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2022-01-16

anond:20220115142649

小説家になろうで『誰か、こんな小説を書いて』とエッセイ風に書いてみるとか。

2022-01-15

マジで男女どっちも楽しめる作品ってどういうのなんだろう?

俺の答えはコレや!

先鋒 ブルーピリオド

次鋒 三国志横山光輝

中堅 鋼の錬金術師

副将 失踪日記2 アル中病棟

大将 孤独のグルメ

これなら3勝2敗ぐらいにはなる!!!


以下解説

先鋒 ブルーピリオド

まずブルーピリオドで速攻をかける。

先鋒の最優先条件は「バトル なし」「恋愛 なし」「ファンタジー なし」「具体的なメインテーマ あり」の4本柱。

そういった条件に合う中で比較新しくて知名度が高いのでブルーピリオドを選出。

コイツの強みは作品テーマが1話に詰め込まれていること。

「すぐ側で同じものを見ているのに伝わらなかった気持ちがふとした拍子に驚くほどハッキリと伝わってしまった。美術って凄い」

こんなものを1話で説明しきれるとかネーム天才か?となったあの1話で勝負だ。

相手オタクならまず勝てる。

これで勝てねえならもう相手が悪いので全敗を覚悟するしかねえ……。

漫画を薦めるのはやめて好きなテレビなり最近食った美味いものの話でもしよう。

次鋒 三国志横山光輝

次鋒は「人間関係まみれ」「バトルまみれ」「超有名作品」というテーマだ。

三国志キャラがアホほどたくさん出てくる上に因縁もクソほど積み上がっているし更には戦争バンバン起こるし痴情も縺れまくる。

とにかく話を動かしまくる作品をぶつけるという散弾の如き戦略だ。

もう読んでるけど駄目だったと言われても諦めるなよ。

歴史物という時点で苦手な人はいから

中堅 鋼の錬金術師

絶対負けられない中堅戦はとにかく一番強そうな奴で勝負だ。

「作者が女性少年漫画」という分かりやす路線で雑に勝率を上げていくぜ。

ぶっちぎりで売れているし女性ファンが「エドまじかわいー」みたいに言ってるのを割と聞いた気がするから多分大丈夫でしょ。

錬金術って時点で無理とか、軍隊舞台とか怖いとか、そういう話をされたらもう諦めよう。

キメラ怖いとか人が殺し合うのはグロくて無理とか言われるかも。

ちょっと待て万人向けの作品なんてやっぱないのか?

ドラえもんですらしずかちゃんのお風呂覗くからポリコレ的にアウトで弾かれうるんだぞ?

ここまでで3連敗のパターンも有るな。

無理だわこの条件突破できる組み合わせ思いついたら編集者になったほうがいい。

副将 失踪日記2 アル中病棟

副将は「もういっそ男か女か関係なく合う合わないがめっちゃ激しいのにしよう」と考えて、漫☆画太郎やえの素を選ぼうとしたが正気に戻ってこれを選んだ。

リアルエッセイ系でありながら衝撃的な内容。

人生の役に立ちそうな感じと、こんな知識一生使わないだろのバランス

1巻も面白いんだがあっちは漫画家の失踪テーマだし作者がロリコン漫画界のスーパースターである話とか出てくるから厳しいと感じてこっちに。

割とダラダラ続くのでヤマとオチとイミしか興味がないファスト映画脳な人に受けが悪そうだがそこはもう捨てよう。

大将 孤独のグルメ

大将テーマは「食べ物」と決めていたが、その中でも謎のパワーが最も強くケレン味も程よい作品を選ぶぜ。

劇画調でありながら読みやすく素朴さとリッチさが程よいこの絵柄は最大公約数的な強さを求められる大将向きのはずだ。

謎のオーラでなんとなく面白かったと思わせてくれ。

もやしもん辺りもいいかなと思ったんだが流石にアクが強すぎるので今回は抜くことに。

これでどうや!

いややっぱ多分無理だな!

平均で2勝3敗ぐらいで終わりそうな匂いしかねーぞ。

ムズすぎるわ。

漫画オタク検定1級の課題かなんかか?

