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はてなキーワード: メリー喜多川とは

2024-10-10

anond:20240926220206

今は良いのさ全てを忘れて!

独り残った屍の俺が!

※本人歌唱ではありません

しゃあっ「歌は唄ってない」

メリー喜多川「歌なんて飾りです!何か鳴ってればいいのよ」

2023-10-08

ブギウギ

これから毎日次男ジャニー喜多川に性加害された作曲家の役を、メリー喜多川ジャニーズから蹴り出された俳優が演じるのを見ねばならんのか。ちょっと胃がむかむかする。草彅くんは応援するけどね。

ブギウギ

これから毎日次男ジャニー喜多川に性加害された作曲家の役を、メリー喜多川ジャニーズから蹴り出された俳優が演じるのを見ねばならんのか。ちょっと胃がむかむかする。草彅くんは応援するけどね。

ブギウギ

これから毎日次男ジャニー喜多川に性加害された作曲家の役を、メリー喜多川ジャニーズから蹴り出された俳優が演じるのを見ねばならんのか。ちょっと胃がむかむかする。草彅くんは応援するけどね。

ブギウギ

これから毎日次男ジャニー喜多川に性加害された作曲家の役を、メリー喜多川ジャニーズから蹴り出された俳優が演じるのを見ねばならんのか。ちょっと胃がむかむかする。草彅くんは応援するけどね。

ブギウギ

これから毎日次男ジャニー喜多川に性加害された作曲家の役を、メリー喜多川ジャニーズから蹴り出された俳優が演じるのを見ねばならんのか。ちょっと胃がむかむかする。草彅くんは応援するけどね。

2023-09-13

ジャニーズ事務所東山ソーセージ事件告発木山将吾あの人は今

 イギリスBBCの例の放送から半年が経ち、ジャニーズ事務所は瓦解しつつある。夏前の雰囲気では「噂では聞いた」「当人は故人」「証拠がない」「ごめんなさい」で寸志を渡して逃げ切りそうな空気だったが、再発防止特別チームの予想以上の報告書で潮目が変わった。

 国体護持の立場から、新社長東山紀之となったが、相変わらず「噂では聞いた」としかわず、社名は変わらず、株主も変わらず、方向性も見えず、期限も示さずではまともな商取引しづらいのは正直なところ。

 そして、東山社長が今から40年近く前に、当時のジャニーズJrに『俺のソーセージを食え』と言い放ったことが話題となった。2005年の『SMAPへ―そして、すべてのジャニーズタレントへ』という本の一節をネットニュースが取り上げ、それが拡散した形なる。

 ところで、この本を書いたのは元ジャニーズJr.の木山将吾である。現役時点は山崎正人と名乗っていた。ただ、木山は、18年前にジャニーズ喜多川からの性被害について赤裸々な著作を書いていたにもかかわらず、この半年間のムーブメントでは特にコメントらしいものを発していない。彼はどこへ行ったのだろうか。

 と、ずーっと謎に思っていたのだけど、実は、木山滋賀県に住んでいることが判明した。

滋賀県草津市ホームページ GINLALA音楽ユニット

https://www.city.kusatsu.shiga.jp/citysales/ouen/boosters/list/ginrara.html

 この写真の右側が、GIN山崎ぎんこと、山崎正人、すなわち木山将吾だ。

 山崎1970年まれで、15歳~18歳まで山崎正人名義でジャニーズ事務所所属光GENJI候補メンバーだったが、性被害を受けて退所していく。1988年北公次(フォーリーブス)の『光GENJIへ』などのジャニー喜多川暴露本出版された後、山崎1989年山崎銀名義でアイドルグループ「新・光GENJI」に参加し、それが「SHADOW」となる。SHADOWは、アンチジャニーズ標榜していた地下アイドルグループで、北公次印税を注ぎ込み運営し、後に被害者の会代表となる平本淳也らも参加していた。ただ、きっかけが不純だったからか、すぐに解散している。

 山崎京都などで活動を単発的にしていたが、2005年木山名義で『SMAPへ―そして、すべてのジャニーズタレントへ』(鹿砦社)を刊行した。週刊文春報道があり、2004年最高裁ジャニー犯罪が確定した翌年になる。

 当時、鹿砦社は、ジャニーズ本を多数出していた。ただ、その多くがタレントの住所暴露本でさすがに褒められたものではなかった。社長は同年別件で逮捕されている。2007年には同じ内容でタイトルを変えて「KAT-TUNへ - 赤西仁がやめた本当の理由」と再編集本を出したあたり、同社に胡散臭さがあるのは否めない。週刊文春もこの時期は報道を控えていたこともあり、1988年北公次ときほど話題にはならなかった。

 その後、木山こと山崎ぎんは滋賀県草津市移住し、2010年から滋賀ローカルタレントとして活躍している。GINLALAとして地元女性タレントコンビを組み、地元コミュニティーFM「えふえむ草津」の出演、イベントコンサートの司会などをしている。滋賀県BBCには出演したこともある。

 増田も以前に滋賀県に住んでいたことがあるんで、彼の顔は何度か見かけたことがある。平和堂の催しや、町内会夏祭りの司会などもしていたからだ。名前はうっすらと記憶しているが、その顔や姿、声、話している内容は特に記憶がない。無名セミプロタレントの一人だと思っていた。

 本人は、別に過去を隠しているわけではないようだ。えふえむ草津パーソナリティー紹介では

https://fm785.jp/%e7%95%aa%e7%b5%84%e8%a1%a8/%e3%83%91%e3%83%bc%e3%82%bd%e3%83%8a%e3%83%aa%e3%83%86%e3%82%a3/

