はてなキーワード: 落語とは
メインカルチャーとは、世の中において健全な文化と見なされ、大学で学問対象として研究されたりする文化である。
戦前から現代まで続いている文化が多く、いい意味でも悪い意味でも「保守的」と言われる。
そしてサブカルチャー、通称サブカルとは新興文化であり、上記のメインカルチャーと比べて主流とは言えない文化である。
メインカルチャーが大人向けの文化であるとすれば、サブカルは若者文化と言えるだろうか。
東京の文化で考えてみると地域で分断されているので判り易く、旧東京市の旧市街エリアでメインカルチャーが盛んである。
そしてサブカルチャーは戦後開発された西側エリアで発展している(ただし秋葉原は例外)。
銀座・日比谷・有楽町…巨大劇場群や有楽町マリオンなどの巨大百貨店が集まっていて、銀座は言うまでもなくメインカルチャーの中心。最近の若い人は「有楽町で逢いましょう」なんて知っているかな。
上野…上野公園の美術館と博物館、東京芸大と町そのものが芸術の街。
上野広小路・浅草…上野アメ横や戦前から続く浅草の繁華街。落語の寄席や演芸場が多い。
深川地区…両国の国技館、もう一つの伝統芸能である東銀座の歌舞伎座。
こういう棚卸しは面白いな。関西も乗っかるわ。東京みたいに全部が一点に集中してないからエリアは京阪神+αで許してや。
1 演劇
あんま詳しくないけど、なんつっても宝塚やな。大箱は梅田芸術劇場、京都劇場、オリックス劇場あたりかな。
それから、生き残ってる大衆演劇は阪神地域が中心なんちゃうかな。
京都は学生が多いから小劇団もいっぱいあるで。増田はヨーロッパ企画のサマータイムマシンブルースを西部講堂で見たのがちょっとした自慢や。
建物が古いからな、世界遺産が5件あるで。姫路城、法隆寺、京都、奈良、百舌鳥古市古墳や。
建物の中にも美術品がたくさんあるから、重文が町のそこらへんに転がっとるで。一見ただのベッドタウンでもいきなり西国三十三所に出くわす楽しみもあったりするしな。
伝統建築だけやのうて、近代建築も京都・大阪・神戸の中心地に点在してるな。京都は南禅寺の水路閣、大阪は中之島の日銀、神戸は旧居留地が増田の好みや。
もちろん現代建築も充実しとるで。ガラス張りの京都駅と梅田スカイビルは原広司の代表作やな。
国立美術館・博物館やと、京都と奈良の博物館、大阪の国際美術館、それから万博記念公園の民族学博物館や。みんぱくはいいぞ
3 メセナ
さすがにこれは大企業が多い東京の方が有利や。サントリーはなんで東京でがんばってるんやろな?
落語は上方で成立して現代に至るからな、さすがに譲れんで。人形浄瑠璃もほぼ大阪の独自芸能や。歌舞伎は南座と大阪松竹座で盛んにやっとるで。
能楽は明治期に東京に行ったけど、華道と茶道はほぼ京都文化ちゃうか?
5 サブカルチャー
関西やとほぼメインカルチャーな気もするけど、このカテゴリーでお笑いを外すのはありえんな。関西弁が方言の中で唯一全国どこでも意味が通じるのは7割ダウンタウンのおかげやと増田は思っとる。
増田の経験やから今も盛んか分からんけど、京都にはオシャレ~な本屋やら雑貨屋もめっちゃあったで。
出版社とテレビ局が東京に集中しとるからこれは東京が強いな。ただ京都には有名なスタジオがあるで。
同人イベントはコミケほどやないけどCOMIC CITYが大規模にやっとる。インテックス大阪でやるから通称インテやな。
元増田が書いてないけどこれも挙げとくで。箱の話がメインになるけどな。
増田はクラシック畑やからいいホールが点在してる印象が強いんや。大阪のシンフォニーホールとフェスティバルホール、西宮の兵庫県立芸術文化センター、京都の京都コンサートホールあたりにはちょくちょくお世話になるで。でも海外オケの公演がなかなか来ないのは事実や。悲しいわ。
ポピュラーやと大阪城ホールが一番有名やろ。ライブハウスがたくさんあるはずやけど、よく知ってる人が補完してくれるのを期待しとくわ。
映画は(追記:単館が)京阪神合計で東京の半分くらいみたいやね。増田は行ったことないわ。
8 食
京都と大阪の懐石、京都の精進料理とそばとラーメン、大阪の粉もんとスパイスカレー、神戸の鉄板焼きと芦屋の洋菓子、みんな最高やな。もちろんパンも充実しとるで。
(追記)
トラバとブコメのおかげでいろんなこと知れたから増田は嬉しいわ!ブログでなく増田に書いてよかった!