2022-01-14

フェミニズムが傷を抱えた人間セラピーになることについて

前書き

現代日本フェミニズムは、傷ついた人間が慰め合うセラピー看板のような機能を持っていると言える。

エンパワメントとかシスターフッドという言葉が好まれるのもその一環と考えらえるし、そんな前向きな所まで至らない、まず苦しみや怒りを吐き出させてくれという層もいるだろう。

弱者にとって慰め合う場があるのは良いことなのだが、セラピーとしてのフェミニズムと、学問言論としてのフェミニズムが分離されていないために、言論としての信頼度は弱まってしまう。

それが、フェミニストメンヘラだとか他人幸せを許せないだとかミサンドリストセックスヘイターだとかの批判に繋がってしまっているのだろう。

私自身も精神疾患持ちなので、精神が弱っていること自体批判する気はないのだが、セラピー的な語り合いと、学問的討論がごっちゃになっている状況は大いに問題視している。


冷静な研究者と、傷ついている当事者は、兼任しようとすると問題が生まれやすいのでどちらか片方だけの立場に立つべなのだ

それぞれ、何がOKで何がNGか切り分けておこう。

〇 冷静なフェミニズム研究者が、「困った女性のための駆け込み寺やセラピーの場や、肯定しあえる関係必要だよね」という学問理論を組み立てるのはOK

〇 セラピーに集まる傷ついた人たちが、フェミニズム用語理論武装することも、武装しつつ過激な主張をするのもOK。(セラピー的な場の発言は、過激なことや邪悪なことも原則許されるべきである。その反面、そのまま社会への要求として世の中に伝えるべきではない)

× 自分に傷が深く残っていて冷静な振る舞いができない人間が、研究者としての発言力を得て、セラピー患者としてするべきな過激主張を研究者立場でしたり、他のセラピー患者内面吐露ちゃん検討せず世の中にぶつけたり、学者同士でも肯定しあう関係じゃないと耐えられなかったり、そういうのはNG


本論

フェミニズムという看板のもとに、傷ついた人々が集い、辛さや怒りを語り合い共感あい心を癒そうとする様子は、当事者会に近い。

当事者自体は、様々な依存症障害事故被害者などについて行われており、有用セラピーと言っていい。

だが「セラピーとしてのフェミニズム」の問題は、当事者会で癒される患者と、当事者会を監督したり理論を語る研究者がかなり重なってしまってるということだ。

要するに、患者セラピストもやってしまっているという問題が、「セラピーとしてのフェミニズム」にはある。

全てのフェミニストが病んでいると言っているわけではない。

だが、SNSのそこら中で行われている「セラピーとしてのフェミニズム当事者会の多さに比べて、監督できる冷静な研究者は全く足りていない。


普通当事者会やセラピーは、福祉医療臨床心理士といった専門家によって研究理論化がされ、社会に対して有用性が主張され、会の時にはその場にいて見守ったりもするはずだ。

傷ついた当事者たちの語りは、しばしば自己中心的だったり理屈が通ってなかったり乱暴だったりするが、それは回復必要な心の解放だ。

それがそのまま社会への要求として世の中に出されたりはしないので、当事者会で語ったことが間違ってるなんて責任を問われることもない。

客観的専門家当事者たちの感情吐露分析して理論化した上で、必要な部分は社会に訴えるようになっている。

から、傷ついている当事者が冷静さを求められたりはしないし、当事者ヤバいことを主張していても研究者研究分野の評価が下がることもない。研究者監督しているか当事者同士の会話が過激化するエコーチェンバーも防げる。外部の一般人当事者の無茶な話を直に聞かされて、振り回されて悪感情を持つこともない。

これらの全てが完全に徹底されてはいないが、それでも、当事者セラピーで語り合う患者とそれを監督する研究者の間に線が引かれていることで、様々な弊害抑制はできている。

しかし、「セラピーとしてのフェミニズム」では、患者監督者、研究者、全てが一体になりやすいので、普通当事者セラピーでは減らせる弊害がモロに発生しているのだろう。

たとえばフェミニストが「トーンポリシングはやめろ」と主張し、議論や説得において言い方ってのは大事だろと反論されるのをよく見るが、あれも、セラピー的な場と議論の場がごちゃまぜになっているせいだ。

はいま苦しすぎて言葉を選んでいられないのでセラピー患者として気持ちをぶちまけてるんだからトーンポリシングするな、というなら真っ当である

言い方や内容にしっかり気を使うから議論として発言を真面目に聞いてくれ、というのも真っ当である

だがそれを同時にやらせてくれ、自分セラピー的にぶちまけるが聴衆は真面目に聞いてくれというのは無法な要求だ。

せめて、セラピー監督する冷静な研究者に向かってぶちまけて、その研究者理屈の通らないところを補助し冷静な言い方に直して議論の場に持っていくという形にしなければいけない。

なのにフェミニズム議論では、何もかも一緒くたになりがちである


当事者研究者の分離は、簡単なことではないとは思う。

特に精神思想分野ではそうだ。

臨床心理士カウンセラーになりたがる若者はしばしば自分精神不安定を抱えているというのは、統計はないが実体験としてはよく聞く話である

博物学系でも、たとえば動物学者はだいたい動物好きで、心情的には動物保護したがるだろう。

だが、そこは資格団体ががんばってたり教育だったりで、臨床心理士精神保健福祉士はある程度の信用をしてもいいだろうとなっているし、動物学者も後先考えない動物愛護活動をする人は目立ってないわけだ。

