はてなキーワード: 猟奇的とは
彼は高校の頃からの友達で、元々本を読むのが好きらしく、国語の担任とヘッセや星の王子さまの作者(名前失念)の話を楽しそうにしていた。
オタク趣味がない女の子も深夜帯で放送していたアニメ「君に届け」を視聴していたり、当時アニメは市民権を得ていたが、彼はアニメを馬鹿にするわけでもなく、ただ単に興味が無いようで全く観ていなかった(最後まで観たのは世界名作劇場のハイジとラスカルぐらいらしい)。かと思えば、昔の少女漫画について異様に詳しかったり、腐女子のBLトークに顔色ひとつ変えず介入して「それって~~ってことなの?」と楽しそうにやりとりしていたりと、本当なら担任と本について話していた方が楽しいだろうに、自分の嗜好を棚に上げて自分の土俵外で相手まで楽しませる彼を私は尊敬していた。
高校卒業してから彼とは何度か食事に出かけていて、この間中野ブロードウェイに遊びに出かけた。彼がどんな漫画を手に取るのか、気になったという下心もあった。
彼に「どんなの読むの?」と聞くと「古いのが多いかなぁ、最近のはわからいんだよねー」といつもみたいに笑って答えた。
ガラスの仮面が好きな彼だから、きっとパタリロでも漁るのかな、と思ったが、違った。私はこの日初めてガロの存在を知った。
彼が手に取ったのは、丸尾末広、ねこぢる、山野一、山田花子、花輪和一、根本敬。
本当に彼はラスカルとハイジしか見なくて、担任と楽しそうに本の話をして、誰からも話題を楽しそうに引き出す穏やかで柔和なあの時の彼と同一人物なのだろうか。とてもショックだった。
話によると中学生の頃から親の本棚を漁って読んでたらしい。その時に上記らの作者を知ったそうだ。彼の穏やかさの土台にこんな猟奇的で気持ちが悪い物があったとは夢にも思わなかった。
「面白いの?」と聞いたら「うん、まあ、でも人に勧めるものでもないかな、好き嫌い別れると思うし」と笑ってた。
「なにか私でも読めるのある?」と聞いたら「うーん」と言いながら、全く別のコーナーまで歩いて冨樫義博の『レベルE』をすすめてくれた。ちがう、そうじゃない、さっき見てたの中から教えて欲しかった。と思ったが、ちゃんと相手の土俵に立てるのもまた彼なんだろう。レベルE面白かった。
家に帰って、ガロ系の作者について色々調べて見たら、気分が悪くなってきた。悪趣味だな、と純粋に思ってしまった。そして高校時代から変わらない彼の柔和さを思い出し、とても複雑な気持ちになる今日この頃。
こんばんは、アジです。
人間界では我々が懸命に生きた肉体の頭を落とし、半分にかっ割き、小麦粉からせっかく生成したふっくらパンをなぜか粉砕してできるというパン粉なるものを塗りたくり、水を沸騰させるのでは不可能なほどの常軌を逸した高温の油にぶち込んでできるというアジフライが、貧乏人の食べ物として貶められていると聞いて衝撃を受けています。
我々はかつて、イワシを嘲笑していました。イワシというのは漢字で「弱い魚」と表記されるそうで、しかもそれは弱肉強食の底辺に位置するということではなく、市場で弱い(市場価値が低い)という意味なのだと知って、顔を合わせるたびに「死んでからも弱いってざまあ、ゴミ以下だなおまえら」と嘲笑し、自尊心を保っていました。
しかし、アジフライ。貧乏人の食べ物なんですか。何かの間違いなんじゃないんですか。
人間界にはバラバラ殺人なる猟奇的犯行が世間に衝撃を与えることがあるそうですね。人は人を殺してはならないのにさらにバラバラにするなんてどうかしている、と。
だけど、こうは考えられないでしょうか。バラバラ殺人は犯行者の罪悪感を薄めるために敢行されると。殺してしまった死者の状態を人間としての実体から遠ざけるためにバラバラにし、ある者は焼却炉で燃やし、ある者は薬品で溶かし、ある者はあちこちの山川に各部位を遺棄するのです。
死んでしまった当該人間をバラバラにもせずにそのままにしておける神経のほうがどうかしているとは思いませんか。
そう考えれば、人間はマグロに対しては相当な罪悪感を持っていると言えます。各部位にバラバラにした後に喰らっているからです。逆に鮎には罪悪感を全く抱いていないようです。その姿のまま串に挿して焼くだけだからです。
さて、そう考えるとアジフライとは何なのでしょう。開いて、パン粉を付けて、揚げる。開くとは何とも中途半端な行為ではないでしょうか。このことについてはホッケも言及していました。半分にして塩焼きって何だね。
アジフライにパン粉を付ける工程は罪悪感からの隠蔽なのでしょうか。常軌を逸した高温に沈めることは? 我々の魂に気を遣っているという証左でしょうか。それとも、やはり貧乏人の食べ物として嘲っているのでしょうか。
