はてなキーワード: 立場とは
はてブに載ったエッグなんとかさんのnote?日記?と似たものを感じた
どうして酷い仕打ちをしてきた者を憎み否定することができずその立場からくる行動を理解しようとしてしまうのか
でも平気な人々はそんなところに己れの誇りなど感じていないのだろうなと日々おもっている
我那覇真子さんは本当に素晴らしい女性だ。 ワクチン薬害について国に対して追及していく姿勢には共感している。 しかし共感出来ないこともある。 昨日、横浜スタジアムでワクチン接種会が行われていて、 そこで我那覇さんのグループは反ワク運動をしていたのだが、 なぜこんなことをするのかがよくわからない。
だって、打ちたいやつは勝手に打てばいいだろう。 なぜ、打つのを止めようとするのだろうか。 今になっても毒チンを見抜けないような白痴は死んだ方が国のためだ。 だから、国のためを思って活動しているのであれば、むしろ打たせる方が筋が通っている。
同じく昨日、これは別の話題になるが、 木原功仁哉という弁護士が国賠訴訟を起こすことを発表した。 原告は、高知大の佐野教授の論文に出てくる、 接種から2年経ったのに皮膚からスパタンが発見された人だ。
2年も経ったのにスパタンが発見されたということは 接種者の中でスパタンが無限に産生されていることを示しており、 これが最近になってワクチン薬害がハネてきている理由であることはほぼ確からしいわけであるから、 これはワクチン薬害において非常に重要な鍵となる事実ということになる。 だから、このタイミングでこの裁判を仕掛けに行ったのはさすがと言わざるをえない。 国を転覆させることの出来るほど重要な裁判になるだろう。注目している。
ところで調べてみるとこの木原という弁護士、 もとは京大物理工学科の出身だ。 しかも84年生まれということだから、おれやルシファーと同世代ということになる。 この世代はタレントが揃いすぎている。伝説の世代だ。 木原さんはその後、法科大学院を経て弁護士になった。
思えば、日本のワクチン薬害においては京大理系出身者の活躍が目立つ。 荒川央さんは京大理学部の出身だし、 藤川賢治さんも京大情報工学科の出身だ。 本庶佑さんも京大医学部出身で、こちらは立場上目立った活動は出来ていないが、 ところどころヒントをくれている。 そしておれも、京大電気電子工学科出身だ。 実のところ、これ以外にも京大理系の人間はワクチンを打ってない人が多い。 例えば、京大生ユーチューバーのこばちゃんねるは、ワクチンを打ってないことを表明している。 彼らは、こばが地球工、サイコが物工だ。
なぜこんなにも京大理系出身者は真実に対して簡単に近づけるのかというと、 真実にしか興味がないからだろうと考えている。 だから、真実を知りたいと考えるし、 真実以外のことは雑音でしかないから、他人に何と言われようと興味がないのだ。 おれの場合、他人に対する興味もないし、社会に対する興味もない。
おれが増田でワクチン薬害について批判し続けているのも、 他人にワクチン接種を思いとどまってほしいからではなく、 ワクチンに反対していたという事実を残しておきたいからだ。 だから、ワクチンが間違っていたことが事実であれば、 それ以上のことはどうでもいいということになる。 打ちたいやつは勝手に打って死ねばいい。 知的障害者民草のことなんか、知ったことではない。
グレゴリー・ペレルマンも、自身の証明が正しいのであれば 名誉や賞金は必要ないとしてフィールズ賞の受賞を辞退したりもしたそうだから、 彼もきっと、真実以外には興味ない族の一人なのだろう。 そしてきっと、京大理系の祖である湯川秀樹や朝永振一郎や 岡潔なども全員、真実以外には興味ない協会の会員だったのだろう。 超理系人材にはこの傾向がある。
そして我々京大理系人材はこれら祖先たちの意志を受け継いでいるため、 ワクチンが間違ってると思うならそれに対してまっすぐに行動出来るのだ。 もちろん自分も打たないし、他人に何と言われようとどうでもいい。 反ワク弁護士と呼ばれようが、陰謀論者と呼ばれようが、気にすることはない。 我々に構ってほしいなら、京大を卒業してほしい。学歴穢多野郎は近寄るな。
