保毛尾田保毛男でぎゃーぎゃー言ってる人はクソフェミニストと同じだと思います。
で、今回またぎゃーぎゃー騒ぐ人は自ら生き辛く、生き辛いままにしようとしているのだと思います。
主に怒ってる人は自分がゲイで、そのゲイであることがコンプレックスで、
それが笑いの対象になってるのが気に入らないのかなと思うんですが、
(ゲイじゃない、中立的な?正義的な?人もいるかと思いますが。)
人のコンプレックスが笑いになってるものなんて世の中にいくらでもあると思うんですよ。
デブであれハゲであれ出っ歯であれ運動音痴であれみんなそうだと思うんです。
だから、ゲイが真に世間に馴染むにはこれらと同じ道を行くしかないと思うんです。
それ以外の道は望むべくもない特別扱いだと思うんです。そういう意味でくそフェミニストと同じだなと。
そんなにあちこちに過剰に配慮する世界になったら、拒食症の人の事を考えたらグルメ番組なんてできないし、
貧乏な人の事を考えたら車とか旅行とかの番組もできないですし、有名大学なんて放送禁止になると思うんです。
で、今回ぎゃーぎゃー言ってる人も、普段の行動から全人類を相手に考えてるかというと、そうじゃないと思うんです。
じゃないと何か食べておいしいとも言えないですし、旅行行って楽しーとも言えないですし、
生きてるだけで幸せとかすら言えないんじゃないかと思うんですよ。極論ですけど。
だから、怒ってもいいんですよ、怒るなとは言わないんですけど、怒れば怒るだけ、
ハゲとかデブとかチビを過剰に気にしてるみたいな、扱いにくい冗談通じない人にしかならないと思うんです。
気持ちはわかるけど相手にすんなよ無視しとけよって言いたいんです。
他愛ない、ありふれたもの、っていうところまで世間の意識を持っていくべきだと思うんです。
うざい女定員とか、バイトリーダーとか、気持ち悪いオタクとか、すぐキレる教師とか、
そういうお笑い芸人のネタになるようなのと同列に保毛尾田保毛男を扱うべきだと思うんですよ。
ゲイだかLGBTにおける一種のステレオタイプとしての保毛尾田保毛男として扱うべきだと思うんです。
じゃないと、いつまで経っても世間的に異物で、普通の人から距離があって、物珍しい存在から脱却できないと思うんです。
「こんないかにもな奴いねーよwww」って笑えるくらいじゃないと、
ゲイであるという事が一個性であるというところまで永遠に辿り着けないのではないかと思うんです。
そりゃ人が嫌がることをする奴は怒られるべきだっていうのはわかります。
でもそれは理想論というか、一般論というか、あくまでも「論」を出ないわけで。
現実的に暮らしやすい世界を作ろうとするなら、ぎゃーぎゃー騒いで謝罪させるみたいな対応は頭悪いなと思うんです。
今回はその機会を無駄にしたなとすら思うんです。
バーカ
いいんだよ別に あいつら言葉狩りして頭下げさせときゃ、現実の弱者がどうなろうと知ったこっちゃないんだから
差別してもいい対象を選別するのが日本のお笑いだということがよくわかりました