はてなキーワード: 4コマとは
それから長い時間が経って、今は野良のプロとして漫画を描いている。特定の組織には所属していない。ごく稀にR18雑誌に寄稿したりもするが、基本はずっと一人だ。
今回、こうしてエッセイみたいなのを増田に投稿しようと思ったのは、感謝の念が芽生えたからだ。
ずっと、社会に恨みを抱いて生きてきた。子どもの頃からストレスが多い環境にいたせいだろう。最近、ようやく周りに感謝ができるようになった。以前は、作品を認めてくれるファンの人だったり、SNSで意見やコメントをくれる人だったり、本気で叱ってくれる人にしか感謝できなかった。
最近になって、子どもの頃から散々な目に遭わされた家族とか、昔々の、辛い状況でも諦めなかった自分に感謝ができるようになりつつある。ちょっと長くなるけど、自分語りをさせてほしい。
虫取り網を叩き折られたり、廊下を歩いていると後ろから蹴られたり、みんなで遊んでいる時も置いてけぼりにされたり、自分の家で遊んでいる時は貯金箱からお金を盗まれたりした。
イジメから助けてくれる先生はいたが、見て見ぬ振りをする先生も多かった。中学に上がってからは、暴力がますます激しくなって、週に1,2回くらいしか学校に行かなくなった。保健室通いというやつだ。
学校だけじゃない。家族もそうだった。自営業(工場主兼農場主)をしている父はただ黙々と働いているだけだったが、母(介護福祉士)がとにかく理不尽だった。小四くらいで整体マッサージを覚えさせられ、母が夜ドラマを観ている最中、足や背中をひたすら揉まされた。
数学のテストで20点を取ったり、ワイシャツを洗濯に出さなくて洗濯機で汚れが落ちなかったりすると、決まって布団叩きで頭をぶん殴る。その後は決まって反省文の提出と朗読がセットで付いてくる。
一番ムカついたのは妹(現在イラストレーター。女性誌の挿絵とかリクルートの雑誌の4コマ作ってる)だ。3つ下だったが、自分が中学一年生の秋に不登校になり始めてからは、ひたすらバカにしてきた。
母と一緒になって、「役立たず」「頭が悪い」「人間性に問題がある」「兄ちゃんのせいで学校で嫌な思いをする」「早く家から出て行って」など言いたい放題だった。
中学を卒業して偏差値52の公立高校に通った。イジメに遭いそうにない環境や生き方を必死で探したおかげか、陰キャラとして3年間を過ごすことで平穏無事に高卒の肩書を得た。
人間としては全然ダメだった。今でもそうだ。青春期に、部活とかボランティアとか、人と関わる活動をしてこなかったせいか社会性に問題がある。クリエイターを目指す専門学校に入っても変わらなかった。マックでアルバイトを始めたけど、根本的なところはいっしょだった。
自信がなかったのだと思う。自分自身の生き方に対する信仰、というか。それが社会性のなさに繋がって、いつまで経っても結果が出せなくて、それで自信を失っての悪循環だった。
普通の20代前半くらいの人間だったら、「お前はすごい」と言われたことがあるはずだ。自分にはそれがない。もどかしい気分になったけど、当時は鬱蒼鬱屈(教えてくれた人サンキューです笑)とした気分で街を歩くしか手段がなかった。
ちょっと前に、マクドナルドに面接に出かけて、遅刻して店長に怒られて逆切れをした人のはてなブログがバズったことがあったはずだ。まさにそんな気分だった。あれは自分だった。もう一人の自分。今思えば愛おしい。
専門学校に入学してすぐだったか。あるまとめサイトを見たのは。
絵師の上達みたいなタイトルの2ちゃんねるのスレッドだった。いろんな神絵師の上達していく過程が何枚かの絵を抜き出すことで説明されていた。ところで、自分はシナリオ学科だった。イラストとは縁がない。けど感動したのは覚えている。
ある神絵師の最初のイラストは、東方のチルノだった。最初は小学生が描いたみたいなシンプルな鉛筆書きみたいなノリだったのだが、年を経る毎にどんどんうまくなっていって、最後のイラスト、神輿と一緒に映っているチルノはまさに圧巻だった。
