はてなキーワード: お笑い芸人とは
保毛尾田保毛男でぎゃーぎゃー言ってる人はクソフェミニストと同じだと思います。
で、今回またぎゃーぎゃー騒ぐ人は自ら生き辛く、生き辛いままにしようとしているのだと思います。
主に怒ってる人は自分がゲイで、そのゲイであることがコンプレックスで、
それが笑いの対象になってるのが気に入らないのかなと思うんですが、
(ゲイじゃない、中立的な?正義的な?人もいるかと思いますが。)
人のコンプレックスが笑いになってるものなんて世の中にいくらでもあると思うんですよ。
デブであれハゲであれ出っ歯であれ運動音痴であれみんなそうだと思うんです。
だから、ゲイが真に世間に馴染むにはこれらと同じ道を行くしかないと思うんです。
それ以外の道は望むべくもない特別扱いだと思うんです。そういう意味でくそフェミニストと同じだなと。
そんなにあちこちに過剰に配慮する世界になったら、拒食症の人の事を考えたらグルメ番組なんてできないし、
貧乏な人の事を考えたら車とか旅行とかの番組もできないですし、有名大学なんて放送禁止になると思うんです。
で、今回ぎゃーぎゃー言ってる人も、普段の行動から全人類を相手に考えてるかというと、そうじゃないと思うんです。
じゃないと何か食べておいしいとも言えないですし、旅行行って楽しーとも言えないですし、
生きてるだけで幸せとかすら言えないんじゃないかと思うんですよ。極論ですけど。
だから、怒ってもいいんですよ、怒るなとは言わないんですけど、怒れば怒るだけ、
ハゲとかデブとかチビを過剰に気にしてるみたいな、扱いにくい冗談通じない人にしかならないと思うんです。
気持ちはわかるけど相手にすんなよ無視しとけよって言いたいんです。
他愛ない、ありふれたもの、っていうところまで世間の意識を持っていくべきだと思うんです。
うざい女定員とか、バイトリーダーとか、気持ち悪いオタクとか、すぐキレる教師とか、
そういうお笑い芸人のネタになるようなのと同列に保毛尾田保毛男を扱うべきだと思うんですよ。
ゲイだかLGBTにおける一種のステレオタイプとしての保毛尾田保毛男として扱うべきだと思うんです。
じゃないと、いつまで経っても世間的に異物で、普通の人から距離があって、物珍しい存在から脱却できないと思うんです。
「こんないかにもな奴いねーよwww」って笑えるくらいじゃないと、
ゲイであるという事が一個性であるというところまで永遠に辿り着けないのではないかと思うんです。
そりゃ人が嫌がることをする奴は怒られるべきだっていうのはわかります。
でもそれは理想論というか、一般論というか、あくまでも「論」を出ないわけで。
現実的に暮らしやすい世界を作ろうとするなら、ぎゃーぎゃー騒いで謝罪させるみたいな対応は頭悪いなと思うんです。
今回はその機会を無駄にしたなとすら思うんです。
政治的とかじゃなくて、エンターテイメントとして見てしまう。お笑い芸人的な。……失礼だけど。
政治にまったく目覚めてない純無関心層は選挙に行かないし、目覚めきって左右の政治思想の極北たるアナキズムやファシズムにまで行き着いた者も選挙には行かない。つまり選挙に行くのは政治的に寝ても覚めてもいない、寝ぼけた連中だけ!— 外山恒一 (@toyamakoichi) 2017年10月15日
投票率は5割でも高すぎるし4割ぐらいじゃまだ組織票に依拠してる連中がほくそ笑むレベルだが、3割を切るぐらいになれば奴らは本気でビビり始めるし、万一ビビり始めもしないようなバカ政府ならそもそも恐るるに足りない。選挙には行かないのが一番正しい(次善は毎回「外山恒一」と書くこと)。— 外山恒一 (@toyamakoichi) 2017年10月12日
誰が書いたとも知れない週刊誌やニュースサイトのネガキャン記事を
お前らはすぐ鵜呑みにして
「よく知らないけどそうだったのか」「なんて悪い奴なんだ」「これからはこいつが映ったらチャンネル替える」「え、そうなんだ!わりと好きだったけど嫌いになった!」とか言って
これは事実無根だ、って過去のインタ記事との矛盾点を指摘する奴がいてもまったく聞く耳持たない
ネットに疎いけどワイドショーと噂話が大好きなおばちゃん、じゃなくて2ちゃんねらーやはてなーのおっさんがソース:週刊誌の情報を本気で信じている
