はてなキーワード: 拒絶反応とは
「斜陽」のコンテンツにハマっている。何を思ったのか傾き始めてから手を出したくちだ。傾いていたことにはハマってから気づいた。
1番注目を集めていた時期を過ぎ、話題にする人も減り、関連商品の売上や動画の再生回数やSNSの反応から傾きが数字として見て取れる。
売上やインプレッションなどの数字の取れない商業コンテンツに未来がないことは、まあ自明と言ってもいいだろう。
けれども今よりもっとオタクのいた時期からのオタクにしてみれば、自分たちが頑張ってSNSや動画の数字を稼ぐ、という感覚がぴんとこないのだろうか。
あるいは人気が無くなったことを認めるようで拒絶反応が出るのか。
数字が振るわず終わった(と明言はされないが容易に推測できる)企画というのをいくつか経験しながらも、特にファンコミュニティで「頑張って応援しよう」という風潮は形成されない。
一応ぽつぽつと危機感を覚えて警告しているオタクもいるが、そういう人はだいたい言動が攻撃的なのもあって大きな支持を得てはいない。
自分自身も頑張れない側の人間なので、数字に対して貢献しないオタクを責める権利はない。「わかるよ」としか言えない。
オタク1人にできることは限られている。SNSの反応も、動画の再生数も、出せるお金も、1人の可処分な範囲から捻出できるのは微々たる量だ。
その微々たる量の積み重ねで、人気は判断される。1人の悪あがきでどうにもならないから指標になるのだ。
自分1人がどう頑張ったところで、オタクみんなが熱量あって人が沢山いるコンテンツには遠く及ばない、というのが昔よりもっと容易く数字としてわかるのも心理としてキツい。シンプルにここには人がいないんだ、情熱を傾ける人がいないんだとわかってしまう。人気のコンテンツ、つまり商売敵が数時間で叩き出す数字を見ると打ちのめされる気分になる。あれに太刀打ちできなければ衰退していくだけなのか。
自分の限りあるお金や時間をそういう苦行には使いたくない、趣味のつもりでハマったものを義務にしたくない。そう思ってしまったので、あとは出せる範囲でお金とか時間を使いながら沈んでいく陽を眺めるだけです。ごめんなさい。
しんどい思いしたくないならみんながハマってるものにハマった方がいいね。勝ち馬を乗り換え続けよう。自分はここに愛着湧いちゃったからどうしようもないけどね。
異業種からの転職で障害者支援を行っているのだが、障害者支援は内も外も大変。
・内側=スタッフ側のこと。
業界が業界なので、支援される側としか思えない人間の応募が大量に来るし、
その中から選抜した人間を採用しても、社会人として「何か」が欠落していることが多い。
それでいながら意識が高い輩も多く、様々な自分たち側が満足度を得られるような試みを行い、
自己犠牲精神が求められることもあり。業界が腐る原因を随所に見ることができる。
・外側=利用者側のこと。
障害を抱え不安や不満を感じることが自身の存在価値になっていることがあり、
あっさり見つかる解決手段を提示しても拒絶反応を示すことがある。
更に、自分が他者を批判する立場に居たいため障害者を嫌う。(同じ土俵に立つと批判できない。)
障害者が生きやすい社会にはコレが必要、ということを言う人に限って、受け入れられないような主張を振り回す。
当然どちらも人による。
登録者数千人くらいのネットラジオをよく聞いてるんだけど、そのパーソナリティのひとはいろいろな意見に対して、倫理的な理想と現実の両方を丁寧に擦り合わせるように意見を述べるひとで、そういう誠実さがいいなと思ってここ数年そのラジオを聴いている。
でも登録者が少しづつ増えるのと合わせて少しずつコメントに、なんというか「繊細なひと」が増えてきたように感じるようになった。
クレームとはいかないけど、ちょっとした言葉遣いとかに拒絶反応があったり、特定の単語に反応して昔の嫌な思い出を長々と書き込んだりするコメントが増えた。
多分パーソナリティの誠実そうな人間性に惹かれて「繊細なひと」が集まる、そして繊細な人は一度「誠実なひと」と認識した相手に自分が失望しないレベルの誠実な対応を求める、
そういう人がどんどん増える、という流れになってるのを感じる。
リスナーに「繊細なひと」の割合が増えてくることでトラブルに発展する沸点がどんどん低くなって、どんな言いがかりだろうと対応しないと怒りだすようになりそうな空気を感じている。