この時になって思い出した。小学生の頃は、授業中のノートに絵を描くのが好きだった。当然、大したことはない。まさに子どもの落書きだ。中学生になる頃には一切書かなくなっていた。
自分もイラストをやってみたいと思った。確かな感情だった。自分が好きなアニメのイラストを描いてみたい。あの時、確かにそう感じた。
まずは自由に描いてみた。
一番最初に描いたのは実家で飼っていた猫だった。灰色のやつで、自分と妹が小学生の時に拾ってきた。自分達が近付くと、「ヌアァン」と鳴いて田んぼの稲穂の中に入って行った。
出てくるまでに20分はかかったろうか。「いつまでも一緒に待つんだぞ」と妹に提案して、出てきた猫を妹が抱えて家に持って帰ったんだっけ。父には反対されたけど、母を味方に付けることに成功した。
そんなこんなで初めて描いた猫は、猫ではなかった。よくわからない物体だった。耳がへなっと折れていて、ほわほわとした毛並みを表したはずの鉛筆でのなぞり書きは、角が折れたトーストの上に浮かんだような暗黒物質を生み出していた。小倉トーストだった。
二番目に描いたのは、好きなアニメのキャラだった。アイカツ!の星宮いちごを描いてみた。二次元だったら何とかなるかと思ったが、ぜんぜんそんなことはなかった。一応人間にはなっていたが、こっちの方がまだ猫に似ていた。
三番目は、風景に挑戦した。上で田んぼと書いたが、当時は関東圏でもそれなりの田舎に住んでいた。実家の近くに小高い山があるのだが、そこに昇って、自分が住んでいる町を見下ろしてスケッチをしてみた――結果は燦々ではなく、散々とした出来だった。透き通った空気の中に浮かぶ田畑が並んだ一帯を描くはずが、自室の襖に飛び散ったとある黄ばんだ一角のような、痴態のようなものしか描くことができなかった。
独学で学んでいるからダメなんだと思い、ネットで上達方法を学んでみた。といってもツイッター検索だが。「とにかく量をこなせ」というメッセージが心を掴んだ。
次は書店で本を買い、何周も読み返して基礎的な人体の描き方を頭に叩き込んだ。新しい何かが開けた気がした。
そんなこんなで、何を描いたのか判然としないようなモノを1週間につき1枚のペースで仕上げていった。努力しただけあって「ヘタクソ」の領域に到達することができた。
これでいい。あとはpixivに投稿しさえすれば、絵描きへの第一歩を踏み出せる。ここまでに約二ヶ月かかっている。今までのpixivの使い方はといえば、好きな漫画やアニメのイラストを見たり、さあ寝るかと思った時に、より深く就寝に至るための聖なる行為(SeaCallと呼んでいた)をするためだった。
それが今、人生で初めて本気で描いたアイカツ!のキャラ絵を投稿しようとしている。色々と入力していって、最後に「投稿する」ボタンを押すと、ブラウザ画面がぐるぐると回って投稿が終わった。
最初のブクマ数は、3時間で「5」だった。閲覧数は70くらい。コメントも付いた。テンプレだったけど。
嬉しかった。自分のイラストを気に入ってくれる人がいたのが嬉しかった。この時が絵描きとして人生で一番最高の瞬間だった。この時以上に嬉しかったことはない。
ところで、検索で一番上に出てくる上位勢とは月とすっぽんだった。それくらい画力に差があった。子どもの頃に観ていた夜ドラマで喩えると、彼らがお空に浮かぶお月様だとしたら、自分は味噌汁の出汁に使われる煮干し様だった。彼ら彼女らを引き立てるための数多のヘタクソの1人。それが当時の自分だった。
今の自分は、漫画的な儲けであれば、彼ら上位勢のほとんど全員に勝っているだろう。もしかすると、pixiv出身の若手作家という括りでは自分が歴代一位かもしれない。いや、多分そうだ。
