はてなキーワード: セーフティネットとは
よく分からんのだけど、
で、なんで
これに繋がるんだ?
そうなの?皆存分に楽しんで生きてるようだけども?苦しいって出てくる人の中でほんとに苦しそうなのが全く居ないのに驚くんだけど、
ほんとに厳しい人ってのは他にいるの?なんで出さないの?
http://anond.hatelabo.jp/20130829114155
■法律
「法律は損得勘定で場合により守る」とか、完全にアウトローの理屈です。
中二病もほどほどにしてください。
善男善女の堅気の世界でそんなこと言ったりやったりしたら一発アウトです。
「いや俺にはその知力がある」とあくまで抗弁する場合、誰がそれを保証するのか聞きたい。
どのようなステークホルダーからも「馬鹿が馬鹿なことを言ってる」としかとれない。
「大丈夫だから」「いけるって!」などと言って危険を冒す権利をあなたは持っていない。
法律違反で無茶やられるとあなたが飛ぶだけでは収まらないことがあるの。
■就業規則
一律のルールが与えられてるんだよね?
馬鹿度の高い奴ほど馬鹿の為のセーフティネットを「俺は例外だから」と言って無視するから
デメリットに気付かない、「朝は眠いししょうががない」と甘える、
ほとんどの人は野放しにするとろくなことにならないから最低限のルールがある。
ルール無用の身分になりたければまず縛られなくてもバリバリ出来る有能で特別な人材になって
別々の善悪を混ぜる論法を始めるといくらでも意味不明な正当化が出来ます。
「ムラムラして子供をレイプしちゃうよりは女友達にセクハラする方がマシだろう」みたいなね。
こんなのは「どっちもダメなので別な解決策を探してください」で終わり。
また現実的に言っても、寝不足を遅刻で取り戻してる奴なんてのは
仕事が多すぎるか自己管理出来てないかであって、遅刻は根本的解決になりません。
あほらしいことをいちいち突っ込ませるな。
http://anond.hatelabo.jp/20130809115823
を読んで、色々考えた。
私の祖父は地方都市において戦後の荒れ野原から身一つでそれなりの財を成した。
私の父はその地方では有名な私立大学に進学し、母と出会い、結婚し、私を産んだ。
私は「お受験」をし、東京の国立大学を修了し、とある企業で研究職として働いている。
低学歴の世界-高学歴の世界の議論がはてなで行われている時、高学歴の世界の方が優れているかのように語られていると感じる。
そりゃ収入量等で上下はあるだろうけど、「上下」だけで語られるのどうなんだろう?
身一つで財を成しただけあって、非常に頭が良かった(最近痴呆が進んでるんだよなぁ)。
祖父の知り合いも魅力的な人が多く、紳士が多かった。
しかし、その中で極めて異色の「おじさん」がいた。
その人は、機嫌が良い時はとてもきっぷが良かった。しかし、すぐかっとなり、よく殴られた。
子供の私は良く懐いていたと同時にすごく怖かった。
「おじさん」は異色で、別世界の住人の様だった。多分、こちらではないあちらの世界。
今思うと、懐いたふりをしていると色々良いことがあって、殴られることが無い、そんな計算をしていたんだろう思う。
そして私は、小心者であったから、「あちらの世界」が怖かった。適応出来る自信も無かった。
受験にしても就活にしても、「失敗したらまずい」という後ろ向きのモチベーションでなんとかクリアしてきた。
それと同時に、「失敗したらあちらの世界で生きていくのかー」という気持ちもあった。
私の中では「あちらの世界」はセーフティネットだった。失敗しても何とかはなるか、と。
一方で地元の友人の中には私より良い学歴を持ち、私より明らかに地頭もあるのに、
「俺、こっちは性に合わない」と「あちらの世界」に行った奴もいる。
彼には「あちらの世界」は救いだったのだろうと思う。
多分、こんな人生はちょっと都会の地方都市ではありふれたものだと思う。
同じような人もはてな村の中にいるんじゃないだろうか。
「あちらの世界」も「こちらの世界」も知った上で、どちらかを選択した人。
でも、私の妻は違う。妻の父は海外で働いていた、完全に「こちらの世界」の住人だった。
でも、適応できない人はどうなるのだろう?
