はてなキーワード: ファンタジーとは
なんの気なしに知らんやつに加害する人間が多くて、自分の頭がおかしくなったのかと思った。幻覚?幻聴?
ぶつかりマンには出くわしたこと無いけど、ぶつかりマンの亜種には沢山遭遇した。
信号待ちで罵声を浴びせてくるタクシーの運転手、人を杖やスーツケースで小突いてくるご老人ども。電車で人をぐいぐい押しのける人間。
間引いたほうが良いと思う。
ファンタジー世界だったらこれをきっかけに魔王になるぐらいの感じではある。
たぶん、恰幅の良い人だと上記のような目にはあってないと思うので、嘘松か?とか言いたくなると思う。自分も自分の気がおかしくなってる可能性を見出したい。
上品なファンタジーものに触れたければ漫画原作アニメに一旦別れを告げてPCを自作して原神をやりましょうぞ
現実の各地域の風土オマージュや二次元文化、映画文化、神話などをふんだんに取り入れているため、考察好きなお方であれば多方面の教養も磨かれますぞ
末永く人生のお供として付き合える作品であることは保証いたしまする
アニメ調の美術テイストも最先端で、ゲーム史上最大と思われる累計500億超の莫大な開発費と、1000人超の開発人材を惜しみなくつぎ込んでおられるようで
オンラインゲームとしてあり得ないほどの開発ペースで質・量ともに優れたコンテンツを繰り出してくるため、毎度ユーザーの期待を超えてくる印象のある受賞歴多数の運営型ゲームですぞ
何もかも本気で作っておられる熱意が伝わってくるので例えば音楽ひとつとっても地域ごとに毎年一流のオーケストラを動員して録音したりと余念がありませんぞ
ちなみに最新の国のフォンテーヌのBGMを指揮されたのはハリポタ劇伴を指揮したのと同じ方なのですぞ
このミュージックビデオの凝りようだけでも規格外さが伝わってくると思いまする
https://www.youtube.com/watch?v=kRd1cW0_VMA
テレビをネットを受動的にぼけーっと見ていればカルチャーを摂取できている気になれた時代は平成で終わったのかも知れませぬ
基本無料にもかかわらずどんな有料作品よりも豊かなIP発信をされておるこの様はすべてのアニメ文化愛好者が刮目すべきものだと思いますぞ
さあやる気をだしてPCを組みましょうぞ、どうしても機械に疎いのならば入手しやすくなったPS5でも構いませぬ
いずれにせよ可能ならばウルトラワイドモニター等の広い画面でプレイされることをおすすめしますぞ
さらにできることなら良質な有線イヤホンないしヘッドホン、もしくは音響システムがほしいところでもありまする
安価に済ますのであれば近年の音質向上と低廉化がすさまじい5千~1万程度のブランド中華イヤホンを選ぶのがオススメですぞ
例えばSIMGOT EA500あたりですな
確かに自分は他の作品に詳しくないのでどのような作品がるか教えてもらいたいかも。
一応例を挙げるとやたらと政治劇がリアルで人気のあるパトレイバーは、よく考えられた問題を取り扱っているものの政治や人間関係の進行は非常に物分りの良い人物たちで構成された小説やアニメの特有のファンタジーな世界だよね。まさに未だに社会に反抗し続けて閑職に追いやられる大人が思う理想的な世界だなと
大学在学中はSFに飢えていて、「AKIRA」とか「エヴァンゲリオン」とかを観ていたのだけれど、「ラーゼフォン」にはハマることができなかった。問題は長さなのではないかと思い、26話も見る必要のない映画を手に取った。
この作品が好きだったのは、クラークやイーガンが好きだった自分が求めている、別の惑星の風景描写があったことだ。僕が映像作品を評価するのは、どれくらい思いがけない風景を見せてくれるかだ。火星の大地や、木星とイオのあいだにかかる雷の橋が美しかった。ヒロインからの携帯メールにも確かクラークへの言及があった。
また、日常の美しさを切り取った言葉を、詩のようにつなげていくアニメを見たのは初めてで、そこも新鮮だった。
敵方の宇宙人が、鏡像となって話しかけてくるところなど、露骨にエヴァの影響を受けているし、詩的な文章も村上春樹のフォロワーに過ぎないと感じはしたものの、この監督の作品をもっと見てみたいと感じた。
