はてなキーワード: カウンセラーとは
どうしたらいいのかわからない。
俺は何度もはっきり直接伝えている。
でも本人的には、俺に対してデメリットでしかない自分の存在が嫌で仕方ないらしい。
こんな私からいつか離れていってしまう、他の女の人がいつもイメージに浮かぶ。
私なんかと一緒にいるとあなたの人生を台無しにしてしまう。と言う。
鬱経験のある自分としては、カウンセラーの話が一番回復の手助けになったのでおすすめした。
ケースは違うかもしれないけど、一人で延々と悩んでもどうしようもない。
来週行くらしい。
俺に明らかな問題があるならまだしも、本人の心の中で繰り広げられる妄想が相手では為す術がない。
さじを投げるわけじゃないけど、抱きしめたって、あなたが必要だと言葉で言ったって、愛してると言ったって、それこそ結婚して、親にも合わせて、この先もずっと一緒にいることを誓いあった仲なのに、信じられないという。
例えば俺が浮気性だとか、女の影がちらほらあるとかならわかる。
しかし妄想の中で俺が浮気してしまうんじゃないか、いつか消えてしまうんじゃないか、見捨てられるんじゃないかといくら考えたところで、実際にそのようなことは起こらないわけだ。
どうしようもない。
誠実に付き合っているし、結婚した。
これ以上どう愛を誓えば信じてくれるのかわからない。
必要とされたいって思っているようだけど、それもどうしたら伝わるのかわからない。
俺は必要だと思っている。
俺が色々と家のことなどを一人でドンドンやってしまうタイプだから、自分のすることがなくて居場所がないのかと思って、洗濯や家事をまかせたりしてみた。
しかしそれによって彼女の自尊心が復活することはない。それどころか彼女自身は結構大雑把で疲れやすいので、俺より20倍くらい家事も適当だ。それでも文句はもちろん言ってない。
(本心としては、俺がやるからゆっくりしてて。って言いたい感じ)
どうしたらいいんだ。
どうしたら彼女は俺が彼女のことを必要としていることが伝わるんだろうか。
ヒモになればいいのか?無理でしょ。
そういうことじゃないだろうし。
こういうのどこに相談したらいいの。
ちなみに一緒に行くのは嫌だそうです。
最近コレに悩まされている。
自分はまあいわゆる『自分をADHDだと思っている低スペ人間だけど、実際ちょっとADHDっぽいしASDっぽくもあるけどカウンセラーに言わせると「そういう傾向がちょっとあるだけで普通の人です。ちょっと鬱病気味ですけど気分が落ち込みがちになっている程度なのでまだセーフです」的なポジションにいる低スペ人間』っていう現代日本だと30人に1人ぐらいいそうな感じのアレです。
そんでまあ30人に1人ぐらいいるってことは50人ぐらいの職場で働くと「もう1人のボク」と対峙することになるわけです。
100人ぐらいの職場になると「もう1人のボク」が2人になります。
そんでまあ今本当にその状態で、そのうちもう1人は全く別の部署で働いていて悪い噂が物凄い勢いで耳に入ってきます。
その人の悪い噂を聞くたんびに「ああ……この人は遠まわしに私の悪口も言っているのだろうか……そうやって釘を差されたところで今更直しようもないものだというのに……」と気分が落ち込みます。
そこまではまあ耐えられます。
むしろ「まあそういう人でも働けているわけだしセーフじゃないの?」と思います。
ですが……恐ろしいことに……なんと私の直属の上司がもう1人のアレな人なのです……。