・「こちらの世界」しか知らないのに、こちらの世界に適応できない人
・「あちらの世界」しか知らないのに、あちらの世界に適応できない人
・そしてそこに選択肢がある事を知らない人。
多分友人のように「こちらの世界」から「あちらの世界」に行くことより、
「あちらの世界」から「こちらの世界」に来ることの方が、色々な人の理解や準備が必要で、難易度が上がるんじゃないか。
でも今の社会は、「こちらの世界」と「あちらの世界」との溝は大きくなってきている。
国民総中流という点では変わってないけど、中の上と中の下の双峰分布になってるよね。
そして、彼が「こちらの世界」しか知らないのに「こちらの世界」に適応できなかったら?
ニートになっても仕方が無いのかな。
そんな事を考えていたら、子育てにはリスクが大きいというちょっと前にあった議論もわからなくは無い。
現代社会の闇は深いな。
医者といえば高学歴の代名詞なんだけど、医者の中にもカーストみたいなのはあって、でもカーストは並列して2つ存在し、ひとつは学者的な医者のカーストであり、もうひとつは金持ち的な医者のカーストである。
自分は学者的なカーストの中にいるんだと思う。親戚が学者ばっかりで、臨床やってるのが父親と自分ぐらいだ。
臨床やんなさいというのがうちの父親の言い分で、
だから「東大いくな」みたいなことを言う。そういえばあんたの同級生はみんな教授だね。
いやいや、行こうと思ったって理三は無理です。
で、入れそうな国立大を経由して今に至る。
病院はセーフティネットとして機能していて、いろいろな患者さんがいる。
そこは低学歴も高学歴も関係ないのだけれど、とても自分勝手な人々も多く、
でもなぜかトラブルにならない理由がナースじゃないかと思っていたからだ。
実際、自分がいまお世話になっているナースというか、自分のもとで働いているナースの一人は元ヤンキーで、
地元ヤンキーはほぼ全員知り合いだから、全然こわくないどころか、自分も「うちら」の一員にしてくれているようで、
でも最近ナースって仕事はやたらと高学歴化してしまって、なかなか元ヤンの人と出会えなくなってしまった。
アメリカに留学中、ナースってやたらと高学歴だったんだけれど、黒人ナースがちょうど溝を埋める役割と果たしてくれていた、
と思う。
病院でトラブルを目にすることが多くなった。もちろん怒鳴り散らすのが低学歴というわけでは全然ないのだけれど、
彼らは一種の疎外感を感じているから騒ぐわけで、そこを埋めてくれる病院職員が以前に比較して少なくなったなあというのは正直な感想。
溝を越えて来た人が少なくなってしまった、という事かもしれない。
新聞やWeb記事で紹介される受給例を視る限り、生活保護の支給額は高すぎる。
逆にいうと、住居費の高い首都圏では最低限、それくらいの金額がなければ生活できず、地方在住者から見ると、とんでもなく高い額に見え、不満が募る。
首都圏の郊外に住む自分から見ても、正直、「うらやましい」と感じる。
子どもありの場合、30代フルタイム正社員の手取りより(場合によっては額面よりも)、生活保護支給額のほうが高いからだ。
本来は、各企業が労働者の賃金を上げるべきだが、経営状況や市場環境から上げることはできない。
セーフティネットとして、現状の生活保護制度をやめ、代わりに公営の安楽死施設を作らない限り、不平不満はなくならない。
全部をなくすわけではなく、適切なレベルの医療補助、教育補助は残す。特に、子どもに対する幅広い教育支援は必要。
行き詰まったら死ねばいい。その際、苦しまずに済むと約束されれば、自ら死を選ぶ人は増えるはず。
延命治療、不安をなくすための検査にかかる医療費も削減できる。
とにかく、今の日本は働くために生まれ、税金・保険料を納めるために生きているみたいだ。
ここのページで山本太郎の政策を見ることが出来る。
http://imahahitori.com/policy/:
彼はここで飢えさせないとして以下の政策について書いている。
社会保障を厚く!
