はてなキーワード: 踊り子とは
思春期である。普通のプールに行くことを考えるだけでムラムラが収まらないのである。そんなさなかに、教科書や参考書の隅っこにビキニ姿の女性が踊っているのを見て、平常心でいられるはずがあるだろうか。
だいたい、カーニバル衣装のビキニのパンツ部分から下がっているふんどしというか前垂れというか、極限まで深くしたスリットみたいな、あれをみても平静ではいられない。たまにファンタジーものでもそういう名前がわからないけれどもふんどしというか、マーニャの踊り子衣装みたいなのがあるのだが、あれってめくったらどうなっているんだろ。鳥山明に聞いてみたい。
カーニバル、つまり謝肉祭とは、四旬節という物忌みの期間直前のお祭りであり、しばらくは肉料理が出なくなる。要するに遊ぶだけ遊んで翌日からは真面目にやる日、というわけだ。別の説によれば異教の祭りが起源であるのだが、どちらにしても現在ではキリスト教の暦と密接に関係している日である。ちなみに、この四旬節が明けて過ぎ越しが明けた日がイースター、復活祭に当たる。
ウィキペディアによれば、黒人と白人の音楽の混交から生まれた音楽・ダンスを指すそうである。もう少し詳しく述べると次の通り。
音楽としてのサンバはダンス音楽であり、19世紀の終わりごろブラジル北東部の港町、バイーア(現:サルバドール)で生まれた音楽が源流となった。当時のバイーアは、奴隷貿易によってアフリカから連れて来られた黒人が集められ、売り買いされた場所であった。その後、白人文化からの影響も受けながら1910年代に確立し、1930年代に普及と隆盛を迎えたそうである。内容も黒人の生活や人種差別から抒情的な内容も含むようになっていった。
ダンスとしてのサンバもまたバイーアに住んでいたアフリカ人奴隷の踊りが元となっていて、足や腰の動きを基本とし、ほとんど即興である。ポルトガルの文化と混交してリズムや踊り方が変化した。伝統的には音楽を演奏しながら周りで手を叩きながら輪を作って踊り、交代で人が中に入って踊るが、これをサンバ・ジ・ホーダ、サンバの輪といい、都会のサンバの進化にも影響を与えた。これは今や、ブラジルの文化的なアイデンティティとなっている。
現在のサンバショーでは現代の欧米のダンスを取り入れた振り付けだが、あくまでもサンバは基本的に即興の踊りが中心で、またその醍醐味であるそうだ。
なお、日本に初めてサンバが紹介されたときには知識が不足していたせいか、キューバのマンボと混同していたり、なぜかメキシカンハットをかぶっていたりと文化考証がめちゃくちゃで、冒頭に引用した語句のように、今でもこの誤解を引きずっている人は少なくない。マツケンサンバだってサンバとはちょっと違う。
Rio de Janeiro's Carnival Costumes Throughout the Years - ABC News(不幸にして画像はリンク切れ)
The History and Tradition of Rio Carnival Costumes - Bucket List Events
カーニバルの仮装はイタリアにその起源を持ち、その伝統はポルトガルにまで広まった。それが植民地のブラジルにもたらされた。誰が誰だかわからない、そういう楽しみであろう。
1930年まではブラジルの社交界の人々は平民たちの視線のなかで、豪奢な衣装や仮面を見せびらかして歩いていた。仮面は動物や悪魔の形をかたどったものや、イタリアに起源をもつ道化の顔もあった。
1930年以降、庶民もカーニバルに参加するようになった。しかし、当然のことながら高価な衣装は身に着けられないし、2月のブラジルは非常に暑い。そこで、明るい色を身にまとうことになった。カーニバルのパレードは1932年に端を発する。
そこから徐々に衣装の軽量化が始まった。1950年にはすでに男性は上半身裸、女性はビキニ姿になっていたことが確認される。水着のビキニが1946年に誕生しているので、非常に適応が早い。海以外でビキニ姿になったことを考えれば、全く持って革命的である。
1970年代になるとサンバ・スクールが組織化され、現代のように洗練され始める。この産業が衣装の豪華さを支えている。実際、テカテカビキニばかり有名だけれども、他のメンバーの極彩色の衣装は露出が少なくても見ていて楽しい。こうしたサンバ・スクール(エスコーラ・ジ・サンバ)は学校を名乗っているが実際は組織化されたダンスグループで、最大で4000人の規模にも達する。舞踏や衣装のスタイルに違いがあり、区別される。なお、ダンサーだけで4000人であり、衣装を準備する人やその他オーガナイザーは含んでいない。