同性愛だからダメなんじゃなくて、特定の属性をステロタイプに扱ってそれを笑いにするのがダメなんだろ
少し前に誰だったかお笑い芸人が白人を装うために高すぎるつけ鼻をしたらそれで叩かれてただろううが
ダッコちゃんとかカルピスとかと同じで。
「ホモはこういう人です」っていうマジョリティ側の偏見があることが問題なんだよ。
あと、とんねるずの笑いのゲスなところはリアリティを微妙に混ぜてるところなんだよな。
保毛尾田保毛男の場合、「あくまで噂で」のくだりは必死に同性愛であることを隠して社会生活を送っているLGBTのことを「バレバレで笑える」という底意地の悪い取り上げ方をしてる。
障害者に関するお話です。不快に感じられる方はご注意ください。
障害者とひとくちに言っても多種多様ですが、ここでは身体や脳、精神などのものには限定しない事とします。
こんな内容の記事をエントリーしておいてなんですが、僕には一切障害がありません。
後ほど書きますが、障害があるのではと疑いをかけられたため様々な検査を受け、テストなども行った結果、一切障害はなく、発達障害などのものも無い、という結果でした。
なぜ結果を受ける必要があったか。端的に言えば『障害者ではないか』という疑いをかけられたためです。というより、それしかないですね。
事は小学生の頃、僕は周囲の人と行動を合わせるのがとても苦手でした。周りのすることと自分のしたいことが違うのだから、他人と行動が変わるのは当然のことだと考えていました。
そして、僕は笑うのが好きでした。周囲の人が笑っているのも好きでした。お笑い芸人になりたいと考えていたこともありました。
そして笑いを取りたいがため、様々な奇行に走ることもありましたし、自分で面白いと思うこともたくさんやってみました。
結果として僕と父は学校の校長室に呼ばれ、校長直々に『お宅の子は頭がおかしいので障害者クラスに入りましょう』とお達しをいただきました。
なんの障害なのかわかるまで検査をし、その間の1カ月ほどを障害者クラスで過ごしました。
僕自身は、障害者クラスであたらしい友達もできたし、時々検査に行けば面白いテストや見たことない機械にかけられ、変にワクワクしてたのを覚えています。
家族はそうではありませんでした。校長を相手にさまざまな話が進んで、危うく出るところまで出そうとしていた、とまで聞きました。
そして様々な検査を重ねた結果、僕には一切病名のつく障害は無く、単にそういう性格の子供だということがわかりました。
中学生になってもほとんどそれは変わらず、そんな自分のまま多感な時期を迎え、そんな自分のまま青臭い思いも甘酸っぱい思いも経験しました。
僕と仲良くしてくれる人ばかりではありませんでした。学校ではやはり、クソ障害者なんて呼ばれたこともありました。
でも仲良くしてくれる友達も数多くいたし、何よりそんな事を言ってくる子と仲良くする気は初めからなかったので、特に気にはなりませんでした。
高校生になり、そして大学へ行き、この時期でだんだんと、社会の姿が見えてきました。
そして知ったのは、社会というものが僕のようなタイプの人間に対してそれほど寛容ではない、ということでした。
小学生の時の校長先生のような人が大半を占めているんだと、知りました。
突然ですが、パラリンピックの水泳選手、一ノ瀬メイ選手という人がいます。
彼女は、障害の『害』の字をひらがなにするのが嫌いだと語っていた。
『私からしたら腕がないのが障害なんじゃなくて、それを持って生きていく社会が害』
『私からしたら障害は本人じゃなく社会やから、ひらがなに直して勝手に消さんといてほしい』
この話を初めて聞いた時の衝撃は忘れられません。
日本のスイミングクラブに入ろうとしても、腕がない人は困ると断られ、海外のスイミングクラブでは、ただタイムだけを聞かれOKをもらえた。
バリアフリーという概念が生まれたとはいえ、それは建築の話に限ってしまい、人の中にある社会というものは、いまだ障害者を障害者のままにしている。
社会というものに障害がある。その部分に生きている人を障害者と呼ぶ。
そしてそれらの障害に、病名がつけられることで初めて障害者だと認定される。