「僕と彼女の猫」は忘れてしまった。珍しく自分が好意を寄せている女性視点の失恋の話だった気がする。
僕が好きな要素がとにかく詰まっていた。架空の歴史、知的に早熟だけれども情緒的には年相応の少年少女、そして天にそびえる真っ直ぐな塔。東京からも見える北海道のメガストラクチャーという、自分の想像力をはるかに超えた世界を見ることができた。
もちろん、欠点もあった。ヒロイン・佐由理を救うか世界を救うか決断を迫られる主人公・浩紀は、セカイ系の典型例に感じられて冷めてしまったし、あと、これは前にも書いたのだけれど、主人公のやっていることはテロリズムの肯定だ。
テロ組織の名前も、北海道を手に入れるためなのにアイヌ解放戦線じゃなくて、サハリン・樺太の先住民族ウィルタ解放戦線だ。ヒロインの祖父の名前ツキノエはアイヌ系の名前だが、そこには一切触れられないし、朝鮮半島のように南北に別れた家族の悲劇は、ごくわずかしか触れられず、プロットには絡んでこない。つまるところ、政治は装飾でしかない。いいのか。
にもかかわらず、この作品を好きになってしまった。アニメで精密に描かれた東京の景色は、当時の僕の生活圏とかぶっていた。自分の暮らす世界の彩度を高めた景色は、ぐずぐずとした感傷に僕を引き込んだ。何にもでもなれると、まだかろうじて思い込めていた頃だった。
そして、テーマ曲があまりにも切なく、これがずっと頭の中で流れ続けていた。過剰なまでに作中で繰り返され、露骨でさえある。しかし、悔しいけれども切ない気持ちになるのをやめられなかった。ラストで虚無に飲まれる北海道の美しさで息をのんだ。
自分の青春に満足できていなかった僕は、この甘ったるいテーマ曲の映画に呪縛されていた。批判しつつも、フィルムブックとノベライズを買ってしまうほどだった。これが感傷マゾなのか。
退屈さを感じる場面や、冗長な個所もあった。でも、日常の風景を美しい色合いで描くアニメを他に知らなかった。第2話冒頭の、貴樹が空想する巨大ガス惑星が空にかかった惑星の風景は、僕が創作していたSF小説の舞台として何度も用いた。
そして、第3話で流れた「One more time, One more chance」ですべてを持っていかれた。ヒロイン・明里と結ばれないラストを見て「そうなんだよ! これこそが人生なんだよ! はっはっは!」と快哉を叫んだ。「鬱エンドだ」「悲しい」と言っている連中を笑っていた。なんてこじらせた大学生だったんだ。これもノベライズを買った。
振り返ってみれば、主人公はいつまでも明里の幻影に惑わされており、サーフィン少女・花苗の気持ちにちゃんと向き合っていない。独り身の期間が長かった自分は「応えてやれよ!」とあとになって思ったものだった。そりゃあ、思春期だから初めての感情ばかりで、あまりにも未熟で、だから人間関係で目も当てられないような失敗を繰り返すんだけれど、「結局お前モテてんじゃん!」と怒りが湧いた。
後に、貴樹をはじめとした新海アニメの主人公たちはどうやって童貞を卒業したのかな、夜のお店かな、などと根拠のまったくない最低な空想をするようになってしまった。自分がそうだったからって投影するなよ。
統一感のない固有名詞(※僕はファンタジーで名前を付ける際には一貫性が必要だと信じている。だからアルカンジェリ、ケツァルトル、シャクナ・ヴィマーナと複数の言語圏から安易に引っ張ってくるのを良しとしないし、文法的に怪しいヴィータクアやフィニステラという語も納得できない)、ジブリの表層だけをなぞったような描写、主人公・明日菜が地上世界と地下世界の両方の血を引いているという重大な設定が劇中ではほとんど描写されないなど、自分が気に食わなかった点は多数あるが、最大の問題点は悪役の森崎(ムスカと揶揄される)のサブプロットのほうが面白く、新海誠が思い入れを持っているように感じてしまったところだ。
愛するものの喪失を受容せず(子の喪失ってキーワードも村上春樹フォロワーっぽい)、代理品や依り代を求め、神々なり悪魔なりと契約する姿は碇ゲンドウともかぶり、なんにせよ強烈なキャラで、明日菜を食ってしまっている。いっそ明日菜いらなくないか?