トラバでも書いたけど、ゲームは活動範囲が関西に収まってないかなって思って外したんや!アリスソフト好きやで!はてな?あかんあかん!お茶の一杯も出してから出直しや!
スポーツは野球とかラグビーとか考えたけどガンバのしょっぱい成績が頭をよぎって外してしまったわ!
エリアは東京と比べるために京阪神+αに絞ったから滋賀と和歌山は入れてないし奈良も世界遺産でしか入れてないんや!すまん!石山寺も黒壁スクエアも高野山もパンダも大好きや!
東京だけが持っている文化、それも文化の中のメインストリームと言えば演劇なのではないか。
有楽町の近くには銀座の繁華街もあり、演劇・繁華街と文化を楽しむことが出来る。
有楽町で観劇もしくは映画を観てから銀座へ向かう、という楽しみ方は東京人にしか出来ない。
台東区にある上野恩賜公園が美術館と博物館の宝庫となっている。
東京国立博物館、国立科学博物館、国立西洋美術館、東京都美術館、上野の森美術館(民間)など。
2016年に東京都美術館で「若冲展」が開催されて、私元増田も行ったが4時間待ちだったことを未だに覚えている。
また上野公園の近くには東京芸大キャンパスがあり、文字通りに文化の街となっている。
メセナ事業とは、企業が資金を提供して直接的な見返りを求めず、文化・芸術活動を支援することである。
東京には大企業が多いので、必然的に企業が運営する文化施設が多い。
サントリーが運営している東京ミッドタウン内のサントリー美術館。
伝統芸能に関しては、東京一極集中の状態と言っていいのではないか。
大相撲本場所は年6回開催されるが、両国国技館の開催が3度で、大阪・名古屋・博多は1回ずつ。
落語についても、落語協会と落語芸協の2大体制は今後も変わらないだろう。
はてなであれば皆さんご存知の1980年代から始まったオタク文化である。
黎明期においては、演劇や美術業界などのメインカルチャーから見向きもされてこなかったが、今は立派な日本の「文化」として認識されている。
転換点の一つとして、2014年に政府がクールジャパン戦略を採用したことだろうか。
政府に一目置かれるほどの文化に成長するって、なかなか出来ることではない。
東京生まれ東京育ち。40歳で前職を辞めて単身関西圏の田舎に引っ越した。1年住んでわかったのは文化的なものはない。観劇も落語も美術館もスポーツも音楽ライブもお笑いも、なにもない。全てのカルチャーの卵が育たないから生まれてない、そんな感じだ。
しかし都会では享受しえない体験があるのも確かだ。バカでかい駐車場に車を停めてバカでかい激安スーパーで買い物するワクワク感。家から5分歩けば雄大な山の景色に海が見える多幸感。花火なんて高い建物がないから家から見えるし、釣りなんでどこでもそこらじゅうで出来る。
つまりは文化的な物の種類が違う。ただ誰もアンダーグラウンドな演劇や映画、ライブなどを知らないだけなのだ。もっと言えば必要がないのだ。必要なのは友達に自慢できる改造車であり、地元民しか行かない秘密のキャンプ場であり、新しくできたチェーン店なのだ。
まーこれはこれで文化だなーと思いながら楽しんでる。
よくよく考えるとこれが東京の文化! って感じのものがイマイチ思い浮かばない。
地方で生まれた文化を、東京の人に受ける様にカスタマイズされた文化ってのが多い印象なんだよね。
どうも東京で発生して、東京で発展した文化ってのがイマイチ思いつかない。
海外の音楽とか流行してるものって昔なら東京でしか触れられないって感じだったけど、個人の情報発信力が強くなった現在はそうでもなくなってきてるよね。
中国とか韓国とかの流行り物だったら、東京よりも距離的に近い福岡の方が入ってくるの早かったりするし。
東京ならではと俺が感じるのって、なんでもかんでもすぐ行列になっちゃう人の多さくらいなんだよな。
田舎の人間からするとラーメン食べるのにそんなに並ぶの!? とかやっぱ思っちゃう。
住んでる人口も交流人口も多いから、文化が発展しやすいってのは分かる。
文化を消費する、商業化するって事でいえば、東京みたいな大都市が圧倒的に有利なんだと思う。
結局のところ文化的な生産物も農作物とか海産物みたいな他の生産物と同様に、生産地から消費地に流れてるってだけの話なんじゃないだろうか。
