はてなキーワード: ももちとは
婚活は数値上見えるものが大前提 年収 学歴 身長と 至らないレベルは足切りに合う
条件が揃わないと好きになる段階に進まない 容姿ももちろん足切り対象
恋愛は逆で 先に好きになるところがあって その後に条件による選別が出てくる
さてさて、みなさんの頭の中からエンブレムの話題が一切消えたころでしょうか、
私の中でデザイナの強さと弱さを感じましたので、ここにいる美大生にひとこと。(いるかな?笑)
佐野さんの出身校である多摩美では「野菜と両手」などという課題が出されます。
もちろん手は皆さん持ち合わせていますから、手を見て描きます。しかし、野菜はイメージで描かなければいけないのです。
私は美大生でもないですが、美大生の過去問を見る機会があり、とても驚きました。
美術を学んできた人は、野菜を見ずに野菜を、缶を水に缶を詳細に描けるのです。
美大はあまり勉学は重視されず、のいわゆる一般受験は私からみるととても簡単です(最近は一概には言えませんが)。
しかし、美大生は形に関する信じられないくらいの知識を身体に染み付かせているのです。
彼、彼女たちに手で描かせると、無意識の内に最善のカタチを手から出してくるのです。
でも、何故こういう形にしたのと尋ねると、曖昧な答えしか返ってきません。
身体の中に確実に正解を見いだして、目の前に形に出来ているのに、言葉にするのが少し苦手な印象があります。
これは、とてももったいない。身体に無意識に貯えた知識というのは、体調、気分などに左右されます。
言葉にして、いつでもその知識を引き出せる準備をしておくべきです。
さて、長くなりましたが、佐野さんの話です。
佐野さんももちろん美大出身で、身体に貯えた形に関する知識はものすごいことでしょう、
しかし、佐野さんも同じような問題を抱えているように思います。
言葉にする能力に興味がないのです、これはMr,desinのメディアに対する対応時に確信しました。
彼の事務所はメディアに発信するプレスリリスを画像という形で掲載していました。
しかも、フォントはA1明朝というデザイナーにとても人気のある書体です。
誰もが扱い易い情報にしなくてはいけないプレスリリスでさえ、彼はカタチ(見え方)にこだわったのです。
ここまでやる、カタチへのプロ意識は尊敬すべきことろがあります。
しかし、相手はカタチへのこだわりがない人であるのですから、皆が共有しやすいカタチにするべきでした。
エンブレムの件もそうです、彼は自分の身体の中にあるカタチを最大限に引き出して、作成したのでしょう、
しかし、似ているとは思うのです。カタチにこだわりがない人に対して配慮して、似ているということを認めてから、
でも、私の考えは、こうであるという詳細な言葉にして世に出すべきでした。
それができないのであれば、彼らの知識の塊である、その作品に至までの過程をすべて出すべきでした。
美大生には、自分の身体に貯えた知識を言葉にする意識をしてほしいと、切に願います。
彼、彼女たちの能力は世の中をよくします。それは自分たちの周りを見渡すとわかると思います。
しかし、世間と少し隔たりがあるように感じるのは、言葉にする能力にあまり興味を示さないからです。
苦労自慢、俺はこれだけ頑張ってデッサン力を手に入れたのだ、という文章ではありません。
何故貴方が無意識にこのカタチを選んだのか、貴方の経験の中で何故このデザインにしたのか、
ということを言葉にしてください。
私の高校の時の同級生が転職のためにSPIを受験するということで別の会社の人事部門につとめてる俺に相談してきた。
高得点をとるためのコツが知りたいのだという。
だけど、こういうのってコツなんてないのである。
SPIの問題は超カンタンである。誰でも時間をかけさえすれば解ける。
そもそも時間かけても正解できないという人間はよほどの低学歴だけである。
低学歴でも参考書を読んで1週間ほどやりこめば誰でもできるようになる。
問題が解けるか解けないかはそもそも問題ではない。解けない奴はお話しにならないというだけだ。
こういう問題をただ解けるだけのやつと、本当に実力があるやつとの違いをスピードで見ている。
何度も言っているが、時間をかけさえすれば誰にでも解ける。
だが、基礎学力レベルの低い人間、低学歴の人間は制限時間内に解き切ることが出来ない。
彼らはただ解けるだけだ。そこで満足してしまうからスピードが遅いのだ。
授業でも解き方を習って、何回か問題をといてそれで終わり。定着してない。
そういう人間は、しばらく間を置くとその問題の解き方を忘れていて、思い出すところからはじめなければいけない。いちいち頭で考えないと解けなくなっている。