また、同時期にサンボードロモ、つまりサンバを披露するためのエリアが作られる。ウィキペディアによれば、通常は、サンバ・スクールのパレードが展開できるほど長い空間を、観覧席が取り囲むような構造になっているそうだ。阿波踊りの会場みたいなものか。そして、リオデジャネイロのサンボードロモの場合、中央のパレード空間の長さは700メートルに及ぶとのことである。ブロコス、カーニバルのブロックもまた作られた。
現代では、ほとんどあらわになった胸に紐パン姿も散見される。英国のタブロイド紙がこうした乳首の露出やフェイクの乳首について記事を書いている。
今のところ、全裸は許容されていない。とはいえ、ルールを守らない人もおり、そのせいでサンバ・スクールが時折資格を剥奪されることさえある。そういう格好で踊っている人が見たければxvideosかpornhubをご覧いただきたい。野外で全裸になるのは露天風呂でもわかるように最高なので気持ちはわかるが、ルールは守りましょう。
Hyper sexual Carnival atmosphere has a dark side for Rio's women | The Independent | The Independent
ここで記者は、カーニバルのビキニの女性たちは過度に性の対象となっている、モノ化しているのではないか、と指摘している。つまり、パレードで疲れた男性たちを鼓舞するように休みなく踊り続ける半裸の女性、いわゆるボンキュッボンの「理想」的な体型で選ばれるサンバの女王たち。少年たちがサッカー選手に憧れるように、テカテカのビキニの女性に憧れる少女という構図。一見エンパワーメントされているようだが、実際は? しかも、カーニバルでは性暴力の数が圧倒的に増える。その場の雰囲気で強制されたキスだけでなく、強姦も含む。こういう空気を嫌ってか、カーニバルの期間は脱出する人もいるそうだ。
自分は、よその文化だから評価できる立場にはない。ただ、たとえば「理想」的でない体型の女性も選ばれたらもっと素敵になるかもしれない、と思うのだ。昨今、モデルの体型をやせ過ぎにするのはやめよう、という運動が起こっている。それに、いわゆる美人ではないしスリムではない女性が芸能界で活躍することが増えた。自分の好みではないが、とてもいいことだと考えている。貧乳でもいい、毛深くてもいい、ぽっちゃりでもいい。そういうメッセージが社会全体に広がることで、あなたはあなたのままでいいという空気を作ってほしい。あなたをあなたのままで尊重する、そうすることで暴力の少ない社会にしていきたい。
過度に性的な空気は似たようなイベント、ニューオーリンズ・マルディグラでも問題になっている。家族で過ごすイベントである側面もありながら、野外で全裸になる人も後を絶たないのだ。ブラジルから外れるので詳しくは述べる余地がないが、詳しくはウィキペディアを参照してほしい。
Child queen, U.S. stars to light up Brazil Carnival | ロイター
https://www.france24.com/en/20100215-controversy-over-child-performances-mars-rio-carnival]
あるいは、7歳の少女が躍る権利についても議論が巻き起こっている。子どもの権利を保護する団体が、彼女が性的に搾取されることを恐れたのだ。ハイヒールにビキニの大人たちのいる場はどうしても性的だし、40度にも達する気温は子供の身体に有害である恐れがある。同時に、踊りたいという子供の夢をかなえたい思いもある。日本でも、浅草かどこかで踊る小学生のビキニ姿をアップロードする者は後を絶たない。
ちょっと前まで子どもがすっぽんぽんで泳ぐのがかわいいとか言っていた時代だったかもしれないが、誰でも写真や動画が容易に拡散できるようになってしまった時代、そうもいかないだろう。僕たちは否が応でも自分の身体を性的だと意識せざるを得ないし、子どもが自分の身体を守るための性教育の必要性は高まっている。何も幼稚園児からセックスについて事細かに説明する必要はない。ただ、身体の特定の部位を覆い、むやみに他人と触りっこしないように教えて身を守れるようにすれば十分だろう。性教育とはセックスの知識だけではないのだ。