しろ、愛後派の過激な主張の角を取って一般社会的に妥当で持続性のある動物保護のやり方を訴えたりしていて、それはまさに、感情的になりがちな当事者の語りを、研究者自分のところで一度止めて丸め社会に伝える、当事者会に対する医療福祉関係者の立場と近い。

から臨床心理士動物学者などの学問的信用はまあ保たれている。


ところがフェミニズムや一部社会学は、理論家や研究者が、傷ついた患者当事者と近かったり同一人物だったりして、監督者のいないまま野良セラピー的な語り合いをし続け、当事者の悲痛な心情吐露ではあるが社会妥当性の薄い発言みたいなもの研究者学問立場から主張されてしまっている。

フェミニストメンヘラだとか他人幸せを許せないだとかミサンドリストセックスヘイターだとか言われるのはそのせいだ。

ここで断言しておくが、メンヘラも、他人幸せを許せない人も、ミサンドリストも、セックスヘイターも、楽しく生きてよいし好きに発言してよい。当事者会で同病相憐れむのだって、傷ついた人間には大切だと思う。

過激思想トラウマは緩んだ方がいいとは思うが、それもあまりに大きな加害に繋がらないのであれば自由だ。

ただし、その発言あくまで傷つき冷静さを欠いた人の発言として生暖かく見られている方が、周囲にとっても当人にとってもよいはずだ。弱者の声は社会から無視されるべきではないが、そのままで妥当性が低いので、客観的研究者が集積して適度に理論化と穏健化した上で世の中に訴えるべきだろう。

フェミニズムが、弱者に肩入れしようとするあまり病んだ発言をそのまま重用したり、著名な研究者自分当事者性を切り離して冷静さを保つ努力をおろそかにしているのは、誰にとっても不幸である




おまけ 朝日新聞運営の『かがみよかがみ』について

一つ、わかりやすい事例を挙げる。

私がフェミニズムジェンダー学のセラピー機能と、学問言論機能の混在の弊害をわかりやすく感じたのは、朝日新聞運営の『かがみよかがみ』である

「私のコンプレックスを私のアドバンテージにする」とか「私は変わらない、社会を変える」とかをコンセプトにして、女性自己肯定感の爆上げを目指すメディアであることを謳い続けているサイトだ。

コンテンツとしては、エッセイ投稿サイトである

18~29歳の女性からエッセイ募集して、編集部がチェックして載せている。著名人契約コラムニストの連載もある。

そして投稿者を「かがみすと」と呼び運営ボランティアを「ミラリスト」と呼んで連帯感を出し、若い女性同士で肯定しあえるコミュニティを作ることも意図しているようである。(かがみすとは今もしっかり使われているが、ミラリストTwitter検索してもほぼ出てこないので今も使われてるかは外部からは謎)

二年くらい前に数回燃えたが、扱っている内容の割に回数は少ない気がする。特にはてなとは読者層が違うのだろう。

上野千鶴子さんに質問「ベッドの上では男が求める女を演じてしまう」 | かがみよかがみ

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/mirror.asahi.com/article/12881008

フェミニストでも、守られたい。フェミニストから、守りたい | かがみよかがみ

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/mirror.asahi.com/article/13432941

これの上の方に関わっていたコラムニスト(かがみすと)が、謝罪をしつつかがみよかがみを批判したnoteを全三回書いていたのだが、その第三回と、ここから辿れる記事類を読み、フェミニズムセラピー言論を区切らずやっている弊害はあるな、と強く感じた。

上野千鶴子座談会セックスワーカー差別炎上とかがみよかがみコミュニティ雰囲気について(下)|滝薫

https://note.com/hannnahkuku0819/n/n6514127ed85a

『かがみよかがみ』が目指すのは、あくま女性自己肯定感の爆上げである。正しさではなく、自己肯定感である

それも、明言はしていないが18~29歳の女性だけを狙っているだろう。

若い女性たちがエッセイで悩みを語り合い、書き手同士のスラックか何かでも褒め合い、お互いが何を言っても原則として批判しないし自虐もしない。まさに当事者会でありセラピーのやり方である

フェミニズムジェンダーなどの内容が多く扱われているが、それはあくま自己肯定感爆上げの道具なので、理論的な正しさを保とうとして心が苦しくなってしまうようなら、正しさを追求しなくてよい。

エッセイ投稿年齢制限も無い方が「正しい」のはわかってるだろうが、年上の説教エッセイ愚痴エッセイが載ってるサイトは鬱陶しくて気持ちよくなれないという若者本音を慮って、微妙理屈をつけて年齢制限をかけていると思われる。

投稿者をかがみすとと呼んで内輪感を作るのも、その繋がりで孤独が癒える人がいるかである。そういう内輪感にウエッとなる人もいるだろうが、そう言う人は他のどこかで癒されればよいというスタンスだろう。

