はてなキーワード: 博打とは
スーパー野田PARTYが発売2日で三万本売り上げるスマッシュヒットを出したらしい。
三万本と言うと大したことがない数字に見えるが、実はプレイステーション5のソフトでこれ以上販売しているソフトがない。
原状でソフト販売数は6000本弱前後であり、これは少々異常な値だと思っている。
ただ、個人的には母数の違いこそあれ、ゲームの販売方法の環境の変化を強く感じた出来事だった。
スーパー野田PARTYは既存のプレイステーション中心の販売形式だったら売れるわけがないからだ。
その理由を書く。
プレイステーションの市場が歪んでしまった要因でもあるが、実はある時期までゲームメーカーはユーザーを向く必要がなかった。
いや、一応向いているのだが、本当にアピールしたいのはゲームソフトを販売しているバイヤーたちである。
業界再王手の雑誌であるファミ通はバイヤーのための本であり、ユーザーのための本ではない。
どのソフトを仕入れるかでゲームソフトの収益が決まってしまう。
一回流通させたら、あとは中古市場内でぐるぐるする。だから初回出荷でどれだけ押し込めるかが勝負のカギだ。
どんなに出来の良いあるいは悪いゲームでも大量に出回れば価格が破壊されてしまう。
中古を前提とした商売であるがゆえに、ゲームソフトが中古市場に出回ることを少しでも遅らせる必要がある。
なので薄味のエンドコンテンツがダラダラ続くゲームばかりになった。当然作るための膨大な人件費が頭をもたげることになる。
または特典をたくさんつける方向に変わった。これも十分な数がなければコストは下がらない。数を増やしすぎると希少性が下がり
どちらに転んでも地獄だった。
バイヤーはゲームの紹介ビデオと雑誌を見て仕入れ量を決めているから、映像に力を入れるのは当然だ。
出来が良いか悪いかは重要ではない。それは発売後に発覚することだから博打以外の何物でもない。
映像が良くてゲームの出来が悪ければ極端に価格が下がる。レフトアライブやアヴェンジャーズがその流れになってしまった。
ゲームの質の低下は買い控えを生み、対抗策だったはずのPSPlusのフリープレイはそのままソフトを買わない口実と化した。
それがアップルが見出したダウンロード販売だった。これまでダウンロード販売は、既存流通への配慮から価格破壊が
行われずにきたが、Steamのセールがこの状況に風穴を開けた。価格破壊があっても中古に回るよりはましだからだ。
また、Steamの出現によりPCゲームの普及を妨げていた違法コピー問題も激減した。
さらに任天堂は既存のゲーム報道機関をスルーしたニンテンドーダイレクトを仕掛けてきた。この方式はスティーブジョブズの
スピーチに近い手法で、直接的商品のコンセプトをユーザーにアピールするようになった。これにより、
今までは流通を担うバイヤーに向けて販促行為をおこなっていたのが、ユーザーに直接販促をかける商売へとシフトしたのだ。
スーパー野田PARTYはビデオを見て商品を選定する手法では絶対評価ができない。映像面では明らかに落第だ。
だが、直接ゲームを売り、その評判でゲームを拡販するスタイルになったとき、プレイステーション5のソフト販売を超える
この流れは新型コロナの影響もあり、かなり加速することになった。ソフト屋に行かないでテレビ配信とYoutubeでソフトを
選ぶ時代になった。中古を気にする必要がないからゲームソフトも小粒で構わない。一発ネタでも楽しめれば勝ちになる。
この流れに移行できないところは、みんなまとめて絶滅することになるだろうとも思っているがどうだろうか。
慣れたんじゃなくて相手にする価値のないアホだとみなされたからだよ。
政府の要請にマジメに付き合ってもバカを見るだけなのがこの1年で広く伝わった。もう政府の信用が尽きたんだよ。
いま自粛してる人はあくまで自衛のためにやってるだけだし、大雑把な人はもう緊急事態宣言なんかなかったように路上飲みしている。
なぜか花見シーズンに合わせたのか特に理由も示さず緊急事態宣言を解除したり、首相の訪米と重ならないようにするためか緊急事態宣言を遅めに発令したり、事実でなく気分で操作してる様子を何度も見てきている。その割に(それだからこそ?)2,3日前にいきなり緊急事態宣言しますとか酒の提供をやめてもらいますとか言い出す。人間のことナメてんのか?在庫管理ってわかるか?
