はてなキーワード: 習い事とは
でもそういう消費豚がオタクを自称することはなかったのよ。その主な理由はオタクが賤民であって自称する魅力も利益もなかったからなんだけどね。
そもそも中世から昭和に続く日本社会において、未成年は家の従属物(ソフトな表現)だったし、成人女性は家事労働提供者(ソフトな表現)だったし、成人男性は会社の奉公人(ソフトな表現)だった。この社会において自由の幅ってのは現代に比べて極めて少なく、特にそれは趣味分野において顕著だった。庶民が嗜んで白眼視されないものなんてのは、男性において飲む打つ買うとその後継だけだったし、パチンコなんてのはその最たるものだった。女性においては男性にもましてきつきつであり、かろうじて数種の習い事が芸として社会認知されてたかどうかくらい。書物を購入してそれを読み漁るなんてのは、金持ちの道楽であり、庶民の間ではむしろ唾棄すべき軟弱さの現れとみなされていたふしがある。まあ、だからこそ与謝野晶子あたりの明星派などによる「既存の価値観への抵抗」としてのそれがあったわけだけど。
高度成長期を経て70年代から急速に文物が発展して、今現在趣味と呼ばれる文化が爆発的に多様化した。多様化した以上に「余暇に個々人が己の興味のあることをして過ごすのは当然の自由であり権利である」という認識が一般化した。テレビ文化がひろまって、ヒッピームーブメントの余波から洋楽ブームが来て、ニューエイジ思想からオカルトブーム、UFO!心霊写真! そしてフジテレビとホイチョイが結婚してユーミンがウィンタースポーツブームを生んで、広瀬香美とチューチュートレインが若者を苗場に連れ出した。
の、だけど、そんなに主体的に生きてる人間ばっかじゃないのよな。増田の言うとおり。結局現在、「ソシャゲと深夜のアニメとネットの炎上案件に対するコメントで時間を潰している、オタクを自称している(下手したら自分自身ですらそう信じ込んでいる)人々」ってのは、昭和中後期で言えば「パチンコやって飲み屋で愚痴言ってる箸にも棒にも引っかからないおっさんたち」だったわけよ。別段彼らはそれが好きでやってるわけではなく、「受け身で流されて適度に脳内麻薬がチョロチョロ出る余暇の消費」としてそこに流れ着いただけで、最初から徹頭徹尾ただの消費者であって、オタクでも何でもなかった。多分当時であったとしたって、パチンコや博打や酒が本当にそこまで好きだったかどうか疑わしい。そういうふわっとした人々が社会の大多数だったってのは、当時も今も変わらない。
どちらかというと「社会人は全員そういうもん(休日はパチンコするくらいしかない消費者)だろ」っていう同調圧力がなくなり「余暇は自由選択」になっちゃった結果、それが可視化されただけにすぎない。そのうえ「社会人は全員そういうもんだろ」っていうのは同調圧力である以上に、大多数にとっては劣等感を刺激しないカバーストーリーでもあったっていうのが問題で、いまのこの日本の現代社会は「余暇の過ごし方」でさえも階級があるってのが、多分きつい。
あまりはっきりとは指摘されないけれど、「何ら主体的な趣味を持たない人間」ってのはやはりいまの社会では軽んじられる。一回級下の存在だと現在みなされるんだよ。それこそ「オタクであるほうがまだマシ」と考えるほどに。
だから「(絵が好きなわけでも今まで描いてきたわけでも強い動機がなんにもないにも関わらず)絵が掛けるようにな(って賞賛を受けるようにな)りたいな」なんてボヤキがWebにあふれる。
べつに「何ら主体的な趣味を持たない」って罪でもなんでもないのにね。前述の戦後から高度成長期にかけて、そんな人々は、社会に出て飲む打つ買うを一巡経験したら、すぐさま「どうやったら異性に興味を持ってもらえるかレース」に回収されて、あまり悩む間もなく半強制的に結婚させられ、身体に異常でもない限り速やかに子供ができて、子育てに忙殺されるというスケジュールに打ち込まれていた。そうすれば「主体的に趣味を持ってない」なんてことは遥か彼方にぶっ飛ばされて、問題意識すら持たないで済んだのにね(その後は、後輩や年少者に対して「結婚は社会人の義務だ」とか「子育てはいいぞ」ってマウンティングして余生をすごせた)。