とある。ご本人としては「SHADOW」は黒歴史ではない模様だ。

 ただ、イギリスBBC以降のムーブメントがあるにもかかわらず、木山将吾こと山崎ぎんは、何も発言はしていない。2005年の本はかなり赤裸々にジャニー喜多川の加害を表現していたが、それを改めて言及するのは精神的にかなりしんどいものになるのだろう。コロナ禍で大変だったタレント業もようやく回復しつつある。それを台無ししかねない。山崎はGINLALAgooブログに登場するが、作成相方LALA氏が担当しているようなので、ジャニー喜多川問題への言及はない。

https://blog.goo.ne.jp/ginlala785kusatsu

 思えば、ジャニー喜多川暴露本先鞭をつけた北公次にしても、再婚してワイドショーに登場した1994年以降、ジャニーズ事務所への言及を避けている。1999年10月から始まった「週刊文春」のジャニーズ事務所の連載。第1回目は、同じフォーリーブス青山孝史だった。読者としては、続いて北公次も登場するだろうと思ったが、最後まで何も発言しなかった。後の裁判にも参加していない。

 北としても、芸能界復帰への思惑がある中、言わずが花、という考え方があるのは理解できる。村西とおるらに煽られ暴露本を書いたものの莫大な印税はあっという間に消えた。反ジャニーズの連中が必ずしも自分の味方ではないというのも悟ったのだろう。

 2002年、北は青山おりも政夫江木俊夫らとフォーリーブス再結成している。当時、メリー喜多川は「北と青山ジャニーズ事務所の敷居を跨がせない」と激怒していたという。暴露本に参加したからだ。でも、フォーリーブス名前を使うことができたのは、事務所フォーリーブス4名で何かの手打ちをしたのではと指摘されている。タレント活動するなら、もう反ジャニーズ言及しないと腹を決めたのだろう。北は2012年に若くして亡くなっている。

 おりもは今年5月インタビューで「コーちゃんは、亡くなる直前まで『ジャニーさんに謝りに行きたい』と言っていました」と指摘したうえで、「僕も含めて被害に遭ってない人たちも多くいるわけで、ジャニーズOBや現役を変な目で見ないでほしいです」とジャニーズ事務所擁護発言をし、一部のファン喝采を浴びた。おりもは解散後も長くジャニーズの世話になってきたし、北公次発言を打ち消したい気持ちはあったのだろう。死人に口なしだ。

 今年の母の日である5月14日、山崎地元草津市ホールで「ファミリーコンサート」の司会をする一方、ジュリー藤島東京で「知らなかったでは決してすまされない話だと思っておりますが、知りませんでした。」と述べ、批判を浴びた。

 木山将吾こと山崎ぎんは、遠く琵琶湖ほとりで、この半年ムーブメントをどう見ているのだろうか。本日水曜日は13時から「えふえむ草津」のレギュラー番組「GINLALA 午後は大銀醸」が生放送であるクルマで移動するタイミングなので一度聞いてみよう。

 

2023-09-12

anond:20230912113301

残念ながらジャニー喜多川が死んだからじゃなくて、メリー喜多川が死んだから、なんだけどな

マスコミ芸能界への圧力隠蔽で一番暗躍したのがメリー喜多川から

お前の言説を使うなら、女の会長が死んだ途端にバッシングが始まった、になる

2023-09-09

三大ジャニーズ事務所解体出直し必要なこと

あとひとつは?

社名変更藤島ジュリー景子氏の役員退任は、どのようにしても今後批判が続くことは間違いないので後々小出しにガス抜きとしてやるために残しているんじゃないかと思う。だって社名については象徴的な意味はあるものの社名変えた方が記憶の風化が早くて都合が良いくらいだし、役員退任しても株主いるかぎり権力は維持できるのだからこのふたつはそれだけでは実効性は低いと思うから

素人考えだけど以下のようなことが必要じゃないかな。

藤島ジュリー景子氏が株式を所有してたらなにも変わらないでしょう。ジャニー喜多川の性加害で培われた財産であるのだからこれを手放すのは責任をとる意味でも重要。ただ売却で藤島ジュリー景子氏が金銭的に潤うのもおかしいと思うのでほぼゼロで売却するか贈与するか。そのとき実質的株式価値ゼロ近くでないと税務上の問題が生じるので売却や贈与前に株式会社ジャニーズ事務所として損害賠償をしっかり払ってもらう必要がある。それまでは株式信託して藤島ジュリー景子氏が議決権行使できないようにしてもらう。

ところで誰が新株主になるかが大問題だね。

他にも関係する法人があるだろうけどこれらは株式を売却してジャニー喜多川個人損害賠償債務にあててもらうのがいいかジャニー喜多川相続人メリー喜多川藤島メリー泰子)でメリー喜多川相続人藤島ジュリー景子氏だよね。

ちなみに https://www.houjin-bangou.nta.go.jp/kensaku-kekka.html で「ジャニーズ」と名前がつく会社を調べただけでも他に株式会社ジャニーズアイランド株式会社ジャニーズ・エンタテイメント 、株式会社ジャニーズ出版、株式会社ジャニーズミュージックカンパニーがある。

ジャニーズ事務所メディアに対して影響力が強すぎたことが被害が増えそれが隠蔽されていた原因なので過度経済力集中排除法による企業の分割みたいにジャニーズ事務所を分割する必要があるだろう。分割された複数元ジャニーズ競争させることで影響力を削ぐ。このとき地域別は意味いね東京が含まれるところが一強になって巨大な影響力持つだけだから

あとランダムに分割するようにしないとマネージャーとか新しい権力者が生まれるだけなので分割は内部事情に詳しくてかつ忖度しない人を加えた第三者委員会が行う必要あるだろう。内部事情に詳しくてかつ忖度しない人というと被害者とかジャニーズ事務所を抜けて干された人とかになるか。なるべく最近事情を知っている人が適任なので新しい地図の人たちとか。

あとは項目のみだけど

2023-07-07

山下達郎小杉理宇造近藤真彦中森明菜についての簡単な年表

1975.4.25 シュガー・ベイブが「DOWN TOWN ⁄ いつも通り」 でエレックレコードからレコードデビュー

1976.4.1 シュガー・ベイブ解散

1976.12.25 山下達郎小杉理宇造の尽力によりアルバムCIRCUS TOWN」でRCA ⁄ RVCからソロデビュー

https://www.musicman.co.jp/interview/19480

1980.12.12 近藤真彦が「スニーカーぶる~す」でRVCからレコードデビュー

1981.9.30 近藤真彦シングルギンギラギンにさりげなく」発売 B面「恋のNON STOPツーリングロード」の作曲編曲山下達郎

1982.2 小杉理宇造がRVCから独立 アルファ・ムーン設立 山下達郎移籍

1982.5.1 中森明菜が「スローモーション」でワーナー・パイオニアからレコードデビュー 

1982.6.30 近藤真彦シングルハイティーン・ブギ」発売 A面「ハイティーン・ブギB面Momoko」共に作曲編曲山下達郎

1984.9.13 近藤真彦シングル永遠に秘密さ」発売 A面「永遠に秘密さ」の作曲編曲山下達郎B面One more time」の作曲山下達郎 編曲山下達郎馬飼野康二

