はてなキーワード: モラルとは
業界の愚痴みたいなものを垂れ流してるだけなのに裏話なんて言ってる垢が本当に嫌いだ。
というのも、その業界の動きをアナログ時代から見てきて、あらゆる客層も見てきたから愚痴なんてのは大量にあるし、ツッコみたい内容の会話も多かったから色んな話があるのはわかる。
じゃあなんで嫌いかというと、そんなものは内輪で話していればいい話で、ネットに拡散するような内容じゃないわけだよ。
それを同調を得たいのか知らないけれど、客をバカにするような内容を拡散してるってのは底意地が悪すぎる。
同調してる人らも同様にだ。
口に出してはいけないというわけじゃない。人間だし口に出してしまうのは仕方がない。だが、それは拡散するような事じゃない。
ネットで呟いたら世界に飛び散るというのは、電気通信を知っているなら当たり前のようにわかる話だ。
そもそも携帯業界に限らず、あらゆる企業で不用意な発言は避けろと言われているし、注意喚起されてきたのだから。
匿名垢ならバレないしやってもいいという訳ではないのに、それがわからないというのは本当にモラルが低い。
携帯屋店員の裏話なんて垢で投稿するくらいだからモラル自体存在してないのかもしれないが…。
この手の垢はネットに大量にあるが、自分たちが目立ちたいがために他人をコケにする発言を今後も繰り返すのだろうなあ。本当に嫌な世の中になったものだ。
追記:嫌なら見なければ良いという意見は必ず生まれるが、嫌なら見なければ良いのではなく、他人への悪意を行わなければ良いだけの話だということに気づいてほしい。
割りと深刻な話なんだけど、田舎では歩行者が横断するために一時停止するクルマは
あまりいない
そもそも歩行者が少ないからか、歩行者に譲るという考えが殆ど定着していないんだよ
たった数名なのだけどその子達はクルマがいなくなるまで待って渡っている
俺は毎朝、その子達がいないことを祈って走っているが、運悪くあたっても気づかなかったフリをシて通過している
以前、道を譲ったことがあったのだが、他の車が邪魔だと思ったらしく普通に抜いていったからね
横から来たクルマも歩行者の存在を知っていて、俺が一時停止したのを見計らって堂々と通っていった
こういうのってまじでどうすればいいんだろうね
一度、市にお便り書いたけどあれがどう生きるかはわからない
去年だったか、ブックマーカーが遭遇したと告白してくれた事件だ。
たしか、クルマで通りかかった男が横断歩道に立っているミニスカートの女の子に「勘違いしてんじゃねえよ」みたいな暴言を吐いたという事件だ。
人気コメントを眺めていた俺は、あまりに驚いてしまって、ブクマ先の記事に何書いてあったか、すべて吹っ飛んでしまった。
後日調べた限りでは嘆かわしいことに、こうした暴言は、どの法律・条例にも引っかからない。
こんなこと言うと貴方たちは、またぞろお得意の表現の自由とやらで擁護するんだろうけどさ。
道徳の授業は寝てたのか?? モラル感覚は一体全体どこに置き去りにしてきたんだ??
マンガだってプライドをかけて一生懸命描いてるんだろうが! そうした人間性もプロフェッショナリズムも無視して安全な外野から心無い罵倒を投げておいて、感想だから無害です、だと?
キモいと言われる覚悟があるなら、キモいと言っていい、みたいな戯言を吹聴してる奴もいるな。
アニメのセリフを現実と混同してるんじゃあない。覚悟は免罪符にならねーんだよ。
人を傷つけるようなことは、言っちゃいけない って小学生以前の小児でも解ってることだぞ。
クルマで通りがかった暴漢が、横断歩道のミニスカートの女性にかけた悪辣な言葉。
それは彼女を傷つける言葉だということは、議論の余地はないはずだ。誰にでもわかる、言語道断の事態だよ。
貴方たちの「キモい」はマンガ作家を傷つける恐れはない? 傷つけるつもりはなかった? まさかそんなことを言い出すんじゃなかろうね?
