はてなキーワード: 橋の下とは
牛65頭殺傷の最凶ヒグマ「OSO18」 動物愛護団体らからの抗議でハンターが動けない不条理
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/articles/6ca9c24399ec6fef1bf53e1f1f9bc3181813bd82
「恐ろしくOSOは頭が良くて、日中はまず姿を見せません。なるべく痕跡を残さないよう河原ではなく川の中を歩いたり、舗装道路に足跡をつけないように橋の下を迂回(うかい)したりして、ハンターの我々にとっても難敵。それらしきクマが無人カメラに映るのも夜中の22時から午前2時くらいまでの真夜中なんですが、法律で日没から日の出までハンターは銃を撃てない決まりになっています。銃器で倒すのは本当に厳しい」
完全に人間並みの知能を持ってるじゃん。
ここに子育て中の人がいるか知らないが、これだけは止めておいた方がいいと思うことを書いておく。
私の両親は日頃から仲が悪く、小学生の時は週末になると毎日喧嘩していた。
親父は気に食わないことがあると大声で叫び、椅子を投げたりして壁に穴を開けることもあった。
母親は一歩も引かない性格なので、火に油を注ぐ状態で喧嘩はエスカレートばかりしていった。
そんな環境なので私は週末になると外に遊びに行くようにしていた。
家にいるとずっとピリピリしていて居心地が悪かったからです。
テストで頑張って点数とっても「それがどうしたの」としか言わなかったし、英単語をたくさん書いたノートを見せても「だからなに?」としか言わなかった。
子供ながらに褒めて欲しかったのだが、本当に何をしても否定しかしてこなかった。
◎お前は橋の下で拾った
冗談でも言って欲しくなかたったのだが、父親も母親も同じことを言っていた。
弟には一切そんなこと言っていなかったのに。
◎お前なんか産まなきゃ良かった
18歳の頃に病気になって精神的に病み、大学受験も失敗したせいか母親から「お前なんか産まなきゃ良かった」と言われた。
もういい大人なので昔のことで両親を恨んではいないが、人格形成に間違いなく負の影響があったと思う。
お前は橋の下で拾ったんだよ
「お前は橋の下で拾って来た子だ」ってのは毒親あるある、というのを先日見かけてぎょっとした。私が幼少期に言われまくってたやつだ。言ってたのは姉と兄。まだ2人が小学生とかで、私もそれを「そうだよなぁ」と受け入れていた。
ちゃんと同じ父と母の子どもだけれど、母の厄年に産まれたので、私が赤ん坊の頃にしたおまじない?厄落とし?の風習で、橋の下に一度捨てて、他の人(叔母がやってくれたらしい)が拾うというものがあった。多分捨てるといっても、そっと置いてるだけで、拾うのもすのすぐ後だと思うけれど。そうすることで厄が落ちるとかなんとか(詳しい由来は知らない)
そのことになぞらえて姉と兄はよく言っていた。2人とも幼かったので意味はよく分かってなかったと思う。あんまりにも頻繁に言われるので自分も幼かった頃は厄落としでされたことなのか、本当に拾って来た子なのか当時は曖昧な認識だった。
同時に、これも姉と兄にだが、よく大きくなったら家を出て行けとも言われた。うちは祖父母の家と敷地内同居をしていた。それぞれの家は姉と兄が住むから、お前は出て行けとのことだった。これを言っていたのも姉と兄だった。そのことも「そうしなきゃな〜」と子どもの頃は受け入れていた。結局その通りになったけれど。
多分どっちも死後にクソババアだったことが発覚した祖母(父方)の差し金じゃないかなと思っている。私(3人目)が産まれた時も母に「まだ性懲りも無く産むのか」といったことを母に言っていたらしい。大人になってから「それ嫁いびりじゃん」ってことにやっと気づいたくらい。母が何も言わなかったので気づかなかった。私たちが知らないところではもっとあったかもしれない。
実家を離れて15年以上経つけれど、実家に居た頃は仲が良い家族だと思っていたけれど、上で書いたようなこと以外にも幼少期の思い出や大人になってからの姉や兄の態度が「あれ?」って思うようなことが増えて来た。完全に見下されている。一番そう思ったのが、夫を結婚するので紹介するために実家に連れて行った時に挨拶もろくにせず一緒にご飯を食べているのに軽く無視。後に夫の容姿を2人でプークスクスしてたのも分かった。最低過ぎてそれ以来2人とは最低限しかやり取りしていない。
