はてなキーワード: 助産師とは
男性が助産師になれないなんてはじめて知った。それほどにも問題視されてないということは、よほど助産師になりたいという男性看護師が少ないんだな。
さて、そういう男性産別が許されてはならないと増田が思うなら、男女雇用機会均等法とかを持ち出しては駄目だ。男女雇用機会均等法は法律だが、助産師になれるのを女子のみと定めている保健師助産師看護師法3条も法律だからだ。法律を法律で叩いても勝てない。
法律を叩くには法律より強い武器を持ち出さなければならない。そう、憲法だ。憲法14条を岩から引き抜いて法廷におもむき、邪悪な保健師助産師看護師法3条を打ち倒すのだ。
前に女子大にしかない学科に入りたいとかいう男受験生が訴え起こしたことがあったろう。
建前的には資格の条件を削ればよいというのだろうが、制度を変更することによるコストも当然に発生する。
問題はそもそも需要のない制度変更をコストをかけてまでする必要があるかということになるかと思う。
男性が助産師になれないというのは確かに今時の感覚ではおかしいことではあるが、ほとんど需要がないとわかっているこの時期にコストをかけて制度変更をするといいうことが正しいのかというところがバランス問題になってくるのだと思う。
助産師養成学部がある大学では女性専用の施設しかないだろうし、平等という概念のためだけに需要もない資格者を輩出するために施設全体の変更が必要になるということを考えればどうかなという気はする。
バカは知らないだろけど、産婦人科は「産科」と「婦人科」が強引に一緒にされてるのであって、基本的には医師としての技能が必要になる職業だからな。
助産師が取り扱うことができるのはあくまでも正常な分娩が可能な場合のみであって、逆子や帝王切開のような分娩に特別な医療措置が必要なものは「産科」がある医院でなくてはいけないことになっている。
助産師が女性のみの資格となっているのはもともとが「産婆」という地域で独自に行なっていた仕事を無理やり資格業務にしたという流れがある。
もちろん男性助産師がいないのはおかしいと主張して資格取得条件を広げるのはいいだろうが、実質的には実用性のない制度変更になるだろうな。
金と手間をかけて男性助産師を誕生させても「やったー男女平等!女尊男卑の是正!」とか喜んでそこでおしまいであって、世の中のためにはならないことは間違いない。
今度、単なる差別やんけと言ってやれ
料金設定が安ければ男でもいいって人が1パーセントいるだけでビジネスとして成り立つ
移動が難しい場所でも体力のある男なら車にバイクに徒歩でも長距離移動出来るから、山奥の実家に帰って出産したいみたなニーズにも答えられるかもしれない
今日たまたま授業の議題に出たわ。先生は「自分が出産する時、または奥さんが出産する時に男性の助産師に頼めるか?どうしても需要と供給のバランスが取れない」と言ってたけど、まぁね…
男でもなれるようになったし職業としての需要もあったりするんだろ
普通の会社員の仕事も男だけ女だけで募集すんのは禁止になってる
男女雇用機会均等法があんのになんで助産師だけは男がなれないの?
女性のプライベートな体の部分を相手にする仕事だからとかいう人もいるみたいだけど
もはや助産師がおんながやらなきゃいけない正当性はどこにもない
こんなもん許されていいはずないだろうが
追記
正直言って反吐がでる
黒人が嫌だから、黒人は黒人用のトイレ用意してやるからそれ使えってのとどう違うのか
差別意識を持ってる側が意識改革する必要があるのにそれを相手に問題があると責任転嫁する
産婦人科医に男はいていいけど、助産師はダメってことに一切合理的な説明をしてるやつがいない
それに需要がないみたいな話だが他のツリーでこう書いてるからよく読め
料金設定が安ければ男でもいいって人が1パーセントいるだけでビジネスとして成り立つ
移動が難しい場所でも体力のある男なら車にバイクに徒歩でも長距離移動出来るから、山奥の実家に帰って出産したいみたなニーズにも答えられるかもしれない
出産の時の痛みはよく話にあがるのですが、それ以外はあまり聞かなかったので印象に残ったことをメモしてみました
いきんだ時にうんちも出たらどうしようと不安になり助産師さんに聞いたら、出てもサッと取ってくれるとの事で安心しました
出産が終わったら痛みとはお別れかと思いきや、会陰切開の痛みと母乳マッサージの痛みが襲う大スペクタクル
会陰切開どころか尻穴まで裂けてしまったので先生が丁寧に縫ってくれたのですが、抜糸まで1週間。うんこをするのには苦労しました(尻が裂けているので)
出産後2~3日でおっぱいのサイズが3ランクほどUPしますが、同時に乳が張って泣くほど痛いです
さらに乳を出す「道」を作るため、助産師さんが力いっぱい乳をマッサージしてきます。その場にいたママさん全員が痛みで絶叫していました
