はてなキーワード: コギャルとは
私たちには若い世代や中高年の知り合いはいっぱいいるが彼ら彼女らのうち「ギャル・コギャル」を切り盛りする面々と接点がある人はひとりもいない。みんな渋谷系のファンではないし、むしろ嫌悪感をきっぱり明言する人もいる。「渋谷の若者文化」も無関心か、嫌悪する人が多い。
渋谷系経験者のうち外国人・元外国人は、一人もいない。たぶんあの当事者以外は普通なんだと思う。当然、元不良でもないし、耳に穴を開けたこともないと思う。皮膚の色を故意に黒くした者でもないしまして女が下品な化粧なはずがない。つまり、渋谷系世代(ギャル・コギャル)は非常に狭い村社会なのだろう。
それっぽい日本人の文化人が、あらゆる場面で相互に関係しあうことで村社会のテッペンにいるようで、実際その構成員たちは人を動かしたりその庇護にあったりするようでも、弱点が見える。それは、肝心の民心がついていないということ。大衆・外国人という大多数世論と渋谷系村メンバーの隔たりが大きすぎないか。
その点で「オタク」は違う。右翼階層とは関係を構築するどころか基地問題をめぐるたたかいが繰り広げられている。しかしその背後には、大衆と外国人の圧倒的民意がついている。秋葉原ブームは、他の文化では考えられない高い数の大きさのもとでオタクの一票の結集で成功した。
そして、オタクの人口は他の文化カーストよりも圧倒的に高い支配率がある。ヤンキーどころか、いわゆる大衆文化層さえ存在感はないのだ。その事情は外国人にまったく評価されず、影響力が高いものの人口が小さい渋谷系とは大違いだ。
内部世論の大きさと、その世論を織り込んだ文化社会の存在感については、どう考えても「オール○○」状態にあるオタク世代のほうが、少数の渋谷系村が大衆の意見を放置して勝手にあれこれ画策するギャル・コギャル世代よりも大きく、確かではないかと思う。つまり、オタク系方式を見習うことが、汚名返上の上で重要ではないか。
その大前提として、文化運動の大きなうねりが必要ではないか?何か注目されればサクッと1万人を越えるモテナシをできるようなオタク系の進んだ文化社会の仕組みを、渋谷系はしっかりと見習い、そうすることで、こうした問題を克服できるのではないだろうか。
http://anond.hatelabo.jp/20170113112925
http://anond.hatelabo.jp/20170113112956
世間一般でも、少女漫画というジャンルの中でも、男オタクに人気があった漫画の中でも、別に元祖でも何でもなく
ギャルの流行り始めより3年ほど遅れて出ただけの作品を元祖だと勘違いしている、って事か
1995年のコギャルブームは社会現象と呼べるものだったから、それを取り入れた漫画は他にもあっただろうし
GALSとやらが流行ってた頃に丁度対象の世代だったからそれが強く記憶に残ってるだけで
そもそも「少女漫画においてエポックメイキング」ってのも正しいのか?
コギャルブームが1995年なのに、1998年になるまでギャルが出て来る少女漫画が一切なかったとは考えられないんだが
と思ってぐぐったが「ご近所物語(1995年)」を最初に人気を得たギャル漫画としている説がちらほら出て来るな
読んだことないんで内容は分からんけど人気があったのは覚えているし、年代的にもそれが正しそうだが
アニメ化もしてるよ
甘々と稲妻というアニメで子供同士のもめ事が起きた時に相手の母親が謝りなさいと自分の子供に叱りつけたシーンで、今時のモンペなら主人公の娘に怒りそうなのにいい母親だ、みたいな感想があったけど
モンペってそんな居ないよ
幼稚園の年中まで育てたけど、こういう場面で子供に謝罪させない親なんて見たことがないし、甥姪育ててる姉もモンペ見たことがないレベルに珍しい存在だよ
なんか子供育ててない世代によく解らんイメージがあるなーと感じる
コギャルとか援助交際とか流行った頃に、自分の周囲に一人もいなかったんだけど祖母がテレビを見て心配しまくりだった時を思い出す、いやテレビではそんなんばかり紹介されてるけど居ないよそんなのみたいな感じが
見てみれば、それぞれちゃんと楽しめる。
ただ野球だけは見ない。
チケットがあると誘われても、観戦したことは一度もない。
そこで疑問に思った。
野球は見ない。ちゃんと見たことは一度もない。
それなのに「つまらない」のだ。
あれ、なんでだろう?
そうだ、ドラゴンボールだ!
かめはめ波は、ついに打てなかった。
そんなベタな小学生だったので、水曜日の夜七時はすごく待ち遠しかった。
と思ったのに、テレビがマウンドを映す日があった。
光る雲を突き抜けると思ってたのに、ラッパの音が聞こえるわけだ。
うわっ、野球の日かよ!