KAROUSHI(過労死)は国際語です。月残業80時間が過労死ラインと呼ばれ、この国ではそれを超える労働が法で罰せられる事は有りません。平気で人間を使い潰す労働環境を許すわけには行きません。「過労死防止基本法」を一日も早く制定し、「生きる為に働く」当たり前の価値観を取り戻しましょう。人間を切り捨てさせない!
先進国と呼ばれるこの国で「餓死者」が1日5人出ていると言うデータもあります。
人として最低限の暮らしを送る為にあるセーフティネット「生活保護」を申請させない「水際作戦」が法制化されようとしています。不正受給は全体額の0・5%。
不正は正されるべきですが、圧倒的適性受給者の生活が圧迫されるのは筋が違います。生活保護を切り捨て、「貧困は自己責任」とするこの国を先進国と呼べるでしょうか?新たな財源を作るならば弱者へのシワ寄せでは無く、富裕層の皆様に協力して戴きましょう。協力して頂けませんか富裕層の皆様!「教育」・「医療」・「介護」は無償化に!
山本太郎は日本で1日5人餓死でなくなっていると書いているが、彼の主張のメインは脱原発で選挙を戦った。
たぶん、今度の選挙で争点になるワタミの社長の話を読んでいると、どうしてもマルクスが唱えた投下労働価値説を思い出しちゃうんだよね。
マルクスの投下労働価値説は、ざっくり説明すると要するに「時間と商品の価値は比例する」っていう話。例えば俺たちが8時間働いたとするじゃない、そうすると商品の価値として8時間分の労働が埋め込まれるという話。もちろん、実際に商品の価値を決めているのはそういう単純な話ではないのだが(市場が決定するわけだから)でもマルクスはその話に納得できないわけよ。だって、市場が決めるってことは、価値ってのはもう天から振ってきちゃうことになる。「紙の見えざる手」とか言う表現をアダム・スミスは使ったけど。で、マルクスはそれに納得できないわけ。いやいや、だって木を一本切り取って持っていくのだって労働でしょ、って話。
当然、企業は利潤をどっかであげないといけないので、労働者が生み出した価値を中抜きする。それをマルクスは「搾取だ」というわけだ。でもそれは労働者側の視点なんだね。これを逆転させるとブラック企業になる。
もし、商品の価値が、労働時間と無関係にあるとするならば、長く働かせることに意味はない。だったら別のことをやる必要がある。しかし、商品の価値が労働時間と関係あると考えるならどうだろう?そうすると、労働者をできるだけ長く働かせようとする。
マルクスが考えるところによると、労働者というのは労働力を売っているという。労働時間じゃない。「私は働くことによってこれだけの価値をもたらしますよ」というのを売っている。労働者は、商品の価値が自分のものになるわけではない(だって経営者に労働力を売っているだけだから)ので、商品が労働時間に関係あろうとなかろうと、関係ない。ただ、これは経営者視点だと大きな違いだ。というのも、もし「働くこと」によって、つまり稼働時間によって商品の価値が決まるんだったら、出来るだけ長く働かせようとする。少なくとも、その買った労働時間より価値を生み出せなければ、もっと働かせようとするだろう。
で、ワタミの社長が言っていたらしき「客のことを考えてたら昼飯を食う時間なんてない」っていうような言葉というのは、結局のところ、こういった「働く時間=商品」という前提が無ければいけない。というより、多くの企業の場合、もうそういう風にしか考えられないわけだし、実際そういう風に構造がなってしまっている業界もある。当然のことながら、休ませないとポカしたり、大事な判断ができなくなることがあるけど、組織化されていれば、もしかしたらもう稼働時間くらいしか工夫するところはないだろう。俺も工場で働いていたが、ボタンをもくもくと押しているとかね。
