はてなキーワード: 双極性障害とは
さて、今年度の7月に適応障害と診断を受けてから8ヶ月の時間が経ちました。
この8ヶ月の中での変化や、心や気持ち・環境との対峙の仕方などについて書いてみたいと思います。文脈が崩壊したり、段落のつながりが見えなかったりしたら、ごめんなさい。
【読んでくれると嬉しいなーという人】
1、診断の効用と注意点
診断が下ったことで、自身の状態が外部のストレス環境に大きく依存するということがわかりました。環境によって波は大きくなったり小さくなったりしますが、そういった波とうまく付き合っていくための方法を獲得できました。もちろん、まだまだ未獲得だったり、未学習な部分も多いですが。
(これについてはあとで詳しく書きますね)
一度自身の精神的にきつい状態を認めて病院に行き、診断をもらうということは、”病理”の世界に立ち入るということなのだと思います。
そうなったときに、一点不安だったことが、自分のアイデンティティの根っこを「病気」に持っていかれるのではないかということでした。つまり「病気だ」というラベルを自分自身につけて剥がせなくなるということです。これはメリットもデメリットもあることだと思います。
例えば、症状がひどかった当時は、診断書をかばんに入れて持ち歩いたりしていました。おそらく当時を振り返るに、自責傾向の強い自身にとっては、「自分は病気だ」とラベルを貼ることが唯一自分を責めないための手段だったのだろうと思います。「がんばらないと自分の価値がない」という精神的シャカリキさから、「もうがんばらなくてもいいんだ」という気持ちへ、診断を機にやっと切り替えることができた感じですね。診断の力はすごいです。
また、適応障害を機に、調べたり本を読んだりすることで、自分の認知がかなり歪んでいるということにも気づくことができました。(「認知の歪み」は過去記事にもある通り、去年の7月に「みんな私のことが嫌いなんじゃないか」などの考えのことですが、これは日常のささいな他人の言動を捉えるときにも適応されるので、取り組むことは一定重要な課題だと思います)。これは一朝一夕では解消されないので、なかなか苦労していますが、長期的に改善できるといいなと思います。
③別の病気への移行
適応障害はストレス環境により症状が出てしまうという一過性のものなので、ストレス環境から身を離せば、症状がなくなります。ただし、うつ病(恒常的な)だったり双極性障害にも移行するということもあり、ちょこっと注意しなきゃいけないな…と思っています。
この移行は、診断をきっかけに起こることなのかわからないですし、ごく個人的な所感なのですが。あまりに病識が強くなりすぎた場合に、「ほかの病気のこの側面も自分の状態にあてはまるんじゃないか…」と強く思いすぎることにより、自分の不安定な状態を強化していく…というサイクルに入るんじゃないかなと思います。ここについては、ちょっと個人的に思うところもあるので、また別の記事に機会を見てまとめます。
2、波とうまく付き合うためのあれこれ
①感情を記録する
「muute」というアプリを用いて感情とその日にあった出来事を記録しています。記録することでよかったことはまだよくわからないけれども、2ヶ月くらいやってみた所感として「気分がいい時には記録つけない」「気分が落ちすぎていても記録つけられない」ということ、軽くしんどい時には記録を取れます。記録を見返すことで、「何がきっかけで落ちることが多いのか」を把握することができます。あと、アプリのデザインがかわいい。そして、毎週AIからの「ニュースレター」が届くのが嬉しい。
もうちょっと重めの出来事を整理するのために「認知行動療法アプリ」というアプリを入れています。これは割とがっつりと書かなきゃいけなかったり、アプリのデザインもあんまりかわいくなかったりするので、個人的には使いにくいなーと思うんですが、ちゃんとやれるならよいと思う。私は一度だけ、先月末に仕事であった出来事を振り返るために使いましたが、頓挫しました。認知行動療法を一人でやりきるのは、結構エネルギーがいるので、信頼できる人と一緒にやれるといいかもです。だれか一緒にやろう。
②依存先について
どっかの大学の熊谷先生は「依存先を増やせ」ということを常々から言っていますが、その通りです。依存できる場所は分散し、相談の内容もそれぞれに分けられると超ベスト。これは相手のためでもあるし、自分のためでもあります。
ざっとあげると、「母親」「病院」「社内の相談窓口(キャリアセンター、こころの相談センターなど)」「仕事の同僚」「退職した元同僚」「パートナー」「知人」「元劇団の人たち」などかな。大学とか会社とかなんらかの組織に属している人は、組織のリソースはガンガン使った方がいいです。これ読んでいる人に学生さんがいたら、とりあえず健康センターとか保健室とか、なんでもいいから、お茶しばきに行く感覚で軽めのノリで一度はいっとくことをおすすめします。相談のハードルを元気なときに下げておくことも大事です。