「誠実に対応するひと」と認定されると負担とリスクが雪だるま式に増えてゆく。
これからは「繊細なひと」が寄ってこないよう、わざと露悪的にふるまうのが最適になる気がする。
昨年の11月後半ぐらいから妻が急にアイドルにハマった。なんかすごい人気のグループの一人で今年の5月にグループ脱退、秋に事務所を辞めることが決まっているらしい。今まで10数年一緒に暮らしてきたけど、妻からアイドルが好きとかこの俳優さんが好きとかそういう話は一切聞いたことがなかったので、意外だった。どちらかというとアイドルは嫌悪気味だったと思う。寝耳に水。
きっかけは確かお兄ちゃんガチャとかいう不穏なワードのドラマ。内容はファンタジーらしいけど、ちゃんと見たことがない。主題歌は妻がずっと「お兄ちゃんガチャ~♪ガチャガチャ♪」と歌っていたのでなんとなく覚えた。トイレで自分が無意識に口ずさんでいたときは苦笑した。そのドラマでハマった妻はドラマのBlu-ray Boxを買い、その子が所属するアイドルグループの番組をHuluでずっと流していた。
CDを買い、ライブBlu-rayを買い、ファンクラブに入り、Twitterで情報垢(真偽が不明な情報を流しているアカウントらしい)というのを見つけてきて、「〇〇って書いてあった。もう好きじゃない。嫌いになる」と言っては、翌日には「やっぱり好き。情報垢なんて嘘しか書いてない」というのを何度か繰り返していた。その後、他のファンのツイートを見るためのアカウントを作ったりと一気に推し活への階段を上がっていったように見える。その界隈特有(?)の言葉も覚えたそうだ。
推しが出てるドラマをTwitterトレンド1位にあげるべく実況をしたり、YouTubeの再生回数を稼ぐためにずっと流していたり、TVerの順位をあげるために流していたり、CDやコンサートBlu-rayを手に入るもの全形態買ったり、出ている雑誌を片っ端から買ったりと「推し活ってお金も時間もかかって大変なんだね」と言いながら楽しそうにやってる。同じものを積もうとしたときは流石にそれは止めたら?と言った。
推しが髪の毛を切ったタイミングにたまたま私が髪の毛を切ってくるといったら、「これぐらい刈上げてきたらいいよ」と推しと同じような髪形を薦めてきた。どんな髪型でもよかったので、その髪型を美容師さんに見せて切ってもらった。妻の感想は「似合う似合う」と言ってくれたけど、その後すぐに「でも今度からは好きな髪形にしていいよ」とも言っていた。あと「がっつり刈上げが似合うのは〇〇くんぐらいだな。やっぱり〇〇くんはイケメンって改めて再確認した」とこそっと言っていたのを私は聞き逃してはいない。
好きなものを見つけるのはいいことだし、思う存分推せるとき(推したいとき)に推せばいいと思っている。
妻の母はそのアイドルが出ると「どこがいいの?全く分からない」と妻の想いをばっさり切り捨てるので毎回ちょっと笑ってしまう。でもTVで見かけるとLineで教えてくれるらしい。
外見の変化で言えば、人生で初めてちゃんとしたメイク落としを買ったと言って喜んでいた。ものぐさなタイプなので洗顔フォームですべてを終えていたらしいが、それではダメだと考え始めたらしい。日焼け止めもちゃんと塗るようになったと得意げに報告してくる。ダイエットのため着圧タイツ(そんなものがあるとは知らなった)を買い、ウォーキングに勤しみ、ジムらしきものにも行こうとしてる。今までカラスの行水だったお風呂はスピーカーを持ち込み、歌を流しながら1時間半以上入るようになった。健康的になるのはいいことだ。
妻がアイドルにハマるなんて今まで一回も考えたことなかったし、そんな日がくるとも思ってもみなかったけど、(楽しそうに家計が許す限りにおいては)こんなものか…という感想。多少拒絶反応があるかと思ったけど、普通に受け入れられた。
困ったことといえば、今まで妻の愛情を一心にもらってきた愛猫が少し寂しそうなこと。よくテレビを邪魔するようになった(邪魔している姿は可愛いのだが、愛猫の愛にもちゃんと応えてあげて欲しい)。あと家にある端末がYouTubeを回すためやらなんやらに占領されてしまうことがたまに厄介。
全部陰謀論だと思ってもらってもかまわないけど、元〇国勤務の増田が思うことを少しだけ書く。
ありえないと言っていいと思う。
②「日〇友好に貢献していた人物」なのになぜ?