1984.10.24 近藤真彦との交際を噂された中森明菜が「ザ・トップテン」の公開生放送近藤真彦ファンから帰れコールを受ける

https://m.bilibili.com/video/BV11K4y1E7rm

1985.1.26 近藤真彦中森明菜主演映画「愛・旅立ち」公開

1986.12.24 中森明菜アルバムCRIMSON」発売 10曲中「駅」「告白」「OH NO, OH YES!」「赤のエナメル」「ミック・ジャガーに微笑みを」の5曲が竹内まりや作詞作曲

1987.4.29 中森明菜が「夜のヒットスタジオ」で「OH NO, OH YES!」を歌う

https://youtube.com/watch?v=3srAJ5bXpRk

1987.8.12 竹内まりやアルバム「REQUEST」発売 中森明菜への提供曲「OH NO, OH YES!」「駅」のセルフカバーも収録

1987.10.17 中森明菜東京厚生年金会館コンサート 「ミック・ジャガーに微笑みを」を歌う

https://youtube.com/watch?v=tippJz4YGe4

1989.7.11 中森明菜近藤真彦の部屋で自殺未遂

1989.12.28 メリー喜多川の強い勧めで中森明菜デビュー以来の所属事務所研音から独立 小杉理宇造と新会社コレクション設立 しか小杉理宇造はすぐにいなくなりコレクション機能不全に陥る

1989.12.31 金屏風会見

https://youtube.com/watch?v=AzEHq7Pb2f4&pp=ygUP6YeR5bGP6aKo5Lya6KaL

1990 アルファ・ムーンワーナー・パイオニア傘下になる

1991 ワーナーパイオニアワーナーミュージック・ジャパンに改称

1992 中森明菜ワーナーミュージック・ジャパンとの契約を解消

1993.3.31 中森明菜が「夜のヒットスタジオ RETURNS SPECIAL」で「駅」を歌う

https://youtube.com/watch?v=2AnW6M3b-9g&pp=ygUS5Lit5qOu5piO6I-c44CA6aeF

1994.7.25 竹内まりやベストアルバム「Impressions」発売 山下達郎ライナーノーツ執筆 「駅」のライナーノーツ全文

「87年のアルバムリクエスト」のコンセプトのひとつに、「他人に書いた作品自分で歌う」というのがあり、「けんかをやめて」「元気を出して」などと同じく、この作品も、もともとは、さる有名アイドルシンガーのために書かれたものである

まりやは当初、この曲を自分で歌うことに難色を示していた。マイナー・メロの「歌謡曲的」なアプローチからというのがその理由だったのだが、歌謡曲とそれ程縁のない(?)私の耳には、この曲はとどちらかといえばイタリア風に聞こえたし、また、そのアイドルシンガーがこの曲に対して示した解釈のひどさに、かなり憤慨していたこともあって、ぜひとも自分の手でアレンジしてみたいという誘惑にかられ、彼女を説得してレコーディングまでこぎつけた。

その後このヴァージョン有線放送で1位になるなど、今では竹内まりや代表作のひとつとなっている。メデタシ、メデタシ」

1995 小杉理宇造ワーナーミュージック・ジャパン代表取締役会長就任

2003.11 小杉理宇造ジャニーズ・エンタテイメント代表取締役社長就任

2013.11.28 竹内まりや×クリス松村「Mariya's Songbook」対談

https://natalie.mu/music/pp/takeuchimariya02

クリス ここまでは若くてかわいらしいアイドルにピッタリな曲が多いんですけど、「駅」とかはまた違いますよね。

竹内 「駅」は確かに違いますね。頼まれときから明菜ちゃんには濡れた哀愁メロディの曲を絶対書きたいと勝手に思っていて。そのマイナーメロディ雰囲気に合わせて、昔の恋人を駅で偶然見かけてすれ違う……というストーリー彼女写真を見ながら組み立てていきましたね。歌詞自体は当時の私が歌ってもそんなに違和感のないものだったと思いますけど、マイナーコードであれだけベタ歌謡曲メロディを書いたことはなかったんで、それ自体面白かった。

クリス 明菜さんだから浮かんだ曲。

竹内 本当にそうなんですよ。明菜ちゃんの持ってる佇まいやイメージがそういう発想をくれたと思ってます自分で歌う曲じゃないからこそ、ああい哀愁メロディにしたわけですから明菜ちゃんという素材があってこその曲だったと思いますよ」

2023-05-18

藤島泰輔ジャニーズ事務所の興盛にどれだけ貢献したのか知りたい

藤島泰輔なんて作家名前、知ってるのはかなりのジジイババアだろうなあ。

今のジャニーズ事務所社長シャニ喜多川こと喜多川擴の姪である藤島ジュリー景子日本人なのになんでミドルネームあるんだろ?アメリカまれから戸籍上はどうなってるんだろ?)という女性だが、この人の父親である

詳細はwikipediaを見ればわかるが、1933年まれ小学校から大学まで学習院出身。現上皇のいわゆる御学友の一人。新聞記者時代に当時の御学友たちをモデルにした小説『孤獨の人』がベストセラーになり、その後、作家として独立。世の中まだまだ“進歩的文化人”が幅を利かせてきた時代に“保守派文化人”として活躍した人である

かつて、韓国朴正煕独裁政権下で反体制作家として活躍死刑判決を受けた金芝河という韓国詩人がいたのだが、日本ペンクラブ要職にあった藤島泰輔韓国政府を擁護する立場発言を繰り返し、日本ペンクラブが紛糾、ペンクラブから有吉佐和子司馬遼太郎らが脱会するという騒動も起きている。