父は昔から仕事ばかりだったので大人になってからもあまり接点はない。母は可愛がってくれてるとは思うけれど、子どもの頃のことを母の前でも「橋の下で拾って来た」とか「でていけ」はよく言われてた。大人になってから、あれ凄く嫌だったと母に言ったら「そんなこと、あったっけ?」とまるで覚えてなかった。夫を無視された時も「お姉ちゃんとお兄ちゃんはあーゆー性格だから」と言われて終わっただけだった。思えばきょうだい格差も結構あったな…と思うといまいち信用できなくなってきた。
別に離れて住んでてたまに連絡するくらいなら害はないし、助けてもらうこともあるので、このくらいで毒親とかいいたくはないけれど、やっぱうちの家族、変なのかな
橋の下で拾われたんだもんな
じゃあ、かつて「チンポをしゃぶったことのある」男はどうなったかということを、これから書いていこうと思う。
女性やゲイといった、具体例がわかない人には【大島薫】という人の人生を読んてほしい。俺は彼ではないけど、男なのにチンポをしゃぶって、しゃぶられて、彼女だけをつくって、ちんぽでアクメして、されて、女とだけと結婚して、自分の子供が欲しいし、射精と前立腺の快楽を享受したかった、ということを書く。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%B3%B6%E8%96%AB
いきなりカミング・アウトすると、俺は「中年童貞で、益田界隈では(KKO)で結婚してはいけない、社会最下層のヘテロセクシャルなオッサン」である。それでも、かつてはバイ・セクシャルだったし、性の究極点を求めていたのだ。それが、なぜにヘテロ・セクシャルに落ち着いたのかを、つらつら書いていくことにする。今となっては、増田の「毛の生えたちんぽを舐めたい」なんて反吐が出るし、つまりはゲイ野郎も大嫌いだし、エロは「女に当然に中出し、漫画に至っては受精シーン」を要求する。それでも「中1までに男と女にセックスをして、ついでに男に掘られて前立腺刺激からの射精で気持ちよくなる」ということができなかった人生は後悔しているのだ。だから、元バイ・セクシャルの懺悔を書いていこうと思う。
ところで、俺もちんぽをしゃぶったことある。12歳ぐらいのときに、日能研に通っていた同期の男の子のペニスをしゃぶってみたんだよ。理由は思い出せないけど、受験で疲れていたからだと思う。彼はまだ毛が生えてなかった。その時は、包茎ちんぽを剥いて勃起させてハードにジュポジュポしてみて、途中で「ヤバいのがくる」からやめろって言われて、ストップさせられたから彼を精通させられなかったけどね。今となっては、もったいないことをしたと思う。当時はちょっと塩っぽい、カウパー腺の分泌液をもってして、他人のチンポってこんな感じか、と思ったものよ。いまとなっては、そこを超えれば精通させてあげれたし、他人の精液ってこんな味かと知る機会を失った。そして、増田の言うとおりチンポの感触は忘れられないのも、事実だ。
ただ、自分は当時、プラトニックな関係の彼女がいたのだ。それで、チンポをしゃぶったあとで後ろめたさはあった。ただ、匿名でこんなことを言うのはあれだけど、神に誓っても良い。チンポをしゃぶったことがあるのは、本当にこのときの1回限りだ。
そんで、中学受験の果に、中学に入って、当時はオナニーを知らなかったから、同期(♂)にオナニーの方法を「手コキされて」教えてもらって、あまつさえ別の同期(♂)に「フェラされて」抜いてもらったことある。いま思い出すと、キツネ目で女顔の中1男子に「いま、イッタでしょ?」ってニヤニヤしながら「手からドロっと滴るマイ精子をみせつけられたシーン」とか懐かしいし、そいつの無理やりシコシコする手コキは痛かったし、さらに別のヤツに「いきそう!」といった瞬間に激しくなったフェラは下手くそだったけど、おっさんとなったいま思うと、青春だったと思う。当時の「オイラのペニスはでかい」っていう噂を聞きつけて、何人かの男子にマイ・チンポを手コキかフェラで「抜いて」もらうイベントが発生した。概ね、施設か公園の多目的トイレに入って、まずはチンポをフルボッキさせるのね、お互いに。