冥界をめぐり、禁断の知識の代償として盲目になるのは神話的でちょっと良かったけどね。
しかし、作者の意図や性癖が透けて見えるというのは一方的に親しみを感じる契機でもある。不完全にゆえに見透かせるものがあり、理解者になれたと錯覚できてしまい、結果的に作品を愛してしまうことがある(※これは新人賞を取った作品を読むときもそうなんだけど、「作者はこういうことをやりたいんだろうな。なら、ここをこうすればもっとよくなるだろうな」と考えつつ読むことが多い。創作をしていた人にありがちなことなのかな?)。
言いたいことはたくさんある。
けれども、最大の欠点は「何でもかんでも台詞で説明してしまうこと」だ。
最後のタカオとユキノが見つめあう場面で、高まった気持ちをぶちまけるのだけれど、音楽と映像がうるさいなので、台詞なんていらない。
新海監督は文章を書く能力はあるのは認めるけれども、「説明は小説でやれ」と感じる。「なんでも説明するのをやめてくれ、映画の受け手を見くびるな」とも感じた。
そして、鮮やかな色彩がわざとらしく感じられ、反発を覚え始めた。
ただ、この頃から日本の古典を扱いだしたのは嬉しい。ささやかな愛国心が満たされる。
僕は海外文学が好きなので、逆に外国の人に日本の詩を知ってほしい。
観ていない。
「言の葉の庭」の一件もあったが、ハッピーエンドになったということを聞いて、寝取られ性癖(というかBSS、「僕が先に好きだったのに」?)を抑える優秀なプロデューサーがついたんだな、とシニカルに考えていた。売れるようになった、大ヒットを飛ばすようになったとも耳にして、新海誠が自分からどんどん離れて行ったように感じた。そして、もう二度と新海アニメを見ることはないだろうと思った。友人や尊敬するSF作家が見ていると聞いても、耳を塞いでいた。
「君の名は」の予告の「スカート注意、男子の目線!」といったセリフにも、新海誠の性癖が透けてみるのだけれど、徐々に作者のあけすけな欲望に対して嫌悪を感じるようになっていた。
これは男子高出身の僕がそうだからかもしれないけれども、僕には、男性監督が女子高生をじろじろ見て偏愛していると気づくと、鬼の首を取ったかのように指摘してやりたくなる悪癖がある。岩井俊二の映画を観たときもそうだし、「ラストレター」を観たときは「俺を振った女は不幸になればいい」という怨念を感じた。庵野秀明が俳優やってたのはめっちゃ面白かったけどね。
ある女性が新海アニメが好きで、じゃあ一緒に見に行こうということになった。ただし、彼女が好きだったのは「君の名は」以降だった。
「お手並み拝見」と思いながら(なんだかんだで楽しみにしていた一方、不安でもあった)観てみると、極めてまっとうな少女の成長映画になっていて驚いた。
被災者のすずめが「死ぬのなんて怖くない」と言っていたのが、逆に震災の記憶と向き合い、心底死を恐怖し、逆に生きる実感を取り戻す構成が素晴らしかった。自分を助けに来た謎の女性が自分自身だったってのも良かった。周囲の支援が必要なのはもちろんだけれども、傷付いた自分を癒すためには、どこかで自分の力を信じて自分の足で立ち上がらないといけないのだ。
ロードムービーとしても優秀だし、周囲の人々が善意にあふれてすずめに手を差し伸べてくれたのも、叔母の環が思わず激高して負の感情をぶちまけるシーンのための溜めだと感じ、よく計算された素晴らしい脚本だと感じた。
今まで肯定的だった(あるいはマスコットでしかなかった)猫が、ダイジンという善悪の不明な存在になったのも面白い。
今まで別の災害という形で間接的に東日本大震災を扱ったと聞いていたが、正面から向き合ったのはとても立派だ。このタイミングでなければできなかっただろう。
恋愛要素を薄めたのも大正解。「シン・エヴァ」を観たときみたいに、「監督は大人になったんだな」と感じた。