編集長伊藤あかりさんのツイッターbioには"「全ての人を満足させようと思ったら、一人も熱狂させられない」という感じ。"と書かれているのだから

この世に、傷ついた若い女性のための当事者セラピーの場があること自体は、良いと思う。

だがそれが、朝日新聞運営メディアとして広くネット広告され、上野千鶴子石川優実企画に呼び、ヒコロヒーなどの連載があり、エッセイ投稿者ジェンダー学やフェミニズムで多少の理論武装をして識者っぽい人もたまに言及するとなれば、そこはもう言論の場となってしまう。苦しい内面安心して吐き出せる、責任を負わなくていいし怒られもしないセラピーの場としては相応しくない。

なのに、そこが曖昧に混ざった立場文章が発表され続けている。

から『かがみよかがみ』の記事批判されたのである

そして、これは、インターネットにおける様々なフェミニズム活動についても近いことが言える。



まとめ

最後にもう一度まとめる。

傷ついた当事者同士が慰め合うセラピー看板としてのフェミニズムと、冷静さと客観性を保つ学問研究としてのフェミニズムは、分割しておく必要がある。

現在日本では、セラピーの場としてのフェミニズムと、学問としてのフェミニズムが、ごちゃごちゃ混ざっている。

心が乱れてフェミニズムセラピーを求める患者と、冷静であるべきフェミニズム研究者も、ある程度重なってしまっている。

この状況を解消しないと、世の中の幸せにはつながらないだろう。

anond:20220114123217

エッセイ漫画だと彼くん(大体メガネシャイで微笑みを絶やさない感じ)可愛く見えるから

実際はチー牛だとしてもだ

2022-01-13

昔は結構読んでたけど、自分以外を主題にしてネタにして実録やエッセイにしてブログTwitterで公開するのって下手な描き方だとネタ元になった人物を傷付ける可能性があるのにやる人はいつの時代もいるのは何故だろう。

ネタ元になった人物より困らされたり振り回される自分を見て欲しいのが伝わるのが、下手なエッセイや実録ものだと思う。パートナーでも肉親でも職場でもペットでもそこら辺のマックでも二次創作でもなんでもそうだけど、自分を見て欲しいんなら他のもの使わず自分自身を評価されるように表現を工夫しろ

やれやれ系を気取るのは楽だったり気持ちいかもしれないけど、自分以外のもの愚者や悪役にしてまでするのは醜悪と思うくせにこんなの書いてる自分も嫌いだ。自分だってちゃんとした人間じゃないくせに。

2022-01-12

今までたくさん本を読んできたけど、フィクション漫画表現すると読みやす

エッセイや論評、伝記などは難解な専門用語が出てきても額面通りに受け取っておけば問題ないが

小説などのフィクションは馴染みのある単語でも比喩表現など額面通りでない意味でもよく使われるので

そこが小説の読みにくいところ

2022-01-11

明日高山から引っ越す

あの旅館ゲロだけ置いて行くのも心残りなので、レビューのような何かをここに書き記しておく。エッセイとかブログとかそういったことを書いたことのない人間が書く文章から読みづらいかもしれん。すまん。

明日自分高山から引っ越す。

高山の名のとおり、でかい山に囲まれた小さな町だ。マジで沖縄本島の周辺の小島かよってくらい、まわりはなにもない。山だけ。最初Googleマップで調べたときは、あまりにもポツンとあるもんだかはカルト的な村かと思った(申し訳ない)何を思ってここを繁栄させたんだ。「君の名は」に出てくる女の子田舎町。あそこら辺が高山じゃなかったかな。まぁ、自分高山育ちじゃないので詳しくは知らんが。ちなみに岐阜県にある。

去年の2月ごろ、派遣会社にいわれて高山引っ越した。仕事精神的な理由でたった2ヶ月で辞め、それから4ヶ月過ぎて休職することになった。以前の職場でも4ヶ月で辞めたから、自分は働くのに向いてないんだろう。というか生きること全般に向いてないような気がする。メンタル弱すぎて不摂生生活デフォ

というわけで半年くらい高山休職していたわけだが。おかげさまで体調は戻り、来週に復職することになった。ただまぁ、いまのいままで仕事が長続きした試しがないので、不安しかなかった。仕事のことを考えると胸が痛くなるし、あまりの鬱さに身動きできん。

それが祟ったのだろうか。夕飯の帰りに気持ち悪くなって、「こりゃ家に帰れねえ!」と思って、どこか休めるところを探した。だけどくそ田舎に休めるところがあるはずもなく、どこもかしこシャッターを下ろしていた。参ったなと思って、ときおりしゃがみつつ、なんとか歩いていたら、旅館があった。あまりにも気持ち悪すぎたから藁にもすがる思いでインターホンを押した。