ナメック星が、あと何分かで爆発するのに。
一週間、ずっと楽しみにしてたのに…なんで野球なんだよ!
そう認識したまま育ってきたようだ。
もちろん、実際は邪魔していたわけじゃないのは知ってる。
間を入れないと、連載に追いついてしまう。
大人になった今ならね。
あと、時代も悪かった。
でも、結局入らなかった。
ちなみに友だちも入らなかった。
親にねだって読売ヴェルディのユニを買ってもらって、クラス中でミサンガを作っていた。
願いをこめたミサンガを、いたずらっ子に外されて大泣きしていた奴もいた。
その後、犯人は学級会で吊るし上げられていた。
ビジュアル系バンド目指す奴と、カリスマ美容師目指す奴に囲まれながら学校を卒業して。
あったのかもしれないけど、自分には届かなかった。
そんなこんなで、野球に対する悪感情を払拭できないまま今日に至っている。
息子と遊ぶならサッカーだ。
キャッチボールは、きっとしないだろう。
でも、ドラゴンボールは全巻読ませたい。
原因について、色々と言われているようだけれど
10数年前、私の通っていた公立高校を含む地域一帯ではルーズソックスが流行していた。その頃東京では“紺ハイ”なるものが流行しているとめざましテレビでやっていたが、流行りも廃りも九州まで到達するのには年単位の時間がかかる(今はそんなことないのかもしれないが)。
ルーズソックスと言っても、渋谷のコギャルがはいていたような1メートル以上もあるいわゆるスーパールーズをはく人は私の高校にはいない。「ふくらはぎの真ん中より少し下の辺りでソックタッチで止めた時に足首辺りに2〜3段のいい感じのたるみが出来る靴下=可愛い」という揺るぎない価値観を当時の私達は共有していた。親や教師たちには全く理解できない価値観だったようである。
この価値観がどのように共有されてきたかと言うと、スクールカースト上位の可愛子ちゃん達が(おそらく)先輩の可愛子ちゃん達の真似をし、それに憧れた一般女子以下がマネしていくのである。私もマネをした。
しかしこの可愛いとされる靴下を買うのがなかなか難しい。靴下は束ねられたまま10種類以上が売られており、はいたときに良い感じにたるんでくれるのかどうか買う時点では分からないのである。いかにもルーズソックスでございと売っていながら全くたるまず、ただずり下ろした分だけ段々のシワになるような靴下が多々売っているのだ。一か八かで買ってはみたものの、当てが外れダサいずり下ろし靴下をはく女子が私を含めて続出した。
可愛子ちゃん達はなぜかいい感じの靴下を見分けられるらしかった。どこで買っているのか聞けば教えてくれたかもしれないが、ファッションをあからさまにマネるのは不興を買いそうで躊躇があった。結局私は卒業するまで見分け方が分からず、少ないお小遣いを結構無駄にしてしまったのだった。
自分がJKの頃にガングロコギャルとか援助交際とか報道されまくっていたが、田舎育ちなのもあって周囲に一人もガングロは居なかったし、援助交際の噂も聞いたことがなく遠い話だった。
しかし祖母は報道を見て酷く心配してよく電話をして大丈夫か確認してきた、報道のみならず高校を舞台にしたドラマを見て心配して電話をしてきたりもした。
私は酷く鬱陶しかったし、こんな都会の極々少数の事をまるでJKが幅広く行ってるみたいな報道やめろやと思っていた。
大麻汚染ニュースを見て、子供たちはたぶん当時の自分みたいな気分なんだろうと思うのだが、自分が子供の頃はこんなニュースはあり得なかった、今の学校は大丈夫なのかと不安もわいてくる。
昔の婆さんの気分と昔の自の気分との戦いの日々だ。
女性が社会で働くっていうの、20年くらい前から子供ながらにすんげー懐疑的だったんだよなあ。
女は結婚すれば安泰だから、リスクとってガシガシ行けるけど、男は失敗して駄目でした寿しますっていかないから、そりゃ女が社会にでるほうがはるかにイージーだろって。ずるいなあって思ってた。
でも、女性は差別されて実際はつらいんだって主張するから、そんなもんかって思ってたけど。でもパートでいいやん、楽でいいやん専業主婦はって思ってた。