社会の多くの人にとって、「個人のアイデンティティと紐付けられた強固な趣味に邁進する」人生の強要は苦痛だし、でもそれを拒否するにせよ趣味する余暇なく仕事を詰め込まれるのはもっと苦痛だ。多くの人にとっては自由が毒にしかなってない。そういう価値観の変遷に、オタクは巻き込まれちゃっただけなんだよね。
Twitterで元記事が流れてきて、自分も同じような境遇だったからちょっと書きたくなった。
自分も両親がヤンキーで(父親は高卒で的屋の元締め、母親は中卒で水商売してた。)、教育に金を掛けるなんて発想は全くなかった。
父親はアル中でDV気味だし、母親はひたすら週刊誌を読んでるだけの人だから文化的に良い影響を受け継ぐこともできなかった。(というかそもそも無いし)
生まれた所は港湾労働者が集まる町で団地も多くて、小学校で運動会とかあれば金髪の父兄がひたすら飲酒しながら怒号をあげて応援しているような地域だった。
大卒なんてもちろん近所にいなかったから、自分は高校を出たら働くんだと幼い頃から思っていた。
でも中学校の時にすごく教え方の上手い数学の先生と出会って、その人のおかげで勉強が楽しくなった。
どうせ家に帰っても地獄だし、ずっと図書館で参考書漁りながら勉強してた。
そのおかげか高校は県内で一番の進学校に進むことができたんだけど、友達はだいたい工業高校か私立の誰でも入れる高校に行ったから新しく友達を作らないといけなかった。
だから入学してから色々な人に話しかけてたんだけど、みんなが当たり前のようにする話についていけなくてびっくりした。
習い事でピアノをするとか、海外旅行に行くとか、ほんとにそんな人いるんだって初めて知った。
でも、よく考えると目の前にいる恵まれた子たちも祖先の誰かが頑張って身を立てたから今があるんだなって思って、自分がその祖先になった気持ちで頑張ろうと思った。
そうやって惨めな気持ちがありつつもとりあえず頑張ることにしたおかげで、なんとかゴリラが現総長をしている大学に入ることができた。(当時はカレー好きの人が総長だった)
大学ではもっと上流の人たちがうじゃうじゃいて惨めな気持ちは加速したけど、色々と頑張ったおかげで学生生活を楽しいものにすることができた。
未だに実家に帰るたびにキツい家だなとは思うけど、努力したおかげでなんとか楽しい人生にはできた。
自分も「努力すれば解決する」価値観は無かったけど、とりあえずやってみたらどうにかなったし、やっぱり今までの諸々を赦した上で自分が何かを始めるしかないんだと思う。
今までの環境を赦すには本当に辛いものがあると思うけど、理想を持って信じて行動できるのが人間のいいところだよ。
多分ドリルとかの文物よりもランニングとかそういう身体的なものから入った方が話のネタにもできるし周囲と関わりやすいしオススメ。
https://anond.hatelabo.jp/20181128231115
俺は不登校だったんだけど、親が良くしてくれたおかげで高校は行けるようになり、そのまま大学に進学して就職した。
不登校になった理由はいろいろある。一つは軽いいじめにあっていたこと。女子に避けられる、汚物を見るような目で見られる、一部の人間に理由もなくぶん殴られる等。それが原因で友人もなんだかよそよそしくなって居心地が悪くなった。
もう一つは昼間の生活リズムが合わなかったこと。パソコンでネットばっかりやっていたのでどうしても夜型になった。朝起きれなくなったし、起きれても行きたくなかったから学校に行かなくなった。
あとは勉強についていけなくなった。学校を休むとどんどん置いていかれる。これも嫌だった。