そして、段々と時間がかかるようになり、次から次へと続くカリキュラムを消化していくことが出来なくなってくる。
スピードが足りないし、土台となる部分がしっかりしていないからだ。そうやってどこかで息切れして挫折しまう。
このように、スピードの速さというのは頭の良さというより、それまでの勉強についての姿勢が現れてくる。SPIの試験によって私たちはそれを見られているのだ。
とはいえ、この話にはオチがあって、その会社は特にSPIの試験の結果は重視しておらず、あくまでその後の性格などをチェックする適性検査のおまけだったらしい。
先輩はSPIの試験は散々だったが、問題なく採用されたという話だった。
余談だが、適性検査についても、適当に取り組んでいる人がいるがわざわざSPIを実施している会社の採用担当は実はかなりある項目を重視していることが多い。
高学歴でSPI試験の成績が良くてもある項目が極端に悪いと落とされるケースがまれにあるが、こちらは企業秘密なので書かない。
はてなは低学歴の人間が何も知らずに高学歴なんか大したことないと言ってそういうつまらない記事にブクマがつくことが多いが、やっぱり彼らはすごいと俺は思う。
俺もいうほど大した大学ではないが、同じ塾に行っていて東大や一橋にいった人間を見てきた。
彼らはとにかくスピードと正確性がすごかった。つまり先ほどいった一つ一つの問題に取り組む姿勢が丁寧で、その丁寧な積み重ねをきちんと続けてきたということだ。
例えばセンター試験の数学、所要時間は60分与えられているが、模試の時いつもだいたい30分もかからずに終わっていた。
きっちり基礎を積み重ねている人間にとってセンター試験は何点取るかという試験ではなく何分以内に終わらせるかという問題なのだ。
私も時間があと20分あれば全部できるのに、と思いながら解いていたが、彼らからしたら時間が余ってしょうがないのだからその差に笑ってしまう。
東大や慶応の過去問も見たことがあるが、とにかく時間内にこなさなければならない問題が非常に多かった。
学部にもよるが、早稲田大学の英語の問題は大問が3つしかないのに同じ時間で東大は7つの大問を解かなければならない。しかも問題の難易度は明らかに東大のほうが高い。
まじかよ、と思った。
やつらがそういったことをこなせるのも、一つ一つの問題について、解き方を教えてもらってわかるだけではなく、
自分が使いこなせるまで何度も反復してちゃんと基礎にしているからなんだろう。
頭がいいのももちろんだが、やつらは勉強のやり方そのものが全く違う。
東大に行きたいならこういう勉強をしなければいけなかったんだな、と気づいた時にはもう遅かった。
東大にいく奴らに進学校が多いのも、最初からそれをわかってる教師がいて、そういう取り組みをしている仲間が回りにいないと、
俺みたいにどうしても「ちょっと苦戦するけど問題は解けるしこの程度でいいや」って妥協してしまう。
やつらはそこで妥協せず、一つ一つていねいに積み重ねていったんだ。こういうことができるやつらはやっぱりすごいと思う。
以前見たテレビ番組によると、東大に合格するやつらは1割位ガアスペルガーなどの発達障害らしく
会社の組織にうまく馴染めずに使えない奴扱いされることがあるらしい。
ここからはわからずに適当言うけど、きっとその会社や部署の人間は、東大生の何がすごいのかがわかってないんじゃないかと思う。
ホリエモンみたいな特殊なイメージで捉えちゃダメなんだと思う。あれはきっと東大生の中でも異端だ。
東大生って電通や商社に就職するやつらが多いらしいから大学で体育会系に目覚めるのかもしれないから全部勘違いかもしれないけど
俺が知ってるすごい東大生って、頭がいいということ以上に、まず辛抱強く丁寧なんだ。 一つ一つのことをきちっとやって、システマチックに積み重ねていくが得意なんだ。
俺のつとめてる会社に来てくれたらなって思うけど、残念ながら東大生が入ってきてくれるような立派な会社に勤めてないんだよな。一人くらい来てくれないかな。
nloglogn 自分は会社の組織に馴染めない(馴染めなさそうな)1割だけど、こういうふうに言ってくれる人はかなり貴重でありがたいし、いわゆる"立派な企業"への拘りも無いので、ほんとうに需要があるのなら連絡ほしいです。
まじで?ありがてえ。福井県にある専門業に特化した会社(一応上場企業です)なので新卒の東大生にはオススメはしないけど、いろんな会社見た上でどうしてもということであればトラバください。こっそりIDコールさせてもらいます。1ヶ月に1回位チェックしておきます。
