はてなキーワード: ダンナとは
夜、旦那と息子と川の字で寝ていて、
旦那が息子に「都道府県全部覚えた?言ってみて」と問題を出していました。
旦那が「それ言った」とか「あと5つ」と息子が言った内容を正確に把握しているようで、
「本当に合っているの?」って聞いてみると、
目を閉じて頭の中に日本の白地図を思い浮かべて、息子が言った都道府県に色を塗っているそうだ。
ダンナ曰く「地図が読める人なら出来ると思うよ。お前は方向音痴だから出来ないんだよ」って。
本当にそうなのかな?こんなこと出来る人いますか?
ちなみに、旦那はFラン大卒で今は派遣やっている程度なので頭はよくないです。
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「モデルハウスを内観して家に帰ってざっくりと間取りを書く」とか、「じっくり見た風景は数年後でも絵を描ける」とか。
反面、人の名前を覚えるのは苦手みたい「どっかで見たことあるけど名前はわからん」ってよく言ってる。
旦那は努力をしないタイプなので、受験勉強の成果ではなくて、「いつの間にか出来るようになっていた」ということを言いたかっただけです。
鬱病ってそういう本人の意志や努力で治るもんなの?私の友達で鬱病で長いこと仕事休んで結局仕事辞めてだいぶ経つ子がいるけど、いまだに完治してなくて調子が悪い時期はひたすら寝込んで何もできないらしい。
経済的にも家事にしてもダンナさんが頑張って支えているようだが、これで独身だったら生活保護のお世話になるしかなさそうに見える。デイサービスに行ったり、カウンセリングとかで「自分で自分のことを好きになるように」とか指導されているとのことで、先日久しぶりに会ったら元気そうに見えたけど、障害者手帳ももらっているらしい。
たとえさぼりとか逃げとか言われても、そんな重症の鬱になる前にストレス源から脱出しないと治そうにも治らない状態になるのではないかと思う。
確かになくすとダメージの大きいものを盗まれたんだろうけど、だからって「死にたい」とかいう理論の飛躍が分からない。貴方自身の身体とお腹の赤ちゃんが無事だったらだいたいなんとかなる話のような気がするんだけど。ダンナさんとか自分の両親に向かって「これとこれとこれを盗まれたから死ぬ!」とか言ったら全力で止められるだろう。もう少し落ち着いて物事の軽重を判断してほしいと思う。
うわー、私の15年ぐらい前と同じ状態の人がいる。もっとも離婚した当時は30をちょっと過ぎたばかりで、まだまだイケると思っていて、自由になれるってなんて素晴らしいんだろうと思っていた。
その後しばらく実家で暮らし、マンションで一人暮らしを始めて現在に至る。結婚生活が短かった(3年半ぐらい)のと、元ダンナといちいち趣味や休日の過ごし方が合わなかったので、「やりたくないことをやらずに自由にできる」というのは素晴らしいことだと思った。ただ、実家だと家事は全部母がやってくれるので暇を持て余し、休日はネットばかり見ていた。
結婚前の若いときも友達は少なかったし、休みの予定もあまりなかったので、離婚してからもあまり生活は変わらなかったけど、自分ひとり分でも家事は発生するので、一人暮らしになってから、好きなことをやる時間は減ってしまった。趣味はいちおうあるし、そのサークルにも入っているけれど、あまり頻繁に皆で集まったりするわけではなく、各自で活動して成果を持ち寄るような感じなので、休日に寝過ごすと、洗濯物を片付けて実家に晩ご飯を食べに行って一日が終わってしまうようなことがままある。
嫌いなことをやらなくていいというのは幸せなようでいて、自分の能力の可能性をつぶしているのかも知れない。料理をほとんどしなくなり、掃除も面倒で水回りだけときどきやるレベル。防災設備の点検とかでときどき業者が部屋に来るんだけど、「みっともないから部屋を片付けなくちゃ」みたいなモチベーションはゼロ。子持ちの主婦だったらもっとてきぱき動いて私と同じ時間で何倍ものことをこなすんだろうなとか妄想する。