自分は乳の出も良く、赤ちゃんの吸いも良かったのでトラブルはありませんでしたが、中には乳首にダメージを喰らうママさんもいます
09:30
今朝起きたらまた鮮血のおしるしが出ていた。
前駆陣痛も続いていたから、「がんばっていたんだね。残りはお母さんやみんなでサポートするからね」という気持ちで家を出発。
快晴でとてもいい日。
10:00
到着後の内診でかなり子宮口を強くかき回して刺激され、その刺激で破水。
周りのスタッフさんが若干わたわたする中当人は「ああ、これが破水なんだ……」と思っていた。
そこから、部屋に移動して促進剤投与を始めた。
促進剤は、それによって産まれる、という効能ではなく、子宮を柔らかくして子宮口を緩めてそこから陣痛を呼び込むためのものだそうで、20からstart、120まで上げても進まない人もいるよー、と。
とにかく無事に産まれられれば、と、「何でもいいからお産に繋がりますように」という気持ちでどんどん追加されていく促進剤の値を見ながら過ごしていた。
11:00
胎児の心拍が落ちることが何度かあり、酸素マスクをつけて深呼吸をする時はさすがに緊張した。
でもまた数値が戻ったのを見て安心して「私がリラックスしなきゃ子宮も柔らかくならない」と過ごしていた。
15:00
100あたりまでは前駆陣痛の痛みとあまり変わらなかったけど、そこからは前駆陣痛は越えた痛みが始まった。
17:00
看護師さんに「今日は一旦終わりにして様子を見て明日またやって、経過によっては帝王切開で産んであげることになるかもね」と言われて投与は一旦stopした。
投与してもあまり変わらず、「私が堅いことで子宮口が開かないんだ」「私がリラックスできないから入院の日が増えてお金をかけさせてしまうんだ」と「私のせいだ」の思考が一時止まらなくなって涙が出た。
胎児の心拍が落ちること、胎便が羊水にかなり混じっていること、心拍が急に上がること、陣痛がこないこと、いろんな焦りや不安に対して「母の私が◯◯しないからだ」という思考が出てしまったけど、そんな中でも夫が一緒にいて笑ってくれていることに本当に救われて、いろんな不安もあったけれど1日過ごすことができた。
20:00
母が夫を迎えにきて帰宅。体勢変えたりしながら、落ち着いてから21時過ぎに寝る体勢に。
21:08
何人も看護師さんが入ってきて再度酸素マスクをつけ、内診をしてもらい、「もう赤ちゃんの負担が大きい」ということで、クリニックの先生にも診てもらった上で、緊急帝王切開をして胎児を出してあげることに。
21:32
酸素マスクをつけて深呼吸をして「帝王切開になります、急いでパパを呼んで」と言われ、さすがに焦りすぐさま夫に電話をして来てもらい。
色々なリスクの説明も受けたが、もう皆どうでもよくて、ただただ「無事に産まれられればそれ以外は私の子宮やら体やら命やらどうなってもいいから」という気持ちで、早く外に出してあげてほしくて、急ぎ足でope室に入って横になった。
22:00
何かの数値に対して先生やスタッフの方々が緊張した面持ちで観察して指示を出したり動いたりしていたが、あれはなんだったんだろう。
バタバタが続いてすぐには開始しないことに不安を感じつつ、その間に落ち着いて来て「もうすぐ会えるんだ」「やっと会える、がんばろうね、大丈夫だよ」と幸せな気持ちが高まり、ope開始後も私はずっと笑顔で耳を澄ませ。
麻酔が効いてくると血圧の変化によるのか、頭もぼーっとしてきた。目を瞑ることに吸い込まれるような。
コッヘル、クーパー、などの機械出しの指示でなんとなく何を切開しているのか把握しつつ、足から胸にかけての感覚はもうないのに何か自分の中を弄られているような感触に奇怪な感じを抱きつつ。
22:57
胎児を取り出す時になると胴体を中から大きく揺さぶられ(感覚はないけど子宮を直接揺らされているのはすごくわかった)、少し泣き声が聞こえたのと同時に「おめでとうございます〜!男の子ですよ!」と。
その瞬間ザーッと涙が出そうになったものの、最初の一瞬の後に全く泣き声が続かないので瞬時に不安感に襲われ、産まれた喜びを味わいつつもそれだけの気持ちは束の間、取り上げられてもしばらく泣かない赤ちゃんが心配で気が気でなくなった。
自分からは布で隠れて見えないけど、向こう側で明らかにスタッフさんたちが焦って赤ちゃんの背中を叩いて刺激していたり懸命に気管内の吸引をしていたりしている。
先生も、取り上げた後はすぐに私の縫合に取り掛かりつつも、赤ちゃんを見て緊迫した声色と口調で指示を続ける。
「サチュレーション反応しません」「小さい方に切り替えて」「小さい方反応ありました」「こっちはどう!?」「◯◯じゃないよ、そっちを◯◯して」「◯◯さんこっちきて!」と何人ものスタッフさんが赤ちゃんの方から私の頭上まで動き回る。その間も赤ちゃんは泣き声ほとんどなく、たまに「ふぇっ」と聞こえるか聞こえないかくらい。
赤ちゃんが泣かない。泣かない=呼吸ができない。呼吸ができない=酸素がいかない。酸素がいかない=死んでしまう。