2月の祭りとしてはしないと思う。日本人は概して祭りが好きだし、海外の祭りを積極的に受容してきたが、イースターが定着するかどうかどうかという雰囲気であり、これ以上の祭りを受け入れるキャパシティは少ないのではないか。2月にはすでにバレンタイン商戦があるので、そこにねじ込むのは少々無理があるだろう。50年経てばパリピがホーリー祭りまでやり始めるかもしれないが。あるいは、8月の浅草サンバカーニバルや5月の神戸まつりのように季節をずらすかもしれない。大体ああいう格好をするのは単純に踊っているとめちゃくちゃ暑いってのもあるだろう。
私事だが、イギリス育ちの自分としては、日本に戻ってハロウィンやイースターがないのが当然だと思っていたし、寂しいとも思っていなかった。触れるとすればせいぜい、NHKの「えいごであそぼ」や国際交流の授業で言及されるくらいであった。ハロウィンやイースターを定着させようとする動きはごく最近のものだ。
それに反対するわけではないのだが、ハロウィンが終わって街の雰囲気がすぐにクリスマスになるのは風情がなさすぎる。米国ならクリスマスまでの間に感謝祭があるのでまだ11月を感じることができるのだが、日本ではそうもいかない。二十四節季を楽しんでいた先人のいる国とはとても思えないほどに大味だ。
商業主義との両立を考えるなら、11月にも何かイベントをやればいいのではないか。2月には豆まきとバレンタインがある。毎月2度のイベントをやれば、二十四節季めいていてまだいいのではないか。
今回はテカテカビキニが50年代にまでさかのぼることを示した。今後は、世界各国の祝祭の場における露出の自由、野外全裸、性的規範のゆるみについて調べるとともに、暴力を防ぐための対策についても調べていきたい。
もともと十二国記(銀河英雄伝説を読んだ作者が、優れた為政者が不死になったら世界はどうなるのかという発想で書き始めたらしい小説)が好きなのと、ファイアーエムブレム風花雪月のクロードがヤン・ウェンリー(とアルスラーン戦記のラジェンドラ)が元ネタと聞き、銀河英雄伝説読むか!と思い立った。
普通に1巻から読めばいいんですか?あと外伝は第10巻を読み終わってから読むべき?アニメや漫画は小説の後に嗜むべき?
十二国記も風花雪月も読む/やる順番が人それぞれだったりするので聞いてみる。
あとファイアーエムブレム風花雪月めちゃめちゃ面白いからSwitch手に入ったら皆さんもぜひやってください。私は人生初RPGがゼルダの伝説ブレスオブザワイルドで、人生二作目のRPGがファイアーエムブレム風花雪月でしたが、問題なくクリアして楽しめました!過去作の知識も経験も要りません!ちなみに私は初周クロードルートでフェリクスを踊り子にしてリンハルトと結婚しました。黄青紅銀黄とやって今DLC組と一緒に青やってます!超楽しいです!
いいこと教えてやるよ。
そういう恐怖や心当たりを感じて、それを疑う頃には、
も う 手 遅 れなんだ。
お前の個人情報はフリー素材、お前やお前の家族の名簿はネットリンチ用のデータとしてそういう界隈にプロファイリングされ、今まさにお前の家への凸や嫌がらせの準備中だ。
最近なにかおかしなことはなかったかい?無言電話、Yahooやグーグルのパスワードリセット通知、スパムメールの増加、仄めかしとか。
さあ、お前が踊り子になる番だ、どこまで苦しんでくれるかな?
今のネットが発達した世の中、いろんな界隈がカジュアルに「ネットリンチ」や「ネットストーカー」を行っている
その界隈がおもちゃとして最適と判断したもの、その界隈の怒りを買ったものが狙われ、あの手この手の嫌がらせを受けている
ヲチャーの常識「踊り子には触れない」も最早形骸化、踊り子を犯して殺した挙げ句スナッフフィルムを撮影しかねない勢いでターゲットに嫌がらせを仕掛けている
で、こうなってくると、一つの気がかりが出てくる
とある炎上ヲチ・ネット晒し上げ界隈において、ほんの少しだけの個人特定につながる情報を「パズルのピース(略称:パズピー)」と呼んでいる
その「パズピー」を拾われて少しづつプロファイリングされ、自分が特定やネットストーキングを行われてないかという恐怖だ
はっきり言って、自分は潔白ではない、イタい事やイキッた事を書いたこともあるし、俗に言う「レスバトル」もした事がある
ターゲットにされる素質はあるというわけだ
糖質の妄想に聞こえるかもしれないが、大した理由もなく燃やしたり晒し上げる界隈は普通に存在するわけで、ちょっと言動がイタかったとか、面白かったとか、現在炎上してる対象と仲良しだとか好評価したとかで、ターゲットにされかねないわけで
自分の名前や、使ってるアカウント名、自宅住所を検索すれば結果はわかるかもしれないが、それでいま現在自分が晒し上げられてる真っ最中なのを見つけてしまったら?