では、病名がつかなかった僕はどうなるのでしょうか。社会人になり、様々な新しい病気を知り、自分を知るためにそれら全ての検査を受け、結果健康体だと診断された僕は、なぜ社会から障害者だと認定されてしまうのでしょう。
僕には、社会が明確な障害を抱えているのにそれを認識せず、病名もつけられず、誰の助けも借りられない、理解者もいない、そんな部分がポッカリと開いている気がします。
そしてそれは、社会の障害なのに障害と認めてもらえない、『透明な障害者』と言えるのではないでしょうか。
そんな『透明な障害者』は、社会がどうしても生きづらくて、苦しかったりしんどかったりしても誰も頼れず、理解も得られず、今でも苦しんでいると思います。
そしてそれは、その人個人の問題とは言えず、やはり障害を抱えてそれを見ようとしない社会の問題だと思うのです。
少なくとも、僕は今でもそれを感じる時があります。心無い言葉をかけられることも、冷たい目を向けられることもあります。
どうか、もしあなたがこれから先の人生で、自分の常識的価値観から逸れた行動をする人が現れ、その人が障害者だろうと頭の中でレッテルを貼りそうになった時、どうかそんな『透明な障害者』のことを思い出してください。
私の最終学歴は専門学校卒で今は看護師をしている。頭は悪かった。一方で弟はよくできていた。そんなもんだから弟と比較されて過ごしていた記憶しかない。
弟は県内一の進学校に通っていた。両親もそこ出身。私だけが例外。亜種。
そもそも小学校の頃から勉強にはつまづいていたし、だから親にはもう諦められていた感もあった。10歳程度で親の期待には答えられないことがわかった。バカに生まれると苦労するのである。
まぁ勉強できないからやりたくなくなるわけで、成績もよくない。当然ですがそのほかに身を立てられるようなスキルもなかったので、勉強するしかなかった。今でも「芸術とか運動とか、そういう才能あるの?あるんだったら文句言わないけど、そうじゃないでしょ。なんで勉強すらできないの」と言われたことをよく覚えている。正論なので当然文句は言えない。
なんとか高校は普通レベルのとこに入った。友達がいないわけではなかったので学校生活には問題無し。だがやっぱり家庭がネック。中学生の弟と当時の成績を比べられるわで。まぁ自分たちの行かせたくない学校に金払うのもばかばかしかったんだと思う。学費などは文句を言われた。色々あって進路を決める時期になった。もはや国立大学には行けそうにない頭の出来だったし、医療福祉関係には中学の頃から興味があったので看護専門学校に行こうと思った。お願いだから専門学校とかはやめてくれと言われたが、なんとか行かせてもらった。そしてバカなりに学校を卒業し、県内では結構大きい総合病院への就職が決まった。たぶん名前を言えばすぐわかるくらいって感じの。この頃から両親の態度は激変した。ようやく自分を認めてくれるようになったのだ。いいところに就職したね、と。一時期はどうなるか不安だったけど本当に良かった、と。嬉しかった。ものすごく嬉しかった。
何年かして弟も就職することになった。弟の就職先はテレビ局だった。進学校から偏差値の高い大学へ行き、テレビ局である。だが、ここで順調にいっていた弟の評価は一気に下がることになる。両親に言わせればテレビは斜陽産業だとかなんとかであんまり面白くなさそうなのである。
ちょっと弟にマウント取れたような気もした。性格悪いと言われそうだが、弟にも評価されない悔しさでも味わってもらえればいいな、とか思ったのである。
この間、休みに帰ってきた弟に話を聞いた。ちょっとかわいそうだな、くらいの気持ちで話を聞いた。なんかADのような仕事をしているらしい。新人のお笑い芸人のこともさん付けで呼んでいるところが業界人の自慢話っぽかったけど、基本的には楽しそうだった。自分が面白いことに携わっているという自信があるし、視聴者からのご意見でも高評価を得ているということがなによりも嬉しいらしい。一方、自分はどうかというと楽しく仕事をするとかそういう感覚がなかった。患者さんからありがとうと言われてもなんか信用できなかった。