一瞬でそんな考えが脳内を駆け巡り、「私はお腹開いた母でも放っておいていいからみんな赤ちゃんを早く助けて下さい!」と叫びたい気持ちを抑えながらこわくて仕方がなくて、「赤ちゃんは大丈夫ですか」と何度か聞いた以外ただただその場を見守っていた。
そのうちになんだか意識が遠のいていくような感覚から強い吐き気が出て何度か嘔吐し、そこからは遠目に赤ちゃんの様子を見つつぼーっと手術の終わりを待つしかなかった。
私の腹部縫合中、赤ちゃんの泣き声が聞こえない時間。きっと数十分あったかなかったかくらいだったろうけれど、この時間がこの1日の中で一番長く感じられた。私には何時間も縫合されているように感じられた。
私の腹部縫合が全て終わり、ope室を出る時にスタッフさんがぱっと赤ちゃんのお顔を私の方に向けて見せてくれた。
むちむちでまあるくて髪がフサフサでかわいい。濃い顔じゃなくて私似?なんて思いながらope室を離れる。
外では夫と母が待っていたけど、熱発もあったからかとにかく頭がぼーっとして「目を閉じたい、でも赤ちゃんが気がかりだ、でも目を開けていられない」というぼやけた意識で過ごしていた。
時系列はきちんと記憶できてないが、部屋に戻ってから夫と母が荷物を運びつつ座っていてくれて、赤ちゃんの顔の話などをした気がする。
自分で何を話したかよくて思い出せないけど、夫が深く呼吸して緊張していたことはすごく覚えている。
今思うと、私は赤ちゃんのことも考えつつ意識がぼやけていたので、その場を冷静に見れていた夫は本当に不安だっただろう。
術後は姿勢の不快さが強く、度々左右に体位交換をしてもらった。
赤ちゃんを救急搬送することに決まったと先生から話を受け、夫たちは救急車より早く出て向かってあちらで対応すると。
お腹を切った身と言えど、この状況で動けず何もできずに横になっているのが悔しかった。
無駄だとは分かりながらも、麻酔で動かない・司令の伝わらない脚先を動かそうと何度もやってみたけど全く足は動かなかった。私の分まで夫に託して手を握ってお願いした。
夫と母を見送ったら一気に意識が遠のいて来て、そのあとまた夫が来たような来なかったような……
そんな中、救急車に赤ちゃんを乗せる直前に助産師さん(看護師さん?)が赤ちゃんを抱っこして私に会わせに来てくれた。
移動前に目の前で会えるなんて思ってもいなかったから歓喜して一瞬で意識が戻り、赤ちゃんをぎゅっとしてちゅーして「がんばろうね!」とほっぺを撫でて送り出した。
涙が止まらなかった。
24:30
サイレンの音の位置が赤ちゃんと私の距離を表しているから、サイレンが遠のいていくと赤ちゃんとの距離を感じて、ただただ「がんばれ!お父さんもお母さんもいるからね」と祈ることしかできなかった。
25:00
その後また意識がぼーっとして、何度か看護師さんが巡回に来てくれたのもあまり覚えていない……
2時台にiPhoneが遠くに移されたのでLINEを確認できずそわそわ。
体位交換をお願いしたりしながらいつの間にか寝ていた。2時間ほど寝ただろうか。
起きてから夫からのLINEに気づき、赤ちゃんが無事なことを確認して本当にほっとした。
こんなに遅くまで夫と母が対応してくれているとは。本当におつかれさま、ありがとう、それしか出て来なかった。
夫から送られて来た赤ちゃんの写真がかわいすぎて、うるうるしながらしばらくずっと見ていた。
かわいすぎていくら見ても見飽きない。早速待ち受け画面に設定した。
夫がもう帰路にあると分かって安心して私もまた休憩。
でも頭が冴えてしまってもう眠れず……
29:00
巡回の夜勤の看護師さん&助産師さん達が検温や創部の観察をしに来つつ何度も話しかけてくれて、明るく笑わせてくれて元気付けてくれた。
もう麻酔は切れていたので、「どんどん回復して赤ちゃんに会いに行こう!」と勝手にベッド上でリハビリ開始。足の指先から、体幹部から、痛み・貧血・血圧を観察しながら進めた。
外が明るくなって落ち着いて来ると、赤ちゃんが無事に産まれてきたことの安堵感、今生きているのかどうかという不安感が一気に現実味を帯びて心に流れて来て、赤ちゃんの写真を見ながら唇を噛み締めて泣いていた。
それに気づいた看護師さんが私のそばに寄り添ってくれ、スタッフのみなさんが赤ちゃんをその後も気にかけてくれていたこと、その方もお子さんが苦しい状態で産まれて来たこと、昨夜赤ちゃんの直後にもう一人赤ちゃんが病院で産まれて、そのあと陣痛の人が来て不思議とお産が重なったことなどを明るく優しく温かく話してくれた。
「泣きたい時は泣いていいんだから。心配だよね、泣いていいんだよ。」と言ってくれて一気に号泣して、話をして落ち着いた。
日勤に交代する時間帯、夜勤の助産師さんが何人か来てくれて赤ちゃんの写真を見て「母そっくりよね!」「かわいい〜❤️」「がんばるしかないね、赤ちゃんくん!」と声をかけてくれた。それと一緒に絶対安心する温かい言葉もかけてくれる。その度にうるんでしまった。