「嫌いになったわけじゃないんだけど」と言う彼氏の言葉の通り、
実際別れの言葉を切り出される直前まで、そんなことを言われるとは思っていなかったくらい、
仲よく付き合っていたつもりだった。
彼氏はまだ付き合っていたころ、私のことを「かわいい」と褒めた。
いつも「かわいくない」だとか「気のせい」だとか「見間違い」だとか、
そういう可愛げのない言葉を返していた。
自分のことは客観的に見てもかわいくはないと思っていたけれど、
別れによってそれがきちんと立証されてしまった気がした。
他に好きな人が出来るなんていうこと、多分なかっただろう。
自分のことを褒めてくれた人が手のひら返しをするかのように離れていくと
もう自分のことなんて誰も好きになってくれないんじゃないかという気分にさえなってくる。
自分が彼氏とのやりとりで口にしてきたたくさんの「かわいくない」が、
今私に呪いのように降りかかってきている。
あぁそうだ、私はかわいくない。知っている。
この呪いはどうやったら解けるのだろう。
今敏監督のイメージは「千年女優」で、というかこれしか観て無かった。
かなり昔に観たのでほとんど忘れてしまっているが、イメージは固定されていた。
なんなんだろうなこの作品。と、物語が動き出すまで、結構序盤が長い。
それでも、一切ダレること無く、疾走感や浮遊感で引っ張る映像はやはり凄い。
正直、感情移入することが出来なかったけれでも、最後までついていけてしまう。
せっかくここまで出来るのに、どうしてこうしてしまうんだろう。という作品の人。
一般的には、脚本やストーリーが弱いとか言われてしまう感じの。
女優って女優を演じてるよなあ、監督が。という感想ばかりが残ってる。
こういうのが好きな人は、好きなんだろうなあ。と積極的に観たい。という人では無かった。
パプリカも、たまたま大きなスクリーンで観れる。という理由だった。
夢を題材にした作品だと知ってたので、ぐっちゃぐっちゃぐっちゃにして、
丸投げにして好きな人は好きだよね。俺マニアックだから、という作品だろうと思っていた。
が、まるで違った。夢を扱った作品なのに地に足が付いている。悪い意味に聞こえそうだが正反対だ。
導入も抜群にうまい。こういう作品をここまですんなり説明しきるのはすごい。
ストーリ展開も夢という構造を活かしながらも、複雑にし過ぎず分かりやすい。
例えば、現実だと思ったら夢だったという、多重構造ももちろんあるのだが、
それが既に意味として使われているので、根幹の土台を崩すような乱暴はなく、観客を混乱させない。
ここは現実なのかしら。をここまで丁寧に使う作品ってあんま無い。
疾走感/浮遊感のある映像は健在で、丁寧なストーリーに刺激的なアクセントを加えつつ、全体をうまくまとめあげてしまう。
ストーリーが難しい。という感想が多いのだが、夢という舞台装置に引きずられすぎてる思う。
刑事に関する話やパプリカの正体に注目すれば、伏線やセリフ、それに一見不明瞭な映像も適切に消化されている。
正直、ちょうどよすぎるほど後味が良く終わる。
パプリカを観て、今敏監督に対するイメージが大きく変わった。そして、非常に惜しくなった。
マニア受けかと思ったら、ぜんぜん大衆娯楽映画みせてくれる人じゃん。
そうそうみたいのはこんな感じなんだよ。なんだこりゃもったいねえ。と。
人生のコスパを語りたいなら、まず人生のベネフィットを語ってみせろ - シロクマの屑籠
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xevra 良エントリ。子供を儲ける事のベネフィットは「人間として完成する」事。未完成の人間が幾ら喚いてもお前らには何も分かってないのだから黙ってろ。
自分は何の(シロクマにとっての)定義も示さないままにグチグチ「ベネフィットを定義したのか?」ってわけわからん絡み方をし続ける(元記事の人は「それに価値を見いだす人がいるのももちろん理解できる」って書いてるんだからそれでいいじゃねえか)シロクマとは対照的に、xevra先生のこの明快さ、潔さよ! 「未完成の人間が幾ら喚いてもお前らには何も分かってないのだから黙ってろ。」けっきょくシロクマが言いたいのってこれでしょwだから自分では何の定義も示さず「自分のアタマで考えてみてくださいよ」ってごまかすんでしょw(それとも「種々の可能性」とやらはコスパとは違う概念だから俺はベネフィットを定義しなくていいんだ!!とでも???)
シロクマはクソ長いエントリから本質を見抜き要約してくださったxevra先生に感謝すべし。xevra先生万歳!!!!!!!