個人的な話に戻ると、最近は友人との接触頻度を増やすことに意識を向けています。例えば、「ゲームやるだけの仲間」に入れてもらったり、過去の大学の友人に気軽に話せる場(「mocri」というアプリ)を持ったり、「〇〇の会」と称してエネルギーのある時には知人を家に呼んだりしています(例、「私たちのためのバレンタインの会」など)。対面で会うのは結構エネルギーいるから、そのときにはオンラインの手段もまぜこぜにしながら、ぼちぼちね。
あと、予定の管理がなかなかできないので(当日体調が悪くなったり、コンディションが悪くなるということが結構ある)、気の知れた人には「波が読めないので、当日連絡するか、遊びをやってることだけ教えてもらえたら当日調子がよければ行く」というふうに事情をつけて話しています。
③過敏さとの向き合い方
今「HSP」なんて言葉が大流行しており、書店での平積みも凄いことになってますが、「過敏さといかに向き合うか」という命題は、特性によりけりでしょうが、「すぐ疲れちゃう」と感じている方にとっては、とても大事です。情報の取り込みすぎは、疲れちゃうから制限しながらね。私の方法を載せておきます。
【音】
音への過敏傾向のために「耳栓」はマストです。トイレやキッチンの換気扇や冷蔵庫の「ブォーン」という音が気になった時には情報取り込みすぎのサインだと思っています。
最近耳栓が役に立ったのは、水族館のイルカショーに行った時でした。意図せずスピーカーの真ん前に席を陣取ってしまい、生の音に触れた時には頭が割れるかと思ったので、よいしょとつけました、危機回避成功。あとは最近は電車ですね、地下鉄とJR快速は要注意。窓が開いていて大変に脳みそに音が突き刺さってくるのでイヤホンもしくは耳栓マストです。
【光】
これは入社当時から苦労していたのですが、白熱電球が大の苦手でして。白熱電球の下にいるだけで、パフォーマンスが低下することがわかっています。だから、なるべく太陽光を取り込んだり、廊下の光だけで部屋の中は電気を消したりと、いろいろ工夫をしています。前の教室とかだと「電気ついてるけど消そうか?」とか「窓のある部屋がいいですよね」とか、スタッフみんなが配慮してくれました。感覚はひとそれぞれだから、しんどいときにはちゃんと言えることが大事です。ちょっと勇気いるけど。
【睡眠】
ストレスサインとして「悪夢」と「途中覚醒」は念頭に入れておいています。キャパシティを超えるストレスを受けた時って、交感神経優位な状態で睡眠に入ってしまうことが多いので。交感神経鎮めてから入眠する(お風呂に入ったり、湯たんぽ使う)などがベストですが、極度に疲労しているとそれもできにくいと思うので、お薬の相談もできるといいかなと思っています。自分はまだ眠剤は使用していないですが、場合によっては。
【教えて】
スマホとの距離感は、今試行錯誤です。依存気味なので、いい方法あったら知りたいです。
【その他】
鬱の状態のときの衝動性は怖いなとも思うんですが、早く通り過ぎるものに吸い込まれるってのは、本当にあるのね。だから「ホームの端っこにはいかない」「赤信号の時には道路のキワに立たない」ことは普段から意識をしたいものだなって思います。
3、最後に
新年度が始まり、社会人4年目になる4月に向けて、近況報告がてら書いてみたいという思いで書き始めましたが、波と付き合うための手立てやアウトプットできることがなかなか増えていて、自分でも感心しました。
こないだ見た映画で「いいなあ、君は私とは別れられるけど、私は私とは別れられないんだよ」というセリフがあって、「あーその通りだなー」ってぼんやりと思ったんですよね。そうそう、別れられないなら仲良くする方法を探すしかないのです。死ぬ勇気もないので生きるしかないんですが、穏やかに生きられるための方法や環境をゆるゆる作っていきたいものです。
・資格なし(普免もなし)
・彼氏なし
・友達なし
・病弱
働いている会社から雇止めを受けて、転職活動をしているが上手くいかない。
先週も免許について記述がない求人に応募したのに「免許がないと厳しい」と言われるし。
上記について知人に話したら「転職活動上手くいかないなら、もう少し頑張って障害者手帳取得目指したらどう?」とアドバイスされた。障害者枠採用か年金狙いなよ、と。
昔、双極性障害と診断されたことがあったが、いつの間にか精神が不安定になることがなくなったので、今は病院に通ってはいない。
その路線で通院しなおして、手帳取得……それってどうなの?とは思うが、一つの選択肢としてありなのか?
