はてなキーワード: パピルスとは
紙に手書きの方が記憶に残るし思考も捗ることが科学的にも証明されてるのに、続ける意味なんてないんじゃないの?😟
もちろん、板書をただ書き写す労力なんてアホだから、プリント配布するとかすればいいし、
プリントを喪失しても、いつでも出力できるよう、プリントはPDFなりで電子化されていればいいし、
デジタルでパワードされるべきなのは教育者側であって、教育者の労力が削減されるべきであって、
もちろん、それでデジタル弱者が生まれるかもしれないけど、なんとなくだけど、多分GIGAなんとかしたって、そういう人は弱者になるだけだと思う
受験勉強と同じで、自分は勉強に向いているのか、向いていないのか、それがジャッジできればいいだけであって、
それをジャッジした後に、尚も勉強に向いてない人たちに勉強を強制するべきではないと思う
いいかげん、長所を伸ばす教育をするべき出会って、程度の問題はあるが、短所を無理やり強制的に伸ばそうとするの、やめた方がいいと思う
誰もが情報I、情報IIの知識が必要な社会になんて、これからずっと先もそんな社会にはならない
学校で情報なんて習わなくても、情報処理の試験を受ければいいし、興味がある人がやればいいだけであって、
というか、情報以外の教科も本音で言うならそうだと思う、古文はまだ分かるが、漢文の必要性はあまり感じない、だったら中国語やれとさえ思う、役に立つから
教科書をデジタル化する必要もない、教科書は学校に置いておいてもいい
自分は学校で悪質なイジメ、虐待にあった経験者だから、日本の学校も海外みたいにロッカーにするとか、監視カメラを付けるべきだと思う
痴漢防止のために、電車内に監視カメラを付けることにも賛成する
監視されていないと自制心を保てないレベルの人も社会には残念ながら存在する
いずれにしても、タブレットの導入をどうするだの、子供が砂にマシンを埋めただの、仮に子供に与えるのがラズパイだったとしてもざっくり1万円である
ノートやタブレットより1万円のラズパイは安いかもしれないが、それでも毎回砂場に埋められてたらやってられないし、もう1万円という時代でもないしな…😟
電子機器を捨てて、紙を使え、紙を、パピルスがない時代からすれば夢みたいな現代だろ
あと、生成AIみたいなのも出てきて、コンピュータの方が人間に近付いていってるんで、尚更、誰もが情報I、IIの知識が必要な社会なんて尚更尚更来ないし、
情報IIの補足みたいなの一通り眺めたり、試してみたりしたけど、こんな広範囲、全部教えられる人間なんていない、いても酷く広くて浅い知識になってしまうし、
ケーブルテレビSTBでは見られない場合が多いようなのでBSパススルーとか
地域によってはSTBで見られるようになったかもしれないので最新情報要確認
・02 放射(冷却
・03 ヌーベルヴァーグ
・05 [3択]新潟(市
・06 スペース
・07 [すべて][4つ]インドネシア フィリピン ベトナム タイ
・08 千枚(漬け
・09 ゆでたまご
・11 [近似値]7261組
・14 [2択]静 脈
・15 菅田将暉 すだまさき
・16 ルビ
・18 『Get Wild』
・21 エド・はるみ
・25 [3択]こいぬ(座
・27 日本
・29 芸予(諸島
・30 ブイヤベース
あー、いっぱい寝てしまった。12時まで寝て、何にもできていない。もっと時間あったのに、寝るだけの時間を過ごしてしまった。もっといろいろしたかったなぁ。時間があれば、もっと色々考えられたのに、ただ寝てただけなんてもったいないことしてしまった。でも、時間があったら何でもできるってわけじゃなくて、時間がないからこそできることもあるし、行動もスピーディーになるから、そんなに嘆くことでもない。
くそが。マジで、人のもの奪うなよ。人として最下層やで。ほんまに。顔ぶちのめしたい。顔を踏みつけて、何回も何回も何回も、そして、嘲笑われろ。もうお前なんて興味ないねん、って言われて絶望しろ。くそみたいな人生歩め。麻薬やって脳みそくそになって、そのまま死んでしまえ。
なんでなん。なんで裏切るん。なんで言ってくれなかったん?どうして?言ってくれたらなんでも直したのに。ありがとうもごめんねも何も言えなかったやん。せめてもう一度だけあの頃に戻って、すべてを伝えさせてほしい。もう一度会いたい。
ミカンデーモン、パピルス仮眠仮眠神。てんでよくわかめ。サジタリウスうまゆみまゆみ。だーーーーぺとみこ。チョモランマちょちょちぇ。さここさこみジョンキューザック2012ぶちぶりめんこ。朝で寝てうまい。ねめそ。始祖鳥面。パソアパパソコンテネシーテコンドーに正美に覚ます。
https://anond.hatelabo.jp/20210212190921
https://anond.hatelabo.jp/20210212214154
これらの問いに対して、人類が歩んできた歴史の視点からの回答が無いので、記しておきます。
お前らって本という物体に対してだけ異常に過保護じゃない?それにしてもお前らの「本を大事にしろ!本を傷つけるな!」的な反応は過敏で異常だよ。宗教なの?