両親はもう80近いし痴呆の兆候があるので頻繁に「親御さんと同居はしないの?」って言われるけど、親の面倒をみる気は全くない。よく「これまで育ててもらった恩返しだよ」「孝行したいときにもう親はいないよ」と言われるけど、そうは思えない。俺は自分の時間とお金を大切にしたい。
まず、親の面倒をみている友人たちはその時間のほとんどを介護に取られている。40代って、人生でいろいろなことを考え実行できる最後の年代だと思うのに、その貴重な時間を年単位で介護に取られるってもったいない気がしている。バリバリ事業で成功している人で、介護にもガッツリ時間を取れている人ってどれ位いるのだろう。著名人の親が痴呆になったり寝たきりになって付きっきりで介護することを考えると、両立できる人はそれほど多くないんじゃないだろうか。普通に考えたら、自分の考える時間を介護に取られるわけだから、事業で成功しにくくなるのは目に見えている。
そして何より、介護にかかる費用が半端ない。そしてお金をかけたからといってそれが返ってくるわけではない。
親に資産でもあればリターンも大きいのだろうが、大抵は買い手もつかない不動産(相続税や固定資産税を考えると赤字になる可能性も高い)があるだけで、リターンはほとんどないだろう。挙句、痴呆老人は子がコントロールできるものではないから、いつ犯罪を犯すか、いつ事故を起こすか、いつ死ぬか、ずっと心配する必要がある。高いくせにリスクが大きすぎると思う。
時間を年単位で取られ、莫大な費用もかかる親の介護は、人生で一番大きな負債だと思う。
それに価値を見いだす人がいるのももちろん理解できるけど、買い物しない人を「人じゃない」みたいな扱いするのはやめてほしい。俺はコストパフォーマンスを考え、親の面倒をみないという選択をしているだけだ。
コスパの大切さを教えてくれたのは,お前らだろう?
まだ年も若めなので頻繁に「子供は作るの?」って言われるけど、二人とも子供を作る気は全くない。よく「子供ができると考え方が変わるよ」「子供が一番になるよ」と言われるけど、そうは思えない。私は自分たちの時間とお金を大切にしたい。
まず、子供ができた友人たちはその時間のほとんどを子育てに取られている。30代って、人生で一番いろいろなことを考え実行できる年代だと思うのに、その貴重な時間を年単位で子育てに取られるってもったいない気がしている。バリバリ事業で成功している人で、子育てにもガッツリ時間を取れている人ってどれ位いるのだろう。著名人の子供がぐれたり犯罪を犯したりすることもよくあることを考えると、両立できている人はそれほど多くないんじゃないだろうか。普通に考えたら、自分の考える時間を子育てに取られるわけだから、事業で成功しにくくなるのは目に見えている。
そして何より、子供にかかる費用が半端ない。そしてお金をかけたからといってそれが返ってくるわけではない。
プロゴルファーにでも育てあげればリターンも大きいのだろうが、大抵は自分と同等の年収(時代を考えると同等以下になる可能性も高い)になってしまうだけで、リターンはほとんどないだろう。挙句、子供は親がコントロールできるものではないから、いつ犯罪を犯すか、いつ事故を起こすか、いつグレるか、ずっと心配する必要がある。高いくせにリスクが大きすぎると思う。
時間を年単位で取られ、莫大な費用もかかる子供は、人生で一番高い買い物だと思う。
それに価値を見いだす人がいるのももちろん理解できるけど、買い物しない人を「人じゃない」みたいな扱いするのはやめてほしい。私たちはコストパフォーマンスを考え、子供を作らない選択をしているだけだ。
私は高校生まで、人の前で喋れなかった。典型的なあがり症ってやつ。
それも結構重症で、本当に酷い時は友達の前でさえ喋れなかった。先生の前でももちろん無理で、三者面談がうまく行った記憶がない。こんな感じだったけど、高校は無事卒業できて、大学も入った。
学部の性質上、ディスカッションやプレゼン系の授業も多くて、多少は良くなると思ったけど、状況は変わらず。一応、人見知りは多少ましになったけど。
ゼミのプレゼンは頭が真っ白になっても良いように、原稿を書いて、予想される質問は全てまとめておき、万全の準備をして本番に臨んだ。ディスカッションはとりあえず全力で頷いて、なるだけ自分に矛先が回ってこないようにしていた。
こんな感じでなんとか大学もやり過ごしたけど、見事に就職が決まらなかった。書類選考はそこそこ受かるのに、面接は一切通過できない。当たり前だった。だって、一言もまともに喋れてなかったからw