周りを見ても私よりはるかに経歴がまともな子たちが、手帳を取得したり発達障害と診断されているもんな。
その子たちよりまともじゃない経歴の私なら、障害者にもなれるかもしれない。
こんな経歴だから希死念慮は多少あるし、常に眠たくて会社で気絶しそうになるし、うっかりが多くて上司によく叱責される。
嫌味や冗談がわからないし、「人の気持ちがわからない人だよね」とよく言われるし、言われてもなんも思わないし。あと機能性ディスペプシアだし。
この特徴を外で隠して生活しているから、どうにか生きていけている。これらを大袈裟に説明すれば、適当な病名くらいはつきそう。
それ、絶対別れた方がいいよ。
腐れ縁になる。
まだモラハラのたまごといったレベルだけど、腐れ縁が出来る前にきっぱり断ち切った方がいいよ。
それに、男女逆で考えてごらん。
それだったらその人相当な賭け出てるよね
まあ自分は受験に成功して勝ち取っていったから正常性バイアスの固まりなんだろうけど
元増田が結果出せなくて(双極性障害もあるんでしょ)、「その程度の愛だったんだ」とか捨てられないことを祈る
死者でるで
30歳(もうすぐ31歳)、非正規労働者、双極性障害、デブス。
8年付き合った彼氏に何度も何度も結婚の話をはぐらかされ、ストレスで太り血栓リスクのためピルをやめると同時にセックスレス(ピルは私の負担で彼はゴムをつけたがらなかった)。からの挙げ句の果てに浮気。
「増田が生きてるだけで、それでいい」という母の言葉に救われなんとか生きてる。
が…従姉妹の結婚や兄弟の出産への反応を見て、上記の言葉は建前であることに気がついた。
私は母のおかげで悪い大人にならずにここまで来れた。
恩返しは結婚・出産だし、私自身がそれらを経験したいという気持ちもあった。
ようやく新しい仕事にも慣れて、病状も安定してきて(ふられたのがむしろ良かったのかもしれない)
デブで低学歴で非正規労働者なのをプロフィールカードや面接のはしばしに盛り込んで「これでもいいよな?!」ってのを重々確認しながらやってきた。何人も何十人も会った。
するとすごく運がよく、数少ない趣味の8割が一致する気の合う人と出会えた。
見た目は私のような冴えない感じだけどすごくいい人だ。
猛アタックして向こうもまんざらではなかったようで、告白されて付き合ってもらうことになった。
その際ラブレターをもらったのだが、私への褒め言葉が羅列されててすごく嬉しかった。
最後の数行に度肝を抜かれた。
「お願いが2つだけある。1つめは、ダイエットしてください。2つめは、正規雇用を目指してください。」
1つ目に関しては健康のためもあるしわかる。巨デブだからそれは仕方ない。でもデブ専じゃなかったんだーとがっかりしたくらい。
2つ目が結構心にきた。
共働きをしながら彼氏を私立の中高一貫校→大学→大学院卒業まで育て上げたことがあげられるようだ。
今どき共働きなんて全然珍しくないし、むしろ私も彼氏が旦那になってその収入に依存して生きるつもりはない。
だから働き続ける気は満々だった。
ただ非正規労働者ゆえこのご時世で社員登用してもらえるかは定かではなく…でも収入があればパートでも契約社員でも派遣社員でもよくない?っていうのが本音。
ただ、挑戦する前に文句言ってやらないのは1番よくないのでダメもとで頑張ろうとは思う。
彼氏のことは好きだし、この人となら結婚・出産を乗り越えられると思っているから。
そんな話を既婚の友達に話したりsnsや掲示板で書いてみたら9割が「それモラハラの気があるね」という回答だった。
マジで?
なんで?