当時、“進歩的ジャーナリスト”として大人気だった本田勝一からは“御学友であるということだけで地位確立した三流作家”などと言われていた。

なお、藤島泰輔名前記憶になくても、『不思議の国ニッポン』の著者ポール・ボネといえば覚えている人もいるかもしれない。1970年代から80年代にかけて“日本に在住するフランス人ビジネスマン”という触れ込みで、歯に衣着せぬ率直な文章と透徹した思考、練達の日本語で日本社会の批評を書連ねてきた…という触れ込みの人である

が、これが真っ赤なウソで、本当は藤島泰輔ペンネー厶。

今では考えられないが、昭和の日本では言論出版世界でこういう詐術がまかり通っていたのである

いちばん有名なのは神戸在住ユダヤ人イザヤ・ベンダサン”こと山本七平だろうか?

この二人に共通してるのは、なぜか最終的には日本保守称揚し、当時の左派進歩的知識人を嫌うところ。“そんなのは海外から見れば非常識絵空事”とやるわけである

今も昔も日本人は、“海外から日本はどう見られているか”ということを知りたがり日本人から言われると反発することでも外国人に言われると素直に聞いたりするので、こういう出版興業が成り立ったのであろう。

さすがに今の世の中では、ここまでの嘘はバレるので、“国際機関活躍”だの“海外大学評価されてる”とか言う日本人逆輸入してくる例が多いわけだが。


で、藤島泰輔ジャニーズ事務所とのかかわりだが、もともと歌人高浜虚子の孫娘と結婚していたものが、当時、バー経営していた喜多川擴の姉(通称メリー喜多川SMAP解散に追い込んだ人)と知り合って内縁関係となったらしい。

で、生まれた娘が景子である

一説によれば、創設当時のまだカネもなければ力もないジャニーズ事務所をなにかと援助してきたのは藤島泰輔とその人脈であったとも聞く。

その援助とはいかほどのもので、どのくらいの効果があったのだろう?

昭和時代、“御学友”といえば今以上の権威があったような気もするが。

一部で噂されている“有力政治家ジャニーズ事務所少年がお稚児さんのごとくに提供されていたらしい”という真偽不明な話も、おそらくこのあたりに端を発するのだろうが。




昨今、ジャニーズ事務所に関していろいろ報道されているけれども、このあたりまで掘り下げているのはみた記憶がない。

統一教会を語るには岸信介文鮮明の関わりにまで遡らなければならないがごとく、本当はこのへんまで深掘りしないと“なんであんジャニーズには力があるのか”は分からいかも知れない。

誰かやってくれないかな?

さすがに難しいか

なお藤島泰輔小説『孤獨の人』は、一時期は岩波現代文庫にも入っていたようだが、現在絶版電子版はないようだが、古書ならamazonでも手に入る。岩波現代文庫だと、岩波文庫程ではないだろうが、揃えている図書館もそこそこあろう。

そして、この作品なんと映画化もされている。検索してみたらなんと現在Amazonプライム配信されており、プライム会員なら追加料金ナシ!いい世の中だ。

後で見てみることにする。

2022-11-16

ジャニー喜多川による15歳少年への性虐待暴露まとめ

暴露したのは1996年5月24日まれ26歳の岡本カウアンイタリアの血も入っている日系ブラジル人四世、日本まれ日本育ちだがポルトガル語も話せる)。

2012年2月、15歳で名古屋Jr.に入所。キンプリを脱退する予定の平野紫耀と同期(平野紫耀名古屋出身)。

・15~16歳の頃、ジャニーさんに自宅に呼ばれてフェラチオをされる。フェラチオをされているところを撮影していたので、動画データを今も持っている。

岡本カウアンが15~16歳の無名ジュニアの頃、名古屋コンビニバイトしている様子が撮られている。

名古屋ホテルスイートルームキングサイズベッドにジャニーさん平野紫耀岡本カウアンの3人で寝て、平野紫耀岡本カウアンの2人同時に性虐待されたこともあるとのこと。

ジャニーさんの家の合鍵をもらい、スペオキスペシャルお気に入りの略)として優遇された。合鍵は今も持っている。

2014年17歳頃、ドラマGTO」に生徒の大場拓矢役で出演。

2016年6月20歳ときに、ドラマで共演していた女優とのデートを撮られ、ジャニーズ事務所を退所。

2019年7月9日ジャニーさん87歳で死亡。

2020年1月22日タッキーお気に入り(タキニと呼ばれていた)の「Snow Man」がデビュー

2021年11月12日ジャニーさんの姉のメリー喜多川の娘のお気に入りの「なにわ男子」がデビュー

ジャニーズ事務所は、ジャニーさん生前ジャニーさんに性奉仕してお気に入りになれば優遇されて大きな仕事が来て芸能人になれる仕組みだったのが、

ジャニーさん死亡により、タッキー派閥メリーさん派閥ができるなどして、誰に奉仕すれば報われるのかという秩序に混乱が生じて弱体化しているようだね。

キンプリから脱退予定の3人も、ジャニーさん特別に気に入られていたが、メリーさんの娘に権力が移行した今はメリーさんの娘のお気に入りが「なにわ男子」なので、

冷遇されるようになって脱退という説が出ているね。

 

名古屋コンビニバイト高校生が、17歳ドラマGTOに出演して、20歳になる頃には女優デートする立場になれる、夢があるね。

でもそのためにはジャニーさんに気に入られて、フェラチオされなければならない。それがジャニーズ事務所だったんだね。

2022-11-02

マツコデラックスがっかりしたこと

3年くらい前にマツコは新しい地図をボロクソに言っていた。

その時は「他のタレント酷評することは珍しいな」と思った。

マツコ、ボロクソ批判した「新しい地図」と共演で一触即発危機!?

