はてなキーワード: 起きてから寝るまでとは
まとまった金が入ったのでFIREしたのが1年半前、なんだかんだで今は自転車屋で働いてる。金が無くなったわけではなく、今現在も金融資産は米国株のおかげで増え続けている。
この半年間、車に乗って日本を回ったり、行きたかった国へ渡航して遊んだりと無責任な日々を過ごしてきたが、朝起きてから寝るまで何もやることがない日常に耐えるには強靭な心が必要で自分には難しかった。まさに暇を持て余し、随分無駄金を使った。
一転してこの10月から近所の自転車屋でバイトを始めた。仕事内容は店番と簡単な修理対応だ。最近は卸への注文業務も任されている。人の良さそうな店主のおっちゃんに頼み込んで今のところ週3で働かせてもらってる。自分の行為が誰かの役に立てて、しかも暮らしに必要な金が手に入る。働くという行為の大切さと、当たり前だけど誰かに感謝されることの嬉しさを学んだ。
今年で47になる独身男性だ。この仕事かはわからないが、死ぬまで働き続けようと思っている。働くことって大切だし、尊いことだと学ぶことができて本当によかった。
ずっと一緒にいたいなって思ってるし、相手も思ってくれています。きっとふたりが死ぬまで友だちで居続けるんだろーなーって考えているし、それが何だかしっくり来ます。
本当に私にとって一番の大切なお友達です。
出会って10年以上が経ちますが、LINEで3日以上やり取りしないことはないし、通話もお互いが眠くなるまで何時間も、それどころか朝起きてから寝るまでずっとできます。作業音だけでも全然気まずくありません。よく遊びに行くし、二人きりでお泊まり会もします。あくびは必ず伝染します。
本当に大好きです。
お互いに、お互いが喜びそうなことを知ってるからお互いにやり合うし、
お互いに、お互いが嫌がりそうなことを知っているからそれはやらないし、困っていたら絶対フォローするし、支えたいし、支えてくれるし。
本題ですが、相手は「同性パートナー」に興味があるらしくて少し複雑です。だって、その子と人生を歩く同性がいるとしたら私は、私しか想像ができない。謎の女の人が来たら私は「誰よその女?」って思ってしまう。
でも、あくまで私たちは「1番の友だち」だから、しかもそれがクソガキのころからずっとずっと続いてる落ち着く距離感だから、「同性パートナー」を連れてきたときに「私じゃだめ?」なんて言えないよ。トイレとかで泣くと思うけど。
クソガキの頃からふざけて「結婚してください」とか「付き合ってください」とかいう内容をメッセージでよく送ってました。
考えてみたらクソガキの時は「は?」とか「((((((((((殴」みたいな反応が来るのがおなじみでゲラゲラ笑ってたんですが、最近はそういうのをネタで送るのも少し緊張するし、なんて言うか本当のプロポーズを茶化してる気持ちになっちゃって送りづらくなりました。恋愛的にその子のことを好きではないはずなのに。
で、通話しながら久しぶりにそういうノリになって、スタンプで送ってみたんです。そうしたら、相手は「嫌」とか、「は?」とか、断るようなことを全く言わなかった。でも、昔みたいにネタでゲラゲラ笑う感じでもなかった。彼女が持ってるかわいい「嫌」ってスタンプを送ることも、躊躇われるような感じだった。
そうしたらなんだか、不思議と、恋愛的に好きではないはずなのに、やっぱり茶化してしまったような、相手を少し困らせてしまったような気がして、ごめんねって思った。
腰が曲がっても、しわしわのおばあちゃんになっても、合う入れ歯が無くっても、あなたにサプライズをし続けたい。驚いて笑っているあなたの横にわたしはいたい。
って考えながら、お昼は茹ですぎたうどんを食べた。
良くないんだろうとは思いつつ、猛暑だし、コロナが怖くてどこにも行けないし、親はラクだしで、寝る時間だけは守らせてあとは放置している。
子供の集中力とのめり込み方はすごい。傍で見ていて怖くなる。依存症か? とも思うが、生活リズムは乱れていないのでコントロールできているのかと思ったり。