多くの報道で「拘束された日本人は日〇友好に貢献していたにも関わらず~」と報道されていたが。
その真偽は置いておいて、
「貢献していた人物であればあるほど」つまり、「〇国のことを深く知る人物」ほど拘束されてもおかしくないと思う。
力をつけもはや怖いもの知らずの〇国であるが、唯一恐れているものがある。
それは身内である。
〇国びいきの増田ですら、この国が倫理的におかしいことを色々とやってきたのは認めざるを得ない。
〇国共産党にとっても〇〇平にとっても、一番怖いのは内部からの告発である。
危険因子は捕まえとくか!となったとしてもおかしくないだろう。
多くの面で先進国に追いついた、いや完全に追い越したといってもいい〇国だが
〇国での暮らしと文化を愛している増田でさえもその分野に関してはクソゴミだと思った。
そのゴミみたいな分野にはゴミみたいな人間世界がくっついていることは想像できるだろう。
なので増田は製薬会社の社員が拘束されたと聞いて増田は何の疑問も抱かなかった。
この人が悪いというわけではなく周りがという意味で。
④あの製薬会社は〇国と関わりが深いのにどうして?
②と同じく、関わりが深いからこそだろう。
ご存じの方も多いと思うが、〇〇〇〇〇製薬は2つの会社が合併し発足された会社である。
〇〇〇〇〇製薬は2005年からだが、その合併前の会社も中国で商売していたので
トータルだとかなり長い期間〇国に関わっている。
その長い期間には〇国がやりたい放題やっていた(今もというのは置いておいて)
〇国の臓器売買については陰謀論だと言われているが、個人的には漆黒に近いブラックだと思う。
一切行われていないということは100%ないと思う。
臓器移植において必要なものは何か?そのひとつが免疫抑制剤である。
〇〇〇〇〇製薬にはとある製品があり、それは臓器移植後の拒絶反応を抑えるものである(アトピーの治療等にも使われるが)
その薬の消費量や卸先でだいたいどのくらいの臓器売買が行われているか、どこで行われているのか推測できる。
〇〇〇〇〇製薬の売り上げの十数パーセントがその薬だとも言われている。立派な主力商品だ。
その情報が外部に流出すればどのようなことになるかというのは分かるだろう。
「あそこの国臓器売買めちゃくちゃやってますよ!」というのは少し証拠がつかみづらいだろうが
「あそこの国は臓器売買に必要なものをめちゃくちゃ仕入れてますよ!」というのは分かりやすいデータになる。
特に〇国は〇〇リカには知られたくないだろうから情報の流出を防止しなければならない。
そんな映画みたいな話あるかよwお前が病院行けwと言われそうだが真面目である。
個人的には日〇友好を願っているので、いろいろ明るみになり浄化され
これを読んで「やっぱり〇国怖い」と思う人もいるだろうが
親はあの手この手で食べさせようとするが、今思い返せば悪手ばかりだった。
ビンタの痛みと恐怖の方が口腔内に広がる腐敗物に等しい味覚臭覚に勝る。
お蔭で今もセロリは食べられない。
臭いと味が嫌いなのもあるがビンタされた時の不快感をあの青臭さを嗅ぐたびに思い出すからだ。
更に父親と食事すると叩かれるかもしれないという恐怖や不安から他人に笑われるぐらいの早飯の悪癖までついてしまった。
母親が試みた古典的な手法は細かく刻んで好物のカレーやハンバーグに入れるというものだ。
子供の味覚を甘く見過ぎだ。
余談だが、太平洋戦争時に殺処分命令を下されたかわいそうな象のジョン、トンキー、ワンリーは毒入りジャガイモに手をつけず飼育員達はその賢さに驚かれた。
果たして巨獣達は毒殺を人間が企図したと認識しての抵抗ではない。
単純に臭いが変わるのだ。
なぜ相殺できると思うのか。
賤しい人間共が実に短絡的で愚かだったのだ。
話を戻すが、ハンバーグに明らかに嫌いなピーマンのエグみが充満して食えたものではない。
よくも好物を美味く食べるという喜びを奪い、穢したな!