実際、政府の言うことにつきあっても事態は何も改善されない1年だった。
厚生労働省「(2020年7月)ワクチン確保できた」→できてなかった
政府「このままでは医療崩壊が予測される」→ブルーインパルス飛ばして満足して終わり
政府「会食の自粛を」→政治家は会食してた。なんなら首相の息子と官僚もしてた
政府「不要不急の外出を控え……」→GO TOトラベル!外出しよう!→政府「不要不急の外出を控え……」
政府「20時以降の飲食店営業の自粛を」→厚労省が20時以降も店に居座って送別会して感染、その他役人の事例も多々あり
政府「イベントの自粛を」→オリンピックは絶対にやるが他のイベントは勝手に潰れてろ
せめてCOCOA入れる→動いてなかったし開発管理体制も杜撰なのが明らかになった
バイデンに挨拶しに訪米→当然のように2週間隔離を無視して帰国後すぐ公務に復帰
ぱっと思いつくだけでこれだけの不義理をしてきた。
政府がどの口で「お願い」してるのか自覚あるか? そのふざけた「お願い」が効かないからって、次は国民のせいにして厳罰化でもするのか?
最初の緊急事態宣言は国民もわりと協力的だった。初めてだからというのもあるが、まあ政府が言うんなら従うかって人が多かった。協力して疫病の抑制に繋がるなら、という公共心もあった。それはこともなげに裏切られた。
「COCOA入れて」の声に従った人は完全にバカを見た。今後政府が何かアプリ入れてと言っても相手にする人は激減するのが当たり前だろう。
1年掛けて政府が自分で自分の信用を削ってきた。言ってることとやってることが見事に一致しない。成果と言えるものもほとんどない。
国民にさんざん「お願い」しておいて自分たちは例外みたいな振る舞いをし続けてきた。
みんなで貧乏になろうと言いつつ豪邸に住んでる人間を誰がまともに取り合うのか。
これは政治どうこうではなく人間のごくごく基本的な道義の話だ。説得力の話だ。
軽い無政府状態になることで不利益を被るのはまあ国民だ。そういう意味では自業自得だが、ちゃんと自分たちの不始末は自分たちに降り掛かって報いを受ける。
政府はこの1年ほどの無為無策について何か責任を負うのか? そんな無責任かつ無能な連中の言い分に従うべき理由が何かあるか?
3度目の緊急事態宣言下では国民の自力救済が多発するだろう。それは「慣れた」からでは決してない。
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追記:
「いい大人はそんなことしない」とか言ってるけど規模感わかってるのか? 構成員が数百人レベルの組織ならほぼ全員を「いい大人」で揃えることもできるだろうし、選別だってできる。
東京だけでも成人は1000万人以上居るんだ。グローバル超大企業の従業員数ですら多くて20万人程度だ。その50倍近い人数がほぼランダムに勝手に集まってきて生活してる。
この全員が「いい大人」なわけがない。そういう前提で動くのが当然だろう。「お前はいい大人」「お前は悪い大人だからいい大人になれ」とか説教して回るつもりか?
そもそもこんな人数をなんとか統制できていた第1回緊急事態宣言が快挙だったわけだ。法的拘束力もないただのお願いに協力するやつがそんだけ多かった。人口密度も考えれば世界最高峰の「いい大人」の集まりじゃないか。
実際これでかなりの時間を稼げた。欧米でどんどん人が死んでいってるなかでも日本はいまだその水準に達していない。1年くらいの時間を稼ぐのには成功した。
時間稼ぎには大成功したが、稼いだ時間を空費する大失敗を犯した。前者は国民の努力によるもので、後者は政治というか上層部の責任だろう。国民が努力して時間を稼いでも、政府がそれを無駄に捨てるのを見せつけられるだけだった。いやむしろその時間稼ぎすら入国管理がザルだったりGO TOだったりで妨害したとさえいえる。経済云々といいつつろくな根拠も示さずに営業自粛させるなど、不要な混乱を招いたのもそうだろう。
国民ひとりひとりが努力すると医療体制を改善できて医者や看護師や病床が増えるのか? ワクチンが手に入るのか? COVID-19を自力で治癒できるのか?