でも、今は状況変わっちゃったね。女性がそんなに就職するなら婚期遅らせて、男の収入も下げるぞってなって、結局女も不安ななかで働かなきゃだめになったね。
結婚っていう安全策があったから社会進出とか言ってたのに、安全弁がなくなっちゃて。今どうすんだって。
今、女を公的に叩くこと言うと速攻大臣でも叩かれるじゃん。女は産む機械とかさ。
もう歯止めがきかないっていうか。働く女性もキツイ、男もキツイ。
女のせいで中層以下みんな苦しんでる。
男にも責任があるっていう感じの論法ばっかじゃん、認められるの。「草食系男子」とか、「低収入は無理」とか、当たり前に言われてるじゃん。
男のほうも女を攻めすぎたのかな。「年齢考えろ」とか「コギャル最高」とか「女の婚期はクリスマスケーキと同じ」みたいな、女の中身には価値がないんだみたいな。
でも、やっぱり少子化は女のせい7割、社会の情勢2割、男のせいなんて1割も無いって感じするね。
いや正確にはあおったマスメディアとか、フェミニストの高学歴女が悪いと思うんだけど、あれだよ、女ってなんでドキュンと簡単にセックスしちゃうんだよバカヤロー!みたいな。
軽薄にのっちゃう女の頭の構造っていうか、軽さっていうか。論理的じゃないってのはそうなんだけど、なんでそういう風に頭ができちゃってんだよって思う。頭が悪いっていうだけの話じゃなくって、頭の構造が論理を成立させてないのがまあ性差なんだろうね。バカバカしいんだよ、ドキュンが恰好いいみたいな。それなのになぜ乗っちゃうし、損するのわかってて行くんだって不思議になっちゃう。
に対するはてなの反応
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これが人気になるんだへーほーふーん。
お前らの最大の勘違いはお前らが正しいと思ってるところにあるよな。
試飲が読めるのが正しい世界。試飲が読めないのは正しくない世界。
そうやって単純化してレッテルを貼って思考停止して生きていれば楽だろうな。
そしてその思い込みをうまく文章化してくれたのがコンビニ店長だ。
カリスマの資質とはみんなが思っていることをはっきりと具体化し言葉にできる能力をもった人だからだ。
そう、はてなの「お前ら」という世界では、あーいったことをツイッターでやるのは「低学歴の世界」だと思い込みたいのだ。
俺の持ってるはてなスターを全部かけてもいいけど、バイト先の商品備品で悪ふざけをしたやつなんて今までも絶対にいたはずだ。
唯一、今までになかったのはツイッターで見つかるってことだけだろう。
以前に東浩紀さんが自分の講義でのカンニングをツイートした学生に対し指摘し話題になりましたね。
早大生? Twitterでカンニング告白、教授の東浩紀氏が発見 - ITmedia ニュース
これと全く同じです。
コンビニ店長がいっているのはそういうことです。そしてその考え方をコメント絶賛しているのが「お前ら」です。
「お前ら」は結局のところコンビニ店長が言ってるから持ち上げてるに過ぎないんだな。
はてなという場所はもうちょっと個人的な好き嫌いと論理的な批判の区別は付けられると思っていた。
今回の事件で唯一の論点はインターネットリテラシーの問題だけです。
ただただ単純にインターネットリテラシーの能力が低いだけなのです。
どちらかというと性格的な問題だと思います。注意深い人とそうでない人がいるだけ。
それ以外に論点はないです。
まぁインターネットリテラシーの話ももう別に新しいわけじゃないけどね。
あとこういう「家族感覚」「どこでも家感覚」は90年代に宮台真司さんがコギャルをダシに散々言及しているので、ちょっと今回のtwitterの騒動で語るのは腑に落ちないです。
コンビニ店長は正直90年代からいって00年代でとまってるんじゃないかな。
だって若い子のインターネットリテラシーの例えがいまどきmixiだよ!?ラインもやってないってことは最近そういう若い子入ってないんじゃない?