京大というのはそういう特殊な大学であり、 理系は京大 or dieと言われるのはそのためである。 しかし、このように京大ナイズされるためには、学部教育から京大で学ぶことが何としても必要だ。 京大関係者ではあるがとんちんかんな人を見ると、 大学院から京大だったり、あるいは研究者として京大で働いているというだけに過ぎないことが多い。 それでは全くお話になっていない。 宮沢孝幸が最終講演において京大という大学の担う役割的なものについて語っていたらしいが、 全く持って穢らわしいので撤回していただきたい。 あなたは京大グループではない。
そもそもの話として、この手のプロダクトの方向性に関与できる立場の人間なんて一人か二人、多くてせいぜい数人しかいない
例のMVについて、既に大方の人は差別的な意図または差別への無意識により作られたという解釈で固まったと思っているかな?と思うんだけど、実はそうでもない
実は結構人によって解釈が分かれていて、しかも差別に反対する立場、または人文系の人の中でも解釈が分かれてたりする
という訳で、ここではどちらかというとMVに擁護的な解釈(差別的な意図でも差別への無意識でもない)をしている人文系の人を紹介したい
(予め断っておくが、敢えて少数派の方の解釈の人をピックアップしてるので、人文系全体がこっちの解釈とか、こっちの解釈が多いとかではない、むしろおそらく少数派)
藤田直哉氏
https://x.com/naoya_fujita/status/1801445968971436180
恐らく主流派とは異なる解釈、批評系の人なので、その辺りも他の人とは違った解釈となっている要因かな?
他のツイートも読んでほしいけど、異なる解釈を示しながらも例のMVを肯定・擁護している訳ではない事に注意
https://x.com/anatatachi_ohno/status/1802852958524322045
https://x.com/anatatachi_ohno/status/1802919307388875038
2つめを見る限りこの方の方が擁護的かな?
バベルについて言及があるので、もしかしたら藤田氏の解釈も参考にされた可能性もあるが、詳細は不明
という訳で一般的な解釈とは異なる解釈の例を示した、再度念を押しておくけれどこの解釈が多数派だとか、正しいとか言いたい訳では無い
こういう解釈もありうるという、ただそれだけの事、そしてお2人の事をある程度知っていれば、2人とも差別には明確に反対の立場で、左派やリベラルに分類する人も居るだろう立場の人でもある、そして人文系または批評や美術の舞台で活躍されている方でもある
その中でもこういう風に異なる解釈を取りうる
それが表象に対する解釈の多様さ、そしてそれ故の厄介さなのかもしれないし、救いなのかもしれないが、とにかくあまり他の人に無い観点だなぁと思ったし、少なくとも恥ずかしながら浅学の自分ではそこまで読み解けなかったので共有してみた次第
これらの読みに対して深読みし過ぎとか考えすぎと思う人が居るかも知れないけど、批評をある程度読む人間としては結構普通に有りうる解釈ではないかと思う、読んでみてもそこまで無理をしているとは感じない(擁護する動機も恐らく無いだろうし)
表象や表現といったものは、色々な部分に意図が込められている、それを読み取るリテラシーには個人差が有るし、それを仕事にしている人だと違ったものが見える事も有る、という事だと思う
最後に、これらの意図がもしあったのだとしたら、何故MVを取り下げたのか、という事に関しては、分からないとしか言い様が無いけど、
ネット上の反応を見て説明をしても無駄だと諦めたとか、釈明せずに取り上げた方が得だと判断したとか、MVに意図を込めた人は取り下げに関する意思決定に関わる立場に無かった(または関わっていたが弱かった)等々、これも無数の可能性が有るな、と思う、解釈と同じ様に
追記:
上記の文章は飽くまで「例のMVには多様な解釈が存在する」「通常とは異なる解釈が存在する(その為、例を挙げた)」であって、「だからあのMVは表現として失敗していない」とか「批判されるべきでない」と言っている訳ではない
「MVの解釈が多様である」「別様の解釈も有りうる」事と、「表現として失敗しているかどうか」「アーティストは失敗したかどうか」は独立した別の問題で、混同するべきでは無い
