彼女自身を重ね合わせ、どこかに類似点があるのではないかとあれこれ想像してしまう。

ふと、彼女の死とはこのような在り方でよかったのだろうかと思わず考えてしまう。死後に自分作品が残るとは、そういうことなのだと思う。


2003年4月に私は中学2年生になり、無事に厨二病発症した。インターネットに本格的に参入したのは、この時期だったか記憶している。休み時間には、情報担当教諭ヤフージオシティーズアカウント取得を手伝ってくれた。

やはり、当時はまだブログがそこまで一般的ものではなかった。私はまずは無料レンタルスペース(現代でいうレンタルサーバーのようなもの)を契約個人サイトを作っていた。そしてレンタル掲示板を設置し、同盟バナーハッシュタグで繋がる文化など当然存在しなかったため、共通趣味で繋がる同盟という文化が主流であった)を貼り、繋がっていた。あの頃はそのような時代であった。

私は夜な夜な日記(これはノートに綴った日記であった。というのも夜はインターネットができない家庭環境にあったのだ)を書き、アムカをするようになっていた。田舎特有地域性、そこで生じた問題、そして本来の私の性格と一体何が根本的な原因であるのかはわからないが、ちょうど家庭内でもそこそこ大きな出来事が発生し、私は混乱のさなかにあった。

やがて私は個人サイトの別館を作るようになった。それはおそらく現代でいうTwitter複垢サブアカウント)のような類に非常によく似ているのではないかと思う。私はやがて、いかにも「メンヘラポエム(笑)」と晒されそうな文章を拙いながらも公開するようになっていた。


私は日本におけるインターネット内でポエム馬鹿にされる風潮にいまいち納得がいかないので補足するが、あの頃は「テキストサイト」とカテゴライズされる個人サイトが充実していた。現代詩ともエッセイともいえない、インターネットならではの文章ポートフォリオのようにまとめた個人サイトは、当時かなり多くみられたように思う。

このように、思春期も相まって私は何かと思いつめて過ごす時間が多かった。先に述べたアムカをするようになったのは、確か半袖を着なくなった秋頃だったか記憶している。


二階堂さんの日記は2003年4月26日の土曜日更新が途絶えている。4月26日というと私の誕生日の翌日なのだが、そんなことなど今はどうでもいい。4月26日の日記は、6回更新されている。「その一」「その二」「その三」、そして「お別れ その一」「お別れ その二」「お別れ その三」という題で投稿されている。

そしてその後に、おそらくこれは投稿時間を設定したことによる自動投稿なのではないかと思うのだが、「最後のお知らせ」が更新されている。その内容は、「2003年4月26日のまだ朝が来る前に自ら命を絶ちました」という旨を報告するものである


人の死についてあれこれ憶測することが心苦しいが、おそらく夜中のまだ朝が来る前に、最期のまとめとお別れの言葉を、何人かの対象に向けてそれぞれ投稿したのではないかと思う。そして、2001年から更新が続いていた日記ありがとうございましたという言葉で締めくくり、パソコンシャットダウンしたのかどうかはわからないがきっと彼女ことなら身支度を整えてどこか高い建物へ向かい、そして亡くなったということだと思う。


インターネット死ぬとはこういうことなのか。


断っておくと、私は『八本脚の蝶』すべてを読破したわけではない。二階堂さんが好んだ幻想文学などの専門分野について私は詳しくないため全文の理解が困難であるという言い訳により、私は挫折した。しかし何とも言えないモヤモヤとした疑問が残った。

冒頭で私は「インターネットに生きた証を残して伝説になるのも悪くはない」と述べた。再度ここで明記するが、『八本脚の蝶』は2020年2月に文庫化された。

しかするとインターネットに生きた証を残して自殺するということは最悪な選択肢なのではないかと私は思った。というのも、自らの意志に構わず書籍化され、需要編集者の熱意があれば数年後に改めて文庫化されるというパターンもあり得るということが今回わかったかである


果たして彼女はそのようなことを望んでいたのだろうかと、厚かましくも疑問に感じてしまう。世に広まるということは、全く想定していないターゲット層にまで届いてしまうということだ。もしかすると「自殺なんて弱い人間が行うことだ。自殺をする人間は敗者だ」などと主張する層に触れ議論を呼ぶこともあり得るかもしれない。