湧き上がる憤りと悲しみは至極当然の感情であり、抗議は正当なものである。
母親は自らの浅薄な企みを恥じ、謝罪とともに不純物のないハンバーグを作り直して赦しを請うべきだ。
結果は
「文句があるなら食べるな!」
大学進学時に親元を離れたが、仕送りもなく困窮した学生生活を送っていた。
いい加減飽きてきた。というより明らかに体が拒絶反応を起こしている。ウンザリだ!と。
一応カロリーは保っていたが飢えていた。
そう、飢餓であったのだ。
生卵も大嫌いだった自分だが、その学生が食べる卵かけご飯がとても美味そうに見えたのだ。
値段もカップ麺と変わらなかった事もあって、翌日勇気をだして頼んでみた。
ご飯の真ん中に玉子を乗せる穴を箸でほじくり、玉子の殻を割ってのせる。
昨日まではただ気持ち悪いネットリとした生卵が今や米の一粒一粒に纏う金色の衣だ。
若干の逡巡の後に貪り食う。
なんて美味いんだ!
今も進んでは食べようとは思わないもの、やはりどうしても苦手なものは残れど、あれよあれよと偏食を克服できた。
体が大人になって味覚が変化したという要素も多分にあるとは思う。
ところで、かなり後の事であるが、久しぶりに母の料理を食べて衝撃の事実を知った。
ちょっと演技を齧った、というか
演出家やプロデューサー、監督が講師をやっている演技塾に通ってたことがあるんだけど
「ひょっとしたら本当は皆ちゃんと演技できるけど、例えばアニメ声優がアニメでは少しオーバーにやるみたいに、分かり易さのため大仰にやった結果産まれるぎこちなさに拒絶反応が出てるとかじゃないか?」
がまさにその通り。
まず演出家や監督が、世界で主流の「リアル系演技」を嫌ってる。なぜなら自分の演出や意図が分かりにくくなるから。
だから少しオーバーな演技が好まれるし、「今はやりの演技はつまんないよね」って実際に言ってる人が多い。
そして、一言一句同じ言葉を俳優に言わせるのを好んでいるから。日本語はかなり曖昧で言い回しがたくさんあるから、まずそこで躓く。
あと制作方式がほんと縦社会、コネ社会だし、プロデューサーが演技の知識が無い人が多いからタレント便りになる。それに俳優が振り回されている感じ。
そして一度植え付けられた演技のクセは治らないんだよね。
あらすじ見て面白そうだなと思って見たら10分で吐きそうになる
てか、たぶん演技だけじゃないんだよね、演出も相まって縁起が下手に見える
______
なんだよ、何で伸びたんだよ
俺が今日絶望したのは大病棟占拠だ、バキバキ童貞出るところまで見ようかと思ったけど無理だった
あとは今際の国のアリスvsイカゲームで世界的な評判どうなのか調べた時、「話は鏡の国のアリス方が好き、でも演技はひどい」みたいな外国勢が多かった
「外国産の演技は日本人に把握できない」は確かにそうだけど、国内の力入れてる作品でも演技微妙だよね?
ググるとタレント使ってるからって出てくるんだけど、それだけでもない気がしている
邦画っぽいクソ演技もあるけど、最近の日本ドラマっぽいクソ演技もあるよね?クソにも種類があるというか
違うな、ひょっとしたら本当は皆ちゃんと演技できるけど、例えばアニメ声優がアニメでは少しオーバーにやるみたいに、分かり易さのため大仰にやった結果産まれるぎこちなさに拒絶反応が出てるとかじゃないか?