しかしbut。あいつらの画力には到底及ばない。あれは常人が至れる領域じゃない。努力できる天才だけがあそこまでいける。
当時は、気が狂ったようにイラストを描いた。専門学校の授業が終わると、真っ先に家に帰ってイラストを描いた。アルバイトは当初週4でシフトに入っていたけど、週2に減らした。
ここでいったん筆を止めて、pixivのマイアカウントを眺めてみる。過去に描いた作品を時系列に巡ってみたのだ。すると、端的なある特徴が出てきた。割とすぐに一般絵からエロ絵主体に移行しているのだ。もっと遅いと思っていた。
今の自分は、一応プロだ。エロ絵で生きている。絵の初心者だった当時は、そんな未来は全く想定していなかった。自分が描いていて楽しいものを作っていただけだ。自分はおそらく、エロに興味がある人間だったのだろう。
とにかく、たくさん投稿していた。週に2~3つ上げていたこともある。今だと月に1枚が限度だ。暇な時間がなくなってしまって、好きなキャラ絵を描く時間も体力も気力もない。専門学校を卒業する頃には、200本以上のイラストや漫画をアップしていた。子ども向け~若者向けのアニメが多い。アイカツ!とか、プリパラとか、ポケモンとか、ラノベ作品とかそんな感じだ。
すっかり絵描きになっていた。マックのアルバイトで貯めたお金でペンタブを買ったりした。今でも使っているお気に入りのやつだ。
絵を好きになれたのはよかったが、専門学校を卒業しても就職しなかった。シナリオの勉強は存分にさせてもらったけど、別に脚本家になりたいわけでもなし、ゲーム制作の実績があるわけでもなし、就職活動やコネ作りなど当然しているはずもなく。文章を書くのは好きだったが、小説書きには興味がない。そんなことより絵が描きたかった。
いや、違う。専門学校に居た時、違う学科同士でグループを作ってゲーム制作をしたことがある。途中で抜けることになったが。コテコテのRPGだった。
ツクールで制作を進めていて、魔法の名前を考えている時、自分が水属性の魔法として「シーコール」を提案したのだ。それで、3人居た仲間の1人が噴き出した。また別の子が、「海をイメージしてるんだね。きれいな名前だね」と言ってくれた。それで、「発展形はどういう名前になるの?」と聞いてきた。
「ゼンイン・シーコールというのはどう?」と自分がいうと、さっき噴き出した奴が机に突っ伏していた。「それは、どういう描写をイメージしてるん?」とさっきの女の子が聞いてきた。
「みんなで力を放出して集めたやつを、その聖なるやつをさ、敵に流し込んでやるんだ。思い浮かべてみて」と言ったところで、また別の人が「お前はふざけているのか。帰ってくれ!!」と憤った。
以後は、それなりのペースで開発は進んだ。順調だったように思う。上の女の子が、みんなをうまくリードしてくれた。自分にキレた人も、開発の途中からは冗談を言うようになっていた。
「増田君、いいシナリオが思い浮かばない? じゃあ、この主人公がトツゼン・シーコールをするのはどう?」
と冗談を言ってくれるようになった。
懐かしい記憶だ。ちなみに、シーコールをきれいな名前だと言ってくれた子は、卒業後にガンホーに入社した。当専門学校では一番の出世株だ。同窓会ではスマホゲームを開発してると言っていた。参考までに、マジメに考えた技や魔法も一応提出した。
・無窮動(ペルペトゥーム・モビーレと読む。それ以外は亡失)
・規律ある発狂状態(ディシプリナ・インサイアと読む。それ以外は亡失)
・夜明けの羽ばたき(〃。たぶんミネルヴァの梟から取ったのだろう)
こうして自分は、絵を描いていたいがあまり、フリーターとしての道を選んだ。父や母からは馬鹿にされ、軽んじられた。当然、妹からも。
当時の妹は、実家の台所で自分の存在を認める度に、ごみを眺めるような感じで素通りした。なんというか、存在を認識していないのだ。あいつも高校を出てすぐに入った会社で嫌なことがあって、1年ちょっとで辞めてしまって辛かったのかもしれないが、とにかく目線が冷たかった。
