はてなキーワード: 博物館とは
そんな彼女の地元山口の某端っこの市に先日行ってきた、ライブも観劇もないのに
それ迄は年に1ー2度東京で会っていた
ある年に体調を崩し、東京に来られない話をされたので
同じ年の私は物凄い心配したのだ
たまたま2016年の冬に某凱旋公演が九州であり、コレで福岡に行けば良い
福岡に行った事がないからオールオッケーだ!と思い3泊4日の福岡
そして2018年春、ちょうど人気の博多座公演のチケットの良番が取れ
ちょうどモーさま(萩尾望都先生)とドジさま(木原敏江先生)の素晴らしい原画展を
開催しておりそれだけで福岡まで来た甲斐がある素晴らしい展示であった
ここまで書いていて友達山口の方なのに、山口県の話出てこないと思うけどちょっと待ってね
「私は下関側からも門司港を見る、彼女が普段見ている景色を私も見る」
海無し県の私には海峡など見た事も無かった
遂に山口県に行く事になった、山口県は宇部空港と萩石見空港がある(岩国もだが)
私は羽田から宇部空港に向かった、彼女は地元からレンタカーで迎えに来てくれた
好きな作品の二つが山口県を舞台にしているのでその聖地に行く目的もあった
<ここじゃラクダ親父にくびり殺されるとおもって逃げ出すよな、母ちゃん役立たないし
お姉ちゃんが活動的じゃなかったら弟共々あの世行くわ、例えテリブル東京でも
と思ったりしていた、しかしこれは見に行かなかったら出て来なかった発想だ
それまでは「シェルター行け」「民生委員に相談」「そもそも学校何してる?」
という思いが多かった、例の
「つけびしてー」
の方の気持ちまでわかるようであった
二泊三日で到着の朝9時から最終日の11時30分まで山口県の様々な場所を巡ったが
角島の大橋も萩明倫館も下関の日和山公園もどこも良い所であった
平家茶屋はあの値段で良いのか?1・8倍は値上げしても客来るぞ
たかせの川棚本店も値上げして良い、などあくどい事を考えていた
昨年も門司港に来たが素敵な街だと思う、関東にこんな街は他にあるのかな?
門司港から最後の目的である、萩岩睦美先生の原画展の為北九州マンガミュージアムに
萩岩先生のカラーイラストはカラーインクで描かれているので退色しやすく
展示は殆ど無かったらしいのだが、40周年記念で最初で最後との事
この為だけで旅費の元は取れる素晴らしさであった
そして思ったのだ
職場の同じ部署20人中3人しか山口県に行った事がないと話しをしていたが
・おじいちゃんの実家が山口県の光市だから子供の頃は行ってたよ
https://twitter.com/katsuyatakasu/status/655958931190124544?s=19
昨日から高須院長が2015年10月にTwitter上で呟いたこの発言が左翼達によって叩かれている。
しかし僕はこう思う。
高須院長が信じたい物語を信じるその自由は、その権利は果たしてこの様に蔑ろにされていいものなのか、と。
皆で寄ってたかって高須院長の内心の自由及び表現の自由を毀損する目的で言論の棍棒で殴り付ける今の左翼達のやり方は、皮肉にも往時のファシズム国家の様だとさえ僕には思える。正直言えばかなり怖い。
左翼達からまるで歴史修正主義者のように悪し様に言われる高須院長だけども、そもそも院長は件のツイートにおいて「アウシュビッツは捏造だと思う」と言っているだけなのだ。
この文章からは院長がアウシュビッツで起きたとされるホロコーストのどこからどこまでが捏造だと思っているのか、を明確には判断できない。
そして歴史事実というものはその根拠とされる資料と考えられていたものが実は虚偽であったり、それより更に確かな資料が後に発見されたりする可能性が常に考えられる為に、未来永劫に渡って不変不動のものではないわけだ。
今回左翼達が息巻いて批判する「アウシュビッツで起きたとされるホロコーストを根底から捏造だと否定するもの」などではなくて、
「そうした確からしき歴史事実の全てが今後の再検証によっては変容し得る」という歴史学のセオリーについての指摘なのではなかったか、と僕は思う。
そして仮にそうじゃなくても高須院長の内心の自由、そして表現の自由はやはり護られなくてはならないと思う。
そして何より高須院長には信じたい事実を信じる広い意味での幸福追求権がある。