結果として私と上司はお互いが持つ低スペ人間パワーをぶつけ合いながら日々「何で当たり前のことができないの?コイツは?」と考え憎しみをぶつけあっています。
お互いの弱点が分かっているのだから手を取り合えばいいのに……周りはきっとそう思っているでしょうが、なかなかそうはいきません。
結局の所、お互いが今まで「普通の人」の善意や助力に甘えて生きてき続けてしまったせいで、相手も自分も低スペだった場合の対処方法が分からないのです。
中でももっと辛いのが『お互いにコミュ障なのでそれを補い合えない』ことです。
喩えるのが少し難しいのですが……(以下「ここまで」まで読む必要なし)
『もしもコミュニケーションというものがお互いのコミュ力の合計が10あればきちんと成立するシステムだと仮定して、普通の人の基礎コミュ力が8だとしてコミュ障の基礎コミュ力が4だとしましょう。
この時普通の人同士で会話をするとコミュ力の合計は14もあるので簡単に会話は成立しますし、多少お互いの認識齟齬や聞き逃しがあってもよほどの事がない限り10を上回るので最終的にはあっさり会話が成立します。
また、コミュ障と普通の人が可愛する場合でも基本的に合計は12ポイントあるので、なんだかんだ普段の会話は割と成立しますが、ちょとしたことで会話に齟齬が生じ始めます。スキあらば会話が迷子になる恐ろしい綱渡りとなりますが、まあコミュ障はこれぐらいの事慣れてます。
さて、コミュ障同士が普通に会話するとどうなるでしょうか……合計は8です……。普通にやっていては会話が……成立しません。お互いがまず相手に歩み寄り、そして互いが理解を共有できる分野を探して何とか会話を成立させます。会話が実は成立してないことも多いですが、そこを掘り下げあうと相手のコミュ力の低さを皮肉るような会話にすらなりかねないのです。一見話が通じているように見えて実は互いが全く別のイメージを浮かべていることに最後まで気づかなかったりする事がままあるのが、コミュ障同士の会話です
』(ここまで読む必要なし)
つまる所、コミュ障同士で会話するとお互いの大いなる努力を持ってしなければ会話に齟齬が生じたままで終わりうるって事です。
日常会話や友達付き合いであれば「ばっかでー」で終わるのですが、仕事だとそうはいきません。
地獄です。
その地獄の中を業務のパターン化や、最終調整前の細かいやり取りで補うことで、ギリギリなんとか誤魔化すのが、コミュ障同士のビジネス関係です。
そして、その地獄に巻き込まれて周りは明らかに疲弊していきます。
そもそも2人の低スペ人間を抱えている時点で職場の戦力はダウンしているのに、更にソイツらの間でまともにコミュニケーションが成立しないから、一度でも伝言ゲームでそこを介したら一気に情報の信用度がガタ落ちするのですから、たまったものではないでしょう。
それを毎日毎日見ていると、どうしても「自分たちのような低スペ人間が社会に寄生するのはいい加減やめた方が良い。だが、低スペ人間同士が出会ってさえ居なければなんとかなるのだ」と考えてしまいます。
このような思考が脳内を走る日々の中で、受容の5段階に近いことが起きます。
否認、怒り、取引、抑うつ、それらのストレスから生まれるマイナスのエネルギーは自分と相手に向かいます。
眼の前にコミュ障が居なければ自分がコミュ障であるという事にここまで苦しまなくて済む、その事実は最初敵意となり、やがて同情となり、最後には「そもそも一番可愛そうなのは周りの人達だ」という気付きにたどり着きます。
さて、それでは、可愛そうな周りの人達を救うのに低スペ人間が出来ることは何でしょうか?