目立ったいじめの話なんかが無い場合は、この辺のちょっとした理由の積み重ねが不登校の原因だったりする。
不登校の子供に対してやってはいけないこと、言ってはいけないことはよく語られるけど、やったほうがいいことについてはほとんど語られないから、俺が親にやってもらってよかったと思っていることを書いていく。
・外出させる
不登校はどうとでもなるけど、引きこもりになってしまうと大変。不登校だけど外出は楽しみという状態にしてあげると良い。昼間は近所の目や同級生とエンカウントしないかという恐怖があるから、早朝とか夜に行動させるのが吉。同級生が居ないような場所であればコンビニでもなんでもいいから、買い物を手伝ってもらうとかで外出をしてもらうことが重要。休日は一家でレジャーに行くのも良い。
・社会参加させる
うちは親が自営業だったから、休日にその仕事を手伝わせてもらっていた。親の提案で、休日だけ店舗まで行って書類仕事をやっていた。学校には行かなかったけど社会に参加している実感があって嬉しかった。若いとインターネットや学校だけが社会の全部だと思いがちだから、別のものを見せてあげるのはとても良いと思う。これはうちの親が自営業だったから出来たことだけど、ボランティア活動とか習い事とかなんでもいいと思う。ただし同級生とエンカウントしないくらい遠くでやるのが良い。
・お金をあげる
楽しいことをしたり、遠出したり、好きなことを見つけたりするためにはたくさんの資金が必要。月1~2万はあると良い。俺は親の手伝いのアルバイト代ってことで時給を貰ってたけど、別に名目はなんでもいい。小遣いとかなんとか言って現金をあげて自由に使わせよう。それで好きなことが見つかるかもしれないし、お金があれば外出もする。学費だと思って捻出しよう。
・転校させる
これは俺がしてもらったことじゃないけど、してもらえたら良かったと思う。しつこく提案してみるべき。その学校が嫌いでも、学校自体は嫌いじゃないかもしれない。ただし同級生とエンカウントしないように、電車で1時間くらいかかるような学校だと良い。
こんな感じで、親が心配な気持ちを見せすぎずに子供を良い方向にコントロールしてやると良いかもしれない。もちろん不登校の形は星の数ほどあるから、このやり方が絶対正しいとは言えないけど、俺はこうしてくれたおかげで今いっちょ前に社会人やれていると思っている。
読み返してみたが、習い事などしたとか、人のいるところには顔を出してきたとかどちらにも書かれているが?
正確に言うと、目の前と、頭の中が黒い靄の中にあって、私は私の体をコントロールしたり、外の世界に触れることができない。
今キーボードを打っているのも、気づいたら文字が打たれている。
どうやって打ったのか、誰の考えなのか思い出せない。
黒い靄がそこにあるだけである。
なんならむしろ行動的な方で、
2週間に1度は習い事に行くし、
就活の時は毎日ぎっしりセミナーの予定を入れて、夜遅くまで活動していた。
みんなの前に立って、言うべき時は強く言ったし、飲み会では人一倍はしゃいだ。
でも、思い返せない。
それは私じゃない。誰かの記憶。
何かを思い出そうとすると、頭の中にある黒い靄の塊と、思考の文字の塊が邪魔でよく見えない。
黒い靄の外で、近くにある手と足が動いて、声が聞こえて、映像が流れる。
鏡を見ても、それは「私」だけど、私じゃない。
感覚が無い。
今自分の手を自分で触れても、ただ目の前で手と手が触れる映像として流れるだけ。
つねると痛いけど、それが目の前の映像と結びつかない。
気付いたら全て終わっている。
黒い靄がかかった日のことは覚えている。
受験を考え出してすぐ、
その大学になんだかすごく行きたくなって、
早起きすごい苦手だけど、5:30から23:30までびっちり勉強した。
親はすごく心配した。
私にはレベルが高すぎるってずっと思ってたみたい。
ところで私は絵を描くことが寝食を忘れるくらい大好きだった。
小中学生のとき少しいじめられてて、毎日死にたいと思っていたけど、
