はてなキーワード: 起きてから寝るまでとは
10代の頃から続く精神的な病気が原因で社会に出ることもなく、高校時代からバイトすらせず、職に就く事も無く働かないまま現在に至る。
親も今や母親しか居なくて、その親も肉体精神共に病んでて、親と子(私)、家族全員働けないので生活保護を受給しているのだが、罪悪感と後ろめたさがある。
わざわざ言う必要性も無いのだが、人との会話で仕事や金絡みの話になると、会話に困る。(相手が私の状況を知らない前提で)
「内緒です」「個人情報なのでちょっと…」とか言って会話を逸らしているが、クレカの話になると当然作れないので、作ればいいのに的な話になっても困る。
生活保護を受給しているというのは悪い話ではないが、表立って言える良い話でも無いので、人に知られたくないし知られたら普通に嫌われるよりも複雑な感情を向けられそうで不安になる。
そういう事情もあってか人と深く関わる事ができなくなった。
働いて稼げば罪悪感等は無くなるんだろうけど、まずそうするためには元気にならないといけないんだけども、まずその健康を取り戻す事が出来なくて頭を抱える。
しかし働かないで生活保護を受給したままでは、罪悪感等は引っ切り無しに自分を襲い圧し掛かってくる。このデスループから抜け出せない。
どうすりゃいいんだろうな。いっその事、私一人で自殺するか親子で心中でもすりゃ楽になるのかと考えてしまう事が多くなってきた。
「PCを使って一人でも仕事したりとか――」的な話は検索すると出て来てチラホラと目にするが、私の場合まずそれを整えて続けるだけの集中力と気力が出ない。
今日は調子いい方なので、この様に文章を書いているが、調子いい日が日によってまちまちなのでバイトすら出来ない。
調子悪い日は続きやすいし、頭は真っ白な状態と体に力が入らない無気力状態が起きてから寝るまで一日中続くので、こんな状態では何か仕事をしようにも出来なくて参った。
明日、未来の自分が体調いい事を前提としたスケジュールを立てられないので、極力予定は入れないようにしているけど、それでも病院の予約等、未来の予定が入るとその日が大丈夫なのか不安で仕方が無い。
いつまでこんな状況を続ければいいんだろうか。やっぱり死ぬまで続くのだろうか。
2018年の今、私たちはまさに人類の変革期の直前にいます。これは、食べ物、つまりエサを得るために働いていた時代が終わりを迎えることを意味しています。
今までの人たちは、食べるために働き、余ったお金で欲しいものを手に入れ、人生の寿命を使い果たしても全ては手に入れられず死を迎える時代を過ごしてきました。
私も28才ですが、誰よりも努力して起業して稼いで、幸いにも既にお金で買える欲しかったモノは全て手に入れることができました。
正直、ここまでは思っていたより簡単でした。羨ましいと思う人もいるかもしれません。
ただその状態が続くと、何のために生きているのか、実際にもう死んでもいいと思いました。生活に何の不自由もなく、食べ物にも一生困らない、他にやりたいことがなければ、生きている意味はないと。うつ病ではないようなのですが、いまは病院でセロトニンを安定させる薬をもらって早急な決断をしないようにして生きています。
今はどれだけお金を稼いでいる人でも、同じスマホで同じインスタをやっているような時代です。
金持ちがバーキンを持ってプライベートジェットに乗っているかもしれませんが、たかが鞄と飛行機です。誰もが大して変わらない生活水準で暮らしています。
散財したところでストレスを全て発散できるなら、もしそんな素晴らしいものが売っているのなら私も欲しいです。でも実際は散財しても苦しかった分のストレス発散はできず、そんな生活は継続していくことはできません。
「今日、パン1つあれば…明日を迎えられる」なんていう生活をしている人は日本にはいません。生活保護も厚いですし、隣の家でもパンくらいは頼み込めばもらえます。戦争時代しかり、100年前以前は餓死していた人がいたのですから、急速な改善が起こりました。
どんだけ借金を抱えようとも、重い病気や自殺、犯罪で殺されない限りは死なない時代なのです。逆に辛いと思います。
では、今後の人類はどう生きていくのでしょうか。物質的欲望がほぼ満たされた人類は、ユートピアを作りだせるのでしょうか?逆に危機的状況に陥るのでしょうか?