事実書籍化された『八本脚の蝶』は私のような読者にまで届いたし、加えて私は今こうしてこのような文章まで書いている。果たして私のこのような行為は許されるものであろうか。


文中で軽く触れたが、私にとって増田思考の整理のためのツールとして役立っている。

私は物心ついた頃より、「この子ぼんやりと過ごしているねぇ」と周囲から見なされることが多かった。しかしその一方で、「あなたは随分と真面目だね」などと言われる場面もたびたびあった。その理由について私は、私の脳は必要以上に過剰な思考を行っているためではないかと考えている。


私にはストレスや言いたいことを溜め込む傾向がある。「我慢しちゃだめだよ」とかなりの数の人たちから言われた経験がある。しかし、言える相手に言える範囲相談をし、さら増田で大量に噴出しても追いつかないのが残念ながら現状なのだ

私は、増田を含むインターネットとは「最後の砦」であると考えている。リアル社会で捨てきれない期待をインターネットに託している。もし私がインターネットに見捨てられたなら、どうにかして確実な方法で間違いなく命を絶つと思う。それほどまでに私はインターネットに縋り付いている。


果たしてインターネットは苦しみの最中に置かれた人間にとっての救いとなるのだろうか。

今となっては、様々な利用目的によりインターネットは利用されている。インターネット事業を興し収入を得る個人も随分と多く見かけるようになった。しかインターネット上に人が増えたわりに、一向に私はそこで救われることがないように感じる。

私はリアル社会の中で、絶望絶望を重ねている。冷静に振り返ると自滅して傷ついている場面が多いようにも感じられるが、何らかの救いを求めてインターネットに入り浸っている。もしも私がインターネット絶望しきってしまったのなら、それは完全に終了の合図だ。「死」以外に何もあり得ない。


インターネット彷徨っていると、「死ぬ以外の選択肢が無いために死ぬという選択を取った」という人間が多数存在することに気付かされる。

二階堂さんが一体どうして「八本脚の蝶」というウェブサイトを立ち上げたのか私にはわからない。もしかすると彼女日記のどこかで触れられているのかもしれない。  

しかし、私にはそのことについて何時までもこだわっている時間は無い。正直に言うと、小康状態を保ちながら生きていく上では、他人のことを気にかける余裕など皆無なのだ。そして当然なことであるのかもしれないが、健康人間にとっても同様に、いわゆる「生きづらい人」を気にかける余裕というものは本当に無いらしい。最悪の社会だと思う。

しかしその「最悪な社会」だからこそ、インターネットは救済希望者を受け入れて欲しい。私の意図することをより明確に言い表すなら、「すべての利用者インターネットを通じて他者を救済する世界であって欲しい」。


相変わらず私はぐちぐちと思考の飛躍や感情上下運動に振り回される様子を、増田のしかも匿名披露している。どうかこのことに何らかの意味があって欲しい。

私は自分自身人生について、「あまりにも辛く、ほとんどの時間を疲れ果てた状態で過ごし、さらに今にも死にたくなる瞬間がたびたび勃発してしまう」ものであるように感じている。それならば、私の不幸によって同じようにどこかで苦しい思いをしている誰かが救われて欲しい。


自分自身とよく似たパーソナリティ人物言動思考を知ること」は、抱えている苦しみを解消することにかなり役立つのではないかと思う。そのような情報医療機関提供してもらう機会が少なく、私はインターネットに救いを求めている。そういうわけで私は毎日欠かさずインターネットを利用している。

私はインターネットヘビーユーザーのまま亡くなっていったすべての人たちを観測したわけではないが、目にした限り彼らは社会に対する憎しみを叫ぶことなどせずにこの世を去っていったように思う。彼らに共通することとしては、後世に何らかの表現方法アドバイスを残し、そして希望を託して亡くなっていったように感じられる。


私は彼らから希望を託された側として生を続けたいと思う。そしてそれがいつまでの期間になるかはわからないが、インターネットに救いを求めつつも、積極的自分自身の不幸を開示していこうと考えている。