絵を描きたくて、生きていた。
思ったように描けなくて泣くほど悔しくても止めようなんて1ミリも思わなかったし、テスト前でも睡眠時間削って描いてた。
描けなくなるなら死んだ方がいいと思った。
最後の最後、我慢できなくなって勉強ノート一枚隅々まで使って絵を描いたときはほんとに気持ちよかったな。
技術的には全然だけど、やっと自分が描きたいと思う絵が描けつつあって嬉しく思ったのを覚えてる。
大学生になったら、親の目も無いし好きなだけ絵が描けると思ってた。
同人誌出したいなとか、
誰かに絵を使ってもらいたいなとか、
今思えば絵が生きがいだった。
なぜかはっきり思い出せないんだけど、
母親に、あなたが受かるわけないでしょ的なことを会話の中で言われた。
えっ、私受からないんだ、って素直にびっくりした。
そのまま試験を受けに行った。
そこだけはっきり覚えてるんだけど、
英語の長文解こうとして、読み始めて、どうしても読めなかった。
過去問で長文何回も読んだけど、まるで初めて英語を見たぐらい意味が頭に入ってこなくて。
見えてるのに見えてなくて、読んでるのに読んでなくて、何も分からない。
黒い靄がかかっているのに気付いた。
もうパニックになって、見えろ!見えろ!って心で叫んだ。
泣いてた。
黒い靄は晴れないまま、試験は終わった。
会場外で母と待ち合わせして一緒に帰った。
どうだった?って聞かれたから、全然解けなかったんだって言ったら、
「ええ~?あんなに頑張ってたのにどうして?」
って。
すごく裏切られた気がした。
受からないと思ってたんじゃないの?って
私、受かるかもしれなかったの?って、混乱した。
慌てて受けた大学に行った。
親としては十分満足な大学らしいけど、私は受かっても何も思わなかった。
気付いたら、絵が、描けなくなっていた。
とにかく手を動かしてみても全然違う。
私ではない誰かが、「絵を描くために描いた絵」って感じで、
心が全然こもってなくて、あさましくて気持ち悪くてすぐ捨てた。
今も描けない。
あれから6年、まともに絵を描いてない。
黒い靄の中で私はずっと眠っている。
どんなに強く刺激してみても、黒い靄は破れない。
今でも親は、言葉にできない怖さがある。
目の前にすると何も言えなくなるし、
さすがに黒い靄との付き合いも長くなってきて色々考えるんだけど、
もしかすると、黒い靄は私が現実を見て傷つかないように守ってくれてるのかなって思う。
大学に落ちたとか、親とか怖いことを見せないように包んでくれてるのかなって。
時々、黒い靄と私のことを深く考えると少し視界がまぶしくなって、
なんだか立っていられないほどに自分が心もとなくて怖くなる。
素直に、今まで守ってくれてありがとうって思う。
きっとその時の私じゃ耐えられなさそうなことが黒い靄の外では起きてたんだろう。
本当に死にかねなかったのかもしれない。
これからの人生は、黒い靄ごしじゃなく、私の目で世界を見たいなとか思ってる。
黒い靄からの出方はコツが掴めそうで掴めてなくて、
今この瞬間も黒い靄の中。
原因はタバコが元になった肺腺ガン。小腸に転移するという珍しい進行の仕方で、もう化学療法も効果がないらしい。病院の先生からは、残された時間をお父さんが出来るだけ楽に過ごせるようにしましょう、と言われた。
寡黙で、人に弱音を吐かず、黙ってやるべき事をこなす父だった。これといった趣味はなく、強いて言えば家でテレビを見ながらお酒を飲んでタバコを吸うのが好きだった。それが自分の命を奪う原因になると考えていたのか、今となってはもう訊いてもどうしようもない。
言い方が難しいが、自分の子供といえど子供扱いすることなく、1人の人間として見てくれた。私のやる事に口は出さない主義で、習い事も志望校も就職先も、「ここに決めた」と言えば必ず「そうか。」とだけ言い、黙ってその道に進ませてくれた。