それでも無念な個所はある。人口が希薄になった土地を神々に返すというモチーフと、地震を封じる要石というモチーフが、完全に噛み合っているわけではない(人口が減少している時代だから出てきた発想では? なぜそこから厄災が漏れ出る?)。少しぶれている。また、震災は人力で防げる、つまり東日本大震災は防げた、という誤った読解を誘発しかねない面もある。
あとは、震災の描写がリアルだし、緊急地震速報が頻繁に鳴るので、観ていてずきずきと頭が痛み、かなり気分が悪くなった(御茶ノ水近辺も学生時代生活圏内だったし)。昔は「アルマゲドン」みたいなパニック映画で大都市がぶっ飛ばされるのを見たり、「地球大進化」の大隕石で地殻津波が起きて日本列島が引き裂かれるのを見て気分爽快になっていたのだが、ある時点で感受性が「まっとう」になってしまったらしい。
ところで、この作品は村上春樹「かえるくん、東京を救う」のオマージュだとよく言われるけれども、「海辺のカフカ」のパロディも仕組まれている。東北まで中古車でドライブする芹澤青年が車内で流すのが「夢の中へ」だが、「海辺のカフカ」でも星野青年が何を探しているのかもわからない中田老人を連れて車で高松をドライブしながら、「探し物は何ですか~」と口ずさむのだ。誰か気づいてないかな。
そのくせ、村上春樹はオマージュにとどめ、影響下からは完全に脱しているように感じた。
疑問点。すずめの三本足の椅子、過去の自分に手渡されたことで、時間の輪っかをめぐっていないか?
どの作品かは伏せるが、主人公が僕の名前と同じで、ヒロインから名前を呼ばれるたびに恥ずかしいくらいに動揺してしまった。
当時流行っていたラブプラスをやっていたら、おそらく引き返せないことになっていただろう。
あと、「すずめの戸締まり」に関するウェブ記事で、新海監督が#MeTooのこともあるしパンチラを封じたと聞いて、機を見るに敏だなと感じ、何となく気に食わなかった。正しい判断だと思ったけど、商業性に屈したようにも感じたのだ。正確には、「雲のむこう~」みたいに政治的を雰囲気に使うのをやめたのが、なんとなくタイミングが上手すぎて、逃げ足の早さを感じるのだ。
でも、とっくに青春コンプレックスこじらせオタク向けのクリエイターから、国民的監督に変わってしまったのだ。寂しい。あんなこじらせた作品を書くのに既婚者なのも納得できない時期があった。
こういったことを、友人に対してつらつら語っていたら、「それはお前、もう立派なアンチだよ」と指摘された。「アンチじゃない、愛情と憎しみの両方を持っているだけだ。複雑な感情をも抱えているんだよ」と反論すると、「お前が複雑な感情を抱えていない対象なんてあるのか」と笑われた。ひどくない?
これだけ複雑な感情を抱えているので、「君の名は」「天気の子」を見るのがずっと延期になっている。諸般の事情でラブコメ苦手だし。
逆になんで最近ああいう、どぎつい裏社会にスポットを当てました系ないのかなって思ったけど、インターネットの普及ってやつで個人が発信することが可能になって、視聴者の知らない裏社会で筆舌しがたい悲惨な目に遭っている悲劇のヒロイン(あるいはヒーロー)というのが可視化されちゃったせいなのかな。
視聴者としてはこんなのフィクションじゃん、本当は〜っていうのが簡単に調べられるようになっちゃったし、そうすると現実は小説より奇なりだったりするし、その上で悲劇の主人公もその後しっかり立ち直ってたりして物語性が損なわれたりしちゃうし。
こうして現実世界からファンタジーな部分がどんどんなくなって、現実と地続きのファンタジーは転生ものしかない!みたいな今に続いてるんだろうか。
ほほほ本当でござるか~~~~~拙者のような底辺キモータでいいんでござるか~~~~。
拙はテレビアニメの歴史には全く詳しくないのでござるが、昔のアキハバラが映るとなんとなくデ・ジ・キャラットなんかを思い出しちゃったりするでござるよ。