マジでなんでもかんでも店長がそれっぽい長文書けば持ち上げるのやめてやれよ。
ていうかこんなことよりもなぜ人はしてはいけないことをすると面白いのかを考察したほうが、みんな楽しいし幸せになると思います。
が、久々にとある漫画を読み返したら、そんなもんふっとばす位丁寧に男が女落ちる描写がされた漫画があった。
忘れ去られた感もあるし、別段当時は傑作とも思わなかったわけだが。
まず大抵の青少年漫画において男の惚れるきっかけ描写は"優しくされて好きになった!"とか"一目ぼれ!"と簡潔過ぎて
所謂「少女漫画において女が男に段々心惹かれてく過程」に該当する描写が圧倒的に足りない。
だがこの漫画は、その点において圧倒的にすら感じた。
ミスチルの「LOVE」の歌詞にあるような、好きじゃないけどなんか気になるという変化から(8巻)
ふとした瞬間にこいつに嫌われるのはなぁと思う自分に気がついて(12巻)
何オレそんなことを気にしてるんだ?それってこいつに惹かれてるってわけ?と自問自答し(12・15巻)
そうやってかなり相手を異性として意識しつつ
相手の行動原理に「こいつ、オレのことが・・・」があるんじゃないかと思ってみちゃったり(15・16巻)
でもやっぱり「好き」まで振り切ってしまうのは怖くて自分の感情に気付かない振りをする―
そんな男の女々しさすら感じる恥ずかしい葛藤感情を惜しげもなく開けかし、
更には「意識する」→キス→「好きと自覚し」「女に落ちる瞬間(所謂恋愛スイッチ入った瞬間)」を2冊掛けて描写するという丁寧さは
酷いことに、恋愛スイッチが入ったが故に男のキャラクターが変化していく描写も
元の男のキャラクターからすれば妙にありそうなパターンで展開していくものだから侮れない。
勿論ヒロインもとい主人公の女も男と関わって行くことでどんどん変化していくが、違和感なく徐々に恋する女へ移行していくもんだから
クライマックスでようやくお互いの双方への気持ちが同じ強さになった時はシュタゲのオカリン見てるような「やったね!」感すらあった。
もっと語る。
ヒロイン描写に関しても語りたいがあえて略。
この漫画なんなのさ?の答えだが、たぶんおおよその漫画好きなら名前を聞けば「あーあったけど、そんなに持ち上げる程か?」で終わる漫画。
パンチラとおっぱいにモザイクち○こ満載なコギャル達のお色気バトル物語としてなら普通の話だが
巨チン男の恋愛漫画として読むと個人的には一行目の漫画よりよっぽど男版"少女漫画"している怪作だといいたい。
一途キャラ、同居物、忌み嫌われる男要素「他の女に目移り・・・」はなく
「悪の行為でないとは言わないけど、『悪だからやめろ』で止められる行為でもないよね」みたいな。
いじめられっ子が自分の扱いについにキレて暴れたのでとばっちりで傍観者たちに火の粉が飛びましたっていう状態。
とばっちり食った傍観者たちはそりゃ気の毒だけど、でも「傍観者」だったんでしょ? みたいな。
国家の政策レベルでイジメスレスレの行為を意思決定の元に行っていたんだったらその時点で国民全員最低限自動的に「傍観者」だし、「傍観者」にはイジメ当事者としての(薄ーいながらも確実な)リスクがある。
それ判ってて意思決定して傍観してたんでしょ?
まさか自分(とその周辺者)にそのくそ薄いリスクが濃縮された具体的な危険になって降ってくるとは思ってなかったというだけで。
みたいな。
自業自得とまでは言わないけど、「何で自分が!?理不尽だ!」の問いの答えは「半分は運だけど半分は必然だよ、あなたが直撃喰らったのはアンラッキーだけどそれが生じるまでにはそれなりにメカニズムと道筋が出来上がってしまっていてあなたはそれを止めたり絶ったりしなかったしできなかったんだよ」でFAみたいな。
2006年にハルヒのアニメが、その前年できたばかりのYouTubeでブレイクしたとき、ちょうど30歳になった。
そしてそれくらいの年齢から、20代まではビデオやHDDプレーヤーフル稼働であんなにチェックしまくっていたアニメを、あまり見なくなっていった。
DVD-BOXはToHeartとGA1期とおねツイを最後に買っていない。サクラサクミライコイユメは名曲だったし亜沙先輩は可愛かったと思う。
しかし世間はハルヒ&つべを起爆剤に、今やオタカルチャーがネット連動で空前のブームに。
最近のまどマギやあの花の受容のされ方を見ていると、時代は明らかに変わったと思わされる。
あんなにキモがられ、日陰者扱いされていたアニメやアニオタは、面白いコンテンツを気軽に選び、気楽に楽しむものに変貌した。
もはや「なろうと思ってなったもんじゃねぇから、やめることもできねぇよ」みたいな屈折や屈託は過去の話だ。
事実上、アニメは「やめる・やめない」という踏み絵的な後ろめたさと覚悟と諦めを伴うものではなくなったのだ。
一方、自分の同年代では未だにオタ・非オタの断絶は途方もなく大きい。
結局ネットで若い人と同じ目線で話してるほうが全然楽しいけど、これも何か間違っている気がする。