2018年の今、私も生きるのが辛いです。でも、そんな中でも何とか生きる希望を見つけるために今までよりもさらに、起きてから寝るまでの空いた時間、食事しながらでも専門家の書籍、技術論文などを読み漁り、少しは先が見えてきました。
誰もこれから時代の生き方を分かっている人はいません。今まさに人類の変革期だと思いますし、実際次の時代のスタートまでの期間が一番大変だと思います。
もしご興味がありましたら、手始めに
などお読みになってはいかがでしょうか?最近ダイジェスト版も出て読みやすくなったようです。今となっては内容が少し古く間違っている部分もありますが、希望を見つけるきっかけにはなるかもしれません。
人間らしく生きるためには、考える力が必要です。そして、考える力を取り戻すためには、「何もしなくて良い時間」を増やす事が必要なのです。子どもたちを成長させる遊びや、人々を感動させる芸術作品などは、「何もしなくて良い時間」から生まれています。
最近は時間の大切さに気付く人も増え、お金よりも時間に価値を感じる人が増えてきました。特にお金がなくて困っている訳でもないのに、無理して働いているという状況に疑問を持ち、進んで仕事を辞めていく人も多いです。いくらお金があったとしても、過労で倒れてしまっては意味がないし、自分の時間がなければ楽しめません。
多くの人は自分の時間を犠牲にして必死に働く事で、収入を得ていています。そのため、時間の大切さを忘れてしまい、いつの間にか年を取っていたり家族と過ごす時間を失ったりするのです。しかし、忙しく働いていると、そんな事を考える余裕すらなくなってしまいます。それはすなわち、人間にとって大切な「考える」という力を仕事に奪われているという事です。実際にブラック企業などは、過酷な労働環境に疑問を持たないように従業員の考える力を失わせる事で成り立っています。
この記事を読んでいるあなたも、きっとお金よりも時間が欲しいと思っている事でしょう。人間は誰もが未熟なんです。弱い人間とか未熟な人間の方が、はるかに膨れ上がる可能性を持っている。熟したものは逆に無抵抗なものなのです。いつも自分は未熟なんだという前提のもとに平気で生きること。それを忘れちゃいけないと思うのです。
人間本来の生き方は無目的、無条件であるべきです。それが誇り!死ぬのもよし、生きるもよし。ただし、その瞬間にベストを尽くすことです。何か、これと思ったら、まず、他人の目を気にしないことです。また、他人の目ばかりでなく、自分の目を気にしないで、委縮せずありのままに生きていけば良いのです。これは、情熱を賭けられるものが見つからないときも大切です。つまり、駄目なら駄目人間でいいと思って、駄目なりに自由に制約を受けないで生きていく。そうすれば、何か、見つけられるチャンスがおのずから開けてくる。
今さらですが僕たちが生きるこの社会では、お金がなければ生きていくのが不可能です。
お金が無いからと言って、人さまの家に勝手に上がり込んで冷蔵庫を漁ったり、畑から食べ物を盗むわけにはいきませんものね?
自分で稼いだお金で快適な衣食住環境を整え、毎日お金と食べ物を交換し生きていくしかないのです。
要はなんらかの経済活動(仕事)を行わなければお金が手に入らない社会システムの中に生きる限り、お金がなければ生きていくことが不可能なのですね。
ところがいざ社会に溶け込めば会社や従業員同士の競争の縛りから逃れる事が出来ません。
この矛盾が人間らしく生きる活力を奪い、僕らの健全な思考さえも奪います。
しかし上には上がいるもので、時に誰かと自分を比べては落ち込んでしまう。
その意味では競争とは一般人を24時間365日死ぬまで働かせるための罠なのかもしれません。
1年の価値を理解するには、落第した学生に聞いてみるといいでしょう。
1ヶ月の価値を理解するには、未熟児を産んだ母親に聞いてみると いいでしょう。
1週間の価値を理解するには、週間新聞の編集者に聞いてみるといいでしょう。
1時間の価値を理解するには、待ち合わせをしている恋人たちに聞いてみるといいでしょう。
1分の価値を理解するには、電車をちょうど乗り過ごした人に聞いてみるといいでしょう。
昔は記憶力が非常に良かったのだが、40代半ばにしてとうとう記憶力が落ちた。
常に駄目なわけじゃなくて、あるとき、簡単なことが抜け落ちる。
ひとつの文を読んでいくうちに、次の句に読み進んだとたん、
直前の句を忘れているような事態すら起こる。
どう考えても忘れる筈がない、簡単なことほど抜け落ちる。
意外と複雑なことは抜けない。
新入社員のとき、中高年社員はなんでこんなに仕事が出来ないのだろうと
とにかく忘れないようにするための習慣みたいなものが全く身についてない。
必死にスマホにメモして、必要な時間に通知することでなんとかしている。
(マジこの時代に感謝。これがなかった時代ならどうなったことか。)
こうなって分かったことがもうひとつある。
iPhoneがSiriみたいな方向に進化したのは不思議に思ってた。