心は既に受容の5段階目を駆け抜けています。
ですが、どうにも上手くいきません。
方法を教えてください。
ちなみに会社と繋がっているカウンセラーにこの話をした所、「え?止めればいいじゃん?自動思考って自分で分かってるんでしょ?」っていう感じでした。
メディアがこの問題について発信する情報は、同診断を受けないことを決断した人、
あるいは受けて陽性が確定したけれども生むことを選んだ人を取り上げる「美談」が殆どで、
陽性確定者の多数派である中絶手術体験者の声が反映されていないと感じます。
<経緯>
30代の終わりから不妊治療を始め、40代の始めだった2016年に体外受精で初の妊娠。
同年に新型出生前診断を受けたところ、18トリソミーであることが確定し、手術。
<手術に踏み切った理由>
試験勉強と育児を両立させるために、健康児であることは大前提でした
(夫婦共に健康なので、子どもも健康な状態で産まれると思い込んでいました)。
医療的ケア児であれば、受け入れる施設も限られ、お世話に忙殺されることが予測されます。
「もし産むと、あなたは毎日家の中で赤ちゃんに付きっ切りだよ」と夫に言われ、
自分のキャリアが崩壊する怖さから思わず「それは無理」と言い返しました。
さらに、その子が将来、認知症などで要介護状態になれば、入れる老人ホームはあるのか。
ネット上には、医療的ケア児の受け入れ先や成長後に関する情報がほとんどなく、不安に駆られました。
・胎児は女の子でした。心配なのは、この社会で知的障害者に多発する性被害です。
あるいは通所途中で誰かから……と考えると、とても我が子にそんな辛い体験はさせられないと思いました。
もはや「自分たちさえ良ければ産める」という問題ではないと思いました。
知的障害児を生んだ場合、私の知性すら信用されなくなるのではないか、
友人知人からも憐みの目を向けられるのではないか、と懸念しました。
そしてこのように考えること自体、自分の中に知的障害者への差別意識があるのだと、
認めざるを得ませんでした。
<なぜ、新型出生前診断を受けたのか>
私たち夫婦は高齢なだけに、「障害がないことを確認し、安心してその後の妊娠生活を過ごしたい」と考えて
同診断を受けることにしました。
私としては、「事前に疾患がわかれば心の準備ができる」とも思っていました。
その時点では、どんな疾患のある子でも受け入れて産もう、と漠然と考えていたのです。
ところが、いざ診断で陽性判定が出ると、上記に述べた様々な不安が一気に押し寄せ、
坂道を転がり落ちるかのように、気持ちは中絶手術へと傾いていきました。
しかし、実際に手術によって死産した我が子と対面した時、愛しさが込み上げ、
「なぜ息をしていないの。お願いだから生き返って!」と号泣しました。
手術を受けてから後悔しても遅いのです。
「安心したいから」という理由で受ける人は多いようですが、お勧めしません。
私たちの経験上、陽性判定を受けると冷静な判断力が失われ、未知の将来への恐怖心から、
とにかく「生活が変わらない選択肢」を選びたい強い誘惑に駆られます。
従って、診断を受けるのは、
「陽性の場合は産まない」と決めた時のみとするのが良いと思います。
陽性でも産み育てることを決めているのであれば、「心の準備」は産んだ後からでも間に合うのではないでしょうか。
染色体異常を持って生まれてくる可能性への心配はあるにしても、
あらゆる状況を想定して、妊娠中に情報収集しておけばいいと考えます。
<カウンセリングのあり方>
私がカウンセリングを受けたのは、出産予定先だった大学病院の産婦人科医からでした。
18トリソミーとして生まれる子どもの知的・身体的特徴について説明がなされました。
ただ、私たち親が知りたいのは、「そのような疾患を持つ子どもをどうやったら育てていけるのか」です。
医療的ケア児には、健常児にとっての保育園や幼稚園、学校に代わる施設はあるのか。
成人後の住居や生活費はどうするのか。
そうした社会的サポートに関する情報は医師からはほとんど与えられず、私たちは不安に駆られるばかりでした。
是非、これらの情報に詳しい専門家をカウンセラーとして配置して欲しいと思います。
<メディアのあり方>
冒頭で述べたように、新型出生前診断に関してメディアに登場する当事者には偏りがみられるため、
診断を受けるかどうかを迷う人にとってはあまり参考になりません。
私自身、診断を受けるかどうか、手術に踏み切るかどうかを判断する際に、
心細さを抱えながら性急な判断をせざるを得ませんでした。
メディアが同診断に関する美談ばかりを取り上げることは、中絶手術を選ぶことを暗に非難するメッセージとなり、
その結果、手術体験者からのアドバイスが発信されないために、受診者及び受診者予備軍が的確な判断ができないという、
以上、ご参考まで……。
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ひとりで生きてく不安を感じる。
それを拭うように、共通の趣味があるからと言って、元カレと友達以上恋人未満みたいな関係をダラダラと続けている。
でも、その元カレに彼女がてきたら?私じゃない誰かと結婚してしまったら?