正直ジャンプからあかね噺と一ノ瀬家とアオのハコは無くして欲しい。然るべきところでやってほしい。
この三つがつまらないとか不快とかって言う話じゃない。とにかく編集側のゾーニングの下手さが出てる。ジャンプって本来小3〜中1.2をターゲットにしてるだろうし、打ち出してるのも努力友情勝利な訳でゴリ恋愛漫画も落語の話もホームミステリーも毛色が違うくらいでは説明できない。今の編集部が売る事を目標にし過ぎているんじゃないかな。
ジャンプって言わば最強の漫画雑誌な訳でその看板内でブランディングしないと他の雑誌がダメになっていっちゃう。それぞれ得意な分野があってそれぞれのゾーニングがきちんと成されてないとまずい。
何ってジャンプだけに顧客が集まってスピリッツ廃刊です、ヤングアニマル廃刊ですってなったらそう言う場を主戦場とする先鋭化した作者たちはジャンプに拾ってもらえると思う?ジャンプでファブルや九条の大罪を連載できると思う?ジャンプはジャンプというジャンルの中で先鋭化してたはず(ブラクロやマッシュルなんか正に)がアクタージュくらいからどんどん芯は別で構成要件がジャンプみたいな漫画が凄い増えてきててそれが上の三つ。
髪結いの亭主(=妻に養ってもらう亭主)は落語の「厩火事」に由来する言葉
フランス映画の「髪結いの亭主」は原題「Le Mari de la coiffeuse」の直訳で、フランス語に「妻に養ってもらう亭主」を表す言葉はない
昔からどんな夫婦でも夜の営みには悩みの一つや2つあるもので、その一つが女房が満足出来ないうちに旦那の方が満足してしまうという。
三擦り半なんて言葉もありますが、こうなってくると女房の方も旦那が仕事に出ている間に間男を引っ張り込んでなんてこともあったようで…
「聞いておくれよ、うちの旦那この間も三擦り半でさ」(間男のイチモツをしごく様子を扇子で)
「そいつぁ酷いな、三往復だなんてちっとも満足しなかったろう」
「3往復も持つもんかい、行って帰ってで2こすりの計算だから1往復と片道でおしまいよ」
とかなんとか馬鹿なことを言いながら奥様が間男といちゃついておりますと、突然入り口の方から
「あら、大変だ!うちのが帰ってきちまったよ!」
大慌てで服を着ようとするも障子がパッと開いてしまい
「お、おやお前さん早かったんだねぇ、」
「おう、いたのかい。今日はちょっと早じまいになってな、ちょっと酒でも引っ掛けてから帰ってこようかと思ったんだだが
こんなにお天道様が高いうちに仕事が終わるのも久々だ、早く帰ってお前のびっくりする顔を見てみてぇとおもってな、
…いやそれにしてもものすごくびっくりしてる顔だな。
…てかなんでぇおめぇ裸なんだ?…それから隣の旦那はどこのどなたですかい?」
「嫌だねぇ、お前さんがほら、最近あっちのほうが元気がないからって言ってたからさぁ、ちょっとお医者さんに来てもらったんだよ」
「そう、そうなんだよ。で、お医者さんにあっちのほうが元気になる手コキってのを教えてもらってたんだよ」
「へぇ~。手コキねぇ。お医者様(と間男の方へ向き直り)そいつは本当に効くんでしょうか?」
「あ、ああ、もちろんだとも。この手コキをすればどんな萎れたイチモツも、たちまちプレーリードッグのようにその場でピッと立ち上がる」
「なるほど」
「ほらワシの股間を御覧なさい、今奥さんに教えたばかりなんだがほらこの通り」
「何を馬鹿なことを」
「まあ、とにかくそいつはありがたい。いや実は最近あっちのほうが元気無くなってきて、そのせいかなんというか、女房よりもすっかり早くなってしまって」
「おまいさん、早いのは前からだよ」
「ああ、そうか。まあそんな事もあって最近はすっかりうちのを満足させられていないようなんだ。いやよかったよかった」
奥さんも間男もほっとひといき、なんとか誤魔化せそうだと胸をなでおろしたところで
「ところでお医者さんよ、その手コキだったかな。一つそいつを俺にやってみてくれないか」
「え?手コキを…旦那に…?私めが?」
「ああそうよ。
いま女房が教わった手コキとやら、ぜひ一つ本物を一回体感しておきたいと思ってな」
「いや、奥さんは覚えがよくて…」
「1回本物を体験しておかないと、間違った手コキを本物の手コキと思って一生涯過ごしてしまうかもしれぬ」