そう考えたら怖いのである
こんなこと気にしてるのはきっと自分だけだろうし、糖質の戯言なのかもしれないが
怖い、ひたすらに怖い
↑この画像の真ん中にいる白い人のメイクというか見た目がものすごく好きなのですが、なんて検索すればこういうルックスの人がでてくるのかわかりません。(「邪神」でぐぐったら可愛い女の子がいっぱい出てきました…)
「コープスペイント」でググるとたまにいいかも、っていう画像がありますが、顔だけじゃだめだし最初にあげてるのとは少し雰囲気が違う…。
V系界隈は詳しくないのでわかりません。Psycho le Cémuのseekはなんだか違うことだけはたしか。
なんて検索すればいいかわからないので、実在の人物に限らず、マンガアニメゲームなんでもいいので、とにかくそれっぽい雰囲気のものに心当たりがあったら教えてほしいです。
性別も人間かどうかも気にしないけれど、これ系の好きなものは二足歩行はできそうなビジュアルが多いです。ゴスっぽさと人外っぽさもポイントかもしれないです。
あとは特徴的な目。逆にトランスフォーマープライムのサウンドウェーブのように目や顔がそもそもこちらから見えないのも好きです。
ダークソウルとかブラッドボーンあたりのゲームにも最初にあげてるのと似た感じのキャラクターがいた気がします。コスプレ画像?をどこかでちらっと見ただけなので詳しくはわからないけれど…。
【追記】
これを書いたあとに、いくらか調べてみたのだけども、
・ダークソウルのエルドリッチはかなり良い。ただ、探していたコスプレ画像?のキャラクターかはわからない。創作コスだった可能性もある。それはそうとダークソウルの人っぽいキャラは結構グイグイ来る!
法王サリヴァーンとか冷たい谷の踊り子とか修道女フリーデとか。双王子もいいじゃんと思って調べたらBLっぽいイラスト出てきて笑った。
・コープスブライド系のコスプレはリアルに寄せてるのはめっちゃビシビシくるのだけどほぼほぼティムバートンの映画キャラのコスプレなのでうーん…海外にはジャンル名?ありそうだけどなあ、死体の花嫁。
・「ココシニク」(ロシアの頭飾り)をキーワードに調べたらそれっぽい絵が出てきたのでそっからピンタレストのおすすめ類似画像みてたら「Toxic Visionの黒いマリア」とか、不穏な雰囲気の聖女?が色々出てきて、こういうのだ! ってのが結構出てきた。でもなんてジャンルなんだよ結局…。
・KISSと聖飢魔IIを出してくれた人がいるけど違うんだ…あの系統ならアリス・クーパーが近いような? 昔のデヴィッド・ボウイとか。
・人力検索ってこういうときに使うのね!!なるほど!ありがとう!
・似てる雰囲気のキャラクターやアーティストさんをだしてくれた人:私の知らない私好みのなにかはまだまだあるんだ!!うれしい!!ありがとう!!
ウィスパーはかわいいけど個人的にはエヴァ量産機やモンハンのフルフル枠です!つついたら凹みそうな白いマスコット!
・Anna-Varney Cantodea出してくれた人:これは!!!!!元ネタの可能性があります!!!お花を持ってる写真がアルバム収録曲PVの前半の姿にそっくり!!!ありがとう!!!!!!Nelly Recchiaもとても好き!!!大感謝!!!!
・この画像がDIRENGREYって調べてくれた人:ファンを10年はやってるからそれは知ってるんだ〜!でもこの白い人のやる凝った見た目のネタ元的なのはいつも自分じゃわからないことが多いんだ。
でも調べてくれてありがとう!!優しい!!