特定の仕草にときめくだとか、顔が好きだとか、そういうのはもうずいぶん前になくなった。
いろんな事があって、私から別れを切り出したものの、立ててた予定と情が宙ぶらりんになってしまって、それを切り離すことができなくて…
結果、友達以上恋人未満という関係そのものが宙ぶらりんになってしまった。
彼はそれに対して疑問や不安ないみたいだ。
むしろ、それぐらいの距離感の方がやっていきやすさを感じている気がする。
私は…。どうだろう。
私も、まぁ、ちょうどいい距離感の様な気がする時もある。そうじゃない時もあるけど。
どっちが多いかな…。今のところはちょうどよく感じてることのほうが多いかな。
誰かに気持ちを共有したいけど、わかってくれる人はいそうにない。
カウンセラーも「もうその人はやめて、次に行こう。」と促してくる。
次ね…。
新しく恋愛するには、この9年は長すぎませんか…。
誰に助けを求めればいいのかわからない。
親がいわゆる毒親で
暴力を振るわれて育ったため、
とにかく人と接するのが怖い。
濡れ衣を着せられて怒鳴られて以来、行くのをやめた。
余計他人と接するのを避けるようになった。
カウンセラーなんてクソ食らえと思ったので、
スピリチュアルとか、ヒーラーの本や無料メルマガを読んで勉強してみた。
役に立ったと思う。
けど、対人恐怖症は治ってない。
そんなわけで、人と接することが少ないバイトを探してるけど、受からない。
在宅ワークをすればいいのかな、って思ったけど、あれは個人事業主扱いになるの?
税務署の職員は、真面目に帳簿をつけてても難癖つけて問い詰めてくる怖い人だという話を聞いたことがある。
なら税金関係は全部会社がやってくれるアルバイトのほうがいい。
だけど、受からない。
もう何年も前のことだが仕事のストレスで体調を崩し主治医の勧めで心療内科の世話になったことがある。世話になったと書いたが実際には何の世話にもなっていない。私は自分が抱える人生の問題を解決する知恵が得られると期待していたが心療内科はそう言う場所ではなかった。例えるなら歯が痛い人に痛み止めは出すが痛みの原因である虫歯を治療しないような場所だ。これはカウンセリングも同じで、話は聞くが問題解決に役立つアドバイスがされることはない。
心療内科やカウセリングがそういう場所であることは別に構わない。ただ、そのような機関が何のために存在するのか未だに謎である。世の中に心療内科の医者やカウンセラーに救われた人は本当にいるのだろうか。結局、私は人間の認知の仕組みを独学で学び、古今東西の哲学書や苦労人の伝記を読み漁り自分の生き方を根本から見直すことで体調不良から抜け出した。その経験から言うと現代人に必要なのは心療内科の医者やカウンセラーではなく生きるための知恵や知識を伝える人ではないかと思う。
もちろん心療内科(精神科)での治療が必要な人もいるだろう。認知症や統合失調症などの重篤な病気は物事に対する考え方を変えても治らない。病気の治療に効果があるとされる薬物を医者の指示に従い適切に摂取して症状を和らげる必要がある。しかし、そういった病気でなければ必要な情報を集め偏った考え方を変える努力をした方が病院やカウンセリングに通うより有益である。
俺も結局無視することになりそうだ。
単純に、疲れた。
俺が譲歩しようとて「例外は一部(1件)しか認めない」と言い張る。
時間の無駄が目に見えるようで、疲れた。結構精神ゴリッゴリ削られるんだわ。
考えることも頭が必要だし、なるだけお前の人格を否定しないよう気をつけているから
もうね、気楽に色々と考えたいんだ。重い話はいい加減やめたい。
まず、お前と話し合っているだけなんだが
どうにも上手く行かない。
1人の増田から見たら、俺がお前をいじめているようにも思えるし
別の増田から見たら、俺がお前にいじめられているようにも見えると思う。