日本じゃネタ質問をして答えさせるみたいな使われ方しかしてないけど、
パーソナルアシスタントって、今の俺に、めっちゃ必要なものだわ。
あれって、ジョブスもこれ経験して、切実に必要だったんじゃないか。
もちジョブスはめちゃ金持ちだから、人間の秘書も一ダース持てるけど
ときには聞かせられない話もあるし、
起きてから寝るまで自分の傍に置いて仕事させるわけにもいかない。
大体、めっちゃ優秀な人でもそんな思い通りにならないし。
んで、ついでに思うんだけど、
ジョブスが生きてたらSiriの開発の続きをやってくれたかもしれないけど、
一人のカリスマが強烈に横暴に主観で引っ張っていく会社じゃなくて、
もうこの続きをしない気がする。
http://anond.hatelabo.jp/20161220083550
やはり不倫は良くないと思った。周りも傷つけるし、何より夫を悲しませてしまう。
昨日一昨日と色々なブコメをもらって、本当に自分勝手で申し訳ないのだけど批判的なコメントを貰えて自分が傷つけて良かったと思ってしまった。励ましのコメントもありがたかった。顔も名前も知らない私をかまってくれてありがとう。
仕事をしていても自己嫌悪が続いて、朝起きてから寝るまで落ち込んで、自分などいる価値がないと思ってしまう。直接誰にも伝えられないのだけれど、本当はもう死にたい。一日中辛いしなぜか自分を責めて、他人の言葉を気にして、職場で笑顔を取り繕うことができているのがまだ救いなんだけど。通勤の最中に線路に飛び降りたら、道路に飛び込んだら、誰かが私の背中を押してくれたら、通り魔が私を刺してくれたら死ねるかなって考えてしまう。
でも私が死ぬということが不倫よりなにより一番夫を傷つけてしまう。自ら死を選んだという事実が夫を一生苦しめる。そして申し訳なくて心配かけたくなくてこの気持ちを相談することができない。本当にごめんなさい。こんなこと書いてごめんなさい。誰か助けて。お願いだから助けてほしい。
ごめんなさい。
内容は粗い。
1:集客
代表的なのは無料オファー。無料で特典とか、そのジャンルの有名人のコメント動画なんかを配り歩く。
ここではメールアドレスを登録したら、そこに配信されるという方法でメールアドレスを集めて(見込み客)リストを作る。
販売のタイミングが一瞬(配信したら終わりとか)のものは、一定期間はリスト集めのために無料オファーを繰り返す。
ここ数年は第X話〜などのストーリー性の高いものが主流になっていて、客を飽きさせない工夫がなされている。
リアルな商売では初回無料の受験教材、フリーレントの不動産、スーパーの試食、カミソリの試供品の提供など。
販売タイミング等が違うが、本質的には「無料」という2文字で人目を引き、とにかく振り返ってもらうことが目的となっている。
2:繰り返し教育する
上記で触れた「ストーリー性の高いもの」をステップとよび、ステップ動画やステップメールで物語を流し、お客の意識をぐっと引き込み続ける。
お客の興味と関心を維持するのと同時に、その商品に対する有用性を説明し、その商品を使って素晴らしい将来を手に入れた姿をイメージさせるのが狙い。顧客教育ともいう。高倉健の映画の出口にサングラスとコートを置いておくと3倍売れたというが、それと同じ心理状態にする。
深夜のTVショッピングが大人気なのも同じ原理。ネット上で小分けにしたステップ動画ではなく、番組の中で一気に欲求を上昇させて即購入させる。
家に同じようなフライパンやDIYの工具がある方は引っかかりやすいので注意。
3:信用させるまで構成要素
挨拶と自己紹介。いきなり知らないおじさんが出てきて偉そうに喋っても買う気にならない。
共通の敵を認識させる。同じものを敵視しているというだけで共感度合いは上がる。意識させるものは物や人間ではなく、貧困や安月給、不自由な時間、横暴な妻、煩い姑などなんでも。いいスーツを着た男が「金持ちになりましょう」というよりも、「私も昔は貧乏で娘の誕生日にもケーキを買って上げるのがやっとだった工場勤務時代がありました。」というだけで、今貧乏な人はグッと惹きつけられる。
問題提起と解決。まずは感覚で解決させる。抜け毛が減った、目尻の皺がなくなった、表情が明るくなった、昔の服が着られるようになったなど。
貴方の問題を解決したことが有ります、私(この商品)にはそれができますというところを見せる。
多くに使われているのは使用者の声。健康食品の番組で使ってみた感想を述べない宣伝はないし、それを抜くと圧倒的に売れなくなる。
問題解決を理解させる。理屈で、こういう原理や理論、方法に基づいてやったという理解をさせる。なんとなく勢いだけで解決したのではなく、きちんとノウハウとして自分が実践できたり、製品として効果があるものなんだという実感を頭で理解させる。
ここには例えば学会の権威が出演して喋ったり、プロの職人が出て専門用語を解説しつつ喋ると効果的。
4:感動巨編!購入の大団円!全米でも全仏でも全日本でも、とにかく泣かせろ!