この世の中がミニスカートを探して徘徊する邪悪なクルマだらけじゃないのは、それを止めているモラルがあるからだ。言っとくけどモラルを投げ捨てちまったら、横断歩道に立てなくなるのはミニスカートの子だけじゃないんだからな。
ずっと昔、鼻かんだティッシュをポケットに突っ込んでた時代に、クラスメイトが言ってきた。
インターネットをやるようになってからは、「あんた誰だよw」って奴が突然割り込んできて、キモいって言ってくる事態によく遭遇した。振り返ると実にあちこちで、キモいキモいと言われてきたもんだ。
はてな匿名ダイアリーでも、キモいの是非は何度か話題になっている。
■「キモイ」男の隣の席に座りたくない女が涙を流す
これへのエアリプ?
「他人にキモイっていうのはよくないよねやめようね」で終わる話だと思うんだけど、グチグチグチグチ抵抗してる連中ってなんなんだろう?
※今までのことはもういい、で、これから先もキモイを積極的に使っていきたい所存なの?
https://web.archive.org/web/20210512200718/https://anond.hatelabo.jp/20210511212805
俺は記憶にある限り一度も、他人に向かってキモいと言ったことがない。意味がわからないからだ。
キモいのは自分の状態なのに、相手がキモい、って使い方をされる。まるで相手の属性みたいに。
プログラマーの俺にとっては、属性がどのクラスに所属してるのかが曖昧なのは収まりが悪く感じられるので、このワードはしっくりこない。
でもそんな風に思考の流れを解説すると、たとえば絶賛の並ぶ Youtube のコメント欄で他人の感想に対して、そのワードはしっくりこないですね、とか言うと、即座に「キモい」と書かれることになる。出る杭は、お気持ち表明される。
学校で習ったのか? 何か文句を言われたら「キモい」って返しなさい、って教えられたのか?
それとも友だち同士で使ってたのか? 友だちに恵まれてこなかった俺には、そのあたりはよく解らん。
キモいは暴言って意見を見たけど、そんなモラルの高い見識は、おそらくマイノリティだと思う。広く一般のネットユーザーはキモいをカジュアルに使う。使わんヤツは使わんが、使うヤツは使う。
「キモい」に「悪い」のニュアンスを含めてる奴もいるにはいるけど、そういうのにも効果的なライフハックを最近発明した。実は、キモいって言われたら
「お大事に」
って返すのが特効薬です。このカードを切られたら相手は、具体的に何が悪いのか? を説明しなくてはならなくなる。返答があったら後は普通に議論をすればいい。たいてい相手は無根拠だから、ほどなく心折れることになる。なお、何も言われてないのにこちらから、お大事に、って言うのは相手を病気とみなす行為なので、加害になるので注意。インターネットぶつかりおじさんと呼ばれてしまうぜ?