出てきたのはババアだった。腰曲がりすぎて、自分の持ってた傘くらいの背丈しかない。

とりあえず気持ち悪いので玄関先でいいから休ませてほしいという旨を伝えたら、快諾してくれた。コロナ禍でちょうど客がいなかったというのもあるかもしれない。電気をつけて、はいどうぞ、とフロントの前にある椅子に案内してくれた。で、お茶はいらんかとかひざ掛けはいらんかとか聞かれた。気持ち悪かった上にあんまり耳がよくないので、全部聞き取れたわけじゃないが。とりあえずお湯だけ頼んだ。

ババアが去ったのを確認して、外の格好でソファーに寝転がった。暖房がつきたてでまだ狭い部屋のなか、急に見知らぬ人間を入れてくれたご厚意を思った。そしたら急に心臓がおおきく脈を打って、体がブルっと震えた。「こればまずい」と思った瞬間、情けないことに涙が出た。友達もいないし、親との関係は悪いし、周囲から冷遇されたし、性格能力ゴミ自分に、やさしくしてくれる人間がいるんだなって思った。

ひとしきり泣いてたら、さっきの女将さんが茶を持ってきてくれた。マスクマフラーで隠れていたが、さすがに気づいたらしく「泣きたければ泣けばいいよ」と言って、そのまま去っていった。映画しかいたことのないセリフに、自分はまたしゃっくりをあげて泣いた。右目から半開きの左の瞼を伝って、生あたたかい水の粒が落ちて、ソファーに黒いシミを作っていたことを強烈におぼえている。平安貴族がよく「枕を濡らして〜」とかのたまってたけど、こういうことか、と思った、あまりにも体が重すぎてそれ以上頭働かんかった。

そんでまた女将がやってきていろいろ聞いてきた。住所はどこ、何歳? 家族は?と。ひとまず住所を伝えた。あまりにも声小さすぎたけど、女将の耳は(自分と違って)いいらしく、声を弾ませ、そこに親戚が住んでいることを教えてくれた。年齢を答えたら「あたしはね、81歳だよ!」と教えてくれた。あまりにも老健すぎて、泣いてしまった。そうとうメンタル参ってたんだなと思う。ひとり暮らしなことを伝えたら、また住所を聞かれた。

そこでおなじ回答をしたら、「そこに親戚がいるんだよ!」とおなじ反応が返ってきて、「あぁ、この人認知症なんやろな」と思った。普段ならウザイなぁといってあしらうけど、厚意が申し訳なさすぎて、ずっと同じ問答をした。たぶん10回以上したんじゃないかな。声出すのがキツかったから、ほとんどがうなずくくらいだったけど。

で、泣いてる自分を見て、女将は「あら?泣いてるの?悲しいことがあったんだね」と言った。ああ、認知症から泣いてたこと忘れてるのか、と思った。うなずいたら、「泣きたければ泣けばいい」と言われて、また泣いてしまった。

悲しいことがあったの?と泣いた理由を聞かれたけど、女将からは「友達となんかあった」とか、「つらいことがあった」くらいしか尋ねられず、この人はメンタル弱者世界とは無縁なんだろうなと思った。さすがに不安で泣いてますなんて答えても理解されないと思ったし、説明する気力もなかったからなにも答えんかった。女将は無理に聞こうとしなかった。

で、問答中はひたすら背中をさすってくれた。いまでも痛むくらいに。コート越しだけど、なんとなく女将のシワだらけの手の感触がした気がした。

そんで、「あたしは〇〇旅館女将なの」「旅館は老舗でね」と自己紹介してくれた。自己紹介といっても、その二文を繰り返すくらいなんだが。あまりにもボケすぎて81という年齢すらあやしいかもしらん。

途中で吐いたり、女将さんの爺さんらしき人が来たりとちっちゃいアクシデントはあったけど、ほとんどは同じことを言い合いながら時間を過ごした。記憶力がゲームNPCレベルだけど、なんかこの人にだけなら甘えてもいいんじゃないかって思うと、すべてが許せる気がした。

しばらく経って落ち着いてきたので、「もう帰ります」と言って、もらったタオルで涙を拭いて、靴を履いた。女将も靴を履いてくれて「どんだけ優しいんだ」って思うなどした。

帰りにまた「あたしは〇〇女将旅館だよ!」と自己紹介して見送ってくれた。

帰りは雪が降っていた。脳内流れる惑星より』ジュピターピアノバージョンを聞いながら、バシャバシャに溶けた雪を踏んだ。喉と胃が焼けてひりひりしたけど、それよりもこの雪も最後かぁと思った。いやな人間もいたけど、なにかと人情味に溢れてる町だったと思う。always 三丁目の夕日みたいな、古くさい町並みにぴったりの温かさが確かにあった。