ここまでのセールスに付き合ってくれる人は、最初のリストの中からふるいにかけられた見込み客だと言える。
不動産屋で言うと、モデルルームの看板をちら見して他人が、マンションのデザーんコンセプトやデザイナーの思いに共感し、建築技術の話に感心し、セールスマンの「私も昔は借家だったが、今では家を出た娘達が実家として帰ってきてくれる場所が・・・」なんていうトークに聞き入っている状態。
酔っ払って気がでかくなってる人間をそそのかすのと同じ心理状態を、お酒を使わずに行うだけ。
自分はトークでそれをするのが得意だが、下手な人は教育し、信用させる段階でここまでの状態を作ること。
「ああ、本当にいいな・・・自分もこうなりたい、これをしたい、これがほしい」と想っているところに
「あとは契約の判子を押すだけで、その未来像が手に入りますよ」と、そっと背中を押す。
そうすると、買ってもらえる。
5:大事なこと
いいものだと思うには、それをリアルに使っている自分を想像する。
朝起きてから寝るまで、それとどう関わるかを考える。
以前、他社に比べてイマイチだと思っていた生保の商品は、やはり提供元の見込みほど売れなかった。
会社の期末に無料オファーで宣伝広告費という経費を振りまいて見込み客リストという財産を作る。
期変わりしてそれを使って商売を行う。見込み客が大量にいる状態だから、稼ぎやすいし、資金が潤沢にあると身動きが取りやすい。
で、また決算前に同じように新しいリストを作るために散財する。税金は安くなる。
まぁ、こんなところ。
内容は粗い。
1:集客
代表的なのは無料オファー。無料で特典とか、そのジャンルの有名人のコメント動画なんかを配り歩く。
ここではメールアドレスを登録したら、そこに配信されるという方法でメールアドレスを集めて(見込み客)リストを作る。
販売のタイミングが一瞬(配信したら終わりとか)のものは、一定期間はリスト集めのために無料オファーを繰り返す。
ここ数年は第X話〜などのストーリー性の高いものが主流になっていて、客を飽きさせない工夫がなされている。
リアルな商売では初回無料の受験教材、フリーレントの不動産、スーパーの試食、カミソリの試供品の提供など。
販売タイミング等が違うが、本質的には「無料」という2文字で人目を引き、とにかく振り返ってもらうことが目的となっている。
2:繰り返し教育する
上記で触れた「ストーリー性の高いもの」をステップとよび、ステップ動画やステップメールで物語を流し、お客の意識をぐっと引き込み続ける。
お客の興味と関心を維持するのと同時に、その商品に対する有用性を説明し、その商品を使って素晴らしい将来を手に入れた姿をイメージさせるのが狙い。顧客教育ともいう。高倉健の映画の出口にサングラスとコートを置いておくと3倍売れたというが、それと同じ心理状態にする。
深夜のTVショッピングが大人気なのも同じ原理。ネット上で小分けにしたステップ動画ではなく、番組の中で一気に欲求を上昇させて即購入させる。
家に同じようなフライパンやDIYの工具がある方は引っかかりやすいので注意。
3:信用させるまで構成要素
挨拶と自己紹介。いきなり知らないおじさんが出てきて偉そうに喋っても買う気にならない。
共通の敵を認識させる。同じものを敵視しているというだけで共感度合いは上がる。意識させるものは物や人間ではなく、貧困や安月給、不自由な時間、横暴な妻、煩い姑などなんでも。いいスーツを着た男が「金持ちになりましょう」というよりも、「私も昔は貧乏で娘の誕生日にもケーキを買って上げるのがやっとだった工場勤務時代がありました。」というだけで、今貧乏な人はグッと惹きつけられる。
問題提起と解決。まずは感覚で解決させる。抜け毛が減った、目尻の皺がなくなった、表情が明るくなった、昔の服が着られるようになったなど。
貴方の問題を解決したことが有ります、私(この商品)にはそれができますというところを見せる。
多くに使われているのは使用者の声。健康食品の番組で使ってみた感想を述べない宣伝はないし、それを抜くと圧倒的に売れなくなる。
問題解決を理解させる。理屈で、こういう原理や理論、方法に基づいてやったという理解をさせる。なんとなく勢いだけで解決したのではなく、きちんとノウハウとして自分が実践できたり、製品として効果があるものなんだという実感を頭で理解させる。
ここには例えば学会の権威が出演して喋ったり、プロの職人が出て専門用語を解説しつつ喋ると効果的。
4:感動巨編!購入の大団円!全米でも全仏でも全日本でも、とにかく泣かせろ!