国民にできることは感染抑制だけで、つまりは時間稼ぎだけだろう。そうして稼いだ時間を有効に使うには、政府がトップダウンで動いて条例やら給付金で医療関係者の負担を少しでも減らし、薬や医療器具の調達を助け、ワクチンの入手交渉に尽力し、ウィルス研究に協力する必要があるだろう。政府がそういったことを何か達成したか?
次の緊急事態宣言はオリンピックに最大限配慮したものになると誰もが理解している。「東京オリンピックで感染者が激増したら困るだろ?」と半ば脅してワクチンを手に入れるなんてことも、感染者増を活かしてなるべく有利にオリンピックを中止するなんてこともできそうにない。政府は稼いだ1年間を何も有効活用できなかった。路上で酒でも飲んでたほうがマシだと判断する人が増えても俺は何も言えない。
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追記2:
大きく拡散され、概ね同意されてるようだ。さすがに全部の反応は読みきれないけど、目についたものにいくつか反論しておきたいと思う。
ワクチンはもう来てるだろ
これはそのとおりのようだ。よかった。本文を書いていたころはワクチン担当大臣が動いている程度の情報しかなかったが、その後すぐに(公式発表ではないものの)EUから日本に入ってきているらしいという情報が流れ出した。まだ接種率は低いし体制も整っていないようだが、進展していること自体はいいニュースだろう。順調に進んで欲しい。
これについては上の追記で書いたように、それも踏まえて動くのが行政だという認識だ。「お願い」だけで効果が出るなら犯罪なんて起きない。それでも起きる犯罪を取り締まるために警察が居る。また行政ができる犯罪率を減らす取り組みもある。地味だが街灯を設置して夜道を明るくするなんてのもそうだろう。「お願い」なので警察は使えない、となると街灯を設置するような地味なことを積み上げていくしかない。これの舵取りが難しいのは理解できるが、せめて科学的根拠に基づいた施策であるべきだろう。今はただ飲食店や若者を悪者にしているだけにしか見えないが、むしろ高リスク群である高齢者に外出を控えるよう強く言うべきじゃないのか? これは本当に不思議なんだが、高齢者向けのメッセージが出されたことは今までなかった気がする。ただただ若者が悪いと言い続けているように見えている。
別の観点でいえば、いくら「お願い」されても飲食店経営者や従業員などは生活がかかっている。今回は対象がさらに拡大された。多くの店舗は去年から店舗入口に消毒用アルコールを置いたり、店内に仕切りを設けたりと一定の感染防止策も打っている。それらを一顧だにせず一律に営業自粛を「お願い」し、かつ金も出さず、仕入れた分を捌き切る暇もない直前の宣言で、新たに酒類禁止も追加となれば、そんな自粛に協力できるのはほんのひと握りだろう。いくら説教されたところで自分の生活がかかってるなら反発するのが当然だ。そしてそれは非合法活動ではないのだ。
自粛への協力率に関与する重要なパラメータとして、本文では「信用」というのを書いた。去年9月ごろに首相が代わってすぐに着手したことがなんだったか覚えているだろうか。携帯電話料金の値下げ要求だ。そして今はオリンピックだ。国のトップが新型コロナウイルス感染症にまったく興味がないように見える一方で、私権制限スレスレの緊急事態宣言を発出して国民の生活を縛ろうとしている。自粛要請に従わない店を応援する声が以前より多いのも、そちらに理があると見る人が多いからだろう。
東京都でいえば、JRの減便によってわざわざ乗客の密度を上げている。感染者数が減っているときにそれをやるなら封じ込めのための荒業ということでまだ理解できるが、増えているときにそんなことをすれば医療崩壊を招きかねない大博打でしかないだろう。もうワクチンが到着し始めているのなら、まずは迅速に接種が進む方向で仕事をするのが本筋だろう。ワクチンが届いているのに接種体制が整っていない、なんてことになればさらに信用を失うが、今のところワクチン接種について何か進めているといった発表は見ていない。
現在の状況では、まずは目先の感染者数を減らすか、少し先を見据えてワクチン接種体制を整備するか、あるいは両睨みで進めるか、くらいしか論点はないだろう。暗中模索の去年と違って状況はずいぶんクリアになった。ワクチンが国民に広く普及すればほぼ元通りの生活が得られるのはイスラエルの事例でわかっている。このタイミングで緊急事態宣言を出すなら、国民にもうひと頑張りしてもらって感染者数減を目指してもらいつつ、国は全力でワクチンの早期接種に向けて動くのが筋だ。そしてそのようなメッセージを明確に出すべきだ。国からはオリンピックの話しか聞こえてこないし、第3回の緊急事態宣言はIOCの人間が来るのに合わせて解除される。我々はワクチンではなくオリンピックのために生活を削られるのか?