もしこれを読んで件の旅館に泊まろうと思ったら、女将に「あなたに優しくされた人間がいたので、ここに来ました」とか、まぁそんなことを言ってほしい。まぁいるか分からんし、たぶん女将は覚えてないだろうけど。

anond:20220109105033

エッセイ漫画という公的ものに対して、2chというアングラものが引き合いに出されていて笑う

2chで男っぽく振る舞うのが当時はネットしててゲームアニメが好きなのは気持ち悪い男っていう偏見があったからだろ

黒人コミュニティ白人が我が物顔で歩くなって話だったと思う

2chは既にアングラじゃなく、オタク差別ゲームアニメ好きなのもネットするのも普通から女が書いても叩かれないだけ

2022-01-10

anond:20220109105033

2チャンネル書き込みが男を装わないといけないなかったことと

最近エッセイ漫画女性を装わないといけないこととが

女性地位向上によるもの、という結論部分には納得できないかな。

でも男性女性エッセイ漫画を描いているなんてことを発見してるのはよく観察してるな、と思う。

なんでそんなことをするのかは、それがデフォルトとして存在しているからというパターンがある。

パチスロユーチューバーが気にしているのは、

他のユーチューバーとは違うことをする個性的演出ではなくて、

他のユーチューバーがやっているお約束ごとをきちんと自分踏襲できているか?ということだという話を

増田で読んだことがあるような気がする。

それと同様で、すでにある女性エッセイ漫画というジャンル男性が参加しようとしているパターンがあると思う。

 

同じような話だけど女性主人公にしないと単純に読んでもらえないパターンあるかな

「女だけど」をつけると読んでもらえるからな、増田なんかでも。

「女だけど」ガンプラつくった、「女だけど」未経験からプログラマーになった、とかな。

まあ女性の方が優位な社会である、というのは間違いないのか。

ということは女性地位向上しているって増田結論あながち間違ってはいないのか。

なんて文章を書いてる自分も実は「女だけど」さ。

2022-01-09

anond:20220109105033

SF作家女性相対的に少なく漫画などのフィールドファンタジーを書く。一方男性で選任エッセイストという人が多くおらず、小説音楽家芸術家エッセイを書くにとどまる

anond:20220109105033

結論ありきで書いてるな。エッセイエッセイ漫画のメインターゲットが女性から、それに合わせた作者像を用意してる面がでかいんじゃないの。少年漫画だと、女性作者でもペンネーム自画像を隠すような習慣は今でもあるし、その逆だな。

anond:20220109105033

「俺、つしま」というエッセイ風猫漫画の飼い主は、女性だが爺さん(桜玉吉風)の絵で表現されている。

珍しい例ではあるが、無いわけではない。

anond:20220109210116

えっあれエッセイなの…

イーグルジャンプと同系統なんでは?

エッセイってもっとマンガっぽくないマンガ自分の主張をやんわり伝えるマンガ)の事かと思ってた

女になり切ってみたいなやつは、自分で言っちゃってるからジャンルとしては違うんじゃないの

anond:20220109205907

自分ツインテールかわいい女の子だと思い込んで」シリーズとか。

エッセイ漫画というには力入りすぎてるが「鍋に弾丸を受けながら」もそうだな。

anond:20220109105033

エッセイ書く男性女性自画像使ってるの見たことないんだけど

例を挙げてほしい

anond:20220109144753

まあボクのケーハクなエッセイなんてのは世の中に何テラバイトもあるだろうし

エヌ氏の出てくる短いだけの文章は山と積まれて見えないくらいだろうし

ぼごべきぐしゃっとかめぎょっとかよくわからない擬音だけの行(なんなら4倍角)は今この瞬間も生み出されているのであろう

それでいーのだ

漫画を描く人たちが性別を変える理由

最近TwitterなどSNSではエッセイ漫画流行っている。

ここ2、3年で、本職の漫画家に限らず、個人趣味で書いてるエッセイ漫画も頻繁にリツイートなんかで回ってくるようになった。

漫画を描いてる人本人に興味を持って調べることも多いが、そこで気づくのは、性別男性女性かに関係なく、自画像女性の人がほとんどだということ。

美少女とは限らず、地味な見た目だったり、おばさんに見えるような自画像も多いが、女性男性自画像を描いているパターンは今のところ見たことがない。

この現象を見て思い出したのは、1020年ほど前の2ちゃんねるに書き込むとき作法だ。

当時、2ちゃんねるのような匿名掲示板では、一部の板を除いて男女問わず男性のような書き言葉を使って書かないといけない暗黙のルールがあった。

それを守らないと、女だと分かると馬鹿にされたり真面目に取り合ってもらえないような雰囲気があった。

20年経った今の5ちゃんねるではそんな雰囲気は消えていて、男も女も楽しく平等罵倒しあっている。

現在SNS界隈では、その逆の現象が起きている。

そもそもどうしてエッセイ漫画自画像性別女性ばかりなのか?