オイラのちんぽは中1で 14cm あって、しかも太くて、長さと太さで負けたことはなかった。なんだったかな、チンポはオナニーすると腹側が伸びるから、努力しろってアドバイスもらったけ?そんなこんなで、かぶと合わせしたり、触らせてー、舐めてみても良い?、となって手コキかフェラでシコシコしてもらって、オイラが射精したら、お開きというのがルーティンだったかな。そんなときに限って「あっ///」みたいな、こもった声が出ちゃうのだ。自分でシコるときには声が出ないのにね。そんなこんなで、男に手コキとフェラで抜いてもらう経験を、1年間で 6人に 10回ぐらいやってもらったのだった。
もちろん、抜いてもらった瞬間はすごく気持ちが良かったが、当然にイジメの対象になった。たしか、ちんぽデカ夫、とか言われたっけ? それで辛くて、『性』が嫌いになったよね。チンコがでかくて、ホモが近づいてくる、そんなヤバイやつというのが当時の俺の評判だった。女にも「ちんこでかいの?」「誰に抜いてもらったの?」と聞かれたっけ。どいつもこいつも「私(女)とセックスしよう」というやつはいなかったが。そんでもって、未だに童貞であるし、そのことに不満はないが、それでも後悔しているのが、男の同期にちんぽを尻穴に突っ込むか、突っ込んでもらって男色の世界を知ろうとするチャンスをロストしたことだと思う。当時は、絶頂の果てに罪悪感がマックスになっていただろうが、性欲マックスのあの頃にしかできないであろう、男のケツで射精するのはこんな感じであるとか、他人のチンポを穴に入れられると気持ちいいとか、あのときに知っておきたかった。当時は性欲でホモになるのが怖かったし、自分の子供ができるのも怖かった。エレクチオン・バトルしたあとに、自分の射精を終えたあとで「お礼に」ケツ穴を差し出せば良かったのだろうか。中高を通してヤリ目的の彼女はできそうだったが、ヤった後で振る方法がわかんなくて、デートが続かなかった。ヘテロなセックスは子供ができるのが、どうしても怖かったのだ。それに、小6のときの本当に好きだったあの娘と橋の下でキスしたあとに、無理やり押し倒してセックスをやれば脱童貞の果に、子供ができたとしても良かったのだろうか、という気持ちが「女に対する性欲」を打ち消してくれたのは、自覚的だった。俺は、今もあの娘のことが好きだ。消息は知らないし、今の俺に彼女を幸せにできる余裕はないが、彼女の笑窪はどうしても忘れられない。
中1までに性欲の向けた先の限界を知れば、のこりの中高5年間を勉強に突っ走り、その後の人生は安泰だったのかもしれなかったが、もはや KKO になってしまったので過去はどうでも良い。童貞ではあるけど、風俗店なんかに絶対に行かないのは、小6・中1のときの自分に戻って「タダで男と女にセックスできる」可能性が「自分にはあった」ので満足しているし、オッサンとなった今では「子供がほしいから女とセックスしたい」という気持ちだけが残ってしまったので、おそらく『今は』ヘテロ・セクシャルだろう。だから、増田のように「成人男子のチンポをしゃぶりたい」というのはわかんないけど、俺のような「若い頃はちんぽをシャブリ、シャブられた果に、ヘテロセクシャルなオッサンができあがるよ」というのは教えてあげたいと思ったのだ。だから、この駄文を書いている。
これからは、ヘテロ・セクシャルなおっさんが、男色に無関心となっていく理由を書いていこうと思う。今は、男性器が嫌いというか、少なくとも舐めたいとすら思わない。要は、他人のちんぽにそそられる理由が、年齢と比例して低下する根拠を書く。それなのに、相変わらずマンコは舐めたいし、ペニスでワギナに射精はしたいのだ。これはどういうことなのか?はやい話が、オッサンになったのだ、この俺が。
確かに、俺は小6のときに「毛の生えていない包茎ちんぽを無理やり剥いてフェラして、あと少しで射精できただろうという経験」は忘れられないが、今は全然に興味が無い。少なくとも、無料で、無罪で、日本がアフガンみたいな世界になっても「絶対にしない」と思う。なんというか、「あのときに」新品のチンポを舐めたという記憶が、性体験として自分の中では至高であっても、「ガキのチンポ?、全く興味ないよ」って言える。何故か?