「ぜひに本物の手コキを」
「いや、その」
「是非本物の手コキをーーー!」
奥様も奥様でこの場を乗り切るためと、半分は面白いものが見られそうと、
とか言い出す始末。
仕方なく間男も覚悟を決めて旦那のイチモツを恐る恐る握って見様見真似でスコスコし始めます。
ところがこの間男、さんざん色々なところの人妻をこマしており、様々な手淫の技を体感していたので、自分では知らないうちに手コキの名手になっていたんですな。
「ここをこうすると…」「おっ、ここは反応が良さそうだぞ…?」
と試行錯誤を繰り返していると、たちまち旦那のものがピン!と牙を向いたプレーリードッグのようにいきり立ちました。
しかし旦那は男性に手コキをされるのは初めてですから、気持ちは良いもののなかなかオシマイまで行くことが出来ません。
間男に手コキをされながら
南セントールという統制された社会に生きる若者、エリオットは男女の交際が禁止され、人工授精が唯一の妊娠方法とされていました。男性は去勢薬の服用を義務付けられ、精子採取は18歳の6ヶ月間のみ許されるという法律が存在しました。
エリオットは貧しい家庭に育ち、去勢薬を購入することができず、絶望的な状況に追い込まれていました。そんな彼の前に、小さな医院に勤める医師、ルーカスが現れます。ルーカスは通称「手コキ医師」と呼ばれ、禁じられた行為を補助していると噂されていました。
ルーカスはエリオットの苦境に共感し、彼に対して特別な取引を提案します。彼はエリオットに去勢薬の服用を補助し、その代わりにエリオットの精子を提供するよう求めるのです。ルーカスの真の目的は何なのか、エリオットは疑問を抱きつつも、この取引を受け入れます。
エリオットとルーカスの関係は次第に深まり、ただの補助医師と患者の関係を超えて心のつながりが生まれます。彼らは共に統制社会の闇を垣間見ながら、苦悩と葛藤に立ち向かっていきます。同時に、エリオットはルーカスが抱える秘密や彼が守ろうとする理想にも迫っていきます。
やがて、エリオットは禁止された男女の交際を求める別の若者グループに出会います。彼らは反体制の活動をしており、エリオットはその中で自らの存在意義を見出していきます。そして、彼はルーカスとともに抗しながらも、統制された社会に対抗する決意を固めます。
【登場人物】
手コキ医者(てこきいしゃ)
男性(だんせい)
【舞台セット】
【脚本】
手コキ医者:(颯爽と登場)ほら、ほら、次の方、どうぞどうぞ。
男性:(緊張しながら)あ、あの、手コキ医者さん、よろしくお願いします。
手コキ医者:おお、初めての方かい?安心してください、私があなたの悩みを解決してみせますよ。
男性:(恥ずかしそうに)実は、最近、性的なトラブルに悩んでいまして…
手コキ医者:おお、それは大変ですね。しかし、私の治療法ならきっとお力になれるでしょう。
手コキ医者:それは秘密ですよ、お楽しみに。さあ、今から治療を始めます。
(手コキ医者が男性の悩みを手コキによって解決していく様子を演じる)
男性:(驚きながら)な、なんてことだ…!これは奇跡的な効果です!
手コキ医者:ふふ、そう言っていただけるとうれしいですね。手コキ医者として、あなたの悩みを取り除くことが私の喜びです。
男性:手コキ医者さん、あなたの技術は本当にすごいです。友人たちにも教えてあげたいです!
手コキ医者:そうですか、それは光栄です。私の名前を広めていただけるとありがたいですね。
男性:絶対に広めます!江戸中に手コキ医者の名を轟かせましょう!
(男性たちが次々と手コキ医者の診察を受けに来る場面を演じる)
手コキ医者:(感謝の気持ちを込めて)ありがとうございます、皆さんのお力になれることを願っています。
(手コキ医者が男性たちを次々と手コキによる治療で助ける様子を演じる)
男性:(感激しながら)手コキ医者さん、本当にあなたは素晴らしいです!私たちの救世主です!
手コキ医者:(謙虚に)いえいえ、私はただの医者にすぎません。ただ、皆さんが笑顔になれるように、私の技術を最大限に活かしたいと思っています。
男性:手コキ医者さん、私たちの間で伝説となってください!手コキ医者の治療法は、江戸の男たちにとって希望の光です!