増田には、メンヘラにとって永遠に救済をもたらすサービスであり続けて欲しい。

2022-02-17

大喜利とか文学とか

はてなの「大喜利」で笑ったことないし、増田文学とか言われてもそんな格の高い文章でもないし。

大喜利じゃなくてダジャレ合戦増田文学じゃなくて増田エッセイとかのほうが合ってると思うよ。

2022-02-11

最近読んだBLと非BL

 数年に一度は自分に襲い来る長野まゆみ作品ブームはまっている最中のため、あまり商業BLを読めていない今日この頃。残り少ないお小遣いも、長野先生新刊(非BL)を買うために温存中。

 ちなみに、長野まゆみ先生の書くものの多くには男×男の恋愛要素があるのだが、「非BL作品扱いなのは何故なのかというと、BLレーベル以外から出版されており、商業BL定義にあてはまるようなBLではないからというだけ。商業BLには面倒臭いルールがあるのだ。例えば、基本的ハッピーエンドとか、攻めの浮気厳禁とか、無駄に女を登場させてはいけないとか。

 まずは久しぶりにちゃんと「商業BL」の漫画から

極夜』(文善やよひ)

あらすじ

 世界は人の住まう「現世」と人ならざる者の住まう「常世」に別れている。主人公天野は、常世から来た者たちが利用する人里離れた旅寓(旅館)で働いている。

 ある日、常世の王・ツクヨミが旅寓に骨休めにやって来た。傍若無人ツクヨミ天野は振り回されるが、ツクヨミにかつて自ら命を断った友人の面影を感じ、気になってしまうのだった。

増田感想

 これはある特定の層にピンポイントでぶっ刺さるやつなのだろうと思うが、生憎私自身はこういう系を好きこのんで漁って読む方ではないので、せいぜいハジ先生の『坊主蜘蛛』を読んだくらい。BL外の作品ではたとえば『千と千尋の神隠し』とか『しゃばけ』とか『蟲師』とか『夏目友人帳』とか『モノノ怪』とか『家守綺譚』とかそこら辺が好きな人向けなんじゃないか。あ、私の好きな『左近の桜シリーズ』(長野まゆみ)もこういう系だな、そういえば。

 特定の層にピンポイントでぶっ刺さる系なので、『極夜』のレビューを某BLレビューサイトで見るとけっこう良さげなのだが、泣いたとか感動したは言い過ぎなのではないかと、私は思う。そこまですごくはない。まあまあ良い話だとは思うけど。

 事前調査なし・試し読みなしで買って読んだら、表紙めくって出てきたカラーイラストが『鴆――ジェン――』のフェイ将軍とツァイホンの絵だったので、私は買う本を間違えたのか? と一瞬慌てた。調べたら、この『極夜』というタイトル単行本、文善やよひ先生が『鴆』の大ヒットで人気作家になったために、絶版になっていた過去作品を『極夜』と改題して復活させたものだった。表題作の他に『鴆』の番外編も同人誌から再掲。なるほど、今の文善先生はかなり手練なプロ作家という印象だが、『極夜』は確かに若いなって印象だ。『鴆』はpixivコミックで2話まで無料で読める模様。

 文善先生の大ファンの人で過去作品全部コンプしたい人向け。文善作品ちょっと興味があるくらいなら、回り道せずに『鴆』シリーズか『蟻の帝国』を読むといいのでは。

 エロシーンがしめやかでいいな。私はあまりこれ見よがしな感じのエロシーンは好まないので。それと、ベタスクリーントーンが少ない為にエロシーンの白抜きが煩く見えなくていい。

 しかし、シンプルめな画風でもごっそりと白抜きのかかるのって。以前、某お気に入り作家さんのBL作品シーモア無料になっていたので読んでみたところ、修正レベルシーモアだったのでKindleでは輝く白さに消されるべき所が薄ぼんやり見えていたのだが、薄ぼんやり越しにもそこがかなり生々しい描かれ様なので驚いてしまった。な……BL作家さんって、キャラの顔はめっちゃ漫画でもおちんだけはこんなにリアルに描くもんなのか……なんでここまでおちん描写に執心してるのかわからない……と、電子書籍Kindle使いな私は愕然とした。そんな所どうでもいいと言い切ってしまうのも何か違う気もすると思いつつ、正直どうでもいいよなあ、どうせ消される所なんだし……と思わずはいられない。


『綿柎開(わたのはなしべひらく)』(長野まゆみ



概要

 16ページしかない掌編なので、あらすじは省く。掌編アンソロジー『掌編歳時記 秋冬』に収録された作品サラリーマンのほんのりオフィスラブ。現代現代的な話だから幻想なし。エロもなし。しかし非BLなので安定のインモラル上等ぶり。


