はてなキーワード: 拍手喝采とは
Macを使ってるデザイナーが作ったデザインをウェブ(当時はXHTML+CSS)に起こすことをやってたけど、
そのマシンにしか入ってない&Mac専用品のフォントをデザインで使って、
それはXHTMLでは再現できないのでよく似たフォントで代用したら、デザインを完璧に再現していないと全リテイクになったことがあったなぁ。
仕方ないのでXHTMLで書くのを諦めて、デザイナーのイラレデータを細かくスライスして、各画像にALT文章を仕込むような作り方に変えたけど、
9割完成したところで、「区切り線を1px下にずらしましたので全ページ修正お願いします!」ってのが5回10回と発生したので、
そのうちめんどくさくなって、1枚画像を無加工で貼って、ホームページビルダーでイメージマップ貼るだけの作り方にして最終的に納品した。
検索エンジンからは本文がなにもない画像だけ貼ったページにしか見えないので、SEO対策としては最低最悪のクズ品質だけど、
嫌なら辞めろとそこら中で暴れまわった結果、
本当に嫌になった人が次々と辞めていき、今となっては厄介古参しか残っておらず、
その厄介古参が相互監視して運営批判を見つけたらただちに統括を行うような、
往年の日本赤軍関係者が見てもドン引きするような内ゲバ体質の過激組織になっている。
運営は批判的なユーザーを吊し上げ、訴訟とアカウントBANで粛清を行い、
それに対して艦豚さんは拍手喝采を送る、異常な専制独裁国家が築かれている。
やはり日帝を信奉するような艦豚さんは専制独裁国家がお好きらしい。
だったら別にあんなマゾゲーせずに、NIKKEとか、アズレンとか、アクナイとかやってればいいんじゃないと思うところもある。
メンタリストが生活保護叩きした時、一定の割合の人間が「よくぞ言ってくれた」「俺たちの代弁者」って持ち上げてたのを見て、
努力してなりあがったエリートの成功者が怠惰な底辺を「生きる価値がない」って断罪するのは、
日本人が求めてるエンターテイメントなんだなぁーと興味深く見ていた。
思い返せば、しかし、自民党議員が生活保護を叩いた際は、それ以上の数の人が批判者に回ったようにも記憶している。
エリートによる底辺への断罪と言う点では構図は一緒で、しかも議員と言うのは下手なYoutuberよりも幅広い人に支持されてその立場にいるのに、
昨日のジャンプ買った?
・ 「アイシールド21」という作品にはひとつの欠点もないと感じる信心深い人
増田もそう思ってるよ。嘘じゃない。
看過できない仕上がりだったとも思っている。
なのでここにその旨のお気持ちを記録しておく。
・今回の読切に少しでも思うところがあった人
・「アイシールド21」という作品全体を通じて積年の思いがある人
向けの内容である。
・筆者について
・はじめに
・読切のストーリーについて
・作画について
・まとめ
の順で触れていく。
あと言っておくが「アイシールド21」の21周年は心から祝っている。
おめでとう。読切企画を実現してくれた関係者各位、先生方、心からありがとう。
・往年のアイシールドファン。連載開始から最終話までリアルタイムでジャンプで読んでた
・連載後半は2ちゃんのアイシスレ見たりもしてた(本スレがアンチスレを兼ねる様相で当時はおどろいた)
かきおろし読切の制作が決定したという作者の告知があってからこの日をずっと楽しみにしていた。
完結して十何年もたった作品の続きが読める、
こんな奇跡はまたとない。
発売日、即ジャンプ買って読んだ。
………………。
昨日からSNSは「アイシールド21が読めて嬉しい!」といった歓喜の声にあふれている。作品名でトレンド入りもしている。
いちファンが作品に真剣に相対したいち記録となることを信じてせっせとこれをネットの海に流している。
まずあの話、どうでした?
…とは思えなかった。
というか読切では当然のように「ヒル魔とセナ、双璧のW主人公」みたいな雰囲気が醸されているのだが、
という確認がなされないまま作られている印象だった。
ヒル魔というキャラクターが大いなる魅力や影響力をもっている、そのこと自体に異論はない。
彼の求心力とある種のカリスマ性が、読者並びに各種ファンダムを今なお牽引していることにも異論はない。
(原作者が格別の思い入れを注いでいることにも、この際異論はないものとする)
それでも、少年漫画としての「アイシールド21」に考えをはせるなら、第1話の構造からいっても、
この物語は「アメフトを通して描かれる小早川瀬那の成長譚」でなくてはならないはずだ。
……にもかかわらず、本作はそこをぶらしていった。
連載半ばから、ヒル魔は悪い意味でどんどん主人公化していった。
そしてそれが改善されていないどころか、全面化していたのが今回の読切だった。
思えば、最終話の落としどころはまだマシだった。
セナの結末とは別のレイヤーで、ヒル魔の着地点を描いていたからだ。
最京大・炎馬大・バベルスという別の進路をとり、三国志の道を選ぶ。
ここの3人が対等なライバルとなる結末は、
にもかかわらず読切で披露されたのは
「セナvsヒル魔、NFLにいくのはどっちだ!?」対決………って、
武蔵と栗田の立場がなさすぎて、あんまりじゃないのか????????