それは「図書館」っていうシステムが原因だと思う。なんで本だけ特別視されて、自治体が無料で貸出しなくてはいけないのか本当に謎。
これは人類が、本そして情報を手に入れる為に、血みどろの歴史を歩んできたから。
その歴史の教訓によって培われた共通認識を ”宗教” と呼ぶならば、そうかもしれないが。とりあえずは、なぜこうなったのかを紐解いてみましょう。
古来、文字や書物(パピルスや木簡など)は特権階級の軍人や貴族や宗教家のものでした。なぜ特権階級が独占していたかというと、文字を記す為のパピルスや木簡の製造コストが高かった事や、地図や軍事情報など機密に関する内容が記されていたなどが理由です。庶民の識字率も低く、市民が文字を使うとしても帳簿や資産管理としての利用が長年続きます。
しかし15世紀にグーテンベルクの活版印刷機の発明により状況が激変します。書物が大量複製できるようになり、庶民に知識が行き渡るのです。
これまでの世界において、知識や文化とは、口伝や継承によって高いコストをかけて伝承されていく特権階級のものだったのが、複製された本を手に入れることでも誰でも知にアクセスできる時代が到来しました。
当時の特権階級の宗教家達の心情を記した言葉が残されています。
教皇は知識と印刷術を廃止しなければならない。さもなくば、印刷術が最終的には教皇を廃位に追い込むことになろう。
From the Days of Great Dedications - John Fox's Book of Martyrs
印刷術による本の普及により、知が民衆化した。それにより特権階級だったカトリック教会の力が弱まる。
そしてゆくゆくは18世紀にヨーロッパ市民革命に繋がり、ついに貴族の統治する時代が終焉し、民主主義が産声を上がった。
それまで特権階級が保存していた、価値ある美術品や博物品は、市民の手により Museum として共有される事になりました。(英語の Museum が博物館と美術館の両方の意味を備えるのは、貴族から奪った貴重品をいっしょくたに展示した為、美術品や史物の区別をつけなかった事が定着したからとも言われている) 一方、図書館は革命時代より一足はやくに制度化が進んでいたため、 Library という名前で普及していく事になります。
概ね図書館および本という存在が、市民の地道な活動により普及し、普及した成果がさらなる民衆の活動を促した。という見方ができるといえます。
日本図書館協会の「図書館について - 図書館を支える理念」を引用します。これこそが、図書と書籍の歴史を端的にあらわしています。
図書館は、それを生み出す社会の特徴や条件を色濃く反映してきました。戦時下では国家の思想を広める役割を果たすこともありましたし、一方では社会的マイノリティーの権利を守るために働くこともありました。社会の変化の中で、図書館はさまざまな状況におかれてきましたが、いくつもの波にもまれながら、いかなる状況の下でも、すべての人たちに情報を提供するのが「図書館の自由」(Intellectual freedom of libraries)なのだという理念を獲得するに至ります。アメリカでは「図書館の権利宣言」(Library bill of rights、1948年採択)、日本では「図書館の自由に関する宣言」(1954年採択)です。これはあらゆる種類の図書館が守るべき自律的規範として、広く支持を得てきました。また、この原則を守るための専門職の行動規範として、「図書館員の倫理綱領」(Code of ethics for librarians)があります。
私のシンプルな記述だと物足りず不満に思う人もいると思います。興味がある人の為に、図書館の歴史と近代ヨーロッパの歩みについての書籍を紹介するので、それで理解を深めてください(と逃げさせて頂く)
書物の破壊の世界史――シュメールの粘土板からデジタル時代まで
まあ総括して言える事は、本が重要だと長い歴史の中で認められてきた為、今の扱いの重さに至ってるって事ですね。
同じ理屈で、他の疑問にも答えられる。
米とかもそういう節がある気がする(平均的な食品の大事にされ方を遥かに超越して大事にされてる)けど、どういう心情からそれが発生するわけ?