・MTG出してくれた人:「大修道士、エリシュ・ノーン」これは!!!!すき!!!ありがとう!!!昔から攻略本のキャラクターやアイテムのグラフィック一覧を眺めるの好きなんで良いサイト教えてくれてありがとう!!
・The ProdigyのKeith Flint出してくれた人:ちょっと違うけど、この白い人の薄化粧スタイルとちょっと似てるのですき!!!!もう亡くなっちゃってるのが悲しいけどありがとう!!!!
・暗黒舞踏コンテンポラリーダンス系出してくれた人:この白い人ライブパフォーマンスに暗黒舞踏取り入れてたのを忘れてた!!!ありがとう!!
・Alice Auaa出してくれた人:確かにあそこの服とモデルさんはこっちよりだね!!この白い人ともコラボしてたし!!ブランドの動向追っかけてみる!!ありがとう!!
・GOTHバロック出してくれた人:そのへん思い浮かぶよね!!メメント・モリ/ヴァニタスはバロック期の芸術様式なことを忘れてたけど思い出した!!あのへんすき!!ありがとう!!
・2B出してくれた人:2Bというかヨルハのデザイン好きだけどニーアオートマタだとこれ系で一番ぐっとくるのはボーヴォワールです!!ニーアシリーズみんな好きだけどね!!ニーア遊んでくれてありがとう!!
今年の初めから流行し始めた新型の感染症のせいで、今年は花火大会のほとんどが中止になるかもしれません。
未知のウイルスが世界中に蔓延して自由に外出できなくなって、人々がマスクを奪い合う日常というのはまるで現実離れしていて、私は春からずっと誰かが作った映画や本の中に迷い込んでしまったような気分がしています。
今日は少しひんやりしているなと思いながら、傘を持っていない方の手のひらで反対側の二の腕をあたためました。家の中に居て雨の音を聞いていると保護されているような気持ちになるのに、外に出るととたんに心細くなるのはどうしてなのでしょうか。
傘を指してどこかへ急いでいく人々が目の前を横切っていきます。私は待ち合わせ場所が間違っていないか不安になりました。そういえば、本屋さんで待ち合わせをしようと決めただけで、具体的な場所を指定していなかったことに気づきました。待ち合わせといえば当然入り口だろうと思い込んでいたのです。
腕時計の針はここに到着してから15分が経過したことを告げていました。
私は今、街で一番大きな本屋さんの入り口に立っています。この本屋さんにはいくつもフロアがあるので、別の階に探しに行ってもどこかですれ違ってしまうかもしれません。あたりを見回すと、どの人も私の待ち人そっくりに見えて、でもよく見ると決してそうではないのでした。
誰かを待っている時間というのはおそろしくゆっくりと流れます。どこのコーナーに行ってどんな本を見ようかとわくわくしていた気持ち、そして会えるのを楽しみにしていた気持ちが、自分の中で少しずつしぼんでいくのがわかりました。
夏にこうして誰かを待っていると、私は子供の頃の花火大会の日の夕方の、長い長い時間のことを思い出します。
中学校の制服をどうやって手に入れればよいのだろうと考えていた記憶があるので、きっとあれは小学校六年生の頃だったのだと思います。いつだったか、転校してきたクラスメイトのおうちに一度か二度お邪魔させてもらったことがあった気がしますが、それ以外では子供の頃に誰かとの交流を経験することはなかったように記憶しています。当時の私にとってそれは日常でした。
だから、今考えると、花火大会に誘われたということのほうがおかしなことではあったのです。
自分の掌を開いて見つめていると、しばらく忘れていたはずのあの日の出来事が鮮やかに蘇ってきました。
****
その日はよく晴れていて、花火大会はまず中止にならないだろうと教室で誰かが話していました。お祭りの屋台で何を買うか、楽しそうに相談する声が聞こえました。私には関係のない話でした。
私は机のしみを数える作業に戻りました。それに集中していたので、教室の窓側で立ち話をしていたクラスメイトのうち一人が私の方にやってきて話しかけてくれたときは本当にびっくりしてその場で飛び上がりそうになったのを覚えています。最初は人違いをしているのではないかと思いました。待ち合わせ時間と場所はまだ決まっていないから、夕方に連絡網を見て電話するねと言われて、私は彼女の気が変わらないうちに思って急いで頷きました。