やらなきゃいけないことを能率的に片付けないと自由があっても時間を有効に使えない。趣味のサークルはメンバーの技術レベルがどんどん上がっていて、自分だけが取り残されているような気持になることがある。旅行はほとんど一人旅。前は頑張って2~3カ月に一回ぐらい行っていたけど、最近それもめんどくさくなっている。一人旅って自分のペースで動けるのはいいけど、私のようなペーパードライバーだと交通の便が悪いところで苦労する。結局国内一~二泊の県庁所在地とかある程度便利なところになってしまう。ツアーに乗ってもいいんだけど、一人で参加するにはつらい行き先とか一人だと泊まれない宿とかあって制約が多い。
ときどき「新しい趣味に挑戦しよう!」と思ってお道具をそろえるんだけど、そこまでで終わってしまうことが多い。今のマイブームは着付けで、リサイクル着物の店で着物と帯をゲットし、小物もある程度ネットで買ったんだけど、果たしてマスターするところまで行くかどうかが問題だ。私の投稿を読んでも特に希望はわいてこないと思うけど、元増田さんも何か楽しいことを見つけられますように。
「あたしおかあさんだから」の歌詞の件はこの投稿を読んで初めて知りましたが、本当に今どきこれはないですよね。平成のこの時代に実際にここまでやるお母さんはいないと思うけど、ちょっと古い世代だとまぁ有りうるのかなと。
自分の母親も、家族のために自分の楽しみを犠牲にするタイプです。父とは同い年夫婦ですが、共に70歳を迎え、老後をのんびり過ごせるはずのところを、父が在宅であれば昼ごはんも晩ご飯も作り、施設に入っている姑と実母(私からすると母方の祖母ですね)のところに時々行って面倒をみています。父方の祖母と同居していたときは、足腰が利かなくなっていたのでトイレの介助をし、好き嫌いが多いので、自分たち夫婦用とは別のメニューで祖母の食事を作っていました。
もう少し祖母が元気で自力で外出できたときは、仕事が不規則な私と近場にお出かけなどしていましたが、介護生活に入ってからはそれもなくなりました。特養に入ったので大幅に手間は省けたはずですが、いつ施設や祖母たち本人から連絡が入るか分からないためか、あまり遊びに出かけてはいないようです。ときどき水泳に行ったりランニングをしたりして健康には気を遣っているようですが、極力お金がかからない遊びしかしていません。
本を読みたければ図書館で借り、映画を見るのも映画館ではなくレンタルDVDなどで済ませているようです。父が好きなように外出しているのに、母はいまだに家に縛り付けられているように見えます。私が子どもだった頃は、「夕食のおかずを何にするか」「夫が何時に帰ってくるか」「洗濯物がちゃんと乾くか」みたいなことばかり心配しているようで、「専業主婦ってつまんないの」と子ども心に思いました。
私は社会人になってからもしばらく実家に住んでいましたが、「食事が出来たと声をかけてもなかなか部屋から出てこない」「お風呂に入れといってもなかなか入らない」「髪の毛を乾かすために風呂から上がってもなかなか寝ない」という母の思い通りにならない行動にいちいちイライラされてヒステリックな声を出されてました。自分が毎日決まった時間に夕食を用意し、お風呂をぴかぴかにして、皆がすぐに入れるようにしておいても家族が思い通りに動かないのがイヤだったみたいです。なぜか父が夕食どきになると突然買いものやら何やらの用事を思い出し、いちいち外出するのも母の怒りに油を注いでいました。