ただ、藤井聡太さんも子供の頃からずっと将棋をやっていただろう。五輪アスリートも朝から晩までずっと練習してただろう。なぜゲームだけダメなのだろうか。
ゲームは将来の職業に繋がらないから、引きこもりになりそうだから、目が悪くなるから…だろうか。
チャットを楽しむわけでもなく、ひたすら技術向上とレベル上げに勤しむ子供の姿を見ると、つい応援したくなる。
こんなに一生懸命やっていることが、将来に繋がらないと言えるだろうか。ユーチューブ大好きっ子でもあるので、今後ゲーム実況者になるつもりなのかもしれない。それも良いと思っている。もう、この先どうなるかわからない。親である自分の感覚は全て旧いのだろうと思う。
妻が統合失調症になったというホッテントリを見てふと書きたくなった。
僕が強迫性障害になったのは恐らく中学2年生のとき。ある日いきなりだった。
トイレを流したあと、ちゃんとそのトイレがちゃんと流れたかどうかを異常な程気にするようになった。
玄関の鍵閉めたっけとか生きてれば一回くらい気にしたことあると思うけど、僕のトイレが流れたかどうかを気にするというのはとにかく異常だった。
頭の中がずっとトイレが流れたか気にするようになり、不安でずっと心臓はバクバクだし授業にも集中できない。
トイレが流れたかどうかを何回も確認しに行くんだけど、なぜか確認して五分くらい経つとまた気になる。
自分が使ったトイレを別の人が使ったときだけは、トイレを流す義務はその別の人に移ったとして気になんなかった。
旅行先で使ったトイレが確認の対象になると地獄だった。中学生の足でそのトイレを確認しにいくとか無理だし、電話して確認するほかない。(流石に電話はしなかったけど。)
当時親にこのことを相談したけどあんまり掛け合ってくれなかった。まあいきなり「トイレ流したかどうか死ぬほど気になって集中できない」なんて言われたって意味わかんないし仕方ないと思う。
ここからが本題なんだけど、高2くらいで気にする対象が人に危害を加えたかどうかに変わった。
高校には自転車で通学していたんだけど、ただ自転車を漕いでいるだけなのに途中で誰かとぶつかって人を殺したんじゃないかと気にするようになった。
馬鹿げた話だと思うし、当時の自分も心の奥底では馬鹿げた話だと思っていた。人を殺すほどの速度でぶつかったら自分が無傷なんてあり得ないし。
でも、気にし続けてしまう。朝起きてから寝るまでずっと頭の中はその不安ばかり。
そのころ住んでた県には交通事故発生マップというサイトがあった。
そのサイトにアクセスして、通学路で交通事故が起こってないことを確認して不安を解消してまた数十分後には不安になってまたそのサイトにアクセス……というのがルーティン。
ゲームしてても「人殺しがこんなことしてていいのか」とまともに楽しめなかった。
交通事故発生マップだけでは不安を解消しきれなくて、直接警察署に聞きに行きそうになったこともあった。
行きそうになったというのは、「こういうことが気になるので警察に確認しに行こうと思う」と事前に親に相談したら止められたので未遂に終わった。
ちなみに今は大学三年生で、完治とまではいかないけど98%くらいは治ったんじゃないかなと思います。
大学生になってからバイトして自分で自由に使えるお金を得たので、親には伝えず精神科に行ってお薬を貰った感じ。
でも、大学生になってからバイトしてお医者さんにかかるまでの期間で既に快復の方向に向かっていたので、最終的に治ったのが単純な時間経過なのか精神科に行ったおかげなのかはよく分かんない。
ただ、もしも中学生のころに精神科に行ってお薬を貰っていたら、こんな長い期間悩まされることはなかったかもしれないとは今でも思う。
いまこれを全部読んでくれたのなら、世の中にはこういった症状で悩む人がいるという知識を得られたと思います。
もしも、身近に「トイレを流したかどうかが死ぬほど気になる」とか「自転車で人を殺したんじゃないか不安になって仕方ない」という人がいたら、はやめの精神科の受診を勧めて欲しい。
身近というか、自分自身も含めてですね。強迫性障害になる前はこんなの世界仰天ニュースとかで見るだけで、自分には一切関係のないものだと思っていたから気をつけて。