ここまでのセールスに付き合ってくれる人は、最初のリストの中からふるいにかけられた見込み客だと言える。
不動産屋で言うと、モデルルームの看板をちら見して他人が、マンションのデザーんコンセプトやデザイナーの思いに共感し、建築技術の話に感心し、セールスマンの「私も昔は借家だったが、今では家を出た娘達が実家として帰ってきてくれる場所が・・・」なんていうトークに聞き入っている状態。
酔っ払って気がでかくなってる人間をそそのかすのと同じ心理状態を、お酒を使わずに行うだけ。
自分はトークでそれをするのが得意だが、下手な人は教育し、信用させる段階でここまでの状態を作ること。
「ああ、本当にいいな・・・自分もこうなりたい、これをしたい、これがほしい」と想っているところに
「あとは契約の判子を押すだけで、その未来像が手に入りますよ」と、そっと背中を押す。
そうすると、買ってもらえる。
5:大事なこと
いいものだと思うには、それをリアルに使っている自分を想像する。
朝起きてから寝るまで、それとどう関わるかを考える。
以前、他社に比べてイマイチだと思っていた生保の商品は、やはり提供元の見込みほど売れなかった。
会社の期末に無料オファーで宣伝広告費という経費を振りまいて見込み客リストという財産を作る。
期変わりしてそれを使って商売を行う。見込み客が大量にいる状態だから、稼ぎやすいし、資金が潤沢にあると身動きが取りやすい。
で、また決算前に同じように新しいリストを作るために散財する。税金は安くなる。
まぁ、こんなところ。
死霊術師としてのすべては、今は亡き祖母から伝習した。大学では文学部に進学した。これはもともと歴史学に興味があったことと、死霊術師としていつか遭遇するかも知ない事態に備えるためだった。
大学3年生の終わりころ、死霊術師としていよいよその事態を迎えることになった。
ある日テレビを見ていると、旅番組のようなものがやっていて、滋賀県の西部の山林地帯をいつも見る芸能人が歩いていた。何の変哲もない番組だった。しかし、テレビを介しても充分過ぎるほどに、死者が放つ霊の波動が伝わってきた。もちろん、普段生活していてもその種の死者の波動を感じることはある。霊波は一般に、腐ったり火葬したりして身体が失われると弱まる。またたとえ身体があっても、時間経過によっても霊の波動は弱まる。人間やその他の生き物は、その場にとどまろうという意志を長くはもちえないのだ。恨みだとか、一般に強そうと言われる意志ですらそうだ。こういうのは仏教的に言うと成仏していくってことなんだろう。魂は残らない。めったには。
テレビで知った、滋賀県の霊波は別次元と言えるほど古く、そして強力だった。おそらく、亡骸がある程度そのままの、古い死体があるのだろう。そして、強靭な意志を21世紀でも保っている。
死体と強い意志。これが重要だ。死者蘇生の用件を満たしている。そしてかなり古い。
腕試しにはちょうどいい。見つけてしまったらもう止められない。死霊術の行使者として、その興味関心を止めることはできない。
祖母から習った作法で、霊波の質から霊が生きた(死んだ?)時代のおおよその年代を感じとった。520年+-30年前くらい? 手元の『日本史辞典』を紐解く。室町後期? 手が震える。研究室で『国史大辞典』にかぶりついた。
その頃の近江は一般に長享・延徳の乱と呼ばれる動乱期にあった。守護の六角氏討伐のために将軍足利義尚が長く近江に陣を設けていた。どうやら死体はこの時期のものらしい。
私は大学の研究室の院生の先輩に聴いてその時期の文献を学んだ。また隣りの言語学研究室と国文学研究室に行って、室町時代の言語やその発音について質問した。かなり難しい。筆談の方がいいかもしれない、と祖母のアドバイスを実感をもって思い出した。まさか室町期の死体に会えるなんて。せいぜい行って天保期くらいだと思っていた。古い死体なんてものは時代を遡るにつれて加速度的に少なくなる。祖母は明治4年に死んだ男の死体を蘇生したことがあると言う。これでもだいぶん古い方だ。室町期の死体なんて、祖母からもきいたことがない。後で聞けば、先輩方は私が卒論で室町時代後期を扱うから一生懸命調べていると勘違いしていたそうだ。
春休みに近江に旅した。大きなスーツケースを持って。蓬莱なんてお誂えむけの地名だ。山の方に入っていく。山は静かだった。ほどなくして現場に到着した。霊波は強い耳鳴りのような形で私の身体に具現する。こんな古くて強い霊波、他の死霊術師が気付かなかったのはちょっと不思議だ。まぁ波長が合う、合わない、はかなり厳密だから。私にもってこいのチャンスなのだ。私は女ながらオリエンテーリング部で体を鍛えていたから山歩きは結構得意なのだ。オリエンテーリングなんて全然興味が無かったんだけど、新人歓迎コンパで迎えてくれた先輩方の雰囲気がすごく良かった。サークルでは、大学生なりだけど、人との付き合い方、間の取り方を学べたと思う。高校生の時にはあまり意識できなかった、人間(じんかん)の距離感や発話。
山道から沢に下りる。死体が残った理由が、何となくわかった。日本では死体はすぐ腐って亡くなってしまう。しかし沢下にはぽっかりと、知られざる洞窟が顔をのぞかせていた。多分ここに死体がある。相違ないだろう。もしかしたら近年はずっと埋まっていて、最近になって地震などで再び穴が地表に現れたのかもしれない。だから今まで波動に誰も気づかなかったのかも? 洞窟は沢が近く低温が保たれ死体が保存されたのかも。あるいは永久凍土なんかがあって風穴で涼しいのかも。ま、これを考えても詮無い。とにかく、死体があるのは明らかなのだから。