さてさてこの懐かしいアスペクト比、ぶっちゃけもう今の若い子は「懐かしい」とさえ思わないんでござるな。
「知らない」のでござるよ。
これがいつ頃から始まったのか、大雑把に言えば『デジタル放送に合わせて』でござる。
細かい部分はアニメに詳しいオタクが教えてくれるでござろうから、シロートである拙者に言えるのは「WIKIで日本の地上デジタルテレビ放送でググれ」ぐらいでござるな。
日本の地上デジタルテレビ放送(にほんのちじょうデジタルテレビほうそう)とは、日本における放送局により行われる地上(陸上)のデジタル方式テレビ放送である。2003年(平成15年)12月1日の正午に導入が開始され、2011年(平成23年)7月24日の正午にアナログからの完全移行(アナログ放送の終了)[注 1]となった。略称は、「地デジ」。
2000年(平成12年)12月1日より、BSデジタル放送が開始され、2003年(平成15年)12月1日11時より、3大都市圏である東京・大阪および名古屋のNHK3局、民放16社から地上デジタル放送が開始された。残る43道府県でも段階的に放送が開始され、2006年(平成18年)12月1日には全ての県庁所在地および近接する市町村で放送が開始された。これらのことから、12月1日はデジタル放送の日とされた。
つまり、物心ついたのが2011年以降の子供は4:3の画面なんなんて知らないので御座るよ。
昔のアニメのビデオなんかとして残ってるのかも知れないでござるが、それがテレビで放送されていた時代のほうは「物心つく前」なんでござるな少なくとも。
大雑把に言えば今の小中学生ぐらいでござるな。
いやーびっくりでござるよ。
しかしてこのアニメのオタクはテンプレオタクファッションは着るくせに「ござる」と言わないでござるな。
じゃあ俺もやめるか。
しかしあれだな、主人公が「タイムリープするのは選ばれし人間だけで凡人がするものではない」という感性をもっているのも令和風だな。
カマトトぶって「え?そもそも何が起きたの?」からスタートなんてしない。
社長の声がテンプレキモータで「あっ、これぐらいのステレオタイプは令和でもゆるされるでござるか」となる。
ラノベやVに追われるエロゲ業界というイメージはまあ確かにって感じ。というより1人でつよつよ出来る人はエロゲ業界なんて岩の下日陰通りダンゴムシ横丁なんてスルーして表舞台で売ってるから才能が流出しとんのよな。
パープル?って実在するの?あっググったら実在した。あれ?結構でかいなこの会社。あれ?俺なにしに来たんだマジで。
もう書くのやめるか。
ちな説明するが俺はエロゲ全盛期が終わった頃、大体シュタゲがアニメ化されたぐらいでエロゲからは抜けたぜ。
逆にこのアニメにふさわし気がしてきた。
書くの続けるか。
俺がエロゲから離れたのも「え?大作が見たいなら全年齢の方が強いじゃん。じゃあもう抜きゲーでいいじゃん?でも抜きゲーもわざわざクリックカチカチするのだるいじゃん?」だしな。
セックスシーンが物語の中で重要な意味を持っている文学的な作品なんて結局ほとんど生まれず、義務的なセックスシーンを描くか、義務的な物語を描くか、そうしてどっちつかずな何かだらけになっちまった。
というには拙者エロゲ知らなすぎるでござるのに口が勝手に動いたでござるよ。
誰彼100円!
自分でも知ってるあの時代の伝説のライター達が今やってるのがプリコネ、レドバン、FGOとソシャゲばかりなのはマジで時代なんでござるなあ。
フルプラの10倍の値段払ってガチャ回すんだからそりゃソシャゲが強いでござるな。
対魔忍のサ終とかちょっと話題になったしアイギスも10周年、そう考えるとエロソシャゲもまあまあ元気はあるっぽいが、表のソシャゲと比べると弱いんだよなあ。
いや古いってほどじゃね―んだけど、露骨に緩急つけてくるからすげー高低差見えるっつ―の?
「20年か25年かぐらいでもいざ意識しだすとスゲー昔に感じるよな」を演出してきてる?