むしろそうであってほしい、プロがあんな演技しかできないと思えない
そうなると演技が下手というより好き嫌いの話になるんだけど
ジャンル差で言うとドロドロ恋愛モノはまだ演技上手い気がする(全然見ることないけど)
あとホラーものも上手い気がする、演技しやすいってのもあるのかも(恐怖とか悲しみとか不気味とか)
もっと良い例を出せたら良いんだけど引き出しが少ない
令和『うる星』をアマプラで再生したけど、2秒以上、直視できなかった。
これは原作コミック、押井版テレビシリーズ、劇場版をひととおり見たうえでの話。完全に拒絶反応が出てる。
なぜなら、あれは時代の産み落とした作品で、あの空気感をそのままアニメにするのは、もういくらなんでも無茶だと思ったから。懐古趣味にしても中途半端だし。それだけに『ビューティフル・ドリーマー』は、とても重い作品だった。あれは原作のモラトリアムを完全に拒否したから。それで押井守がシリーズ途中で降りてからも、建前としては「るーみっく的モラトリアム」が続くわけだけど、その呪縛の中でドタバタもがくキャラは見るに堪えず、痛々しく思えた。
だから、自分は、やまざきかずお版『うる星やつら』をあまり見る気にはなれなかった。もちろん、その延長線にある令和版『うる星』も。絵はきれいだけど、すごい違和感、不快感が出てくる。
手垢にまみれたことを言うけど、それだけ『ビューティフル・ドリーマー』は、最終兵器だったと思うし、罪ぶかい名作だったと思う。
さっき「うる星リメイクが話題にならず、ぼっちがバカウケしているこの時代に思春期を過ごしたかった。生まれる時代を完全に間違えた」という年配オタと思わしきツイートを見かけた。それで自分が思う違和感が分かった気がする。
前提として、アニメのキャラは「虚構」に過ぎない。80年代は、そんな「虚構」に埋没して「遊ぶ」ことを発見した時代だったのだと思う。だから、80年代は無意味で能天気なキャラ表象が求められた。
でも今の時代、おたく文化はメインストリームとして躍り出て、そうした虚構は、現実より重くなった。
だから、現実世界と乖離した、るーみっく的世界観は受け入れにくくなったのかもしれない。ならば、完全に虚構か、現実に振り切れるかしかない。
話を戻すと、やまざきかずお以降の『うる星やつら』にある違和感は、(個人的な偏見だけど)形を守ることに汲々としてて「キャラが蝋人形みたい」だからだと思う。そして令和版うる星の不人気さも、ここいらへんにあると思う。
もはや、誰も感情移入してない。というか、する気力にならない。興ざめもいいところ。つまり、40年を経て良くも悪くも、この手のキャラの魅力が、減価償却したといえる。
結論。
うる星、昔は好きだったけど、もう完全にオワコンだと思う。それは「役目を終えた」という意味で決してマイナスな意味ではない。ただ、コンテンツとしては、もうお金をタンマリ稼いでくれるようなものではないだろう。うる星ほど人気のあった作品が『ルパン』や『コナン』になれなかったのも、そのへんに理由がありそうだ。
【コメント補足】
>「ちゃうねん。 令和のうる星やつらはいわば水戸黄門みたいなもんで、オワコンなところに価値があるんや。」
そうか。なるほど。ようするに『サザエさん』のようなテンプレート・アニメだと思えばいいのかな。
>「何歳だよ、、、棺桶から増田にアクセスしてんのか?」「老人オタクってこうなるんだな まだビューティフルドリーマーって言っとる」
25やで
>「無条件でラムちゃん可愛いからそれだけでもいいじゃん!でも1クール後半からは密度濃くなってきて最初の紙芝居みたいなのとは比べて良くなってきてると思うよ。1クールの中でも「黄色いリボン」「君待てども」「君去りし後」は好きだなあ。面白いの感じ方は人それぞれだけど、なんかサンガツ。気に入ってくれるところがあるといいな!」
サンガツ!旧作でも名作だし、その回は見てみようと思う。