お前が「加害者」っていうのがどんどん俺に刺さるんだよ。決め付けられて苦しくなるんだよ。
途中優しい増田に隠れて俺泣いたし。泣いたし……。
あの日の前だからってのもあるけど恥ずかしいんだからな。勘弁してくれ。
俺は、俺として話をしているのに
「他にこんな奴が居た!信用ならない!」と言われても
俺はどうすることもできない。
「信用ならない」「信じられない」ってのは何に対してでも効く言葉だ。
「もうお前の意見は聞かない」と一方的に無視するようなものだ。わかってくれ。
俺は一応お前の意見も受け入れている。「無視するのは良くない」と。
ただ、例外もあると思っている。ストーカーとかその他、言葉でコミュニケーション取れない相手とかな。
実際、今お前との間では「コミュニケーションが上手く取れている」とは言えない状況だ。
結果何が起こるかっていうと、愉快犯に荒らされたり、暴言吐かれてイラついたり
俺に同調する奴が現れて、多対1になってお前がいじめられてるような構図になったり、逆もまたある。
意見が違う点で俺が離れていくのは仕方ないとしてくれ。
というか、大抵の人はこうだと思う。
最初から最後までお前につきっきりになって話を聞いて頷いてくれるのは
つきつめれば、皆自分が大事だし、自分の時間が重要だと考えているからな。
はー、すまん。疲れた。俺はもうだめだ。
増田だけど 自分がここまでのコミュ障になったのはやっぱり理由があるんだよね ただずっと言えなくてここまで来てしまった カウンセラーとか余計話しづらいわっていう
ネットよりあっちのが研究室で潰れた大学院生の対処ノウハウ多いからまずそっちで
どう構って欲しいかってのは人によって違うし
心理学やカウンセラー向けの本を読んだところで解決することじゃないと思う。
「そう考える理由」はすこしわかっても「対処法」はわからない。
あれは自分がネガティブになるやつ、ネガティブにさせられかねないやつと付き合わないってことだと思う。
いろいろあれができない、これができない。それに毒されるとこちらのやる気もそがれるし腹が立つ。
一方で、貧乏人というのは疲れ切っている。疲れ切ってると行動力がなくなってる。何ができるかできないかの判断力も失っている。
それにはいったんやっぱり休まないとならない。
ジャックマーはカウンセラーじゃないから他人事としてそこまで面倒見切れん。
自分事としては何ができるか、何ができないか。できることから少しづつ。かつ、できることが何かあるのなら、その一つの解として起業はあるのかもしれん。
野放図に今つらいなら起業しろよというのは大嫌いだが、何か可能性があるのならやってみるのは応援したいとは思う。
その結果えらい痛い目あったがなぁ。ま、僕もネガティブにさせられかねないやつからは早い目に逃げないとというのは思った。
加えて、やっぱり迷惑な奴の隣接周りは僕は緩すぎるから逃げないとならないのかもな。残念だけど。
何に立ち向かって、何から逃げるか。自分の特性も踏まえて考えないとならないし、逃げないとならないとならないものは逃げないとならない。
でも、受託や飲食ならともかく、でかいものだとどこかの力を借りないとならないし、でかいところの力を借り出したら逃げれないと思ったほうがいいし、
関連する奴に一人業突く張りがいたらそれにぶん回されるものだし、日本の組織はまずいると考えたほうがいいのだろうし、
こちらが足元見られないところまで何とか足場固められたらなぁ、、、、、。
そう考えると、足元見られないぐらいの力量を持ったフリーランスが一番幸せになる道で、IPOとか大市場狙うようなベンチャーなんてほんと幸せから遠いな。
どうすることが正解かは正直わかりません。
前提として、反論元の記事の方が、理屈の通じにくいタイプであることは私もなんとなく感じます
理屈よりも、口調のやさしさなんかを理解を示す優先度の上位に持ってくるタイプなのではと推測しています。