少なくとも "お大事に反撃" をするようになってからは、「キモい」に合理的根拠があったケースは一例もなかった。悪いことは何もないのだから、胸を張って生きてこうな。
この監督はただモラルのないヤバいやつだというだけで、(強姦等まで行っていなければ)別に犯罪者じゃないし、元増田の書いている通りだと思う。
とはいえ、枕営業をした側の女優が告発することにも意義はあって、それは業界の自浄作用のため。
今回のようなモラルのないヤバいやつに力を持たせたままだったり、時に一緒になって枕営業に乗っかっていた業界人もたくさんいたと理解している。
なので、業界内では「枕営業をする女優」と「枕営業をしている女優に勝つために枕営業をする女優」が常態的に発生していたはず。
つまり、枕営業という本来の女優スキルと関係ないインモラルな行為が、したくない人でもしなければ業界でのし上がっていけないくらいには、不当に高く評価されるようになっていた可能性があるということ。
もちろん業界がそういう状態だからといって枕営業をした女優が被害者になるわけではないけれど、どこかでこの流れをストップしなければ、映画業界における女優の評価軸がずっとゆがんだままになってしまう。
だから枕営業によってかつて利益を得た女優であっても、あとになってみて「映画業界に変わってほしい」「後進に同じような思いをしてほしくない」と考えるのは至極真っ当で、(過去の行為は置いておくとして)この点だけ考えれば告発は称賛されるべきだろう。
こう考えると、正義の被害者女優と悪の加害者監督がいると考えるのは不適当で、インモラルな業界とインモラルな監督、そしてかつてインモラルだったが今は業界の健全化を願う女優がいる、という構図になる。
どうしてこんなことになったんだろう。ここ数年で何度も思ったことだ。
これは奇妙な巡り合わせで出会った私にそっくりの友人が大学卒業時に書いた文章の書き出しである。この鏡合わせの彼が書いた文章を何度も自分事のように反芻してきた私は今年大学院を出る。修了という立場に際して、私も少し自分語りをしてみようと思う。他人の自分語りなど興味の無いという方もたくさんいるだろうから、そういう方はこの時点で引き返してほしい。思うままに書き殴っているので読みづらいし長いと思うが、それに我慢できる人だけ読んでもらえればと思う。
・生い立ち
私はごく普通の環境で育ったと思っている。地方在住で金持ちでも貧乏でもない家で、両親は優しくて、友達もいた。小中学生のころの自分は一言でいうと優等生気質だった。学校の勉強はそこまで苦にしなかったし、危ないこともしなかった。先生の言うことには従っていたし、学級委員を務めたりするタイプの人間だった。強いて言えば両親が少し頑固だったくらいだ。
小学校では初めに陸上クラブに入った。運動は苦手かつ嫌いだったし、何よりブラスバンドのようなクラブがありそちらに入りたかった。父が無理にでも私を陸上クラブに入れたのは運動の楽しさを知ってほしかったのだと思っている。運動神経のいい父にしてみれば運動は娯楽だったのかもしれないが、運動神経が壊滅的な私にとっては純粋な身体能力を問われる陸上は苦しかった。そのため5年生からはブラスバンドをやらせてくれと懇願した。タダで許してくれるはずもないので中学では運動部に入ると交換条件を付けた。5年生から始めたトランペットは本当に楽しくて練習した。6年生の途中からは1stトランペットを担うこともできた。
中学では周りの部員が吹奏楽部に行くのを横目に約束通り運動部に入った。誤解のないように言っておくと別に部活動自体は楽しかった。ただ音楽室から聞こえてくる音を聞くたびに自分もこの中にいたらどうだったろうと思うことは度々あった。中学では同学年内でいじめもあって、被害者ではなかったものの学年中を巻き込みつつも教師が黙殺しているそれに優等生気取りの私は心を痛めたものだった。その頃の私はもっぱら公正世界仮説(当時この言葉は知らなかったが)の敬虔な信者であり、親や先生にほめられている優等生の自分はいつか報われるし、逆にいじめなんぞ加担している人間はその人間性からどこかで破綻すると思っていた。