いや、なんとなくわかるよ。
私は貧困家庭に生まれて低学歴、1度正社員のレール外れてしまってからずっと正規雇用してもらえずに非正規でここまできた。
それに対して彼氏は裕福な家庭に生まれて高学歴、新卒で入った会社にずっといて役職もついてここまできた。
私が非正規なのは私の努力が足りないからだと思っているんだと思う。
だから簡単に「正規雇用を目指してください」とか言えるんだと思う。
そんな簡単になれたら苦労しないし、世の中の約半分の非正規労働者もいないわ!って言いたくはなる。
でもモラハラというよりただわかってないだけなんじゃないかなと思ってて。
私が非正規労働者だろうがなんだろうがわかりあえる部分はたくさんあるし。
私が正規雇用になったら1番だけど、なれなかったとしてもそのわかりあえる部分を大切に一緒に歩んで貰えたらなと思ってる。
でも、私も彼氏の期待に応えられるよういろいろ活動はもちろんする。本気で取り組む。それくらいには好きだからね。
でも結果は知らん。
って言うと「モラハラ被害者が自分を正当化してる」とか言われてもう八方塞がり。
皆も読んでてそう思ったかどうかを知りたくて書きました。
あと、彼氏はダイエットと正規雇用を目指せといったのと同じ口からお菓子を与えたりブルーレイやサブスクのファミリーアカウントを分け与えたりオススメの映画、アニメをすすめてくるのをやめてください。
私はそこまで器用じゃない。
【18:03追記】
色々なご意見ありがとうございます。
やっぱりモラハラとは言い難いという意見があって安心しました。
これまでの経験上、本当〜〜〜に非正規雇用から正社員になるのって簡単ではないので
ただ、今からそのときのことを相談するのは「保険かけて、やる気ないんじゃない?」と思われるのが怖くてできないです。
それは友人も口酸っぱく言ってたのに8年も別れられなかった私はアホですね。
私は彼が正規雇用だから、金持ちだから好きになったんじゃないです。
年収とかは正直どうでもよくて、借金さえしてなければ何でもいいって感じです。
易怒性(いどせい、Irritability)とは、生物における興奮性のことであり、
それを取り巻く環境が変化したことに対しての反応として現れる。
この用語は、刺激に対しての生理反応として使われることもあれば、
病的で異常な度を超えた過剰興奮性としても使われる。
性ホルモンの分泌バランスの乱れ・変化との関連では、女性では月経前や妊娠中、
更年期に女性ホルモンの影響でイライラしやすくなります(月経前症候群、更年期障害)。
男性も加齢に伴い男性ホルモンの分泌が低下して起こる男性更年期障害によってイライラが起こり得ます。
病気との関連では、こころの病気(双極性障害、統合失調症、依存症など)のほとんどはイライラを引き起こしやすいことが知られています。
また、脳の病気(脳卒中、低酸素脳症、脳炎、認知症、発達障害など)やけがによる高次脳機能障害もイライラの原因となることがあります。
双極性障害で長年SSRIを飲み続けているが、最近いろいろあって急に状態が悪くなり、主治医に相談したら新たにジプレキサという薬を処方してもらった。
そしたら毎日何度も沸き起こっては苦しめられていた思い出し怒りがすんなりなくなった。
ついさっき見た星占いの内容を忘れる。買い物に行って何を買おうとしていたのか忘れる。
でも大丈夫。そんなの全然平気。思い出し怒りのあのやり場のない苦しさに比べればそんなどうにでも後で補完できる物忘れなんて何ら気にならない。
みんなに同じように効くのかどうかは知らんが自分には覿面だったので増田に書いとくことにした。悩んでる人は駄目元で医師に一度相談してみたらいいと思う。
本気で結婚とか考えてるのなら、相手の双極性障害にもっとちゃんと向き合うべきでしょう。
「相手の機嫌をとること」が「双極性障害に向き合うこと」ではない。
相手が双極性障害である自分に満足していて、改善しようという気がなく、貴方もそれを受け入れているのなら別だけど、
そうでないなら、彼女がその障害を乗り越える手伝いをしなければいけない。
双極性障害との関わり方を学び、婚約者としてかかりつけ医に共に行き、治療の方針や道筋、貴方にできること、してはいけないことを知る努力をしなければいけない。
本来は家族、親がするべきだけど、彼女はそれができないのであれば、その役目は伴侶が担うことになる。
それができなかったり、それを重い、責任転嫁だと思うようであれば、彼女との結婚など考えず、さっさとケジメをつけて別れた方が良いです。
感情のままに書き連ねているため誤字脱字についてはご容赦を。
一緒にいて楽しい時間の方が多いので付き合っていることに幸福感はあるのだが、
我慢しなければいけないことが発生するたびに自分の精神が摩耗しているのを感じて胃を痛めている。
こうやって書き出してみると、タイプの人間が自分を愛してくれるという承認欲求を満たすためだけに付き合っているのではないかと思い始めてきた。
恋愛って難しいんだなあ...