それよりも、元記事を読んだ事情の知らない方に、反論記事とセットで理解してもらえればと思っています。
では、私を「ネットリンチの親玉」のように見てしまう人には何をするかというと、何もしません。
その代わり、私の周りにそのような人が居れば、なるべく寄り添うようにします。
例え私の文章を悪意をもって捉えたとしても、周りの人間が理解して諭してくれれば、
自分の考えが浅かったことくらいには気づいてもらえるはずです。
今回の事件でも、私はID付では低能先生には何もしませんでした。言及すらほとんどしてません。
ほとんど言及していないのですが、はてなブックマークの芸風で言及しているので、
ですが、匿名ダイアリーの中では寄り添うようにしていました(暇な時だけですが)
無茶苦茶ではありますが、特定の話題で論戦がしたいなら、私も付き合います。
恐らく「ガス抜き」と言ってもらえたメンバーの一人には数えられていると思います。
間違いは間違いとして発信し、寄り添える部分は寄り添える
一人が、誰かのすべてをまかなうのではなく、部分的に寄り添えるところを寄り添う。
批判をする役回りと、寄り添う役回りは別の人がすればいい。という考えです。
ただし、私はそういった無駄話が好きなので、匿名ダイアリーで寄り添えただけです。
でも、それでは今回の事件が防げない。
今回の件は、私もまた「失敗した」状態なんです。
だからこれから、同じようなことが目の前で起こらないようにするにはどうしたらいいのかを
考え続けないといけないと思っています。
孤独というものは、単に一人でいるだけならさほど感じないものです。
逆に、人の輪の中に居ても、人とつながれないと実感したときは孤独を感じます。
誰もが会話をせず、黙々と作業だけする職場に居れば孤独を感じない人もいます。
人と話すと主張を優先して縁を切ってしまうのなら、カウンセリングに行くのも手です。
カウンセラーさんとなら繋がっていられるというだけで孤独がまぎれる人もいます。
でも結局「変わろうとしない人に何をしても変えられない」ということです。
なので、「変わろうという気持ちになってもらうのを寄り添って待つ」が、
※ちなみに、元の文章は実は勢いに任せた殴り書きで30分もかかっていないのですが………心苦しいです
精神科医は基本的に薬物療法とその他体調管理くらいしかやらないので、高圧的でなく他人を傷つけないタイプの人を選んで、安心して通院できる所を探せばいいと思います。
今も受診を検討されているかわかりませんが、カウンセリングを利用すると良いと思います。
「〇〇カウンセリングセンター」と名前の書かれている所なら、オーソドックスなカウンセリングが1時間¥5,000円程度で受けられると思います。
精神科医同様、安心して話せるカウンセラーを選べばいいですが、何を話しても頷くだけで壁のようになってるカウンセラーはやめた方が良いでしょう。
家庭が病気に対して無理解であれば、そのことを医者やカウンセラーに伝え、治療者から家庭の側に伝えてもらうと良いでしょう。それが出来ない治療者なら変えた方がいいです。
症状が出ている状態の患者に対して「~をやれ」と要求する受付の対応はあり得ないので、絶対に行かない方がいいでしょう。
今はそうした状態にあることを理解した上で患者に接するという当たり前のことができていないからです。
どんな病態でも安心して通院できる治療環境と安心して休養できる療養環境があることが基本ですし、必要に応じてカウンセリングを受ければいいと思います。
悪質なコメントはその前提に反するものですし百害あって一利無しなので無視するか一蹴して、自分のために良い治療・療養環境を作ってあげてください。
薬は余計症状が悪くなるだけ
何しててもダルくてしんどかった
言われるまま病院に行き言われるまま薬を飲んでたけど何も変わらない何もよくならない
カウンセラーも一緒