私は術後あまり痛みを感じず動くのが得意なようで、夜中に自分でクッションを動かして体位交換したり足を動かす練習を始めたりしているのを褒められた。
どんどん動いて行くぞ。
https://anond.hatelabo.jp/20171121162134の増田です。
嫁も出産当日(大半は思い起こしながら翌日)に日記を残していたとのことで。
10:00
この日段階で予定日を10日過ぎていた。これ以上は延ばせないということでクリニックに入院開始。診察中に破水し先生方慌てるものの嫁は平常心。
診察の途中から私も参加、促進剤についての同意書にサイン、入院部屋に行く。
3人部屋だがカーテンで仕切られており、なにより今は私ら夫婦しかいない。
窮屈さはないし清潔感あって居心地悪くない。
入って早々地元訛りの助産師さんから説明、促進剤の点滴開始。まずは20mlから。
11:00
自体は当面は動きそうにないので、ここで一人散歩に出かける。薬局でマスク買ってファミレスでカツ煮定食を食す。アラサー、カツ煮定食のコスパに感動。
途中で胎児の心拍低下による促進剤停止という事態があり飛んで戻る。
12:00
嫁ランチ。野菜カレーとカレイの揚げ浸し、スープ、サラダ、パイナッポー。目を閉じ多幸感に包まれながら食事を楽しむ嫁。
あまりに美味し過ぎたためか完食した嫁、お腹いっぱいになりすぎその後やや後悔したようだ。
13:00
Toco値(なんの値かよくわからなかったが出産までの進行度合いと解釈した)を注視してみたが高い値になっても「生理痛よりはマシ」とのこと。
やはり痛覚は個人差あるのかな。
入院開始時は前駆陣痛が5〜7分間隔だったものがこの時点で3分間隔に。まだまだ笑顔。この時点で促進剤60ml。
14:00
2度目の外出。動けない嫁に雑誌を買おうと近くのコンビニを探す。
地元で有名な産科が近いからか出産関係雑誌が1角を占める。澤穂希表紙が目立つ。
めぼしい雑誌はなくクリニックに戻ると駐車場から車が消えていた。どうやらこの日は通院する人が少ないようだ。
15:00
16:00
18:00
嫁と食べ物縛りしりとりをしたりアキネイターごっこをしたりして穏やかに過ごす。
20:00
面会時間が終わったためお義母さんに送ってもらい一時帰宅。明日再度促進剤投与をする方針になった。
21:32
嫁から電話。胎児への負担を考慮して急遽緊急帝王切開を取ることになったと嫁。
一時的に心拍がかなり下がったこともあり無理はできないという医師の判断だった。
急行。
「ハンカチある?ないなら貸すね。何用かって?出産後に感動した時用よ」とお義母さん。ハンカチを受け取る。
22:00
オペの説明を受けて嫁は早速手術場へ。
元々立会い出産を希望しビデオカメラを持参していたが、使うこともなさそうだ。
廊下でオロオロしながら歩き回る昔ドラマでよく見た典型的なパパっぽい感じになる。
22:17
手術開始。手術室前のロビーにてお義母さんと二人。時間が永遠に感じる。
しかし胎児への負荷が大きかったようで、胎児に呼吸器をつけてなんとか酸素補給をしている状態とのこと。
23:50
手術後の胎児に対面する。
顔が青ざめており、ひゃっくりのような小さな呼吸をかろうじてしている状態。
我が子への最初の声掛けは「頑張れ」だった。
産後の嫁に付き添う。労いの言葉も胎児の容態が気になりトーンダウン。もうここは祈るしかない。
しばらくして先生から緊急搬送を取ることにしたと説明。救急車で隣町の大型病院へ。
25:30
お義母さんの運転が優秀だったのか、救急車より早く着きすぎる。書類を記載して提出。
緊急病院の待合室は独特のピリピリ感があって苦手だ。
この日はなぜかオカマさん(顔以外は限りなく女性に近い)がいて視線を奪われる。
26:23
26:33
カンファレンスルームへ。ここからどれくらい待っただろう……時間が永遠のように感じられた。
部屋には山ほどの赤ちゃん関係の本が。その中には「赤ちゃんの死を乗り越える」というタイトルのものもあり思考のネガティヴループが加速する。
気づいたら私もお義母さんも文字通り祈るポーズをとる。ただただ生きていてくれ。ネガティヴモードを振り切ろうと廊下を散歩する。
27:30
病院の看護師さんに呼ばれて私一人でNICUへ。熱を計り徹底的に手を洗い清潔な状態で入室。
胎児は全身を管に繋がれながらもさっきより顔色のいい状態でスヤスヤ寝ていた。なんと可愛い寝顔だろう。
全体的にむっちりしていて丸顔で。天使ってほんとうにいるのだなと確信した。
「触ってあげてください」と看護師さんに促され頭を撫でる。剛毛で真っ黒でややパーマ。これはお母さん似かな。
よく頑張ったねと声が自然と口から漏れた。看護師さんも笑顔だ。
息子は「胎便吸引症候群」により体に強く負荷がかかり、更に肺炎を併発させて窒息ぎりぎり手前状態だったという。