手コキ医者:(微笑みながら)あなたの言葉に感謝します。私の治療法が多くの人々にとって希望の光となれることを願っています。
【終わり】
作:グプティ亭笑魚
https://www.youtube.com/watch?v=fHrzrL06I2A
↑動画も見てね。収益化停止してるということで書き起こししました。
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今日はですね、「THE SECOND~漫才トーナメント」という大会についてちょっとお話ししていけたらなと思っておりますね。
いやーまずね、あの「THE SECOND」が放送されたタイミングと同じタイミングでオリラジ
アカデミーって僕らのYouTube大学で、藤森くんとの番組に生放送してた。生放送という
かプレミア配信してたんでね。うわ、裏被ってるよと思ったんですよ。
なんかコメント欄でも「『THE SECOND』とかぶせんじゃねえ」とかって、「もうお笑い芸人が『THE SECOND』とかぶせんな」とかあったんだけど。ふ~ん。あっ、かぶってんだぁ。
僕「THE SECOND」って知ってたし、興味なくはなかったんですよ。言ったらもう
知り合いとか先輩が出まくってるから。あぁ、あの先輩どうなったのかなとか、知り合いどうなったか。三四郎とか同期だしね。
うーん。言ったらギャロップさんとかもね。若手の頃に大阪の劇場でご一緒させてもらったりとかそういうのもあったからねぇ。もうベテラン枠。15年以上が出るんですよね。大会でね。で、客評で決めていくと。そこまで知ってたんだけども。いつかってまでやってない。こっちはこっちでさ、あのスケジュールがあってこの日にっていうのが、たまたま一緒だったから。
あ、そうなんだ。わ、一緒かぁと思いきや、視聴者層の違うし。何だったら戦いだと。常にね。あらゆるコンテンツつうのはずうっと戦いだから。やってるじゃねえかぐらいの感じで
オンエアしましたね。
その結果ね、僕のほうのYouTube大学が急上昇ランキング4位までいきまして。相方のほうの後編は急上昇ランキング1位になりましてね。よかったなあと思いましたよね。その「オリラジアカデミー」木本さんにも活躍していただいてみたいな。そういうのもあって。
でも裏だったしって思ったんですけど。だって見ないで何か論じるのっておかしい
よねと思って、見たわけですよね。
ギャロップさんですとか三四郎の漫才を見ましたし。大会のあり方そのものも含めてね。
中田がどう思ってんのかっていうことですよね。はい。ここなんですよね~。
これでさネタが面白かった云々っていうのもそれもあるんだけど、大会そのものが
どういうふうに中田、捉えてるのかっていうことで言うと。
本当にいろんな側面があると思う。単純に「M-1」自体がそもそもは「M-1」との兼ね合いの中で生まれた大会じゃないですか。「M-1」はテレ朝でやってて。この「THE SECOND」ってフジテレビでやってるんでよね。
そんな中でテレ朝が作ったこの「M-1」っていうのがいろんな、その後賞レースできましたけども、すべての雛形になってるような形ですよね。
というのもお笑いで言うと東京ってああいうお笑いの賞レースって。
ショータイムのショーのレースじゃなくて受賞の賞ね。賞レースって我々言ってるんだけど、賞がついてるレースだよね。こういう大会自体が、関東はあんまなかったんですよ。テレビ局は。でもこれ、関西の文化で大阪はABCお笑いグランプリとかなんとかMBSアワードとかなんかいろいろあるみたいなんですよ。
でもその吉本の中でも大阪と東京って全然文化が違うから、その東京の人間がじゃあ大阪に行って大阪の賞をとれるかっていうと相当厳しいんですね。大阪の賞は大阪の芸人のものだっていうのが、大阪のテレビ局の中でも芸人さんの中でも視聴者の中でもどっかあるんですよ。
だから東京から来た奴らっていう感じだから、なんかね大阪の賞レース文化ってちょっと遠くに見てたんだけど。ただ吉本興業ってすごくその賞レースを中心とした事務所なんですよ。だからそのテレビでどれだけ売れたか以上に漫才の賞を取ってるかどうかで劇場のギャラが上がる下がるとかっていうのがあったりしたんだよね。少なくとも俺がいた時は。
だから僕はずっと不平等だなと思ってたの。なんで、東京はショーが少なくて大阪はショー
がいっぱいあるのに賞を取ったらギャラが上がるんだよって。フラットじゃなくない? 大阪超有利じゃんとかいろいろ思ったわけ。
でもそれはそれで、テレビ局の全国ネットが東京にあるんだから東京の芸人は売れやすくて有利じゃないか。大阪から移住しなきゃいけないんだぞとか、いろんな理由があるから。
必ずしもね。そのどっちがっていうのはないと思うんだけども。その大阪の賞レース文化っていうのはなんかすごく遠くに見てたんだけども。
そのM-1っていうものができて僕はそこに吉本って入ったの、「M-1」ができた後ですから。