***
http://blog.livedoor.jp/qmanews/archives/52301669.html:くまニュース 2023/01/05
http://blog.esuteru.com/archives/9988702.html:はちま起稿 2023/01/06
→まとめサイトに転載されてた。名無しのコメントで納得いったものを載せておく。
知り合いで、前のアニメ化の時からずっと押井テイストのアニメじゃなくて原作の雰囲気を再現したアニメ版が観たいっていいつづけてた知り合いがいて、令和版めっちゃ楽しんでる。
元増田はその逆で、原作の雰囲気とかどうでも良いって思ってるんだろうね。
※61
今更80年代の原作の雰囲気をアニメでわざわざ再現することにコンテンツの縮小再生産以外のどれほどの意味があるって話でないの。
まぁ、なんだかんだ楽しんではいるけど、完全に懐古趣味のファンのための作品だろうし、若い人は食いつかんだろうなって少し冷めた感じはあるわ。
ビューティフルドリーマーは永遠に続くモラトリアムとの決着をつけたって意味じゃ、アニメ版の最終回とも取れるんだよな。
あれ以降まだドタバタを続けているキャラたちに冷めた目を向けるってのはわからんでもないし、それに対して怒るファンがいるのも納得できる話ではある。
555.はちまき名無しさん 投稿日:2023年01月06日 15:23▼返信
それを今掘り返しても、共感は得られない。
ルパンの子供時代もそうだ、誰も求めてないし見たくもない知りたくもない。
669.はちまき名無しさん 投稿日:2023年01月06日 16:31▼返信
これはどうリメイクしても駄目だろ。
ビューティフルドリーマーが致命的すぎる。
「すべて仮想現実の話でした!」って言われた後で、
716.はちまき名無しさん 投稿日:2023年01月06日 17:04▼返信
「うる星ほど人気のあった作品がルパンやコナンになれなかった」
これすごい腑に落ちた。
何が腑に落ちたのかもよくわからんけど、
この1文で何故だめだったのかの理由が納得いった。
773.はちまき名無しさん 投稿日:2023年01月06日 17:39▼返信
あまりに信者が持ち上げるものだからどんな物か見てみたが、終始押井のオナ〇ーと高橋留美子の原作を否定に掛かってるようで見てられなかった。
押井は原作者からリストラされたんだから押井信者もしゃしゃり出て来ないで欲しい。
786.はちまき名無しさん 投稿日:2023年01月06日 17:45▼返信
※773
ただ、ビューティフルドリーマーがあの時代に唐突に現れた
アニメ史の中の転換点とも言える強い影響力を残してしまった作品なのも事実
ぼっち・ざ・ろっく!第8話の作中で演奏された楽曲「あのバンド」が好評を博している。
これは演奏に至るまでのアニメの話運びと演出・描写の素晴らしさによるところが大きいが、
実はこの楽曲の歌詞も物語に深みを与えるような内容になっている。
https://www.youtube.com/watch?v=L2i0i9gWE00
歌詞の1番では、“あのバンドの歌”に対する“わたし”の忌避感がつづられている。
今まさに“列車が来る”“踏切”を前にして“背中を押すなよ”と懇願するような
恐怖感(巻き込まれたら〇んじゃう!)にも近しい拒絶反応である。
そんな怖い音から逃れるため目を閉じ耳を塞ぎ、自分の鼓動だけを聞いてやり過ごす。
2番では、しかし他の人は“あのバンドの歌”をとても好意的に受け入れていて、
それを拒絶している“わたしだけが”異常なのだという自己認識が示される。
この世から“わたしが放つ音以外”が無くなれば、こんな疎外感に苛まれないのに。
そうやってまた目を閉じ耳を塞いで、殻に閉じこもる。
ラスサビ前のBメロでは一転して“わたし”が“列車”に乗る側となる。
これは“わたし”が音を出す側になるということだが“乗客はわたし1人だけ”。
1番の状況と立場が反転していると推測するなら(そして2番の自己認識のとおりなら)、