こんな赤の他人に何を話したって相槌打ってくれるだけで意味なんてないとずっと感じていた
20代後半にまた体調が悪くなり薬を飲んだ瞬間に10代の頃の地獄を思い出した
このままこんなものを飲んでいてはいけない、また人生がダメになると思った
環境を変えた
今はろくに働いてもないけど
うちの親は精神をやられた子供に対して病院へ連れて行くという対処しか出来なかった
意味ない
大病院はよっぽど強いコネや紹介がないと、一般人にはつらいと思う。予約も取りにくいし、待たされる時間も開業医とくらべものにならないくらい長い。半面、診察はものすごく短い。
まあ、元の人の追記を見ると、この人はどこの病院へ行っても担当医師とタッグを組んで精神疾患に立ち向かう関係は作れそうにないとも思う。
言葉が届かないことを承知で書くと、まずは3か月くらい手近な精神科医の言うことを全部うのみにして疑問を持たずに愚直に指示に従うのがおすすめ。そして思考のよどみが消えてきたら医者を変えるとか、カウンセリングなりの長時間話を聞いてくれる人のところへ行くのが良いと思う。思考がよどんでるときは精神科医の良し悪しを正しく判断したり、カウンセラーを探すような精神活動は相当大変だし、思考がよどんでること自体にも気づかないので。
大学のスクールカウンセラーとか産業医は医療機関に勤務してまともにやってけない奴の受け皿だと思ってる。
芸術大学に通っていた頃にカウンセラー利用させてもらったけど元増田と似たようなこと言われた。
課題から逃避するための言い訳だろ?とほくそ笑みながらほざきやがった。
挙句「こんな大学通ってるような奴に才能なんてないんだから大人しく中退してとりあえず派遣なんかで働けばいいだろ」だとさ。
たまらず「それはあなたの決めることじゃない。中退しないし派遣社員にもならない。」と言い返したら、
「派遣社員を見下しているから僕の話を聞き入れられないんだろうけど、これが現実だから(笑)」と全く噛み合わない返答が来てもう絶句。
自分が暴言を受けたことよりも他の学生の話もまともに話なんて聞いてないであろうことが悲しかったし強く憤りを感じた。
当時は自分の将来や成績のことだったり金銭的に困窮していたりで自分のことで手一杯だったので、カウンセリングルームで起きたことは誰にも話さないままになってしまった。
精神的に疲弊し弱気になっている状態でショックの強い言葉を浴びせられたので「こんなこと他の人に言っても信じてもらえないだろう」と思い込んでしまったせいでもある。
今考えればすぐに教務課あたりに苦情を入れたほうがよかった。悔やんでももう遅いが時たま思い出して後悔の念に苛まれる。
くどくどと恨み節を書き記してしまったが、中高生や児童のカウンセリングを請け負っているカウンセラーは志高い人が多い印象があるので、精神科医やカウンセラーも当然悪い人ばかりではないはずだ。
人間は経験から作り上げたイメージ通りに現実を見ようとするから
実感がない事はどんな正論でも受け入れられないし、
私自身、理解した気でいた事を正しく理解するまでに、何年も気づかなかったりする。
皮肉なもんで人間は友好的に思う相手を「理想の良い人像」と比較しながら見ていて
良い人の欠点ばかり目につき、思わぬ人間と打ち解けたりもする。
よほどしっかり自分を把握してないとあっという間に思い上がってしまうという事だ。
ネットという自分の素性を隠せる場所が、同時に相手の素性も判らないという考えに至らず
匿名性に加えこの国の治安の良さと法の盾に過剰に気が大きくなっていて
ほんの軽い気持ちで、殺されても文句がいえないほど悪意ある言葉を投げかける。
顕著な例で言えばタレントのtwitterに絡む連中がそうだ。
いつでも自分を殺せる相手に刃物突き付けられたまま同じ態度を取れるかどうか。
遠い外国の話や作り物の出来事じゃなくて日本で起きてる自覚あるか
41年もの間関係なかった事でもHagexはメッタ刺しにされた