2004年にNHK入って5年にデビューするんですけど、2001年に「M-1」始まって。僕は大学生の時に大学1年生の時に「M-1」ってのが始まったっていうのがね。覚えてますから。
その「M-1」の大会の存在意義っていうものも含めてこのセカンドができたわけですよね。「M-1」っていうものは要するに1年目から10年目までしか出れなかったですよ。まず
これは島田紳助さんが10年やって売れないんだったらもう諦めてもいいんじゃないかっていうことでお笑いという、いつ売れるかわからないけれど、そのためがゆえにズルズルやっちゃうという芸人さんを産まないために10年目までに光を浴びないんだったらやめなはれ
というですね。
そういう言ったら厳しい愛の鞭のような意味を持った年齢制限だったわけですよ。
ところが1回終わるんだよね。「M-1」自体がね。なんでかって言うともちろん紳助さんが辞める辞めないとかもあったんだと思うんですけど。それ以上にやっぱりこう、10年目までのおもしろい人たちが大概出ちゃって。ちょっとこう、「うーん…。なんか、どうする?」みたいな状況になった中で。「THE MANZAI」とかできたり、(一緒に?)しましたよね。
そんな中でまた戻って、15年まで広げたんだよね。芸歴15年まで出れるようになったわけ
よ。この時点でかなり中堅に優しい大会になったんだよね。
これ10年って、俺が、俺はずーっとこう最初にデビューした時に武勇伝っていう
もの自体がそもそも漫才じゃないっていうことで準決勝まで行けたんだけど決勝に上がれ
なかったんですよ。
そこから漫才じゃなきゃいけないんだと思ってずっと漫才やってたんだけど、漫才自体が俺が一番向いてるフォーマットじゃなかったんじゃないかって思ってたし。僕らの実力不足でいけなかったんだよね。優勝も決勝までね。ずーっと敗者復活とか準決勝で敗者復活。ずーっと。そんな感じだった。
そんな中で、でもまあ10年でやめれるっていう側面もあるわけよ。あれって。
芸人からすると。もう出なくていいっていう側面もあるわけよ。ところが15年まで広がることによってずっと出なきゃいけなくなっちゃうんだよね。
ここね。でも15年で言ったら解放されるって所があるわけよ。解放されるのか? それともチャンスがなくなるのか? この2つの視点があることがすごい大事なの。
で、「THE SECOND」始まったんだよね。15年以上のキャリアの。ということはだよ? これ、全キャリアがその賞レースに向かうことになったわけですよ。
この「M-1」至上主義っていうのが「M-1」で見出された人たちはたくさんいるん
だけど、俺からすると正直みんな「M-1」目指しちゃってもなーって思ってたんですよね。
もちろんいろんな意見あると思うよ。「お前は決勝行ってないんだから黙ってろ」とか
いろんな意見あると思うけど、「M-1」ばっか目指しちゃうんですよ。みんな。
売れるために「M-1」しかないって思ってる人もすごい多かったのね。今、わかんない。「YouTube頑張れ」とかっ言う人もいるかもしれないけど、「M-1」しか
ないと思って、「M-1」で何とか売れるために1年準備して「M-1」に行くんだけど、「M-1」のすごいところって、発掘してるっていう側面もあるんだけど、選抜してるっていう側面がすごい強いから。言ったら「M-1」で優勝したとか準優勝したとか、それぐらいの功績を残した人たち以外は、言ったら日の目を見ない大会なんですよね。あんまり。
特に「M-1」の決勝出たけど、下位だったっていうコンビって、逆にレッテル貼られたりするじゃないですか。相当しんどいんですよね。僕の感覚からすると、お笑いって
漫才だけじゃないんですよ。まず。
漫才が偉いとかも実はないんですよ。だけどあの大会のすごいところは、漫才が偉
いっていうふうにしたところで実はみんな2001年からのお笑いの流れしか知ら
ない人って漫才ってすごいもんだって思ってると思うんですけど。
実はそれよりちょっと前って、言ったらボキャブラとかの時代って漫才師のほうが少なかったんですよ。ネプチューンさんとか、ナインティナインさんとかロンブーさんとかの世代
ってどっちかというとそのショートコントとかコントとかそっちのほうが多くて、漫才ってちょっとレトロな演芸になりかけてたところがあったんですよね。
それをルネッサンスしたのが、復興したのが、復活させたのが「M-1」だったわけなんですけど、そういう風に相対的に見ると漫才っていう演芸とコントっていう演芸とそれ以外の演芸っていうのは実は本当はフラットなんですね。
みなさんの中で落語と漫才どっちが偉いですかとかって言われてもなんか「う~ん、知りません」って感じじゃないですか。だけど昔は落語のほうが圧倒的に偉かったですよ。これ。