父方の祖母の60代といえば旅行三昧で、家にいるときも「今日は○○の会があるから」としょっちゅう外出していましたが、母にはそういう自由がありません。私と一緒に外出できていたときも、「晩ご飯の支度に間に合う時間に帰る」のが暗黙のお約束でした。ごくまれに飲み会や食事会の予定が入っても、その分家族の夕食を用意してから出かけないと気が済まないので、特段手間が減るわけではなく、あまり楽しみにしているように見えませんでした。
そんな母に頼りまくって育った私は家事能力が低く、あまり介護の役にも立ちません。家族のために自分を犠牲にするのがイヤなので、一度結婚したけど、義理親・義理親族との付き合いに追われたり、共稼ぎなのにダンナにやたらとちゃんとした家事を要求されるのに疲れて別れました。今思えば家事をてきぱきこなせると、仕事の要領も良くなるようなので、もう少し頑張っておけばよかったかもしれませんが、子供を産んだら育児に時間とお金を奪われるのも恐ろしくて子づくりも拒否しました。それなりに稼ぎのある仕事をしているので生活には困りませんが、どういう人生が一番幸せなのかいまだに分かりません。長文で失礼しました。
> 「家のことはうんと手を抜けばいいんだよ」
> 「家が汚くてもお惣菜でもいいじゃん」
と言ってくれるダンナさんは素晴らしいと思う。たぶん自分一人で家計を支えるのが嫌だとか、将来いい家を買いたいとかいう下心があってのことだとは思うけど、同じような状況で私が苦しんでたときに私の元ダンナは「ご飯はちゃんと手作りしろ」だの「(家の中が)汚すぎる」だの文句ばっかり言っていた。
結婚するときに「家事はちゃんと分担する」という約束だったし、お義母さんが家で仕事している人だったからそんなに料理に手をかけられずにインスタントラーメンとか冷凍タコ焼きとか食べて文句言わなかった人間のくせに、自分の妻にはフルタイム勤務ときちんとした家事を求めるとか図々しいにもほどがあると常に怒っていた。
私は「そんなに家事やってほしければ住宅ローンも生活費もお前が全部払え。私は専業主婦かパートじゃなければ家事を全部自分だけでやる気はない。」と宣告したのだが、自分に都合の悪いことは耳に入らないようだった。
仕事辞めたいのは分かるけど、働き続けた方がいいと思うよ。「こんな奴と暮らし続けたくない」と思ったときに離婚しても貧困で困らなくて済むからね。
就職してからこのかた、仕事にやりがいを感じたことがほとんどない。極力残業したくないし、休日出勤なんてもってのほか。残業しまくった部署もないわけではないけど、自分が働かないと自分や他人さまの給料が出ないとか、仕事量が多いうえに、あっちゃこっちゃから頼まれ事が多くて全然進まない部署とかごく一部だ。
特にマイペースで仕事が出来ずに邪魔されてばかりの部署のときは発狂しそうになって、誰に何を言われた訳でもないのに残業して夜10時くらいになると勝手に涙が出てくるようになり、見事に病んでる人認定を受けた。逆にその認定のおかげで、無茶な残業はしなくて良くなったけど、産業医が上司にそのように言っただけで、誰かが私の仕事をやってくれるわけじゃないので、仕事の山は減らなかった。
時々やたらと責任感が強い人がいて、仕事が終わらなかったらとてつもない時間まで残業したり、休みもとらずに働いたりするけど、それで倒れたらどうする気なんだろう?うちの職場は比較的そのへんは恵まれてて、病気で休んでいてもしばらくは給料の何割か出してくれるけど、そんなのは永遠に続く訳もなく、本格的な鬱病とかで長期間休めば給料なんか出なくなる。
私の同期がそんな感じで病に倒れて、結局仕事を辞めたんだけど、たまたま結婚してたからダンナに養ってもらえたものの、今だに完治せず、調子の悪いときはひたすら寝込んでしまうという。それって独身だったら生活保護のお世話にならないといけないレベルじゃないのかな。