増田感想

 普通に現代ものなのでビビった。登場人物ちゃんと今時のサラリーマンだなんてすごい! 漢字字形にやたら拘るところはいもの長野先生だけれども。

 こんな短い文章ボーイズがラブしているのすごい。文章は簡潔だけど、短いなかに情報量が多く、なのに情緒風景描写が死んでいないとは。熟練プロ作家恐るべし。と、これを読んだ時にちょうど小説投稿サイトフジョッシーで開催されていた掌編コンテストに応募すべく四苦八苦していた私は、震え上がり畏れ平伏叩頭したのだった。プロすごい。


ところでBLとも長野先生とも関係ないけど、『掌編歳時記 秋冬』のトップバッターが先週亡くなった西村賢太先生訃報を知ったあとに読むとほろりとしてしまう、切ない掌編だった。


『チマチマ記』(長野まゆみ




あらすじ

 猫のチマキは飼い主のマダム・ロコとはぐれてしまい、まだ赤ちゃん同然の弟・ノリマキを連れての放浪生活ののち、小巻おかあさんの家に流れ着いた。小巻おかあさんの家・宝来家は大所帯。おかあさんの息子でありまかない担当カガミさんの他、おかあさんの亡夫の前妻・マダム日奈子、日奈子の娘の暦さん、暦さんの兄・樹の娘のだんご姫、だんご姫の叔父桜川くん、そしてジャン・ポールが住んでいる。

 そんな複雑な家庭でクセのある人々と共に暮らすチマキは、小巻おかあさんのエッセイコマコマ記』を真似て『チマチマ記』を書くことにした。これはチマキが宝来家にたどり着いてから一年間の記録。

増田感想

 だいぶ極まった感じのロハス生活を描いた作品だが、長野まゆみ先生らしく背景には桜川くん×カガミさんのほんのり(悪魔的な)BLがある。

 長野先生がこんなにふんわりした感じの森ガール死語)が喜びそうな文章を書くなんて意外な気がする。しかも「にゃん語」とか「萌え」とかい単語長野作品に登場するとは、その事自体萌え萌えしい。

 だが、文体はふんわりしているのに、ことあるごとに美味しい食べ物カロリーが高くしか健康に悪いという現実ビシバシ突き付けてくる。なんなの長野先生サドなの? そんなに言わなくてもいいじゃないカロリーことなんて! 普段現実離れした作風なのになんでそこだけリアルシビアなのか謎。極力カロリー塩分を抑えてしかも美味しい料理を作ろうとなった時にまずは極上の食材調達してきてそれを干す、という異様な難易度の高さ。救いなどなかった! しょうがない、貧乏人はポテチ食ってデブしか……。

 昔、向田邦子か誰かの随筆で、戦中にこっそり隠れて読んでいた婦人雑誌に「シュウクレエムのいただき方」という記事が載っていて腹を空かせながら読んだが、結びに「淑女はシュウクレエムなど食べてはいけません」と書かれていてがっかりした、とかいう内容のがあったと思うのだが、きっとその時の向田邦子か誰かの気分が『チマチマ記』のお料理場面を読んだ時の私の気分に近いんじゃないかなと思う。

 難易度高過ぎロハス暮らし描写勝手に心折られてしまったが、桜川くん←カガミさんのBLは良さげに納まったっぽいのでいいや。

2022-02-09

anond:20220208125611

この内容はwebエッセイ漫画として確立した方がいいよ。

Togetter辺りで人気が出る思う。

おっさん自分美少女化したエッセイ漫画が増えてるが

胸の谷間スマホ入れたポスターとか作られたりして、これフェミ的にどうなんよ

ありならもう、男だけで生きていくことになりそうやな

2022-02-05

育児エッセイ漫画で、子供がすごくかわいく描かれてたり聡明子供だったりするとイラっとするけど、この人はブサイクに描いてていいね

https://twitter.com/inu_eat_inu/status/1488534281752305668

2022-02-04

anond:20220202123852

年の差きょうだいで妹の成長は正確に覚えているけど、イヤイヤ期なかったな。多少のわがままくらいで。

最近子育てエッセイ読むのにハマってイヤイヤ期エピソードをよく見るから妹はなかったよね?と親と話していたら自分もなかったそうだし、そういう子もいるだろう。

妹は第二次性徴期はきてるしかなりキャラクターつよいよ。自分がいうのもあれだけど。

2022-02-03

anond:20220131190317

もしかして、数週間前まで猫アイコンで某小説サイトエッセイとか投稿してた人?  なりきりの人であるのと、主張内容がよく似ている。ただ、猫アイコンの人は二次創作BL小説過去に書いていたけど、世のBL定義自分とは合わないか自分腐女子ではないと思うとか言っていたけど。