https://asagei.biz/excerpt/5961

今年のマツコ会議堂本剛と共演した時に、マツコはメリー喜多川氏と仲が良く、食事などによく行っていたと話していた。

https://www.ntv.co.jp/matsukokaigi/articles/6raeexiv3i466riij.html

「なるほど!メリーさんと仲いいか新しい地図をボロクソに叩いたのね!」

と納得したのだがガッカリもした。マツコもなんやかんやで忖度しているのね。

タレントとして息が長いか世渡り上手なんだろうけど少し残念な気持ちになった。

2017-01-04

SMAP解散問題について、思うこと。

SMAP解散については死ぬほど記事を読んだつもりだ。いろんな説があって、どれが正しいかだなんて私達一般庶民永久に知ることができない。それでもこのことについて書きたいと思ったのは、一年前のあの謝罪会見に憤りを感じていたからだと思う。

SMAPほど安定したグループはないと思っていた。わたしの年より長い間グループを続けていて、彼らにとっては人生SMAPでなかった期間よりSMAPであった時間のほうが長いのだから森且行の脱退や稲垣・草彅の逮捕などがあっても、メンバー同士支え合って前向きに活動を続けていく姿勢には何度も心を打たれた。

SMAP×SMAP最終回を見たあと、

家族SMAP解散問題モヤモヤを感じることを始めて話した。しかし父は「創業一家反旗を挙げた元マネージャーが社内で我を出しすぎた」と言った。社会人になると、大人になると、こういうお固い考えになってしまうのか、と少し悲しくなった。

Yahoo!知恵袋のある質問への回答にも、似たようなことが書かれている。

「成績が良いからって、いち社員が他の社員を何人も引き抜いて辞めようとしたら、そりゃ追い出されますよね。会社という箱があってこその成績でしょ、と。

会社を裏切って辞めようとした社員しかり。結局行き場がなくなって、まだ会社に置いてもらえるのを感謝すべきと思いますね。」

(引用:http://m.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/q11162951186)

SMAPファンにも社会人は多い(寧ろ社会人の方が多いのではないのだろうか)のであれば、この会社制裁が仕方ないと思ってしまう人もわりと多いのだと思うーーこれが人々に夢を与えるアイドル」についての話題でなければ。もしこれが一般企業のゴタゴタであれば、この結末をしょうがないと思ってしまう人も多いのではないのだろうか。

怖いことに、ある事態が同じ構造だとしても、そこに当てはまる具体的な人物が違うと、物の見え方はガラリと変わる。

上述の知恵袋の回答を見ればよくわかるだろう。父の言うことが受け入れがたかった私にも知恵袋のアンサーが言っていることは受け入れられた。

問題は先程挙げたように、これが人々に夢を与える職業である芸能界の、しかジャニーズ事務所で起こったことであるという点だ。



"芸能人だって我々と同じ人である"

そんなことは頭で理解していても、ファンは心で理解することができない。

ついこの間松潤AV女優葵つかさ熱愛報道がされた時に、葵つかさツイッターに、あたかも「葵つかさ松潤を騙して交際している」といったようなリプライをつけているアカウントが多数見受けられた。

それを傍観していたアカウントでは「彼らには松潤が好きで(葵つかさと)付き合っていることを想定しないのか」とツイートをしていた。

SMAPの多くのファンも同じようなモノの見方をしている。ツイッターで''SMAP''と調べると、「事務所解散させた」「不仲説は嘘だ」という主張をするツイートがあとをたたない。

冒頭で私は「何が正しいのかはわからない」と言った。けれど様々な報道ネット記事を見る限り、それらは客観性に欠ける意見なような気もする。それでもファンはそれらを信じなければ、彼らが信じてきた「SMAP」が壊れてしまうから、5人は仲良しだと、信じ続けるのだろう。それは一種信仰のようなもの

ジャニーズ事務所はその信仰者たちに夢を売っているのだ。それを全く理解していないのだろうか。メリー喜多川副社長が元マネージャーに言ったことは一般企業としては間違いではない。一対一で言うのであれば構わなかった。けれど、それを文春という、パプリック雑誌で行い、元マネージャー屈辱を味合わせた。そしてそれを信仰者=ファン達に見せてしまった。

創業一家が社内で最たる権力者でいることを否定するつもりはない。しかし、それを外に出してはいけない。しかも人々から崇められる存在であるジャニーズ所属している事務所なら尚更だ。人はそこに一般企業では「しょうがない」と言ってしまうような感性は持ち合わせず、どうしても清く美しい正義感を持ち出してしまうのだ。「それはおかしい」と。





ここまで、SMAP解散とそれを取り巻く人たちを斜に構えて見るといういやらしいことをしてきたわけだが、最後に私のごくごく個人的な想いを述べて、この文を終わりたいと思う。

私はSMAP解散して良かったと感じている。SMAP熱狂的なファンというわけではなく、物心ついた時からSMAPが有名で、SMAPテレビ活躍しているのが当たり前な世の中で生きてきた。色んな芸能人が出てきては消えることが繰り返される中、SMAPはずっと安定して私達に元気を与えてくれた。

でも、一年前のあの会見を見て

事実上の存続宣言と各紙が伝える中、わたし違和感を拭えなかった。あんなに安定した存在だったSMAPが、メンバーの中で逮捕者が出ても自分たち言葉で発信を続けていたSMAP

続けるだなんて一言も言ってなくて

曖昧言葉

しかも会見を仕切ってるのはリーダー中居くんではなく木村くんで

何よりメンバーがこんな顔をするくらいなら、解散しちゃった方が良かったんじゃないかって思った。それくらい、見ていて辛かった。

から夏に解散決定の報道が出た時、残念に思いながらホッとしてしまった自分もいた。


メンバーはこれからSMAPではない新しい人生を送っていく。

私は少数派かもしれないけどSMAPではなくなった5人がそれぞれのびのびと、好きなように生きていけることを願うばかりである

どうか彼らが、これからは何かに縛られず自分の生きたいように生きられますように。とりのように、羽ばたけますように。

2016-12-09

SMAP解散報道における8月10日から13日の時系列が奇妙。

同年8月10日午後4時3人のメンバー社長解散要求をしたと報道されているが同じ時刻に社長SMAPの後輩のコンサート会場で目撃されている。また、事務所によれば、8月12日SMAPの4人のメンバーが一緒に話したとあるが、1人は朝から仕事をしていて、1人はお昼から夜中まで仕事だった。