私は仕事よりも自分の身体が大事だからそこまで無茶しなかったけど、頑張って頑張って自分の任務を果たそうとするほど再起不能な状況に陥るというこの皮肉。自分の身体は自分で守るしかないとつくづく思ったあの時。そしてある程度気に入った仕事があってもそれを続けさせてくれる訳ではなく、2~3年も一つの部署にいればだいたい新しい部署に異動させられてまた慣れない新しい仕事に右往左往する羽目になる人事制度。
40代も後半に入ると、この人事異動と仕事の変化がやたらと堪えるようになる。お願いだから慣れた職場で慣れた仕事をずっと続けさせてほしいんだけどダメなんだろうか?似たような仕事ばかりやっているとだれる部分もあるけど、一から新しい仕事を覚えるのとか耐えられない。その環境を苦にしない人が上司の覚えめでたく出世するんだろうけど、私は出世なんかどうでも良いから楽な仕事がしたい。
昔っから不思議なんだけど、こうやって芸能人に疑似恋愛を求めて貴重な時間とお金を割いている人々の気持ちがまったく分からない。貴方たち彼らにとって単なる金づるだよ。金づるだからコンサートとかイベントとかで甘い言葉をかけてもらえるかも知れないけど、別にそれは貴方一人に言っているわけでなく、皆が引き続き自分たちにとっていい金づるとなり続けてくれそうだから言っているだけじゃん。そんなことはファンの方も承知しているとは思うけど、自分の顔と名前すら憶えてくれないタレントのために貴重な時間とお金を費やすのがバカバカしいと思う。
まぁ年齢や容姿的にリアル恋愛が無理とか、結婚してるけど今さらダンナにときめかないので芸能人に夢を持つとかいうのはありかもしれないけど、それなりに若くて美しい(そんなにすごい美人でなくても人並みもしくはそれ以上)だったらリアルの方で頑張った方が良くないかと思う。自分の若いときも全然自分から行動できない人で、友達に「彼氏ほしい」とかぼやくと「あんたが努力しないからだ」と怒られたぐらいだけど、とにかく若い子が自分の身近な人を見ないでテレビの向こうの人ばかり見ているのはもったいないと思う。
だいたい福山雅治のときもそうだったけど、岡田准一とか多少歳食ってもカッコいいで通る人たちに彼女とかいないと本当に思ってるの?ファンの夢を壊さないために隠してるだけじゃん。むしろリアルでぶつかって拒否されたくない、傷つきたくないとか思うからテレビの向こうの人たちの方を見ちゃうのかね?
自分は女だけど、察するの苦手です。特に医者から正式な診断を受けたわけじゃないけど、発達障害かアスペルガーの傾向があるんじゃないかと自分で思うぐらい。
でも、基本的に察するのが苦手な人より察してちゃんの方がたちが悪いと思ってます。人の価値観とか期待値とか常識だと信じていることはそれぞれ違うのに、その違いを無視して「自分の期待していることを察してくれない!」と怒る方がバカでしょう。
よく「女の相談事は「うんうん、そうだよね」と聞いてほしいだけで、意見は求めていない」という通説がありますが、私は友達などから相談を受けたら「え、それって○○ちゃん(相談してきた人)の方が間違ってない?」とか言っちゃいます。基本的に目の前の人がしゃべっていることに対して「うんうんその通り」と思うか「それは違うんじゃないの?」という判断はできますが、自分の知らない第三者について「××さんと上手くいかないんだけどどう思う?」とか「私はこんなに一所懸命やっているのに△△さんは全然分ってくれない」とか言われても、それはあくまでも○○ちゃんの認識であって、それが客観的に正しいかどうかなんて分かりません。
要するに「察して」「共感して」っていうのは「自分が常識だと思っていることは他の人にも通用するはずだから自分が正しいということを認めろ」という意味だと思っていますので、「彼氏(あるいはダンナ)が全然察してくれな~い」とか愚痴る人間は相手に対する期待値が高すぎるだけでしょう。「こういうふうにして欲しい」という要望があるならきちんと言語化して伝えるべきだし、伝えないくせに分かってもらおうとするのは甘え以外の何物でもないと思っています。以前そんな調子のことを親に言ったら「お前の考え方は理系だ」と言われました。理科・数学の類は苦手ですが、思考回路が男性的なんですかね。