それで、1年就職留年をしたわけだけど、どうせならと、思い切って渡米して現地の大学に入学。そこで酷い目にあってきた。
アメリカの大学ってプレゼンの量のケタが違うし、ディスカッションの量もとんでもなかった。毎日あがり症総動員。プレゼンの原稿は間に合わないし、ディスカッションは毎日毎日顔を真っ赤にしながら頑張った。
ある日プレゼンの原稿が間に合わなくてぐっちゃぐちゃの英語でしどろもどろになって説明してる時、目の前の子がさ、「どうでもいー」みたいな顔して私のプレゼンを聞いていた。というか多分、あれは聞いてなかった。
その時、私はやっと「あっ、こいつら、私のプレゼンなんてどうでも良いんだな!」って思った。その途端、肩の荷が下りたみたいにすごい楽になった。要は開き直ったんだと思う。
つまり、私は色々なんか完璧でありたいと思いすぎていたんだってその時に気付いた。でも、プレゼンしている相手って本当に自分のことどうでも良くて、噛もうが発音悪かろうが失敗しようがいづれ忘れるんだよね。
これに気付いた時、悔しかったな。自分しか見えてなくて、相手に伝わるように話せてない自分に気付いてしまったので、長らく自己嫌悪に陥った。あがり症だったころは「うまくやらなきゃ!」と思う気持ちが先行してたんだと思う。
それから、私は徐々に原稿を用意しなくてもある程度はプレゼンができるようになった。アメリカでの成績は下の中くらいだったけど、本当に良い体験と勉強をさせてもらったと思ってる。良い友達にも恵まれたし。
日本に帰って来てなんとか社会人になれた。今ではプレゼンにはかなり強い方。同期の中では確実に私が一番プレゼン慣れしていると思う。信じられないけど、あれほど悩んだ上がり症は1年で克服できた。今では100人の前に立ってもそんなに緊張せずに話せる。
アニメの1話やマンガの1巻まで読んでわかるのはそこで描写された内容だけである。
もちろん1話だけ見て推測はできる。なので「多分つまらないだろう」と言うのは全く構わない。1話で切るのももちろん全然構わない。3話まで見ろよというルールなど存在しない。
でも知ってるわけじゃない。「全体が駄作である」といいきる資格はない。ただの推測だから。1話だけ見るなら、作品全体について語るのは諦めて、1話だけの感想かを語るか、作品について語るのを諦めなさい。
それが出来ないバカに対して言われるのが、せめて3話まで見ろよ、という話である。
これ対して1話でも十分わかる。むしろ3話まで見なければわからないやつは愚鈍、と言い切った人間がいた。
そんな消しおじさんのシュタインズゲートの評価はこうであった。
1話切りを自慢している人間というのは、その後実際に確認することがないから自分が正解だと信じているだけで、実際にはこの程度である。
「恐ろしく素早い手刀!俺でなきゃ見逃してるね!」おじさんと同じくらい滑稽であることがお分かりいただけるであろうか。
このおじさんは手刀だけ見て、それを見きった自分は相手と互角かそれ以上の戦いができると思ってしまった結果ごらんの有様になった。
ツイッターで井の中の蛙を気取りたい程度であれば構わない。 だが、信頼のある人間として見られたいのであれば、こういうことはやめたほうが良い。
といっても、どうせやめはしないだろう。 幸いなことにこの程度失敗した程度で死にはしないから思う存分恥をかいてまなべばいい。
ただ、恥をかいたときに逆ギレするのではなく、この程度のことすらわかっていなかった自分を認めるだけの勇気は持とう。
ってゆーかさー。 1話切りがありならさー今までの自分の人生を持って、お前の人生この後もつまらないだろうって言われちゃ困るよね。
http://anond.hatelabo.jp/20150903155746
お前暇そうだからこれやるわ。
つ 要は、勇気がないんでしょ? - Attribute=51
はてな民ってのはな、お前みたいに優秀ぶって文句言ってるだけで何の行動もしない青二才にはにはもれなくこの言葉をプレゼントすることになってるんだ。
ちゃんとした論理なんて関係ない。生意気な人間にはとりあえずこれ言ってマウントするのがはてなの正義なんだよ。
それがいやなら
「いやでも(言い訳)」
「だせえ、要は勇気がないんでしょ!」
真ん中の部分でお前が俺たちを納得させるような格好いい理由を考えてみなよ。
そういや、数年前お前と同じ事言ってた中学生いたな。孫正義にフォローされて話題になってたけどどこいったんだろうな。お前ももちろん孫正義にフォローしてもらってるよな?