落語家さんは出番が黒い文字で書かれてて、それ以外の漫才師さんとか手品師さんとかそういう人たちは全部赤い文字で。色のついた文字で描かれて紹介されて落語という主の演芸を賑やかす、いろもんって言われてたんですよね。そういう感じで時代によってこの演芸が格式が高いっていう認識って全然違って。
ある時は落語、その後である時は漫才みたいになったりもしたんですけど。それはすごく相対的なものなんですよ。すごく相対的なもの。そんな中で「M-1」っていうものがもたらしたのは、僕から言うと漫才至上主義に近いものでそれのカウンターカルチャーに置かれちゃったのが「エンタの神様」とかなんですよね。
エンタの神様はどっちかっていうと「ボキャブラ」とかそういうのもそうなのかもしれないですけど、テレビバラエティの中で言ったら何でもいいからやるっていう感じですね。
もちろん漫才とかもやる時間もあったけど、漫才の時間は「エンタ」ってすごい少なくて漫才師は出づらいって言われて、タカアンドトシさんでも「コントで出ろ」とか、サンドウィッチマンさんでもコントで出ろとか言われて、コントに漫才を直してやるぐらい、お茶の間にセンターマイク1本で2人が立ってるだけの演芸は伝わりづらいだろうっていう五味和夫さんの強い意向によってコントにしていくっていう。そっちのほうがテレビ的じゃない?っていうそういう流れの中でやられてたんですけど。
だから言ったら「エンタ」芸人と「M-1」芸人って、2種類あるとしたら、なんかエンタ芸人のほうが一発屋の扱いを受けることのほうが多くないですか? でもね、冷静に考えてほしいんですけど、エンタ出身で売れ続けている人もいっぱいいるし、「M-1」出たけど一発で終わった人もいっぱいいるんですよ。
そうですよね。「M-1」の決勝に出たけど、今その後出てない人も全然いるんですよ。だけどなぜか「M-1」で決勝を出て、その後売れてない人ってのはあんまり一発屋だって言われないんですよ。こういう、まず流れがあるんですね。なので、「M-1」は漫才が格式が高いっていうふうに見せた流れがあることと、キャリアが10年って限定してたんだけど、それを伸ばしたっていうことがあるっていう事がまずあるんですよね。
そんな中で、僕がもう1個問題だと思ってるのが、実はその若手がすごく、その「M-1」に集中しすぎちゃって、逆にチャンス減ってんじゃないかなと俺は思った時期があったんだよね。他の出方、いっぱいできるんだもん。「M-1」に向けてだけやる人、すごい多くて。
減ってる?チャンス、もしかしてって思うこととか。あとね、他の賞レースとの大きな違い。これ、功罪両方あるんですけど。「M-1」って圧倒的に審査員に光がめっちゃ当たるんですよ。審査員がなんて言うかっていうのは超重要なんですよね。
特に松本さんだよね。松本さんが「うーん、もっと点数入ってもよかったと思いますけどね」って言ったら、順位が低くてもものすごいフォーカスされたりしますよね。あれがもう圧倒的な特徴なんですよ。この「M-1」の「M-1」の圧倒的な特徴が、審査員にものすごい力があって、審査員がものすごい光を当てられる。
あんなに審査員が華々しく登場する賞レースってないんですよ。最初の1時間ぐらい、実はネタ始まるかなと思う。始まんないじゃないですか。審査員の紹介が、結構長い大会なんですよ。だからこそ成功してるとも言えるんですよ。
他の大会見てると、重みがあんまりなかったりするんですよ。要するに言ったらネタ番組と差別化が図れないんですよね。だからこそ大御所の審査員のほうが厳しいこと言うとかがすごいフォーカスされますよね。上沼さんがとろサーモンさんに対して何か言ったとか、和牛さんに対して何か言ったとかもすごい注目されるように、紳助さんがなんか言うかとか。
でもなんせとにかく松本さんがなんか言うかっていうところすごく強かったわけですね。M-1ってね。これが大きな特徴。そんな中で、僕がずーっと思ってたことは、松本さんがあらゆる大会にいるんですよ。
これ冷静になって考えてほしいんですけど、「1本グランプリ」にもいらっしゃいますよね。「滑らない話」もいらっしゃいますよね。漫談でも大喜利でもいるんですよ。なんだかんだで、その若手を審査するっていうお仕事がめっちゃ多いんですよ。それは第一人者だからカリスマだからっていう意見もあると思うんですけど、今までもカリスマ的な芸人さんってたくさんいたんですよ。
たけしさんとかさんまさんもそうじゃないですか。でもたけしさんやさんまさんはそんなに審査員いっぱいやらないんですよ。ここが松本さんの特筆すべきところで。
松本さんはあらゆる大会を主催して、あらゆる大会の顔役になってたんですよね。ここで非常に重要なことが、賞の審査員が、どのジャンルでもですけど、実はその業界で一番力を持つことが大きいんですね。例えば、だから芥川賞ってすごい有名な賞ですけど。
芥川賞の審査員をやっている作家が一番偉いんですよ。実は。なんでかというと、どの作家がいい文学かっていうのを規定できるからなんですよね。この文学がいけてる。なぜなら、こうだからだっていうふうに決められる作家が一番偉いんですよ。