だからTwitterで息巻く左翼達は自分達が愛してやまない平和憲法に自ら背くような愚かな行為を今すぐ止めて、高須院長に即刻真心のこもった謝罪をするべきだと思う。
高須院長は懐の深い方だからきっと許して下さることだろうと思う。
それから今回の件でアウシュビッツ博物館の公式Twitterが高須院長の件のツイートに対しこの様なリプライを送っていた。
https://twitter.com/AuschwitzMuseum/status/1106462599540105218?s=19
僕が思うにこれはクソリプ以外の何物でもないと思う。
確かにドイツを初めとした欧州各国ではホロコースト否認が法律によって禁止されている場合があるので、アウシュビッツ博物館も今回遠く離れた異国の院長である高須院長に対してお国柄もあって過剰に反応してしまったんだと思う。
しかしこれがもしお互いが国家を代表する立場にあったなら、内政干渉にすらなり得た行為だったと強く自覚するべきだ。
これは極めて不謹慎だ。
なぜなら日本は旧弊的などこのドイツさんとは違い進歩的な平和憲法が存在し、この憲法の元ではナチス礼讃もホロコーストの否認も国民の権利として容認されているのだから、高須院長の今回の行為は日本国民として何一つ問題のない行為だったと言えるからだ。
よってアウシュビッツ博物館公式Twitterは即刻高須院長に真心をこめた謝罪をするべきだと僕は思う。
勿論、この場合においても極めて懐の深い高須院長ならば許して下さることだろうと思う。
どうだろう。ここまで僕は何か間違ったことを言っているだろうか?
・認識が偏っている
→まず論点がそこじゃない。認識なんて立場によって変わる。わたしが言ってるのは日本も「謝罪・賠償しました」と主張すればいいということ。あと、あなたみたいに知人をソースにしてもいいってんなら、ドイツに大量にいる東欧からの移民も大体「ドイツは少なくとも謝罪した」と思ってる。
https://www.wissen.de/welche-reparationsansprueche-gab-es-nach-dem-zweiten-weltkrieg
(追記)https://en.wikipedia.org/wiki/Wiedergutmachung
フツーにWikipediaにもあったわ。ソ連、東欧、ギリシャに賠償金支払ってるみたいですけど
・博物館のは2年?3年?くらい前だけどドイツ人から聞いたから眉唾じゃないならたぶんある
→こういうこと書いてるから全部妄想だと言われるんでしょ。今のドイツでこんなことやったらドイツ人から放火されておしまい。ドイツでナチスがどれだけタブーか分かってる?仮にその話が本当ならそのドイツ人が頭おかしい。まともなドイツ人だったら絶対にそんなこと言えない。
・植民地にも賠償もしてないしむしろ逆に何か請求してた気がする独立した側に
その方が常識らしいけど
→どの国の常識???しかも”気がする””常識らしい”って大丈夫??あなたが博物館についてテキトーなこと言ってる時点でお察しだけど、これに関してはできれば日本語以外のソースをきちんと提示して欲しい。まあ日本語でもいいけど。
→ん???なにを知ってたって?笑
何でそんな怒ってんの?こわい
博物館以外は普通にたぶん日本語でも検索すれば出るくらいだと思うし特別な話ってわけでもないよ
ギリシャポーランドのなんて日本でもニュース流れてたの覚えてるし
これは前にネットで見かけただけなんだけどインフラ投資分の請求とかだったかな
植民地からの訴えガン無視してるのは知ってたんだけど欧米列強は結構そういう感じっぽいって知ってビックリしたな
博物館のは2年?3年?くらい前だけどドイツ人から聞いたから眉唾じゃないならたぶんある
ナチスの科学者や技術者の功罪の功の部分をフィーチャーした展示なんだって
観光客が来る様なとこは基本ないけどその科学者の出身地が田舎の方だったりすると誇るみたいにやってるとこもあるって言ってた
だから又聞きみたいなもんなんだけど
映画の帰ってきたヒトラー見てドキュメンタリーとしてもドイツ人のそういうとこ描いててこういう感じなの?って聞いたら教えてくれた
ドイツ人はこれはこれそれはそれって考え方する傾向あるから教育はちゃんとやるしナチスの罪も理解してるけどどこかでそれはそれとして功績は功績って捉えるとこもあるんだって
でも普通は思ってたとしても表立って言わないけど田舎だと悪気なくそんな程度の認識だよって
