はてなキーワード: チケットとは
週1日に規制すれば、安直な計算で14%(1/7)なので、不急(娯楽など)かどうかを区別する必要性自体がないと思う
そもそも、仕事はOK、娯楽はNGという現状のは科学的に意味はないし
チケット式の場合の不正売買は確かに起きそうな問題ではある、となると番地式のほうがよさそう(身分証の住所を偽装するのは既存の法律で罪に問えそうですし)
本当にそれだよね
例えばだけど、「住所の番地を7で割ったあまりに対応する曜日だけは外出可能」あるいは「毎週決まった枚数の外出許可チケットを配布(1枚のチケットは1日しか使えない)」みたいな仕組みを作って、外出許可を満たしていない場合は即罰金みたいな感じにしないと意味ないよね
中止になった舞台やコンサート、ライブのチケットを払い戻さず推しにお金がいくように支援するというオタク
やめた方がいい
チケットは推しの芸を見る対価なんだから行われていないイベントのチケットのためにお金を消費しないで!
チケット代くらい大した出費じゃないよという富裕層は払い戻ししたくないならしないでもいいけど
貧乏人、庶民、中流階級程度の人間が行われなかったイベントのチケットの払い戻しをしないのはマジでメリットないよ
あなたの推しは行われていないイベントの給料が口座に振り込まれて喜ぶ人なんでしょうか?
表現者としてのプライドがある推しなら反応はビミョーなんじゃないでしょうか?
やってない仕事のお金が振り込まれてラッキーって思う人間なんですかあなたの推しは
中止になったイベントのチケットはきちんと払い戻しして、そのお金でグッズとか円盤とか買いましょう!!
庶民がチケット代を失うのはもったいないよ。本当は推しのパフォーマンスのためのお金なのに
それにその払い戻ししなかったチケット代、推しの口座に振り込まれるかどうかもわからないよ。
払い戻ししなかったお金がどうなるのか調べたの?
"布マスク批判"を指摘の朝日記者に首相が反撃 「御社も3300円で販売」
https://mainichi.jp/articles/20200417/k00/00m/040/325000c
安倍首相は4月17日の会見で「布マスクに対して国民から批判がある」という朝日新聞の質問に対して、以下のように回答しています。
御社のネットでも布マスクを3300円で販売しておられたと承知している。つまり、そのような需要も十分にある中で2枚の配布をさせていただいた
まずここで疑問なのが、朝日のネットショップで布マスクが売られていたからと言って配布される布マスクにも需要があるという意見は、論理的におかしいという点です。同様の製品で売り切れになっていたと言うならわかりますが、販売しているだけでは需要があるとは言い切れません。
さらに、実際に朝日で売られていたマスクはどのような商品だったか確認してみました。すでに商品ページはなくなっているので、インターネットアーカイブで確認しました。
表裏2層のガーゼの間には、医療用レベルの脱脂綿と不織布シートをはさんだ4層構造。飛沫や花粉との接触が避けられます。キルティング加工ならではの立体構造で、外周は密着しつつ、内部は肌との間に空間ができ、息苦しさが少なく口紅やメイクも付着しにくいのが特長です
説明文や画像からもわかる通り、今回国から配布されている布マスクとは性能的にも全く異なります。商品にはガーゼマスクと書いていますが、不織布が含まれているため純粋な布マスクとは別物で、朝日新聞SHOPのマスクのほうが高性能です。安倍首相は異なる性能のものを比べて、国から配布する布マスクも需要が十分にあると回答しているのです。個人的にはこの回答は妥当なものではないと思います。たとえば、プロ野球の一軍戦でチケットが完売するからと言って、二軍戦のチケットも同程度の枚数売れると考えているのと同じようなものです。