こうした流れは自分にとって、大きなすれ違いがまた一つ生じたと言えるもので、結構愕然としている。
まあ、昔よりいい時代になったのは間違いないし、嬉しいとは思ってるけど。
ちなみに自分が小学生の時は、このハイテクの時代24時間戦ってめちゃくちゃカネかけまくったものすげーという風潮→バブル崩壊就職氷河期の谷底どうしてこうなった
中学・高校の時は女子大生ちやほやされまくり→大学入ったらコギャル女子高生ブームにシフトどうしてこうなった
というわけで、自分の世代はブームの中心からはとことん外れているという印象。
強いて言うならエヴァは間違いなく「俺らのアニメ」とか、CDのミリオンセラーバブルを体感したとか、2ちゃんの中心世代というくらい?個人的にはニコ動のが好きだけど。
あと同年代として、ひろゆきは永遠の19歳というにはさすがに老けた印象あるけど、いつまでもダラダラと、クラスにいる嫌な奴っぷり(褒めてます)をキープして生きて欲しいと思ってます。
おじさま率の高い会社組織というものに、新卒22歳のOLが入ってくると、それはもう大人気になった。
彼女たちはチヤホヤされることで己の価値を知り、より高値で自分を売ろうと画策し、当然の権利として高価なデートを求めるようになった。
そうなると男性たちはその小賢しさに辟易し、「女子大生ってピュアだよなあ」と思うのだ。
男子大学生はお金を持っていない。彼らと付き合う女子大生は、安価なデートに慣れている。
同年代に囲まれているから、自分の若さに価値があることにもまだ気付いていない。
だから社会人からちょっと高価なデートをしてもらえると、「同い年の男子はこんなことしてくれない」と目を輝かせる。
男性たちは新卒OLより女子大生の方が安く買い叩けることに気付き、女子大生ブームが起きた。
ブームになると、女子大生も自覚する。私たちは女子大生という最高のブランドを持っている価値ある存在なのだと。
そうなるとデートへの期待度も上がり、よりお金持ちでイケメンな男性と付き合いたいと考えるようになる。
男性たちは女子大生が値上がりしてしまったことに気付く。そして起きたのがコギャル(女子高生)ブームだ。
以後は繰り返しだ。女子高生が己の価値に気付いて援助交際し、大金やブランドバッグを手に入れるようになると、
「あいつらも自分の価値に気付いてしまったのか」と、男性の目線は「JC」へと降りていく。
しかしニコニコ生放送でJCたちが人気生主として注目を浴びるようになると、自分の価値をわかっているJCが増え、
JCも既にピュアでは無くなったのかと悲観した男性は高学年JSに向かうが、高学年JSも高学年JSでオシャレに目覚めており、
高学年JS向けファッション誌には「かっこいい同級生男子から注目を浴びるファッション」などの特集が組まれているのだ。
若い女の子の持つ素朴さや素直な心は、男性たちに「この年代は安く買い叩けるんじゃないか」という目で見られることによって失われてしまう。
OLは焼かれ、女子大生も焼かれ、女子高生も焼かれ…女の子は「私は女であり、女は売り物である」という自覚を低年齢で持つことを迫られるようになる。
より自分を高く買ってもらうため(できるだけ高収入で性格のいいイケメンと結婚するため)、
少しやったことがあるんですが、贈与はできたと思います。なので
みたいなことも良くあるのではないかと。金額がどの程度で推移してるのかはさっぱり分かりませんが。
で、奪い合えるものは明確にゾーニングされてるので(宝以外不可能なので)、
一見して問題に思えたのは罠と武器かなぁ。
・ミッション1回に必要な時間が大きくなる→奪い合いのテーブルに出回る宝が減る
・一回の攻撃に必要な時間(仲間の数)も大きくなる→奪う機会が減る
・パイが減るので、奪う機会が減っても奪われる機会は変わらない→罠への需要が高まる→カキーン
武器は、仲間の数を上限とした個数と、固有の数値の掛け算になるので、進行にしたがって1個の課金装備の価値が薄れます。(→課金装備への需要が高まる→カキーン)
結果後半になるにつれ、宝の保持や進行の高速化に必要なコストが大きくなります。
・コミュニティ内部の進度の差を縮めたい圧力がある(学校などで流行れば、圧力は更に高まる筈)
てことで、月に何十万も使っちゃうようなことになるのではないかと。
一昔前のカードゲームだったりしたら現金が必要だし、現物が積み上がるので親も発見しやすいんですが、ことデータだけで後払いとなると、取り返しがつかなくなってから発見されるんでしょうね。着メロ・着うたの黎明期に月数万使ってたコギャルがいたのと同じようなもんだと思います。つまるところ親の管理の問題。
http://b.hatena.ne.jp/entry/blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1430361.html
「ラモスが真の日本人だ」とかいってる人は本当にラモスと同じ意見なんだろうか?