田舎じゃなくても東とかのある程度の年齢の人もそんな感じらしい職人系の人とか
イギリス人とかが見たらたぶんショック受けると思うけど自分はそこまででもなかったって言ってた
それがナチスの罪を肯定してるわけじゃないしそういう昔もよかったって人がいるのは知ってるからって
自分はドイツは賠償とかはアレだけど国内での今の教育とそういう価値観広めるのはすごいちゃんとやってるイメージだったからちょっとショックで覚えてた
結構そんな感じなんだなって
都市部と田舎で意識違うのはどこの国もそんな感じじゃない?って言われたけど
それナチスでやっちゃ話別だよね
あれは単にそう思ってる人の認識が偏ってるだけでドイツ周りだと別にドイツはそこまでそういう扱いじゃないよ
財団作って賠償やったけどユダヤ関連以外は国として基本謝罪も賠償もしてない
ギリシャがやばかった時もドイツに戦時中の賠償求めたけど一蹴したしポーランドも最近言い出してるけど聞く気ないし
戦争で侵略はしたけど国と国が戦えば普通の事だしそれは国として謝る必要なしってスタンス
国内では関わってたナチスの人間の功績みたいな博物館あったりするし
ドイツが当時併合してたオーストリアはむしろドイツ側として謝ってるぐらいだし
基本ドイツは当時のドイツ国民には謝罪としての賠償はしてないしそういう国だって認識だよ
植民地にも賠償もしてないしむしろ逆に何か請求してた気がする独立した側に
その方が常識らしいけど
「法律にこう書いてある」
と言われても、その法律ってどこにあるんですか?
って思いませんか?
原本?というべき、ハンムラビ法典の石碑みたいなの(おそらく天皇の署名した紙面)があるんですか?
それが、一字一句間違いなく複写される仕組みというのは、どういうことをしているのですか?
オリジナルの文章は電子データで、天皇が署名するのはその複写である印刷物ですか?
複写が署名で承認されると、オリジナルが承認されたことになる的な。
それとも、天皇の署名は元の文章の電子データに電子署名するんですか?
そもそも、法律って、一万円札のように、みんなが信じているから価値がある、的なものなんですか?
「法律でこう決まってる」「こう書かれてる」と言われても
「神はこう言われた」
といわれるのに似たモヤモヤがあるのは私だけでしょうか?
法律が言語で書かれているなら、言語の法則は、憲法より上位の取決めによってなされる必要があると思うのですが、どう思いますか?
なんかトラバやブコメを読むと、上手く自分の言いたいことが伝わらなかったので、追記します。
例えばですね、法律ってものがない世界にいたとして、これから法律ってシステムを導入しようとするじゃないですか。
借用書とかだって、借り手と貸し手で一部ずつ原本を保管するでしょ?
契約とか合意みたいなカタチのないものだって、カタチにしないと気持ち悪くないですか?
自分がそういう(法律というシステムを導入する)立場なら、原本は石碑に刻んで、一次複写は石碑に紙をのせて上から鉛筆でこすって写し取ったものにして、一次複写はそれぞれ厳重に管理。
一次複写から画像データとしたものを二次複写として、二次複写を文字起こししたものを3次複写にして流通させるってシステムをとると思うんです。
普通、最初はそう考えるから、ハンムラビ法典だって石碑なんじゃないですかね?
紙がなかったら、粘土で写しを取ったりしたんじゃないですかね。
で、現代、石碑にあたるのは輪転機のアルミ板が法律の原本だと思うんですよ。
別に、紙が原本って運用でもいいですけどね、ならば一次複写は石碑とか金属板で欲しくなりません?
王羲之の書とか、真筆は残ってなくて、紙を石碑に写したものがトレーサビリティの最上位で、そこから刷りとった拓本が各国の博物館に保管されてるわけで。
やっぱり私の考え方が古いんですかね?
追記2
目には見えなくても引力というものがあるように、人間関係の中には殺人罪とか詐欺罪という「罪」が確かに存在する。
存在するというと語弊があるかもしれない。
数学でゼロで割ることが許されないように、それを許してしまうと今まで積み重ねたもの(社会)が成り立たなくなってしまうことが過去の歴史から明らかなので、共通知を言語化したものが法で、どこにオリジナルがあるわけでもなく、分散型の管理がなされている。
ということ?