お米は長らく税として徴収されてきた歴史がある。つまりお金と同じ価値でした。
宗教なの?
同じ理屈で返すなら、あなたの財布に入っている一万円札。これはただの紙切れなはずですが、破いて捨てないのはどうしてですか。社会的・歴史的に一万円札の価値と通念が形成されてるから、大切に扱うわけでしょう。ただの紙切れなのに。
本も、米も、お金も、同じことです。
図書館基準で考えるなら、体育館の施設利用自体も無料にしてほしい。図書館は法律がそうだからというのは理解している。それなら体育館もそうすればいいのにってこと。オリンピック的な勢いでそうならないかなぁ。運動する人のことも考えてほしい。
図書館にも有料のものも多くありますが、まあ置いておくとして。この理屈は分からなくはありません。
しかし図書館と同じように、社会に必要とされる意味合いが重くなるなら、きっと体育館も無料になるでしょう。
実は歴史の上でも先例が多数あります。オリンピック繋がりでスパルタの例を紹介しましょう。
古代オリンピック発祥の地にも近い、ギリシアのスパルタ。7歳になった子供はスパルタ国家の寮で生活し、毎日運動がさせられます。費用はもちろんスパルタ国家が全部負担してくれます。無料です。立派な運動教育のすえ、子供は屈強な戦士としてスパルタ国を守る存在となりました。めでたしめでたし。
これはスパルタ教育という言葉で現代にも伝わっていますね。大げさな例を出しましたが、このように社会に必要とされ価値が認められれば、無料になる例には事欠かないと言えます。
日本も高齢化社会が進んでいますし、健康寿命を気にした予算投入も珍しくありません。スパルタ国ほどオーバーな例はないにしても、無料になるところは今後増えると思いますよ。社会に必要とされていますから。
https://togetter.com/li/1378813 読んで思った。
オレってばその道にめっちゃ詳しいんで
正直最近のキモオタクたちがバイブルとか叙事詩とかネタにした作品に「史実と違う💢 捏造するな!💢」とか怒ってんのマジでウケるっていうか冷笑我慢できないっていうか…
そういうのネットの外で言うの辞めた方がいいよ() まじで馬鹿にされるから() 低脳乙()
とここまで半分嘘で半分本気くらい。まず本気で言ってるところは全部自分が経験した事で、神話や伝説の出来事を歴史上の事実であるかのように人前で話すのは、特に何の裏付けもないと馬鹿にされる場合がある。僕がそうで、正確な言い方をするなら「空想上の話をなんの下調べもせず鵜呑みにして人前で得意げに語るような、特別にアホな人間が」「裏付けがまったくない空想の話をまるで真実かのように語るのが決して許されない環境で」やらかしたから、二重に特別だったので馬鹿にされたという話。
つまり、低脳は僕の事なので本当に気にしないで欲しい。でもひどい言い方をしたのでどんなひどい放置をされても何も文句は言わないから思うようにして欲しい。
本題に入る。
まだこの時代にはタイムマシンがないので、大昔の出来事を目で見て、耳で聞いて、本当かどうか確かめるという事はできない。状況証拠を可能な限り探し出して、どうやらそういう事があったらしいと限りなく真実に近い推理をするのが限界である。ただまあ、古代エジプトのファラオの木乃伊が見つかって、パピルスにはどこそこのファラオの胸には北斗七星並びの傷跡があったとされている…ならこの木乃伊はそのファラオ本人で、この木乃伊が発掘された遺跡は古代エジプトの特にいつの時代の…とここまで研究されているなら、このナントカのファラオが神話上の人物であっても実在した事は認めるしかない(このナントカのファラオは喩え話で、完全に僕の中の空想上の存在であるが)。ここで「よって神話は真実だ!」とまで言われるとやはり少し渋りたい気持ちになるので次は神話に登場した超テクノロジーの産物が発掘される日を待つばかりである。