確かに、経済学的にマルクスが言った上のことを否定するのは簡単なんだよ。だって12時間働こうが売れない商品は売れないし、1時間でさらりと作った商品がバカ売れというのもあるわけ。それは認めよう。でも、ある程度組織化がされてきて、機械的な作業になると、工場を稼働させるために、労働者を長く働かせなきゃいけない時間が生まれる。ここがトリックなんだ。つまり、この時点において、商品は労働時間によって生み出されると思っちゃうわけ。むしろこれは経済学的な問題というよりも、むしろ社会心理的な問題を引き寄せる。
じゃあどうするの、という話になるのだが、これは商品=労働時間を否定するか、むしろ我々はもう「労働時間」を提供するくらいしかないくらいリソースが貧弱であるかを認めるかということだ。たぶん、ワタミの社長が思っていることというのは、たぶん、今後私たちは「労働時間をのばす」ことによってしか、豊かになれないという絶望的な日本なのだろう。だって「日本を破産させない」というくらいだから、後者の可能性はある。もう、我々は豊かになる方法は一つしかない。「働けば自由になる!」
ワタミはブラックであり、労働法を無視している。それを叩くのは容易なことだ。しかし、上記のような構造が埋め込まれている以上、第二、第三のワタミが出てくるというだけの話だ。穏便な話をするならば、労働者が経営者に対して「投下労働価値なんて無理ですよ」って否定するくらいしかない。ただ、この道はある種の「革命」を起こすことになる。また、他の道は日本が貧乏になることなのだが、これもたぶん高度成長期とバブルを経験した世代が死ぬまで無理。あとは戦争くらいだね。
だからさ、ある意味で自民党に入れるってことは、上記のこと、つまりみんな等しくブラック企業になれば豊かになるって認めちゃおうよ、ってことだ。そして、それはそれで何処かでみた光景だ。
ソ連だ。
一応反論として書かれることとして、自民党は賃金を増やそうよ、とかあるいは貨幣発行しまくってリフレしようよ、というのは投下労働価値と矛盾しないか、という考え方と矛盾しないかという話もあるかもしれないが、例えばケインズの言う通り、「景気と物価が連動している」と考えたとしても、じゃあ「物価が上がったから給料をあげます」みたいにはそう簡単にはならない。恐らく物価のほうが先行して給料は追いつかないし、経営としても「賃金あげろ」と政府勧告があったとして「はいそうですね」とやっていたら潰れてしまうだろう。だとすると、リフレするとしても、福祉的なセーフティネットと一緒に組み合わせないとどうしようもないんだが、現状としてそういう話はあまりない。むしろ小さな政府を目指す方向だと思う。そうなると、まあ死ぬ人はガンガン死ぬよねという話になる。あともう一つとしてスタグフレーションの話とかはどうかな?
なにはともあれ、日本全体がブラック企業になっても今の豊かさを維持するという話であるならば、自民党に入れるのは選択肢としてアリだと思う。他の野党がゴミみたいだからという消極的な理由で自民党に入れたり、ワタミの社長が出馬しなければ……なんて期待は捨てたほうがいい。どちらにしろ、俺は上のことは考慮にいれて、それを覚悟で入れたほうがいいと思う。
率直に言ってもう二度とやりたくない。
あの御輿というシステムは背の高い担ぎ手は割を食い、背の低い担ぎ手は楽をするシステムだからだ。
背の低い人はぶら下がって、御輿を下げてでも担ぎ手になろうとする。
これは背の高い人からするとキツい。
これらは背の順にちゃんと担ぐ並びを作ればいいのだろうけれど、指揮する人は居ないし、一番前で目立ちたがる人が何人もいて何人も入れ替わるから機能しなくなるだろう。
小さなコミュニティ、特に物理的な距離が近くて生活をいくぶん同じくするような人で構成されるそれでは、御輿は非常に良く機能するのではないかと思われる。
なぜなら、割を食う人が、ぶら下がる側が誰々であると明確に認識できるからだ。明確に認識できると、こいつを助けてるのは俺だ、という認識を持てるので支える力を抜こうとは思わなくなる。