いやそれならバチリコ刺さってるわ。
はぁ~~~声優の起用一つでもこういうこと狙えんのね。
1話目に20分かけて面白いもん仕込んでくるなあ。
まあ、俺は続き見るけど見る気のない人に薦めようって気はしないな。
面白そうと思った人間以外が見て楽しめるものがある感じではないだろ。
気になった奴は見たほうが良いけど、気になってないなら見なくて良い。
まあマジで「このコンセプトでアニメが見たい人が見る」のプラマイゼロなんよな。
俺は気になったから見るけどな。
しかしあれだな書くことがなんというか偏るな。
コノハの好感度をジワ上げしつつ物語の導入してるだけで終わってるから、あえて見てる側が語るほどのことがないというか。
コノハ時代のキャラ付けのコンセプトである「レトロ美少女ゲーヒロインっぽさ」+「今みてもうわッ!キッツ!にならない程度の大人しさ」+「物語を転がす時に適度に摩擦抵抗を持てそうな尖り具合」の掛け合わせが滅茶苦茶無難というかね。
やっぱ作者がエロゲ沢山やってるだけあって最大公約数がどの辺りなのかは外さねえなとは思うんだが、「最大公約数だね」で終わってしまうのはそれはそれで弱点じゃねえのかという気持ちもある。
でもキャラ単体として尖らせすぎると最も出したかったであろう「どことないテンプレ感」がそっちに飲まれるリスクがあるから出来ないんだるな。
まあデザインってのは結局こういうものというか、デザインでやりたいことをまず優先して個性を出すのはそのあとに回すのが正解なんだろうと思うわけよ。
神のみのエルシィは「ファンタジーだと一目で分かるキャラデザが世界の中で浮きやすく、他のヒロインとの集合でみたとき攻略対象とは別枠として映りやすい」を狙っていて、ある意味で逆なんだよな。
露骨なテンプレヒロイン感を意図的に外せる人間は、逆にど真ん中に投げ込もうと思えば投げ込めるっていう。
野球でもなんかあるっぽいんだよな、ど真ん中すぎるとすっぽ抜け感があって逆に打てないみたいな現象。
コノハはそれっていうか……こうヒロインとして扱いにくさがあるとういか……つまりはヒロインでありながら主人公としてデザインできてるんだよ。
だからこう「エロゲヒロインに対して向けるような品定めの目で見ないで済む」っていうかさ。
うん。これを少しでも脱臭して言うためにここまで長々と書いたけど結局コレなんだな。・
それが中心に1話が進むから「ちゃんと出来てるね」で1話が終わっちゃう。
良くも悪くも。
まあこれはひょっとして「まだOPの部分なんですよ~~~」が伏線な感じ?
期待していい?
迷惑?
そして俺はこの世界で成り上がってやるぜ!!…………って思ってたのによおおおぉぉっ!!!
「なんで俺がこんな目に遭わなきゃならねーんだよ!!」
「ギャアァッ!?」
目の前には巨大なドラゴン。その口は今にも閉じられそうだ。
「くそったれえぇ――――っ!」
必死になって腕を伸ばすも、俺の腕力じゃあ到底間に合わないだろう。
ああもうダメだ! 喰われる! そう思った瞬間――ドラゴンの首から上が無くなっていた。
「へ?」
間抜けな声を出した直後、ドサッと音を立てて胴体だけが地面に倒れる。
何が起きたのか理解できないまま呆然としていると、背後から足音が聞こえてきた。
振り返るとそこには一匹の弱者男性がいた。
鶏の体に首から上は皺だらけの老翁という恐ろしい姿の化け物だ。
Lv99(MAX)
HP4400/4400 MP8800/8800 攻撃力3200 防御力2900 素早さ3000 魔力16000 耐性 火・水・氷・雷・毒・麻痺・眠り・呪い・即死・状態異常
石化眼:相手を見つめることで相手を石化する。また相手のレベルが高いほど石化しにくくなる。
固有スキル
うげええぇぇぇっ! こいつ強すぎんだろ!? しかもなんか見たことないスキル持ってんぞ!? つーか弱肉強食の世界だから強い奴に従うしかないんだけどさぁ……でもこいつはちょっと強すぎるんじゃねえかな? だってほら、強そうなドラゴンを一撃で倒しちまったし。
「ギャオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン」
やべえ、外見はキモいし話は通じそうにないしで完全に詰んでるじゃん。
逃げようにもこの強さだし無理だよな……。…………よし決めた! こうなったらコイツを利用して成り上がるしかねぇ!!