私が人生に悩んで学校を辞めると言った時も、返ってきたのは「そうか。」の一言だった。てっきり死ぬほど叱られると思っていた私は拍子抜けしたが、その時改めて父親の器の大きさを思い知った。
ガンにかかった時も本当は辛かっただろうに「ちょっとしんどいけど大丈夫」「仕事が残ってるから」と入院を先延ばしにし、
結局手遅れになってしまった。(痛みに鈍い人なので、本当に分かっていなかったのかもしれないが)
「1週間ぐらい検査入院してくるわ」と言い、そのまま最期を迎える事になるなんて。
父が日に日に動けなくなるのが怖い。
父の意識がなくなるのが怖い。
父の死が近づくのが怖い。
まだ55歳なのに。
定年後お父さんずっと家にいるの?たまにはどこか出かけといてよ、なんて笑っていたのに。
いつか犬を連れて旅行に行こうって言ってたのに。
親不孝な娘でごめんなさい。
何もしてあげられなくてごめんなさい。
機嫌の悪い時、適当に返事をしてごめんなさい。
お父さんが自慢の娘だって言えるような事が何一つなくてごめんなさい。
・やっと発注の要領がわかってきた。新規商品はどんなに売れても1週間で切る。よし。
・満を持して出勤した途端に店長に取っ捕まって、上記の事を今更レクチャーされる。それ最初に教えてよ!
・先月くらいに入社したらしい新人バイトの子に初めて会ったが、スルーされてしまった。事務所に知らない人がいたら普通挨拶しないかな?と思ったけど、まぁいいかと思って店に出た。
・新人バイトちゃんは上がるときは普通にお疲れ様言って返って行ったので、あぁ普通だった。でも自己紹介するタイミングを逃してしまった。
・何か今日私、やけに相棒に歓迎されてるような気がする、と思ったら、相棒は新人バイトちゃんとの仕事がとてつもなく苦痛だったそうで、早く増田来ないかな~とずっと思っていたらしい。
・「あたしああいう女が一番大っ嫌い!!」と相棒。見たとこ19か二十歳くらいの女の子を「ああいう女」呼ばわりとはこれいかに。暇だったので相棒の新人バイトちゃんについての愚痴をとっくり聴いた。
・相棒の新人バイトちゃんへのムカつきポイントは二つで、口だけ達者な事とレジに入ろうとしないこと、なのだそうだ。
・なるほど「口だけ達者」なのが「ああいう女」呼ばわりの原因なのか。若者がビッグマウスなのは仕方ないような気もするが。
・でもこのお店にいる若者の皆さん(イケメン正社員氏、正社員女氏、ネガティブ君、夕勤バイトちゃん)は腰が低くて素朴な性格なので、そういう人達に慣れていると鼻持ちならない系の若者は特別変で嫌な人に見えるのかもしれない。
・レジに入りたがらないという事に関しては、ぶっちゃけ気持ちはわかる!
・でもコンビニの仕事で一番基本的で一番重要な仕事なのはレジ打ちなのである。いっそレジ打ちしか出来なくてもいいくらいに、レジ打ちは大事なのだ。
・……って、私はバイト初日に教わったけど、新人バイトちゃんはそれを誰にも言われていないのだろうか?
・私がまだバイトを始めて数日目くらいの時に、シフトリーダーからもう慣れた?って聞かれたので、「レジ打ちには大分慣れてきたけど、その他の仕事はまだわからない事だらけなんです」って言ったら、シフトリーダーから「レジ打ちが出来るようになったんなら大丈夫だよ!ほかはおいおい覚えてけばいいんだから!」と褒められ励まされたのだが。
・何か新しい仕事を始める時は、まず場と人に慣れたいから雑用からスタートしたいと思ってしまうんだけど、雇う側としては雑用なんかどうでもいいから早く最重要な仕事を覚えて欲しいらしい。
・私は学生時代の頃、定食屋でバイトをしていたが、初めは皿洗いからやりたいと思ったけどいきなりオーダー取りから始まったなぁ。
・コンビニにおけるレジ打ちは、定食屋におけるオーダー取りくらいの重要度だという事だ。
・コンビニでは、いくら雑用をやっていても、レジに入らず相方にばかりレジの負担を掛けていると、「サボってばかりいる」と言われてしまうので、気を付けるんだ!