高校は少し離れた進学校に入った。近隣の学校に行く人が多かったが、いじめの件もあり彼らと距離を置きたい気持ちも大きかった。流石にレベルの高い授業でもあったが、モラルや教養を持った人が多く非常に楽しい生活を送った。高校の部活は軽音部と兼任しようかなと考えていたが、他方の顧問が専任を希望するような言い方をしたので諦めた。別に悪い人ではないと思うが、他人に機嫌を取らせるタイプの人間だった。高校では成績をぐんぐん落とした。周囲のレベルの高さもそうだが、私には2点の欠陥が見え始めていた。1つは努力。中学生まであまり勉学に苦労しなかった私は勉強に労力をかける癖がなかったし。加えて苦手な運動は一向にできなかったし、好きな人にアプローチしても付き合えなかったし、理論武装して親に頼み込んだことも結局許されなかったり、努力してできた経験と言えば自転車の補助輪を外すときくらいのものであったように思う。努力の数と成功体験の数なんて鶏と卵かもしれないが、努力をした経験もおそらく人よりは少なく、努力が実った経験はもっと少ない人間だったように思う。もう1つは先天的能力の限界である。これまでの自分は「丁寧に教えてもらえば理解ができる」という能力を有していたと思っている。中学生までの自分が苦労しなかったのもこれが原因だと思っている。しかし高校3年生になると少しそれに陰りが見えているのを人知れず自覚していた。周囲の人間には見えていないようで、親や先生は褒めてくれるし、同級生からも勉強ができるという認識をされていた。
3年生になると嫌でも受験を考えなければならなくなる。私はどこに行って何をするのだろう。勉強は好きではない。高校では文芸部の本に部外から投稿してすごく評判が良かったし、文化祭の劇の脚本や演出を担当して最優秀賞を取れた。そのあたりの活動は楽しかったしクリエイティブなことがしたいかな、あと音楽。それとなく親に専門学校の打診してみたけど、4年制大学に行けといわれた。「いい大学に行けばいい企業に行けるからね」と言われてきていたし、親心としてはそんなもんだよねと理解した。自分としてもレールを外れることに恐怖はあったし、レールに従うことで周りと同じように大学に行って、就職して、結婚して子供を作って、今の家族のような生活が送れるならそれでいいと思っていたのでじゃあ普通に大学に行くねとなった。
問題になるのは何がやりたいかである。私がやりたいことって何だったんだろう。結局見つからなかった。そこで親がアドバイスをくれた。
「まだやりたいことが見つかっていないなら、ここに行けばいいんじゃない?」
親が指し示した大学は、入学時に専攻を決めなくてよいという特殊な制度をもつ大学だった。みなさん名前ぐらいはご存じの都内の大学である。幸か不幸か、私にはそこを目指せるだけの能力はあった。
1浪しなんとか2年目で合格して大学1年目。はじめに学んだ格言がある。
「大学では勉強、サークル、恋愛、バイトのうち2つしかできない」
勉強は好きではないので、サークルとバイトをやるんだろう、恋愛もあるのかななどと入学後の私は胸を躍らせていた。憧れのバンドサークルにも入った。周りは経験者なので食らいつこうと頑張った。大学から帰って仮眠を取り深夜の安いパック料金で明け方までスタジオで個人練、シャワーを浴びて大学へ。その生活をしていたら資金がショートした。親にバイト禁止されていたため練習や交流のためのお金が足りず、実力もつかず人脈もできずにフェードアウトした。
大学の授業はひどく不親切であった。大学のレベルも相まって何をやっているのか理解できなかった。高校の時に疑問を持っていた内容が解決されるかと期待していたが、それらは大体1,2回目の講義で解決してしまうものか、もしくは深くがっつり専攻しないと理解できないようなもののどちらかで、学ぶモチベーションにはつながらなかった。教える側も教科書も「説明してはいる」「書いてはある」という感じで、高校までのようにわかりやすくとはいかなかったから、「丁寧に教えてもらえば理解できる」タイプの私では太刀打ちできなかった。つまらないし時間の無駄に思えて次第に講義も休みがちになった。