たとえば、覚醒剤中毒者が「至高のエクスタシー」を知っているかもしれない。俺も、若いときには「それを知ってみたかった」のだ。だって、これだけ批判されるのに、彼らは消えないからね。ただし、逮捕は嫌だったから絶対に手を出さなかったが。でも、アナルなら逮捕されないらしいので、試してみることにした。芸能人にホモだから追放された人は、少ないからね。
それで、結果として、ゲイの連中も覚醒剤中毒者が主張するような、前立腺という「肛門性交は中毒性があって、ノンケであってもハマるし、知ってしまえばマンコはアナルに劣る」という主張が、無理だったことに気がついちゃったのよ。主に2つの理由で。
ひとつめの理由は、ホモになる努力、たとえば前立腺で絶頂することに投資してみたけど、巷で言われるほど気持ち良い体験が得られなかったのだ。デイルドーで突いてみたけど、ウンコと血が混じったものが出てきて、そりゃゲイは HIV にかかるわー、とすら思った。そして、受け側のゲイでも全員が肛門性交で絶頂できていないことが 5-MeO-DIPT という「ホモ御用達」の薬物が違法化された事件で明らかになった。つまり、被挿入されるゲイの連中は、実は全員が絶頂できていないことに、俺は衝撃を受けたのだ。ホモは嘘つき、ってね。
ふたつめの根拠は、俺はどう頑張ってもマンコが大好き人間で、マンコが気持ちいいだけでなく、次世代を生み出す「ゲイには絶対に提供できない」偉大さに気がついてしまったのだ。マンコは偉大。なんと言っても、男の俺が持ち得ない子どもを提供してくれるからだ。どうしても、ホモは妊娠できないからね。
まぁ、なんだ、自分が「ホモでは無い」ことは死ぬまでわからんと思うよ。俺もわかないし。俺も「ちんぽを舐めたい」と思ったのは、小6から中1までだもん。個人的には、冒頭のように「誰かを射精させて、精子を飲んでみたかった」時期がありました、ってことは事実だし、実際にやった過去はありました。今はヘテロ・セクシャルを自覚してるし、当時はチンポを舐めると「歓んでくれる」人が周りにいただけで、本当は「チンポが好きじゃなかった」ということに今はしている。それに、俺には、もう「チンポを舐めると歓ぶ」人がいないだよ。なぜかというと、俺はオッサンになって、もうチンポを舐める価値があると思える人は、誰かのものになってしまって、奪うと確実に「恨まれちゃう」年齢になってしまったのだ。それで、おっさんになった俺が「こいつのチンポをしゃぶりたい!」ってヤツと、俺に「こいつならチンポをしゃぶらせよう!」ってやつもいなくなったのよ。つまり、バイ・セクシャルの「男☓男」「女☓男」は、前者の方が早期にマッチしなくなるのだと気がついたのは、おっさんになってからでした。あ~あ。
というわけで、おっさんからみたら、「マンコ」が好きな男は、若いうちは「チンポ」が好きでも問題ない。そんでもって、おっさんになっても超越した性的経験で「オーバーライドされて、ホモセクシャル化」されることは、すくなくとも俺はなかったし、ネットではみかけないし、大丈夫なんじゃないかと思う。仮にホモになっても、子供がほしけりゃ、精巣に注射して、静止を取りだして顕微鏡で受精卵を作って、子宮に戻せば良いだけだ。ただし、産んでくれる相手がいたらな。
... 以上、つらつらとオッサンの後悔を書いてきたわけだが、結語として「もし俺が小6に戻れたとしたら、どう生きるか?」ということを書く。まぁ、そりゃ、小6のときにコンドームを薬局の自販機で手に入れて、あの日に橋の下でキスした後に好きだったあの娘を押し倒してセックス漬けの日々を過ごし、それと同時に塾では「浮気して」チンポを貪り食い、中学に入ったら小学校の関係を捨て、更にはアナルでイクことを教えてもらって、中高大はマンコするだけの彼女をつくってヤりたい時にマンコしつつ、その一方で発展場でアナルの皆楽を貪り、資格をとって社会的に安定を獲得し、ちょうど『バイ』な性欲が両立できなくなった頃に「子供がほしいから」という理由で『ヘテロ』セクシャルに転換し、若くて美人で貞淑な女性を娶る、って人生になったわけだ。それは、それで地獄だな、って書いていて思う。そして、そんなことしてたら愛の無い子供をつくるか、H*V 拡散者になってただろうから、しなくて KKO と言われても全く恥ずかしくない。でも、いま小6に戻れたら「男に与えられた、前立腺の歓び」と「男に与えられた、射精の悦び」と「男に与えられた、孕ませる喜び」の3つを全力で獲得しにいく。絶対にだ。