まあようするに、荒唐無稽な神話や伝説の話を歴史として実証する為にはエジプトの砂漠で穴を掘り続けるような途方もない労力が本来なら必要という話なのだ。その途方もない労力が前提とされる場でそれ無くしてそんな話をしはじめると失笑されてしまうという「何を当たり前な」というそれだけのお話。
もちろん、場にそぐわなかったから顰蹙を買ったという失敗談である訳だから、同好が集まって好きなアニメや漫画の話をする場なら特に問題ないと思われる。逆にここで「古代エジプトの架空のファラオが古代エジプト拳法によって諸国を統一した話が元になって現在のエジプト神話が形成された」設定のアニメの話をしている時に「でも冥界の神とかオシリス神とかいる訳ないじゃん…世界史で習わなかったもん…」と発言すると白けられる可能性まである。そういう設定のアニメの話をしているので、歴史上実在した根拠が無くとも本人たちすらその設定を事実として真に受けていなくとも、ここではとりあえずそれらが実在している事にして話が進む。つまり「実在している事にしてもいい」「それが史実であるかのように語ってもいい」場というのがあり、そこでは各々好きに夢や空想を思い描き口にしても許されるのである、たぶん。もし誰かがここまで読んでくれたなら、ありがとう、そういう場をぜひ見つけて欲しいし、もう既にそういう場所にいるならそこを大切にして欲しい、とても得難いものだから。
ここからは蛇足。「神話や伝説を史実と言って欲しくない」というのは完全な建前で、「このアニメは〇〇神話を元ネタにしているが、ウィキペディアに書かれている〇〇神話の説明と違う!」みたいな事を言われると僕が結構白けているというかぶっちゃけ傷ついているというのを主張したかった。流石に「坂本龍馬は女じゃない」「江戸時代の日本人が抗生剤を開発してる訳ない」という批判なら、写真や文字記録から確かめられる当たり前の事実なので甘んじて受け入れたい。それでも面白いアニメなんだよ…と内心思っているだろうけど。
ただまあ神話や伝説となってくると本当にそういう事が実際あったかどうかは確かめようがないし、それを話題にする人によって微妙に内容が違ったりするので、ウィキペディアに書いてある説明文だけを正式な記述扱いにされると寂しいなぁと。大国主がシヴァ神と同一視されていたりされていなかったりしていいし、お爺さんが川に洗濯に行って桃を拾ってくる桃太郎とかあってもいい。ようは受け取る僕か誰かがその話を面白いと思うか思わないか、と。アニメの話だし、空想の話だし、この話はフィクションで実在する人物・団体とは関係ありませんし…生前の大国主や桃太郎が写ってる写真とか残ってないし…。もちろん、これから実在した証拠が見つかって、空想上の話だと思われていた事が本当にあった事だったんだと周知されはじめたら、それはそれで面白いと思う。そういう話したいよね…シュリーマンっていうトロイア戦争の話の大ファンで実際に歴史的発見しちゃった人がいるし。でもゴッドハンドはダメ。
さっき趣味の小町ウォッチングをしていたら嫁が書いたと思われるトピを発見してしまった
嫁が小町ユーザーだったなんてあまりにショックだし、相談内容もショックだし、なんか回答者にボロクソ言われてるし…
http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2018/0109/833209.htm
どうしたらいいでしょう。ちなみに嫁は好きです。スフィンクスはもっと好きです。
追記(2018/1/17 16:55)
そして後悔した。もう一度言う、後悔した。
家に帰るのが猛烈に恐ろしくなってきた。今夜カイロに飛ぼうかな。
以下、レスを少しだけ。
年収お高くてよござんしたね。
ただ離婚は絶対嫌だからお小遣い制の導入は仕方ないかもしれない。
せめて庭では無くエジプト部屋を作ってその中で済む範囲で楽しまれてはどうでしょうか……。
その発想はなかった。
でもスフィンクスを書斎に置いたらもう座る場所なくなっちゃうんだよ。この際スフィンクスの上に乗ろうかな。
自分のヤバさに気が付いていないヤバさを感じるw
え?何がヤバいの?