http://anond.hatelabo.jp/20150831231737
ネット上では「デザイナーは佐野を擁護してる」というような図式が出来上がっており、
デザイナーが「一般人」を見下してるみたいな見方がよくありましたが、実際はそうじゃないです。
ただデザイナーとしての自分の仕事を理解してもらいたかっただけです。佐野氏や佐野氏のしたことを擁護したかったわけでは決してありません。
(そもそもトートやポスターのパクリを擁護するデザイナーはいないでしょう。そんなことすれば自分の信用に関わる)
佐野氏の行ったデザインについて、トートバッグや他のポスターなどでは明確なパクリが見つかっていますが、五輪ロゴで言えば、実際にパクったという決定的な証拠はなく「デザインが似ている」という疑惑の話です。(実際のところどうなのかは別として)
いくつかの解説でもあった通り、五輪ロゴのように、自分が作ったデザインが過去のものと似ていることはあります。
そしてデザイナーの仕事とは成果物を仕上げることももちろんですが、むしろその制作意図、どういう理由や目的でデザインしていくかがメインなのです。「なんとなくかっこいいもの」を作るのではなく、明確な意図があって形は選択されるのです。
そして、もし似ているデザインが見つかった場合、制作意図や過程の違いがあれば、デザイナーはやはり絶対に説明するはずです。(たとえ成果物だけ見たらパクリにしか見えないものだとしても)
これは潔白を証明するとともに、新たな代案を受け入れることにもつながります。
今回は佐野氏の代わりに、他のデザイナーがその説明を行ったということです。
同職の立場からグレーゾーンのものを安易に批判するのは避けるのが普通ですし、また同職としては意図がわかってもそれが一般の人には理解されにくい箇所なためです。(あと佐野氏の説明が足りなかったからです)
そういうわけで、ロゴの制作意図を説明し、また自身のデザイナーとしての経験からこれはパクリではないのではと意見を言っていたのだと思います。
しかしこれらがうまく伝わらず、デザイナー自身の説明のまずさ、また世間の佐野氏への不信感が合わさって理解に齟齬をきたし、一般人を見下すように取られたことは大変不幸だと思います。
世の中にある人工物は全てデザインされています。デザインとは一般人の生活と乖離したものでは全然ありません。
そして多くのデザイナーは、真面目に見る人使う人、つまり「一般人」のことを考えてデザインしています。
もはやクロと言い切れる佐野氏のデザイン・その行為を批判するのは当然ですが、今回の件でデザイン界隈をひとくくりにして批判するのは、非常に残念なことだと思います。
高校の頃、学校が大嫌いで行きたくなくて、でも親は絶対辞めさせてくれたり単位制に行かせてくれたりするような理解のあるタイプではなかったので、一年の終わりごろに決心して、二年の頭から一ヶ月休んだ
親には無断でね
両親は働いていて、うちは田舎だから毎朝母親が通勤がてら駅まで車で送ってくれる
そしたらあとは放課の時間までひたすら時間をつぶし、午後5時ごろになったら地元の駅まで帰り、母親に電話をして車で帰宅する
そういう一ヶ月だった
もちろん担任から家に電話があるわけだけど、うちはナンバーディスプレイを導入していたから、市外局番が違う電話はなるべく自分が取った
「子どもに言い聞かせますから! すみませんでした!」とか大人が電話でしゃべるような甲高い声で言うと、先生は気づいていたのかもしれないけど、黙って納得したふりをしてくれた
そういう電話を受けたら、学校の職員室に行って先生とちょっとしゃべる
でも次の日はまた行かないで、ヨーカドーとか公園とか、病院とか市役所をフラフラする
母親が作ってくれた弁当は、毎日公園とか駅の電話ボックスで一気に食べる
悲しいよ
朝は学生がいっぱいいるので通学するふりをして、学校を通り過ぎて公園で座る
真面目な学生っぽい見た目をしていたから、大人に声をかけられたら「今日はこれから病院に行くために早退して、今は親が来るのを待っている」とか言えばたいてい納得してくれる
田舎だから道を歩いている大人なんてほとんどいなくて、それは助かったな
携帯なんて持っていなかったから親にはつかまらないが、時間をつぶす術もない
ただボーっと座っているだけ
当たり前だが、結局親に見つかって7時間も正座で怒鳴られて、学校に行くことになったけどね
でも無断早退の常習犯になった
先生たちにはその場にいるだけでつらいということが判らないから、ひたすら「いるだけでいいから! 勝手にいなくならないで! せめてひとこと言って!」と言った