クリニックの先生の緊急搬送判断(別のお母さんがその時間に手術予定だったが、我が家を繰り上げで対応して下さったよう。感謝しかない)、
大型病院のベッド空き状況/立地……などなど様々な幸運が重なったことによって生きることができた息子。
まだ頑張るところだがまずは人生のスタートラインに立てたぞ。本当によかった。
27:50
NICU責任者の先生から契約書類の説明を受けサイン。息子の名前を初めて書面に記す。出生届よりも先に書くことになるとは。
「**(名前、産前にもう決めていた)っていい名前ですね!私の親友が同じ名前なのですよ。いいやつでね……」と先生。この人は信頼できるとなんとなく感じた。
具体的な検査結果は翌AM11時に説明させてくださいと先生。先生も寝る時間がほとんどないじゃないですか……おつかれさまです。
看護師さんから書類を受け取ったのち「忘れてた!」と息子の写真を渡してくれた。
「処置中は目を開けてて「ここはどこなんだろー」って周りをキョロキョロしていたんですけどねー」と目をつむった胎児写真を説明する看護師さん。
ここにいる人はみんな味方だ。
28:30
安心感からか涙が滴り落ちる。自身がめちゃくちゃ強張っていたことにやっと気づく。
iPhoneを起動、嫁と使っていた妊娠/出産情報管理アプリを開くと表紙が親子3人になっていてまた涙。
「ハンカチ、ここで使うべきなんですかね」と涙を拭いた。
その後息子2ヶ月弱の入院を経て帰宅、順調に成長し、障害もなく元気に育ってる。
この間子どもを産んだよ。
でも、なんか突然破水して救急車で総合病院に運ばれて出産する羽目になっちゃったよ。
早産だからって子どもはNICUに入ったよ。新生児集中治療室って言うんだって。
なんでだろうね。産む3日前の妊婦健診では「順調ですね」なんて言われたっつーのにね。
なんて思いつつも、なぜこうなった!?って思ったよね。
同時期に子どもを産んだお母さんたちが集められたよ。
そこで助産師さんが
なんて言い出して、おいおい私救急車で早産でーす、なんて恥ずかしくて
言いたくないわとか思ったよ。
でも話し出したら、その場にいた全員トラブル抱えた出産だったわ。
前置胎盤で帝王切開、切迫流早産で5ヶ月以上管理入院、五十路間近での出産。
逆に元気に何事もなく産む人のほうが少ないんだねきっと。
っつーか、何事もなく普通に産めると思っていた自分は思い上がりも
何を持って十月十日お腹の中で育てて、ひっひっふーで安産で埋めると思っていたのかと。
とりあえず子どもの命があってよかった。
早く家に連れて帰りたい。
読んで自分の一人目出産入院中の事を思い出した。私は運が良かったのかもしれない。
入院していた産院はあまり人気のないところで、産後の病室は二人部屋なのだけど余程出産が立て込まなければ一人で一部屋使えるということだったので、コミュ障ぼっち気質な私には願ったりだったのだが、私が出産した前日当日に何故か出産がたて続いたせいで、結局相部屋になってしまった。
相部屋に為った人は私と同い年だったが4歳の上の子もいる経産婦だった。彼女は子育てに慣れており、生まれたての赤ちゃんの扱いも上手。赤ちゃんが起きている時は昼でも夜でも赤ちゃんに話しかけていた。
この、赤ちゃんに話しかける、という何気ない行為が私には衝撃的だった。私は、言葉の通じない新生児は宇宙人か動物みたいなもので、ちゃんと人間になるまでは話し掛けても無駄だと思っていたからだ。
だがしかし、赤ちゃんが人間になる前に話し掛けてもいいんだ!試しに話し掛けてみると、目の前の生き物ががぜん一人の人間に見えてきた。
同室の彼女との、授乳しながらの他愛ないおしゃべりも、何か特別な事を教えて貰った訳ではないが、かなり役にたったのだと思う。私はそのお陰で自分の人間性を見失わなくて済んだと思う。
助産師さん達の教えでは、赤ちゃんの意思表示は泣くだけではなく、泣く前に赤ちゃんの出来うる限りのジェスチャーで意思を表現しているという。
そう言われてみると、赤ちゃんはお腹が空いたらしきりに唇を舐めたりちゅぱちゅぱ鳴らしたりしているのが分かった。しかもなんだかこちらに目配せしている様にも見えた(しかし、赤ちゃんの視力は大変弱く、注視が出来る様になるのももっと後の筈なので、これは気のせいなのだと思う。だが、もっと小さな何かサインの様なものを私が赤ちゃんから受け取っていたから、そういう風に見えたのかもしれない。)オムツを替えて欲しいときは一生懸命、地団駄を踏む様に足をぶんぶん降っていた。
赤ちゃんが泣き出してしまってから対応するより、それらのサインに気が付いたら速やかに対応する方が、ずっと楽だった。赤ちゃんはひと度マジ泣きモードに入ると、自分が何で泣いているのか分からなくなり、自分自身の泣き声に興奮してパニック状態に陥り、手がつけられなくなる。特に授乳の時は、あまり待たされるとお腹が空いているのに飲まなくなるというか、ちゃんと乳首を捕らえて母乳を飲み下す事ができなくなる。