・相棒はひとしきり愚痴ったあと、「こんなことは本人には言わないけど」と言った。
・いや、仕事の優先順位の事くらいは言った方がいいと思うよ。残念な事にまず第一にレジ打ちなんだと。
・オーナーが言うには「コンビニの仕事を大方覚えてものになるまでには二年かかる」そうなので、懲りずに頑張ろう。
・と、この間「俺はもうダメです」と嘆いていたネガティブ君に言ったら、「俺二年後までいるかな……」と言われたので、「そうだね就活とかあるしね」って答えた。
・長くて二、三年ほどしか続けないと言われているコンビニバイトだが、私は一体いつまで続くのだろう?
・出来れば、「私はコンビニで働いた経験があります!」と胸を張って言えるくらいになるまでは働きたいと思う。始めたからにはプロフェッショナルになるまで。
・道のりは遠い。
・今のところ、賃金以外の面ではそんなに不満のない職場だし、今まで勤めてきた職場の中ではこれでも最も楽な仕事(楽ではない)ので、いいのだけど、急に辞めたくなる時が来るのだろうか。
・シフト表を見たらなんかまた人減ってるけど。
・そして新人バイトちゃんの出勤時間なにげにベリーロング!相棒の言う通りの仕事の仕方なのだとすると、昼勤はどんな地獄になっているのだろう。
・今日はほどよく暇だったので、客足が途絶えている間にゴンドラのお掃除が出来たので、満足。
・出勤を少し増やしたいので、帰りにシフト表をじっくり眺めたが、入って有難がられそうなとこが日曜の午前中くらいしかない。
・うちは皆寝坊助で、日曜午前は活動しないから、出勤しようと思えば出来るが、家族につられて寝坊するリスクがあるし、子供の習い事の試合がたまに入ったり、夫が消防団の行事で居なかったりするので、悩ましい。
豚カレー牛すき焼きエビマヨ豚角煮野菜ビビンバ等々いろいろな味を展開している。
これを初めて見た時、気になるけど買わないまま消える系商品だろうなと思った。
4つで二百円近いのは割高感があるし、大きすぎてこれを包み込めるおにぎりは女性や子供のお弁当箱に入らない、お弁当の主戦場は女子供なのに締め出してどうする、2つ握って男の弁当のご飯にするとしてもおにぎりだけで百円は割高だふりかけで十分だ。
せっかくいろんな味があるのに一種類ごとに別々に売ってるし、半分の大きさにし八個入れて、3、4種類いろんな味が試せるようにすりゃいいのに。
それに冷凍食品は弁当箱の隙間需要なのにおにぎりの中では隙間が埋まらない。
先日スーパーに行くとやはり売れなかったのか豚カレー味が五十円の叩き売りをされており、気になっていたので一つ買ってみた。
カレー味のおにぎりは子供に受けるだろうと習い事の帰り道に食べる用に作ってやると、予想以上に気に入ってしまった。
海苔はカレーにあわないのでいらないと言うので取り除いたら、大きな白いだけのおむすびになり見栄えが致命的に悪くなった、弁当に似合わねぇ。
次は2つ作ってと騒ぐので、おにぎり丸はあと3つしかないよと言うと、もっと買ってと言ってきた。
残り一つになった時にスーパーに行くとおにぎり丸はもう置いてなかった。
もう売ってなかったと言い、これが最後のカレーおにぎりだよーと渡そうとすると
何で最後の一個をこんな時に渡すの?12月の最後の特別おむすびに使ってよと文句を言ってきて、どれだけ気に入ってるんだと遠くのスーパーも行ってみたが置いてなかった。
困る。
娘は小5。
小さいころから会う人会う人「娘さん、かわいいね~」と言われていたのだが、まぁ小さい子にはみんな言うよね、くらいに思ってた。
しかし小5になってもいまだに言われる。
「モデルみたい」「顔が小さい」「アイドルになれる」等々。背は低いけど。