楽しそうに話す弟に思い切って、両親のことを聞いてみた。弟は親のことは全然気にしていなかったらしい。というか両親のことを気にしたことがないとも言った。そうだった。弟は両親に事細かく言われたことがなかった。そもそも学校の成績も良かったし、進学の度に文句を言われた自分とは大違い。そういう部分で苦労なんかしていない人間だった。
自分は勉強に対する苦手意識が大きく残っていたし、今でもそれで勉強不足で恥をかくこともある。就職先でしか褒められなかったことも自分の自信につながらない。たぶん、今の病院をやめてしまうようなことがあれば両親は自分のことを、またボロカスにするに違いない。子供の頃の、自分に戻るだけなのだ。弟は今どこへでもいける。今更何か言われても自信が揺らぐことなんてないんだろう。まぁそんなことに気づいたところでこれからどうしようかと思ってもどうしようもない話なので。
「上坂すみれのヤバい○○」が人気エントリに入ってて思い出したけど、あれは酷い番組だった。
可愛い声優がカオス(寒)なことをする姿を見せて「どう面白いでしょ?お前らこんなのが好きなんでしょ?」と言わんばかりの内容だったが、台本丸出しのボケっぱなしツッコミ無しで寒いを通り越して痛いくらいだった。大川ぶくぶのイラストもカオス感(激寒)を強調するために使ってるんだろうが気持ち悪いだけだろ。
そもそも声優はお笑い芸人じゃないから笑いを取る必要はないとか、動いてる姿を眺められれば満足のファン向けの内容だから良いんだよとか突っ込まれそうだが、
30分の番組枠を使うんだったらもっとマシな番組にしろよ。ファンにだけ売りたいなら円盤だけ出せよ。
他にもミルキホームズみたいなドル売り声優がやってる番組やニコ生の声優顔出し番組を見ても基本つまんねーんだよなぁ。大喜利は下手だしお笑い芸人の真似みたいな事やっても素人に毛が生えた程度。
芸人声優と呼ばれてる人たちも基本つまんなくね?白石稔なんて一時期異常に持ち上げられてたけど何が面白いのかよくわかんなかったわ。
ラジオが面白い岩田、小野坂、関智一。特定方面の知識に長けていて語れる杉田、喜多村、桃井。地上波テレビ番組でも通用する宮野、山寺、たはかし智秋。上坂すみれよりよっぽどヤバい金田朋子と小林ゆう(松岡禎丞も昔はヤバかったが最近は慣れてきたのか普通になってしまった)。
声優補正抜きで面白い人達ってこのくらいでしょ。後は「あのキャラを演じてる声優さんがこんな事をwww」という声優補正で一部声豚が持て囃してるだけ。
そういう意味ですか。「ブス」ではなく「ブサイク」だったので、男性に向けての発言だと思い込んでいました。どうもすみませんでした
女の敵は女なので、そんな発言するのは男性ではなく女だろう、ということですが
これが例えば日本人の女性お笑い芸人や、好感度の低い女性タレントがセクハラを訴えたなら
悪意を持って、皮肉や嫌がらせの意味で「あんたみたいなブスが男に相手にされてよかったじゃんw」と言う人は男女問わずいると思います
その国では「アルビノをレイプするとエイズが治る」「赤ん坊をレイプするとエイズが治る」といった迷信があり、その迷信のひとつに
「老婆をレイプするとエイズが治る」というものがあり、黒人のお婆さんが黒人男性にレイプされる事件が後を絶たないそうです
治安の悪い国ですから、「許可なく体を触られて嫌だった」「ベッドの上でちょっと強引にされて不快な思いをした」程度ではなく、通りすがりに押し倒され、その辺の地面の上で、黒人男性のとんでもない大きさの性器を無理やり挿入されて血まみれになりながら犯されるのでしょう
そんな迷信を信じる程度ですからレイプ魔に倫理観も何もあったのもではなく、下手をするとその場でボコボコに殴られて死姦に移る可能性も大いにあります
何の面識もない、特に恨む理由もない外国の黒人のお婆さんが命の危機に晒される日常を目にして
「レイプされるなんてお婆さんにとってはご褒美だね、よかったね~w(ババアざまあw私はブスが大嫌いなの!醜いババアは性病で苦しめw)」という考えに至りレスをする女性が2chの実況スレに複数人居合わせるとはちょっと思えません
そもそも、「お婆さんにとってはご褒美だね、よかったね」とレスした人は、元増田にも記述したように、悪気があるようには思えませんでした
自分よりずっと体が大きく力が強い人間に生殺与奪を握られることや医療機関もろくになさそうな国で性病に感染する恐ろしさに思い至らず、