(※さらに言うなら武蔵に至っては読切に影も形も出演がないの、本当にあんまりだったと思う。回想の円陣にもいないとはいったい…。
※この点について「読切から興味をもった読者に武蔵の存在を伏せたかった・ネタバレを防止したかったからでは」という擁護意見も目にしたが、
そうであるなら円陣では後ろ姿で顔が見えないように描いたりすればいいだけだし、現在軸の観客ポジションにはいてもいいはずである。
読切の大筋を
という骨子にするのならせめて
セナ率いるドリームチーム vs デビルバッツ創立時メンバー3人が再結成するドリームチーム
…みたいな構図にはできなかったものだろうか。
さらに「AIをしのぐのは人間の勇気」みたいなテーマを(是非はともかく)導入したいのだったら、
半端にセナを主人公とせず、いっそいさぎよく「読切なので主人公はヒル魔です。セナは脇役として登場してもらいます」などとして構成してしまうほうが、
まだ「作者のエゴ」と「読者」と「読切作品としての完成度」、すべてに対して誠実な仕上がりをみたのではないだろうか。
このあたりの整合性のとれていなさ、ちぐはぐさが、読み味の違和感、納得感の薄さにつながっているように思う。
(※余談だが、アイシールドがスポーツマンガとして傑出している点であり特色のひとつに、
「天才と凡人」というテーマを残酷なまでに描いているところが挙げられると思う。
それを思うと、読切からその要素が完全に排除されていたのも惜しむべき点だった。
その意味においても、読切では
「身体能力においてはある種の天才であるセナと、今度はそれに挑む身体的凡人ヒル魔」
といったふうにセナとは別の視点≒ヒル魔視点から描いてしまうほうがいっそ面白かったんじゃないだろうか。
原作者のヒル魔描きたい欲も、キャラファン読者の需要も両方満たされただろうし
本作の新たな面を見せることができたんじゃないか、等々。
後述するが、原作者と編集者はそういった検討すらしなかったのだろうか)
「セナvsヒル魔の試合」という今回の読切が、アニメ最終話の追認に近いものになってしまっていることにも絶望しかない。
アニメのアイシールドはあらゆる意味で筆舌尽くしがたい出来栄えなのだが、満を持した読切がそれと今さらカブるって、そんなことがあっていいのか。
村田先生、みんなご存じ、少年漫画界屈指の超絶技巧ハイレベル画力の持ち主。
すなわち『ワンパンマン』のようなアップデートされた村田先生の作画で、
…というファンの期待は儚くも裏切られた。
今回の読切の作画、
……そうか……。
初期からずっと絵がうまくて、
どんどん画力が凄みを増していって、
20巻あたりになってくると最強に脂がのってきて、
強いこだわりや作品愛を感じられて、
あのすばらしい絵が、だいぶ淡泊でラフな方向へ変わってしまった、
そんな、あの頃の絵柄…
遠くにいるキャラには顔描き込みさえなく、
そんな、あの頃の絵柄…
それを誰も指摘しないままジャンプでお届けされていた、
そんな、あの頃の絵柄………
…………そうか………。
掲載日もガチガチに21周年に合わせているわけではなさそうだし、
読切制作告知はずいぶん前に行われていたし、
そんなこまごまとしたミスをチェックして修正する手間すら…惜しかったのだろうか。
もしや、アイシールド、描きたく……なかったのだろうか。
憶測にすぎないけれど、したくもない想像が膨らんでしまう作画がただただ悲しい。
なぜこんなにも失望感が大きいのか。
失望感を覚えるということは、
そもそも「アイシールド21」という漫画に何らかの幻想を抱かせるような霧でもかかっていたんじゃないだろうか。
その正体は何か。
理由をたどると「原作・作画の分業制でつくられた作品であること」が挙げられると思う。
そもそも、原作者の稲垣先生のほうはそこまでキャラの扱いに手厚いタイプではないと見受けられる。
かと思えば突飛なタイミングで再登場させたり、
桜庭のアイドルヘアや阿含のドレッドをある日突然無慈悲に剃り上げてファンを阿鼻叫喚の渦に叩き込んだり等々
(事実アイシ、ドクターストーン、トリリオンゲームと3本つづけて大ヒットを飛ばしている優れたストーリーテラーであるわけだし、どれもとんでもなく面白いし)
バックボーンを想像させる表情や振る舞いなどの魅力を付与して、
色んなキャラの色んな一面を描きまくってくれた。
別冊として出たデータブックでは各校の全チームメイトの顔カットを100人単位で書き起こし、
人物紹介には毎巻のように「ウォーリーを探せ」のようなぎっしり楽しい一枚絵を用意し、
神龍寺戦完結巻にいたっては、カバー絵などの余白をフルに使って、
アイシはただストーリーが面白い・アメフト題材に新規性があるというだけではなく、
そういう層のファンを獲得したという意味でも、商業的な成功をみた。
これは原作・作画別れているからこその、やや特殊な事例であると思う。
それは村田先生が魔法をかけてシナジーを起こしたキャラなのだ。
そして時を経て、魔法は解けていった。
何かのきっかけで、のっぴきならない理由で、本作を作画することへの情熱が失われてしまったのかもしれない。
読者にそれを知るすべはない。
ともあれ、作画による丁寧なフォローや補足はされなくなり、ありし日の熱量は失われ、
原作がある意味むき出しとなった結果が、連載終盤のアイシールドともいえる。
読切でも、魔法は解けたままだった。
そのことが残念でならない。
長々と書いてきたが、ぶっちゃけ少し真面目に作品に相対していればこのくらいのことはいくらでも思い浮かぶはずと思う。
なのにお出しされてきたのは、
そういう出来栄えの読切だった。
これに関して「編集者何やってんだよ」という視座を欠くわけにはいかない。
読切をつくるとなって、まともな打ち合わせの一つもしなかったのか?