最近だと娘の習い事の先生に「その気があるならモデル事務所紹介しますよ?」とまで言われた。
娘のお友達は集合写真撮るときに「顔が大きく見えちゃうから」と娘の隣を避ける。
娘はおしゃれに興味があって将来ネイリストになりたいと言っているけど芸能界は毛嫌いしてる。
以前、美人は大変だみたいな増田を読んで、男親としては正直不安しかない。
親として何かできることとか注意すべきこととかあったら教えてください。
バブルの価値観がまだ抜けきってない現在60代とかが息子とか娘にたいして「子供(60代から見れば孫)にはこれくらいしてやって当たり前だろ」と、本人なんの悪意もなく接したりしてるとか。
そういうジジババは金持ちなら孫に金つぎ込んでるし、金がないなら「子供は無理に孫を持つより自分の将来の介護を優先して欲しい…」と思ってるよ。
子供が金がないのに孫産んだせいで育児要員としてこき使われたり金せびられる同世代の友人の話だって耳に入るしね。
大学生やヤングサラリーマンの遊び文化に寄生しているホイチョイ/フジテレビ的な広告代理店文化が、「豊かで優雅な都会の子育て」をさも常識であるかのように流布してるとか。
地方民は「中学受験ったって東京の話でしょ、ここにそんな名門私立中学なんか存在しないし」と思ってるよ。
実際に金がないのに子供を持っている友人知人が生活に追われて全然幸せそうに見えないとか
日本の世帯年収ってさ30代の中央値は500万円~550万円の間で、20代ではは300万円~350万円くらいなわけ。
(この年代をチョイスしたのはこの年代が子供を作るか作らないか考えてるメインの世代だと考えたから)
すげえざっくりと500万から350万円でそのまんなかくらいを425万だとしてみるよね。んでもって、相対的貧困を更にその半分だとする(本当はもっと違う計算なのだけど、ここでは話を丸める。誤差が数百万なんてことはないので)。
とすると年収425万円付近が「結婚&子作り世代の普通(中央値)」で、425万未満だけど213万以上くらいが「結婚&子作り世代の下流だけど相対的貧困ではない」で、213万未満が「結婚&子作り世代の相対的貧困層」だということになる。
この辺は別に俺の気持ちや考えの話じゃなくて、今のデータだとこうですよねって話ね。もちろん細かくソースに当たれば数値は変更されると思うけれどかと言って数十万動くことはないんじゃないかな。おおよそこんな感じなのが今の日本の姿。
んでもってさ、「結婚&子作り世代の世代の普通(425万くらい)」ひとが、子供を作れないってのは、やっぱり国造りとしておかしいよね。おかしい話なんだけど「だから所得を上げろ」ってのがもっともっとおかしいでしょ。だって現実に俺らの収入はそうなんだからさ。
いやもちろん、国に対して「国民の所得を上げろ」って要求することそのものはおかしくないよ。でも「まともな子作りや子育てできないので上げろ」ってどう考えてもおかしいでしょ。だってその「まとも」っての基準を勝手にでっち上げてるのは国民側なんだからさ。マッチポンプないいがかりもいいところじゃない。
結論から言うと、いまの子作り&子育て収入直結論がおかしいのはここで、子作り&子育てのハードルを一方的に上げて、そのハードルを超えられないとギャーギャー喚くっていう論理の組み立てでさ。