ちなみに朝日で売られていた同じ商品と思われるものが楽天でも売られており、こちらは追加生産分も今のところすべて完売しているようです。
ウチの嫁さん、病院の総務で事務やってるけど、かなりヤバいらしい。
新型コロナ患者用に、専用の外来受付を用意しているのはいいとして、そこまでの動線は全然隔離されてない。それはまあしゃあない部分もあるだろうけど、そっちに来た患者にも普通に駐車場の無料券を配ってて、そしてそのチケットは回収して再利用する流れになってるらしい。その仕分けをやらされるらしいのだけど、感染の疑いが濃厚な患者が使った駐車券って、どう考えても感染経路になり得る。そんな話をしていた。こんなときだし、来院数も減ってるから駐車場のゲートを開放したほうがいいんじゃないというのだけれど、そういう単純な対策さえ、病院はとろうとしていない。
感染対策の部門はしばらく前(騒動が始まる前)にできていたらしいのだけれど、担当者は2名で、そのうちの1名(看護師)は今回の騒動が始まって病棟の方に応援で回されたと。対策部門が1人だったら、そりゃ適切な対処もできんよなあと納得。
2月頃からコロナの影響で舞台やイベントが軒並み中止になった。
残念だけど状況が状況だし仕方ないよね、せめて推しの足しになるように…とチケット代は払い戻ししなかった。
そのうえ遠征でかかるお金が浮いた分、今こそ経済を回そう!とグッズ等を買いまくった。
飲食店や夜の街など、ニュースで取り沙汰されてる業種ではない。まさか自分がこんなに影響被るとは思わなかった。
貯金はギリギリ。入ってくる給料をあてにしてクレカ支払いにしていた分が重い。
完全休業ではないので仕事は中途半端にあるし、そもそも帰省者からの感染とかよく聞くし、実家に帰る訳にはいかない。
この状況を誰かに愚痴りたくてオタクの友達と通話したら、なんとなく歯切れが悪かった。
相手は影響を受けにくい業種で、収入も残業代が減る程度の変化しかないとのことだった。
これは私も悪いのですが、同じ金銭感覚で同じくらいの財力(オタ活に費やす金額が同じくらい)の相手だったので、勝手に自分と同じ経済状況にいると思い込んでしまった。
友達にも逆に気を遣わせてしまい、「米とか送ろうか」と言わせてしまった。優しさがありがたかったけど断った。
今はなんとか持ち堪えてるけど、どうしようもなくなったら家にあるグッズを売って生活の足しにします。
冒頭のチケットもてのひら返して払い戻しできるものは全部した。一部受付間に合わなかったのもあった。
数ヶ月は頑張れる。でも一年とか言われたら破綻するなこれ。副業始めるか。
その前に職場なくなってるかも。転職活動もすべきかもしれないけど拾ってくれるとかあるかしら。
教訓というか身に染みて思ったこと
・仲のいい友達でも経済状況は同じではない(むやみに話題にしない方がいい)
・貯金するべき
皆さんご自愛ください。
外出自粛である以上「頭を使って外出する」か「何していいかわからないなら黙って家にいろ」が最適解である。
ところが「考えてもしょうがない。なるようになる。全ては運だ。」と未だ脳死の人も多い。
情報が溢れ過ぎてお腹いっぱいなのはわかる。だがコロナは運じゃない。コロナ攻略本あげるからレベル上げして戦ってくれ。
・感染力 :1人がうつす人の数1.4~2.5人(3.3~5.5人とみる機関有り)
・発症による致死率:0.06%(4/15世界死者数から。国別、世代別は10%超えのところも)
・潜伏期間 :1~14日
・感染者の種類 :保菌者(感染しているが無症状)と発症者(軽症・中等症・重症)がいる
○コロナとは 「どうやってかかるか」
・1位飛沫感染:感染者から2m飛散する唾・しぶきを吸い込む。(咳くしゃみ会話呼吸で出る)
・2位接触感染:ウィルスが付いたものを触る→その手で目鼻口を触る。
・3位空気感染:事例なし(※感染数の伸びから消去法で消された経路。経路不明が増加中のため注意が必要)
・4位経口感染:事例なし(※人以外の動物も感染確認されているため注意が必要)