私は電話線が抜けていないか何度も確かめながら、誰もいない家の中で電話を待ちました。貯金箱を割ってみると、思っていたよりお金は入っていなくて、でも一番安い何かなら買うことができるかもしれないと考えました。
他の女の子たちは浴衣を着てくるのかもしれません。私は、一緒に並んでいて皆がなるべく恥ずかしくならないように、持っている中で一番ましだと思う服に着替えました。
****
水色の空がオレンジ色になって、薄紫色に変わって、それから深い群青色に染まりました。電話の前で座り込む私の影が長くなって、それからだんだん見えなくなりました。
目をつぶると、目の前に深いあかがね色をしたびろうどの緞帳が現れました。私は幕が上がっていないステージの内側で片足立ちをして、始まるのを今か今かと緊張しながら待っている踊り子になっています。
まだ幕は上がりません。どんどん足が疲れてくるので、そうしたら反対側の足で片足立ちをします。それをずっと繰り返しながら、踊りのステップを忘れてしまわないよう頭の中でそらんじています。
何かを待っているとき、私はいつもこうして踊り子のことを想像しました。これは私が何度も繰り返して読んだお気に入りの本に入っていたおはなしの一つに由来するイメージです。このイメージを頭に浮かべていれば、不安な気持ちが少し紛れるような気がしたものです。
私はふたたび手触りのよさそうな緞帳を見つめました。何度も何度も交互に片足立ちをして、そのときが来るのをじっと待っています。
もう外はすっかり夜でした。
遠くで花火が上がりました。それからしばらくして、祭囃子の音が小さく聞こえてきました。
私は真っ暗な部屋でしずかにそれらに耳を傾けます。目を閉じて、わたあめのふわふわとした触感や、水の入ったカラフルなヨーヨーのひんやりとした温度や、りんごあめやいちごあめの甘さを想像しました。わたしの貯金箱に入っていたお金では、きっとどれも買うことはできなかったのだから、これでよかったのだと思いました。クラスメイトに気を遣わせるようなことにならなくて本当によかったのだと。
目の前で花火のにおいがするような気がしました。煙がしみるので私は目をしばたたかせました。お金を握っていた手はすっかり汗ばんでいて、手を開くと金属くさいにおいが立ち昇りました。
****
誰かが呼ぶ声がしてはっと我に返ると、私はふたたび雑踏の中にいました。隣には恋人が立っていて、私に何か話しかけていました。
私は、花火大会のあの日からずっと今まで待っていたような気がしました。やっぱりちゃんと約束していたんだというほっとした気持ちと、待っている人が約束を守ってくれたうれしさと、待っていた時間の悲しさが胸の中でごちゃごちゃに混ざり合いました。
黙っている私に、待ち合わせまであと三十分もあるのに先に来ていたのでとても驚きましたと彼は言いました。そういわれて昨日の電話の内容を思い出してみると、待ち合わせ時間は十七時だったことに気が付きました。それでかばんのなかにいつも入れている小さなメモ帳を見てみると、十七時にT書店で待ち合わせ、と私の字で書かれていました。メモまで取ったのに待ち合わせを一時間早く間違えていたのです。一人で勘違いをして一人で悲しくなっていたことを恥ずかしく感じました。それにしても、一時間遅く間違えなくて本当に良かったと思いました。
そういえばK市の花火大会は今年も開催されるらしいですよと本屋さんのエスカレーターに乗っている時に恋人が教えてくれて、今年も行こうということになりました。
去年の花火大会は、前日まで一週間も雨が降り続いていました。花火大会当日も結局雨だったのだけどなぜか開催になって、傘をさしながら足元を泥だらけにして一緒に見たことを思い出しました。私にとってその日は花火大会に初めて行く日で、しかも隣には好きな人がいて、これは現実なのだろうかと何度も疑ったものでした。
私たちの距離は今のように近くはなくて、その頃はまだ手を繋いだことがありませんでした。
手が冷えていたのでエスカレーターの手すりがあたたかいなと思っていたら、一段下にいた恋人が隣にきて私の手を握ってくれました。