ラモスが移民受け入れ反対なのは、現状では受け入れ態勢が不十分だから。
だからもし受け入れ態勢が整えば賛成になりうるし、或いは受け入れるために体制を整えよう、という主張をする可能性はありうる。
ラモスは真の日本人とか言っている人たちはそういう主張には賛成するのかどうか。
つまり受け入れ体性が整っていようがいまいが、移民を受け入れる事に反対という人は
ラモス賞賛している人は
単に目先の結論が「移民反対!!」で自分と同じだからっていうだけに見えるんだけど。
ちょっと流れとは関係ないけど、ゲーテッドコミュニティと移民の話があったので
(メディア批判が主な内容だけど)
7分以降から
http://www.youtube.com/watch?v=r2DS9t5lzJo&feature=related
後編part10
http://www.youtube.com/watch?v=g1HkKOMhloc&feature=related
ちょっと長いので1分20秒あたりからの気になった内容を文章に起す
宮台
「例えば同じようなメディアでも、まあこれはあのう自転車で行こうっていう、皆さん見ていただきたい、インディーズ系の大阪の生野区ですよね、鶴橋とかがある。
外国人がいっぱい住んでいるところの、その精神障害の人間たちの生き方を、生き様を映している訳だけども。
これは本当に皆さん見るとびっくりするんだけど、まあ生野区ってヘリテージがあるわけですよ。郊外化してなくて凄く地元性が残ってる。
でその地元性の中にコリアンとかチャイニーズ、或いは中南米の人たちと一緒に生きていくっていう事が完全に組み込まれているから、
精神障害の、知的障害の方々がいても、別に女子高生のコギャルも平気で話かけて喋ってるし、街で歩いてりゃたこ焼き屋のおばさんが、たこ焼き奢ってくれるし
その普通なら信じられないようなですね、地元的なコミュニティー的な者と、絶えず出入りする外国人との共生が成り立っている訳ですよ。
で僕はそういうヴィジョンを見ると、メディアはこういう風にも働く事が出来る。
つまり「異質な人間が入ってくると共同体がバラバラになって不安になるんだ」じゃなくて、まったく逆だと。
むしろ共同体が空洞化してバラバラになってるから、異質性に対して脆弱になって神経質になっちゃうんだと。
だからむしろ寛容さっていうのは共同体の強固さの表れなんだ、という様な事をね、ものすごく説得的に、本当だったら描けるわけだメディアでね。
メディアはどっち側にも加担できるわけなんだけど、どうも頭の悪い思考停止野郎が多いせいか知らないけど
ある一方側の、ネオコン的ニヒリズムをブーストするようなタイプの情報ばかりが、メディア空間に溢れるという現状になっている。
これは否めないですよね。」
神保
「一つはそっちの方が取材が楽だから、ともう一つ最近感じるのは、書いてる本人が多分本気でそう思ってるんだろうなっていう感じがして……」
これは僕の記録である。僕がなぜあんなことになってしまったのか、一度整理してみようと思いこの文章を書いている。そういったわけで少々文章が長くなるだろうが気にしないことにする。これを読もうとする方には申し訳ない。
僕はいわゆるロリコンであった。単なるロリコンではなく「病的な」ロリコンである。対象は中高生だ。
病気ではなく病的と書いたのは、私のは精神疾患とは違うようなのだ。現在日本でよく使われるDSM-IV-TRでは、13歳以下のものに対して異常性欲を抱くものを精神疾患としている。要はペドフィリアだ。つまり僕のように中高生にのみ異常性欲をもつものは病気ではないのだ。中1くらいだと幼すぎて興味が沸かなかったので間違いない。しかし、明らかに病的であることには変わりなかった。
ロリコンを自覚したのは大学2年くらいの頃である。コギャルという言葉が流行りだし、町中がガングロ・ルーズソックスであふれ出したころ、僕は彼女らに異常な興味を持った。僕はほんの数年早く生まれてきてしまったことをひどく後悔した。
その興味は羨望に変わり、そして性欲へと変わっていった。だが不幸にも彼女らと関わりを持つ機会を持てず、かと言ってナンパをする勇気などまるでなかった。さすがに犯罪だろう、とその時は思っていた。しかし今思えば大学2年なら先輩後輩でも通じる間柄だったはずだ。そうして悶々としているうちに年月は非情にも過ぎていき、中高生という存在や可能性からどんどん遠ざかっていった。そうして流れる年月は、僕の「コギャル」に対する性欲を異常性欲に成長させていった。
異常性欲。