自分もフリーターの身分なので、家族内で大したことは言えなかった。母にはよく「役立たず」「プーの分際で」「一生トイレ掃除でもしてなさい」など冷たい言葉を吐かれた。
フリーターだった頃の自分は、何を思っていたのだろう。「見返してやる。世の中で絶対成功してやる」などと思っていたのだろうか……いや、そんなことは思っていない。自分がやりたいように、やりたいことをして生きていきたい。そう思っていた。それだけだった。
マックで週2~3回のアルバイトをして、家に帰ったら小学校に上がる時に買ってもらった児童机に座り、ペンタブを握って作業に没頭した。傍らの床には、スケッチ帳を破って放り投げた下書きが何十枚も落っこちている。そんな毎日だった。
できた、できた、できた!! 作品を完成させた時のあの感覚、自分がまるで神にでもなったかのような、いま過去最高を更新し続けている、今この瞬間の自分は過去のどの自分よりも優れている――という、あの頃の高揚感にはもう戻れない。あの日々、俺は俺で満たされていた。我を忘れるほど。自分が決めて進んでいた道のなかで。
成長しすぎてしまった。10ヵ月以上かけて長編作品を完成させたとしても、喜びはあまりない。それよりも、ホッとした、安心したという感情の方が強くて。ある時期を境に、自分は作者として堕ちているのか、このままで大丈夫なのかという疑問が湧いてきた。一方で、FANZAやDLsiteで多くの人達が楽しんでくれているのを観ると、やはり絵描きをしていてよかったと感じる。
DLsiteに長編作品を投稿しようと思ったのは、ある夏の日のことだ。アルバイトが終わり、家に帰って夕食を食べていた。すると、台所の四角い卓の斜めに座っていた妹が、「ん」と親指を床に向かって指した。そこには、おそらく何日か前のご飯の残りカスみたいなものが落ちていた。妹は、ウザそうな顔で「拾え」というジェスチャーを繰り返した。
しぶしぶ右手を屈めて拾ったのだけど、それから何時間か経って、自分が相当馬鹿にされていることに気が付いた。あれはそもそも、自分が落とした残りカスだったのだろうか? 違うんじゃないのか。とにかく馬鹿にされていたのは間違いない。怒りが込み上げてきた。許せないという気持ちが何日も続いた。
ある日、ようやく思い立った。自分の思いに決着をつける方法を。解決になるかはわからなかったが、とにかくやってみようと思った。
R18作品を扱っている販売サイトを見て廻った。それで、処女作はDLsiteに捧げようと思った。これまで同人作品や同人ゲームを購入したことがあるというシンプルな理由だ。「此処で作品を売ろう」と思ったら判断は早かった。すぐにpixivのマイページを開いて、これまでに投稿した約250作品をひとつひとつクリックしていった。読者の反応を観るためだ。
長編作品と向き合うにあたっては、自分の強みでとにかく突き抜けようと思った。専門学生の頃に、ヒルティという人の『眠られぬ夜のために』を読んだことがある。あまりに感動してしまって、つい何篇かの言葉をメモ帳に書きつけていた。
突き抜けよ。この短い言葉は、内的生活の多くの危機に、ほとんど魔術的な効果をもつものである。
195ページ
あなたの義務を行いなさい、できるならば楽しい気分で。できなければ、そうした気分なしでもよい。この方が一層ほむべきことであり、一層大きな実りがある。
211ページ
まことの人生の楽しみを得ようと思うならば、なによりもまず、その楽しみがいったい何にあるかをはっきりさせ、それを妨げるすべてのものを、断然さけなければならない。
237ページ
今でも好きな本のひとつだ。
とにかく、突き抜けてみようと思った。頭に閃いた何かを形にするために、これまで作品をお気に入り登録してくれた人達の意見を集め、この試練に立ち向かうのだ!