唯一の希望は、アジフライが正三角形であることです。みなさん三角形が好きですね。それはおにぎりが綺麗な三角形であることからも一目瞭然です。みんな大好きはんぺんもわざわざ包丁で三角形にしてから調理しますね(はんぺんの原材料は「白身魚のすり身」であり、その苛烈さはバラバラ殺人を凌駕した事態です。はんぺんが美味しいのは実体からあまりにもかけ離れているからこそ食べれば動物を殺したという罪悪感が極度に薄まり、その快感が美味しいに昇華されていると考えることができますが、これはまた別の話)。
誰でも自分が持たないものを求めます。人は四足歩行の動物から進化して二足歩行になりました。決して三足歩行ではありませんし、そうなることはあり得ません。なぜなら、三足歩行というのは昆虫の領域だからです。物体は3つの支点があれば安定します。その考えに基づいて昆虫は3×2=六足歩行なのです。
人が不可逆である進化の遥か昔にノスタルジーを感じて三角形に執着しているのかどうかはわかりませんが、少なくともアジフライは三角形です。ホッケみたいに完全に半分にして、不格好な三角形とも言えないような形状にしても良かったであろうに、綺麗な正三角形以外のアジフライは見たことがありません。
この際、貧乏人の食べ物でも構いません。我々が命をかけて生きた肉体を三角形という愛らしい形状に調理してくださり、我々は感謝しています。そこには人間の私たちへの愛情が垣間見えます。それだけで充分です。
どうか今後アジフライを食べる際には、三角形の可愛らしさやパン粉のサクサク、醤油vsソース論争だけでなく、パン粉に隠された我々の生きた証をも味わって頂き、酒の良きつまみにしてもらえたらと思います。
検索してようやく見つかるようなクローズドなものまで標的にしているから何も考えていないと思うよ。
「真空パック アダルトビデオ」で検索して吐き気。仮に作り物であったとしても、あれに性的に興奮するのは猟奇的。猟奇的な嗜好も内心に留まるなら自由だけどその嗜好が表出した表現物には恐怖を覚えるとしか。本当に真空パックにしているなら即刻全現場でやめるべき。死人が出かねない。— 弁護士 太田啓子 (@katepanda2) September 3, 2017
でも宇崎ちゃんが献血のコラボとして適切とは思えない。あれを、免疫のない人間が見たときにセクハラだ!と言われても否定はできない。
でもBiSHが献血のコラボとして適切とは思えない。あれを、免疫のない人間が聞いたときに猟奇的だ!下品だ!攻撃的だ!と言われても否定はできない。
自分はピクシブでゲイのイラストレーターが描いたイラストを見るのが好きだ。
べつに18禁絵ではない。ただの筋肉むきむきで比較的ピタっとしたティーシャツを着たセクシーな髭面の男性の絵だ。
宇崎ちゃんと一緒で、この魅力的なイラストを免疫のない人間が見たらセクハラだとか性的だとかいやらしいと受け取るだろうことは想像に難くないから。
すべて自分にとっては見慣れて親しんだものだ。免疫がある。だから免疫がない人がどういう不快感を感じるのかは実際にはわからない。
増田のブログって三割は誰かが書いた記事の引用だと思う。それを我が物顔で鬼の首を取ったように世間を鋭い角度で見ている自分に投影する事で賞賛を得ようとか浅はかな考えの人が多い事多い事、自分は何もしないし生み出さないけど賞賛は得たい、欲求を満たしたいそんな身勝手で甘い考えはすぐにバレるからやめとけ。
そこにお前の意思があるか? お前がどう思ってるかでブログを書いたらいい。馬鹿にしたり批判的な人はよっぽど一流でもない限り噛み付いて石を投げなきゃ気が済まないんだよ。きっと部活で一生懸命やってレギュラー勝ち取った人に向かって部員でもないのにレギュラーになれたとこで所詮学校の中だけの話で頑張ったって日本一にもなれるわけ無いしましてやプロに成れるわけでもないのに馬鹿みたいだなとか言っちゃう可愛そうな人なのかもしれない。
可哀想なのは何も積み重ねてなくて人を批判して自己を保っている側ような人なのに。