だから太宰治とかは、それを賞を、僕に、芥川賞を僕にくださいとか言って審査員にお願いしに行って断られたりとかっていうことがあるわけですよね。
それぐらい、その審査員って権力なんですよ。この権力が分散していたらまだいいんですけど集中してるんですね。なんせ漫才だけでキングオブコントもそうですよ。キングオブコントにもいて、「M-1」にもいるって、要するに言ったら、主流二種競技なんですよ。漫才というかコントって。その両方にいて。なんと大喜利にもいて、漫談にもいるんですよ。4種競技。5種競技だとしたら、全部のジャンルの審査委員長が松本人志さんっていうとんでもない状況なんですよね。これって。
たぶん他の業界だったら信じられないぐらいの独占状態にあるんですよ。これ、どうなるかって言うと、松本さんがおもしろいっていうか言わないかで、新人がキャリアが変わるんですよね。その権力集中っていうのは、1個の見方で言うと松本さんがそれだけ偉大な人だから求められてるんだって見方があると思うんですけど、求められてるっていうことと、実際にやるっていうことはちょっと違うことなんですよね。
求められてたとしても、冷静に考えたら実際にやることがその業界のためになるかどうかでいうと、もう僕の意見で言うとあまりためにならないと思うんですよ。なんでかって言うと一つの価値基準しかないっていうことは、それ以外の才能は全部こぼれ落ちるからなんですよ。
その人の理解できないお笑いに関しては全部こぼれ落ちていくんですよね。いや、とはいえ、中田とはいえ、それでうまくいったんじゃないか、「M-1」は成功したんじゃないかっていう議論があると思うんですけど。
もちろん素晴らしい芸人さん出てったんですけど、この「M-1」における成功って何なのかってことだと思うんですけど。それってネクストスターの発掘じゃないですか。
つまり本当の成功って松本さんを超える芸人が出てくることなんですよ。「滑らない話」「M-1」この「キングオブコント」「1本グランプリ」もう何年もやってますよね。「M-1」にいたっては2001年からだから、言ったらもう20年近く。休んでいった期間があるとはいえ、20年以上やってるんですよ。20年やって、松本さんを完全に超えたっていう芸人さんをこの全大会全部やってですよ、誰か産んだんすかって言うと、誰かが新しい大会の審査委員長になって、みんなが納得するような人が出てきたら、もしかしたらそれは成功したっていえるかもしれないですよね。
ところが、新しく始まった「THE SECOND」のアンバサダーという役割は、松本さんなんですよ。わかります? つまり20年間松本さんは松本さんを超える才能を発掘できなかったんです。発掘できなかったのか、どうなのか。
それとお笑い回は、今向き合わなきゃいけないと僕は思うんですよね。みなさんがどう思うかわからないです。僕の意見だけ言うと、ここのっていう、このアンバサダーという立ち位置がすごい微妙な立ち位置ですよね。なんでかっていうと、審査に影響を与えない大会の顔だけを求められてるわけですね。権威だけとしてアンバサダーってあるわけじゃないですか。
ブランドのアンバサダーとかいますよね。でもそれは広告塔であってブランドのディレクターではないですよね。クリエイティブディレクターとかではないから、広告塔になってくださいという言い方なんですけど。ただね、ここ、すごいポイントなんですけど松本さんってめちゃめちゃ評価に介入していくタイプの人なんですよ。
今回それが浮き彫りになったのがマシンガンズさんの時ですよね。マシンガンさんが自分たちの書き込み、自分たちについての書き込みを読み上げていくぜって言って、「マシンガンズがこういうふうに言われてる! なんでだよ!」って突っ込んでいくっていうネタがあるわけですけど。
それをやってすごいウケたわけですよね。ウケた後に、「いやでも、あの紙を出すのっていうのが、どう捉えられるかな」っていう意見を言ったわけですよね。あれがいわゆる介入。
価値観への介入に値するわけですね。
「M-1」でもそういうことはたくさんやってきたんですよ。「M-1」でも、もっと受けてもよかったけどなとか、もっと点数入っても良かったけどなってなった時に、「あっ、えっ? そうか。点数はもっと高くあるべきなんだ」と。「この人たちは面白かったのにうけなかったのは間違いなんだ」っていう。あれは審査とか、価値への介入なんですよ。
それをまあ積極的に求められてるから審査員なんじゃないかっていう見方で言うと、今回審査員ではないにもかかわらず価値に介入していったんですよね。その価値への介入を、しかも今回凄かったのが、跳ね除けちゃったんですよね。客票が。マシンガンズが勝っちゃうっていう。だから余計に変な感じになるわけですよね。
「ん? どっちなの?」っていう。紙を出しても良かったの?良くないの?