批判されている点は?
少しリサーチすれば情報や感想は玉石混交いくらでも掘り出せるはずだ。
それを作品化するとして、最良の形とは?
精査していればもう少しブレや迷走は防げたはずだ。
編集者は作画クオリティ面にまでは口出しできないかもしれない。
にしても、あきらかな作画のミスを校閲し指摘することはできるはずだ。
「どうせ手を抜いたって、愛がなくたって、ファンなら喜んでジャンプを買い、涙を流してありがたがるだろう」
と、作品の知名度にあぐらをかいた編集部によって読者全員がナメられていること、
それが記念読切から透けてみえてくることが、作品を愛読してきた者として慚愧にたえない。
期待は捨てているけれど、改めて言いたい。
そして少しでも反省したなら俺らに誠意を見せてくれ。
すなわち、ファンもアンチもぐうの音も出ずに拍手喝采してしまうような、素晴らしいクオリティに練り上げた「アイシールド21」短期集中連載とか企画してください。金とアンケートならいくらでも出します。わあわあ言うとりますが未だにアイシールド大好きなんです。よろしくお願いします。ほんとマジで。
今熱々の横浜家系ラーメンの大盛りを、頼んだものの多すぎて「こんなに食べきれねえよw」ってなりながらもなんとか胃に収めて、お腹パンパンの状態で暖房ガンガン効かせた部屋でこれを書いています。
避難所での生活ももう二週間になろうとしておりますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。暖かい部屋から眺めていると、避難所って結構楽しそうだなあって思います。なんだか非日常感あっていいですよね。お花見とかピクニックみたいで。
正直、私からしてみると、ネトウヨさんの思考回路が全く分からないんですよね。だって、ネトウヨさん方が蛇蝎のごとく嫌っているはずの韓国発祥のカルトであって、日本をエバ国と定義し、滅ぼすべきと言う思想を持つ統一教会と深い関係にある自民党を擁護してきたわけじゃないですか。まったくもって反日的と言わざるを得ないような団体とつるんでいた自民党を叩かずに支持してきたその思考回路、私にはまったく理解できませんが、とにかく「安倍」「自民」に対する忠誠心のようなものを持っているのかなと、私なりに解釈しております。
さて、災害から13日たって岸田首相がやっと現地入りする様子ですが、その間、道路も復旧せず、物資も届かず、反日パヨクのヘリを使えと言う意見も冷笑的に受け取られ、現地には人手も物資も足りていないと報道されています。私がそんな目に合わされたら憤激するでしょうが、自民王国石川県のネトウヨさんたちはきっと「自己責任」「まずは自助」の精神で日々を過ごされているのだろうと存じます。民主党政権下の東日本大震災の時はあっという間に道路の復旧が完了しましたが、どうやら能登のような半島で地震が発生して道路が寸断されてしまった場合、ネトウヨの皆様が大好きな自衛隊はもうなすすべがないらしいので、ヘリではなく人力で支援物資が到着するまでいましばらく避難所でごゆるりとおくつろぎください。
ヘリと言えば、自民王国石川県の星である馳浩知事が、発災から5日目というタイミングで「ヘリで物資を運ばなければならない」ということにいち早く気付いておりました。まさに慧眼であります。その後、6日には迅速に緊急事態宣言を発令。この素早い対応には避難所のネトウヨの皆様も拍手喝采であっただろうことは想像に難くありません。とはいえ、X(旧Twitter)での識者たちの意見によりますと、「被災地にはヘリが着陸できる場所がない」「物資投下も空挺降下も危険」とのことであります。悪夢の民主党政権下では自衛隊の神テクニックと称して危険を顧みない小学校屋上や病院屋上へのヘリ着陸を行っていましたが、やはり皆様が支持されている自民党政権は堅実だなあと思います。やはり、原発にヘリで水をかけるかのような必死な行いは冷笑に値するということですね。できない理由を一つずつ大事にしていく自民党政治こそが政治の常道だと。その間自分たちがどれだけ飢えようが凍えようが疲労が溜まろうが、「まずは自助」というわけですね。さすが自民王国石川県だと頭が下がる思いです。
私としては、安倍晋三のように公文書の改ざんや統計の偽造、様々な裏金や公職選挙法違反のようなことを平然と行う人間や党は国民のための政治を行うわけがないとして倒閣運動に邁進しておりました。しかし、皆様自民王国石川県をはじめとする多くのネトウヨの方々は「消去法で自民」「野党が頼りない」として私の意見を退けておりました。こちらとしては自民党政治への警鐘を鳴らしていたつもりなのに、全く手ごたえがなく愕然とした思いもしましたが、今避難所で優雅に避難生活を楽しまれている皆様を暖房の利いた部屋から拝見して、蒙を啓かれた思いです。なるほど、こんな僻地に住んでいたのは自己責任なんだから、国を頼るべきではない、まずは自助その次は共助だと。最初から覚悟が決まっていた方々からすれば、私の警鐘なぞただ単にうるさいだけのものでしたね。安倍政権下から年々、自衛隊の防衛費は膨らむ一方災害対策費を削られている件に関しても、地震なんかよりも北朝鮮のミサイルの方が脅威だというわけですね。勉強になりました。