話が脱線した。結局世の中ってふと気が抜けて死にたくなる気分の時もあるし大人になるにつれて面倒臭い事が増えてもう全部がどうでも良くなって投げ出したり壊してしまいたくなったりが重なって事件や事故を起こしてしまう事だってあると思う。決定的に何か辛い事があったわけでもないけど徐々に本当に少しずつ溜まっていったものがダムの決壊のように前触れもなく壊れてしまうように突発的な出来事が起きてしまうし、逆に前触れも何にもなく強い風が吹き抜けるように今まで好きじゃなかった人が好きになったり今まで出来なかった事ができたりそんなことを日々繰り返しながらそれでも生きていくんだと思う。ネットに溢れるAだからB、理論は果たして本当にそうだろうか曖昧なグレーゾーンな部分があるのが人間で僅かな差で揺れ動く繊細な感情を持つのが人間なのではないだろうか。例えば猟奇的な事件を起こした人が暴力的な漫画やゲームを好んでいたからそういった事件を起こしたのか、どうでも良いようなクレームを入れる人は心が満たされていない人なのだろうか、そうやって比較することで自分はこうじゃないから大丈夫、あの人はああだから嫌い、やばい人と決めつけるのは杞憂で一度疑ってみることが必要なんではないだろうか。
他人がどう思うかなんて分からない、何を考え生きているかなんて人心把握出来ない。だから無責任に身勝手な理由で自分の意見を押し付けたり正論を盾にして相手を不用意に傷つけたりするのは何とも言い難い歯痒い気持ちになる。言ってることは正しいのかもしれないけど歯切れが悪いというかモヤモヤする。もう少しで良いから相手の気持ちを尊重する。否定しない受け入れて理解する。その上で自分の考えを相手に伝える。それが正しいコミュニケーションなんではないだろうか。それこそが対話なんだと思う。お互いが気持ちよく会話ができれば自分の周りが変わり始めるそれが連鎖のように皆の意識が変わりやがては世の中が良い方向へと変わるそんな気がする午後23時5分。
悲惨の事件、前代未聞、単独殺傷事件での死者数過去最多…なので、多分どうやって考えればいいか分からなくなっている部分がある。
一つの事件を一つの視点で考えることは、どんな犯罪においても違うとは思うのだが、
事が事だけに混乱しているメディアや書き込みが目立っているような感覚を持つ。
なので一つ一つを整理していくべきだ。冷静に。犠牲者に悲しみを持って。
まず最初に、大勢の人間の命が失われたことについて考えなくてはならない。
これが同じ人間としてまず考えるべきことであり、これが考えられない人に以下を考える資格は無いとすら思う。
なんの罪の無い人たちが、殺されてしまった。いまだに入院している人もいる。怪我人も多い。
居合わせた74人のうち無傷だったのは6人だけ。
我々はまず、悲しまなくてはならない。
そして、彼らの今後に想いを馳せる。そのために必要なものはなにか、協力できないかと考える。
集められた資金は、まずは彼らのために使われるべきだろう。
次に文化的価値についてであると考える。いや本当は防災意識なのかもしれない。しかしいつだって感情が先なので、これは後回しにしよう。
日本は文化を持って戦争に負けても自尊心を保ってきた。アニメは文化だ。
多くの日本人は文化価値の重大さにして理解しているからこそ、アニメーターに価値を見出している。
さらにドラえもんやクレヨンしんちゃん、コナンや美味しんぼ、キャッツアイや犬夜叉、初期ジブリ作品など京アニが関わったことのある作品を見たことの無い日本人はいるだろうか。
アニオタでなくとも、その事実に気付いたときにハッとするものがあるだろう。
大きな喪失感はきっとこの辺にあるのだろう。
次に考えるのは防災観点だと思う。京アニが問題だったわけでは無い、と断言する。少なくとも、法律上は問題が無かったのだから。
しかしこういうことが起こるのだ、という前提で今後危機管理を行っていかなければならなくなった。
そうせざるをえないのだ。いつだって最悪を想定して防災は進む。
これで何かが変わらなければ、日本はそれこそ成長が止まった国となるだろう。
特殊な事件だからで終わらせることは出来ない。一度あることは二度ある。だから、考え続けなければならないのだ。
次に考えるのは京アニの再建だ。
しかしこれは再建しようとする人が居続けることが必要だ。事件後すぐ表に出てきていた社長は再建すると言っている。
ただ、事件後間もないことだ。社長の気持ちや状況も汲んであげたい。アニメへのテロ行為に屈するわけにはいかないのだから。
我々はきっと社長の言葉に期待しているが、それは時間がかかることだろうし、気力が続くかどうかも分からないことだ。
今はただ、彼らがしたいことの手助けをするのみだ。あれをしろこれをしろ、という時期ではない。
彼らのためにできることが、京アニの復活に繋がると、信じて待とう。
目を向けなければならないのはいつだって人の気持ちだ。そうでないと人で無くなってしまう、と考える。
被害者やその家族、そして関係者、友人、救助にあたった人達、近隣住民。そしてファン。