ある程度相手の欲求を察する能力に長けている方が人に好かれやすく、快適に世の中を渡って行けるとは思いますが、それはその人の察する能力が高いだけで、「察することができて当たり前」と誰にでもその能力を要求するのは間違っているとい思います。
熱が出て仕事を早退した。
早く家に帰って寝たかったけれど、卵&アクエリがないことを思い出しスーパーへ。
どうやら今日の卵は98円で、お一人様一パック限定だったらしい。
どうもババアの前に並んでいた客はババアの知り合いだったらしく、他人の事情をレジ前でバラしまくる。
○○さん家はダンナさんがどこそこにお勤めだったから、夫婦で年金をたんまり貰っているはずだ。
それなのに孫を連れてきて卵を3パックも買っていくなんてズルイ。
毎日カツカツで暮らしているのだから卵くらい好きなだけ買わせてくれ、それともこのスーパーは孤独な年寄りに冷たいのか、と。
聞いていたら更に寒気と頭痛がしてきたので別のレジに並び直して家に帰った。
卵がゆを作りながらバアさんの話にどう寒気だったのか、俺なりに考え直してみた。
『お一人様一台限り』のゲーム機の行列があったとして、友達が並んでいたからその後ろに横入りするのはズルイ。
でももしも町一番の裕福な家族が、転売目的じゃなく本気で一人一台欲しいから、きちんと行列に並んでいたら?
それって『ズルイ』のか?
確かに俺がその列に、薄っぺらいジャンパーで震えながら並んでいたらやっかむかもな。
分厚いダウン着た幸せそうな金持ちをちっ道楽者どもが、と唾を吐きたくなるだろう。
オマエラは高い金出してネットで買えよ、もしくは並んでくれる奴を雇えよ、位は思うかも知れない。
でも『ズルイ』は言葉として違うと思うんだよ。
正しくは『羨ましい』だろ?
ババアはちゃんと言えよ、金持ちな癖して孫連れて卵3パックも買っていきやがって羨ましい羨ましい。
オマエラもちゃんと言えよ、人気ブロガーは本出せて羨ましい羨ましい。
ズルイって言葉で他人に不幸を擦り付けようとしてんじゃねぇよ、自分のケツは自分で拭けよバカ。
ズルイって言葉はアフリカの呪術か何かか。そう言っときゃよく似た誰かのいいね!が得られんのか。
とりあえず俺は羨ましいをズルイと言い変えずに生きていきたい、と思ったが...
でもまぁ時には思うわな。
予定日よりやや早く子どもが生まれて、粉ミルクを初めて作った時、
いい加減な性格、不器用なタイプは子どもを持つべきではないと後悔した。
それから、はや3年。
保育園に通っている同クラスの母親は、2人目、3人目を妊娠している人が多い。
「小1の壁」を突破する方法として、第1子の入学時期にあわせて第二子を出産し、
自分に当てはめると、東京五輪イヤーの2020年8月から翌21年の5月までに産むと、都合がいい。
体力的に厳しいが、不妊治療のリミットを考えると、絶対に無理というわけではない。
東京五輪開催にあわせて、大盤振る舞いの出産・育児奨励策を実施するべき。
例えば、前後10年間の期間限定で、一人あたり総額500万円相当の育児関連用途限定ポイントを付与し、
好きなオンラインショップ・実店舗の支払いに充当できるようにし、
リアル店舗は無料託児サービスを提供すると、補助金を得られるようにする。
自治体も、子どもが0~10歳の間は公共施設の有料エリアの入館料を半額にするなど、
原資は一律カットした老齢年金・遺族年金と、0歳時の認可保育園の保育料の大幅値上げ。
1歳から保育園に子どもを預け、0歳時クラスの様子を見た印象としては
離乳食が完了するまではほぼ1対1対応で負担が大きく、受け入れをやめたほうがいいと感じた。
若い人には、子どもを生むなら遅くとも30代前半だと警告したい。