さて、もしこの文章を避難所で読んでいる方がいらっしゃったら、ぜひお近くの方々にも見せてあげてください。哀れな反日パヨクの非見識をご笑覧いただければと存じます。一人でも多くの避難所の方に届きますように。私はこれから暖かい部屋でスプラトゥーンをしないといけないのでこの辺で失礼を。
ご苦労さん。
えっと、ブコメでも「不謹慎」「通報しろ」と怒りの声が上がっているようですが、なぜなのでしょうか
具体的に不謹慎な文言ってどれだか指摘してもらってもよろしいですか?それこそブコメにあるような「自業自得だ」「苦しんで〇ね」のようなことは書いてなく、むしろネトウヨの方々の崇高な精神を称賛しているつもりだったのですが
なぜ怒っているのですか?その怒りの矛先は本当に私でいいんですか?避難所で苦しんでいる人々が多いのであれば怒りの矛先を向けるべきは当然日本政府ですが…「まずは自助」「自己責任」精神を持つ保守王国石川県のネトウヨの皆さんは政府に対して文句を言うことはきっとないんだろうなあと思った次第です。この期に及んでなお日本人は滅ぶべきとする統一教会とべったりだった自民党の方が民主党よりましとおっしゃる方々の気高さにはおみそれしましたと言ってるだけですが、もし仮にさすがにもう民主党よりましとは言えないのではないかとおっしゃる方が避難所にいらっしゃるのであれば、言いたいことは山ほどありますが、それらをオブラートにぐるぐる巻きにした上で、それは少し気付くのが遅かったですねぐらいのことは言わせていただきます。こちらとしましても、ネットの言論空間におけるネトウヨさん方の多勢による論点ずらしやレッテル張りなどでさんざん煮え湯を飲まされてきていて、心中穏やかなわけないので。イラついてないとでも思ったか?私はリベラルのつもりなんて全くありませんが、どうせそう解されてそうなのであえて表現を借りるのなら「リベラルはお前のパパじゃない」というのが心情に近いですね。おっとこれは民主よりましとは言えなくなった方がいらっしゃった場合の仮定の話ですのでお間違いなく。自民王国石川県のネトウヨの方々は今も気高く「自助」「自己責任」で避難所生活をおくってらっしゃるはずですので。
まさかそんな方は自民王国石川県のネトウヨの中にはいらっしゃらないとは思いますが、もし盲目的に自民を支持してきて今痛い目を見たと思ってらっしゃる方がいらっしゃるのであれば、最後に一つだけ付け加えるなら、次の選挙ではその反省を活かせればいいのではないでしょうか。
昔々、ある森の中で、ビュンビュンという名のウサギと、トカゲという名のトカゲが住んでいました。森の動物たちは平和で、お互いを敬愛する精神で暮らしていました。ある日、森でトークショーが開かれることになり、ビュンビュンとトカゲも興奮して参加することにしました。
トークショーの司会者は、帽子から覗く瞳が印象的なカメでした。舞台では様々な話題が取り上げられ、ビュンビュンとトカゲも自分たちの思いや考えを披露しました。しかし、トカゲは1勝もできず、舞台から去るときには少し悔しそうでした。
すると、突然の出来事が起こりました。舞台袖でビュンビュンが気絶していると、トカゲが近づいて手を差し伸べました。徳と筋肉を兼ね備えたトカゲは、思い切りよくビュンビュンを起こし、その後には力強い言葉をかけました。
「1勝が遠いと感じることもあるさ。でも大切なのは、諦めないこと。君は素晴らしいんだよ。もう一悶着あっても、きっと克服できるさ」
ビュンビュンはトカゲの言葉に励まされ、再び舞台に立つことを決意しました。そして、次のトークショーでは、彼は驚くほど素晴らしいパフォーマンスを見せ、会場は拍手喝采に包まれました。
帽子から覗く瞳のカメ司会者も感激し、「やっぱりそこが一番注目されるべきだったんだ!」と舞台上で宣言しました。ビュンビュンとトカゲの友情と助け合いの精神が、森の中に広がり、みんなが共に幸せな日々を過ごすこととなりました。
高島屋のクリスマスケーキ崩れにブコメ「ケーキの配送って元々無理がある」
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2281003
今回は訂正されて順位逆転されてるけど何かあるとすぐブコメは「仕組みに問題がある(仕組みで解決しろ)」と言いがち。
IT屋さんの発想なのかな?