そこを混同すると、場合によっては「別の解釈の有る表現に対して批判を行った」事の是非を「表現が失敗していたかどうか」に置き換えて正当化しようとしている様にも見えてしまう、それは別の問題だ
表現が失敗していてもしていなくても、別様の解釈も有りえたし、多様な解釈が有りうる、勿論当然だけど別の解釈を示しているだけで、通常の解釈を否定したり「こっちが正しい」と言っている訳でも無い
ただただ多様な解釈が有る、それだけの事だ
すぐに何かに結論付けたり、明確な結論が無いと不安になってしまうのが現代人の悪い所だ(現代人に限らないかもしれないけど)
批判が正しいとか間違ってるとかについて結論がすぐに出てしまう事の方が不自然だと思った方がいい、世の中の事は本当は人間は知らない事の方が多い、今回の件での批判にしても別の何かにしても正しいか間違っているか「分からない」事の方が本当は多い筈だ
それら分からない事を一旦宙に置いて、とにかく例のMVはいろいろな解釈が有りえて、分かり切った解釈や絶対的に正しい結論なども有る訳では無く、意見が分かれる物である事、所謂「諸説あります」状態だ、そういう状態である事だけを伝えたかった
超わかる。実際にはめっちゃ営業努力してくれないと切られる側の癖に、何故か完全に立場を勘違いして「会ってあげてる以外の努力は不要」という感じになっていくんだよな。
現代において社会的立場と一定の資産がある者にとって、法のペナルティが機能していないと判断された時に起こる現象だと思ってるよ。
なんか「大航海時代」って意図的にニュートラルな命名してるの日本だけで世界的には「発見の時代」らしいっすよ、ヨーロッパ中心主義で
https://x.com/cicada3301_kig/status/1801810831396716887
「大航海時代」の名称は、1963年岩波書店にて「大航海時代叢書」を企画していた際、それまでの「地理上の発見」、「大発見時代」(Age of Discovery / Age of Exploration)
といったヨーロッパ人の立場からの見方による名称に対し、新しい視角を持ちたいとの希求から、増田義郎により命名された。
https://en.wikipedia.org/wiki/Age_of_Discovery
マジレスすると日本が発見されたのは1541年です。リスボン市郊外の「発見のモニュメント」は
大航海時代に新たに発見された国土とその発見年次が刻まれてますが日本については1541年とありますので
鬼滅の刃はブームなのと私も子供がいるので一応全巻読んで、確かに面白いんだけど王道すぎて展開が読めてしまうから必修科目で履修したけどお気に入りではないという感じなんだよね
本来アラフォーにとっての鬼滅って、親とか教職員の立場で子供や若者と共有するものだと思うんだよね
石丸伸二さんも二十歳の集いの挨拶に使ってるので、自分が気に入ったというより若者に話題を合わせたんだろうね
逆に、鬼滅ガチヲタの中年独身アラフォー男性ってかなりアレな気がするんだけどそのツッコミはあんまりないね
もちろん好きなことは否定されるべきでないんだけど、なんというか「プリキュア好き!」とかに近いから、キッズ目線のおっさんということでちょっとキツイかな
世界史の教科書に欧州圏のアメリカ大陸進出を書かないわけにはいかないし、「女性を性奴隷にし、従わない者の手首を切り落としたコロンブスは大西洋を航海して帰還し、欧州諸国の米大陸への進出がはじまった」って書けって感じ?
そもそも世界史を習い始めるのは中学校頃だろうし、自分の中学時代ですら、コルテスやガマの話もセットでアメリカ大陸進出が説明される
というか歴史の事業で「コロンブスはすごい」みたいな説明するだろうか。ただ名前が出るだけで、えらいとも凄いとも言わないだろ。他の世界史で覚えさせられる名前、アウグスティヌスやカール大帝、朱元璋で「こいつらこんだけ殺して云々」は、まあ、好きな先生はけっこう喋ってくれると思うけど、教科書に形容詞とかつけるかっていうと、書かないだろ文字数的に言って
学校で教える前、各自が勝手に読んでしまう児童向けの伝記でタイトルに「女性を性奴隷にし、従わない者の手首を切り落としたコロンブス」って書くか?