赤ちゃんがそわそわし始めたら要求に応える→赤ちゃんが満足して落ち着く
それを繰り返していくうちに、赤ちゃんのことがどんどん可愛くなり、益々人間味のある存在に思えて来た。
お陰で、たった6日たらずの入院期間のうちに、赤ちゃんは私の家族になった。
それから一年くらいは、ワンオペ育児だったから勿論大変だったし、当時の日記には毎日「だるい、疲れた、何にもやる気が起きない、あれもこれも出来なかった」など書かれていて鬱状態ではあったが、子供は何も喋れなくとも私にとっては意思を持った一人の人間であって、尊重すべき存在だった。
この間の、急性食塩中毒で乳児死亡のニュースを受けて、厚労省が食塩中毒への注意喚起をするようにとのお達しを出したとかで、それを受けた県から各保育施設に通達が来たんだそう。今日近所の保育所併設の子育て支援センターに行ったら、その文書が丁度貼り出されるところだった。
で、それを貼り出していた職員さん達が話していたんだけれど、こんな当たり前の事がわからない馬鹿どこにいるのかと。事件を起こした保育士と認可外保育所が特別オカシイだけというような事を言っていた。
大人が飲んでもしょっぱく感じる致死量の食塩が溶かされた液体を、子供が普通に飲む訳ないから、事件を起こした保育士は悪逆非道極まりない方法でもって被害乳児に飲むのを強いたのであろうと。
でも、私は思うのだけれども、乳幼児って味にうるさいわりには塩味に鈍感なきらいがあるので、案外差し出されれば飲んでしまうのではないかと。それに暑さで喉がカラカラに渇いていたら、味とか関係無く与えられた飲み物をがぶ飲みしてしまう事は有り得る。
虐待的なやり方でなくても子供に食塩過剰飲料を飲ます事は出来るかもしれないし、ならば殺意のないどころかむしろ善意のつもりで、つまり熱中症予防のつもりで子供を殺す事は起こり得る。特別邪悪な人間で無くとも起こし得る事故だと思う。
常識的に考えろと。小さじ一杯の塩を溶かしたコップ一杯の水なんか大人でも飲めないのに、自分でも飲めないものを小さな子供にやる馬鹿がどこにいる?と。
反論しても素人の癖に知った口をきくなという空気がむんむんに漂っていたから、私は押し黙った。
じっさい、アホほど塩を溶かした水を1歳の赤ちゃんに飲ませた人なんか私は知らないし。1歳の赤ちゃんが濃い食塩水を自分から飲んでる場面も見たことはないのだし。
けれども、私は有り得ると思うのだ。
何故って、巷では熱中症対策として塩を強調した飲食物が大々的に売り出されているではないか。
それらの売り場にでかでかと書かれた「塩」の文字。それを見て頭が\パーン/ってなっちゃって、自分でもやたらめったら塩分を摂り他人にもガンガン勧める、みたいな人がきっといる。そう思うのだ。
そういう事で塩分を過剰摂取をして危険な目に遭った人の体験談は聞いたり読んだりした事はまだ無いのだが、逆に、塩分の摂らなすぎで重大な健康被害に遭った人のブログなら読んだ事がある。
そのブログの主は当時妊婦さんで、妊婦健診の際に浮腫み防止の為に減塩することを助産師から勧められて、なんと減塩どころか無塩の生活を始めてしまったのだ。しかも真夏。確か、一週間ぐらいしたら下痢が止まらなくなったと書いてあった。しかしブログ主は無塩生活をしてしまった事への反省の色はちっとも見せず、それが私には衝撃的だった。
このように、なんかやり過ぎてしまう人っていうのはいるものなのだ。
他にも、冷えは良くないと信じて真夏に酷い汗疹ができるほどタケノコ状に着込む人や、意地でもエアコンを点けない人などならよくいる。
身体に良いと思い込むと止まらない、むしろ全力で死に急いでしまう人達。そういう人が小さな子供の面倒を見ると危険なんだろうなぁ。
かといって育児をプロだけに担わせるのも無理ってもんだし、それではやり過ぎてしまう人々問題は解決しない。
http://women.benesse.ne.jp/article/002322.html?sns
なるほど。
うちの子、いくつか食物アレルギーある(あった)けど、結構病院に振りまわされた感がある。
うちの子は「乳児湿疹」からあと「アトピー疑いあり」でずっと塗り薬処方されてきてる、いま1歳半。お肌はきれいだけどやっぱりアトピーなのかもしれない。
イギリスでは区別されていないという文章をみて、なるほどやっぱりそうかと思った。日本も呼び方区別しない方が良いのでは…。乳児湿疹だと赤ちゃんはなるもの、1ヶ月〜3ヶ月ぐらいで治るよっていう感じで皮膚、アレルギー問題を軽視してしまう。
思い返すと退院した生後1週間頃からポツポツ湿疹できてきてた。
母乳、ミルク与えた後とか顔をママの服にすりつけてきてたけど、今思えばあれは痒かったんだろうなと思う。痒くても手を動かせないから…。
1ヶ月検診で小児科で乳児湿疹が多いと相談してもプロペト処方されただけ。