精神科病棟の中でも一番症状が重い人を救急・集中治療するスーパー救急というところに入院していたら、まあまあ非日常的なイベントを目撃した。
1人目:解離性同一性障害(いわゆる多重人格、以下DID)の人。初めて会話した時に「僕ね、ゆうたっていうの。5歳。ゆうちゃんって呼んでね」と言われたのでDIDであることは一瞬でわかった。ゆうちゃんは人懐っこい性格で明るく、閉鎖病棟という限られた空間でインターネットも失って完全に暇だった僕にとってはいい話相手だった。初めて会話した次の日、デイルームにその人がいたんだが、DIDの人は人格が入れ替わるとそれに応じて記憶も入れ替わると聞いたことがあったので、デイルームにいる人が今日は別人格で過ごしていて昨日僕と会話したことを覚えていないのではないかと思って敢えて声をかけなかった。しかしそれは杞憂で、ゆうちゃんの方から僕を見つけて「あ、おはよう!」と声をかけてきてくれた。この人は病棟では基本的にゆうちゃんとして過ごしていたが、時折エレベーターで1階分移動する時など一瞬で人格が変わることがあり、声も口調も目つきも変わって、おもしろいと言っては不謹慎かもしれないがおもしろかった。
2人目:知的障害の人。看護師と会話はできるが一方的で、3分前に言われたことすらよくわからなくなってしまうレベル。ドラゴンズが好きで、1日中デイルームにいて「ドラゴンズ勝ったの?」「ねえ俺ドラゴンズ好きなんだけどさあ」「早く退院したい、ドラゴンズの応援に行きたい」を繰り返していた。まあ知的障害があるからしかたないんだが、同じ内容を起きてから寝るまで延々と大声で繰り返していて、正直うるさかった。あまりにうるさいので他の患者からは嫌われていた。とある患者がデイルームに置いてある公衆電話から家族に電話をかけて「なあ、ここ知的障害者がいておちつかなくて最悪なんだけど。早く退院させてくれない?」と言っているのを聞いていて、しばらく「あいつが俺のことバカにしてくるから嫌い」とわめき続けてその患者とガチ喧嘩に発展した。
3人目:スピリチュアルおばさん。病棟の女性の半分以上を巻き込んで仲良しグループを作り、グループのトップに君臨してデイルームでお喋りに興じていた。話している内容はだいたい2つで、「うわあ~木下さんの塗り絵素敵~!」とグループの女性に媚を売るか、他の人の話を聞いてあげて「待ってね、それ何て言うんだっけ…今はど忘れしちゃって出てこないんだけど、金星の力が強くて木星の力が弱いとくぁwせdrftgyふじこlp(何て言っていたか僕は忘れました)になるのよ~」「あなたの気持ちすごいわかる!くぁwせdrftgyふじこlp(同じく忘れました)のゾーンに入ってるの!」といった調子。典型的スピ系。そして随所で「私病気なのかわいそうでしょ、でもこんなに頑張ってるのすごいでしょ」アピールをしてくる。極めつけには、とあるスピ系の本に載っているポエムを紙に書き写しては「これいいのよ~」と病棟中に配ってまわり、認知症のおばあちゃんが洗脳されて「私の病気も神様がくださったものなのね」とか言い出して、マジでうっっっわと思った。
4人目:食事療法お兄さん。たぶん統合失調症。入院患者を捕まえては「良くなるためには米、小麦、肉、脂質、卵なんかは食べてはいけないのですよ…」と長々と言い聞かせるのだが、じゃあお兄さんがそれやって病気治せよ、もしくは例えばその食事療法を実践していたとするならばなぜあなたは精神科閉鎖病棟に入院するまで症状を悪化させたんですか?以外の感情が無。厄介なことに、2人目で紹介した知的障害者がこれを耳にしてしまい、病院食を拒否するようになった。
インパクトがあったのはこのくらいですかね。あとは認知症の男性患者が自分の部屋がわからなくなって女性患者の部屋に侵入するくらいしか事件起きてない。たぶん。
最近ね、頭頂部が薄くなってきたんですよ。髪が細くなってきて、伸びるスピードが遅くなってきた。あぁ、男はこうやって髪の毛が薄くなるのかと思った。髪をつまむ、明らかに前よりも細くてふにゃふにゃしている。