皮肉でもなんでもなく、悪気もなく、心から「セックスの相手に選ばれてよかったじゃん」と祝福している男性(と思われる)を見て、こういう考えの男性が一定数存在していることに驚いたという話のつもりだったのですが、伝わらなかったですね
最近俺のホームである2ch嫌儲板にて、嫌儲に蔓延る俺のような弱者男性を汚い言葉で煽り立てる通称まんナイト(フェミニストのふりをして女を擁護し弱者男性を攻撃するが、その実態は単なる逆貼り厨のま~ん(笑)が大好きな精子脳ジャップオス)とフェミま~ん(笑)が非常に多い
それは男女の対立を煽るスレを立てて論争の場を作り出すケンモメンにも責任はあるけど、やはり一番責任があるのはこいつらまんナイトやフェミま~ん(笑)だろう
俺が思うに、小林ギリ子なんかをRTしてるTwitterのフェミま~ん(笑)界隈やガールズチャンネルのババま~ん(笑)、果てはここはてなに生息するリベラル気取りのフェミま~ん(笑)やまんナイト達は、対立軸の設定を間違っていると思うわけだ
俺達弱者男性は近年根底から問題提起されている制度的かつ文化的に蔓延した男尊女卑を作り出した元凶ではない
その元凶は24時間戦えますか?的マッチョイズムを是として昭和のジャップランドを建設してきたジジイ共であって、俺達弱者男性はむしろそうしたジャップバブルの時代に於いては、こうしたジジイ達にフィギュア萌え族等と蔑称を与えられ差別されてきたことは歴史が証明しているではないか
そいつは年収200万そこそこで毎日素うどん食べてる俺達弱者男性の仲間だと思うか?
男尊女卑に関して言えばマスメディアの影響を無視しては語れないはずだが、マスメディアに勤めている人間は年収200万そこそこで毎日素うどんすすってるか?違うだろ?
あとホモソーシャルって言葉があるけどさ、ああいう関係性が顕著に現れる集団って例えばラグビー部だったりサッカー部だったり所謂卓球やバドミントンを陰のスポーツとした時に陽のスポーツに分類されるスポーツマン達が挙げられるわけだが、そいつらってかつてファギュア萌え族と侮蔑された俺達弱者男性の仲間なのか?違うだろ?
はっきり言うけど日本に蔓延る「男尊女卑」を牽引してきたのは俺達弱者男性の対極に位置する、こうした強者男性達だろ
そんなの俺達弱者男性は社会に大した影響力を有してないんだからちょっと考えれば当たり前の話なんだよ
俺達にはそんな社会全体の流れを作り上げるようなエネルギーはないんだよ
ここまで読んだらもういい加減理解できただろ?
フェミま~ん(笑)やまんナイト共は俺達弱者男性を叩くのを今すぐ止めろ
もっとこう体育会系のさぁ、女性を性的に消費するのが日課ですみたいな広告代理店社員とか野球選手とかタレント俳優アイドルお笑い芸人とか秋元康とか責めるべき奴はいっぱいいるじゃん
追記
一つめは理詰めで事実を淡々と喋ってくれて、自分の意見をハッキリと言ってくれるタイプだ
当然意見の食い違いもあって対立もするけど、深く話あえばなぜ違いが生まれるのかもわかり会話に充実感がある
会話に深みがあり、ときに人生観や生き方に少なからず影響を与えてくれる
その反面では「会話を弾ませる」能力には長けていないので、会話の途中で30秒ほど無言が続くこともある
だが、それでいいと思っている
無理に会話を続ける必要はないし、無言まで含めてその時間の流れを楽しんでいる
会話が終わると、「もっと深く考えたいなあ」としみじみと思うようになり、脳が好奇心と満足感で満たされる
もうひとつのタイプは、ただただ空虚な言葉を並べて楽しませてくれる
そのひとは、お笑い芸人のネタを見るように次々と面白いことを見つけて笑わせてくれる
会話に隙はなくて、沈黙する暇も与えず話題を提供し楽しませてくれる
笑って楽しいなと思っていると、ふとした瞬間に友人の話に齟齬や矛盾があると気づいてしまう
話を盛り上げるために、ウソをつく
その会話に密かに隠されたウソに気づくと、僕の顔は笑顔でも心は冷めている
僕の心中は「どれがウソで、どれが本当なのか?」という疑心暗鬼に陥ってしまう
会話が終わり、笑顔で別れても心のなかはヒンヤリした気持ちになる
平気でウソがつけるヒトが怖い
そして、ウソが許されると思っているヒトも怖い