8月10日の件】

週刊新潮2016年8月25日秋風月特大号((www.shinchosha.co.jp/shukanshincho/backnumber/20160817/))に「SMAP解散魑魅魍魎」という記事掲載された。記事は「総力取材特集」と銘打っている。しかしこの記事はいくつかの疑問点がある。以下それらの疑問点について検証してみたい。

記事ではある「芸能関係者」が何月何日にこういう事があったと非常に詳細な時系列を述べており、それゆえこ記事は大変信憑性があるもののように見えるのだが、その中に次のような記述がある。

そして翌日午後4時、蓋を開けてみるとジャニー氏の元に木村以外の4人がやってきて1時間半近く面談。(p.25)

この「翌日」は2016年8月10日のことであるしかしこの日はジャニーズグループABC-Zのコンサート国立代々木競技場第一体育館で開催されており、ジャニー氏はこのコンサートを見に来ていた事が、当日コンサートに参加していた複数ファンによってその日のうちにTwitterで呟かれていた((www.cyzowoman.com/2016/08/post_21415.html))。ある呟きによると、ジャニー氏は開演3分ぐらい前に会場に入ってきたという。開演時間17時であり、開演が若干遅れたという話もあるが、やはり17時ごろにはジャニー氏は代々木体育館にいたと見て問題ないだろう。とすると「16時から1時間半近く」メンバー面談したというジャニー氏は一体誰だったのか?

この8月10日ジャニー氏との面談で4人が「解散」を申し入れたとの報道新潮以外のメディアでも一貫している。どれも情報ソース事務所であるSMAPから提供されたのでない限り、もう一方の当事者である事務所しかこ情報提供できない)からであろうが、これまで「休業」でまとまっていたものを4人がいきなり「解散」を言い出したとされている。しかしもしそうであれば、ジャニー氏はじめ事務所側は驚き、説得にそれなりの時間を費やすのではないだろうか。「解散」ともなればジャニーズ事務所経済的損失は計り知れない。もし16時からジャニー氏との面談で「解散」が決まったのであれば、その面談は1時間以下であったことになる。そのような短時間事務所にとってもこれほどの大事が決まるものだろうか?

8月12日の件】

8月25日発売の「週刊文春9月1日号((shukan.bunshun.jp/articles/-/6484))では、それとは少し違う時系列となっている。文春によれば、10日の面談ではジャニー氏が反対したため、12日に事務所顧問小杉理宇造氏(文春の記事はこの小杉氏がソースであると推測される部分が多い)がメンバー4人と面談し、その後役員会にて13日深夜(12日深夜で日付的には13日と思われる)に解散正式決定した。ジャニー氏は最後まで反対であったという。筆頭株主であり社長ジャニー氏が反対なのに解散が決定できるのかという疑問はここではさておく。

12日にジャニーズ事務所からSMAP解散」についてマスコミレクチャーがあったことは、芸能レポーターTV番組で話している((www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/187789))。また、8月25日発売「週刊新潮9月1日号によれば、このレクチャーは「12日夜」であったという。週刊文春が13日早朝に自宅を出る中居を直撃し(注1)、解散発表が13日深夜(ネットメディアによる第一報は13日22時頃)であったことからも、事務所マスコミレクチャーしたのは12日の夜であり、この時には解散は決まっていたとみて間違いないだろう。

しかし、12日は中居TBSリオ五輪生中継が朝9時から12時まであり、朝早くから少なくとも12時まではTBSにいた。一方香取はこの日「おじゃMAP!!」のロケを昼12時過ぎから深夜1時過ぎまで行っている。12日の深夜までこの二人が揃うことは物理的に不可能である

12日に香取が収録したのは8月24日放送佐々木健介とのロケと、8月31日放送渡辺直美とのロケの2本である佐々木健介8月12日ブログ((ameblo.jp/sasaki-kensuke-blog/day-20160812.html))で「ノンストップが終わって、そのまま《おじゃMAP!!》の皆さんにお世話になりました」と書いている。この日11:48のエントリー((ameblo.jp/sasaki-kensuke-blog/day2-20160812.html))では「(ノンストップ)終わったすぐですが、これからロケに行って来ますとあることから、昼の12時ごろにはロケスタートしていると考えられる。また、12:30頃にはフジテレビにおいて佐々木香取、及び番組レギュラー山崎弘也の目撃談がTwitter投稿されている(この日のロケフジテレビ玄関からスタートであった)。また、同日18:30過ぎには表参道(この回のロケの最終目的地)で佐々木香取山崎の目撃談がTwitter投稿されており、少なくともこの時間まではロケであったことがわかる。

その後、20時過ぎには代々木公園渡辺直美香取山崎の目撃談がTwitter投稿されている。その後渋谷ロケを行った後、亀戸に移動してのロケではロケの進行とともに「PM11:20」「PM11:50」「AM0:30」のテロップが画面に出た。さらに「おじゃMAP!!」では毎回ロケ後に山崎番組宣伝するための動画撮影しているのだが、この回の動画((www.youtube.com/watch?v=qOb4tziidEo))では山崎は「今深夜1:12」と述べている。

注1:

8月17日発売「週刊文春」((shukan.bunshun.jp/articles/-/6453))によると、

解散発表前日の十三日朝、リオ五輪番組に出演するために自宅を出た中居を直撃した」(p.29)

というが、この日のTBSリオ五輪中継は朝7時からであり、自宅を出たのは5時前であると推測される。したがって、文春が解散について知ったのはそれより前である

文春9月1日号に今までの報道と相違がある件を画像でまとめてみた((ch300flowers.moo.jp/newpage2.html))。

8月10日から13日の件】

報道どおり「10日面談、11日の役員会で正式決定」であったとしよう。その場合、「なぜジャニーズ事務所はこれほど事を急いだのか?」という疑問をもたざるを得ない。以下この時系列が正しいと仮定して検証してみよう。