一見正論で理想的だけど現場や現実を知ってるとトンチンカンだなーと思うことがほとんど。
そもそも問題に詳しくないのに何かそれっぽい解決策をコメントしようとするのが良くないんだよ
「誰も解決できない難問に俺が鮮やかな答えを提示して皆が拍手喝采」
【追記】
なんで「なら精神論がいいというのか!」みたいな反応になるんだろ。
でも現実にかかるコストも要件も無視してるんじゃ机上の空論でしかないよねって話。
なんていうかリスペクトがないんだよね。
何の話かと言えば、今回のトランスジェンダー否定書籍?の出版中止騒動である。あれを「表現の不自由展」を歓迎していたネットリベラルがこぞって賞賛している点である。
自分はどちらかと言えば保守寄りな人間である。ネット右翼には辟易とするが、とはいえあんまりリベラルなのも好きではない。「表現の自由」と言ったって程度はあると思う。
線引きがあってもおかしくはない。
とはいえ、「表現の自由」を標榜することの重要性は理解しているし、それを掲げるリベラル的なスタンスは世の中には必要だと思う。「表現の不自由点展」というのも、
好きな題材ではなかったが、「まあそういうスタンスがあってこそ、世の中全体でバランス取れるよね」とは思っていた。
原子力発電所だって稼働すべきだと思うが、「原発立地地域に寄りそおう」というスタンスは理解できる。甘ったるい理想論だって、時には世の中に必要だ。
なので、今回、「表現の自由を標榜する側」であるリベラル層が、出版中止を拍手喝采して、なんなら必死に擁護をしている様を見て、愕然として、失望してしまった。
おまえらの掲げていた「表現の自由」とはそんなに薄っぺらいものだったのかと。
前述した通り、「表現の自由」だって限度はあると思っている。例えば、エログロの度合いが度を超えていて、明らかに全年齢に有害な作品だったら取り締まるのは分かる。
黒か、限りない黒に近いグレーまではまあ取り締まられてもしょうがない。
でも、件の書籍はそこまで黒に近いグレーだったのだろうか。出版されていないし、原著を読むほど熱意もないが、伝え聞くところによれば、まあ確かに問題のある書籍っぽい。
だが、取材方法に問題のある書籍や、ある程度偏った認識に基づいて書かれた書籍なんて、山のように転がっている。なんならちょいちょい山手線の電車広告にだって掲載されている。
技術的な観点から見れば、件の書籍よりもっと有害で、タチの悪いデマが書かれた書籍だってあるだろう。例えば、明らかにデマだとわかる医療系の話題を扱った書籍は悪質性が高いと感じる。
がんの標準治療を否定するなんて、人の生死にすら影響するし、残された者すら不幸にする。詐欺に近い形式の新興宗教を勧める書籍だって、褒められたものではない。
私達は、直近、問題のある新興宗教が及ぼす社会的な悪影響について目の当たりにしたばかりである。
そういった書籍ですら出版中止されないし、出版中止に向けた運動などが特に起きているわけではない。にも関わらず、今回の出版中止騒動である。
客観的にみて社会的に悪影響の多い書籍を差し置いて、「ネットリベラルの主張と相容れない書籍」が出版中止になり、あまつさえネットリベラルの方々がそれを賞賛したり、擁護しているのをみて、
正直うんざりしてしまった。あなた方の標榜した「表現の自由/不自由」とはそんなに薄っぺらいものだったのかと。
「自分の主張と相容れようが相容れまいが、表現の自由だけは金科玉条である」という話ではなかったのかと。
もちろんTwitter上を見ていれば、色々な擁護や釈明が書かれている。大筋でまとめると「世の中、どんどん悪影響の多い言説がはびこっている。だからこそこの辺で線を引かなければならないのだ」という主張だと理解した。わからないでもない。でも、その言説の前提には「自分は、世の中にとっての絶対的な良い/悪いを正しく判断できる」という驕りがあるように思う。
自分だって、少し前の段落で「やれこの話題は悪質だ」「ほれこれは悪影響だ」などと批評している。批評自体は悪いことだとは思わない。と同時に自分の批評が「絶対的に正しい」とは思わない。
自分は、「世の中で絶対的に正しいのは数学くらいだ」と思っているが、その数学だって、前提を変えれば、それまで成立していた公理が成立しない空間を規定することができる。
ましてや、社会的な言説なんてのは、その前提が各自の価値観に根ざしているので、絶対的に正しいはずがない。ところ変われば品変わるし、「自分が絶対的に正しく価値判断ができる」などとは絶対思えない。
だからこそ、多様性やら表現の自由やら、自分以外の価値観を許容することが必要なんだろうな、と常々思っている。
その「表現の自由」というものを、今回、元々標榜していたはずのネットリベラルが放棄してしまった、ように思う。
自分たちは正しく善悪を判断できる、と信じているのだろう。しかしその態度は、とりもなおさず、元々彼らが大事にしていたはずの多様性や寛容を否定する態度だと、彼は気づいているんだろうか。
気づいているなら傲慢で一貫性がないし、気づいていないならただただ浅慮だ