だけど、そんな友人と縁を切る勇気もない
ただ、ウソが怖い
https://anond.hatelabo.jp/20170809081556
http://koganeisyobou.hatenablog.com/entry/2015/12/02/104911
髪の毛の薄い人に対して「はげ」という言葉は、今の社会では割と一般的に使われています。テレビなどでも「ハゲ」って普通に使われていますよね。
そのことに対して私はどうも違和感があります。一言でいうと、これは髪の毛の薄い人に対する侮蔑的な言葉であって、みんな普通に使っているけれど本来は差別にあたる言葉なのではないかと思うからです。
とはいっても、「禿げ」とか「禿げる」という言葉自体は、単に髪の毛が抜けて頭皮が露わになる様を差す言葉にすぎませんし、また、山などの草木がなくなることを指す言葉でもあるので差別用語ではないと思います。
問題なのは、いわゆる「ハゲ」と表記されるような、人を笑ったり馬鹿にしたりするような使い方です。
人にはそれぞれに様々な身体的特徴があるものですが、他の身体的特徴と違って髪の毛が薄いというのは、昔から笑いの対象にされやすいようです。
ところで、社会では障害者を差別したり人権を侵害してはならないということがルールになっています。
そういう人たちは、自分のせいではなく生まれつきの(または不慮の事故や病気などによる)特徴によって生活に制限を受けているのだから、そのことで人権が損なわれることがあってはならない、と。
だったら頭髪の薄い人や、その他の身体的特徴がある人も同じではないでしょうか。
そういった人たちも、生まれつきの体質や自分の意志でどうにもできない身体の特徴を理由に人としての尊厳を傷つけられてはならないはず。
でも今の世の中ではどうでしょうか。「ハゲ」という言葉はごく普通に使われていますし、テレビなどではよく笑いのネタとして扱われています。
よくよく考えて見れば、これはおかしいことなのではないでしょうか。
薄毛の人を笑ったり馬鹿にするというのは、侮蔑的な行為だと私は感じます。
別に薄毛に対する笑いを全て禁止しろ、などと言うつもりはありませんが、笑っていいのは、本人がそれを望んでいたり許容している場合だけではないでしょうか。
とても楽しませて貰った
神ゲーと言えるけど、何点か気になったところ
仕方ないとも思えるけど、すぎやんもう引退させてやれよ
一緒に仕事したこともあるし崎元仁さん辺りにまかせりゃいいだろ
よりによってラスボスの曲が使い回しだったのにびびったわ
FF14よりDQ10派だけどFF14はBGMに関してはダントツ勝ってるよなとは思う
落とし穴とかマウントにのってジャンプしたりとか岩壊す奴くらい
なんとか魔城はやや大変だった。MP的に。
買って速攻次の出たり作れたりでやたら入れ替わり激しい
多分ゲームがサクサク進むからかもしれない(110時間プレイした)
セーニャ目がデカすぎてきもちわりぃよ。通常のポリゴンだとまぁ可愛い。
グレイグとかあの辺はとてもいけてる。
PS4番は、1ターンの区切りはあるけど、従来の一度に全員分のコマンド入力するのではなく、
これ無駄行動防げる便利なところもあるけどターンの区切りがあいまいになってくるので
このターン中にどの敵と味方の行動残ってるかを念頭に置いとかないといけない
基本通常バトルはオートにしてるけどたまにボス戦でめいれいさせろすると慣れてないのでやばい
…話は戻って、これDQ10のUIそのままもってきてからだろうけど、
今どのキャラのコマンド回ってきたか判断めちゃくちゃしづらい。
右側のアイコンでちょっと左にでっぱってる奴が今コマンド来てる奴なんだけど分かりづらい
DQ10は自キャラしか操作できないからコマンド入力=自分の行動なんだけれども
オンラインだとそのモーション中にも他のキャラは動いてるからいいけど、
通常は平気なんだけど、○ターン内に敵を倒せ系のバトルの時めっちゃイライラした
シルビアだけ使い回しではなく独自のエレガントなモーションが作られているので
やみくもに使い回ししているのではないのはわかる。めちゃくちゃ素晴らしい
弱い。普通に殴れ。
あと某英雄とセーニャの最終装備がクソダサでつらかった