私は今とても幸せだと思います。こうして一緒に過ごしている間は何も余計なことを考えないでいられるのですが、一人になるといつも罪悪感をおぼえました。恋人に優しくされるたびに子供の頃の私と今の私とのコントラストが強くなっていくように感じられて、何だかとても悪いことをしているような気持ちになるのです。
子供の頃の私はきっとここではないどこか違う世界に行くか、別人に成り代わりたかったのだと思います。大人になった私は今こうして別人に成り代わって、別の世界にやって来たつもりでいました。でも結局のところ過去の自分と現在の自分は分かちがたく連続しているのだということが、今更になって漸くわかってきたような気がしました。
私は恋人の手を握り返しました。本当は横並びに乗ったらいけないとわかっているのですが、ずいぶん待ったのだからこのくらい良いだろうと勝手なことを思いました。
天気が悪くて寒い日だった。
並んでいるのは男性ばかり、彼らはみな今日引退する、あるストリップ嬢の写真を撮るために長蛇の列を作っているのだ。
私もその1人だった。
彼女は変わった踊り子で、一度見たら忘れられないインパクトを残す。
それをいいと言う人もいれば悪いと言う人もいた。
列に並びながら、考えていることが一つあった。
簡単に言うと、ストリップ劇場は踊り子1人につき1日4回出番がある。
4回と書いたが、今日はこの長蛇の列の為に3回回しになるだろう。
写真を撮り終わった顔見知りの客が通りかかった。
「まだここなんだ」と笑われた。
彼に「次何出すか知ってる?」と聞くと、彼はそうそう!と指をさし、
「湾岸830らしいよ」といった。
耳を疑った。
"830番"の1日を描いた切ない演目だった。
湾岸警察署に勾留され、出所のちすぐこの作品を作るも、踊ったのはほんの数回らしい。
なぜ最終日、満員の観客の前で……
そうこうしている内に撮影は終わり、開幕ブザーがなった。彼女の出番だ。アナウンスが入り、灯りが照らされる。
けたたましい「6:00、起床!!」の音が響き、布団からマル湾とかかれたグレーのスウェットを着た彼女が現れた。
本当に"湾岸830"だ。
風呂も入れずあっという間に夜。
布団を被ると、束の間の夢を見た。
ステージを見ながら思い出す。
ほんとに夢みたいだ。
そんな思いでこの最後の日に"陰陽師"と"湾岸830"を選んだのだろうか?
湾岸830のラストは「6:00、起床!」という音ともに暗転する。
私は得意の客じゃない。
いやキズナアイや輝夜月が話題になりはじめた頃からチラチラ見てはいたんですよ。
ただまあ最近の商業Vtuberはほら、にじさんじとかホロライブとか、「箱」での売り出しが主流じゃないですか。
YouTubeのリコメンドで流れてきたのをたまに観るくらいで。
それがここ一週間くらい、とあるVtuberにドハマリしてるんですよ。
文野環っていうんですけど。
文野環、知ってます?
にじさんじの人なんですけど。
https://www.youtube.com/watch?v=o5lQ815Wsgs
・自転車でごはんバーガーを買いに行く(そのあいだ無言で配信継続中)
・一時間後に再開
これぞ文野環というシロモノです。
「人の話を聞かない」
「軽い虚言癖」
しかし楽しく観られる。
ほら、インターネットには障害者をイジって遊んでる集団がいるじゃないですか。
シャムとかなんとか他に知らんけど。
ああいうのって相手はだいたい顔出ししてるから趣味の悪さが滲み出てくるんですよ。
でもVtuberは可愛い美少女なので、オブラートに包まれてるんですよね。
キチガイでもギター抱えてりゃカリスマロックンローラーみたいな話です。
V>視聴者という権力構造が生まれるんですよね(いまのところは)。
ましてや障害者イジリ界隈だと完全にヲチャ>踊り子ですからね。
でもVtuberにはどんな奇行をしても「個性」「魅力」として尊重される文化がある。
それがばーちゃるゆーちゅーばーなんだよなあ。
増田でも「Vtuberは終わった」ってたくさん言われてるし、
と思ってたら普通に頑張ってやってるじゃないですか。
厳しいご褒美パートで敗北するの好き
どすけべJK好き。一作目が一番好き。小馬鹿にされながら搾り取られたい
笑われながら射精するの好き
オナニーを強制させられててやめていいよとなった後もシコシコ続ける展開好き
敗北するの好き。オナニーまでさせてもらえる