「あんな酷い仕打ち受けたんだから、神様がそのぶんの罰をあいつらに与えないのは、自分に果報を授けてくれないのはおかしい」
こういう風な、道徳心や信仰心に根ざした見えざる手による調整への期待を心の深いところで持ってたんだけど、それがまずかった。
無職期間長引いたり、生きててとにかく辛かったりしたのはこの「神の眼差しへの期待」が原因だったと今振り返って思う。
上司から親を中傷されたり、先輩から事故の濡衣着せられたり、フロアのみんなの前で直立不動で人格攻撃食らって絶叫謝罪を強いられたり……そういう酷い経験も「こうなったら仕方がない」と受け入れて自分で行動しないと浮き上がってこれないのがこの世の仕組みだとわかった。残酷だけどね。
俺に酷いことしてきた人たちは悪行の報いを受けずに、仕事も順調、家族円満、生き生きと日々暮らし続けているとしても「そういうもんだから仕方ない。神なんていないから、寓話的な展開など発生するかもしれないし、しないかもしれない」と割り切って行動するしかない。
神様なんていないんだよ。人間が都合よく使うために作ったおとぎ話みたいなもの。 がんばれ。
これイジメによる不登校とかに関しても同じこと言えるよな
被害者でいる限り自分でずっと不幸でいようとしてしまうんだよな。 不幸じゃなくなったら助けてもらえないし。