それでも、とりあえず大学を出れば何とかなると思っていた。ここで耐えている自分はきっと報われると思っていた。好きなものが大学で見つかればいいし、そうでなかったら高校までの勉強ができるから教師になればいい。これが1年目の私であった。
・崩壊
初めてショックを受けたのは成人式のことだった。新成人代表として何人かの陽キャ集団が壇上にあがった。式の前後に彼らと会ったがある人はバツが悪そうに私から目をそらし、ある人は肩を組んで話しかけてきた。どちらもいい気はしなかった。彼らはいじめの関係者である。なんで彼らの方が人生を謳歌しているんだろうか。その時にふと思った。「結局彼らは世渡りがうまかったんだ」と。くだらない正義なんて捨ててその場で空気を読んで得なほうに回るっていうのが正解で、黙殺していた奴らもそうだったんだ、なんて自分は愚かだったのかと。そう考えてみると社会に明確な悪役はいなくて、したがって明確な正義も存在しない。正義と道徳に立脚した自尊心のなんと脆いことかと思い知らされた。
そして、もう一つ。親や教師というのもまた所詮人間だとこの年になって気づいた。この中の何人かが数年のうちに教師になって、親になる。はっきり言って話の通じない人だっているが、そんな人も年さえ取ればいつかは親や教師になりうる。だから、黙殺した教師も、話の出来ない親もおかしくはない。じゃあ私が優等生してきた、私が正しさの根拠としてきたものは何だったんだろう。優等生であることを数字で示してくれるものは成績くらいしかない。世渡りが下手で運動などの技能も持たず、それでも私が公正世界仮説を信じてこれたのは、案外「勉強ができること」に依存していたのかもしれない。勉強しかできないやつだけど勉強ができるから何とかなる、そんな風に自分の無能さを騙して生きていたのかもしれない。
さらに拠り所の勉学さえ崩れ落ちた。留年が確定したのだ。受験でも足を引っ張った物理がとことん苦手で何も理解できなかった。2年目は学費の負担を減らすべくバイトをさせてもらった。サークル活動は事実上全部やめ、バイトと勉強の日々が始まった。バイト先は学生が割と多かったため、みんなと仲良くなれた半面、繁忙期が重なった。私は試験前はむしろシフトが増加し、結果的に致命的な必修単位だけ落としてしまった。2留である。親に電話して事情を説明した。単位くらい取れとストレートに怒られるかと思った。代わってあげる優しさを評価しつつもやりすぎだと注意されるかもとも思った。
人にやさしく優等生してきた自分の生き方への批判と自分が仲良くしている人たちへの非難のダブルパンチで頭に血が上った。怒りで何も言葉が出ずに何秒か無言の後電話を切って、壁を殴った。
数日すると気分が落ち込んできた。親はそれを「単位を落としたから」と解釈したようであるが、全く違う。私は他の人が当たり前のようにサークルやバイト、恋愛を掛け持ちして進級している中で、バイトしながら進級できなかった。私は当たり前のことすら満足にできない無能であると、薄々感じていた自分の無能が隠せなくなってしまったのである。
3年目は再びバイトを禁止した。クラスでの試験対策の仕事もやり、その科目の勉強をしなければいけない状況を作った。サークルとしては冒頭の彼の紹介で新しいサークルに入った。サークルでできた友人とは本当に仲が良く、勉強を助けてもらったり、サークル関係なしに遊んだり大学での生活の基盤になった。助けてもらえる人も増え、自分で学習するようになり、この年の上半期では単位の取得ができた。しかし、私が感じていたことは決してポジティブなことではなかった。私がこの年の経験でわかったことは「お前はやればできるが、環境のサポートがあって自分で勉強してもちゃんとできるのは2単位」ということである。私は2年で70単位以上取得する想定のカリキュラムを、半年で2単位しか取れない脳みそでやっている。無能すぎてもはや卒業が無理なのではないかと思った。
公正世界仮説、評価軸としてきた大人たちへの信頼、自身の実力への評価の3つが音を立てて崩れて、この時私は確かに一度死んでしまった。このことに気づく前の自分に戻れなくなってしまった。中学のいじめがらみで「死にたいけど死ぬ勇気もない」って言ったときに「死ぬのなんて勇気って言わねえ」って怒鳴りつけてくれた友人がいた。
・専攻決定