スケッチ帳への下書き(追記 専門用語でいうネーム)から始めて、セリフを付けて、大まかに色を塗って(追記 色鉛筆でザザッと塗るだけ。難しい場合は✓で表す。自分の場合は一度紙で表現しないとデジタル作業に移ることが難しい)、効果音のイメージを書いて……いや、大事なことを忘れていた。基礎設定はできていたのだが、キャラクター同士の人間関係をまるで作っていなかった。これでは駄目だ。というわけで、もう一度スケッチ帳への下書きからやり直した。「うん、これでいい。やっぱりやり直してよかった」と、当時の日記に書いてあった。
今でもそう思う。キャラクター間の繋がりが何よりも大事だ。特にR18コンテンツにおいては。「男性はカタログとシチュエーションに萌え、女性は物語と関係性に萌える」のだから。
粉骨砕身の末、三ヶ月以上かけて初めての長編作品ができた。50ページ近くはある。誰に対しても胸を張ることができる妹凌辱ものだった。
精一杯、想いを込めて突き抜けた作品だった。2022年6月現在のインターネット掲示板での自分は、近親相姦ジャンルの大家として知られている。恋人たちの予感がするほど、そんなラブラブな作品は作らない。ガチ凌辱とかではなくて、『ライト強姦』とか『ソフト凌辱』とか言われるコンテンツになる。
以下に続きます。
俺は理解できねえ
まずここがわからない。
最初に断っておくがこれは「漫画なんだから全部フィクションだろwwww」で終わる話じゃない。
「作中のキャストが実際に体験したことを映像化した部分が何割含まれているか」という話であり、逆の言い方をすれば「両親や同級生も全部俳優で、中学生の主人公とオッサンの主人公は別の俳優がやっている」という解釈が正しい可能性も考慮するということだ。
ありがちなパターンで「4コマ漫画になっているページは映画」だと考えると母親の病院を爆破したのが現実になってしまう。
逆に「4コマじゃないページは映画」だと考えてもいいがこれだと現実部分がコリジョンを起こし始める。
全てのページが映画であり映画の中で映画を何回も作るという『カメラを止めるな』方式なのだと考えるとハッキリするが、その場合この話は「作中のキャストにとってもフィクション」となるのだろうか?
この入れ子構造は作中で何度もループがされており、主人公が文化祭でクソ映画を上映したことだけが真実だったり、逆に文化祭でクソ映画を上映することはなくいきなり泣かせる映画だけ上映していた可能性もあるのだ。
難しい。
とっかかりがない。
それこそ「あの世界には本当に吸血鬼がいて、主人公は吸血鬼を爆破して去っていった」という仮説さえもオッズこそ凄いことになってしまうが完全に死んでいないのではとさえ思えてくる。
「大きな嘘は作中に1つまで」という映画論もあるし、また「作中に1つだけ論理破綻を残して受けての考察を深める」という意味不明な理屈もある。
後者の理屈は往々にして映画か解説者のどちらかの頭が破綻しているのを必死になって誤魔化そうとする場合に使われがちだ。
たいていこの「1つだけ論理破綻が残されている」の理屈を安易に振り回す考察者はのちにスタッフインタビューが出てきたときに大恥をかいて「でも映画を見ただけだと読み取れなかったんだからしょうがないじゃん」と慌てふためくものである←最初から無理に決めつけて格好つけなければいいだけだったのに……という話であることは伝わってるよね?