一つに、可愛いものがもてはやされるからというのがある。ここ最近企業広告なんかでも堂々と美少女二次元キャラを起用していたり、オリジナル二次元キャラを描いていたりする。街中でもそういうものをよく見かけるようになった。

オタク的なもの嫌悪感を持っている人たちから批判を受けることがあっても、そういう広告が多く存在するのは、それだけ可愛いものがもてはやされていて、広告効果もあるということなのだろう。

しかし、自画像美少女ばかりではない。一番の理由として言えるのは、男性がやると非難されたり気持ち悪がられるようなことでも、女性がやると許される、受け入れられることが多いから、だということ。

実際、ちょっとした言動でも、男性がやると気持ち悪いなどという誹謗中傷を浴びることは今では珍しくない。

そして、男性の絵日記というものには誹謗中傷を浴びせる余地が山ほどある。

以前、爪を噛む癖がある、と描いた絵日記に、女の子から良いけど男がこれやってたら気持ち悪いな、などという意見がついていたのを見たことがある。

かい癖に限らず、ちょっとしたこと気持ち悪いなどと言われることは男性なら多くの人が経験している。

女性場合は、よほど悪いことをしていない限りは、本人に癖があっても大抵は自然に受け入れられることが多い。

何故か、男性が向けられるこういう誹謗中傷は、当たり前に受け入れなければならないという空気蔓延している。

から結局、自画像男性にして描いても、誹謗中傷を浴びて傷つくだけでしかない。

インターネット上の雰囲気が、20年前と真逆になってしまっているのは、結局この20年間で、女性地位が向上して、男性地位が下がって、それが行きすぎて男性の方がむしろ生きづらくなってしまたことを表しているのだろう。

anond:20220108185409

随筆エッセイドキュメンタリーのような、経験事実表現することも創作活動と言えるんじゃないかな〜

何について伝えたいのかとかどの場面を切り取るかとか、なにかしら創造する部分があるはずだし

フィクション作品もその作家経験を元にアレンジしてることが多いと思う

確か宮崎駿も半径3メートル作品を作るって言ってた

おじさんを釣れる記事が書けません。

貴重な場をお借りしま

最近おじさんを釣れる記事が書けず、この場にて皆様に助けを乞うべく、記事を書かせてもらいました。

私は可愛らしいビール腹のおじさんが大好きで、正直性的な目で見ています

ただ黙っていてもおじさんに構ってもらえるほど、自身スペックは高くありません。

そのくせに、個人的事情があり、相席屋やおじさんがいそうなサークルに参加できない状態です。

現実では、可愛らしいビール腹のおじさんが吸引出来ずにいます

年の差恋愛関連のエッセイ記事を読んでやり過ごす中、ついに増田存在を知りました。

記事簡単投稿出来るのもあり、以後定住しています

おじさんには若い女子好きな方も多いので、最初の方は、年の差恋愛関連の釣り記事を書いていました。

私自身、夢小説を書くような楽しさがあったのもあり、合間を見て書いていました。

しか最近パソコンが壊れたのもあり投稿が難しくなりました。

それに伴って、釣り記事クオリティが下がりました。。。悲しいです。。

今日も27歳年下JKの姪っ子から告白された体の記事を書こうとしましたが、途中で挫折しています。。。

私自身、恋愛体験が多い方ではなく、現実の引き出しがもう枯渇しそうです。

それも可愛らしいビール腹のおじさんに振られたことと、微かな恋愛体験だけです。

なので、自分妄想の中のおじさんを、何倍にも薄めて日々の増田投稿しています

今日、その薄めていたおじさんが底を付いたような気がします。

どうすればいいのでしょうか。

私は可愛らしいビール腹のおじさんを吸引出来なくなるのでしょうか。悲しいです。。。

2022-01-08

anond:20220108183241

読んだだけで自分もうんちをしたくなるほどの名文。

このまま世界中トイレやうんちの名所をめぐりエッセイを残して欲しいくらい。

2022-01-07

毒親からの言い分

毒親のせいで人生台無しになったってマンガやら文章は多いけど、毒親から反論というか、言い分みたいな文章はあまり読んだことがないのだけど、ないのかな?