他の人々は“踏切”のそばにいて、つまり“わたし”の音は拒絶されるのだろうと仄めかす。
ラスサビでは、そんな悲観的な状況に“目を開け”て向き合っている。
自分が“孤独”なのは間違いなくとも、自分の音を“孤高”に鳴らし続ける。
これまでは受動的に聞いていた“鼓動”も、自分の音として能動的に“確かめる”。
もう他の誰がどんな音を鳴らそうと“わたしが放つ音以外”には耳を傾けない。
「孤独な自分を受け入れ、他人に拒絶されても自分の音楽を追求する」という意志を歌っている。
字面としては全く同じフレーズが、1番2番ラスサビでそれぞれ違った意味になるのは
プロ作詞家の技巧であり素人女子高生が書けるわけねーだろ、というツッコミは置いておく。
ここで述べたいのは、もしこの歌詞をぼっちが書いたものだとしたら物語としてどういう意味を持つのか、だ。
ぼっちは第2話において青春コンプレックスを刺激する歌は無理だと吐露しており
これは1番2番の歌詞の内容と符合する。普段の(これまでの)ぼっちの心情だ。
ラスサビ前Bメロで歌われる、自分の音楽が他人から拒絶される予感と不安は
第4話において陰キャな歌詞を書いてもよいものか逡巡してたことと一致する。
その気持ちを払拭し背中を押したのは喫茶店でのリョウの言葉であり、ラスサビは
そのリョウの言葉を受け止めたぼっちからの返答だと解釈できる。
すなわち「私も、自分の個性を捨てずに音楽をやっていく覚悟をしました」という決意表明である。
ぼっちの個性とはまさにぼっちであることだが、ぼっちというあだ名=”孤独の称号”を与えたのも
面白いのは、このラスサビに秘められたメッセージは(喫茶店で会話した当人である)
それを踏まえると、第5話でリョウが「ぼっちの書いた歌詞みてたら浮かんできた」と
あえて言葉にしたことにはメチャクチャ重みが増して尊みが爆発する。
さらに続く場面で「ほめてつかわす」と言ってスキンシップまでしてるのも
ぼっちが歌詞に秘めたメッセージをきちんと受け取ったことを暗に伝えており
そしてもう1つ、第6話の路上ライブ。
何を演奏するか完全に委ねられていた状況においてぼっちはこの曲を選んでいる。
ダンボールかぶってた初ライブと違い、初めて観客に面と向かって演奏する不安のなか
何故この曲を選んだのか。
それは自分がこの詞に込めた覚悟をウソにしないため、その想いで自分を奮い立たせるためではないか。
ぼっちを表立って助けるシーンの乏しいリョウだが、音楽に向き合う姿勢についてだけは
誰よりもぼっちの支えになっているのだ。
上掲の公式MVで使われている、踏切の前で振り返るリョウのイラストも、それがぼっち視点だとすると
2人が同じく踏切の前に立っている=音楽性を共にする仲間である、ということが示唆される。
登録者数千人くらいのネットラジオをよく聞いてるんだけど、そのパーソナリティのひとはいろいろな意見に対して、倫理的な理想と現実の両方を丁寧に擦り合わせるように意見を述べるひとで、そういう誠実さがいいなと思ってここ数年そのラジオを聴いている。
でも登録者が少しづつ増えるのと合わせて少しずつコメントに、なんというか、繊細な人が増えてきたように感じるようになった。
クレームとはいかないけど、ちょっとした言葉遣いとかに拒絶反応があったり、特定の単語に反応して昔の嫌な思い出を長々と書き込んだりするコメントが増えた。
多分パーソナリティの誠実そうな人間性に惹かれて「繊細なひと」が集まる、そして繊細な人は一度「誠実なひと」と認識した相手に自分が失望しないレベルの誠実な対応を求める、
そういう人がどんどん増える、という流れになってるのを感じる。
リスナーに「繊細なひと」の割合が増えてくることでトラブルに発展する沸点がどんどん低くなって、どんな言いがかりだろうと対応しないと怒りだすようになりそうな空気を感じている。
「誠実に対応するひと」と認定されると負担が雪だるま式に増えてゆく。
これからは「繊細なひと」が寄ってこないよう、わざと露悪的にふるまうのが最適になるきがする。