結論。男においては「男好き」と「女好き」は両立する。それに、「男好き」の対義語は「女好き」ではない。それだけは、理解してほしい。あとは、自分で考えろ。そして、後悔しない行動をとれ。なんと言っても、時間は巻き戻せない。
もうすぐ8月も終わる。こんな状況じゃなかったら海外に遊びに行ってヘラヘラしている大好きな夏だし、フジロックとかフェスに行って幸せ噛み締める大好きな夏なんだけど、全く夏らしいことをしていない。私の地域では未だにワクチンの順番が回ってこないから余計遠出なんかもっての外だと思う。でも旅行もライブが大好きだからどこに気持ちをぶつけようか?と思った瞬間、ある人を思い出した。
リゾートバイトで知り合った彼女は冬の間だけスキー場で働いてそれ以外は全部自転車で日本一周をしているそうだ。だから冬の間は一切お金を使わずに過ごし、春夏秋をスキー場で得た給料で過ごしているらしい。だから旅行中もかなりストイックだ。宿泊料なんか勿体ないからとテントを張って野宿をしたり、汗で蒸れるしシャンプーリンスの手間がかかる為坊主にしているらしい。大きい理由としては、悲しいことに単身女性が野宿をするのは男性と比べてリスクが高くなるが故に、ぱっと見ただけでは女性と認識しにくい坊主が1番理にかなっているということだ。全て自転車で移動するのでエコであり密を回避出来るので感染リスクを抑えながら旅行をしている。とキラキラした目で語ってくれた彼女だ。
私は彼女のような勇敢な行動を真似することが出来ない臆病者だが、話を聞いて彼女に憧れを持った。だから今日は日々の怠惰な生活からの脱出と少し生活の質を上げてしまったが故に元に戻れなくなってしまった自分に喝と矯正を兼ねて野宿することにした。目的地は家から20キロ先にある図書館。そこの図書館が1番勉強に集中出来るし、本も沢山あるので自分に教養をつけるのに適しているので明日の朝から図書館に引きこもろうと思っていた。近くには野宿出来そうな公園や橋の下などあるのは把握していたので星空を眺めながら考え事をしようと企んだ。そして今日夕方に先日修理代が1万かかった相棒の自転車と共に出発。プチ野宿だがワクワクが止まらなかった。しかし、30分後に雨が降ってきた。天気予報では晴れだったのに。色んな天気予報のサイトを見たのに。紛れもなく雨が降っていた。急いで目の前にあった百均に寄り雨がっぱを購入して、目的地へと急いだ。歳をとったのか記憶より道のりが遠く感じながら2時間後に到着した。しかし、思ったより静かそうに見えて人通りがあること、街灯が明るすぎること、雑草が生い茂っていて虫が大量にいること、そして何より雨が降っている。楽しみにしていた星空を見ることが出来ない。それでも野宿することに意味があるのでは?と自問自答を続けながらも「10分弱自転車を漕いだらネカフェがあるよ」と頭の悪魔が囁く。
そうだ。タイトル通り私は野宿に失敗をした。今はブランケットに包まりながら鍵付き個室のネカフェにいる。なぜ鍵付きにしたかというと今日は土曜日だ。フロントとドリンクバーに近いオープン席だとダーツやカラオケ目的で来た人達が大勢来ると思われるのでガヤガヤすることを見込んで鍵付きにした。最高に快適だ。しかし、野宿目的でここまで来たのに何故今ネカフェの個室でのんびりしているのだろう。意志の弱さに自分でイライラする。