https://anond.hatelabo.jp/20181201054847
を見て、参考になるかと思い、書く。
公立小学校→公立中学校→高等専門学校。なお、貧乏だから高専行った、という事情の人はめっちゃいるようで。私もその一人。奨学金と言う名の借金の返済が早い&破産が少ないのは高専卒だと、どこかで読んだ。
高専にしたのは正解だった。なぜか頭良さそうに見えるらしい。世の中のほとんどの人は大卒or高卒のため、高専卒をイメージできないのではないかと。ふろむださんの「錯覚資産」みたいなものか、、
1社目: ちょうどバブル全盛期で、母校にも空前の求人が来ていたらしい。一人あたり5社~10社。同期もみんな社名を聞いたことがある企業に。私は一部上場の子会社に就職。しかし、大企業の子会社でも、やってることは業者 (って言ってもNEC・Unisys・IBM) に仕事放り投げるだけ (のように見えたのよ、若いから)。つまらなくて、あっという間に辞める。
2社目: 現在の勤め先。当時は20名弱の会社。自分で手を動かせる仕事ができそう、と選んだ。吹けば飛ぶような超零細企業だと思っていたが、、まだ存続しているし、従業員が倍以上になった。
会社は、人数の大小ではなく、元請けかどうかというのはかなり大きい。もう一つは、業界の競争が激しいかどうか。勤め先は超ニッチ業界。
正直なところ、偶然そうなっただけ。
現在の役職は技術系の部署、担当課長とでも言うのか、課長相当・部下なし。まわりからは、それなりにリスペクトされている、ようだ。年収は約950万円。月の手取りは40万~45万くらい。残業代全額支給 (30H/月くらい)。数年前は90H/月近く働いて1000万を超えた。賞与は年間6ヶ月前後。
年収が1,000万超えたときは、マクドナルドをバーガーキングにしたが、BK閉店でマクドナルドに戻る。
妻とは職場で知り合って、現在は専業主婦。子供は1男1女。小学生と2歳。娘超可愛い。
食費は、、約3万。ほぼ外食しない。
保険料、、約6万。
住宅ローン、、約4万。フラット35。家は結婚前 (40前) に建てた。月々6万。10年経って、フラット35でも借り換えできることに気づき、実行。金利3%→1.3%になり、2万支払いが減った。ローンは1,000万を切った。繰り上げ返済はできるけど、うっかり死んじゃったときは団信が払ってくれるから、そのまま。
ローンは、当時の年収 (600万) の3倍以下になるようにした。結果的に2.5倍でローン組んだ。頭金を同額以上突っ込んだ。
お小遣いは、、決まってない。無制限。妻は、私がお金使わないのを知っているため、何も言わない。一度だけ「私に隠れてお金を使っているでしょ」と疑われたのでExcel小遣い帳を見せてあげた。「x月の支出: 3千円」を見て、クスッって笑われた。
車は (運転が) 怖いので持っていない。
NHKは、、契約していませんので、って言ってたら最近来ない。
預金は4,500万、投資信託450万。なお全部インデックスファンド、、
毎年、預金が3-400万増えていく。
今から無収入になっても、この暮らしぶりが続くなら、15年はもちそう。
私と妻に共通しているのは、貧乏、でしょうか。そのため、慎ましく生きてます。
妻のほうが倹約家で、ケチな私が、そこまでしなくても、、と思うレベル。
美容院も殆ど行かない。毎月QBハウスに行く私のほうがお金かかってます。
妻は、他の家庭が家族旅行とかに行くのを、うちより収入が多いから、と思っているようですが、多分違います。
でも、生活レベルを上げるのに躊躇する、というか、そんな気が起きないです。
子どもたちには、自分のような思いはさせたくない、それだけですね、、
皆さんブクマありがとうございます。
皆さんのコメントの中からいくつか選びコメント書いてたのですが、全部消えてしまい、心が折れました、、
なので、超端折ります。
http://b.hatena.ne.jp/entry/4663854101234885697/comment/ruinous
残念、都美は博物館法の範疇じゃないです。博物館相当施設だから。http://www.bunka.go.jp/seisaku/bijutsukan_hakubutsukan/kenshu/museum_educator_04/pdf/besshi_1.pdf博物館は全体の2割もないんすhttp://www.bunka.go.jp/seisaku/bijutsukan_hakubutsukan/shinko/gaiyo/
博物館法23条の言う「博物館」とは登録博物館を指しているから、実は「入館料無料」の決まりに縛られない。
私は条文の「公立博物館」という文言ばかりを見ていて、「公立博物館」が一般的にいわれる「公立」の「博物館」(登録博物館、博物館相当施設、博物館類似施設を含む)と読んでしまった。
論旨に関わるところで過ちを犯してしまいました。本当にすみません。