子供の運動会を見るためなら多少の無理でもやりきろうと考える人でも、オリンピックのためにそれをやる人なんてほとんど居ないだろう。オリンピック開催によって国民に直接の利益があるわけでもなく、むしろ感染爆発のリスクでしかない。
自衛のために自粛し、生活のために店を開け、仕事のために出勤する。連帯はもう失われたが、オリンピックのために死ぬのは嫌だという認識だけは広く共有されている。
政府をぶん殴りたいという感想もちらほらあったが、それは投票によって合法的に成し遂げられる。たとえ投じた票が無駄になっても投票に来た人間の属性は記録され、世代別投票率などの形で反映される。明らかな高リスク群の高齢者がスルーされて常に若者のせいにされるのもそのためだ。下のツリーのどこかにあったが、別に「正しい」候補者を選ばなくていい。この1票でぶん殴るという意思表示こそが投票に行く理由だ。投票したあとコンビニで酒を買って路上で飲むのもそれはそれで楽しいかもしれない。
自分は屑だ。
親に甘やかされて育てられ
時には少々行き過ぎた監視をされ育った。
そんな私も結婚した。
親にはすごく感謝してるけれど、
奨学金返済があって、「マイナスからのスタートかよ……」とゲンナリしたこともある。
でも、本当に育てられるかと言われたら微妙なところだ。
怒ってしまいそうだ。
感情がピークになると場面関係なくボロボロ泣いてしまうので、子供にはトラウマになるかもしれない。
そうしたら自分も、「なんで払ってくれないんだよ」って思われるんだろう。
無理。
身内で文句だけ言われたらブチ切れるかもしれない。
まぁ、要約すると
自分が一番大好きで大切なんだ。
無償の愛なんて、持ってない。
そんな博打みたいなことはできない。
子供に殺されるかもしれないしね。
自分は屑だ。
親に甘やかされて育てられ
時には少々行き過ぎた監視をされ育った。
そんな私も結婚した。
親にはすごく感謝してるけれど、
奨学金返済があって、「マイナスからのスタートかよ……」とゲンナリしたこともある。
でも、本当に育てられるかと言われたら微妙なところだ。
怒ってしまいそうだ。
感情がピークになると場面関係なくボロボロ泣いてしまうので、子供にはトラウマになるかもしれない。
そうしたら自分も、「なんで払ってくれないんだよ」って思われるんだろう。
無理。
身内で文句だけ言われたらブチ切れるかもしれない。
まぁ、要約すると
自分が一番大好きで大切なんだ。
無償の愛なんて、持ってない。
そんな博打みたいなことはできない。
子供に殺されるかもしれないしね。
勉強というと昔々はガリ勉みたいな蔑称があるように差別の対象だった
要は、勉強ができない人たちの理屈からすれば、おまえは勉強ができるように一人だけ努力してズルいぞ、という妬み、ルサンチマンである
勉強はともかく、受験勉強にかぎって言うなら、これは「単なる」突破すべきハードルとも考えられる
つまり、資格を取得する試験のための勉強と同じであって、勉強ができない人たちに分かりやすく例えるなら、
自動車運転免許の取得のための実技や筆記のための勉強と同じである
ヤンキーやDQNは名前通りクルマやバイクが好きなので運転免許取得に例えるのが適切だろう
運転免許取得にしろ、100mを10秒で走るにはにしろ、ここでアプローチは大きく2つに分かれるように思う
そして、ほとんどの人が努力と要領の良さどちらかではなく、その人なりの混合比を持っていると考えられるわけだが、どちらかに偏ってはいるかもしれない
努力というのはひたすら練習の繰り返しであり、根性であったり、好きこそもののだったり、それを支えるモチベーション維持の工夫なども含んでいる
実際はある所まで比例したり、途中で伸び悩んだり、落ちてったり、そこからまた比例するなりの繰り返しである
努力アプローチのいいところは手ごたえを感じるというところだろうか
そして、要領の良さは、その努力の方向を決めるときにも発揮されるものでもあるわけだが、
運転免許のような資格取得にしろ、受験勉強にしろ、例えば過去問から傾向と対策を分析し、ギャンブル的にヤマをはったりもする方向性である
当然、ヤマが外れた場合は無残な結果になるわけだが、そこもギャンブルと同じである