○コロナとは 「どうやって予防するか」
・1位飛沫感染:マスク。 密閉空間、 密集場所、 密接を避ける。咳エチケット。
・2位接触感染:メガネ、マスク(無意識に目鼻口を触らせない)。 密接を避ける。アルコール消毒、手洗い。
・4位経口感染:加熱処理。
自宅待機(0~4日)
陰性確認(2日~3日)
退院(0~1日)
退院後経過観察(14日)※自宅待機なんてことも
○コロナとは 「どうやって人を殺すか」
・発症で死亡:治療方法は無い。入院しても栄養管理と解熱や呼吸を助ける処置をするだけ。
・経済で死亡:社会の経済が死亡・・・不安で需要増、社会活動停滞で供給減。食品・衛生・衣類の不足、雇用の減少。
・精神が死亡:不安による鬱。過剰反応による性格矯正。DVや自傷行為。
・医療崩壊で死亡:他の病気でも今まで同じ治療が受けられない。
○コロナとは 「死なないためにできること」
・基礎疾患がある人
・心神耗弱者
→突如重症化で動けず死ぬリスク、食料・持病薬・衛生品が尽きるリスク、入院準備
きっと発信者に悪意は無いし、権利者もこの人の意見を強く否定する程では無いと思う。でもこの人の善意による発言が、権利者の、あるいは人類史の妨げになると思うので記す。
まず創作物の権利は、当局の著作権法や万国著作権条約によって定められている。しかしその規定された制約ではなく、独自のルールで利用されたいという人は居る。それは権利者の権利である。
今回、多くの興行が中止された。特にチケットを販売済みでその日時に表現をしていたはずの表現者は、インターネット上で代わりのコンテンツを配給しているようだ (もちろん興行に関わる人への利益になるよう調整をしている人も居る) 。その中で、該当コンテンツは「コラボ」を許容した。該当ライセンス記述は以下のとおりだ。
非常に曖昧なライセンスである。権利者が権利を曖昧にする理由は様々だが、該当コンテンツの場合は自由に何かを作って欲しいから、作ることによって辛い気持ちを乗り越えて欲しいからだろう。
安倍首相の Twitter アカウントで、この動画と組み合わせて作ったコンテンツは、とても多くの人に不快感を与えた。表現である以上、評価はコンテンツに触れた人の解釈に委ねられる。でも、 安倍総理の星野源さんコラボは何が問題だったのか / 音楽家からの視点と分析 の主張は違う。「その利用方法が間違っている」と言うのだ。
星野源さんについて詳しく無い (書籍のエッセイは全部読んだが) ので、ブコメを参考にした所によると、この楽曲は「家に籠もることができない人も含めて、自分の心の内の世界で踊ろう」というメッセージらしい (後日に対象の発言を正確に引用してこの節を書き換えるかもしれない)。だとしたら、「ダンス」に「日常生活を送る姿」が含まれる可能性はある。それぞれなりの生活を楽曲になぞらえる、あるいは楽曲から想起され日常に気づき、それを表現するということはあり得る。楽曲と、楽曲の解釈を自分なりに表現したもの。それによって作られたものであれば、権利者は容認し得るだろう。そうでないと言えるのは、ダンスとダンスではないものを規定できる人だけだ(それも権利者の権利を上書きする力は無いが)。
この人が「これはセッションではない」と言うことは、その可能性を閉じることである。
権利者から提示されるライセンスは、権利者と利用者との契約であり、契約に反する場合は当局の法令によって裁かれる。 つまり非権利者が「これは違う」と言うことは、コンテンツの利用者を犯罪者と断定する行為である。
今回の騒動で、権利者は「違う」と言わなかった。一方でこの人は「違う」と言い、それは多くの人の注目を集めた。場合によっては「違う」という意見が多勢となり、「解釈を間違った人は犯罪者である」という状況を作るだろう。これは誇張ではない。