コカトリスが叫ぶ。すると彼の前に半透明の画面が現れ俺のステータスが表示された。
Lv5
HP100/100 MP50/50 攻撃力20 防御力10 素早さ15 魔力0 耐性 なし
固有スキル
なし
よし、これでいいはずだ。あとはコイツと交渉してなんとか仲間に引き込むだけだ。
「おいお前、よく聞け。俺は弱い男だがこの世界の誰よりも強くなりたいと思っている。そこでだ、俺と一緒に強くなってみないか?」
「ギャウゥ……」
おっ、興味ありって感じの反応だ。もう一押しすればいけるかもしんねーな。
「それにこの世界では弱者男性を倒して経験値を得ることによってレベルアップすることができるらしいぜ。つまり強くなるためには戦うことが一番ってわけだ。どうだい? 一緒に戦おうじゃないか」
「ギャオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン」
「ちょっ、おまっ、まさか俺のこと殺す気じゃ――」
「グオオォンッ!!」
次の瞬間、コカトリスの大きな嘴が俺の首筋へと突き刺された。
若いころ、どうしておばさんは若い男子が好きなのだろうか。と、心底疑問に思っていた。が、おばさんとなった現在、良く分かったので日記にしたい。
おばさんはもちろん、若いころがあった。
若いころは、少しきれいな格好をして、メイクをして、笑いかければ同じ年ごろ、つまり若い男性が自分にときめいてくれることが普通だった。
しかし年齢を重ねると、私が笑いかけたところで若い人に限らず男性全般的に、私にときめくことはないだろうという自意識に変化する。
それは「かつてできた楽しいことが、今はできない」という感じだ。
ところで、同じコミュニティに若い男性がいるのだが、いまその男性に「すてきだな」と思っている。しかし、おばさんとなった現在、その男性に「すてきだな」と思うことは、若いころと全く違う。
若いころは、「すてきだな」と思ったら、恋愛に発展するという現実がかなり真実味を帯びていた。一方、今は恋愛に発展する可能性はほぼなく、ただのファンタジーである。
現実的に恋愛関係になることはないという意味で、アニメやゲームのキャラクター、芸能人を推す、という感覚に近い。「私」がどんな属性であるかがほぼ意識されない。推す対象を前にファンはファンとして一括りに扱われ平等な存在である。
いま私がその若い男性に「すてきだな」と思う時、私は自動的に自分像を最高に魅力的な自分にする。それも、架空のキャラクターや芸能人を推す時と同じである(私だけだろうか?)。おばさんとなった今、私の自分像はその若い男性と同世代で、もちろん当時よりもめちゃくちゃ美人でかわいい存在が想起される。それは、とても素敵な気分にさせてくれる。魅力的な若い異性という対象に「すてき」と感じているだけではないことに気づいた。
つまり、おばさんがなぜ若い男性を好むのかというと、それ自体の観賞価値だけでなく、一瞬で無条件に若かった自分に戻らせてもくれて、素敵な気分にさせてくれる存在だからだ。そのため、「若い男性」が好きなのであって、「イケメンの男性」だけが好きなわけではない。もちろん、若くてイケメンなら最高に素敵な気分になるのは言うまでもないが。
そういえば若いころ好きだった年輩の上司は、慣れてくると態度がどんどん同世代みたいに変化していった。上司の中の「同世代だったころの上司」が出てきて話してくれるみたいだった。ああおばさんになると分かるなぁ。若い女性から、「すてきです」「かっこいいです」って言われる年輩の上司の気持ち。最高だったんだろうな~。
増田って夢見勝ち牛丼すぎない?いくら就職難(自己責任)だからって数十年すね続けてファンタジーに傾倒することはないだろう…?
その上女性蔑視拗らせ、川口に住んでるわけでもないのにネットde真実知った気になりクルド人を避難し、LGBTQを笑い者にする。
弱者男性だって多様性で救えるはずなのにねえ、他者に厳しい弱者に優しくしたい人はいないからね笑
どうぞしんでください!
だから元増田が引っ張ってきたやつがファンタジーかファンタジーじゃないかという話をしてたわけで
何十年も前から「現実世界が舞台ならローファンタジー、異世界が舞台ならハイファンタジー」って明確に決まってるのに
「異世界が舞台でもゲームとかの設定を流用してたらローファンタジーなんだ」みたいな独自定義を振りかざす奴が出てくるから困っちゃうんだよな
どうにかならんもんか
その異世界がよくあるファンタジー世界であるのなら、神が実在して奇跡も魔法も有る(そうでなければ転生先は異世界ではなくただの地球でよい)
なので神頼みでどうとでもなる
「rational and familiar fictional world with the inclusion of magical elements.」を「ゲーム設定を借りた異世界」のことだと解釈しちゃったのね(苦笑)