分かるだろうか。僕は彼女らを見ると非常に強い性的衝動が起こるのである。もしかしたら健常者には分からないかもしれないので説明しておく。セックスを行う時、前戯行為を重ねた結果、性的興奮が絶頂に達して「もう我慢できない」という状態になることがあるかと思う。あれが、街中で、ちゃんと服を着て街を歩いている見も知らぬ女性に対して沸き起こるのである。私だけかとも思ったが、性犯罪の多さ、特に学校の教師や警官でさえ援助交際や盗撮などを行ってしまう事件をみるにつけ、一般にその衝動は私と同じくとても大きいものなのであろうと想像する。
年をとるにつれ、皮肉にも性衝動の対象は逆に広がっていく。いつの間にか高校生なら誰でも良くなっていた。25,6歳を過ぎた頃だろうか、中学生の間でパステルカラーを極彩色に組み合わせたようなファッションが流行した。ごてごてしたスニーカーを履き、うさぎの耳のように髪を結わえ、2つずつ大きなアクセサリがついた髪留めをしていた。
僕はこれに強く反応した。かくして僕はいい年をして中高生好きの病的なロリコンになっていた。欲望を満たす方法はあった。この頃、援助交際が大流行していたのだ。しかし僕はこれを固く拒んだ。犯罪を犯して性欲を満たす、これを僕は極端に嫌った。援助交際については気分さえ悪くなった。僕のなかにその選択肢はなかった。
しかし、その日は突然やってきた。
小雨がしとしとと降るある日、公園の縁石の目立たないところに一人の女性が座っていた。20歳くらいに見えた。待ち合わせだろうと僕は特に気にもせずに通り過ぎた。30分後、用があって再びそこを通ると彼女はまだ座っていた。明らかにおかしい。僕は声をかけることに決めた。知らない女性に声を掛けたことなどない僕は、声を掛けるのにさらに十分程度を要した。
きっと不審がられると思ったが、彼女は意外とやさしく返事をしてくれた。話を聞くと、約束をすっぽかされて時間をもてあましていたのだという。だったらとっとと帰ればいいものだが、なぜ雨の中ぼんやり座り込んでいたのかは聞いてないのか忘れてしまったのか。歳を聞くと17だという。なんとあれだけ憧れた「高校生」ではないか。僕はしばらく平静を装うのに苦労した。
時間は7時を回っていた。何も食べていないというのでちょとした料理店に連れて行った。わざと静かで落ち着いたカウンター席の店を選んだ。下心丸出しである。そして食事をとる振りをして彼女に心理的に接近していった。
店を出て、まだまだ時間があるというので散歩することにした。ぶらぶらする振りをして僕は常に距離感を測っていた。それはとうに向こう側も気づいていた。散歩の理由も含めて。そしてここぞというタイミングで手を取った。そして最初から取り決めてあったかのようにホテル街に消えていった。僕は「高校生」との性交を果たした。
念のために断っておくが酒は使っていない。そもそも僕は酒が飲めない。
実は異常性欲はこれで収まると思っていた。一度高校生としてしまえば満たされるだろう。しかしそうではなかった。彼女はいわゆるギャルではなかった。17よりは16くらいが良かった。中学生も未経験だ。満たされたと思ったのは一瞬で、次の日の朝にはただの変態に逆戻りしていた。
そして僕には一抹の不安があった。「これは犯罪ではないのか?」。実際にこれを犯罪だと信じている人も多いだろう。僕自身何度も犯罪者と誹られた。そこで知り合いの弁護士に「知人の話」として相談をもちかけ、飯をおごる代わりに法的根拠について調べてもらった。結果はおどろくべきことに、何の罪にも問われないというのである(当時。現在は違法)。こういうので逮捕されるのは大抵が地方条例違反なのだが、東京都にはその規定も罰則もないというのだ。児童福祉法も滅多なことでは引っかからないらしい(気をつけるべきポイントはあるが)。
ここで僕のタガが外れる。少々年齢差があってもナンパは可能だ。そしてナンパは気を付けていれば犯罪にはならない。数日後の昼、僕は昨日彼女と出会った公園にいた。そこにはいわゆるコギャルな女子高生がヒマそうに化粧を直していた。僕はやはり10分ほど躊躇したが、結局声を掛けることにした。そして世間話をしてカラオケに行くことになった。結局彼女とはカラオケをしただけで分かれたが、ナンパは成功したと言えよう。僕は一気に自信をつけた。
僕は唐突に仕事の契約をいくつか切った。そして月水金以外の4日間を休日とし、その時間をナンパに充てることにした。ここまでくると正気の沙汰ではない。仕事とナンパとどっちが大事かといえば、どうみてもナンパである。
ちなみに僕のナンパのやりかたはこうだ。大きな通りに目をつけ、そこをひたすら往復する。これはと思った女の子がいれば、一旦追い抜き斜め前から速度を落とし(こうすると驚かれない)横にならんで声を掛ける。特に話題がなければ「何してんの?」から始まり話が盛り上がってきたところで「じゃあちょっとカラオケでも行こうよ」と誘う。カラオケでいい雰囲気を作り、自宅の○○を見せてあげるとか適当に言って連れて帰る。あとは一緒だ。