結局どうしたらいいのかわからずにいるが、少しだけスッキリできたのでよかった。
いつも相談に乗ってくれている友人には感謝の気持ちで頭が上がらない。いつもありがとう。
メモ書きのつもりだったけど、読んで感想をくれた方がいらっしゃって驚いています。ありがとうございます。
これは本当にそうだと痛感していて、関係を壊したくなくて治す気があるのかなど前向きな話を全くできずにいます。
この先生涯の伴侶になるのであれば必ず向き合わなければいけないと思っている(個人的には治してほしい)ので、
お母さん
その職人気質は尊敬するけど、私が一体今までに何百万のお金を渡したでしょうか。
私が一人暮らししながら貯めたお金を、うつ病一歩手前まで追い詰められながら働いて得たお金を、どれだけ渡しましたか。
でも私のことは誰が助けてくれるんでしょうか。
私は私が老後まで生きていけるように計画を立てて仕事をし、資金繰りをしているのに、
私は一人で生きていく覚悟を決めたのに、
「やっていけないから家に戻ってきて欲しい」と言われた時は絶望しました。
人生が終わったと感じました。
薄給だけどそれなりの生活はできていて、国内なら年に何回か旅行をして
そう思っていた私は贅沢なんでしょうか。
妹が傷つくようなことを言うから、お母さんは妹にすごく気を遣いながら接しているから、
私は波風立てないように真面目な「いい子」でいなくちゃいけないから。
31日から実家に帰って、2日に近所に初詣に行こうと思っていたけど、
私が喉が痛いと言って中止になり、私は家に帰ることにした。
昨夜から調子が悪くて、でもアレルギーの一時的な咳の可能性もあるから朝まで様子を見ていたんだけど、
妹は「もっと早く言ってよ」と言ったらしい。
私には言わない。
お母さんに言う。
お母さんは、駅まで送る帰り道で私にそれを言った。
ショックだった。
私が我慢して予定通り出掛けていれば、誰も嫌な思いをしなかった。
私のせいだと思った。
私が我慢しなきゃいけないんだと気付かされた。
私が家に戻れば金銭的にもお母さんと妹が助かる。
私が我慢して心と人生を殺せば、二人は、母は、助かるんだなと思った。
私が我慢すれば。
見捨てたら後悔すると思う。助けてあげられない自分に絶望し、責め続けると思う。
心を殺しながら、家族に気を遣いながら、この先何十年も生きていくことに絶望しながら。
逃げたい。
どちらに転んでも後悔して心を殺すなら、辛い思いをするなら、いっそ死んで逃げたいと思う。
そしたら何も考えずに済むのにな。
でも私は真面目だから、お母さんを悲しませるようなことはしないんだ、自殺もできない。
ただ時間が経過するのを待って、病気だか寿命かで死ぬのを待つしかない。
年取って病気になったりボケたりしても、誰も私のことは助けてくれないんだけどね。
35歳、娘の独り言。
双極性障害。それが俺に付けられた病名だ。
もともとプログラムが好きで、子供のころからBASICなんぞでゲームを作って遊んでいた。好きが高じて大学もコンピュータ系の学部に進み、大学院まで出た。当然のように就職先もSIerだった。
30を過ぎた頃、炎上プロジェクトに投入された。2000年代初頭だ。この頃、残業規制など今ほど厳しくなく、残業時間は年間1000時間弱。月平均で80時間。立派に過労死ラインだ。月80時間残業しようとすると、大体土日も出勤するようになる。それでいて、平日は普通に出勤だ。
最初の症状は不眠だった。もともと仕事が増えると寝つきが悪くなる傾向にあったのだが、それが常態化し始めた。それで、不眠に効くというメラトニンの錠剤を個人輸入して服用し始めた。これのおかげで、何とか眠れるようにはなった。
それがかえって良くなかったのかもしれない。炎上プロジェクトは炎上し続け、俺のチームは朝から終電まで働き続けた。そして、俺の症状は徐々に悪化し始めた。たまの休日は寝て過ごすようになった。何かをするのが億劫になり始めた。
そして、勤怠が悪くなり始めた。遅刻が増えた。仕事中に居眠りをするようになった。居眠りと言っても、よくあるような眠気を感じて寝てしまうのではなく、いきなり何の前触れもなく電源が落ちるような感じだ。我慢が足りないとかそういう問題ではなかった。