別の投稿サイトに移ると言っていたが、そこもやっぱり居場所じゃなかったのかな?

2022-02-02

オススメエッセイ教えてください

短歌の名歌が知りたいを見て、ふと今読んでいるエッセイ穂村弘だったことを思い出した。

もうすぐ読み終わるから次に読むエッセイを探してるので、もし良かったらみんなの好きなエッセイを教えてほしい。

仕事帰りに、ちょっと疲れててもさらさら読めるような、そこまで分厚くない文庫本が嬉しいな。

過去に読んで特に好きだったのは小川洋子カラーひよこコーヒー豆」、キリンジ兄弟の2冊「あの世で罰を受けるほど」「自棄っぱちオプティミスト」、谷崎潤一郎「陰翳礼讃」、星野道夫旅をする木」です。

向田邦子ちょっと気になってます

id:sonzinc さん ←ごめんなさい。書き方分からずここで返信しました。

具体的にタイトルも教えてくださりありがとうございます。父の詫び状あたりからチェックしてみようかと思います

2022-01-31

anond:20220130192953

育児系のエッセイ漫画で読んだことあるけどストレスによるチック症一種らしいよ

貧乏揺すりやシャーペンくるくる回す癖みたいなもの

ほんとに快楽を求めてオナニーしてるわけじゃない

大人が過剰に嫌悪するともっとストレスかかって繰り返すようになる

2022-01-28

女性作家小説を持っていない

うちには父親の買った本と俺の買った本が同じ本棚に並んでるんだけど、女性小説家の本はほぼない。200冊くらいある本のうち女性作家は1割以下。

ノンフィクションなら10冊だけあるけど、小説となると小野不由美の「屍鬼」と宮部みゆきの「残穢」だけで、これは俺がホラー好きだから買っただけでほかは全部男性作家

女性小説家の本は読んだけど売ったり捨てたりしないで残ったのがこれだけだった。

あんまり読んだことないから印象なんだけど、女性作家小説はどちらかと言うとエッセイに近いと感じる。

自分生活の周りを観察したり感じたりしたことを広げて作品にしてる。

男性作家小説文体や話がバキッと尖ってるのに対して、女性作家小説マイルドで読みやすい。

からなのか俺は女性作家小説は引っかかりが少ないというか読んだ感じがあまりしない。

女性作家をあまり積極的に読まないのは、せっかく読むんだから味付けの濃いものを!という心理が働いてるように思う。

俺がもっと本を読む人間だったら「ちょっと疲れたから優しい感じの小説を」と女性作家小説を手に取るかもしれない。

2022-01-25

anond:20220125205542

史実ファンタジーとかエッセイ創作とかはイラっと来るな。小賢しいことせず最初から創作ですと明言して勝負しろやって思う。

2022-01-24

中学の頃に読んだ筒井康隆エッセイに、

本人なりの事情があるのだろうと思うからオレは電車内の喫煙者を注意しないと書いていて、

大人うまいなと思った。

2022-01-22

一人称視点漫画教えて

モノローグ主人公のものだけで、他の登場人物心理描写言語的にはなされないもの

はてな大人気の「僕の心のヤバイやつ」はかなり上手くやってるよね

他にもオススメのあれば教えてください

やれたか委員会(毎回の独白視点)みたいな変則的なやつとか

東京大学物語みたいなギミックとして使ってるのも面白いのがあれば知りたい



追記

コメントありがとうございます。単純に主人公以外の思考内容が記述されない、くらいのつもりでした(主人公が出てこない場面があっても気にしない)。真のFPS漫画はそれはそれで面白いけど。

他者思考がわからないことを絡めたドラマとか執拗心理描写面白さがあると嬉しい。

エッセイ漫画は確かにほとんど当てはまるね。一方ストーリー漫画で且つ一貫しているのは割と限られるような?エロ漫画少女漫画に多そうな印象はたしかにある(イメージです)。

孤独のグルメ 大好き。こういうのもっと読みたい

タコピー原罪 「僕の~」と2大ブクマ多い連載漫画?この漫画タコピー視点限定が効いている、と思いきや何故か東くんだけ心理描写多めだった

水は海に向かって流れる 結構早い段階で他者視点入る!でも面白そう!