金山喜昭「公立博物館の入館料は無料か有料か」(『法政大学資格過程年報」7号、2018)
「博物館法上は、博物館の入館料は原則無料扱いにすることとなっている。この場合の博物館とは、登録博物館のことを指すが、実際には博物館相当施設や類似施設も含めて呼ぶことが多い。」
このあたりの記述を最近読んで、博物館法に示される「博物館」の限定性に目が行ってませんでした。本当にすみません。
ただ、相当施設も博物館に相当の施設なんだから、大本の方針である原則無料の方針と全く無関係ではないとも思います。
色んな論文や調査・統計資料を見ると、「無料であるべきか」を論じた文章は、第23条を基点に、登録博物館・博物館相当施設・博物館類似施設すべてに話が亘ることが多く、勘違いをしておりました。
以上「言い訳」です……。
問題点は2点あって、法制上の登録博物館と博物館相当施設との差異が、特に利用者にとってはそんなに際立って感ぜられない点。すなわち分類があやふやな点。
諸論文も、登録か否かを争点にせず、入館料を語ることが多いのはそのせいだろう。
もう一つは、そもそも無料の原則が、特にもともと割と空文化して今に至っている点。
今回の投稿のねらいは2点目にあり、博物館は元来無料を謳っているので、社会的な立場や属性で料金に偏差を取るのはそもそも間違いではないか、という点をまず指摘したかったのです。
そちらばかりに目が行き、他方博物館の分類の方が大変脇の甘い話になってしまっていたと言う話です。都美を議題に挙げている関係上論旨がガタガタにしまいました。
美術館に行って、美術を見て心に衝撃を受けるなんて嘘や。そんなんハチミツとクローバーの読み過ぎや。
美術館を楽しむには、どうやって美術を見るか?の基本が必要や。大体は2パターンや。
1つめは、その美術品に付随するストーリー(作者・作られた理由・作られた時代)を勉強して、どういう文脈の中でその美術が存在するのかを楽しむんや。
この楽しみ方は博物館と共通するものがある。博物館・古典美術・建築美術・現代美術って分類は色々あるやろ。多分いまでもどれが何となく自分にあってるって感覚があるはずや。
そしてそれはおそらく知識量によってるはずや。
2つめは、美術を美術として楽しむ方法や。この方法はつかれるで。1時間に1枚の美術作品を見れたらいい方や。
絵と向き合って、絵の中で象徴となる記号を探して、その記号の意味を考えるんや。
何言ってるかわからんと思うなら美術を見る前に美術とはどうやって鑑賞するべきものなのかを勉強しろ。難しいゲームはゲームする前に説明書読むやろ。常識やぞ。
実はこの指摘は結構重要な問題を孕んでいる。元増田は二―トなのかもしれないが、的確に博物館法の矛盾点を突いている。
ブコメでは、ニート割引を認めつつ、その基準としてニートであることの証明をどのようにするかに焦点が当たっている。
(入館料等) 第23条 公立博物館は、入館料その他博物館資料の利用に対する対価を徴収してはならない。但し、博物館の維持運営のためにやむを得ない事情のある場合は、必要な対価を徴収することができる。
ヒャアアアアアアアアアアア!!!!! 無料ですってよ! 奥さぁん!!
この戦後に出たイキリ社会教育系法律は、現行では後段の留保の方ばかりが実態として現れている。
蛇足。公立博物館とは、地方公共団体が設置するものを言う。だから国立の「博物館」は博物館法の範疇外にある。
23条は、私立の博物館や国立の博物館は、対価を徴収してはならない、という規定の範疇にない、ということだ。取ってもいいし取らなくてもいい。どっちでもいい。
サッカーで例えると、サッカーのルールを守ってもいいしコートで野球をしてもいい。
今回ニートが参った東京都美術館は東京都と言う地方公共団体が持っているので、博物館法の範疇だ。だから原則無料にならないとおかしいのだ。
そしていいか? 重要なことは、ニートでも会社員でも大人も子供もおねーさんも、老若男女全員が、全員がだぞ。全員だ。
全員が、無料であるべきなのだ。博物館法は、戦後のあの頃、そう高らかに謳った。
ニートだから入館料無くせ、とか、ちゃんと働いているんだから会社員こそ入館料減らせ、じゃあない。
けど、もちろん現状そうならない。
増田諸賢も解るだろうけど、都美レベルの博物館が全員入館料無料にしたらなんか「ヤバい」という感じはするだろう。
じゃあ何を考えればいいのか。それは、「条文の博物館の維持運営のためにやむを得ない事情」を突きつめることだ。これが重要だ。
ところで図書館法にも入館料に関して、博物館と同じようで、より厳密な条文がある。
図書館が有料だったらビビるよね。現状そうはなってない。その根拠は図書館法に明記されている。
一方博物館法は歴史的な経緯もあって、後段に大切な留保が続いている。
東京都美術館の維持運営のために、ニートからカネを徴収することは「やむを得ない」のだろうか?