ひんやりした洞窟に足を踏み入れる。かなり急だ。いよいよだ。震えるほどだ。周囲には驚かれるけれど、死霊術の技術は、実は私にとってはとても簡単なものだ。血も継いでいるし、祖母と言う佳き師もあったから。祖母もいっていたことだが、基本的に死霊術師は技術的な部分はそんなに問題にならない。むしろ重要なのは、死者と会い、契約する時の対話の仕方だ。死者が生きた時代の言語や常識を、こちらが把握してしっかり対話せねばならない。そうしないと蘇生に応じないこともあるだろうし、蘇生したい旨すら伝えられないこともあるだろう。死霊を怒らせてしまっては、あるいは成仏させてしまっては元も子もない。死霊術師の実力はここで決まる。このことを上手くやるために、私は大学では文学部へ行ったのだ。もし死霊術師に生まれなかったら、稲の光合成の研究をしに理学部か農学部へ行きたかった。
洞窟の奥にややひらけた場所があり、その壁によりかかるように木製の箱型の人工物が見える。…ああ、かなり古い牛車だ。小八葉の牛車? 公家が移動手段として用いていたもの。八葉の大きさ、小さい? 大きい? これで身分が大体分かるのだが…肝腎の大きさが、大きいのか小さいのかわからない。そんなの文献に載ってない。牛車なんて初めて見るんだ。そもそも近江に牛車。やや不可解? 足利義尚の近江出陣の際には公家も近江まで出向いたというから牛車できてたのか? それにしたって牛車で近江まで行くの? なにもかも自信が無くなってくる。
これではだめだ。祖母の言によれば、まずはその人をそのまま、そのままに感じるのだ。先入主観は退けるのだ。牛車の文様が大八葉だろうが小八葉だろうが、なかに居る主こそを見るべきなのだ。
精神を澄ませる。霊とは頭の中で会話する。結局、『太平記』のテキストをメインに準備を進めていた。『太平記』は南北朝時代を描いた軍記物で、室町後期には往来物として身分を問わず人々に広まっていた。死体の教養がいかほどであっても『太平記』の語調なら大丈夫ではないか、と考えた。とうぜんテキスト変わっているんだろうけど…。
「私はあなたよりも後世を生きる人間で、その間に人間が語る言葉も変わってしまった。この言葉があなたにどの程度通じるか私にはわからないが、どうか話を聞いてほしい」。ここまでテンプレ。国文学研究室の富田先輩ありがとう。
…牛車がガタガタと動く。御簾が超自然的な動きを示し、内の暗闇をあらわにする。お化けが怖い人はびっくりするんだろうけどもちろん私はそんなことはない。打掛の裾が見える。小袖が二重? そして茶色く干からびた手のひらが…暗くてよく見えない…が、死者に話しかけた段階で幽界との淡いが生起し、この世ならざる強烈なイメージが五感以外から五感を経由し認知される。死体は髪の長い公家の女性が見える。平安時代のオカメで十二単のイメージがあるけど、それより軽装だ。でも相当めかしこんでいる。この時代の人間は小さいしガリガリだな。さぁ、いよいよだ。頑張って蘇生の素体になってくれるよう語りかけよう。
「…私の寂滅からどれくらいの時間が経過しましたか?」むむ、なんとかこれくらいなら聴き取れる。うほっ、「太平記読み」専攻の坂田先輩ありがとう! 高校の非常勤やりながら大変でしょうけど博論頑張ってください。
「五百有余年でございます。『太平記』を読んであなたの時代の言葉を学びました」「…私も『源氏物語』で古の言葉の遣いに触れました。」「実は、…今日はあなたにお話しがあって武蔵国から参ったのです」いよいよ本題だ。
「あなたは強い心をお持ちで五百有余年をお過ごしになられました。そして幸いにしてお体も崩れず残されております。私はあなたの精神と身体とを結び付かせ、再び現し世に復することができます。再び洞窟の外に出て暮らしてみるのはいかがでしょうか」
「たしかに私はまだ黄泉の食物を口にしておりませんね」さすが公家の娘だけある。当意即妙にこたえねば。「私なら黄泉比良坂をあなたを連れて戻ることができます。」「どうして私を選ぶのです」「あなたのように長らく意識と身体とを保つ例はめったにないことなのです。」実はこれはあまり理由になっていない。死霊術師の衝動を説明するには、私には言葉が足りない。彼女が尋ねる。
「当時(筆者注:ここでは現在の事を指す)は死者を供養する作法は未だ仏式を用いますか?」意外な質問だ。自らの供養を望んでいるのか? 「ええ、大分形はかわっておりますが仏の教えは今でも通用しております」「ならば既に死んだ者を私なりのやり方で供養して、意味があるということですね」…あやうく意味を取り損ねるところだった。ちょっと不可解な質問だ。彼女は何を考えているのか。彼女の事を深く知った今になって考えると、これは彼女なりにかなり考え抜かれた、ある種の哲学のようなものだった。彼女の培った供養の作法。そのルールがもし現代で途絶えていたら。つまり仏教が現代に伝わらなくて、もし私たちが何か違う祈りの作法で死者を弔っていたら。きっと彼女は蘇生に応じなかっただろう。彼女の知っているルールで現代でも供養ができる。これが彼女にとって重要だったのだ。