雪女と蟹を食う エロ注意だけどタイトルとか導入が意味不明で良い!2冊無料でした。続きも買うと思う。

panpanya 読んだことなかったけどネットでは評価されてる方ですね。おもしろそう!

血の轍 それがあった!確認してないけどこの先生作品大体主観視点なんじゃないだろうか

おやすみプンプンうろ覚えだけど、デッドデッド(略)は群像劇っぽいのに主人公モノローグ以外の心理描写は一切ないようだった

2022-01-21

悠仁さん筑附に行くメリットあるのかな?

私は筑附(我々は「附属」と呼んでますが)出身者で、悠仁さんが後輩になったら単純に「わ〜い」みたいな気分はあるんですが、悠仁さんにとってメリットあるのかなあ。

国立の貴重な枠を奪いやがってって、叩かれるデメリットのほうが大きい気がする。(マコさんの乱の直後なだけに・・・

後述するように、そもそもそこまで奪い合うような枠でもないと思うんですが、現実にまあまあ奪い合われている以上、特例でそこに入っちゃうと気分を害する人が出てきます

そこまでのリスクを負って、筑附にしかないものって別になくないか?と疑問です。

筑附って(公立校にありがちですが)先生サヨク的で、皇室的なものと相容れないし、報道では「東大に入れるために筑附」とか言われてますけど、それは筑附に入る子たちが結果的学力とか上昇志向があるからそうなってるだけで、筑附と学習院比べてどっちがいいかっていうとかなり微妙です。筑附はむしろ受験勉強サポートよりも、受験にまったく役立たないエッセイ書きとか自由研究みたいな課題が多いし、部活もけっこうちゃんと頑張るので、それはそれで長い目で見れば大事なことで楽しいけど、いわゆる受験向きではないと思います。まあ、私は一昔前の卒業生なので最近は違うのかもですが・・・あと些末な話だけど、入学早々に学習院と筑附でスポーツの総力対抗戦みたいのがあり(筑附からは「院戦」学習院からは「附属戦」と呼称)、マスコミには良いネタにされるんでしょうね。

東大に入れたいなら、どこの学校でもいいから落ち着いた環境に入れて、信頼できる家庭教師でも雇って、粛々と家で勉強したほうがいいです。

そういえば自分東大出身者でもあるんですが、東大学部では大したこと教えないんで、東大を目指してるってのも本当だとしたらなんかイメージに踊らされてる感じがします。高校大学別にどこの学校に行ってもいいと思うけど、「東大に入れたいから筑附」はツッコミどころ多すぎて。

かいうと、筑附で東大なのにこの文章力氏ねとか怒られちゃうんだろうなー。はぁ

2022-01-17

顔が良い若い女イージーモードだって聞いてたんだが??????

精神障害者の顔のいい女だけど、まともな男精神障害者結婚しようとしない件

どこに理解のある旦那くんが存在するんだ!?

よく揶揄されるエッセイ健康だったり社会と関わってる時期に出会った男性と結ばれてるので

10からずっと精神障害だとまともな男出会うチャンスがない

顔のレベル大手芸能事務所所属はできるくらい(仕事はろくにできずに辞めた)

かに恋愛に関しては全くなかったとは言わないが、破れ鍋に…という感じの同じレベル男性であって、全てを包み込み養ってくれる理解ある彼くんなんていなかったよ

結婚相談所とか中卒の精神障害者でも20代の顔がいい女なら受け入れてくれる?

識者求!

追記

メンタルの具合は、障害者手帳持ってて、訪問介護などサポート受けてるレベルです!

基本寝てることが多いかな!重くなると風呂食事が一人ではできない感じ!

他害もないし、自殺未遂は何度もあるけど、リスカしたこといから見た目ではわかんないと思う!

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん