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はてなキーワード: 信仰心とは

2020-10-06

この記事についてのブコメが坊さんへの憎悪に満ちててゲッソリする件

ブクマエントリーされてるこの記事、いつものことだが坊さんへの不信と憎悪に満ちた下郎のブコメで溢れてて気分が悪い。

カレー坊主吉田武士(休憩中)さんはTwitterを使っています毎日広告デザイン賞。イオンのこの広告が選ばれていることが悲しいですね。違和感というか、何かを冒涜しているような気分になりはしまいか。作り手も選び手も途中で踏み止まることはできなかったのだろうか。 https://t.co/RkSww7V3qo」 / Twitter https://bit.ly/36DOnZw

建前としてはお寺が葬式商売とするわけにはいかない。「読経代がいくら交通費いくら、その他間接経費が…」と労働対価として請求を上げることが本来出来ないので「御寄付ですからお気持ちで」となり、明朗会計不可能なんである

そのお寺に対して「なんだそれはボッタクリじゃねえか、ふざけるなこの生臭坊主が!」といきり立つ頭の悪い下郎がものすごく大勢居て、そういう奴は「これは商売ですから」と明朗会計でやってくれるイオンみたいな所に行けば、下郎は安く葬式が出来て幸せになり、お寺は下郎の相手をしなくていいのでやはり幸せになるのである

あの広告イオンの「うちの葬式サービス業務として実施しますよ。寄付ではなく労働対価としてお金をとっているので、お気持ち次第の請求(=寄付)とかないですよ。見積書もちゃんと出ますよ」ってアピールなんだよね。仏教一般を位牌のパックで貶めようとしたものじゃない。

もしあれが冒涜目的とするなら、最初に貶められるものは当のイオンお葬式になってしまう訳で、それじゃ広告にならないのだから

ただ問題は、金を出す気がないくせに「イオン葬式では安っぽいから嫌だ。お前ら坊主が廉売しろ」とゴネてくるクソオブクソの問題があるが、そういうウジ虫対策までイオンに求めるのは酷だろう。

ただ、イオン葬式みたいな「社会的要求に答えて出すだけの葬儀を低コスト実施する商売」が定着し、ちゃんとしたお寺に頼む葬儀は本当に信仰心のある家族や代々の檀家衆の葬儀に限られてくるようになれば「イオン葬式じゃショボい」とか言い出す虚栄心の強いクズ自然に減っていくだろうと思う。

まあ、そういう時代では僧侶として行きていける人間の数は著しく減るかも知れない。お寺で修行をしたものの専業では食えず時々葬儀屋さんに呼ばれてアルバイト的に経をあげるようになり、それもいずれは録音で… ってことになるのかもしれず、あるいは社会的には存在価値を失って、修行者の互助団体としての寺院しか存在しなくなるのかも知れない。

2020-09-19

なろう系のITエンジニアって「魔法プログラミングと同じ理論なんだ」とかいって無双するけどさ

IDEさえあるかどうかもわからん、まったく別の世界の謎の技術体系やツールいきなり使ってソフトウェア開発できるだけの凄まじいスキルがあるなら

何で転生前現代社会ではニートとかブラック底辺のしょうもないプログラマーやってる過労死寸前のオッサンなんて身分に落ちぶれてる奴とかいっぱいいるんだろ

増田でもそれができるかって言われたら「いやフツーに無理だろ」って答えるようなことをできるに決まってると思うあの信仰心はどこから来るんだろうか

2020-09-16

anond:20200916174440

どんな糞製品が出ようと、素晴らしいといい続けるのが本当の信仰心

2020-09-12

stand_up1973先生、ツル・カンターレを必死擁護

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/takigare3/status/1304441570087768064

stand_up1973先生、このブコメ欄で必死カルトラマン擁護コメに星つけてて泣ける。ああ、やっぱりそれ系の人だったんだなとはっきり分かりました。

右にしろ左にしろ過激に主張するやつの裏側には大体信仰心があるんだろうね。

2020-09-02

瀬田文学

 二十三時過ぎ、ホテルを出て近所にある和食さとへ向かった。道中、大通りをまたぐ信号を待つ間に何となく周りに目を向けると左方のフェンスに簡易な近隣の地図が括られている。近くに池がいくつもあるようだ。興味を惹かれたので食後に出向くことにした。地図を眺めつつ待つも一向に信号が変わらない。押しボタン式だった。ボタンを押ししばらく待つがやはり青にならない。車の通りが収まっていたので無視して渡った。

 和食さとでは刺身天ぷらいくらかの小鉢のついたようなセットを食ったが大して美味くもなく、胸焼けに似たような妙な不快感が残った。

 店を出て先の地図記憶を頼りに池を目指す。時折地図アプリを参照しつつ最寄りの池を目指すとすぐに着いた。四方を柵で囲まれセメントで岸を固められた、実用を旨とした何の風情もない水たまりだった。過度な期待をしていたわけでもないので、特段失望もなくしばらく柵に肘をついて暗いばかりの水面を眺めた。

 次の池を探して再び地図アプリを開く。目についたのは一つの長方形区画で、短辺に平行に三等分すると、端の三分の一が池で、残りは陸になっており、碁盤の目に道が走っている。また道の周囲が緑色で表されていることから樹木が茂っていることが窺われる。最も目を惹くのは池の中央に浮かぶ円形の陸で、そこへは陸から小路が一本延びている。いかなる場所だろうかと地図をよく見れば霊園だという。深夜に何の縁もない自分が訪ねるのも罰当たりな気がしたけれども、近隣の住民迷惑のないよう静かに立ち入る分には問題ないだろうと自分を納得させ墓地へと向かう。

 その区画境界まで着いたが周囲にはフェンスが張り巡らされており入れない。どこかに切れ目はないかと沿って歩くうち、フェンスに括られた地名表示板を見つけた。ここは月輪つきのわ)だという。

 この名前に触発されて月を見る。今夜は多少雲がかかっているけれども月は八分以上満ち、月明かりを確かに感じる。この優れた月の晩に月輪で池と共に月を眺めるのは非常にふさわしい気がして、池への期待が一層高まった。しかし一向にフェンスの切れ目は見つからず結局フェンスに沿って立つ人家に突き当たってしまった。どうにか入れないか迂回路を探すが地図を見る限り確実に入ることのできそうな場所はあれど、霊園を跨いだ対角側にあり遠い。そこまで行くのは面倒だが、諦めるのも早い気がして、回り道しつつ再びフェンス沿いへと歩き戻るうち気づけば他の池の近辺まで来ていた。その池の名を見ると月輪大池とあり、名前から言ってこちらの池の方がよっぽど立派そうなので、霊園の方はやめ、こちらの池に向かうことにした。

 その池は名に違わぬ立派な池で、近くまで寄ると鳥居が目に入った。その上部に掲げられた文字を見れば龍王神社だという。龍と池という組み合わせが不穏で、気味は悪いが入って見ることにした。鳥居をくぐると白い石の敷き詰められた参道が長く伸び、道の両脇には石灯籠が一列ずつ密に立ち並び、周囲の闇の中でそれらのみが微光を発するように浮き上がっている。それは幽玄さを感じさせるものではあれど古典的怪談舞台のようでもあり、すっと背筋が寒くなる思いがした。足を踏み出すと砂利は一歩一歩が僅かに沈みこむほどに厚く、粉を纏う玉砂利を踏んだときのあの軋む感覚が足の裏を伝わった。参道を歩む途中振り返ると、石灯籠の列が遥かに見え、正面を向き直るとやはり前方にも石灯籠に縁取られた道が長く続く。私は明らかに恐怖を感じた。それでも時折振り返りつつ歩みを進めた。

 やがて参道が果て、二つ目鳥居に辿り着いた。それをくぐり、二、三歩進み周囲を見渡す。正面には拝殿があり、周囲は薄く木々で覆われており暗いが、左方の木立の隙間からわずかに月明かりが漏れ、その先に池が垣間見える。目が慣れるまで待とうと立ち止まって周囲を見ていると、突然右方からかにふうふうと浅く早い吐息のような音が聞こえた。慌ててそちらに目を向けるが何もいない。そこには背の低い茂みがあり、その陰に何らかの獣でもいる可能性は否定できないものの、茂みの大きさからいってあまりありそうもない。微かな音だったか幻聴かもしれない。ともかくしばらくその方向を睨んだ後、気にしないことにした。

 正面の拝殿に参拝し、木立の隙間から池の方へ抜けようとそちらに向かうと、途中に小さな社があった。そこにも参拝した後、岸へと抜けた。月輪大池は非常に大きく、正面を向くと視界に収まらないほどの横幅がある。奥行きは向こう岸一帯が闇に融けているためはっきりとはしないが、その先にある人家のシルエットの大きさから推するに、それほど深い訳ではないだろう。それでも立派な池だ。月は私の背面にあり先ほどよりもやや濃く雲に覆われ、ぼやけていた。月と池を同時に眺められないのは残念ではあるがしばらくそこに佇み、交互に見た。そろそろ戻ろうと思いつつ、ふと脇に目を遣ると池を跨いで石灯籠の列が見えた。またあの道を行くと思うと気が進まない。「行きはよいよい・・・」などとふざけて呟き、気を紛らわせつつ帰路につく決心を先延ばしにしながら周りを見渡していると岸に沿って道が伸びているのに気が付いた。先を覗くとずっと続いており、先には低い丘とその上には東屋が見える。そちらから抜けることにした。

 東屋まで行くと、隣接して高いフェンスで囲まれた芝生のグラウンドがあった。無論人はいない。グラウンドへ入りずんずんと歩く。微風が吹き抜けている。中央辺りで芝生に触れると僅かに湿り気を含んでいるが濡れるほどではない。尻をついて座り、月を眺める。月は一層雲に覆われ今や輪郭も寸断され最早奇形の灯が天に浮かんでいるばかりだ。明瞭に見えたならばどれだけいいだろうと思いつつ、眺めているとしかしこの月も美しく見えて来、私は今更になって朧月なる観念を再発見したのだった(*1)。普段酒を飲まないけれども、この時ばかりはあたりめもつまみながら飲めたらどれだけ気分がいいだろうかと感じた。準備をしてまた来るのを心に決めた。

 ひとしきり眺めた後、地図で帰り道を探す。グラウンドの逆側から抜け、道路下りつつ戻る道を見つけた。グラウンドを抜けると、公衆便所があり煌々と光を放っていた。少し尿意はあったがまだ余裕があるためそのまま過ぎた。淡々ホテルへと向かう。

 しばらく歩いたのち尿意が強まってきた。近くに便所が無いため立ち小便も考えるが違法なので出来る限りは避けたい。しかし同時に私が立ち小便をしたところで、ばれる筈もなく誰が咎めることができるだろうかという不敵な気分もあった。歩き続けるうち住宅地の間に公園を見つけた。それは家屋の列と列の間に取り残された三日月状の領域に造られた小さな公園で簡易な遊具が並んでいる。ここの公衆便所を使おうと外縁に沿って歩きつつ中を伺うが見つけられない。どうやら無いらしい。私は憤慨した。便所のない公園などありふれていることは承知しているけれども、わざわざ今現れなくてもいいだろうと怒りが湧き、本来ならば便所のあってしかるべき空白に、あてつけに尿を撒いてやろうかと考えたが、この静寂の中放尿すればそれなりに音が響くに違いなく、周囲の住人に聞かれることを考えると不安になり止した。私の尿意限界近くまで高まっていた。地図アプリを見るとまだ二十分以上は歩かなくてはならない。どう考えてもホテルまでもつとは思えないが、ともかく足を進めると、見覚えのある道に出た。行きに通った道だ。記憶を辿ればこの先は道路建物が立ち並ぶばかりで立ち小便できるような茂みはない。一度足を止める。地図アプリを見るとすぐ右に行けば公園があることが分かったので、歩道脇の草むらを横切り、駐車場を過ぎ、公園へと向かう。この公園は先のとは異なり、庭園やら広い芝生やらがある大規模な公園だった。どこに便所がありそうか見当もつかないが、ひとまず建物が目についたのでそこへ向かった。しかしそこには施錠された建物があるのみで便所は見当たらない。建物に挟まれた道の奥へ行くと芝生が敷いてあり、奥に池、周囲には植え込みがある。この植え込みの陰で済まそうかと考えながら歩いているとある看板が目に入った。曰く、「山の神池では釣りをしないでください」。なんという名前だろうか。信仰心のない私でも山の神を冠する池で立ち小便をするのは流石に気が引けた。道を戻る。もう限界が近く、考える余裕もない。諦念が私を支配した。自らの限界、ただそればかりのためにどんな平行世界においても便所存在しないような場所を私は尿で汚すのだと、敗北感を感じつつ、間近の立ち小便に都合のいい場所を探して歩くうち、左手に蔦で上方が覆われたプレハブが現れ、「公衆」の文字が目に入った。慌ててその文字の続きを追うと、蔦で部分的に隠れているけれども確かにトイレ」の文字が続いていた。降って湧いたような都合のいい便所に驚いたが、ありがたく使うことにした。入り口のドアには窓がついており中は真暗だ。スライドドアを開き、中をスマートフォンライトで照らすが照明のスイッチは見つからない。もしや時間帯によっては電気がつかないのだろうかと不安を感じるも、これ以上我慢できないので闇の中でも済ませるつもりで足を進めるとカチとスイッチの入る音がし、灯りがついた。人感センサーがついていたようだ。無事に用を足した。非常な安堵を感じ、軽快な気分でホテルへと帰った。

 風呂に入るなどしつつ明日のことを考えた。出来れば龍王神社を改めて太陽の下で見たい。しかしすでに四時近くになっている。明日のチェックアウトは十一時までで、今から寝るとなるとぎりぎりまで眠ることになるだろう。午後のバイトを考えると十二時頃には瀬田を出なくてはならず、一時間で往復するのは不可能なので恐らくは無理だろうと諦め半分で床に就いた。

 翌朝九時過ぎに目が覚めた。まだ眠気はあり、もう一寝入りしようとするも寝付けない。それならばということで、龍王神社を見に行くことにした。

 日の光の下では龍王神社はありふれた田舎神社だった。あの幽玄さを湛えていた石灯籠は改めて見れば妙に小綺麗でそれ故安っぽさを感じさせるもので、大粒の玉砂利に思えた敷石は粒が大きめのバラスに過ぎなかった。しかし歩き心地さえ違って感じるのは不思議だ。昨日は沈み込むようにさえ感じたのが今や普通の砂利道と変わらない。あれだけ長く感じた参道も晴天の下では容易に見渡すことのできる程度のものだった。再び拝殿とその脇の社を拝み、木立を抜けて池の岸へ出る。昨日は闇に融けていた向こう岸も、今や明らかに見え、昨日よりもずっと小さな池に見える。しかし僅かに波打ちつつ光を反射する湖面は凡庸ではあれど清々しく、美しくはあった。

(*1 実際には朧月は春の月に対してのみ言うらしい。)

2020-09-01

ニパ子のワニ化3

模型クラじゃないかタイムライン最近露出が増えてどうせ広告代理店が噛んでんだろうざいわ思ってたら社内で1人で運営してた人が退職するのが原因か的外れ批判したの反省するわ増田から書き捨ててたんだけど

しかしそれはそれで闇だし、やっぱキャラ人質は嫌だわ。しかし7年もやってたのかよ勿体ねーな。

ビールだってレットブルだって消費者は350円かけてCMイメージ世界観信仰心ブランドに乗せて口から飲んでるようなものなんだから、ああいうのもニッパーじゃなくてニパ子を買ってるんだろうにな。そういうの分かってない日本脳筋経営者多いよなぁ

2020-08-30

Gorogoaの物語

ホットエントリーに上がっていたこんな記事にふとした気まぐれで目を通した。

業界人が選ぶ、過去10年で最も優れていたビデオゲーム(IGN Japan

https://jp.ign.com/games/46189/feature/10

 

ゲームは年に1本買うか買わないかライトゲーマーなので大半の作品タイトルも知らなかったし、業界人たちのコメントを読んでいてもピンと来るものはなかった。しかしその中でひとつコメントちょっと心が動いた(太字筆者)。

簡単な答えは『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』ですが、統計的な考え方では、私は『Gorogoa』を選びたいです。デモの早期リリースと、その結果である早い時期でのハンズオン体験のおかげで、本作は何年にもわたって私のGOTYであり続けました。『Gorogoa』は魔法のように魅惑的で斬新なゲームです。明確なビジョンに基づいたこ作品は、ゲーム作りの過程が全く想像できないほどの複雑な成果をもたらしました。新しいメカニクスと新しいインターフェイスを持つ本作は、芸術技術物語正真正銘パズルシームレスに融合させています。これは私がエッシャー作品や、キット・ウィリアムズ絵本、「まほうの筆(The magic paintbrush)」をはじめとする私の好きなおとぎ話から得たすべてのものを凝縮した体験です。『Gorogoa』はハッと息を呑むような驚きを私に与え、私の心を喜びで満たしてくれました。開発者ジェイソンロバーツにはこの作品に満足したまま何もせず、別のゲームを作らないでほしいと私が願うほど、『Gorogoa』は本当に唯一無二の傑作です。

(Drowning a Mermaid Productions サム・バーロウ氏)

本職のゲーム開発者がここまで絶賛するゲームとはどんな作品なのだろう、と急に興味がわいた。

元来パズルゲームは好きなほう(MYSTシリーズは全部やったし、ふだんも数独倉庫番をヒマつぶしに遊んでいる)なので、ちょっとやってみようかという気になった。PlayStation Store で1,528円。安い。

遊んでみた。雷に打たれたような体験だった。まるでマグリットの絵の中で『無限回廊』を遊んでいるような感じだった。

感想については私の拙い語彙でくだくだしく書くよりももっとすぐれたテキストネットにあるのでそれを見てもらえば十分だ。

 

『Gorogoa』認知フレームを軽やかに飛び越える絵画パズルゲームインディーゲームレビュー 第40回】(ALIENWAREZONE)

https://alienwarezone.jp/post/1321

 

GOROGOA が見ている(ゲーム感想)(S. Miyata)

https://note.com/38tter/n/nb58c34279de7

 

そして本稿で私が書きたいのはこのゲームの紹介ではない。

この何の説明もなく謎だらけでタネ明かしもない不条理ゲームに、どうにかして「解釈」を与えたくなったので、そのメモである

以下は断定形で書いていてもすべて私の解釈である

後半に至ってはほぼ創作だが、ゲーム中では語られなかった「裏設定」を私が想像で補完したものだ。

 

ロゴアの物語

 

ある日、街に巨大な謎のクリーチャーが出現する。街並みに隠れて全容は見えないが、アパート屋根ごしにカラフルなたてがみが見えるほどだからかなりの巨体だ。

書物をひもとき、それが伝説の聖獣ゴロゴアだとわかる。

古文書には、五色の果実が盛られた器を若者と年配者がふたりで支え捧げる様子が描かれている。

聖獣ゴロゴアの怒りを鎮めるには、世界に散らばる五色の果実をすべて集めて捧げなければならないようだ。

 

ひとつめの赤い果実は、とある民家の庭木の枝になっており、車椅子に座った謎の男が見守っていた。

枝にとまった烏がつと飛び立つと、赤い果実は器の中に転がり落ちた。

 

ふたつめの緑色果実は、町はずれの穏やかな公園女神像が手に持っていた。

廃墟にたたずむ松葉杖をついた男性がゴロゴアの姿を思い描くと、廃墟壁紙の紋様はゴロゴアの瞳となり、その緑色の瞳は果実となって器の中に転がり落ちた。

 

ランプの灯りをたよりに仄暗い部屋で寝食を忘れて何ごとかを熱心に研究する男性。部屋の片隅には松葉杖。この男も足が悪いのか。

ランプのひとつひとつに星の明かりを捕まえ、その明るさに惹き寄せられて来た蛾たちに導かれるままに道を進むと、夜空の星のひとつ黄色果実となって器の中に転がり落ちた。

 

気づくと色あせた写真の中にいた。壁にかけられた五枚の写真のうちの一枚だ。

杖をついて世界の果てを巡礼して回る男に助けられながら写真から写真へと歩みを進めると、どこにあるとも知れぬ神殿に捧げられた青い果実を手に入れた。

 

たくさんの資料に埋もれるように何かを研究する初老男性。部屋の片隅には愛用のステッキ

蜘蛛の巣のように街を縫って走る路面電車初老男性の助けを借りて乗り継いでいくと、高い塔の頂上で最後果実紫色果実を手に入れた。

これですべての果実がそろった。ついに儀式の時が来た。

 

果実の盛られた器をゆっくりと宙に捧げると、五つの果実はまばゆく光りながら激しく燃え上がった。

 

──その時、突然器が砕けた

そして聖獣ゴロゴアはそれを許さなかった。

ロゴアが怒り狂うと、空には虚無の淵がばっくりと口を開け、世界は暗黒の炎に包まれた。

儀式は失敗したのだ!

 

私は身体を闇の炎に焼かれながら尖塔のやぐらから転落し、瀕死の重傷を負った。

長いあい車椅子生活余儀なくされたが、頭はゴロゴアのことでいっぱいだった。

何がいけなかったのか。どうすればあの獣の怒りを鎮めることができるのか。

 

聖獣ゴロゴアは時おり暴虐の限りを尽くした。

ロゴアが暴れると街は爆撃を受けたように廃墟と化し、あちこちで火の手が何日もくすぶり続けた。

 

どうにか松葉杖で歩けるようになると、私は情報収集を始めた。

焼け残ったがれきの中から資料を掘り出し、聖獣ゴロゴアをよく知ることにつとめた。

 

一方、気まぐれに襲ってくるゴロゴアの攻撃の合間を縫って人々は街の復興を始めた。

がれきを片付け、建物を建て直し、鉄道を引き、時おりゴロゴアによる破壊を受けながらも、それを上回る勢いで街は発展を続けた。

 

私の部屋の壁はゴロゴア関連にとどまらず、世界の様々な伝説伝承考古学書物で埋め尽くされた。

時おりゴロゴアの来襲があると電気は止まり、暗い中でランプの灯りをたよりに研究することもあったが、私は寝食を忘れて研究に没頭した。

 

その間中、私は「何かの視線」を常に感じていたが、それが何かはわからなかった。

ただ、私の研究が、誰とは知らぬその視線の主の助けになっている、そんな実感がなぜかあった。

 

研究を進めるうち、私の心のうちには、ゴロゴアに対するどこか畏敬の念のような気持ちが芽生え始めた。

そしてその畏敬の念は、やがて純粋信仰心へと変化していった。

ロゴアの怒りを鎮めるには、我が身と心をゴロゴアに捧げなければならない。そうすることでしか儀式はきっと成功しない。

私はそう思い詰めるようになっていった。

 

私は巡礼者となり、ゴロゴ信仰の源流をたどって世界各地を巡礼することにした。

灼熱の太陽が照りつける砂漠、寒風吹きすさぶ高地

体調は決して万全とは言えなかったが、ゴロゴアにこの身を捧げるという信念が痛む脚を前へと運ばせたのである

 

研究の進捗が遅々として進まず年月が無為に流れていくばかりになると、時おり深い絶望に襲われることもあった。

無力感にさいなまれるそんな時には、決まってあの悪夢の日、儀式に失敗した日の転落の記憶フラッシュバックした。

そうした場面にも、常に「あの視線」は私とともにあった。

 

月日は流れ、私も初老と呼ばれる年齢になり、髪も髭もすっかり白くなってしまったが、私の研究は大詰めを迎え、ついにひとつ結論に到達しようとしていた。

 

古文書には、五色の果実が盛られた器を若者と年配者がふたりで支え捧げる様子が描かれている。

 

この記述によれば、儀式ふたり人間によって為されなければいけなかったように思える。

しかに、最初儀式自分ひとりで行ったために失敗してしまった。

では、儀式成功させるためには、あらためてふたりで執り行う必要があるのだろうか?

 

そうではなかった。

 

絵図に描かれたふたつの人物像は、「時間を隔てたひとりの人物」を表していたのである

儀式はひとりの人物によって二度行われなければならなかったのだ。

 

思えば一度目の儀式へと至る道のりでは、さまざまな場面で陰日向に何者かの協力を得ていた。

その役割なくして儀式は成し得なかったとさえ言えるのだが、その協力者は、ほかならぬ私自身であったのだ。

 

時空を超えておのれ自身と手をたずさえ、二度の儀式を完遂させる。

それこそが聖獣ゴロゴアとの魂の交歓を成立させるための条件だったのだ。

 

私は今、復興いちじるしい街並みを見下ろしながら、二度目の儀式のために尖塔を登っている。

 

この儀式が終わった時、ゴロゴアと人間の間には新たな関係が訪れるのだ。

2020-08-14

anond:20200813204700

なんでそんなに特定に怯えるんだろ。日本人東アジア人全体か?)のTwitter匿名でなければならないっていう強硬信仰心ほんと謎

2020-08-07

anond:20200807160222

推し活というのは、推しの在る生活という意味で、

推しの人気上げのために活動するという感覚ではない気がするのよねぇ。

https://www.felissimo.co.jp/oshikra/numa/oshikatu/

じゃないけど、自分生活ちょっとだけスパイスを加えるみたいな、

別に推しが居なくても生きられるけど、推しが居るとちょっとだけ楽しいみたいな、

推し引退して誰も話題にしなくなったとしても、今と変わらず推し続ける、

なにかそういう感じの信仰心

2020-08-06

anond:20200805175737

創価って上司圧力に対抗できないの?

それとも相談しなかったのか。

信仰心なくても利用すればいいのに。

2020-08-05

「育ちがよさそう」? はぁ? ふざけんな死ね

一応スペック

20代、女

東京出身、在住、実家戸建

父親教員母親専業主婦

中学お受験して大学までエスカレーター進学

・中高大の卒業式でそれぞれ成績上位者として表彰される

・受けた公務員試験に全通、新卒地元役所に勤務

・色白、黒髪ロング、細身、おっとり、おとなしい

お菓子作り、裁縫が上手そう

実態

アラサー喪女真正)、処女真正

実家から一度も出たことないパラサイトシングル(たぶん一生)

創価三世なので、父親仕事創価母親は一日中創価活動をしている

創価中学受験合格してしまったので、流れで大学まで通ってしま

・家庭環境学歴とは裏腹に信仰心がまったく育成されず、うわべだけ創価サラブレッドになってしまい後戻りができない状況

・生まれからずっと陰キャ腐女子に囲まれていたが、腐女子趣味がまったく理解できず完全に孤立

創価選挙活動をしたくなさすぎて公務員になったものの、周囲が高学歴陽キャしかおらず完全に孤立

過労死レベル残業まみれで倒れ、うつ休職を試みるも上司の圧でおじゃん

・色白、黒髪ロング、細身、コミュ障の芋ドブス

お菓子料理も作れない、裁縫ボタンつけもできない、家事生活力ゼロ

創価人間には「恵まれてる環境」で育ってる生まれながらの幸福人間扱いされてまじできもい。それ以外の人には苦労知らず世間知らずで人生なぁなぁでのしあがってきたゆとり女扱いされる。どっちも的外れすぎてうぜえ。

親死んだとか虐待されてたとか、いじめ不登校時代があったとか、わかりやすい不幸話がないだけで人生エアプ認定してくるやつ全員死ね。やっすい不幸あるあるマウントとってくるやつも死ね

2020-08-01

ボディビルダーの軟弱な精神――西成公園バンカラ精神との比較――

ボディビルダー筋肉が実戦的であるか否かという論議があるが、左様な些細な事はどちらでも結構だ。私が主張したいのは、ボディビルダー精神生き様の軟弱さだ。金になる訳でも無しに、心疾患や脳卒中など健康を害する危険を負ってまでして肉体に過負荷を掛けて常に筋肉痛で体を弱らせている。其の上普段生活では、米飯菓子の類は炭水化物が多いから食えないだの、氷水は体を冷やすから飲めないだの、酒も煙草健康に悪いから呑めないだのと、できないこと尽くしだ。何らかの宗教的信仰心を持っている訳でもないのに、身体の見栄えを良くしたいというナルシシズム的な自己陶酔で、人生を棒に振っている。これが軟弱でなくて一体何が軟弱と言えようか。別段健康の為の体操趣味スポーツ否定する訳ではないし、体力仕事によって自然と付いた筋肉ならば寧ろ良いとさえ思っている。ただただ、人生の貴重な時間ボディビルディングに空費する軟弱者が増加していることに私は辟易としているだけだ。

ボディビルダーなどに比べて、大阪市西成区西成公園に屯している男共の方がよっぽど精神的に頑強であると言いたい。人目を憚ることなくその場で食って飲んで寝てと欲望の赴くままにバンカラ人生を歩んでいる。金が無ければ日雇い仕事へ出向き、稼いだ金は酒・パチンコ飛田新地でパーっと豪勢に使う。飲む・打つ・買うの三拍子揃った男らしい男だ。外見を気にしている女々しいボディビルダーなどとは真逆精神を持っている。ボディビルダーよ、筋肉を鍛えることなどもう止めよ。貴君が鍛えるべきは筋肉ではなく精神だ。西成公園の男共が持つバンカラ精神を見習うべきだ。

2020-07-25

anond:20200725030613

俺の調査が、理解が、信仰心が足りないから、安倍の異常さが、自民党の最悪さが、日本未来の暗さがわからないんだとでも言うのか

野党支持者の一部がカルト信者みたいな感じになってるのは痛いよなぁ

ちゃんと調べろと努力不足認定するし、馬鹿から理解できないんだよと痴呆扱いしてくるし、そのくせ応援しろとか言ってくる

何様なんだと感じてしまうのは多々あるよね

政権自民党消極的支持するしか無いというのが一番の悪夢

安倍は辞任しろ自民党一党独裁は防ぐべき。

物凄く共感できる

しかし、もしも安倍のように経済重要視せず他の分野へ注力する首相政党政権を担っていたら日本はどうなっていたのだろうかと考えずには居られない

旧民主党系?共産党れいわ?おい待ってくれ俺は冗談なんて求めては居ないんだマジで答えを知りたいんだよ

政権経験した旧民主党系はまだしも、内閣ってのは閣僚必要なんだよ

自民党以外を求める連中は堂々と閣僚候補を並べてくれ

自民党以外でどういう内閣を作ろうとしているのか俺に見せてくれよ

その内閣でお前らの言う間違っていない政治がどのように行われるのか説明してくれよ

誰もが譲歩可能で、無難コロナウイルス対策がどのように行われるのか俺に教えてくれよ

医療現場崩壊せず、観光業も助かり、コロナウイルス制御する方法ってなんなんだ

「そんなことは無理だけど、それでも安倍よりマシ」だって言いたいのか?

そんなんだから「それでも他の連中よりもマシ」って俺はお前らに言わなきゃならねぇんだよ

俺の調査が、理解が、信仰心が足りないから、安倍の異常さが、自民党の最悪さが、日本未来の暗さがわからないんだとでも言うのか

俺はお前に聞いてるんだよ!お前らに聞いてるんだよ!自分自身言葉で「自分首相はこの人、官房長官はあの人、○○大臣はその人、この内閣ならAを行ってBになり日本はCとなり得る!」って言ってみろよ

志位和夫政権では誰が閣僚なんだよ!山本太郎政権では誰が閣僚なんだよ!厚生労働省はどうなるんだよ!文部科学省はどのようになるんだよ!防衛省は!総務省は!国土交通省は!各省庁はどんな感じになるんだよ!

俺に教えてくれよ!俺に自民党以外を選ばせてくれよ!

2020-07-19

anond:20200719145645

素直に言っていい?

怖い

信仰心といっていいし、自覚はあるだろうけど、納豆のように粘っこくて臭い感情を口から吐きだしているように思える

2020-07-16

パワハラ起因の鬱で無職にまで堕ちて復活したけど結局自分で何とかするしかないんだと学んだ

あんな酷い仕打ち受けたんだから神様がそのぶんの罰をあいつらに与えないのは、自分に果報を授けてくれないのはおかしい」

こういう風な、道徳心信仰心に根ざした見えざる手による調整への期待を心の深いところで持ってたんだけど、それがまずかった。

無職期間長引いたり、生きててとにかく辛かったりしたのはこの「神の眼差しへの期待」が原因だったと今振り返って思う。

上司から親を中傷されたり、先輩から事故の濡衣着せられたり、フロアのみんなの前で直立不動人格攻撃食らって絶叫謝罪を強いられたり……そういう酷い経験も「こうなったら仕方がない」と受け入れて自分で行動しないと浮き上がってこれないのがこの世の仕組みだとわかった。残酷だけどね。


俺に酷いことしてきた人たちは悪行の報いを受けずに、仕事も順調、家族円満、生き生きと日々暮らし続けているとしても「そういうもんだから仕方ない。神なんていないから、寓話的な展開など発生するかもしれないし、しないかもしれない」と割り切って行動するしかない。


そう諦めたおかげで普通人生取り戻せた。正直、悔しいけどね。

2020-06-23

anond:20200623191338

解雇されたら流石に腹いせかなんかでパークでウイルスばらまきテロとか起こしたりしねえかな…

と思ったがそんなことする程度にディズニーへの信仰心が薄かったらわざわざあんやりがい搾取の頂点みたいなところで働かないか

2020-06-19

anond:20200619172304

いいんです。見返りや妥当性など求めてはいけません。推しとは信仰心、または狂気に近い盲信なのです。何かを崇めるとき、そこに合理的理由を求めてはいけません。客観的自分を見ようとしてもいけません。まっすぐに心の極北へ向かう信心こそが、唯一求められているのです。