外したらそれを挽回して余りあるものに再度賭けるとか、数撃ちゃ当たるの精神が大事である
だから、努力の人は絶対にこの大学に入りたいとか、せめて理系に入りたいとか、そういう考えがありがちであるが、
要領の良い人はそうではなく、別に大学はどこでもいいけど、この偏差値レベルは越えていたいとか、この要素さえ満たせば就職に有利だから、
しかし、上述したように、実際は努力と要領の混合比が異なるだけで、誰もがどちらの要素も持っているのである
志望校を選ぶときもキャリアにしろ、夢みたいなものと打算が入り混じったことを考えているはずであるし、それが普通である
夢しかない人も危ういし、逆に打算しかない人というのも危ういというか、人としても面白味にかけるし、本人も人生がつまらないと思い始めると思う
生まれてずっと打算を繰り返してきた人が、どこかで一世一代の博打に出ることが必要になるのも人生である
何が言いたかったか脱線してしまったが、受験勉強ができる、という結果から逆算するなら、
その人は努力ができる人なのか、もしくは要領がいい人、ということだと思う
アスリートであるなら、水泳バカみたいな天才が野球やテニスができるとはかぎらない
水泳だけは努力で優れることができたが、集団競技はまるで駄目かもしれない
しかし、要領がいい人は、
要領がいい人は何をやってもそれなりの点数を叩き出すのである
要は、その対象にこだわりがあるわけでもなく、しかしながら、その対象からそれなりの点数を楽に叩き出すにはどうするか、
そういったソーシャルハックのようなことが好きな人なわけである
だから、受験勉強ができる=ガリ勉=仕事ができない人、みたいなヤンキーやDQNの発想は間違っていて、
要領が良ければ、寧ろヤンキーやDQNでも東大に入れるし、大学を卒業した後も社会で何をやってもそれなりの点数を叩き出すのである
エヴァで言うなら、庵野氏は世渡りが上手い、貞元氏は世渡りが下手、みたいな話をどこかで読んだが、
どんな業種であれ、場所であれ、そういうことは往々にしてあるのである
天才的にメカや爆発のようなエフェクトが描けても、宮崎駿氏に言われるまでもなく、
俺って人物が描けるってわけでもないなあ、みたいに思ったかはどうかは本人ではないので分からないが、
あっさりと演出へ転向し、そこから絵コンテや監督に方向転換するのは、絵を極めたい、みたいな職人的発想とはまた異なるものである
他人をうまく動かす、というのも誰でもできるものでもない、適性みたいなものがあるように思う
そして、自分はどちらかといえば努力の人であり、要領は極めて悪く、よって努力の方向をよく間違えるのである
おまえは数字を見て理解することができずネット上で伝え聞いた他人の言葉をそのまま繰り返すオウムのような頭脳の持ち主なんだろうなあ。
GPIFの市場運用が始まってからのこの約20年間の累積収益額は85兆円を超える。
この財源を現役世代が代わりに負担していたら、現役世代をざっくり7000万とすると大体1人あたり120万円ほど追加で負担する必要がある。
運用をやっていなかった場合、40年間現役世代全員が毎年3万円追加で払う必要が出てくるところだったな。
そもそも利益を出して年金財政に貢献する以上にインフレに対するリスクヘッジという側面があるんだよ。
パチンカスのギャンブラーみたいな思考しかできないおまえには資産運用がリスクヘッジのためのものという発想がなく、すべて利潤目的の投機に見えるんだろうけどな。
インフレが進めば当然年金積立金の実質価値は減るが、このように莫大な利益が出て名目価値が増えることでそれを補うことができる。
反面デフレが起きた時は運用で損失が生じる可能性もあるが、そもそもデフレは物価を押し下げ年金積立金の実質価値を押し上げる。
お金の額面が減っても同等以上に物価が安くなれば買える物の量は減らないのは当然だな。
どっちに行っても年金財政が保たれるようにするための運用であって、おまえが考えるような単純に博打を打って増やすための制度ではない。
神頼みしながら「もう始めちゃったから開催するしかない!」って強弁したところで、ウイルスは忖度してくれないよ?
その博打外れたらどうすんの?