今なら先生の気持ちがよく判るけど、当時は「先生に帰りたいですと言ったら帰らせてくれるのかよ」と思っていたし他人としゃべることすら嫌だったから、無断で帰る
帰ると言っても、帰ると何よりも恐ろしい親にバレるので、やっぱり公園やヨーカドーをフラフラする
そして何事もなかったように地元の駅から親に電話をして、車で帰る
ひとりではできないことが多い体育なんか地獄でしかなくて、一度も参加しなかった
うちの保健室は先生がギャルみたいな茶髪できつめのメイクをしている人だったから、間違っても私なんかが近づける場所ではなかった
だから誰もいない教室とか、図書室で司書の目を盗んで隅っこの床に座っていたりした
トイレの個室で弁当を食べるのも何度かやったけど、あまりに悲しくなるので、弁当は食べずに持ち帰り、部活で腹をすかせた妹と分け合って食べた
悲しい理由は「みんなと同じように当たり前のこともできない自分は生きている価値がないのではないか」とかそういう感じ
一日で終わる遠足は参加しないで親にごまかしたが、二泊三日はごまかせない
無理やりおとなしそうな子達のグループに放られた
自分が行くのも嫌だったし、真面目でおとなしくて地味めのグループだとしても、クラスの腫れ物扱いだった私を混ぜられてしまった子達をかわいそうだと思った
だから修学旅行の計画から帰るまで、ずっと気を使って明るく振舞った
興味がないからね
そのあと、なんだかんだで卒業することはできたので最終的に「親が言ったことは間違ってなかったな」とは思うけど、私にもっと度胸があったら死んでたかもしれないね
なんたってなにがつらいのか自分でもよく判らないから、大人に「なにが嫌なの?」とか問い詰められても答えられないのがもっとつらかった
体育から逃げることを問い詰められて「この場にいるのが嫌だ」と言ったら「建物が嫌なの?」とか見当ハズレのことを言われて、もうなにも言うことはないなと思った
別にクラスメイトなんて名前も知らないし全部背景なので、嫌いな奴もいないしいじめられるわけでもない
勉強は嫌いだったけど、休み時間にひとりになるよりは、ずっと机に座っているだけで許される授業中は嫌いじゃなかった
友達がいなくてひとりなのがさびしい気持ちももちろんあったんだろうけど、たぶん「みんなが楽しそうに休み時間を満喫しているのに、自分はなにかをしゃべる相手を作ることすらできないダメなやつ」みたいな思考に陥るのが一番きつかった
4月から1ヶ月学校を休んだもんだから、2年生のころはクラスにひとりも友達がいなかった
今思えば、バイトをすればよかったなと思う
卒業してから、進学のために家を出てバイトを始めたら、世界が変わった
学校と家庭だけがすべてじゃなくて、親と先生以外の大人と触れ合ったり、他の学校の学生、自分よりも年下の学生、すでに働いている同世代がこの世にいるんだと思ったら、ちょっと楽になった
いろんな奴がいるし、親も人間
「親は私のことなんか判ってくれない」と思っていたけど、自分だって親のことなんか判ってなかった
そりゃあ、別個体からね、当たり前なんだけど、当時の自分は気がつかなかった
向こうから見たら中学まで自慢のいい子で通した私が急にこんなことになったら「まさかお前がこんなことをするなんて思わなかった」って絶望的な顔で言っちゃうよね
私にはその言葉が一番こたえたけどね
お宅の子どもなんかたいして優秀でもないのに、自分たちの娘は天才だと信じていた両親は「1位以外は意味がない。ビリと同じ」とよく言っていたけど、実際そうでもないから1位どころか100点だって取ったことない
30過ぎてから、一緒に酒を飲んだ母親から「うちはひとりも子育てに成功しなかった。全員失敗作だ」とか言われちゃってさ
でももう自分も大人だから「3人も子どもがいて全部失敗なんて、よっぽどアナタたちはダメな親なんだね」と思える程度には自分と親を切り離して考えることができるようになった
そんなこと絶対言わないけど
好きな時間に寝ていいし、学校が嫌なら落第しない程度に休めばいいし、バイトがめんどくさくなったら誰かにシフトを変わってもらうこともできた
まあでも、高校時代の自分はこの世のすべてを信用できなかったから、バイトなんか絶対しなかっただろうけど……
ネットなんかうちにはなかったから、こういう汚いことを考えているのは自分だけで、すごく異常なことなんじゃないかみたいな気持ちになった
19でネットを覚えたら、自分みたいなダメなやつもこの世にいっぱいいたし、それに気づくだけで全然違った
18までの自分はチュートリアルで、19からが本当の自分になったなあと思う