2020-06-18

anond:20200618150823

波動の力を信じるのです。それは、毎日上下をしているように見えるが、やがて大きなうねりとなり、長期的には大きな山型を描き上昇をしていくでしょう。これこそが成長への信仰心市場への信心なのです。波動の力を信じきれないものは小さなうねりの中で、波打ち際への逃げを打ってしまうでしょう。しか信仰心の大きなあなたなら、小さなうねりなど気にするまでもない。より遠く、より大きな力を感じるためにその全財産うねりの中に投じることができるのです。

2020-06-11

差別撤廃運動の欠陥について

乙武さんが、日本人種差別存在する実例として、実際に日本に住む外国人を連れてきて

外国人アパートが借りにくい。貸さな大家が多い。これは差別だ」というような論旨を展開した。

差別屋さんにとってみればこれはれっきとした差別なのだろうが、僕は大家がいにしえの黒人差別主義者のように外国人に対して特別差別意識を持っているとは思えない。

大家さんは、おそらく、実際に外国人騒音などで隣人トラブルを起こす率が高いし、退去時にきれいに退去してくれるとも限らない。そういったリスクを考えて、外国人に貸すのは気が進まなかったのだろうと思う。

(たとえば、それがまったくデータ経験則もなく、「なんとなく嫌いだから」貸そうとしないのであれば、これは立派な差別だろう。その可能性もある)

ただ、差別主義是正に熱心な人たちは、そういった「正しく恐れる」こともやめろと言う。

それが差別撤廃運動の欠陥だ。

大家さんの経営者観点からすれば「リスクを背負わせるのだから補填があって然るべきだ。利益補填がないのであれば、貸したくない」と思うだろう。

だが、相手外国人から家賃を高くする。(直接に利益補填する)というのは、これもまた差別になる。

結局、差別撤廃運動の人たちは、「外国人は隣人トラブルが多い」「黒人犯罪率が実際に高い」「白人黒人に対する傷害事件より、黒人白人に対する傷害事件のほうが5倍以上多い」といったデータには関心を払わない。

「正しく恐れようとする差別意識のない人」に対しては「それは差別だ。損害については気にするな。意識を高くしていけ」と言うだけ。

もちろん、なんの罪も犯していない、ただ産まれて生きているだけの人が差別され、努力が報われない、理由なく罪を被せられ苦痛を与えられる。という状況は不条理である

だが、被差別民でない人びともまた、必死競争社会を生きている。犯罪率が高いのであれば、街ですれ違ったとき白人より黒人のほうをより警戒するのは当たり前の判断だし、それは警察にとってもそうだろう。

僕は現在アメリカで行われている黒人差別撤廃運動はまったく上手く行かないと思っている。

SNSメディア発言をすると、よってたかって叩きまくる。黙らせる。そのやり方では、他人を無理やりにやり込めているだけで、説得できたわけではない。

そして、現在進行系で行われている暴動では、現実迷惑を受けている人がたくさんいる。

その被害者たちは、黒人に対して良い心象を持たないだろう。肌の黒い人に対して、通常よりリスクの高い人々、という判断を抱えるはずだ。

それは人種平等に対して熱烈な信仰心のある人間でない限りは、どうしても抱いてしまう、合理的判断から来る経験である

その暴動是認し、肯定しながら黒人への差別をなくせ、というのは、それは上手くいきようのない行為なのだ

2020-05-07

anond:20200507170720

一度でも性交渉した者は脳下垂体の幸三が不可逆的に変化して、いくつかの生理的変化を経験する。苦痛への耐性の上昇、認知機能の低下、男性では特に信仰心の上昇などが知られている。

価値観も変化する可能性は充分にあると個人的には想像する。極端な言い方をすれば性交渉にとりつかれてしまう。人生に男女以外の要素が存在することを忘れてしまたかのような者を見たことがある。

彼らはえてしてタフである。その身の全てを捧げるように労働するような者で性経験のない者は見たことがない。タフで、そして浅い。貪るように生き、短絡的に決断する。全ての者に両親がいる一方で、生涯で一度も性交渉をしない者が常に存在することは生物学的になんらかの意味もつと信じたい。

かくいう私も童貞でね。

2020-04-21

anond:20200421174846

政治に対する信頼、っていうのは信仰心に似たところがある。

 

一般的信仰っていうのは、子供のころに最初に教わったことが根付いて、大人になっても死ぬまでまで変わることがない。

 

そして現代日本人っていうのは、大日本帝国政府への不信感を小学校ぐらいから教えられてきた世代だ。

この不信は信仰一種であるから世代が変わるまで変わる事は無い。

変化の兆しは既に明確にあるわけだが(高齢者と若年層の違いが良く取りざたされる)、今の若年層が高齢者が変わるまでは今のままで続くことになる。

anond:20200419173543

神への信仰を試してるんやで

旧約聖書ヨブ記とか、ヨブさんは信心いからどれだけ痛めつけても信仰心を失わない!と

サタンに言うために、ジャンジャカ酷い厄災をヨブに降りかからせるという鬼畜所業をやってのけてるで

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