権利者がコンテンツに対してのライセンスを規定できるということは、「コラボ」が許される期間を 100 年程短縮する (権利発生時から権利者の死亡までを 50 年と仮定。日本の著作権法による) 。そのコラボコンテンツにはコラボした時点で権利が発生するため、そのコラボコンテンツを元にコラボするためにはまた 100 年待つ必要がある。権利者がライセンスを規定できることで、その期間をゼロにさえできるのである。さらにそのコラボとなれば、発展の期間の短縮は例を挙げるまでもない。権利者以外の誰かが「これは駄目だ」と言うこと、そして権利者没後の人々が賛同することは、人類の文化史を 100 * n 年後退させることである。
繰り返しになる。みんなが辛い。みんなが興行ができない。そのために素材を提供した。その素材に依るコンテンツを「これは OK 」「これは NG 」と規定できるのは権利者のみである。外部から NG が規定され、雰囲気としてこれは NG とされれば、行われたはずのコラボコンテンツの公開を損なわせる。それこそ権利者の本意に反するのではないだろうか。
今回のことで、インターネット上にコンテンツを配信する人は増えた。そのライセンスが明確であると、それは資源となり、様々なものが作られる。そしてその先には別の未来が待っているだろう。「これは NG 」と規定する非権利者が現れる事によって、人類史は 100 * n 年の遅延を求められるのだ。
まだいつまで続くか分からない状況の中で、興行の代わりに「コラボ可能」なコンテンツを提供する人は多いと思う。そして「細かいことや面倒くさいことを言いたくない」という理由で曖昧なライセンス表記で提供されるだろう。「分かるでしょ」というのは同一の文化圏でのみ通用する。でも公開する以上、同一ではない文化ともなんかやりたいじゃん。
でもやっぱりライセンスを規定するのは難しいし、読む方も難しい。コンピュータソフトウェアはずっと改変によるメリットと著作者の権利を議論し続けていて、ある時クリエイティブ・コモンズという権利者の権利の表示が簡便な仕組みを生み出した。
明確なライセンス表記をすることは、利用者を守る行為でもある。利用者を犯罪者にする可能性を防ぐことができる。クリエイティブ・コモンズの表記は極めてシンプルに作ってあるので、これからコンテンツを公開する人はどうか自分が自分のコンテンツをどう扱って欲しいかを、表記してみて欲しい。だめだったら個別にだめだと言って良い。それは権利者の権利だから。
余談だが、今回の騒動で議論の余地があるとするならば、「文化の政治利用」が「営利」なのか否かだ。もし CD などの物理メディアを通して金銭の授受が行われれば明確にアウトだが、プロモーションについては判例が少ない。ぜひライセンスガチ勢のツッコミを求める。
あとほんと蛇足なんですが、今回問題になった Tweet はクレジット表示が無かったのは本当にだめ。表示をしなくて良いのは Public domain か CC0 のみで、どんな解釈でもそうは取れないのでだめそう。でも異文化に触れた老人たち (本人じゃないだろう) が異文化の雰囲気を読み見違えるなんて普通じゃんね。それを超えて老人たちも良い感じのコラボコンテンツを出してくれた方がいいじゃん。
LINEの背景は自由に変えられる。白や黒みたいなシンプルなカスタムなら無料でダウンロードできるし、150円出せばサンリオだのディズニーだのキャラクターものの背景を手に入れられる。目移りするけど、パステルカラーのキキララなんてどうだろうか。思わず、大切な人にプレゼントしたくなるようなピンクのハート柄。LINE側もそういうニーズを把握しているのか、「背景の着せ替えをプレゼント」という機能がある。だれかのアカウントを選択、「この人にプレゼントしますか?」、はい、「この人はすでにこの着せ替えを持っています」すでに持っています?、戻る、「この人にプレゼントしますか?」、はい、「この人はすでに…」