髪が細くなり伸びるスピードが落ちてくる。だけど何で頭頂部だけ?全体的に同じ様に下がれば全体的に薄くなったと思うだけなのに何でそこにわざわざザビエル的な風味を追加するのだ我が体よ、ホルモンよ。
と思っていたのだけど、最近ふと「あ、自分は死に向かって軌道修正をしたのだな」と思うようになった。離陸した飛行機はいつかは着陸する、この着陸に向かって高度を下げ始めた感じといえばいいだろうか。軟着陸してほしい。ハードランディングは避けたい。
死に向かっていると感じたときに急に人生の意味なんて別にないんじゃないかとか、若者たちがありもしない人生の意味を追いかけて必死になっているさまを見て何アホなことやってんだろうと思うようになった。なんか一生懸命鼻息荒くやっているけどそれがお前の設定した目標になにか近づくの?とか思うようになったが盛り上がった若者に説明するのなんか単にしらけることを言う嫌な奴としかおもわれないから何も言わない。
多分人間はこうやって老害化していくのだろうと思った。要は若者たちのやっていることがアホなことに見えるようになったからだ。
ただ、自分のやっていることが素晴らしいと思えるほどに自信家じゃないので老害化はしているが公然と嫌味を言ったり批判したりという人間にはまだなっていない。ただ、そんな意味もなく人生を浪費している彼らを見て「自分そのもの」について考えるようにはなった気がする。
多分人は成長の中で意味のある20%の、意味のない80%の試行錯誤を繰り返すんだろう、とか漠然と思うようになった。そして多分自分もそうだ。やってみて単に時間をお金を費やしただけ、ということはけっこうある。学びもあるが費やした時間とお金に見合っているかというと疑問を感じることも多い。
社畜として生きていた自分、会社は会社に俺がアウトプットする業務とその成果に興味はあるが俺そのものには興味はないと思う。夫として生きていた自分、家族は家庭に俺がアウトプットするお金やヘルプに興味はあるが俺そのものには興味はないとおもう。
振り返ってみると、何かをして「ありがとう」と言われることはあった。だけどそこまでだ。ありがとうの先はない。ありがとうの先に何があるかというと自分を人として尊重する、ということだと思うが、仕事をして家庭を持って、趣味をやめ、遊びをやめ、起きてから寝るまでの間自分の自由な時間なんか殆どないがそれを「ありがとう」で片付けられている。ありがとうと言っている側は趣味に習い事に遊びに時間をふんだんに使っている。ありがとうと言っている側は懐がどんどん潤っている。
ありがとうの対価に会社は利益を得ているようだし、家族はより良い暮らしを手に入れているようだが、それらが自分になにか還元されているのだろうか?ありがとうと言われているうちに週末にどこかに遊びに行きたいとはもはや言えなくなった。家族が遊びに行くから運転しろとは言われる。行き先の選定に自分の意見が入ったことはない。つまり週末も自動的に自分の時間は奪われている。
自分の予定を入れていても結局変更させられる。「それって来週にできないの?どうしても今週じゃなきゃだめなの?」と言われる。「じゃぁ来週にずらすよ」と言う。「ありがとう」と言われる。翌週も同じことをする。「ありがとう」と言われる。消化されないやりたいことは山のように溜まっていく。それを覆い隠すように更に大量のありがとうが降り注ぐ。
周囲の人はみんな「ありがとう」を忘れない。これまでは自分もそれでいいと思っていた。だが、「死」を意識したときに急にこの「ありがとう」が自分にとって何の意味もないものに成り下がった。
「ありがとう」というから限界ギリギリまで、たまに限界を超えてまで一生懸命仕事をするんでしょ?
「ありがとう」というから自分の都合を全部後回しにして周囲の人を優先するんでしょ?
なにか自己主張する、許されない、ごめんなさいと言わされる、土下座をさせられる。そしてありがとうと言われる。
このありがとうってどういう意味なんだろう?相手の口から放たれた「ありがとう」に対して「いやお礼とか良いからいい加減自分の尊厳を主張させてください」と言ったら土下座させられるんだろうか?