そして「俺が盛り上げてやるぜ」という意識が強まるし、知ってる人だから具体的な評価にもつながる可能性を見いだして、これもモチベーションに転化させることができるだろうから。
■誰だかわからない他人を支えるということ
今回、俺が担いだ御輿は友人の住む地域の御輿なので、一緒に担いでる人の中に知り合いが居ない。
だからぶら下がったり、大して担いで無い輩が視界に居たりすると、割食ってる感が強烈になるのでやめたくなる。
割食ってる感による負ベクトルに対抗できるだけののモチベーションに転化するものが無いんだよね。
とすると、生活保護受給者は甘えだとか支えたくないだとかという心理は、こういった評価軸等からのモチベーションが得られない事が主な原因なんだと思う。
知らない誰かを助ける気なんて起きないよ。顔も見た事無い人の事情を想像する事なんて無理だし。
ただ、子供が御輿にぶら下がるのは許容してしまうし、いっぱいぶら下がっとけ、とも思うのよね。
そして全然担ぐ気もなくて遠巻きにはやし立てるだけの老人たちも別になんとも思わない。
子供に関しては全力で支えるべきだと個人的には思うのよ。基本的に自分の子を肩車した状態で御輿も担げよとは思うけどつらかったら組み木に載せてもいいよ、とも思うし。
老人に関してはぶら下がってきたら全力で払いのけるけれど囃し立てるだけなんだし、実際の政治への関わり方もその距離感なら存在を許容できるんだと思うよ。つまり、老人からは選挙権剥奪な。納税義務は無くなってもいいから年金も受け取るなよ、ということね。
税金の重みをみんなで平等に担ぐてことはまぁけっこう美しい事なんだろうけど、全力で担ぐにはちょっとモチベーション保てないのでぶら下がる輩は知ってる人同士でどうこうできる小さいコミュニティ内で成立する仕組みが要るんだと思うよ。
国税ではなくて都民税とか区民税とかよりもっと小さい距離で構成されたコミュニティで保護するの。
金持ちが多い区域はセーフティネットも手厚いけれどそう言うところに住むにはそもそものハードルもある、という具合。衰退するところは衰退しきるのでこの辺のGC的なシステムが何か要るんだろうけれど。
叔母は、夫とともに自営業を営んでいたが、業界縮小の煽りを受けて廃業した。
同時に実母が痴呆症になり、夫はガンのため、働けなくなった。
その後、本人はしばらく正社員として働いていたが、介護のために退職し、生活保護を受給するようになった。
夫、母の順に亡くなり、介護から開放された時には60歳を超え、就職は難しくなっていた。
最後に会った時点では、無報酬のボランティアをしながら生活保護で暮らしていた。
過去に一度だけ、母に対し、叔母経由で行政から資金援助を求められた。
母は、継母だから関係ないと主張していたが、父に説得され、しぶしぶ支払っていた。
住まいは、リフォーム済みの綺麗な公営住宅。モノはあふれ、宗教団体にお布施をする余裕もある。
世間のイメージ「生活保護でパチンコ三昧」そのままだ。もちろんヘビースモーカーだ。
障害持ちのシングルマザーの娘も生活保護を受け、病院に頻繁に通い、パチンコで稼いでいた。
逆にいうと、パチンコで増やさなければ、最低限の生活を送ることができないらしい。
生活保護だからパチンコ好きなのではなく、パチンコ好きが生活保護に陥っただけだ。
生活保護法の改正を受け、母のもとに、異母妹・姪を扶養するよう通知が来ると思われる。
母は、生活レベルの差を挙げ、年金より生活保護のほうが豊かだ、むしろ自分を援助しろと逆切れするだろう。
(母は非嫡出子のため、就職時などに差別を受けたらしい。相続権は半分、扶養は一人前の民法の規定はおかしい)。
私も、相手が宗教活動をやめない限り、扶養に応じるつもりはない。
結婚後の兄弟・親子は別々に暮らす「核家族」制度を行政が強制的にやめさせれば、生活保護費用は削減できる。