子供ってバカなので、「そっか、女性を性奴隷にし、従わない者の手首を切り落とすのがカッコいい、すごい偉いことなんだ」って思うんじゃないかな
学習って段階を踏んで順番にやらないと歪むだけだしね
なら、コロンブスの名前をそもそも教えるべきではない、という態度には明確に反対はしとく。なんであれ、誰であれ、固有名詞は知っといた方がいい。シンプルに知識を得る過程の第一歩だから
そもそも余計な知識など一切得る必要はないという立場ならばコロンブス名前を封印してもいいと思うが、その場合、そもそも学校の授業全般なくていいのではないだろうか
ということで、個人の倫理観の欠如を形容詞で付加するみたいなのをダラっと前後の説明なく付け加えてもしょうがないと思うよ
以下、対案として、
コロンブスの行動について、児童生徒に説明するのなら、コロンブスという個人に限定するのではなく、「探検」とか「冒険」という行動が侵略であり、強奪であり、簒奪であり、搾取である、という説明をしたほうがいいんじゃないかな
俺は親が離婚したわけじゃないから一緒にするなって言われそうだけど。
父親に学費とか生活費とか出してもらってたけど、父親がうざかったし、感謝の念なんて全然湧かなかった。
母に対してあたりがきつく、しょっちゅう揉めてたし、そのくせ兄が一時期グレてた時は他人事で、何て奴だと思っていた。
とりあえず言いたいのは、親に「ありがとう」って言いたくないのは、離婚関係なくよくあることだ、ということ。自分は反抗期をやれただろうか、いま反抗期だろうか、と考えてみるのはどうだろうか。ここからは推測だけど、お母様の味方をやってて、しんどくなかっただろうか? 誰かに甘えたくはないだろうか?
あと、たいていの家はわざわざ言わなくてよい中、養育費をもらうという立場上、言葉にしなきゃいけないのはつらいというのはすごく想像できる。よく頑張ってる。
あと、「実家が太い」という下品なスラングに代表されるネットの風潮に毒されてないか心配。
「親が金持ちなら文句言う資格ない」みたいな考え方を内面化していないだろうか? そういう風に言いたがる人の気持ちはおそらく正当な面があるし、処世の知恵としては「お金があって満足です、感謝です」と外向きに言うのは大事。
でも、お金のある家に生まれても苦労はある。それは自分自身では認識しておく必要があるし、「実家が太い」とかやっかんでこない親密な友人とかと共有できたら更にいい。
「恵まれてるのに文句言うなんて俺はダメかな」と卑下したり、そういう考えによって無意識に思考が邪魔されるのはもったいない。「確かに経済的には恵まれてるけど、〜については悩んでるんだよな、傷ついてるんだよな」ってちゃんと向き合って、お父様とどういうコミュニケーションとるか考えていい。
それは時に重なることがあるだろう。しかし、個々人(これが本当にネット利用者全体)に対して自制を求めるのは、解決策としては乱暴だろう。
全員が自分の立場、相手の立場を自覚するというのは理想論であり、現実的には困難だ。何かを発言しようと思ったら、書く前に全体の状況を調べ、正確に把握し、必要に応じてトーンを調整したり、発言を控えたりできるだろうか。
ネット上では匿名性や感情的な反応が強く、自制をするモチベーションも低くなる。
問題の根本は、立場ではなく対話の質や内容に求めるべきだろう。
キャンセルカルチャーが問題視されるのは、過剰な攻撃や社会的制裁が伴うケースであり、それ自体は適切な批判の範疇であるケースもある。
結論から言うと、SNS等での個人の発信(の集合)が力を持ちすぎて『批判的な意見を述べる』ことと『表現をキャンセルする』という本来距離があるべき行いが近くなりすぎた事が根本的な原因だと思う。