ツタンカーメンの置物ってどんなの?すごい気になる
これな
https://inzak.jp/event/egypt-interior
本日は美濃加茂市民ミュージアム、美濃和紙の里会館、郡上八幡城、
せっかくだから、もう少し足を延ばそうとする繰り返しで、
小沢艦隊に釣られたハルゼー艦隊のごとく北に突進してしまいました。
わたくしの御髪が縦にカール・ビンソンですの。
そして光秀の書状が展示されていました。
天下人四人の書が拝めるなんてありがたいですわ。
掛け軸にするときに折り目で切断して向きを揃えていると解説がありました。
また、尊敬する相手に触れる前で改行する作法もあったそうですわ。
近隣の城についても紹介があり、ガラスの中でさらに額縁に入っていた
絵が歴史群像の見開きとほぼ同じサイズで驚きました。縮小コピーじゃなかったのですね。
棒人間的な人物は米粒の表面に描けるくらいの小ささで作業の細かさに圧倒されました。
せめて入館料をとらないゾーンに展示されたほうが……。
こうぞ5500gから長い工程を経て得られる和紙は220gとのことです。
青森、千葉、神奈川、香川、長崎のみ和紙がありませんでしたわ。
歴史上にはパピルス以外に樹皮や椰子の葉をたたいて合わせた「紙」も
あったことを知りました。
あと、入り口付近に「ギネスに挑戦!60mの手すき紙プロジェクト」の企画が紹介されていましたが、
よく紙をみると右下に小さく「※ギネスへは挑戦していません」と書いてありましたわ。
えっ?ええっ??
長良川沿いをさかのぼっていくと郡上八幡城のある郡上市に入ります。
(屋根から落ちた雪がいきおいよく人にぶつかることを防ぐ突起のついた瓦)が
使われていて、豪雪地帯に入ったことを感じましたの。
古い景観をとどめる町の中はうだつ上がりすぎて、うだつあがり症状態でしたわ。
「およしさん(17)」が萌えキャラ化されていて、およしなさいと本気で思いました。
およしさんはデザインは東北ずん子さんに似ているというか、おキヌちゃんの系譜でしょうか。
関ヶ原絡みの局地戦で戦術的には負けながらも郡上八幡城を取り戻した遠藤慶隆は
成功した
小田氏治みたいですわ。
こちらは戦国大名、東(「あずま」でも「ひがし」でもなく「とう」)氏の
篠脇城は畝状竪堀群のある山城で、千葉から来たという東氏がその技術を得た
経緯がとても興味深いですの。
そういえば途中の国道156号線にデイリーヤマザキが連続で現れる場所がありましたわ。
古今伝授といえば
有名ですけれど、まさにその古今伝授の源流にあるのが
九代目東常縁なのだそうです。
それに関連して和歌文学館では古代から現代までの代表的歌人が九人選定されていましたわ。
選者の意見があけすけに書かれていて興味深かったですの。
その上にある篠脇山荘は歌詠みの会をする研修会館のようですが、
何もしていない時は立ち入りが可能で、縁側の椅子に腰掛けて池と篠脇城のある山を眺めていたら
それでも維持するのが、目先の利益を追わずに社会への寄与をめざす
方向を間違えた時が、空恐ろしいですわ。
展示館は2階建てで、1階は各地の工芸品と和紙の作り方の模型展示、
和紙であることを活かした絵画風でありながら立体的な作品には大きな可能性を感じました。
橋本昇三先生の自己組織化したような和紙の格子がついた作品は制作方法が気になりますわ。
他には屏風に和紙を貼った作品の屏風が一部切り欠かれていて、作品が障子になっていたりなどなど。
また、館外にプランターでパピルスが植えられていましたけれど、
せっかくなら名札を立てて欲しいと思いました。もう一種類の草はなんでしたの?