ど根性ガエルの娘の親みたいなエッセイがあるといいんだけどな。

2022-01-06

橋本琴絵のnoteはてブでバズってたのを読んだけど軽妙な語り口が週刊誌の実話ネタみたいで面白くスラスラ読めて、右派活動家としての普段の発信とのギャップ違和感も持った。

その1つ前の記事を読むとお固い文体でやっぱりテンプレ右派活動家の文章だったが、さらに遡って占い師についての記事は軽い文体で読みやす文章だった。

軽い「ですます」調で書くエッセイコラム記事と、固い「である」調で書く政治主張記事で、文体使い分けてるんだな

2022-01-03

anond:20220103164857

文章なんて極論を言えば読者に意図が通じればなんでもいい。

エッセイだろうと随筆だろうと、それこそ小説だって根っこの部分はそれが全て。

教養がない? ご冗談を、貴方読書体験は間違いなく血肉になっている。

現にこのエントリーが既に読みやすく、意図の伝わる文章だと感じた。

貴方はもう実行するだけで目的を達成できる。

中年の苦悩と虚無と何か文章を書きたいという欲求

本と答え

2021年は例年より多くの本を読んだ年だった。

本に手を伸ばす理由は、過ぎる時間の虚無を埋めてくれるからだ。

暇な時間にふと、理由のない虚無感や今まで自分の行ってきたことがふと無意味だったのではないだろうかという思いに襲われる。

  

そんな中、以前では現実逃避問題の先送りが悪と捉えてきたものを、積極的物事放置物語文章に没頭することが心地よくなってきた。

恐らく、以前はもっと人生とは自分の思うように舵を切って、自身に起こりうる出来事自分次第で制御できると考えていたのだ。

もちろん、突拍子のない願望や生まれ持った環境など、制御しようがないことが存在することはわかっていた。

しかし、心の奥で、自分の願望は全て叶えられる、変化できると思い込んでいたのだ。

  

そんな気持ちで日々を制御しようとしていた10代、20代、さぞかし理想現実の差に苦しみ続けてきただろうと考える。

どこまで求めて、手に入れても満ち足りない日々は確かに何かを手に入れて、成長したこともあったのだろう。

けれども、取り組んできた物事難易度時間と共に上がり、自身の行動の影響する範囲が大きくなるにつれて、自分能力では制御しきれない領域もあることを徐々に感じ始める。

  

精神が一気に崩れ落ちて、自身鼓舞していた心のどこかにあっただましだまし、綱渡りスイッチで稼働していた力の源泉から何も沸いてこなくなりついには割れてなくなってしまった。

  

この虚無感はいったい何なのか?答えを本の中に求めて、小説エッセイドキュメント、啓発など色々読んだ。

なるべく同年代主人公で人が死なない日常物語最初は求めていたのだけれど、いつしかその縛りは忘れて、自由ジャンルのものを読み始めて没頭していた。

  

自分は何している時が満たされているのだろう?とふと考えた時にパソコンキーボードを打ち込んでいる時と思った。

仕事キーボード毎日叩くのだけれど、キーボードを打ち込むそれ自体行為が好きなのではなく、打ち込んでできた成果物が完成した時に満足している。

のだと思っていたが、単純に今キーボードを叩いて文章を書く行為気持ちいい。

  

そして、今さっきまだ読み途中なのだが、「中年本棚」という本を読んでいた。

その中には超おおざっぱにいうといわゆる中年あるある中年の虚無感を古今東西の本から該当する要素を抜粋してそれに対する思案を述べているものである

当初自分が求めていた内容が書いてある本にようやく出合えたと謎の手ごたえを感じた。

  

隠居

その本の中で「隠居」について掘り下げて書いてあった。

「まとまったお金がもし手に入ったらなにが欲しいか?」

では何も思い浮かばないが、

「まとまったお金がもし手に入ったらなにがしたいか?」

では真っ先に「隠居」がしたいと筆者は語っている。

自分も同じ考えだ。

そこから、「隠居」について書かれている本をピックアップしている。

その中で、「日曜〇〇家」というキーワードがでてくる。

要は、「日曜〇〇家」で社会人生活を60歳まで過ごし、以降は「日曜」ではなく「〇〇」を毎日やるのだ。

例として、そのような小説家を何人か取り上げている。

医師を平行して、小説を書き、定年後は本業、ないし隠居しながら小説を書くというものだ。

  

エッセイやら随筆やら小説やら、結局は自分のために書きたいものを書けばいいというメッセージがふと強く突き刺さった。

  

キーボードをひたすら打ち込む

自分には教養知識もないが、キーボードをひたすら打ち込むと心地がよいという属性がわかったので、これから何かしら文章を書きたいと思っている。

タイピングソフトでもやればいいのでは?という問いには、自分が何かしらの成果物を作り上げているという達成感がなければ意味がないと答える。

というわけで、なにかカタカタ打つからには、自分他人に何かしら意味のあるものを書こうと思っている。

また自分思考を整理する過程も好きなので、一石二鳥ということで。

  

小説エッセイ随筆評論の違いについて軽く調べてみた。

結局、事実と思案、この組み合わせをどう表現するかだ。

難しいことはわからないし、無理に着飾ってもしょうがないので、自分面白いと思うものをひたすら書こうと思う。

  

趣味は「キーボードをひたすら打ち込んでなにかしら成果物を作ること」にしたい。

一言でいうとなにになるのだろう。

作文かな

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