その後、産後ケアセンターに滞在してたときたまたま助産師さんに皮膚科行ったほうがいいと評判よいところを教えてもらって生後1ヶ月過ぎにこの記事にある成育医療センターの元皮膚科医長さんのクリニックに通いだした。区では一番有名な小児皮膚のクリニック。
生後5ヶ月頃に離乳食始める前にアレルギー検査していこうと考えて(アトピーだと食物アレルギーある場合が多いという情報を本、雑誌、ネット記事をみて知ったので)、この皮膚科で5大アレルゲンの血液検査をうける。結果はすべて陰性、問題ないですといわれる。
安心して6ヶ月頃から離乳食はじめるも、なす、かぼちゃ、きゅうり、バナナなどで口元が赤くなる。皮膚科に相談するとヨダレかぶれでしょうと食事前に口元にプロペト塗ってくださいと処方される。
次に白身魚の鯛でアレルギー反応がでる(唇がはれる)、この時はすぐ小児科にいき食物アレルギーでしょう、1歳まで魚、鯛はひかえたら良いと指示される。反応でた食物は1歳までひかえたらいい、1歳こえると体の機能が強くなるから食べれるようになるよと。
その後も、離乳食定番のクタクタうどん与えると首から耳が赤くなる。→小麦粉控えるなどをしていた。
8ヶ月の時に勝手に卒乳になり(子供が母乳を全く飲まなくなった)、粉ミルクに切り替えたら口元が赤くなる。
これもヨダレかぶれ??おかしいなぁ、牛乳アレルギーは血液検査でなかったはずだったけど。粉ミルクの種類の問題かな?メーカーをかえてみる。e赤ちゃんという粉ミルクだと反応でなくなった。ということはやはりアレルギーか?ということでここで皮膚科や小児科ではなくアレルギークリニックにはじめて子供をつれていく。
血液検査ですべて陰性だった件を伝えると月齢が低いときは血液検査より皮膚スクラッチテストの方が正確な結果が出やすいんだよと。
大豆もでてる、毎日トウフ食べてて問題ないですが何故でしょうと聞くと偽陽性といって問題なくても少し出る場合あるからねといわれる。ミルクは少しだしいま飲ませてるe赤ちゃんで問題でてないならそれでいい。ただ卵は強くでてるから1歳まで与えない方がいいと指示される。
70歳過ぎてる先生だが著名な方ではあった。
先生曰く「血管細いから血液取りにくいし無理にする必要ないよ、1歳半まで食べさせなくてもいい」と指示される。
また指示通り過ごすが、1歳5ヶ月で保育園入るにあたって(近所の小児科で卵食べさせたことないならアレルギークリニックで接種してもらってくださいといわれ小児科では接種拒否された)麻疹風疹ワクチンを打つために行くとワクチン使った皮膚スクラッチテストで皮膚反応が少しでたので2歳まで打たなくていいと言われる。
保育園の入園前検診で他の病院にきいて打ってもらった方がいいといわれ、保健所に相談して他の少し遠い場所にあるアレルギークリニックに行った。
すると「いまは遅らせるより少量を与え続けるの治療法がメインだよ」といわれ…、血液検査で高い数値も出てたけど与えて問題ない分量を指示されずっと与えてる。
あと3ヶ月したら再度血液検査して下がっていれば全解放する方針らしい。
ちなみにこの先生ももと成育医療センターのアレルギー科の先生。
先の老医師はこの方の大先輩。
元成育医療センターの先生曰く、老医師はすごい先生だけど少し持ってる情報が古いのかもね。
皮膚科で受けた血液検査も時期が早過ぎ、6ヶ月以降でないと母親からの免疫が残ってるから数値が出てこないんだよ。
皮膚科のあの先生は知ってるし、非常に優秀だけどアレルギー専門医ではないから知らないんだろうね。
今度受診したらあそこの先生がこう言ってましたって伝えといてよといわれる。
なんだか振りまわされてる。
いま通ってるアレルギークリニックは元成育医療センターの医師で最新情報を治療に反映させているようなのでこのクリニックに通って完治させたいと思う。
大病院が通える範囲にあり、そこのOBが独立して界隈に小児皮膚、小児アレルギー、小児眼科などのクリニックがいくつかある地域でよかったとも思える。
ただ紹介状書いてもらえるほどの症状(血液検査)が出てなかったから結果的に行けなかったかもしれない。血液検査を6ヶ月以降にしてて高い数値出てたら皮膚科から紹介状書いてもらえたかもしれないが、皮膚科に相談したら血液検査は全部陰性だからかけないといわれた。
どこかで紹介状書いてもらって数ヶ月待ってでも成育医療センターのアレルギー科に通ってたら違った結果になってたのかも…残念。
以上、こういうケースもありました的なお話でした。
やっと妊娠3ヶ月、9週目を迎えた。
6週目の初診で心拍を確認できて、次の予約を約二週間後に取った。
が、いろいろと心配な症状に襲われて、予約外で二回も病院に駆け込んでしまった。
この二回目が大変だった。精神的に大変だった。
トイレで用を足して股を拭いたらペーパーが真っ赤。「今日から生理か〜」と判断するレベルの量。でもこちとら妊娠中だ。生理が来るはずがない。数秒フリーズ。なんだこれ……?