4年目にして2年生。この年は諸々の事情でクラスから孤立した。喧嘩別れのようなものである。私としても仲良くする気はなかったので1人でどこまでできるかやってみようと思った。結果は惨敗だった。単位取得こそぎりぎりできたものの私はこの大学では人に寄生しないとやっていけないと気づかされた。
そして、4年前に選択を先延ばしにしたツケの返済期限が来ていた。専攻の決定である。結局4年間でやりたいことは見つからなかった。勉強は面白くないし、勉強以外の何かを思い切って始める余裕もなかった。教員になろうかとも思ったが、それもかなわないと思った。教職は卒業単位には含まれないため、追加でいくつも講義を取る必要がある。通常のカリキュラムすらまともにできない私にそれは無理だろう。ちなみに私と同じく成績の芳しくなかった冒頭の彼は教職を志して単位を取得しに行ったが、弊学では満足に教職まで取り切れなかった。教職を目指した世界線の私もきっとこんなものだろうと思ってしまった。
理系科目はわからなかったので、唯一興味がわいた心理学を専攻しようと思った。しかし、成績が足りなくて進むことが絶望的だった。ここで初めて間違いに気が付いた。この大学のシステムは何をやりたいか不明瞭な人間を救済するシステムではなく、やりたいことや才能が複数ある人間に選択肢を与えるシステムなのだと。私などがこの大学には来てはいけなかったんだと激しく後悔した。
このシステムでは通常、成績が足りなければ次の年に再挑戦することができる。しかし、私は4年目であったがために在学年限が迫っており、この年で専攻を決定しなければならなかった。そのため、当時人気の低かった化学を選んだ。化学は苦手で高校化学すらわからないが「とりあえず大学を出れば何とかなる」のであれば、と苦渋の選択をした。
5年目、3年生。1限からの授業と週3回の実験があり、9時-18時のような生活になる。実験には予習とレポートがあるため、実際の拘束時間はこれより長い。何とか4月を乗り切ったところで、レポートを1つ残してしまった。GWに入ってレポートをやらなければと思って毎日机に向かおうとした。いや、向かったこともあった。だが、ペンを持っても何も書けない。そのまま時間が過ぎてごはん時になり席を外してご飯を食べる。そんな日が続いてGWの最終日、床にへたり込んで泣いた。書かなきゃいけないと思いつつも1文字も書けなかった。
3年生の必修は実験だけだったので、他の単位を犠牲にしてでも取ろうと考えた。1時間だけ講義を休んで...その1時間を何も書けずに終えた。これを繰り返してほぼ全ての講義を欠席した。次第にいろいろおかしくなっていった。頭痛もちでもないのに頭が痛みだした。文字が読めなくなり、教科書はおろかネットニュースくらいの簡単な文章でも字が滑るようになった。1日にできることがゴミ出しと洗濯くらいになり、起きて寝る以外に食事、入浴、ソシャゲの周回くらいしかしてない生活になった。
溜まりに溜まったレポートは夏休み前に呼び出しを食らったことで、無理やり夏休みを使って消化した。歯を食いしばりながら全部消化したことは覚えているが、歯を食いしばればできたことがなぜここまでできなかったのかこの時は疑問だった。
4年生になり、大学院へ進学することになったが、大学院の手続きと入試勉強、足りなかった単位の試験勉強などでタスクが溜まった瞬間、この症状は再発した。友人の勧めを受けて学生相談所に通うことになった。
学生相談所のカウンセラーはいい人だった。いろいろお話をして気持ちは和らいだ。専門的なこととしてはWAISの検査を受けた。結果は処理速度だけが異様にへこんでいる格好になった。別に数値は低くないので大丈夫と言われたが、「問題の有無は環境によって決まりませんか?能力の高い人が集まる環境ではそれなりの能力が要求されますよね?」という質問には満足のいく回答は得られなかった。