そしてもちろん、述べてきたとおり、元来全員が無料であるべきなので、
大人も子供もおねーさんも、つまり私たち全員からカネを徴収することは「やむを得ない」のだろうか?
これを同時に考えなくてはならない。
なんかすげー抽象的な話になってきたと思っただろう。その通りなのだ。
こういう文化に対するカネの投下と見返りなんてものは、解りやすい物差しで測れるものではない。
だから個人個人が気のすむまで、情報を整理して、それで納得してカネを支払って観覧するほかないと思っている。
考えるための材料は色々転がっている。
都美は指定管理者が入っていて公益財団法人東京都歴史文化財団だ。
公益財団法人東京都歴史文化財団はどんなことをしているのか、ウェブサイトを見てみるといいだろう。
ここの財団から展覧会の開催に当たっての資金や、それを企画運営する学芸員の賃金が出ている。
東京都美術館の条例や規則も見るとよい。ここでは使用料は指定管理者に入るとある。
なお入館料の規定は見えなかった。条例・規則作ったやつはよくわかっていて、原則無料であるべきところに規則等で料金を設定しないように配慮したのだろう。
入館料は展示に応じて設定される。「必要な対価」を都度決める、という遵法の姿勢・工夫・配慮が見える。
https://www.tobikan.jp/outline/report.html
都美のウェブサイトには、東京都と全然関係ない諸外国の作品を展示する意義なんかも書かれている。
そして、歴史文化財団の管理する他の施設に足を運んでみよう。庭園美術館が個人的にお勧めだ。
料金高いとか、展示がしょぼい、とか。逆に、いい展示じゃん、とか昔来た時より良くなってるじゃん、とかまた来たい、とか思うかもしれない。
本来無料であるべきところだが維持管理にカネを払ってもいい、と思える仕組みを見つけられるかも。あるいは、逆かもしれない。
とにかく、設置主体の運営がどうなのか。良いのか悪いのか、個人個人がそれぞれの足で稼いで納得するほかない。
つまり何が言いたいかと言うと、どんどん博物館に行きましょう、運営がそれで良いのか、モノを見る延長線で眺めて行きましょう、ということだ。
運営がそれで良いのか、規模や設置趣旨にそぐわないか、一市民として観察していくべきということ。
最近都会の展覧会はどんどん混み合うようになっている。伊藤若冲展あたりからひどいもんだ。
ムンク展も、目玉の展示作品の前はベルトコンベアみたいな感じでただ人々が作品の前を一定のスピードで通りすぎていくだけ。
それでいいのか? と思っている。
メディアとタイアップして、外国人観光客まで絡めて、そこまでしてガンガン人を入れるべきなのか正直わからない。
振り返ってみて、東京は思っていた以上に過ごしづらい街であった。
引っ越す前は関西の政令指定都市にいたのだが、戻りたいという気持ちは日に日にに増すばかりである。
ちなみに今は渋谷まで電車で20分の距離に住んでいる。(駅までの距離も合わせると30分。)
一番がっかりしたことは、せっかく東京にいるのに生活が便利にならなかったことである。
コンビニは以前よりも遠くなり、博物館や美術館、映画館に行くにも電車を使う必要がある。
特に映画館に関して言えば、予約なしに見るのが難しいため、ふらっと立ち寄って映画を見ることが難しくなった。
期待通りだったことと言えば、オタク向けのイベントに参加しやすくなったことが挙げられる。
実際、東京で開催されるイベントは多く、ライブなどに頻繁に通い詰めるオタクにとっては東京は素晴らしい土地であろう。
(私自身はそこまでライブイベントに興味がなく、毎年夏・冬と参加していたコミケに行く程度であるが。)
ただ、休日まで人混みに揉まれるのもなぁ...という気持ちに負けてしまい、去年はコミケにすら参加することがなかった。
関西にいた頃はコミケが旅行のきっかけとなっていたので、むしろ旅行の機会を失ってしまったようにも思う。
満員電車は当然辛いし、渋谷や新宿に出かければ嫌な臭さがつきまとう上に、家の周辺を歩いていても排ガスで鼻や喉がやられるのが分かる。
空を建物が覆っているので、全体的にどんよりた空気が漂っている。