家事ができない(やらない)ダンナより、時間にルーズなダンナのほうがストレス度は大きい。
母親一人の「ワンオペ育児」の改善はあちこちで言われつつあるけれど、
分担する際の方向性や、料理など実際の作業が重複する「ダブル育児」の弊害も知られて欲しい。
毎日、夜遅くまで時間を気にせず子どもと遊び続ける夫の行動に苛立つのは疲れた。
気づいたらまわりはほぼ年下で、同年代はだいたいマネージャーになっている年齢になった。そういったポジションにいない自分があれまぁとも思うけど、あえてそういったところに近づかないようにしている節もある。
頼まれた仕事に対して、望まれた成果、または望まれた以上の成果を出していけばまわりはほっとかない。どんどんと仕事を任され、どんどんと力をつけ、ポジションを与えられる。私はどうだろう。ひと言であらわすならば、ゆるーくやっている。産後、生来の雑さに磨きがかかっていて、精度の高い仕事をしているとはいえない。ミスもちょいちょいする。時間内でタスクを終わらせられなかったり、子どもが体調を崩して急に休むこともしょっちゅう。まわりのメンバーに助けられてやっと存在している。
とはいえ気分の浮き沈みがあって、このままじゃいけない!という日もあれば、ありのままでいこう!という日もあり、一貫したスタンスがない。
正社員で達成すべき目標があって、という働き方に過剰に反応しすぎて身動きとれなくなる責任感の強さを持ってしまったので、いまぐらいがちょうどいいのかもしれない。まわりからしたら別に尊敬や相談などされないが、だんだんまぁいっか、という気持ちになってきた。
最初に思い描いていた「時短勤務だけどカイゼンにいそしみ、バンバン効率化してタスクをスリム化し成果を出して後輩たちからは育児と仕事の両立についてアドバイスを求められる」というワーママ像からはほど遠い。ごめんね人事の人。
ただ、働き始めに決めた「家族、とりわけ子どもたちとの時間を笑顔で過ごす」というのだけはいい感じにできていると思う。子どもたちに好き好き好き!といいすぎて時々うざがられているし、ダンナのことは今でも大好きだ。仕事での息抜きを家庭で、家庭の息抜きを仕事でしている。たぶん、どっちかだけなら真剣にがんばりすぎてつぶれてたかもしれない。
まず言っておかねばならない。彼は間違いなく天才的な漫画家「だった」。
彼は『コリンズ先生気をつけて』というタイトルの読み切りでデビューしたらしい。らしい、というのは現物が手元になく確認できないのだ。
なんでも、1985年発売の「マガジンフレッシュ」とかいうマガジンの増刊に載っていたようなのだが、マガジンフレッシュなどという雑誌の存在はインターネット上からほとんど消失してしまっているのである。これではどうしようもない。
入手不能のデビュー作は置いておいて、デビュー単行本の話に移る。
先に言っておくが、この作家、たったの一冊しか単行本を出していない。
そのタイトルは「がんばれアニマルズ」……。タイトルが地雷漫画のようだが、当然中身も地雷である。なんも面白くない。地雷中の地雷である。一巻で打ち切りになったのも当然である。
ちょっと待て、小原英治は天才なんじゃないかって? それもまた真である。
なぜならがんばれアニマルズは原作と作画が分かれているのだ。小原英治は作画担当。クソおもんない脚本に対する責任は負っていない。
このがんばれアニマルズにおいても、小原英治はいかんなくその才能を発揮している――。躍動感溢れる画面、息を呑むスピード感。でも、脚本があまりにも異次元レベルでおもんないので、作画も霞んで見える。悲しい話だ。
……作画面に全く問題が無かったのかと言われると、女体が致命的にえろくないとか、カラーがひどすぎるとかいう問題があるが、それでも圧倒的に脚本の責任のほうが重い。