真冬だったと思う。平日の18時過ぎ、待ち合わせた喫茶店はそれなりに混んでいた。彼の第一印象は、「やぼったい人」だった。ぶかっこうに厚手のコートと毛玉のついた黒のマフラーは、その印象を強めていた。
「君の服、あったかそうだね」
彼は、私のことをときどき「君」と呼んだ。若者らしくない古風な話し方で、それもまた彼のやぼったさを加速させていた。彼の性格が好きだった、とはっきり言えると思う。彼と話しているときにふと感じる、昔から知っていたかのようななつかしさが好きだった。彼のやぼったいルックスも、モクモク煙るセブンスターも、大きすぎるいびきも、全然好きになれなかった。だけど、私は確かに彼が好きだったのだ。彼はときどきうちにやってきて私をぞんざいに抱いたあと、「君とは身体の相性がいいような気がするな」などと抜かした。私は適当に相槌を打ったのだが、いつも酔っていたので正直なところよくわからなかった。口づけの煙草臭さだけを覚えている。うちのアパートは禁煙だから、というのにどうしても煙草を吸いたがるので、ベランダに出して吸わせた。真冬だったと思うので、相当寒かっただろう。もしかしたら、そのせいかもしれない。
映画に行こう、と切り出したのは私からだった。観たい映画があったのだ。彼はふたつ返事でOKし、映画の前にお茶しに行こう、という約束を取り付けた。お世辞にもデート向きとは言えず、とうていヒットするとは思えない作品だった。ストーリーが暗いことが目に見えて明らかだったし、主演の俳優も有名ではなかった。今思えば、私がその映画を観たくなったのは、彼と会う口実が欲しかったからだったのだ。
待ち合わせはスカラ座だった。真冬だったと思うが私は髪をアップにし、首をすくめながら日比谷線に乗り込んだ。スカラ座の近くにどんな喫茶店があるか調べようと思ったが、私の携帯電話は通信速度制限の真っ最中で、調査は難航した。彼に午前中送ったLINEの既読がまだ付かないことが心配だったが、それも通信速度制限のせいかもしれなかった。
スカラ座に着いてしばらく待ったが、彼は現れなかった。電話を入れたが、18コール目でもついに取らなかった。先にチケットを買っておこうとしたが、彼の座席の好みが分からなかったからかけたのだ。仕方がないから、とりあえず真ん中のほうの席を2つ押さえた。
真冬だったと思う。土曜の19時すぎ、待ち合わせから1時間経ったが彼は現れなかった。LINEの既読は未だに付かなかったし、電話が取られることもなかったが、これはおそらく通信速度制限のせいだろう。彼との関係を前々から相談していた先輩にこのことを報告すると、それってLINEブロックされてるんじゃない?と返された。先輩からLINEが返ってくるということは、通信速度制限はLINEの送受信に影響がなかったということだ。ふと思い立ってFacebookのメッセンジャーを開いてみたが、彼の名前は友達一覧になかった。私はひじょうに混乱したが、昨日したLINEのやりとりは確かに今日を約束していた。
「もちろん!!」
映画のチケットは2枚あったが、1枚はナチュラルローソンのゴミ箱に捨てた。わんわん泣けたらよかったのだが、なんとなく泣けなかった。そのままナチュラルローソンに寄って、いつもは買わないちょっと高いコーヒーと、いつもは買わないちょっと高いお菓子を買って、その足でスカラ座に向かった。驚くほど落ち着いた素振りで上映室に入り、買ったばかりのお菓子は予告編のあいだに食べ切った。映画のストーリーは暗かったし、出演者の俳優もあまりよく知らない人ばかりだった。正直、つまらない映画だったと思う。驚くほど落ち着いた素振りで家まで帰ろうと思った。乗り込んだ地下鉄が自宅と逆方向だと気がついたときには、すでに15分以上電車に乗ったあとだった。日比谷線のアナウンスを聞きながら、ああ自分は捨てられたのだ、という自覚がようやく出てきて、ちょっと笑ってしまった。捨てられたくらいで傷ついたわけじゃない。ただどうせなら、思い切り引っぱたいてから捨ててほしかったのだ。