10日の16時からジャニー氏と面談したのであれば、面談時間は1時間以下である。「SMAP解散」は首相以下閣僚コメントし、New York TIMES((www.nytimes.com/2016/08/20/world/asia/japan-smap-breakup.html))やBBC((www.bbc.com/news/world-asia-37075638))でも報道され、NHKすら五輪中継中に速報テロップを入れるほどの大事であるジャニーズ事務所にとっても大きな売上げ(注2)を失う事態となる。それほどのことをメンバーと1時間も話していないうちに「よしわかった」となるものだろうか。それまでメンバーから解散」という言葉は出ていないことは各紙とも一致している。事務所にとっては寝耳に水の発言のはずである。そもそも「解散したい」「はいどうぞ」となるほどタレント意志尊重してくれる事務所なら、2016年1月18日スマスマでの公開謝罪は行われなかったであろう。

しか事務所は翌11日には役員会を開いて解散正式決定してしまう。まるで「解散」という言葉メンバーから出る事を待ち構えていたかのようだ。この時、木村拓哉ハワイ家族と休暇中のため不在である((www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2016/08/22/kiji/K20160822013218160.html))。木村自身にとっても大きな影響を与える決定を、本人不在のうちに行えるものだろうか。木村帰国するまで待つ、あるいは「こういう事態になったから今すぐ帰って来い」と言えなかったのだろうか。

そして12日にマスコミを集めてレクチャー、13日深夜には発表と、ジャニーズ事務所は迅速すぎるほど迅速に動いている。まるであらかじめスケジュールが決まっていて用意されていたかのようである。これほど急いで五輪開催中に(事務所所属中居櫻井TBS日テレ五輪キャスターを務めている)「解散」を発表しなければならなかったのはなぜだろうか。

どのように発表するか、CMスポンサーTV局にはどう説明するか、解散までのタイムスケジュールはどうするか、ファンクラブの取り扱いはどうするか。「解散」が決まったあとで事務所が決めなくてはいけないことは山ほどある。しかも、実質的経営者であるメリー喜多川副社長と、その娘であり次期社長であるジュリー藤島氏は13日からハワイで休暇である((www.asagei.com/excerpt/64244))。重要なことはその前に全て決めてしまわなくてはいけないのだが、それに充分な時間があったのだろうか。疑問は尽きない。

注2:

「文藝春秋」2016年3月号((gekkan.bunshun.jp/articles/-/1792))によると、ジャニーズ事務所

連結で年間七百億~一千億円の売り上げが推測される。そのうちSMAPの売上げは二百五十億円と言われています。[経済専門誌記者](p.195)

2016-08-27

メリー喜多川宅に大便がまかれた事件だが

メディアSMAPファンがやったと決めつけているがSMAPの誰かがやった可能性もあると思う。

2016-01-20

SMAP解散騒動についての報道パズル

まずはこちらの記事を読んで欲しい。

SMAP騒動 誤解が生んだ2つの独立話 マネ“暴走”知らず4人困惑 ― スポニチ Sponichi Annex 芸能

別の記事によるとスポニチ関係者から情報を得ていたようだ。

書き方はともかく、ここで書かれた出来事のものはあったのだろうと思われる。

まず浮上したのは円満独立だった。メリー喜多川副社長(89)が藤島ジュリー景子副社長(49)を事務所の次期社長就任させたいという意思がある中で、8月、ジュリー氏との確執ささやかれていた女性マネジャー(58)を、SMAPと一緒に独立させる話が持ち上がった。ただ、事務所確執もないのに退社することは筋が通らないと感じた木村だけ同調せず、立ち消えとなった。

SMAP騒動 誤解が生んだ2つの独立話 マネ“暴走”知らず4人困惑 ― スポニチ Sponichi Annex 芸能

これはもちろん2015年1月週刊文春SMAPを連れて出て行け」騒動対応した話だろう。

別の記事ではこう書かれている。

 今回の騒動は、メリー氏との“確執”で、昨年夏ごろから大手芸能事務所関係者バックアップを得てSMAPの育ての親である女性チーフマネジャー、Iさん(58)が5人との独立を探り、Iさん側の弁護士メンバー一人ひとりが面談したという。

 そのうち稲垣吾郎(42)、草なぎ剛(41)、香取慎吾(38)が独立賛同中居正広(43)は態度を保留し、木村拓哉(43)は妻で歌手工藤静香(45)の説得もあり、弁護士と会うことすらしなかった。

【SMAP解散協議】騒動に新事実!中居は弁護士との面談で態度保留していた(2/3ページ) - 産経ニュース

組み合わせて推測するに「SMAP全員が同意するなら連れていってもいい」といったような話だったのではないだろうか。

あらかじめ事務所キムタクを取り込んでいたからそんな条件を付けた…と深読みもできるがそれは措いておく。

こちらの記事には時系列でのまとめがある。

“クーデター”失敗の女性マネ、芸能界去る : スポーツ報知

2015/1メリー喜多川が「週刊文春」のインタビューマネージャーとの確執を語る
2015/夏マネージャー独立を画策し、新しい所属先を探し始める
2015/夏マネージャーが)周囲にジャニーズ事務所を離れることを報告する
2015/11中居正広稲垣吾郎草なぎ剛香取慎吾独立決断する
2015/12木村拓哉事務所残留を決断する
2016/1/12マネージャー事務所子会社ジェイ・ドリーム」を辞任する
2016/1/13騒動が表面化する

SMAP各員が進退を決断する前に、飯島マネージャージャニーズから離れることを公言していたらしい。

これは以下の紅白司会事件が原因なのだろう。

しかし、独断木村SMAP全員をNHK紅白歌合戦の司会に入れようとしたことをメリー氏が知り、「SMAPを連れて出ていけ」と激怒した。

SMAP騒動 誤解が生んだ2つの独立話 マネ“暴走”知らず4人困惑 ― スポニチ Sponichi Annex 芸能

「昨年9月ごろにIマネが紅白歌合戦(NHK)の司会にSMAPブッキングしようとしたんです。そのことがすぐにメリーさんの耳に入り、彼女激怒したんです。とにかく、手がつけられないほど怒っていました」(ジャニーズ事務所関係者)

(中略)