いろんな意見、全て正しいと思う。
俺はプライドの塊だが、それに見合った才能はない。
こういうタイプの人間は銀行には多く、銀行の後光を背にして評論家となりリスクは絶対に取らない。
けど、俺はそいつらと同類でありながら、上手だとも思っていた。
だからリスクを取った。けど、実際にはそういうタイプの人間の中でも劣っていた。
奴らは偉そうにしながら、自分たちの無能力を知っていた、隠してるだけだった。
一方俺は知らなかった、ほんとうにアホだ。
あと特定は難しいんじゃないかな。
全部本当のことだけど、こんな会社東京にはいくらでもあるし、そういう会社の数字は表に出てこない。(給料や出資額)
ITバブルの時はプログラミングとかネットワーク構築とか出来るオタク(今となっては大学生でも出来る)がいて、
まともにファイナンスとか会計の会話出来るやつ(つまり俺みたいなやつ)がいれば5億なんて簡単に集まった。
俺はプログラミングは出来ないがオタクの言ってることを一般人に通訳したり、煙にまいたりすることは出来た。
「エクセル出来るんですか?凄いっすね!今度おしえて下さい!」ってレベルの時代だ。
いろいろ書き過ぎてよく分からんようになったが
伝えたいのはただ二つだけ。
年間8760時間だから手取り500万として(そんなないけど)
時給570円になる。休憩も昼休みも一切なしだ。
旅行なんて一回も行けない。テレビも見れないし、邪魔だから1000円で売った。
風邪なんかひいたらもう終わりだと思え。
ちょっとしたことが心配になって結局一睡もしないことなんてザラだ。
親が富裕層でなければ何らかの意味で起業しなければ富裕層にはなれない。
俺はそこを目指したがなれなかった。今はフリーター層に限りなく近い。
司法試験や国Ⅰに合格しろとは言わない、無難にストレートに卒業して真面目に就職活動しろ。
日本には銀行、生保という学生のためのセーフティネットがある。
あと間違えて自分の金で株とか投資信託を買うなよ、損するだけだから。
儲かっちゃったら一部を下民に分け与え残りはボーナス、負けたら残念!ってだけ。
まあ落ち込むけどソープの姉ちゃんに慰めて貰えば忘れる。
オノレが適当にやって人の金で大損ぶっこいてるのにソープで被害者ヅラ出来るんだぜ?ワイルドだろ?
そこで定年まで頑張れば報われるんだ、上司がカラスが白いといえば、白いカラスを探し出すんだ。
仕事が終わって予定がない日は寮の食堂でアホのように資格の勉強しろ。
あんなもん暗記と訓練だ、考えずに反射で解け。
あ、予定ってのは上司に誘われる飲み会のことな、これは仕事だと思って絶対に参加しろ。
間違っても起業なんてすんなよ。
そんなこと考える暇あったら土曜の7時くらいからソープにでも行け、五反田のハ○ネス東京が安くてオススメだ。
んで3000円くらいの寿司とか焼肉とかを食って、イケメン外人が中学生レベルの思いつきだけで成功する映画でも見てそのまま寝ろ。
夢の中でそのイケメン外人になってる可能性の方が、現実で成功するより確率高いから。
ソープ行ったら、そのまま会社に戻って作業だ。メシは吉野家かはなまるだ。
金の心配があり過ぎて太ろうがハゲようが気にならなくなるからな。
俺はレールから外れて貧乏な自営業に成り下がったが、お前らはまだ間に合う。
起業なんて忘れて、豊かなサラリーマン生活を送って、俺の分まで幸せになってくれ。
■追記
資格についての突っ込みが少しありますが、難関資格ですがそれだけでは食っていけない資格です。
司法書士、税理士、弁理士、海洋代理士、レントゲン技術士、宅建もギリありです。
ちなみに銀行ではこういう資格をとったら辞める可能性が高くなるだけだから、しょうもない資格をたくさん取る方が評価されます。
性風俗は女性への性搾取だからやめろ!好きこのんで性風俗産業に従事している女性は存在しない!