私は大人になって、彼のことをすっかり忘れていた。彼と何の関係もない知人と、数日前から連絡が途絶えている。コロナウイルスが巷で騒がれている時期なので、一人暮らしをしているその人の安否がとても気にかかった。連絡をとりたい人がいるんだけど、LINEブロックされてるわけじゃないんだよね。なのにいつまで経っても既読もつかないし、電話もつながらなくて。その不安を友人に吐露すると、彼女に「LINEがブロックされてるかどうかなんて、どうやってわかるの?」と返された。わかるんだよ、なんて返事をしながら、私は息が苦しかった。この人は、今までつながっていた誰かから一方的に拒絶された経験がないのかもしれない。この人は、グーグルで「LINE ブロック 確認」なんて検索ワードを打ち込んだことがないのかもしれない。この人は、私が今抱えている種類の不安を想像することができないかもしれない。誰かとつながっていたい気持ちばかりが肥大して、コミュニケーションを遮断されることを必要以上に恐れている自分の自意識に心底嫌気がさした。なにも知らないで「そっち側」にいる彼女が本当にうらやましかった。相手が自分を拒絶しているかどうか、知ろうとしたことすらない彼女のほうが、私なんかよりよっぽど自然に誰かとつながっている。
私は負け組だ、と思った。
夜中にふと目がさめて、あの時映画に誘った人の名前をLINEで検索してみた。プレゼントする背景は、トイ・ストーリーにしてみよう。「この人にプレゼントしますか?」、はい、「この人はすでにこの着せ替えを持っています」、笑っちゃうな、あなたみたいなやぼったい人がLINEの背景を着せ替えなんてしているわけないでしょう、ディズニーの映画なんて見たこともないくせに、私を嫌いになったなら嫌いになったと一言いえばいいでしょう、なんの会話もなく捨てられるのは引っぱたかれるよりよっぽどつらい、人間関係をシームレスに終わらせようとしてんじゃねえ、ナメられたもんだな一方的に拒絶するなんて、何のつもりなんだ、ふざけるな、クソ、
彼はディズニーだけじゃなく、スヌーピーとBT21とスポンジボブとハローキティとムーミンとあらいぐまラスカルの着せ替えをすでに持っているようだった。あのやぼったい彼が本当にそのすべての着せ替えを持っているとしたら滑稽だ。あのやぼったい彼が本当はいずれの着せ替えも持っていないとしたら、それもまた滑稽だ。なんにも知らないで、私のプレゼントまみれだ。なんだかすごく笑えて、また息が苦しくなった。あと何回こんな思いをしなきゃいけないんだろう、と想像すると、明日世界が終わっても全然かまわないと思える。
通勤方法は電車。幸い、職場は都心から反対方向にあるため、電車は普段からそんなに混んでいない。
現状も従来と比べて3割減くらい。座ろうとすれば座れなくもない程度の込み合い。
仕事は普通にある。ちょっと気を揉んでいるのが、パートさんの扱い。
絶対来てもらわなければならない、というわけではないが、雇い止めにするのもそれはそれで問題なので、対処が難しい。
チケットを取れていたにもかかわらず中止になってしまったイベントが3件もあり、すごく残念。
また、コミケのサークル参加が当選だったが、返金されるかが未定なため、少し気になる。
最近、御朱印集めもやっているが、御朱印集めすらもなんかやっちゃいけない雰囲気があるので自粛してる。
○ご飯
朝食:セブンのジューシーハムサンド。昼食:おにぎり。夕食:小松菜と玉子が具のチャルメラ。豆腐と納豆と海苔を混ぜたの。
○調子
むきゅーはややー。
仕事ははっぱりんぐ。
日課とブレグラの周回。槍を二本と銃を二本作った。銃は前にも二本作ったので累計3凸四本。4凸するエレメントは無い。
槍の方は肉集めの時に選択肢になりそうだけど、エレメントはすぐには集めてないからなあ。
ついにシェロチケ分が貯まった。
これどうするのがいいんだろう。石のシヴァ?