よく「誰でも良かった」と言うような犯罪者の恐ろしいところは、
深く考える事もしないまま、インスタントに判る物事の表面だけを
そうなるとどんなに長い間服役したところで
また犯罪を繰り返すだろう。
誰でもいいとか、候補の一人という感じではなく、
明確にHagexを殺す気だったように思う。
歳も歳だから等身よりも尊大なところはあったが、自身のいくつかは
客観的に受け止めてる様子もうかがえる
殺すのも殺されるのもとても恐ろしい行為だって事くらい考えられただろう
刺し傷全てが貫通するほど力が入ってた事や足がつったって事から
全身が硬直するほどの強い怒り、恐ろしい事をする恐怖と緊張、
震えを堪えようと力めば力むほど思い通り動けなくなる情けない自分
死んだと気付いた後、もともとはその場で逮捕されるつもりだったんじゃないかと思う
一瞬毎に恐怖が大きくなるだけだ。
これから重くなり続ける罪悪感をごまかす手段はないと考えただろう
バレなければ罰なんて受けないで済むのにではなく、
事実に基づいて言えば、
ある特定の行動に対する耐えがたい怒りを抱えていた
殺されたのがhagexだったため、言い合いよりも無視されたのが
構ってほしかったとは考えにくい。
それもテンプレートの決まったおなじみの形のある
それだけ言ってれば気分良く居られるんだろうなというフレーズが好きな
何を言っても一切伝わらない、たとえ相手の程度が原因でも
ただ相当歳の低い子供だろうと気になって
けん引するつもりの子供が真似する相手はhagexのような相手だろう
世の中を知らない子供たちに
俺は長いこと鬱病で、ストレスがピークを越えると何もできなくなるんだよね。
はたから見ればそれは「何もしてない。甘え」みたいに言われるんだけど、
だから鬱病がどんなもんかと説明しようとするんだけど、これがなかなか難しい。
表面上はダラけてる人にしか見えないんだけど、実際には精神も肉体もボロボロだったりする。
よく誤解されやすいが、鬱病は心の病で体には影響がないという話は間違い。
実際には自律神経がおかしくなるし、脳の血流が悪くなってるのも感じる。
体が緊張するから、肩こり腰痛、首の痛みはしょっちゅうで、腰痛の延長で足首も曲がらなくなる。
心がおかしくなったのが先か、体がおかしくなったのが先かは知らない。
でも鬱病の状態って「体がおかしいから心もおかしくなる。心もおかしいから体も悪くなる」みたいな負のスパイラルに入ってる状態だと思って欲しい。
ちょっとのストレスで体の調子がおかしくなって、その所為で「死にたい」ってなる。「死にたい」って感情の所為で体が重くなる。
書いててなんだけど、クッソめんどくさいな鬱病。
だから治療法として投薬と休息をするわけ。わずかなストレスで一気に悪化しちゃうから。
大まかな原因はストレスなんだけど、ストレスの感じ方や考え方は人それぞれだからカウンセリングをした方が
よりよい治療にはなると思う。思われる。(そのへんはカウンセラーとの相性もあるので一概にはいえない)
あと、見た目で鬱かどうかの判断は難しい。友達と一緒にいれば鬱といえども楽しいんだけど、一人になると暗い顔になってることの方が多い。
さっきまで一緒に遊んでいたのに帰宅してから自殺、みたいな話もちょいちょい聞くけど鬱病の人間からすると気持ちがめっちゃ分かる。
楽しさと虚しさの差がキツ過ぎて死にたくなるんだよな。毎日毎時毎分毎秒がこんなに楽しければいいのにって思う。
鬱病で落ちてるときって、毎日毎時毎分毎秒「死にたい、消えたい、楽になりたい」だもんな。
何を伝えたいのか分からなくなってきたけど、書いてて少しは気持ちがスッキリした。
鬱病じゃない人、何気なく批判したりするのはやめてくれ。悪意はなくても、鬱状態の人間には致命的になることだってあるんだ。批判よりも「大丈夫?」の一言をくれ。
これでおしまい。ばいばい。