問題を問い詰めるべき記者が問い詰める相手の言動に乗せられて同じ記者を攻撃するとは一体何事か
ジャニーもこんな低脳記者共が相手ならさぞ犯罪がやりやすかった事だろう
お前らが権力者をつけあがらせ、犯罪者を図に乗らせる一番の屑だ
全員の顔と名前と所属を明らかにしてもいいくらいあの拍手は酷かったぞ
あの場には海外の記者も居たわけだがそいつらからどう見えたと思う
特にジャニーの件はBBCの報道から海外でも注目が集まってるのにその場であんな拍手、もう考えられん馬鹿さ、幼稚さだ
「ジャップの低脳メディア、性犯罪隠蔽企業に拍手喝采。自称先進国の実態露わに」
今回に始まった話では全く無いのだろうけど、中立~対立側の立場の人間から自分の行動がどう見えるか、どう言われるか、という外面の部分を考えられてなさすぎる。
今回の件が社会的に許されざる問題で十分に追求される必要があるのも全く同意するし、その前提を踏まえて1メディア1質問というルール自体に疑義があるのもまあわかる。
わかるのだが、現実問題として会見場や関係者の持ち時間、あの場に集ったメディアの数、諸々加味して考えれば現実的にそれぐらいの制限をつけざるを得ないのは納得できる範疇の話でしかない。
そこを忖度してやる義理はない、最大限時間を確保するべきだと言いたいにしても、それは後から記事や報道の中で指摘するとか、それと合わせて追加で質問状を送ったり追加取材に行くなりして継続的に問い詰め続ければいい話であって。
少なくとも、同じ場に集った上で、場の状況を乱さず時間を無駄にせず、まともに質疑応答に参加していた他メディアや、それを通して会見を見ていた多くの視聴者の時間を奪うような形にしてまで自分ルールで動いていい……ということにはならない。
周囲との扱いの平等性とか対応する側のリソースとか、そういうことを一切考えず最大限のサービスを一方的に要求しているあたり、クレーマー気質の動き過ぎて、普段の生活で遭遇するその手の輩と被って印象が悪い……と感じる人、結構多いと思うよ。
まして、今回の件は被害者・加害者の構造がかなり入り組んだ問題だし、直接の加害者(=絶対的な悪)はもう死んでるし、その後継者は不出席な上、追加情報で被害者性を強調することに成功した直後だった(こういう言い方も嫌だが)。
総合的に考えて、今回の会見における記者側は「社会悪を攻撃する正義の記者としてズバズバ突っ込んで拍手喝采」……というような形を一方的に取れるようなポジションでは明らかになかった。
そこを無理押しした挙げ句、結果的には「ルールを破る記者」対「上手く受け流して場を収めた現ジャニーズ側」の構図で報道されるような形にハメ込まれて、というか自らハマりに行って、自分の印象をますます落とすような形に持ち込まれた。
本人の指摘している内容とか主張がどうとか以前の問題として、一般人の目線なんて主張の内容よりはまず「印象」が先にあるわけで、その点で例の記者は自分の「印象」を把握したり演出したりするのが下手すぎる。
あの場でああいう立ち回りを取ることで、自分がどう見られるか、どういう報道のタネにされどういう印象がつくか、それを通して自分の記事や報道内容がどう見られるか……を考えられていない、というのが記者として一番深刻な問題じゃないかと思う。
自分が好きだったライブコンテンツがひとりでにどっか行ってしまったという話。
基本的にお気持ちがベースの感想であるので、アレルギー症状をお持ちの方はブラウザバックなり、閉じて頂くなりが幸せに生きられると思う。
私的には世の中には自分が傷ついてまで見る事は無いというのが全てで、何でも見えるネット時代だからこそ、何でも見てしまうよりは知らず生きる幸せをかみしめてほしいと思う。
お気持ちベースで書き鳴らしているので場所によっては乱雑な文章が取っ散らかっている所がありますので、ご容赦下さい。
正確には私も私で時計の針を一歩進めてしまい、どこかへ歩んでしまったが為に私にも原因の一端があるので、
キモオタクの単なる戯言だと思って聞き流してほしい。むしろこのような記事を時間を割いてまで見るべきではないと思う。
世の中にはこういう意見もあるのだなあと思うならばそれは引き止めませんが、結果や貴方の健康までは保証しません。
九月の頭、愛知県での事だった。片日だけのチケットを握りしめた私は高く飛び過ぎたイカロスのように叩き落されてしまった。
片翼では飛べなかったのだ。それも一番最後にだ。私を好きなら今すぐ来てねという声を聴いたっきり、私は明日また会う事が出来なかった……。
…と、いう事で片翼のオタクの戯言を聞いてほしい。私は1日目しか行かなかったので1日目の演目の下、話を進めようと思う。
これは全てのコンテンツライブに言えるが、1日目と2日目が同じタイトルな以上は、両日お互いに対して余計な負荷を掛けたり文脈を持たせるのは間違っていると思うからだ。
同じタイトルである以上、両日はツアーの大トリで無い限りはどちらにも重きを置かずにある程度はその日だけでも楽しめる演目を組んでいただけるとありがたいと筆者が望んでいるからである。