もし自分が高校生のころに、バイトをしていて、家にネットがあったら、もうちょっと違ったかもしれない
よくテレビで見る不登校の子は、学校に行きたくないと言ったら家にいても親が何も言わないっぽいけど、それほんとうらやましい
いいって言われてるんだから、好きなだけ堂々と休んだらいいと思う
うちは不登校がバレたとき、ふすまを投げつけられて、竹定規で殴られた
はあ、まあ、ダメな親だけどさ、それでもなんとか生きてる
あんな親でも生きていける世で、私が生きていけないわけないよってね
小学校時代にいじめを経験して、中高では孤立することでそれから逃れていた自分の視点で書く。
図書館に逃げるって、すごくすごく正解かも知れない。
絵と言っても漫画絵だ。
授業中に落書きしていた教科書を生徒全員の前で先生になじられたことからいじめが始まった。
先生としても、いじめを容認することでぼくがそんな趣味をやめてくれればありがたいくらいに思っていたのだろう。
自分にしてみればそんなことは知ったことがない。
別に誰に迷惑をかけるでもなく、自分は好きなことをやっていたかったんだ。
というか、その頃は自分の衝動なんて上手にコントロールできなかった。
いじめられる全員がそうとは限らないけど、すくなくともぼくがいじめられる原因はその特異な趣味ももちろんだけど、周りの輪に馴染めなかったことにあった。
外で遊ぶくらいなら趣味に没頭したかったのだから、そっとしておいて欲しかったのだ。
彼らにしてみれば、良かれと思う誘いを断るのだから罰っせられて当然くらいに思っていたのだろう。
先生からの余計なお墨付きも手伝って、いじめは日に日にエスカレートしていくばかりだった。
輪を作ってそこに参加することが学校の常識だから、それに参加できない人間は罰を受ける。
すくなくともいじめる側の行為を正当化していた理由はここにあったと思う。
ぼくの唯一の救いは、両親共働きで夜が遅かったから、体調が悪いと嘘をついてもさほどうるさく言われなかったことだ。
その代わり布団に入ってないと疑われるので、その時間は好きな絵を書くことを我慢しなくてはならなかった。
すべり止めを滑った人間があつまるような落ちこぼれ学校だったせいか、自分が輪に入ることを拒んでいたらそのうちだれも誘うようなことはなくなっていった。
おかげで幸いいじめられるようなことにはならなかったが、親にも心配をかけず孤立が許されるという環境の存在は大きかった。
そう考えると、図書館っていうのはもともと一人で作業をするための場所だ。
空間が開けていたり、テーブルが続いていたり、うるさくしてはいけないとか最低限のルールはあれど。
コミュニティを作ることが前提である学校と違い、それぞれがそれぞれの目的をもって訪れる場所であり、そもそもコミュニティの存在が不要なのだ。
だから輪にはいらないことは罪ではないし、逆に目的を共有できる人間とは自由にコミュニティを作ることができる。
この、入らないことが罪ではないということはとても重要だ。
しかも何が素晴らしいって、そこには生涯の時間をかけても読みきれないほどの本があるんだ。
その気になれば、どんな道のプロにでもなれるほどの情報量があるんだよ。
義務教育という考えには反するかも知れないけど、これからの時代はそれこそそうした教育なんかが役に立つとは思えない時代になってきているんだ。
常識なんて普通の生活を担保するための保険みたいなものなんだから、それを全て捨てて好きなことに突き抜けて世の中に新しい価値を生み出すことだって選択肢としてあってもいいと思うんだ。
それに、共通の趣味の本から始まるコミュニティなんて、考えただけでも素晴らしいと思わない?
だから、本当に、そういう同じ問題を抱える人達と、それに理解がある大人たちとが集まって、すごく慎重にルールを作り上げていくことができたら、少なくとも悲惨ないじめだけでもなくすことができるかもしれない。
当然、子供を食い物にしようとする大人とか、すぐにお金の匂いを嗅ぎつけてくる大人とかから守らなくてはいけないから簡単なことではないと思う。
でも、図書館って、孤立と自分の好きなことに没頭することが許される類まれな空間かもしれないって思ったんだ。
これがきっかけになって、たとえ世間からは逃げ込んだ人間同士と言われても、そこで立派な知識や大切な仲間を見つけることができたらどんなに素晴らしいことだろう。
もちろん、心も体も疲れている人は何もせずに休んでほしい。
すべての図書館がそれをすぐに許しくれるわけではないかもしれないけど。
何かをするには体力も精神力も必要なのだから。どこかに隠れてでもそれを蓄えてほしい。