もちろんこれは人によってちがう。その場ではメルアド交換だけしてアポを取り付け、デートで決める人もいる。というか多分そっちの方が多いと思う。僕も相手が時間が取れない時はメルアドを収集していたが、メールだけはどうも苦手だった。僕のようなのを即型、後者をアポ型と呼ぶらしい。
余談になるがキャッチやヤクザ風の人とはあらかじめ仲良くなっておいた。噂によると彼らはナンパする奴を締めたりするらしいが、僕が絶対に女子中高生にしか声をかけません、と言うと容認してくれた。彼らにとって未成年者は商売にならないのだ。よく「よお兄ちゃん、今日は釣れるかい?」と声を掛けられたものだ。
うまく行った子とは必ずプリクラに行き、それを収集していた。なお、初回に2回連続でナンパに成功しているが、現実はこんなに甘くはない。僕は話は下手だし顔もまずい。丸1日、100人くらい声かけてオケラという日もあった。だいたい月に5人程度。ひどいと1人とか2人という月もあった。今でもあの2回のビギナーズラックは、僕を引きずり込むための罠だったのではないかと感じることがある。
僕は大抵人の出てくる午後1時~3時くらいから出掛け、ひどいときは夜9時ごろまでやっていたこともあった。一度冗談で万歩計を付けたら2万歩も歩いていた。それ以上の日もあっただろう。まさに病気である。
それでも欲望はまったく収まる気配をみせなかった。まだ何かが満たされないのだ。こうなれば、ああなれば収まると夢想すらした。しかしそんな日は一向に訪れなかった。記録によるとそれは3年間にもわたった。ナンパというのは金のかかるものである。当然その日の収入はない。土日のカラオケは恐ろしく高い。食事代やホテル代も馬鹿にならない。よく金が持ったものだ。いや、あの金があれば、その分働いていたらどれだけ貯金できたか。
そして事はやはり突然訪れる。そんな生活を3年ほど送っていたある日、異常性欲が忽然と消えたのだ。突然「もういいや」という気になった。必死にナンパしてたのが馬鹿馬鹿しくなった。それは徐々に潮が引くようでなく、突然麻酔から醒めたような感覚であった。なんと「あのアレ」が治ったのである。実際にはそれからもしばらく惰性でナンパは続けていたし、何人かの中高生と関係していたが、それもだんだんなくなっていった。そして気が付くと手元には何も残っていなかった。
しかし、それでも、あのロリコンが治ったのである。ロリコンが治るとは夢にも思っていなかった。これは一生の病だと思っていた。それが治った。それは十分3年の価値があった。
だが逆に言えば、ロリコンはここまでしないと治らないのである。
そして今、調べてはいないがおそらく全国の条例で青少年の淫行が禁止され、ナンパなどできない世の中になった。もはや違法な手段を選ばないと欲望は達せられないのである。
ロリコン、そしてペドフィリアの方々、あなたがたは、一度でも欲望がかなえばそれが治ると思っていないだろうか?僕はそう思っていた。しかしそれはまぼろしで全く何も変わらなかった。直るまで仕事をほっぽり出して3年かかった。
僕は、性犯罪者の中には「ただ1回だけやればこの苦痛から開放される」と考えた人が多いのではないかと推測する。しかしそれは間違いである。あなたは何も変わらない。他方被害者は 強姦の場合、重大な精神疾患を一生背負うことになるかもしれない。「一度でもいい」と思っている方たち、僕が言えた義理でないのは重々承知だが、それは危険な思想である。禁煙者が「1本だけ吸おう」と言っているのに似ている。おそらく1度では済まないだろう。そして連続犯に堕ちていくのだろう。
健常者には分からないと思うが、病的なロリコンであることは大変な精神的苦痛をともなうものである。だが彼らを治そうという動きはなかなか見当たらない。病気として認められていないのだから当然なのかも知れないが、ただオナニーで我慢しろというのではなく、彼らを救済する手段を考えることも必要なのではないかと切に思う。
参考
http://image.blog.livedoor.jp/brynhidr/imgs/7/a/7aec0b0e.jpg
手の込んだロリ雑誌のジョーク広告なのだが、真に受けて精神科に行ったり、医師会を104で調べた人もいるという。みんな悩んでいるのだ。
それから通報祭りを開催予定の方々、僕の行為は説明したように犯罪ではない上、児童福祉法の公訴時効(5年)でさえとうに過ぎてるので(条例の時効は3年)、おまわりさんのお仕事を邪魔しないようにね。