これは、全ての人間に言えるかもしれないが、仕事などの都合がつかずに、或いはチケットの都合上、片日しか行かれなかった場合、翌日に対して意味ありげな演出をされても困るので、
そういう意味では翌日に負荷をかけるトリの演目というのは好ましくない…と思っていたのだが…。演出家は検問所にある計測所において過積載で捕まる心配をした方がいいと思う。
ただ、同タイトルであれ、二日通しでお楽しみ頂けるように組んでいくのであれば二日通し券があるべきなのでは…?と思う。折角チケット先行用のプレミアム会員もあるのに…。
と、いうのがまずはお気持ちの一つ。まあ、ゲームでは毎日会えるので不健康なオタククンはおうちでブルーライトと仲良くしてなさいと言うならばその通りに受け止めるが…。
何曲かは過去の同地で行ったウケの良い演目をオマージュしたいのだろうか、そういう選曲がなされているのは理解しているが、
余りにも毎回やっているのでそろそろ飽きが来たこと、そしてどうせこの曲が来てしまうと言う展開が読めてしまう事に一つある。
特に本年の愛知公演でも1日目13番目の演目は、一昨年に行われた同地前回の2日目に出て来ていて、更に遡ると名古屋市内の公演でも披露していて、
土地=楽曲が著しく結びついて意外性という面白味に欠けると筆者は考えているからだ。方言キャラは多くないのに曲に地域性があるらしい。凄く奇習だと思う。
近年は意外性を売りにしているコンテンツライブだと筆者が受け止めていたばかりに、楽曲が予想の立てられるものでは非常に面白くないという話でもある。
1日目を取っても5曲ほどは過去2年で同地で行われた楽曲が含まれている。なんと演目の約20%だ。降水確率なら雨の心配をするレベルでもある。
思い出話をしたい人には良い話だが、わざわざ遠征までして見たものが過去の焼き直しというのはまったく面白くない話だ。家で円盤を見た方がマシだろう。
それならば百均で売っているHIT曲のコンピレーションアルバムを買う方が安上がりだと思う。実に100分の1の値段で済むというから良心的な話だ。
当コンテンツには――――税と呼ばれるまでに高騰化しているチケット代という概念が既にあるのに、更にコンピレーションアルバムを流されているようでは溜まったものではない。
特に先ほどの13番目の曲はコロナ禍前にも同地域でやった事がある演目が故に、特に薄味として印象深い。5年で3公演に顔を出している。皆勤賞狙いか。
他、強いオマージュを感じる公演としてコロナ禍前最後の大阪での公演の事を強く思うが、今回の28曲の内3曲が被っている。概ね300曲を超える曲数のコンテンツライブとは思い難い被りようだ。
内一曲は演目の場所といい特殊バージョンのイントロといい強くオマージュを感じざるを得なかった。この曲の起用方法に関しても少し思うところがあるが、少なくとも思い出は思い出でじっとしておいて欲しかった。
もっと曲数が少ない所でももう少しいい組み方をする所はあるし、過去の演目同士を切り貼りしてもキモいフランケンシュタインが出来るだけだと思う。これからパッチワーク教室でも開くなら是非頑張ってほしい。
ここのコンテンツのファンは熱心なファンが多く、機会均等法を声高に叫ぶファンが大変多い為しっかり起用に応えてくれたのはある種一つ良かったと思う。ここだけは評価している。
ただ、その陰でこのコンテンツが元来持っていた時に人を傷つけるような美しい鋭さは失われ、特に機会が均等に機械的に割られただけで、
センターの回数までは気が回って居なかったり、楽曲が持つイメージを損なってしまったりしていた演目があったのは一つ残念な点として深く印象に残った。
出場機会の均等を図るくらいならば偏りがあってもセンターをしっかり廻すべきだったと思う。私が応援していたのは果たしてアイドルコンテンツだったのか…?と疑問に思ったくらいに。
あと、楽曲が持つイメージを損なったという点では意外性のある選出やキャラクターの新しい一面を見る為の科学反応の為の選出ならば目を瞑るが、
三角形をイメージした楽曲に6人投入するのはどういう意図なのかは掴みそこねた。六角形は半分にしても三角形にはならないというのに。
こういう滅茶苦茶な演目の組み方をする事が近年の公演で増えており、イメージ先行でのみで組んで、歌詞の割り振りなどの子細にまで目がいかなくなってしまったのかと悲しみを感じる。
どの演目とは言わないが2人がユニットでの相方や一人からの選出に対して、残り一人が公式で絡みがあるだけで特にユニットが組まれた選出ではなかった演目があり、個人的には疑問に感じた。
もしその人の推しであるならば大変申し訳ないのだが、あくまでも公式として謳って出しているものが非公式的に近い事に対しては納得がいっていない為である。キャラクターや演者に罪は無い。
そういったこともあり、深い意味合いで文脈が無くなってしまったが為に演者サイドからのサインを受け取るのも難しくなった。魔法が解けた灰被りのお姫様を見ている気分だ。