もちろん上を見れば上があるってのは前提の上でだけど、「結婚&子作り世代の世代の普通(425万くらい)」ひとが子育てしようと思ったら、その収入にふさわしい子育てがあるでしょ。「普通の世帯収入の子育て」なんだから、それが「普通の子育て」なんだよ。習い事に複数行かせるのとか、毎年海外旅行に行くとか、お金がかかるスポーツをやらせるとか、予備校に行かせるとかは「普通じゃない」わけ。もうちょっと下を見れば、いまWebで公表すればネグレクトだと叩かれるような育児(もしくは育児放棄)――たとえば購入する衣類の数が少ないとか、昼間の間子供を放置するとか、公教育以外の教育をスキップするとかも、それが年収に基づくものであれば「当たり前」だと認識すべきなわけ。年収250万くらいでも子供を作って子育てして、その金額なりに首元がだるくなったTシャツとかで放任教育するのは「やって良いこと」なんだよ。そういうのを汚れた何かのように社会から滅却しようとすれば、子供なんて減って当然なんだよ。
それが普通ではないなんだか暴走した議論の渦中にあるのは、バブルとか少子化によって子供にかける投資が加熱して、それがマスコミやWebっていう偏った虫眼鏡で歪んで拡散されたせいで、「これくらいは子供にしてあげるのが普通だよね」みたいな風潮が蔓延したせいだよ。すげえ露悪的に言っちゃえば、意識の高いママ&パパが、うちの子自慢(に見せかけた自分自慢)をする道具として「わが家ではこんなふうに贅沢な子育てしてます」ってのをSNSで発信して、それを見てる側が真に受けちゃったみたいな話だ。SNSのグルメ自慢とおなじで、ある人が3000円のランチの写真を投稿してたとしても、その人が毎日3000円のランチを食ってるわけではない。のだけれど、なんか、「その程度の生活水準が普通」という共同幻想だけが肥大して、3000円のランチを食べられない人たちの怨嗟と劣等感だけが膨らむみたいな話だよ。
「この程度のお金はかけてあげないと子供がかわいそう」「子供の将来に禍根を残します」とかはっきり言ってほとんど全部詐欺でしょ。そらまあ、大学出たほうが生涯年収上がるとか、そういうのはあるよ。あるけれども、そうであるからといって「そうであるのが当たり前で、そうでないものは当たり前未満でマウントして良い」とはならない。夏休みなどの長期休暇で子供を旅行(特に自然の中に)連れ出してあげないと情操教育上で「問題がある」みたいな触れ込みで、昨今、キャンプスクールとかが流行ってるわけだけどさ。そういうのに申し込みしてお金かけないと子供が劣った何かになるとか、どこの寝言だろう。みんなが大好きな高度成長期をささえた日本人は別段キャンプスクールも大学も前提とはしてなかったわけでしょ。回顧ってわけじゃなく、今の時間軸に問題を限定したところで他国とそこに差は対してない。
こういうこと書くとWebでは虐待主義者みたいに言われるけれど、子供なんてほっといても育つよ。っていうか、そういう前提で、なおそこから「それでもできること」を積み上げるのが子育てでしょ。そうじゃない限り無限にハードルがあがって、失格両親狩りが繰り返されるだけだよ。まあ、いまそうだから少子化なのだとは思う。
だから少子化を解決するのに多少援助金を入れたところで意味なんて無い。マウンティング合戦が現在状況の本質なんだから、お金いれても収入上がっても、無限にハードルがあがっていくだけだよ。今までの歴史&海外の状況を見れば「海外留学に行かせるくらいがまともな教育で、それ以下の家庭は子供を作るべきではない」とかすぐにそこまで行くよ(発展途上国の富裕層の一般的発想だ)。「年収200万円以下は〜」なんてのはまさにその系譜だ。
問題なのは気の狂ったマウンティング欲求と、子育てを自己表現(で他所の家庭に自慢する道具)だと勘違いしちゃった両親と、そういうのに煽られて拡大報道しているメディアであって、もっかい「今の日本の実情に沿った、身の丈に合う子づくりと子育て」を考えない限り、何の解決もしないよ。