まあとりあえず貯めておこう。
10か0で感染を恐怖していると精神的に疲弊するので、一応自分が感染するかどうかを簡単に確率計算してみる。
ただしこれはあくまで検査をして陽性となっている数で、検査をできずに感染している数の推測が難しいため、あくまで目安として頭の片隅置くことにする。
次に目を向けたいのは致死率。
肺炎で死亡した場合はまず間違いなく新型コロナ由来のものかの検査が行われるのでこの数値は限りなく正しい。
そして、新型コロナの致死率は1%と言われているので、3000人の感染者が予想される。
ただし、新型コロナによる死亡するほどの重篤化までに1~2週間を要するために、正しく現在の数値を把握することは難しい。
ならば指数関数的に増えたとして、倍の人数が一週間後になくなると仮定してみる。
つまるところ、現在の感染者は6000人程度いるということが推測される。
つまり100人集まれば6人、17人集まれば1人の感染者がいる可能性だ。
言い換えれば、17人人に会うごとに1人は感染している可能性があるということであり、1人あたりが感染している可能性が6%あると言い換えることができる。
では、実際17人の人間が集まった時、その場に感染者がいる可能性はどれくらいだろうか。
100-6=94%が感染していない可能性。これを17乗する。
これが17人の人間が集まったときに、1人以上感染者がいる確率となる。
このまま計算を続けると、30人で85%。40人で91%。50なら95%の確率で感染者が一人以上いることになる。
こう考えれば自ずとどのような場所を避けるべきかが見えてくるだろう。
もちろんそうした場所に複数回訪れればそれだけ試行回数が増えることとなり、感染者に遭遇する確率は増える。
しかし、新型コロナは同じ場所に居合わせただけでは感染しない。
ここから相手が自分に感染させてしまうかも知れない可能性をある程度推測することができる。
その指標となるのはマスクの有無、相手との距離、相手との接触内容、相手と接触した場所、相手のエチケット状況、周囲の換気状況などだ。
これらをすべて確率化することは簡単ではないが、いわゆる言われているような内容に気をつけて行動をすればたとえ6%の確率で感染者に出会ったとしても感染してしまうことはなくなる。
あくまで今日現在の確率ではあるが、ただ闇雲に人混みをさけるというだけではなく、今、自分がどれくらい感染の危険性があるかを考えることができれば、不要な恐怖から身を守ることができる。
正しく恐れ、正しく自らの生活を守ろう。
2つの点で魅力的な案だった。誘われたのが僕で、誘ってくれたのが彼女だったからだ。それ以外は最悪だった。説教などしたくはないが、真面目に答えることにする。
「あのさ、みんなそういうの止めようって自粛してるんだよ。控えようとは思わないの」
「むしろ逆でしょう。明日までは"要請"で、それ以降は"命令"なんだから」
自由に遊べる最後の日ですもの、と言うので、僕は上司に休みをもらうと連絡した。
会うのは久しぶりだった。駅の東口、喫煙所で煙草を吸って時間を潰していると、向こうから彼女がやってきた。都合15分ほど待たされたが、特に申し訳なさそうな様子もない。自分を地軸か、グリニッジ天文台だと思っているのだろう。
我々はとりあえず全く人気のない元繁華街を歩き回り、そのゴーストタウンぶりを満喫した。スクランブル交差点で無意味にぐるぐる大手を振って回ってみたり、いつも行列の店に5分で入ったりした。
そういえばタピオカ流行には乗り遅れた、というので、有名店を探してしばらく歩いた。紡錘形のカップにカラフルな色のドリンク、そして黒ぐろと浮かぶタピオカ。実を言うと僕も初めて飲むことになった。一応人気店ではあるらしいが、人っ子一人おらず、普通に買えてしまった。
「こんな風にドッと流行って、すっと収まってくれたらいいのにね」
お前は誰の目線で怒っているのだ、と思わなくもなかった。
カップの中で滲んでいる黒い影は、ニュースで見るウイルスにそっくりだった。