彼が真の才能を発揮するのは、この後描かれた漫画である。その読み切りたちのタイトルは「ベガ将軍の憂鬱」「ひとつだけ光るもの」「俺は待ってるぜ」「あとは神様にでも言ってくれ」だ。タイトルから察せられるとおり、この短編たちはストリートファイターのアンソロジーに寄せられたものだ。
この短編は脚本も作画も小原英治によるものだが、なんとまあ。おもしろいのだ、これが! なぜデビュー単行本で原作をつけたのか問えるものなら問うてみたい。明らかに、彼一人ですべてこなしたほうがよかった。足を引っ張られすぎだ、あれは。
愚痴はここまでにしよう。この小原英治という漫画家、何が良いのかと言われると全て良いとしか言いようがないのだが、(コマ割りも構図もテンポもなにもかも上手い、絵が緻密だが読みにくくならないように白と黒の割合が考えられている、ページに対する情報の詰め方が上手い。漫画の教科書に採用されてしかるべき出来だ)
とくに台詞が優れている、「ひとつだけ光るもの」の台詞を引用しよう。
(場面は夜。たった一軒の家と、小高い丘、その上にはひとつだけ小さな墓標が立てられている。その傍に一人の男が居て、暗闇の中紫煙をくゆらせている。その傍らには一仕事終えたらしいスコップが置かれている)
――以下引用
ケン(妻が死んだ)
ケン(この手に残ったものといえば 家と幾何かの金 それに 発狂するには充分過ぎる程 退屈な日常)
(なにかを思案して、家に入っていくケン)
(ここで場面転換。ディージェイを相手にファイティングポーズをとっているケン)
ここまで引用――
どうだろう。この間、わずか一ページである。一ページで完全に舞台設定と登場人物の背景と物語の導入が、流れるように行われている。
なんだよそれだけかよ、たいしたことないじゃん、大げさじゃないか?と思われてしまうだろう。残念でならない。俺のつたない描写力では、彼のきわめてすぐれた台詞回しを支えている画面描写についてまではカバーしきれないのである。
彼の漫画をここに貼り付ければ、この一ページを目撃しただけでたちどころに1万人程の人間がショック死することは請け合いなのだが。
ところで、この漫画、「イライザ死んでるって、どういうことよ!?」と思ったかたもいらっしゃるだろう。
それもそのはず。小原英治のスト漫画は、一つたりとも原作に準じていないのである。
あらすじを列挙してみると、
ザンギエフとブランカが女たちを奴隷にして死闘を演じさせている! リュウとケンは助けを求める女の手紙に応え、(スケベ心混じりに)中東へ飛んだ。
からくも悪の幹部を打ち倒すとベガがどや顔でやってくる。以下、台詞を引用。
ケン「!!」
ベガ「と言いたいところだが 今回は見逃してやる 早く逃げろ」
ケ「知らなかった」
ベ「三ヶ月前までは万事順調だったんだがなあ ザンギエフとブランカの野郎国王にうまくとり入りやがって 見ての通りやりたい放題よ しかも親衛隊ともなると俺もうかつには手が出せん」
ベ(そこで俺は一計を案じた)
ベ(女の名を騙って一筆書けばスケベで脳カラのマッチョが来て奴等を始末してくれるのではと…)
ベ「しかしこれ程うまくいくとは」
ケ「お おいじゃこの手紙」
ベ「私が書いた」 (日ペン三級)
ケ(なんつーガラに似合わぬ字だ)
ベ「おっ サツが来たぞさっさと帰れ」
ケ「てめえ こんだけこき使ってくれたんだ ギャラの一つも払ってくれるんだろな お」
ベ「つけとけ」
ケ「糞ったれの×××野郎!! ×××かんでしね~」
「スケベで脳カラのマッチョ」というあまりにもあんまりな罵倒語が個人的なお気に入りである。
上記導入の通り、イライザが亡くなり、ケンは格闘業を再開する。(この話において、ケンは一時的に格闘業を廃業していた。……というか、財閥の御曹司ですら、ない。取り柄といえる格闘家としての自分を捨て、おとなしく夫として
生きていたのだろうが、妻が亡くなったためにケンは文字通りからっぽになってしまったのだ)