「私は京都の六角富小路に邸宅がある公家(筆者注:ここでは「こうけ」って読んでね!)に生まれました。大乱(筆者注:ここでは応仁の乱を指す)の後の騒擾の世でありますから、私は近江を根拠にする武家の御仁に嫁ぐことになりました。いよいよ渡嫁のとき、牛車が谷に落ちて私は命を落としたのです。嫁ぐことが決まってから、武家奉公人の生活が如何様であるか、主人が如何なる稟性を持つのか。和歌は読めるのか古典は存じているのか。いつも想像していました。」死霊術師の常識から考えれば、それだけでここまで精神は保てない。私はほとんど確信をもって尋ねた。「もちろんそれだけで想いを保つことはできなかったでしょう。どうして。」
彼女はここで初めて表情を私に感じさせた。「実は洛中で一度彼の人をお見かけ申上げたことがあるのです。私の生家は上って四位の家柄ですから、ふらふらと外にでてもあまり咎められることは有りませんでした。ある日京師が物騒になり武家の人が20騎ばかり邸宅の前を過ぎりました。颯爽と武者を連れていたのが、後々判ったことですが我が主人となる方でありました」え? それだけ。うーん恋愛感情ってわからないけど、そんな単純な感情で何百年も持つのかな? 単純だからこそ長持ちする? わからんね。すると彼女が続ける。
「死んだあとはずっと新しい生活の事を考えていました。武家の生活。今まで見知った知識や噂話全てから、ひとつひとつ、未だ来ぬ時の先をずっと、ひとつひとつ限りなく。一日の起きてから寝るまで。衣服の糸先から世情に至るまで。とにかくひとつひとつ。世に現れるであろう現象をすべて想像しうる限り、ひとつひとつ。彼や周囲の人間との交わされたであろう会話をひとつひとつ。彼の人とのありうべき時と出来ごとの全てをひとつひとつ想像していたのです。そうしたら、ええと、五百有余年過ぎ去っていたというわけです。」そうして彼女は莞爾した。私は一発でこの女性を好ましいと思ってしまった。こんな偏執的で叮嚀な思考回路を持った人があるだろうか。この人なら。彼女に21世紀の平成の世の中で夫となるはずだった人の菩提を弔わせたり、あるいは彼の一族についてその後どうなったか調べさせたりすることは、彼女の心性をおそらく負に傾けることはないだろう。ひとつひとつ、彼女には想像したことの自分なりの答え合わせをしてもらえたら。私がそのお手伝いができたら。ちょっと身勝手か。とにかく、この人なら大丈夫だ。
好奇心とイマジネーションとを併せ持って、平成の世まで意識を有した五条顕子姫の死体は、その意識と共に、こうして私の赤羽のマンションにやってきた。
あの時、テレビは1つ番組を視聴するのに63円程かかった。インターネットの普及により個別に電子決済が可能になったからだろう。だから起きてから寝るまでテレビを見ていたら、その日だけで800円くらいかかった。
けど、その代わり、映像も見せ方も内容も、すべてが作り込まれていた。
それまでの、従来型のスポンサーをつけて得る収益体系が成り立たなくなってから、テレビからコマーシャルは消え、クリエイター達が作品を披露する場になった。それまで大衆が"広告"によってペイしていた分をクリエイターがペイする仕組みになった。
なかでも私の気に入りは天気予報だった。
あえてアナログな装置によってやるのがこの番組のウリらしい。カメラとお姉さんの間にアクリル板があって、そこに、手書きのマジックで等高線やらが書き込んであり、お姉さんがそこに、天気を示すカラフルでゼリーみたいな粒を、説明しながら置いていった。カメラは少しローアングルで、お姉さんの顔は見えない。まるでカメラの存在を無視するかのように説明をしていく。なんだかフェティッシュをくすぐるような、そんな映像が45分続くのだ。
まず簡単な自己紹介として、
僕は25歳です。
またそこまで語り、書きたいことがあるわけではありません。
(少しはありますが)
僕が一番書きたいこと、僕が一番知ってほしいことは、
現在僕が、”原因の分からない頭痛"にかかっている、ということです。
この頭痛なんですが、
とても異常というか、異常なんです。
とりあえず、その僕のこの頭痛の、症状について書いていきます。
まず、ありえないのですが、"ずっと痛い"です。
(当たり前ですが)
これ、マジありえないですよね。
こうやって文章にして、自分がそういう頭痛を持っていることを直視すると、
ありえないし、現実的ではないし、
次は、この起きてから寝るまで続いている、頭痛の痛さについて書いていきます。
これを伝えるのが、とても難しいです。
本当に、難しいです。
僕に説明能力が低いのも、その痛さを伝えることを難しくします。
(ただ同時に死にたくないと思うので、頭痛について考えるのをやめる、
ずっと頭が締め付けられているような感じなので、
死にたくなります。
またこの頭痛の痛さの度合いも、色々変わるんです。
頭が締め付けられる感じは、ずっと続いているのですが、
またこうやって、文章を書けるぐらいの頭痛であったり、
・・・・、ああ、やっぱり頭痛の痛さの説明をするのは難しいですね。
長くなったので、その4に続きます。
僕のエゴ的な思いなども書いていきたいのですが、
by 犬飼
2週間くらい前の話。