なんて言ったところでそもそもの問題である米兵のレイプ問題の方は全然解決してないじゃん。
性風俗産業と性犯罪率の関連性についてはまともなデータがないのは事実だけど、
ガス抜きがあったほうがいいのは自然な考えだし実際そういうものが厳しい国のほうが日本より性犯罪が多いじゃん。
風俗に従事しないと生きていけない女性がいるのも事実だけど、それはもうセーフティネットの議論だし、
そんなことを言いだしたら男性の底辺や障害者はそんな受け皿もなく刑務所へ行ったり死んだりしている。
累犯障害者にもそういう話があったよね。
でも、そういう話は今回の話とは全然違う。
在特会などで暴れる人を輩出しているのは、自由競争社会でとくに優れた点はないとして選別されず、かつ弱者救済のセーフティネットからも緊急を要しない救済対象とされ選別されない、二重の意味で選別から漏れた層なのだよね。
弱いけど自分の足で立ち上がれる、とみなされ放置されてる(白タグ弱者)けど、立ち上がり方はわからず、教えてももらえない。「緊急を要する弱者(赤タグ弱者)からみたらそれは甘えだ!」と断罪するのはかんたんだけど、当事者にとってみれば苦しいことに変わりはないよね。
20世紀の左翼はこういう層(白タグ弱者)に対して「君らは救われる者ではなく救う者なのだ」とかいうてオルグをかけ、自信と存在価値を与えることで手っ取り早く救済し、さらには自陣営の裾野を広げる、ということをやってきたのだが。
現在のサヨクは在日コリアンや、米軍基地周辺住民などのメディア写りの良い弱者ばかりに赤タグを出してリソースを集中し、この層に対しては白タグで放置したり、さらには「何も行動しないのは邪魔しているのと同じ」としてわざわざ敵に回したりしてる。苦しんでいるのを放置してれば、とりあえず役場に行けば保証してもらえる日本国籍というモルヒネで苦しさを紛らわす行動に出られても仕方がない(保証してもらえないケースもまれにあるけど、そのときは別途赤タグが出る)。西側同盟国政府や、第二次大戦時枢軸国政府の非道や無為が原因で弱者になってるところに赤タグが出やすい傾向にある現状ならなおさらのことだ。
正直なところ、サヨクの側の彼らに対する認識が「敵」もしくは「自分の足で立てるくせに立とうとせずケアを要求する白タグ弱者」ではなく「当方のリソースの都合上永久に失われることになる黒タグ弱者」に切り替わらない限りネトウヨの増加、跳梁跋扈を押しとどめることはできないと思う。
きちんとオルグしていけば朝日新聞の例でもあったように転向してくれるだろうし、ちょっと前増田であった「兄と新大久保で合った」の話にしても、増田弟が増田兄の弁が立たないなどと小馬鹿にしたせいでその小さな悪意が社会の中で大きく育ち帰ってきて新大久保の皆さんに襲いかかっていたわけで、増田兄の優しさと弱さに気づいた時点で増田弟が手をさしのべればよかっただけなのだ。しばいたらたぶん2倍3倍に増えて戻ってくるだけだと思う。
まあサヨクさんがそれをやりたがらない気持ちもわかるのだけどね。若さと、時間と、行動力だけはあり余っている層をオルグして自陣営に引き込むと、現在ネットで歴史認識がーとかほたえているだけの人の陣営内序列が相対的に低下するからね。
文春新書の『ブラック企業 日本を食いつぶす妖怪』が話題だ。著者の今野晴貴氏は、POSSE(ポッセ)という労働NPOを作り、1500件もの労働相談を受けてきた。仕事を通じて心身を壊してしまった若者から、ブラック企業の悪行を耳にしている人物である。
そのような活動によって、命を救われた人もいることだろう。そのこと自体は価値あることであることは間違いない。ただし、傷つく社員の立場から呼びかける対策だけでは、たぶんに対症療法的になりがちになるのが惜しい。
例えば、ブラック企業誕生の背景には、経済のグローバル化の影響などがあるはずだが、本書ではそういった経済的な要因への考察がなく、それに基づく労働者の未来に対する助言もない。