受付の方の対応はとてもよかったのですが、そのあたりが残念でしたわ。
昨日、フジテレビ系列のニュースJAPANを薄ぼんやり観てたら、「ネットの影響力が拡大していますが……」と話を振られた解説委員のナントカさんが全力でかみ合ってない話をしていたのでツッコんでみる。
例えば、オバマ大統領は選挙運動にネットも使ったが、彼の魅力は演説の上手さにある。
日本でもスピーチで自分をアピールできるように、早くからそういう教育をすべきだ。
とかなんとか。
何が的外れかというと、「スピーチ」は「コンテンツ(内容)」で、「インターネット」は「メディア(媒体)」なのに、同列で語ってしまっていること。
というか、尖閣諸島問題で、動画が流出って散々やってたじゃん。
インターネットはただの媒体で、そこに盛り込むコンテンツは、文字情報でもいいし、静止画でもいいし、動画でもいい。(古代ローマの文書を収録したデータベースだってある。パピルス文書の画像だって見られるのだ)。
「インターネットの影響力が拡大している」というのは、「誰でも発信者になれる」というメディアの特性について意見を述べて欲しかったのであって、そこに盛り込むコンテンツの好みなんて聞いてない。
それなのに、この解説委員のナントカさんは、「ファミコンもいいけど外で遊ぼう!」みたいな的外れな意見をドヤ顔で延々と述べてしまっていた。
新しいメディアの登場と普及、という現象は過去にも起きていて、1920年代ころから、「映画」「ラジオ」「テレビ」の順で普及していった。
前後関係は分かんないけど、「蓄音機」「レコード」「テープレコーダー」もある。
これらの過去の「新しいメディア」の特徴は、メディア(媒体)と、そこに乗せて運ばれるコンテンツ(内容)が、だいたい一対一対応していたことだ。
だから、「テレビの普及」は、「動画の普及」と言い換えても、そんなに間違いではない。
"video kills radiostar"ではないが、「テレビが普及したので、これからは音声だけじゃなく身なりにも気を使わないといけませんね」というのは正しいのだ。
デジタル化してしまえば、文字情報も、音声も、動画も、すべて同じように配信できてしまう。
これが、大昔(なぜか1920年代より昔に感じる)「デジタル時代の到来」だ何だと騒がれていたことの、そもそもの本質ではないのか。
あのころ、一通り大騒ぎをしたはずなのに、この解説委員のオッチャンはきれいさっぱり忘れて、インターネットを文字情報主体のコンテンツと一対一で結びつけようとしている。
せいぜい、「2ちゃんねる」とか「ブログ」とか、ひょっとしたら「ツイッター」くらいしかイメージできていないのだろう。
そんなわけで、このオッチャンは恐ろしく不勉強で、過去の経験すら忘れ、メディアとコンテンツの区別という基本的なことも出来ていない。
そのため、「ネットよりスピーチ」という的外れな話題で時間をつぶしてしまった。
しかも、そのことに気づくチャンスは、ちゃんと番組を観ていれば、それなりにあったはずなのだ。
この質問の前のニュースでは、色々な国で、若者や庶民の不満がネットを通じて共有され、政治運動につながっているという話をやっていた。
つまり、「無名の人々が双方向性のメディアで意見を交換し合い、結合していく」という、まさにインターネットというメディアに特徴的な現象を話題にしていた。
彼の主張は、この直前のニュースとすら、噛み合っていない。
オッチャンは、「スピーチも大切だ」という。
オバマさんは、大統領候補だったから、そのスピーチを多くの人が聞いたのだ。
聞いてもらえなければ、スピーチの上手い下手なんて関係ない。
普通の人のスピーチが問題になるのは、顔の見える範囲、せいぜいが会社のプレゼン程度だろう。
そういう意味ではスピーチ能力は重要なのだが、そういう話は誰もしていない。
そこで「スピーチ」がどういう位置を占めるかを論じないと意味がない。
ここでは、コンテンツ同士の優劣が問題になる。
受け取るのにコスト(手間)はかからないが情報量の少ない「テキスト」と、コストはかかるが情報量の多い「スピーチ(動画)」が対比されなければおかしい。
インターネットで政治運動を繰り広げている人々は、無名だからこそ、「テキスト」で意見を交換する。
しかし、例えばグループのリーダーとして、知名度が上がれば、「スピーチ」を再生してもらえるようになる。
また、集会などを開けば、「スピーチ」が会合の中心になるだろう。
そのときのために、スピーチ能力も磨いておかなければならない。
というのなら、まだ分からなくもない。
しかし、このオッチャンの言ってるのは、そういうことじゃない。
専制国家で、政治に不満のある人々がインターネットを通じて意見を交換している。
そこでオッチャンは言う。
「たしかにインターネットも大事だけど、スピーチも大切だ。そこで、日本人もスピーチ能力を磨いて……」
どうしろと言うんだ。
僕が中共政府の民族政策を素晴らしいスピーチで批判したら、それが中国の民主化に繋がるとでもいうのか。
そもそも、僕のスピーチは、どういうメディアで聴き手の元に届けられるのか?
彼の解説は、ガンダムオタクが、「最近はアニメ増えてるね」と言われて、「でもガンダムの最新作の評判はね……!」と聞かれてもいないことを語り出すのと同じ構図になっている。
要するに、彼の思うところの「インターネッツ」(たぶん掲示板とか)の影響力を過少評価したくてたまらなくって、インターネットについて話を振られた瞬間、もうそういうことしか話せなくなってしまったんだと思う。