私らは吊るされた男ではなく一端の魔術師としてこのコンテンツライブを見に来たつもりなんだけどな…。運命の輪というのは時に残酷なカードである。
結局大きなコンテンツと言うのは人数を収容しなければならない以上、場所を選んでしまうので多少仕方がない事ではあるという事は理解しているがやはり平面と言うのは…。
そもそもハコを見て応募を辞めようとも思えばいい事だというのは重々理解しているが、それはそうとして推しが出ている以上は行ってみるか…と応募したがばかリにこれを強く思う。
と言うのも筆者は身長が約150cmしかなく、とてもではないが前方席を引かなければ170cmや180cmなどの有象無象に埋もれてしまう事に一端があるとしても、多少手心があれば…と。
厚底の靴などで身長を積み増せばいいとは思うが、今回のハコは大変僻地もいい所の絶海の孤島なので動きやすい恰好が望ましいと思った次第でどうにもこうにもならなかったというのが一つ。
是非よろしければ低くなって頂ければありがたいが、強要をするのも間違っているとも思うので、次回から平面の客席を採用する際は竹馬を利用する事をどうか許してほしいと思う。最低限は脚立。
それから、パイプ椅子による指定席で隣の人と距離が近すぎる上に、隣人を選べないというのも一つ困ったという話だと思った。どれだけ身が細くても斜めに立たないと肩が当たる気がする。
卒業式のように姿勢よく座るならまだしも、多少動きの生じるライブでパイプ椅子というのはちょっと狭くないかなあと思うところがある。幸いにも圧迫はされたことはない。
筆者が最近はライブハウスに通う事が多くなり、様々な曲や演目、人間に対してご自由にポジショニングを取る事に慣れてしまったので致し方ない部分はあるが、
流石に外出するに際して見てくれの悪いオタクや二階三列四番の雰囲気を漂わせた隣人を2時間もの間同じ空間に居合わせてしまうのも考え物だなと思ったからだ。
頼むから家を出る前に最低限の見てくれと香りは何とかしてほしい。別にそこさえ担保してくれるなら絵具を混ぜた様な情けないナンセンスなコンテンツTシャツを着てても許すから。
因みにだが、別にオタクが好き勝手自分の頭上や近隣で暴れたり光ってくれる分には特には思わない。その人の推しが居てその人なりの表現があると筆者は考えているので。
むしろある程度元気な方が演者と観客の対話的なコミュニケーションみたいで大変面白いので積極的にやってほしいと考えている。勿論、レギュレーションの範囲内での話だが。
こう明記しておかないとこのコンテンツは勝手に余計な文脈を取って独りでに発狂する大変熱心なファンが多い為にコメントを返信する時の私が苦心するのでここに記しておく。
今回一番良かったと思うのはコンテンツの新人が暖かく迎えられたという事だ。
拍手喝采でこの大舞台に迎えられてしっかりと立っているのを見ると、私のような逆張りオタクではなく、もっと相応しい人が客席に立つべきだと感じたからである。
つい4年前はこのコンテンツの熱心な盲信者たちが私の心地よいインターネットの楽園を荒らしていたと思うともう隔世の感が出てきたが、
そういった逆張りをしなくてもよくなったというのは一つ明るい話であったと思う。もし過去にそういう事をしたと思うならばしっかり反省してほしい。
長々と語ってしまいましたが、無計画な闇鍋によって昔のような歌詞割りや演目による演者からの文脈を感じ取る事が出来なくなり、
過去公演の焼き直しと新曲披露会のような地方の産業館で見る様な薄味の展示会に高いチケット代を支払うのは勿体なく感じてしまった為に
このように文句を垂れているオタクの戯言にお付き合い頂き、本当にありがとうございます。
こうしてみるとこのタイトルは半分くらい間違っていると今思っています。でも正直向こうも半分は間違えている気もしている。私が勝手に。
これは一端のマジョリティでもあります私のお気持ちであり、大多数が今のままでいいと望むならばそのコンテンツはそのように進めばいいと思います。
たまたま持っていた銀河鉄道の切符が、今回で私の終着駅となったからです。今まで楽しい旅をさせて頂きありがとうございました。
これからが目ざましい活躍を見せる推しのオタクはここからが始発駅ですし、勿論ここに至るまでに終点に至ったオタクも居ると思います。
推し方は人それぞれで、私はここで一旦区切りがついたと思っているだけですので、是非どうか私の事は呼び留めずに忘れてください…。
今、私は安いチケット代と共に無計画な闇鍋の極みみたいなフェスなどを空中浮遊しております。別に規模や演者に一切の貴賤はありません。
もし気になれば知見を広めるためにも様々な「アイドル」に触れてみるのは如何でしょうか。素敵な音楽や出会い、様々な人々の熱い思いなど、
色んな物を吸収してみるのも一つの栄養ではないか?と思っています。このような場でお勧めするのも私としても大変心苦しいものがありますが…。
また、どこかで亡霊となった私をどこかの会場で見掛けた際は、暖かく出迎えて頂けると幸いです…。本当にお読みいただきありがとうございました。