貸し切れるなら何がいい?と相談した結果、次に映画館へ赴いた。
営業時間は短縮されていて、本数も少ない。係員は皆、マスクを付けていて表情が分からない。
ポップコーンだけはなぜか平常時と同じくらい作られていて、あんな量誰が食べるのだろうと僕は不思議に思った。
券売機で見ると、なんと一人も客が居ない上映時間があるではないか。内容には毛ほども興味はなかったが、ホール一つを貸し切れるのならばと我々は即断しチケットを購入した。
内容はやはりイマイチだった。貸し切りのつもりだったのに、途中で大学生風の男が入ってきてしまった。
仕事を休んでまでロックダウン・モラトリアムを楽しんでいた自分も、人のことを言えた義理ではない。
僕は目が悪く、暗いところから明るいところに出ると、その差に目が慣れず、時々立ち眩みを起こしてしまう。
「まるで酔っ払ってるみたい」
「なら、映画館なんて入らなければよかったのに」
とはいえ、手を握って支えてもらえるので、決して悪い気はしなかった。しばらく散歩しながら、色々な不安を語り合った。どうしようもないことは、一度手放して時間を置くことが必要なのだ。自分の手から離すためには、誰かに話すことが一番だった。
「優しいお父さんだったのね」
そうだったのかもしれない。でも、父については分からないことが多いままだった。もっと話しておくべきことは沢山あったのに、ないがしろにしてしまったのは僕だった。
「ねえ、明日東京がロックダウンするっていうのは、実は嘘なの」
でも、その具体的な内容を僕は思い出すことができなかった。
「明日も、明後日も。大きくは変わらない。象徴的な出来事なんて起こらないし、生活は錆びた車輪みたいに金切り声を上げるけど、誰にも届かない」
「もし、次に生きて会えたら、もうちょっと面白い映画を見ましょう」
「いいね」
そのようなことを話して、僕らは帰路についた。
何が言いたいかというとね、君ら風疹の検査やワクチンが無料と言われても全然行ってないよね。妊娠をひかえた女性がかかると大変だから受けてと言われても行かないよね。それってさ、症状が出ないコロナ陽性者が出歩くことと同じだよ?
今は保健所が大変だから勧められないけど、落ち着いたら是非とも行ってほしい。無料チケットは期限が1年延長されたからそれを持って行ってほしい。開発されたコロナワクチンのついででもいいから。
新型コロナウィルスで外出の自粛要請が出ているが、まだ不要・不急の外出する人や生活のために仕事に出ている人がいる。
不要・不急の外出を制限するのは、権力を持って行動を制限することの是非が問われる。
仕事のために外出する人を止めるには、政府が現金を給付し生活を補償するしかない。
そこで私が提案するのが「自宅にいたら1万円をあげる」施策だ。
これを数週間〜1ヶ月ほど継続して行うのだ。
予め、住民票がある住所に人数分のチケットを郵送する。30日継続するなら、一人当たり30枚のチケットだ。
現金の配達員と警備(警察?)が自宅に1日2回訪問し、2回とも自宅にいればチケットと現金1万円を交換する。
配達員と警備には防護服(?)を着てもらうなど万全の体制で訪問してもらう。
現金を配るのはその場にいる人数分。4人家族でもその場に3人しかいなければ3万円しか渡さない。
チケットを配るのはズルを防ぐためだ。
医療関係やインフラ、警察官などどうしても仕事に行かないといけない人もいるだろう。
この「自宅にいたら1万円をあげる」施策にはいくつかのメリットがある。
家にいれば1万円が貰えるなら、多くの人は外出をやめるであろう。
国家が無理やり行動を制限するのではなく、一人ひとりが自らの意思で外出をやめるのである。
現金給付の問題として、配布場所を役所などにすると、人が大勢集まり感染リスクが高まることだ。
自宅に訪問して配るなら、人が自宅に集まりクラスターを形成する心配がない。
「住民票の住所と実際に住んでいる場所が違う人はどうするのか」については、住民票があるのが実家なら送ってもらえば良いから、まあどうにかなる。