読後感がよくないのは、ブラック企業の醜悪さに吐き気がしたからではなく、こういう問題の捉え方だけでは救われる人は多くないのではないかという漠然とした不満のためだ。資本主義社会では、競争が基本原則であることは変えられない。セーフティネットは不可欠だが、セーフティネットの論理だけで全体を覆うことはできない。
「すべての日本企業はブラック企業となりうる」という企業敵視が強すぎるのではないか。良し悪しや倫理的な判断は別として、まずは現実に起こっていることを幅広く見て、そこに関わる会社や経営者がどういうインセンティブで動いているかを要因分析し、それを根本から変えさせるアプローチを取るのでなければ、企業批判は空回りし実効性はあがらない。
結論ありきの企業批判がマズイのは、真の「問題」を捉え損なうからだ。本書は典型的なブラック企業として、あるIT企業とアパレル企業の2社の例をあげている。そして共通点として、入社してからも終わらない「選抜」があることと、会社への極端な「従順」を求められることを問題視している。
しかし「選抜」と「従順」の何が悪いのか、落ちこぼれてしまった人の悲惨な例を読むだけでは、いまひとつ判然としない。ITとアパレルという競争の激しい業界において、この時代に生き残るためには「選抜」も「従順」も必要な手段であり、それに耐えられる人だけが働けばいい。
これを問題とする視点は、「普通の人が(無理をしなくても)生きていけるモデル」をあらゆる企業に当てはめようとする、一種の非現実さから来ていると考えられる。
私企業であるユニクロの店舗が、激務で高給な一握りの「スーパー正社員」と、その指示に忠実に従う数多くの「普通以下の契約社員やアルバイト」(薄給ですぐ辞める)で構成されていることに、なんら問題はないはずだ。それが顧客の満足や、世界的な競争力につながってもいる。
仮にユニクロの店員がすべて、そこを訪れる客よりも高い給料を保証されつつ、「選抜」にも「従順」にもさらされていない正社員であったら、客はどう思うだろう。価格は2倍に釣り上がり、商品は売れず倒産することになる。
もしかすると、「日本人を正社員で雇い、ゆとりある労働環境で働かせることができない会社など出て行け。潰れてしまえばいい」と考えている人がいるかもしれない。しかしユニクロが潰れれば何万人もの雇用が失われ、外資の同じようなSAPが市場を席巻するだけだ。
「ブラック企業」問題が解決された世の中とは、どんな状態になっているのか。すべての企業が普通の人を温かく受け入れてくれる世の中を望んでも、絵空事だろう。ハードワークで高給を得たい人も、労働時間と給与がそこそこの人も居場所を見つけることができる「雇用の多様化」が現実的な目標ではないか。
そのためには、まずは「嫌なら辞められる」人を増やす世の中を作ることである。これを実現するためには、セーフティネット付きで雇用の流動性を高めることが必要だ。解雇規制を緩和し、企業に負わせている過重な社会保障を軽減することで、起業や雇用を増やすことが考えられる。
優秀な人材が集まらなくなれば、企業はやり方を変えざるを得ない。経済合理性で動く企業を動かすためには、このようなアプローチしかない。しかし、企業を敵視する本書には、このような視点がないどころか、逆の手段を取ろうとしているように見える。
例えば、「労働組合やNPOへと相談し、加入し、新しいつながりを作る」ことがブラック企業をなくす社会的戦略としているが、強い組合が総合電機メーカーのリストラを阻止してきたことを考えても、流動化と逆行する方法が全体を改善するようには思えない。
また、「『正社員であること』を唯一の解答として与えられてきた若者」に、正社員になっても安定が保証されない現実を「残酷としかいいようのない事態」としているが、バブル崩壊から20年も経とうというのに、そんな甘い「解答」を持った若者などいるのか。
本書には「有益な若者」という表現が何度か出てくるが、いくら有名大学卒でも、人文系出のお嬢様を多くの企業は「有益な人材」と見なしていない。ここに学生と企業の大きな認識ギャップがあり、職場とのミスマッチが起きる一因にもなっている。こういう点についても、現実の企業の視点を冷静にとらえて、多くの若者が本当に救われる助言をしてもらいたいものだ。