さて今回もそこに気をつけていきたいのだが、気をつけようとすると一気に手詰まりに近くなる。
いや答えは見えてる。
「映画の完成にはファンタジーが1つ必要であり、吸血鬼というファンタジーを入れても映画は完成しなかった。爆発というファンタジーを入れて映画が完成した。つまり吸血鬼はファンタジーだった」
これでいいはずなんだ。
いいはずなんだが、誘導されている気がしてならない。
のちにタツキが編集者とインタビューをするときに畳をひっくり返されて顔を真赤にさせられる気がしてならないほどに誘導させられている。
だがそれを恐れて別の考察を始めさせようという悪意さえ感じる。
これがまず思いつく。
前作ルックバックを知っていれば思わずコレに飛びつきそうになる。
でも本当にそうなのか?
カメラは作り手が切り取りたいように世界を切り取ってくることが殊更に強調されていく作品の中で、カメラが切り取ってきたものをそのまま受け取って良いのか?
素直に受け取れという作品で良いのか?
「映画ってマジで面白いよな。映画好きの美少女吸血鬼とかいたら最高じゃね?ついでに失恋するときは相手が病死したら文学的で二重にいいね」とかそういう話でしかないのを必死に意味を見出している我々をタツキが掌に乗っけって笑ってるんじゃないのか?
「爆発オチは最低なのか」という映画にも思えるし「俳優って役作ってるだけなんだよな」って話なのかも知れないし、答えを一つに絞れるのか本当に?
分からねえ。
難しいぞ。
で?お前らこれが理解できたんだよな?
理解できてるからなんか偉そうに「いやー素晴らしい作品だった。これはこういう作品だったわけだが、なるほどなるほどだね」ってコメントしてるんだよな?
俺はもう「分かんねえ……むっず……ところでチッスはしてるけどエッチもしてるんすか?」ぐらいしか言えることねえぞ?
やっぱはてなーって頭いいんだな
よくある4コマ感(ほのぼの)
だと思ってる人はヤバイぞ☆
主要キャラの喋り方は奇人変人にも程があるのでそこの違和感で躓く人多数。
ストーリーはどこまで刀持って鬼をぶっ殺して回りますがメインテーマだから「悪人やモンスターをぶっ殺して回る」に興味がない人は何を楽しんで読めばいいのか理解不能で詰み。
バトル物自体は読み慣れている人も主人公たちの匂いや音によって状況判断するという固有能力を「ちゃんと理解しようとしすぎて」合わなくなってしまう人もいる(アレは「隙の糸が出たら○ボタンを連打しろ!」ぐらいの認識でええんよぶっちゃけ)
敵のボスは逃げてばかりのダセーオカマでパっと見オーラも感じないし、鬼は序盤こそ可愛そうな奴らだが後半に行くほど人格破綻がヤバすぎて読んでて不快感が凄い。
修行して強くなったからリアルとかいうけどそもそも人間が刀でズバズバ岩をぶった切ってる時点で何がリアルなのかとなるわ、水や雷はあくまで演出ですと言われてもじゃあどれが現実の攻撃なんじゃないという。
挙句の果て後半になると敵が弾幕シューティングみたいに遠距離攻撃連打するけど、アレは演出じゃなくて実際にああいう攻撃らしいがそれズバズバ食らって生きてる鬼殺隊も普通に人間じゃねえだろと。
読者の心が折れたり離れたりするチャンスがあまりにも多いのが鬼滅なんだよね。
「起承転結でオチがついたら笑いましょう」という文脈を理解すればオッケー。
逆に言えば、どんな漫画にもその漫画特有の文脈やコンテキストがあるからそれを読者はまず共有する必要があるんだよね。
ちなみに最も簡単に楽しめる漫画は「絵が綺麗なのを楽しんでいただければよろしいのですが、一応文字を読むと話が繋がります」になるやつだよ。
つまりは単なるイラスト集として読んでもいいぐらいに絵がきれいな漫画だね。
実際、IQのめっちゃ低い人や子供が絵はキレイだけど話はグチャグチャの作品を「中身はわからんけど絵が綺麗!しゅき!」と評価することはあるんだよ。