あのMVは題材としたコロンブスの行いに対する無知が原因であって、積極的にコロンブスの残虐行為を正当化する意図はなかったであろうことは状況証拠も含めて多くの人が納得できると思う。
また件のMVをみて『コロンブスの虐殺は正しかったんだ』といった感想を持つ人は観測できなかったので、MVが存在することによる直接的な問題というのはない(あるいはあったとしても非常に距離がある)ように思える。
一方で明確な問題点として題材の調査不足による表現としての拙さ、表現としての伝わりづらさなどの作品として不出来な部分があることは事実であって、それらへの批判的な意見は十分に成り立つしアーティストや製作会社にとっても有益となりえる意見だろう。
令和6年現在、SNSで批判的な意見が噴き上がるだけで表現はいとも簡単にキャンセルされる。批判的な意見を述べることと表現をキャンセルすること、本来まったく異なる行為は同じ意味を持ちつつある。またこれはSNSだけの問題ではなく、企業側がSNS時代に対応出来ていないことで批判に対して過激な反応を起こしてしまうことや、距離が近くなったことを利用して気に入らない表現をキャンセルしようとする一部界隈の問題も含んでいる。(後者に関しては鶏と卵という感じもする)
またこの現象は否定派にとっては「正当な批判を行っただけ」肯定派にとっては「表現をキャンセルされた」という認識の違いを生み出し更なる分断の原因にもなっている。このボタンの掛け違いがある以上、議論は一生平行線なのでまずはお互いの立場を認識した上で議論を進める必要がある。
近年のキャンセルカルチャの問題について憂慮する気持ちは非常に共感できる。一方で批判的な意見もまた守るべき表現であり、長期的に見てよりよい表現を育てるために必要な物だろう。
また今回のMVのように表現の意図にまで踏み込んだ話をするのであれば、批判的な意見に対してもそれが「作品の不出来な箇所を指摘する」目的なのか、単に「気に入らない表現をキャンセルしたい」のかという意図についても検討する必要があると思う。
既に述べたが批判的な意見もまた重要な表現であって、健全な表現を守るために必要な物だ。
しかし芸能人のSNS炎上による自死問題の際にも散々話題になったことだが、正当な批判も数が集まれば暴力になり得る。何か思うことがあったとしても『既に十分に話題として騒がれていたら言及を控える』、『悪意によらず過失や無知による行いであればトーンを弱める』などの配慮は当然に必要になってくる時代だし、それらを欠いて正当な批判をしただけと主張するのはナイーブがすぎる。
批判とキャンセルは距離が近づきすぎて区別がつきづらくなっているが、本来は異なる物であるべき
肯定派と否定派はそれぞれ批判としての観点、キャンセルとしての観点から事態を観察しており根本的にボタンの掛け違いがある
それぞれが今自分がどの立場から発言していて、また相手側の立場からどう見えているのか自覚的し、節度をもったインターネットの利用が求められる
陰謀論っていうのはありそうもない圧力を持ち出してきたりとか理屈が破綻してても気にしないからバカにされるわけじゃん?
今書いたのは社会における物理法則みたいなもんで、当然そういう作用が働くよなっていう自明のことをなるべく積み重ねて考えてみたんだけど。
あとそれぞれの立場にそれぞれの正義があるって思うので自分が絶対正しいとも思ってないし、あのMVは悪気がない分そこまて精巧でもないのでそういう風に突っ込まれるのは脇が甘すぎると思うのでまあそうなるよなって思う。悪気があるならもっとうまくやると思う。別にファンでもないしそこはどっちでもいいけど。
そういう自分の希望とか価値観とか関係なく社会的な物理法則の面から考察してみた。
増田がこの考察に対して陰謀論的なこじつけであると思う理由はなんだろうか?