親にも何度か愚痴を言ったことがある。そのたびに「あなたは世間一般には優秀だから大丈夫」と返されるのである。何が大丈夫なんだろうか。”今の環境”が辛いと言っているのに”世間一般”という別の集団を持ち出して何の救いになるんだろうか。これ自体も言ってみたことがあるが「なんでそんなこと言うの」と言わんばかりの困惑した顔をするだけだったのでやめた。別に親以外でも同様のことを言う人はいる。世間一般の評価が邪魔をして、まともに助けを求めることすらままならない。内部の人間から見て無能で、外部の人間から見て有能な私は、共感を得られる対象がとても限られていて苦しかった。大学ブランドという呪いにかけられて苦しかった。
やりたいことをやれていればよかったのだろうか。サークルで作曲を体験させてもらう機会があった。でも続かなかった。結局忙しいとかいろいろ言ってインプットから逃げている自分がいる。クリエイターにはなれなかっただろうなと思った。好きなことも頑張れない自分に「自分が勉学を頑張れなかったのは勉強が嫌いだからじゃない、努力が嫌いなんだ」という事実を突きつけられてまた悲しくなった。あれほどに信じてきた公正世界仮説は「お前が苦しいのはお前が間違ってきたからだ」と自分に牙をむき始めていた。
・進学と私
大学院へ進学することにした私だが、実は私は望んでいなかった。学部生時代に夜遅くまで研究に勤しむ先輩たちを見ていて「私にこれは無理だ」と実感していたからである。研究への熱意はおろか、化学への意欲も知識もないのである。ただでさえ病む人が多く出る大学院という環境にこんな人間が行くのは自殺行為に他ならない。そのため、私は就職を強く希望した。しかし、親にそれを伝えると「今のお前に就職はできない」と言われた。就活を終えた今だから言えるが、これは正しかったように思う。議論は「就職はできないから進学しろ」「院でやっていけないから就職させろ」の平行線で、就職も進学もろくにできない無能をぼこぼこにリンチするだけで生産性はなく、結局「とりあえず進学はするがいつでも辞めてよい」という落としどころになった。
私は院試に落ちるのが最適解だと思った。学力もないので真面目に受けても受からないだろう。院試を受けたけど落ちましたというのが親にも研究室にも一番角が立たない。しかし、筆記試験が思ったより点数が低かったのか通ってしまった。面接をすっぽかすことも考えたが、会場に研究室の先生方がいるかもしれないことを考えると気が引けた。面接では辞退の意思を伝えるつもりだった。面接官と私だけの秘密である。私は院試を受けて落ちたのだと周りに言えばよい。
https://www.youtube.com/watch?v=pThAApuSlHQ
マリン船長へのこのスパチャは完全にセクハラではあると思うけれど、さて架空の存在に対するセクハラってどの程度問題視すべきなんだろうか
ホロライブでは胸がまな板みたいな超ド級のセクハラが当然のように横行しているし(公式がるしあのまな板出してるw)、彼女たちを裸に引ん剝くようなファンアートも普通に流れてくる(本人たちをブロックしてるかどうかは関係ない…R15とかでも本当は嫌なのかもしれないよ?)
日本国民であり基本的人権が備わっている「中の人」に対するセクハラは当然問題視されるべきだが、キャラにセクハラコメントを送ることは中の人に対するセクハラとなるのだろうか?
コメントを読むかスルーするかは本人次第だが、そもそも性的なコメントを目にすることこそが被害とかいう?
じゃあまな板いじりもエロファンアートもアウトじゃん。その理屈ならもう全部アウトだよ。
俺は表現の自由を守りたい側だからそんなのは到底受け入れられないわけだ。非実在キャラに人権とかふざけたこと言うんじゃないよ
この動画でのセクハラコメントをした人を擁護したいね。これがセクハラかどうかで言うならばセクハラだが、そのセクハラに問題があるかどうかで言えば問題はない。なぜなら相手はキャラだから。
性的なコメントを目にしたり、まな板いじりみたいな性的なからかいを目にしてリアクションを求められたり、エロファンアートを目にする機会があったり。これらは環境型セクハラとして演者対会社で問題になる可能性はあるが、我々リスナーには現状関係のない話だというスタンスでいたいね。
キャラとしてこのセクハラコメントを叱る、スルーする、ブロックする等はマリン船長もできるわけだし、各人はそうされる危険性を認識したうえでそれでもしたければセクハラコメントをすればいいと思うね