アルジャーノンでバットマンを読んでた低IQチャーリーはまさにこの感覚だったね。
「でもそれって漫画読めてないですよね?」と思ってしまうなら、君は物の価値を自分のものさしだけで決める癖が付きすぎてるよ。
商品をどう使うかはユーザーに委ねられているというアタリマエのことを理解しなきゃね。
たとえば、ハンドマッサージ器具は「コリをほぐす用途」だけじゃなくて「エッチな用途」を期待して買われることがあって、「エッチ目的の人」からの評価は高いが「健康目的の人」からの評価は低い商品とかもあるんだよね力の具合とかで。
もううんざりだ。
「これはどう見ても平行世界だ。シュタゲやワンス・アポン・ア・タイムの影響を受けた作風」
「平行世界解釈なんて絶対にありえない。何故ならこの作品はSFだなんてどこにも書かれてないから」
「は?じゃあどうして4コマが滑り込んできてるんだよ?」
「マジ?どう考えてももしもあの時あのコマだけを滑り込ませていたらって妄想だろ?」
「具体例上げてみろや」
「ちょうど助けに行くなんて偶然ありえる?」
「漫画なんですけど?」
「名前聞いて誰かすぐに思いつくとかあり得る?」
「街の噂を両親づてに聞いたとか、ずっとお互いに意識してたので咄嗟に聞いてみたとかあるでしょ?」
「は?漫画ならなんでもありかよ?」
「どうしてそういい切れるの?」
「もう理由は言ったが?」
「もう論破されたじゃん?」
「あぁん?」
「おぅやんのか?」
「つーかよぉこの作品がどういう文脈の上にあるのか分かってんのか?」
「どうしてそうなんだよ」
「例の事件をモチーフにしてんだからよお。現実は変えられねえってオチしかねえっつってんだよ」
「でもそうじゃなかった並行世界もあり得たよねって作品なんだが?」
「揚げ足撮ってくんねーむしろお前がそやってんだよ」
みてーなのさ。
もう辞めろよ。
俺の解釈こそがこの宇宙で絶対の正解なんだぜ!なぜなら俺はお前よりも頭が良くて色んな作品を鑑賞してきていて作品論についても語れるから~~~~~~!!!!!!
みてーのさ。
もう辞めろよ。
作品の後味が悪くなるだけだわ。
タイトルの通りだが。
京アニ、原作レイプも大概にしろってレベルでレイプ連発してるよね
けいおんの第一期は日常ゆるふわとかけ離れてて、豊崎愛生が家でめっちゃ練習してるシーン入れて部活努力もの要素ぶっこんでるし
頻出するウサギとカメのモチーフは「亀の歩みでちょっとづつ練習して形になってる」って意味合いだし
最終話はそういう努力が学祭っていう小さな場でひとつの実を結ぶ話にしちゃってて。
第二期は予想外の人気と原作枯渇で軌道修正しまくって、原作にない要素(クラスメートとか)をガンガン突っ込んでるし。
あのクラスメートたちのカット割りレベルでの目立ち方、単なるモブキャラっすか? 名前こそ出さなくても劇場版にまでつながるテーマ含んだ、オリジナル重要キャラだよね?
原作の「大学もみんな一緒」て展開に対して「モラトリアムは高校までだろ、現実をなめんな」みたいな半ばサザエさんワールドな4コマ原作を無視したツッコミ入れるバカが出てきたの、
アニメで努力根性要素やクラスメートとの交流ていう学校3年間を強調する要素を突っ込んだせいで「原作をどう読むか」に影響を及ぼしたのデカいよね?
これ原作レイプだろ?
同じくKanonも話をまとめるためのオリジナル要素ぶっこんで、キャラ設定レベルまで改変。
あれで「原作に忠実」っていって喜ぶファンしかいねえ、原作者も文句言わねえってんだもん。
ファンなんて原作の理解なんざしてない。単に「思考も解釈も面倒だから台詞も展開の順序も全く同じなら同じとこでテンプレで泣けて面倒くさくない」ってだけ。
そら脚本家だろうが監督だろうがプロデューサーだろうが、原作なんざ真面目に読み込む必要ねえよ、どうせ客は見ねえからってなるわ