逆に増田はコカコーラが判断したことを根拠にしてるけど、どういう理由でそう判断したのかもわかんないのに大企業の判断というものを盲信しすぎだと思う。
その方が陰謀論者ぽいと思うけど…
まあ大きな流れを動かしてるのはそういう卑屈な理屈だと思う。
あとまあそれが正しくないとも言えない。ある側面から見れば正しい。けど他の側面から見れば理不尽。なんで日本の私たちがアメリカの恥部にそんな気を遣わなきゃならんのやとは思う。ブラックフェイスは完全に日本人には関係なかった。日本には黒人奴隷を使った歴史はないんだから。
しかしまあ関係なくても人が嫌がってるのにあえてするならそれは悪意だし正しくない。正しさってそういう割と相対的だったり流動的だったりするものだと思う。人や立場の数だけ正義がある。あと強弱もある。
理不尽だけど間違ってはなくて、あるいはちょっと間違ってるけどなんかその方が役に立つとか、正しいけどそれは巡り巡って実は人命とか人々の生活なんかがかかってることがわかってるから無理だとか、いろんな理由があるけどそうなると最後はその正誤とは別に社会力学でどっちかに従わざるを得ない感じになることは私たちの日常生活から世界政治までどこにでもよくあることだと思う。
コカコーラは日本もそこそこあるけど結局アメリカが大きなシェアなのでそういうの捨て置けないのは当然だし、何が正しいか間違ってるかとか表現の自由だとか突っ張るほどの理由もここにはない。そもそもMVは何言いたいのかよくわかんねえし言いたいことなんか多分なかったし。
コカコーラという巨大企業に雇用される人たち全員の生活を守ることだと考えれば、契約一個切られたくらいですぐミュージシャン生命を絶たれるわけでもない人たちと天秤にかけても答えは明白だと思う。それもひとつの正義だとも言える。トロッコ問題ともいえるかもしんないけど。(あれにトロッコを脱線させるだとかそういう手段があったか?多分ないよね…)
余談でこれは私の想像だけど、多分担当者とミュージシャンの間で「ごめんねー、そんなに別に問題があるってほどじゃないと思うんだけど今こういうのあっちこっちうるさいからさー」とかそういう感じの会話があったんじゃないかって思ってる。大人って汚い!でもすごい気持ちわかる。私も大人だから。しらんけど。
あとはそれ見てそうかあれは悪いことだな!叩いていいやつ!ってなった人が、その理屈までは理解できないので自分なりに解釈してるんだと思う。
確かに理不尽なことは理不尽だし、そこに自分なりにも理屈をつけなきゃ叩けないし、まあ正義っていうものを理解したい、あるいは自分はわかってるって信じたいっていう欲求もあるのかもね。わかってないとこの世の中で生きるのは不安だし、だからみんな自分の中に世界のありようを認識しようとするし、わかんないことは想像で埋めたりする。正解かハズレかはさておき。増田のその問いもまさにそういった正義とか正しさとか何が間違ってるのかを理解したいっていう欲求から生まれてるのではないだろうか。
でもまあその前に書いたような、大体のことは社会の物理法則のようなものが人間を突き動かしてるよねとかそういう理屈がわかんないと、それはつまりなんでコロンブスがダメだって言われてるのかの問題提起への理解も足りなくなるので論理強度がいまいちで突っ込みどころ満載になっちゃうから、そういう人たちと話しててもわけわかんなくなると思うけど…
アメリカ人がここにきてコロンブス云々言ってるのも、BLMを経てアメリカの分断は国力を落とすってことを肌で感じたから、彼らの気持ちとか考え直さないとやばいってなってるからだと思うし(そして人間は群れることで生き残ってきた生き物なので、他人を思いやると脳汁が出て気持ちよくなるっていう遺伝子を持つ者が比較的多くてその快感を友愛や博愛、あるいは正義であると認識する)、その考えはアメリカ国民を守ることに繋がると考えればそれも彼らにとっての正義のうちのひとつだと思うし、それを咎めるようなことを言う理屈もない。正直そんな大昔にいたおっさんが何やったかなんかみんなどうでもいいんだけど、その扱いに自分たちの生活がかかってくるってなるから必死になるわけで、人が生きたいって思うことを誰が咎めることができようか?っておもー
お前の指摘は「ここは美化になっていない」とか「もっとこうすれば美化する余地がある」ってことだけど、それじゃ反論にならないな
「部分Aが美化になってる」に対して「部分Bは美化になってない」と言っても、部分Aが美化だという主張の否定にはならないだろ?
すでにお前は反論が成立しないところまで後退してるんだよ
つまりコロンブスたちは物質的には豊かでもモノを知らない猿を教えて指導してあげる立場なわけだ
植民地支配を正当化するために当時から利用されてたのと同じ構図だよな?
そういう構図を楽しげに描くことが結果として美化になったってことだ
俺は美化になってる理由をこうやってはっきり説明してるだろ?お前はそれを否定できてないよな
わざわざお前が持ち出してきたピアノのシーンをあえて取り上げて美化になってる理由を説明してやったんだから、お前もちょっとは頭使えよ