早めに中止の判断してりゃダメージコントロールの手段もあっただろうに、判断遅らせて被害拡大させた馬鹿共の責任だよ?
もう海外からの客を当てに出来なくなったんだから、痛い目見るのは確定じゃん。
聖火リレーが北朝鮮みたいなことになってるみたいだし、恥の上塗りにしかなって無くない?
まぁ、もう走り出しちゃったみたいだから今更止めようが止めまいが恥さらしにしかならない訳だし、せめて開催したという結果だけは残したいってところなのかな?
妻が夫に暴力を振るったりはしない。またゴリラのようないかつい妻をイメージするかもしれないが、これは間違ったイメージ。
上州の女は小さくて、ちょこまかとよく働く。精神が自立していて、男の稼ぎを当てにせず自分でちゃっちゃと稼ぐ。
そして上州の男には博打好きのチャランポランが多い。彼らが遊び呆けて居られるのも妻がしっかり稼いでいるからだ。
生活保護受けたり抜けたりの精神障害手帳持ちアラフィフ男性が10歳年下の子持ちの働く女性と結婚する予定
むしろ生活保護受けたり抜けたりしてるのに身内・知人に借金はある
自分も200万くらいアラフィフに援助してるし、アラフィフの兄弟姉妹に至っては2000万以上は軽く援助している
ちなみにアラフィフは事業に失敗したりはしていない、家族に難病の者がいたりもしない、博打もしない
アラフィフは生活能力が無く、よく詐欺られたり、収入に見合わない契約をしたり、
メンタルが不調な上に身体も弱くて生活保護抜けたタイミングで入院退院を繰り返したりで、いつでも金が無いのだ
けれど、そんなアラフィフのどこが刺さったのかは知らんが年下の子持ち女性は彼と結婚するらしい
自称結婚したい・恋人が欲しい人 と このアラフィフの違いは、人間が好きかどうかでしょうね
このアラフィフは油断すると過呼吸起こすレベルのパニック障害持ちだけど
メンタルの障害持ちなのでプライベート空間を持てない状態で誰かと暮らすのは
非常にストレスなはずなのだけど誰かと暮らす喜びがまさった模様
もちろんフツーにトラブルは起こしていて、都度、アラフィフの兄弟姉妹と自分が金銭的尻拭いをした
仕事にしても同様である。医者に働ける状態では無いとお墨付きを貰うレベルなのに
職場で誰かと話をしたり関わったり、稼いだお金で人と交流をする喜びが、精神や身体の苦痛を上回った模様
もちろんフツーに職場で倒れたり、アレなアラフィフを受け入れる職場はブラックだったりで、
様々なトラブルを起こしては、都度、アラフィフの兄弟姉妹と自分が金銭的尻拭いをした
デメリット:すぐに底をつく
メリット:ジャンルが好きならある程度作品も好きになれる可能性が高いし、色々な作者に触れられる
[雑誌買い] 気に入った作品が連載している雑誌の他の作品を読む
メリット:読者として想定されているターゲットが近いので気にいる可能性はそこそこ高い。本命を連載で読むついでに読める。
デメリット:取捨選択が少し難しい。アプリやWEB連載だと雑誌に比べ玉石混交で選びにくい。
デメリット:内容が面白いかどうかは博打になる。表紙で期待したクオリティを裏切られることも多い。
メリット:なぜオススメか、どこが面白いかをプレゼンしてもらえる。友達が紙で持っていれば借りて読める。友達がいなけりゃ増田で聞いてもいい。
デメリット:オススメする人物のセンスが合うか合わないかは運。ある程度こちらの好みを開示して把握してもらう必要がある。
割とぬるいことしているし、同僚もぬるい人もそうでない人もおるわ。どちらかというとぬるい人の方が比率として多い。
こっちから見ると役場の人たちすごいなぁとかきちんとやってるなぁとか思えることはたくさんあるわ。逆ももちろんあるけどご苦労さんや。
たぶん公務員違いやけど、今日ハコヅメ読んですごいなぁと思いながら午前中過ごしたわ。
ただちょっとその参加者のほかの女性の能力下に見すぎやと思うわ。
なんか公務員や民間やからと言うより性格の違いなんやと思うけど、そもそもたぶんその女性たちワークショップでまともなもん出そうと思ってないで。
たぶん増田もそれは分かっていると思うけど、それ以上にまともなもん出そうと思ってない。
時間内に輪を乱さずそれなりのものをワークショップで出せばいい。