そんな俺を周囲はただの怠け者のように見るようになった。上司は俺に対して「居眠りをしたら、残業しても時間を認めない」などと言い出した。今なら多分労基行きだろう。
症状はどんどん悪化していった。仕事に集中できなくなり始めた。集中できないから残業が増える。悪循環だ。ある時タイムカードの計算に午前中いっぱいかかってしまったことがあった。ただ時間を集計するだけの単純作業に3時間もかかるほど、能率は落ちていった。
そんな俺を、周囲は白い目で見ていた。「なんだこの怠け者め」という感じだろうか。ある時、面と向かって「給料泥棒」とまで言われた。言い返す気力もなかった。俺は自分を責めた。「なんで俺はこんな怠け者になったんだ?」と。客観的に自分を観る余裕などなくなっていた。
さらに症状は悪化した。廊下でどうにも気分が悪くなり、へたりこんだ。会議中ずっと机に臥せったまま過ごしたこともあった。だが、周囲は俺を心配することも、注意することすらなかった。
そして、決定的におかしくなった。夜眠れない。朝起きられない。起きても頭が睡眠不足のように鈍重に感じるようになった。遅刻が連続して上司に「真面目に働く気があるのか?」と詰められた。
さすがに自分でもおかしいと思い、自分の症状をネットで調べてみた。うつ病だった。すぐに精神科に予約を取り、やっと「うつ病でしょう」と言われた。
この時、やっと安心できたのを覚えている。安心のあまり、滂沱のごとく涙があふれ出た。「自分は怠け者でも無能でもなく、病気だったのだ」と。
3年間の激務の結果は想像以上に深刻だった。1年間の休職期間はあっという間に過ぎ、退職になった。それでもうつ病が寛解することはなく、その後10年以上に渡って俺を苦しめ続けた。ついに病名が「双極性障害」に変わった。以前は躁うつ病と呼ばれていた病名だ。うつ病が中途半端に続くと、こうなることもあるらしい。
そして先日、50歳になった。今さらこの歳で正社員で雇ってくれる会社などなく、派遣で食いつなぐのが精一杯だ。結婚などとうに諦めた。自分ひとりを養うのもままならない男と結婚したい女などいないだろう。
私は双極性障害、つまりは躁鬱なんだけど、人生詰みすぎてやばい。
よくある鬱病だけどがんばってます〜漫画にありがちな理解のあるパートナーなんてもちろんいない。
本当に不思議なんだけど、鬱病や発達障害漫画で容易く生えてくる「理解のあるパートナー」って一体どこから出てくるんだろう。
理解のあるパートナーさんは聖人なのか、こんな相手とも付き合える自分スゴイ!なのか、なんなんだろう。
羨ましいと同時に、すごく気味が悪い。
コロナ禍で退職なんて正気か?と思った。でも、悪化した原因が職場なのでどうにもならなかった。
で、役所に行った。役所はなにもしてくれなかった。貯金がちょっとあったので、無一文になってから来いってことだった。
ハロワもなにもしてくれなかった。
思ったのは中途半端な症状だと、本当に誰も助けてくれないってこと。
使える制度もないし、徐々に減っていく貯金に震えることしかできない。
おまけに創作する方のオタクだったのに、躁鬱のせいなのか、薬のせいなのか、創作すらしないし漫画も読まないゲームもしない元オタクになっちゃった。
生きる楽しみがなくなって、そもそも楽しいって気持ちも死んじゃって、毎日寝るだけだよ。
おかげさまでとても太りました。
なんか本当に詰んでいる。
家事の一切を担っていて、買い出しもしているのに、この秋から親に生活費を渡してもらえなくなってしまったので、とても困っている。
親の理想の、人に自慢できる職業以外で働くことも、障害年金も禁止されているので収入がない。
月3万円の小遣いでは足りず、昔のアルバイトなどの貯金を切り崩して生活している。
この度、精神科の医師の勧めもあり、家を出て親から逃げることにした。
身バレを避けるために詳細は省くが、生まれた時から今まで、軽く身体的・精神的・性的虐待を受けてきた。
それでも逃げなかったのは、馬鹿だという自覚はあるが、金銭的なことだ。
親の言う通りにして家に尽くしていれば、自由に金を使わせてやるが、逆らうなら野垂れ死にさせてやる。
一生貧困で苦しめ。と。
でも、親に従ってる今も、じわじわ減っていく貯金に怯えていて、自分の欲しい物は買えず、貧困で苦しんでることに変わりはないじゃないか、って昨日ようやく気が付いた。