隣駅にある保育園からの帰り道、保育園用のリュックと通勤カバンを提げ、前には約9キロの娘を抱え、「よいしょよいしょ」と地下鉄の階段をのぼりきって(けっこう重かった)、歩かせるために娘をおろしたら娘が転んで泣いた。それを見た通りすがりの見知らぬおばあさんに「悪いママね!ひどいね!」と怒られた。
その翌日の話。
私の見ていないところで娘がお皿を机の上から落として割った。その音に驚いた私が「わ!」と大きな声をあげたら、義母に「お皿落としただけで大声あげるなんて、悪いママだね、こんなことで大声あげるなんて!」と責められた。
この頃、夫の帰りが遅くて家事も育児も一人ですべて抱え込み、仕事も忙しかったが娘のお迎えのために毎日必死になって片付けた。
娘の体調が悪かったが会社は休めるわけなく、なんとか時間を作って小児科に連れて行ったり、とにかく自分なりに色々一生懸命だった。朝起きてから寝るまで疾走している気分だった。
忙しかったけど、娘のごはんは栄養を考えてきちんと手作りしているし、昼間に仕事で一緒に遊べない分、散歩がわりに通園時に手をつないで遠回りしたり、夕食後も娘と鬼ごっこしたりブロック遊びしたり、寝る時は添い寝して絵本を読んだり子守歌を歌ったり。
自分なりに、愛する娘を幸福にする「良い母」になろうと努力していた。
色々とせっぱつまっていた時期だったのもあって、他人に「悪い母」と言われたことに泣くほどショックを受けた。
いまだにこのことを思い出すと腹ただしい。
1歳の子供が歩いて転ぶのは当然じゃないか。それともあれか、転ぶと危険だから歩かせるなとでも言うのか。そんなんじゃ体力の無い子供に育つだろ。
大きな音に驚くのは当然じゃないか。それともあれか、大きな音でも驚かないのが「母親」か。お皿の割れる音にも動じないって、いくらなんでも鈍感すぎるだろ。
怒ったり泣いたり、その結果思ったのは、これから子供を育てていく上で、こういうことは何度もあるんだろうということ。
100のうちの1を見て、それで100を理解した気で口出してくる他人は、きっとたくさんいるってこと。
だから、いちいち怒ったり泣いたりしていても仕方ない。
自分でも「良い母」にとらわれすぎてると思う。
しかし、父子家庭で育った私にはドラマや映画や小説や育児書にでてくるような「良い母」しか知らない。
変な話だが、母親もウンチするのだろうか。母親もオナラするのだろうか。母親も鼻クソほじるのだろうか。
とはいえ、保育園のお迎えで娘の顔を見るとホッとするし、娘とのお風呂の時間は楽しいし、娘の柔らかなほっぺをプニプニするのは至福だし、歩くときに娘から手を伸ばしてきて手をつなぐと嬉しいし、とにかく、娘のこと大好きだ。宝だ。私の生きる意味だ。大好きというか愛しているのだ。
ようは、愛する娘のために何かすることは苦にならない。どんな努力も。
その原因は紛れもなくネット。ウェブ。得にはてなブックマークとかが原因。
だいたいさぁ、ブックマーク数が結構ついてるエントリーとか見つけると気になって仕方なくなるんだよ。
なにか自分がまだ認識していない大切なことがわかったり、自身の思想とか価値観とか人生観とか世界観とかを劇的に変えたりとか
それらについて考えさせられる考えるべき何かとか、要するに
「自身が価値があると感じられる、未だに認識してない、認識するべき何らかの情報が広大なネットや本に存在しているのではないか?」っていう疑念。
いや存在しているのだろう、それは無数に。 こういった無限に膨張し続ける情報に取り巻かれている今
粛々と受験勉強なんてしてて良いのか? っていう思いが募りだして2年ぐらい経つ。
ある一つのエントリー、ページとか一冊の本とかで何かが変わったり、東大合格と健康維持という目的(目標)ぐらいしかない俺が
他の何か、素晴らしい夢とか目標とかやりたいことを獲得するかもしれない、、、
今年で一浪目だが、合格できるかどうかわからん;; それほどまでに俺は心を奪われてしまっているんだよ、目の前のこれに。
最近どうしようもなく怖いんだ。
いつか東大を諦めてしまうようなことになるのが。
このことが原因でただ情報を漁って逡巡することに膨大な時間費やして
大して行動せず何も為さないままだらだら生きていくことになるのが。
現役で東大に合格した受験生と俺、何が違う?彼らは情報をいかに処理したのか?
なんで俺とかはいつまでも足踏みしてんだ?
もうどうすればいいんだ… もう完全に俺の問題解決能力では手におえない。助けて欲しい。
とにかく東大に入りたい。なんで入りたいかはこの際どうでもいいはず。各位、自身の抱く目標に置き換えて
それを阻む要因として俺のこの疑念がそれなら一緒に解決しよう。解決してください。お願いしましたよ。
>元々勉強できるやつだったら別にゲームしてようが何してようが東大でも何でも受かるし
勉強が手につかないのに受かるわけないだろ!
自分がどういうタイプだろうが俺はどうしても東大にいきたいんだよ!
ほりえもんって受験のとき、起きてから寝るまでの間、食事、風呂、トイレ以外、勉強しかしなかったらしいけど
今の俺にはそういうストイックさが必要なんだ。
なぜ他の何かに現を抜かす俺のようなどうしようもない人間と
おおよそどんな目標でも達成してしまいそうな ほりえもんや孫正義のような人間がいるんだろう 同じ人間なのにどこが違うんだろう