「生理みたいな出血は危険だから病院連絡してね」と助産師さんに言われたことをやっと思い出して、血の気が引いた。
ガクガク震えながらトイレから転がり出て、旦那に「血、血出た……」としがみついた。朝一番で助かった。家に一人だったらどうなっていたかわからない。旦那は「昨日買い物行って歩いたからかな〜。大丈夫大丈夫」と背中をぽんぽんして落ち着かせようとしてくれた。そんな悠長にしてんな! と思ったけれど、一緒にパニクられるよりは全然良かったと今では思う。
病院が開く時間まで布団の中で「こども……りゅうざ……(最後まで言えない)」と涙と鼻水でぐちゃぐちゃになりながら呻いてた。こんなに泣いたの父さんが死んだ時以来では? レベルで涙が止まらない。
「妊娠初期の流産は卵自身に原因があることが多く母親のせいではない」みたいな知識はあったが、それでも「我が子が死ぬ」ことに変わりはない。エコーでしか見えない一センチの我が子でも大切な存在に変わりはない。なに考えてもマイナス思考で死にそうだった。死んだ方が楽ではという心理状態だった。
やっと八時になって病院に行った。「何か」あったら帰り道で道路に飛び出しそうだったから旦那にも付き添ってもらった。予約外だから診察まで一時間弱待たされたが、待合室では意外と冷静。涙も出ない。今更足掻いても結果は変わらない……どうしようもない……。覚悟を決めたというより、なにも考えないようにしていた気がする。
そしてやっと名が呼ばれて、内診。
「ちゃんと動いてますよ!」
嬉しくて泣きました。
生きててよかった…………私は子供を殺してなかった……………………。
動いてるエコーを初めて見た旦那も、ホッとしつつ、嬉しそうに画面を見ていた。
「胎嚢の周りの血の塊が前より小さくなってるねー。これが出たんだと思うよ」と言われたけど血の塊があったなんて初耳だ。心配させまいと前回は言わなかったのだろうか。切迫流産とまでは言われなかったが、「今は薬も出せないから安静にするしかないです」とのことで即パート先に電話。一週間長のお休みを獲得。プチ繁忙期のこの時期に申し訳ないが、子供の方が何倍も大切だからなりふり構っていられない。
子供も無事だったしと、大きさを測って予定日の確定までしてもらった。10月末。
まだ、先が長い…………。
胎嚢確認、心拍確認、と安心しつつあった矢先の出血。まだなにも安心できないなと痛感した。緊張状態はずっと続く。安定期すらまだまだ先だ。
変な言い方だが、早く産まれて生命が可視化できるようになってほしい。せめて胎動を感じたい。お腹の中にいてもどうなってるか分からない今の時期は本当に不安だ。信じることしかできない。信じてたってこんなことも起きてしまう。
ともあれ、子供が生きていて、本当に良かった!
次の診察は二週間後。無理はせず、何のトラブルもなく、その日を迎えられることを祈っている。
夫を起こし、予め登録していた陣痛タクシーに9:00ごろに電話。
自宅からタクシーまでは時々うずくまってしまうがなんとか自力歩行。月曜朝なのでマンションのエレベーターホールは忙しそうなリーマンが行き交う。邪魔にならないように気を使いながら移動。
9:15ごろにタクシー乗車。子宮口広がってなかったら帰ってもらうからね〜と言われながら内診してもらう。帰りたくない!もうこのまま産みたい!と思っていると無事五センチ開いており入院決定^_^★
後どのくらいかかりますか?と聞いてみると子宮全開まで12時間、子宮全開から出産まで1.2時間と言われ絶句。
夫は最初所在なさげにしていたが、助産師さんがうまくリードしてくれたおかげでマッサージや飲み物のお世話をしてくれるように。これがすごく助かった〜!
入院して40分後に破水!音は何もしなかったけどバッシャーと大量の何かが出る感じ。ナースコールを押して破水を確認してもらう。
お産が一気に進むと思うよー!と言われやったーと喜ぶ。破水したため点滴を入れられ、血液検査しれる。血圧測ったりパンツを着替えたりと割と色々される。されるがままでまるで自分が赤ちゃんのよう。
破水後、子宮口七センチに進む。入院して1時間後ぐらい?とにかく体に力を入れないで!赤ちゃん下に降りれなくなるよ!と言われる。こんな痛いのに力緩めるなんて無理〜と思う。ボコボコ殴られてるのに腹筋を緩める感じ?このいきみ逃しがとにかく辛かった...!!
でもまだ声が漏れる感じでじっと耐える。助産師さんの上手上手〜という声とマッサージに励まされる。夫には肛門をとにかく押してもらう。私はテニスボールよりも直接押してもらう方が楽でした。
考えてみたけど、世話されている方に大人の男性が加わっているか、の違いかな。
介護は大人の男性もされる可能性があるものだし、彼らの中には「女性に介護されたくない」と言う気持ちが分かる人もいるんだよね。
はてなに多い若い男性(介護された経験もないし、自らにも起こり得る事としての実感もいまいち持てないだろう)からしたら
「男が若い女にシモの世話されるなんて嬉しいだけに決まっている!」とか思ってるのが殆どだろうけど、
実際にされると屈辱的だった、と感じる人は多々いるそうで。
入院すると看護師はほぼ女性だから、そういう経験をするわけだ。
社会的に権力を持てる中年以上の男性となると、そういう経験をした事がある人も増える。介護に対しても自分の身に起こりえる事としてのリアリティを持っている。
看護師は現状女性ばかりだから同性看護は現実的に無理としても、介護士は男性もそこそこいるから同性介護が可能、
でも保育士は子供しか相手にしないし、助産師は女性しか相手にしない。
この違いではないだろうか。
と言う事は。
今後男性の育児参加が進めば、保育園についても妻に丸投げではなく自らしっかり関わろうとする男性も増えるだろう。
そういう男性の中には「娘の世話を男性保育士にさせるなんて嫌だ」と考える人も多いはず。
(と言うか、男性の方が多いんじゃなかろうか?「自分の所有物である女が自分以外の男に触られる事を嫌がる」男性はとても多いしね)
常々報道される男性保育士による性的虐待事件についても、ただ他人事として面白がるだけではなく
「我が娘も被害に遭うかもしれない」と言うリアルな危機感を持って深刻に受け止める男性も増えるだろうし。