より良い闘いを求め、ケンは昔の仲間を頼るのだが、
フェイロンは俳優として専念、キャミィは専業主婦、本田は親方としての仕事に集中し、ガイルに至っては行方不明である。
(チュンリーは言及されていないが、おそらく(エンディング通りに)格闘家を廃業している。刑事もやめているのかもしれない。
リュウに対して触れていないのは――死んだんだろう、たぶん)
ザ「今や ケンカってえのは 衰退種である人類に許された最後の蛮行なんだぜ そいつを見せ物にしない手はねえ 巨大資本とメディアがついて廻るのさ」
ザ「今どき無償で痛い目にあう輩なぞいやしねぇよ」
ザ「俺だって そうさ ここ何年かはショープロレスで喰ってる ロープに飛んで帰ってナンボの世界よ」
ケンは魂の抜けたような目で、静かにこう考えている。
ケ(俺はただ生き続けたいだけなんだよ)
これは1人の格闘家が牙を抜かれ、「借り物の人生」を生き、妻の死を契機にまた自分の人生を生きる物語だ。
であるのに、最後のモノローグは言いようもなくもの悲しいのだ。
サガットなら真面目に戦ってくれるだろう、という助言を手に、ケンはサガットの元へ。(以下引用)
(かませを殴り倒すケン)
ケ「そりゃ 真かね ダンナ」
観客「ゲーッ なんだ おい 飛び入りかよ!! マジ?」
観客「これじゃカケになんねえよ」
サガット「シッ」
ケン「ぐが」
(わざとらしい殴り合いをしている 顔面血まみれ)
観客(こいつら― わざと―)
サ「奴に言っとけ 4本しか飲れんようじゃ 退引け時だとな」
ただ1人本気で戦ってくれたサガットを倒し、満足げにリングに立っているケン。
(ああ イライザ 僕はもう少し 生き続けることができそうだよ―)
スポットライトを浴びながら、そんなことを考えている。そうやって、ケンは死ぬまで生き続けるのだろう……。そんな未来を思わせる終わり方だ。
「俺は待ってるぜ」
あらすじはそれだけで、この話は会話劇がたまらないのだが……。
現物を 入手 してほしい
この話に関してだけはちょっともう抜粋した台詞なんかでは到底伝わらないと確信が持てる。どうにかして手に入れろ。「ストリートファイターⅢ」のアンソロジーだ。今は潰れてる新声社のアンソロだ。
とにかく手に入れてくれ。話はそれだけだ。
「あとは神様にでも言ってくれ」
ちょっと言いたくないのだが。小原先生はカラーが下手だと思う。
2009年に発表された「あとは神様にでも言ってくれ」を最後に、小原英治は漫画界から姿を消した。というか、この作品も十年越しぐらいに発表しているので、基本的に寡作である。
俺は最後の短編が発表されるまでは「病気になったのだろうか、漫画が描けない程の……」と思っていたのだが、どうもそんな気がしなくなった。
「あとは神様にでも言ってくれ」はデッサンも整っているし、線が乱れているわけでもないし、空間認識力は問題がなさそうだ。色彩感覚は元から妙なので病気をしたということもなさそうだ。
俺の考えていた脳や神経や目の病気という線はどうも薄いように感じるのだ。
であるので、たぶん、別の業種に行ったのだろう。ふつうにサラリーマンでもやっているのだろう。
……悲しい。
損失である。彼の新作漫画が読めないという事実は、全人類にとって大きな損失である、と断言できる。
もしも彼が「漫画家では生活が立ちゆかないから」漫画家をやめたのだとしたら、言いたい。
「あなたが漫画を描いていること」のほうが、明らかにこの宇宙において優先されるべき事項であると。
もしも彼の知人がこの文章を読んでいるのなら、彼を無理矢理にでも表舞台に引きずり出してほしい。
だいたい、今どき絵で金を稼ぐのがそんなにハードル高いのか。
ただの漫画家ならともかく、彼は天才だ。できる。やれる。金を稼げる。絶対稼げる。
だから、描いて欲しい。
以上、一ファンの主張でした。