9月後半ごろ、Iさんから焦った様子で“事務所をクビになるんです。どうすればいいでしょうか?”と芸能関係者電話がかかってきたそうです。つまり、IマネはSMAPを受け入れてくれる新しい事務所を、いろいろと探していた。そして、11月ごろには何とか大手芸能プロマネジメントをするということで落ち着きかけたんです」(レコード会社関係者)

SMAPクビ勧告されていた 木村拓哉の裏切りで移籍も破談に|週刊女性PRIME [シュージョプライム] | YOUのココロ刺激する

これで飯島マネージャーの退社(=クビ)は既定路線となり、あとはSMAPがそれについていくかどうかという話になった、と思われる。

しかし「8月円満独立」と「9月飯島クビに伴う独立」は同じ話なのか別の話なのか、このあたりは錯綜していてややこしい。

芸能リポーター井上公造から以下のようなコメントもあった。

「昨年に1回こういう話はありました」「いろいろあったんですが、最終的に"元鞘に収まった"、"一緒にやっていこう"という着地点になったと僕は聞いていました」と明かした。

井上公造氏、SMAP解散報道で独自取材「事務所に残る結論と聞いている」 | マイナビニュース

スポニチを信じるなら独立の話が持ち上がったのは2回、井上公造を信じるなら1回だ。

どちらにせよ、独立の話が持ち上がったが、キムタクの反対で立ち消えになった、という筋は共通している。

キムタクが残留を決めたことで、他のメンバーも「五人一緒でないのなら」と残留を決めたということだろう。

キムタクの残留が「独立が決まってからの突然の裏切り」だったような印象を持っている人も多いと思うが、去年の段階でキムタクが残留を決めていたのは確かなようだ。

飯島マネージャーけが退社し、SMAPジャニーズを離れない、という結論を持って、彼らは年を越した。

それが、年が明けて飯島マネージャー子会社ジェイ・ドリーム」の取締役を辞任した直後に、「キムタクだけ残って他の四人は独立」という形で報道された。

なんとか未然に火事を防いだと思ったら、「火事だ!」という声だけが広まって、本当に火事が起きたようになってしまった、という感じか。

普通に考えれば、この報道ジャニーズ事務所側のリークだろう。

まり、「全員残留」で納得していたのはSMAP側だけで、事務所側(主にメリー)は納得していなかったということではないか。

スポニチが報じるように「SMAPが翻意して独立を画策した」とメリーが誤解したのか、あるいは全てを理解した上での制裁なのか。

ともあれ、こうしてSMAP火事を起こしたわけでもないのに「火事を起こしてすみませんでした」と謝らねばならない状況に追い込まれた、というわけだ。

2016-01-19

アニメ版アイドルマスターシンデレラガールズ2期 ≒ 現在SMAP

346プロダクション美城常務 ≒ ジャニーズ事務所メリー喜多川

美城常務会長の娘、つまりこの常務同族

シンデレラプロジェクトSMAP

シンデレラプロジェクト美城常務の考えているアイドル像とは全く違うやり方である

(リテラソースとなってしまうが、どうやらSMAPメリー喜多川の考えているアイドル像とは違うものらしい)

主人公武内P)は美城常務アイドル像の方針に合わないことから追い込まれ

(今回の飯島マネもメリー喜多川方針とは異なるアイドル像でSMAPを売ってきた)

渋谷凛美城常務側が引き込む

中居デレマスゲームCMをした

2016-01-18

なんかよくわからなくなってきたけど、

ようするに、メリー喜多川が悪いってことでいいの?

http://anond.hatelabo.jp/20160118000740

まさかとは思うが

会社・・・・ジャニーズ事務所

増田・・・・飯島三智マネ

専務・・・・メリー喜多川副社長だけど)

専務の娘で次期社長・・・・藤島ジュリー景子

流派商品・・・・メリー喜多川タレント

増田の開発した商品にしてついて行きたいという部下・・・・スマの四人

って言うつもりじゃないよね?

2009-04-23

エレカシ宮本氏の「狼藉」の件を聞いて思い出したこと

そう言えば。

小学校高学年か中学生の頃、FM東京松任谷由実の「サウンドアドヴェンチャー」をよく聴いていた。日曜の夕方に放送してたんだけどね。

基本的にはリスナーからの葉書ユーミンが読み上げて進行していく番組なんだけど、たまゲストが出演してね、これが結構面白い話がたくさんあったんだよね。

たとえばチェッカーズ藤井フミヤが、自分たちがちょっとロンドンに遊びに行っていて、帰国したら光GENJIが大ブレークしていて、面くらっちゃったと話していたら、ユーミンが言うには、「あ、あたしもそれと同じ経験ある。ちょっと外国に行っている間にチェッカーズが大ブレイクしていて、あの時は驚いちゃったわ」と返したとか。

で、その光GENJIゲストに登場したのだけど。

基本、あの頃の彼らって面がいいだけの猿と同じでしょう? 躾もなんにも出来ていなくて、収録中にも数々の狼藉があって、ユーミンを戦闘モードにさせちゃったのね。特に、対・モロボシに。「おばさん、なにそれ?」とかモロボシが言っていた記憶があり。

モロボシくんもその後、成長したかも知れんですから、この辺は若き日の「武勇伝」ということで。

で、イヤミやらスカシやらでいびり倒したんですよ、ユーミンが。あれ、生放送ではないはずだけど、それがそのまま放送されてたってのも、あの姐ごもいい度胸してるよね。

で、番組に相当、「かーくん」ファンから怒りの葉書が殺到したらしいんですよ。

「なに?おばさん、あんた何様のつもり?」

とか書かれた葉書を十枚くらい、淡々ユーミンが読み上げてゆくわけ、次回放送時に。

何も言わずに、動揺することもなく、淡々と。

そして最後に一言。

「あたしメリーさんと友達なんだからね、そんなこと言っちゃっていいのかなぁ?」

ちなみにメリーさんとはジャニーズ事務所副社長メリー喜多川氏で、ジャニー喜多川氏の実姉。

そして人気が落ちた後、モロボシくんはショウビズの表舞台から消え、ユーミンはいまだに生き残っているのである。

 
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