満足げな態度って言ってるけど、民間で覚えるのもぶっちゃけそういう態度きちんと取れることやわ。
自信がないときに素直に自信がないって態度とってても良いことなんて一つもないで。
あとはまぁワークショップ自体でテンション上がったんやと思う。仲良くなったみたいやしおしゃべり楽しかったんやろ。
そもそもマーケや研究職がそんなコンサルみたいな事いきなりできるわけないし。
うちの会社でもそういうアイデア集めて短期でってあるけど、そこで覚えることって「あーこの程度の質でないとまとめられんな」やねん。
だいたいが時間的な制約と人の能力の制約で。金の制約とかはその後。
ワークショップ形式って特に短期だと「輪を乱さない」つまり「余計なトラブル起こさず時間内に終わらせる」って条件を付けると一番能力のない人に合わせることになるねん。
増田も今回そうしたやろ。みんなそれやってるわ。
ほんで何のスキルが向上するんやって言うと、ある程度の会議とかできちんと発言できることや場の主導権持つことやわ。
主導権持つ能力って大事で、自分が主導権持たなくても話の流れきちんと作れるようになるし。
今回増田が全く主導権握れずに、増田の望む最低限のクオリティも担保できなかったわけやん。
せっかく持ってたアドバンテージ初手で潰されてるねん。潰した人達は天然か「制約増えてめんどいことなるなー」って思考したかは知らんけど。
それでもまぁ確かに大手民間ってだいたいの人がそんなに能力ないで。
いつももうちょっとだけ頭使えよって思っている。ワークショップではあんなしょーもないアイデアしか出せない。
特に企画やマーケ、営業なんてその能力をいかに効率的に特化させるか大事になってくる人多いんちゃうか。
たぶんほとんどの企業が経営戦略って言いながら適当な博打打って適当に進めているわ。
陰謀論見ると大体の感想は「そんな複雑な計画立ててないし、そんな能力ないで」やわ。
わしらが民間が獲得したのは結局ある程度適当な人材である程度適当に進めることや。
それをスピード感って呼ぶこともあるし、効率化とか低コスト化とかって呼ぶこともあるわ。
あと、ほんまに本気出して進めたいときはワークショップみたいな形式でなんてやらんで。
完全にワンマンで始めるわ少なくともうちやと。
たぶんそこは公務員も一緒やと思うけど。
MMT論者なら、五輪賛成もありだろう。公共投資リソースに余裕があるなら五輪もありだ。
(MMTは行ける証拠もダメな証拠もない、ゆるふわ仮説段階の経済理論というのが自分の認識。今やるなら大博打になる覚悟が必要だ)
建設投資自体は別にいい。だが五輪のような一過性のイベントへの建設投資は、日本の現状では優先順位が低い。
承知の通り、五輪は一地域、一時に需要が集中する。需要増自体はいいが、こういう需要増は中長期的な効果が投資額の割に低い。
一気の需要増では建設コストが高くなるので作られたインフラのコスパが悪く、一時の特定需要に合わせたインフラである以上、流用すれば無駄ではないにせよどうしても効用が落ちる。
同じ額の建設投資をするなら、日本全国津々浦々の老朽化インフラの中期的な修繕整備に廻した方が、フローの乗数効果もストック効果も高いはずだ。
衰退国家に必要な経済政策は絶えざるデフレ圧力と需要減少の中で軟着陸するための撤退戦の戦略。
「強力な需要喚起で、そこを経済成長の起爆剤に!」みたいな考え方は成長過程では妥当な政策だが、ファンダメンタルがマイナス気味の国家では通用しない。
最も重要な「経済成長」を達成する手段がもはやない、「不幸の中でマシなものを選べ」というのが、日本の経済政策の選択肢の現状、という認識が前提。
ゆえに財政出動としての効率の悪さから、開催決定前から五輪招致自体に反対している。
緊縮は自殺行為だが、五輪開催のような根底に「どこかに低成長脱出経路があるはずだ」という夢想がある政策も、延命治療のリソースを減らす寿命を縮める行為に変わりはない。
本邦には「プラスだからいいじゃん」というような余裕はない。限られたリソースを最適に運用しなければ、衰退まっしぐらの崖っぷち国家なのだ。
(繰り返すが、もしMMTが正しければ、という点に一縷の望みがあることは認める。)