この人達のカウンセリングについても考えていかないとならない。
今は警察が100人体制で動いているが、来年は50人も残っているのだろうか。
するべきことはたくさんある。今すぐにすることと、長期的にすることを考えるのが大事だろう。
さて注目されている犯人の動機だが、それを聞いて納得できた人は、危ないと思う。
殺人事件を書く小説シリーズにありがちの言葉だが、殺人鬼の言い分を理解してはいけない、ということだ。
殺人者の動機を延々考えている推理作家たちの結論が多くそこに行きつくのが、なかなか興味深い。
だから正直なところ、聞いても仕方がないと思う。
しかし聞かなくてはならない。そして対話をしなければならないのだろう。
話しもせず死刑を執行することは、結局のところただの殺人鬼と同じになってしまう。
法律は本来国民が決めるものだ。国民の意思で話も聞かずに殺すとなれば、国民が理屈の無い殺人鬼になってしまう。
死刑制度について考えてしまうが…まぁきっとこれは、凶悪犯が出てきたときに逐一考えていくことなのだろう。結論はそれぞれだ。
ただ犯人の動機を聞いたところで、上記に書いたことよりは得られるものが少ないように思う。
正直なところ、その分野の詳しい人や心理学者に研究を委ねるべきなのだろう。
きっとまだ考察すべきことはあるのだろう。
@suzukiyuusuke3
今日までアニメはある種の人々(一般にオタクと呼ばれる)の信仰対象になっていた。それは新興宗教だった。以前、あるアニメをみろとそういう人達に奨められ、なんとか苦労して全話みてみた上で、おもに美術の批評言語を使って率直に批評したところ、その種の狂信者から大変しつこく誹謗中傷された。
それで私は気づいた。アニメは或る一部の人々にとっての正真正銘の宗教なのだと。信者の中に批評言語は持ち込まれない慣行になっている。だから私がちょっとしたきっかけ(アマゾンプライムビデオに入ってみた)で一時的にひきずりこまれたその業界中では、同調か全拒否どちらかしかできないのだった。
アニメは手塚治虫やディズニー辺りから流行しだした新たな映画の形式といえるだろうが、その商業芸術が主な客にしているのは一般大衆の中でも子供や、特に幼稚な大人達である。宮崎駿でさえ子供向けを前提にしていたから、総じて知的障害に近い社会不適合者を大勢ひきつける結果になるのは必然だった。
私が何とか苦労してあるアニメを全編みてみたのは、そのアニメのファンがネット上で制作陣を執拗に脅迫していたのを知っていたからだ。アニオタによる猟奇的事件を引き起こしている作品とは何かを確かめてみたのだ。結果はひたすら幼稚な中身で、反社会的な知的障害ボーダー層を煽っていたのだった。
京アニの作品は1度もみたことがないから中身については何もいえないのだが、昨今アニメをとりまく状況は嘗てのものとは全然様変わりしている。それは上述のよう反社会的で精神遅滞に近い人々が大勢、新興宗教として崇める対象になっているという点で、過去のアニメ界とはまるで質が違うのである。
アップルCEOのティムクック氏が京アニに同情の様なツイートをしていて私はこの事件について知ったのだが、彼はアイフォンの主要な顧客層である日本人全体の中でも、京都に新たな店舗を設置したところなどから、現代アニメ界をとりまく社会病理をまったく無視して単なるテロとして扱っていると思う。
他の大衆娯楽、たとえば(これも京都に本社がある任天堂に縁が深いが)テレビゲームとか、映画とか、漫画、小説みたいなものとアニメが「サブカルチャー」として近い位置づけにあるのは確かだが、現時点のアニメはほぼ深夜テレビなどで提供される無料の娯楽で、いってみれば下流の慰み物なのである。
村上隆氏はアニメの無教養(Lowbrow)な性質を、知的な文脈操作で欧米美術史に皮肉な位置づけで乗せることで有名になった。端的にいうとアメリカのポップアーティストが漫画に素材をとったのを日本ネタで流用したのだが、一時的に彼の援護的唱道者だった東浩紀氏らも、アニメに公民権を与えた原因だ。
なにがいいたいか。日本政府が麻生大臣や、東氏に親しい猪瀬都知事が在籍していた時期に、クールブリタニアを表層的に猿真似した文化政策であるクールジャパンでアニメにお墨つきを与えたのは、間接的に東京圏のスーパーフラッターが影響している。要はアニメの暗黒面は意図的に無視されていたのだ。
アニメは「わかりやすく」「子供に愛されており」「みなが大好きな」「誰にとっても望ましい」「外国人にも大人気で」「日本文化の象徴」といった凄まじい厚化粧で美化されてしまった。背後には労働集約的手描きの不合理な制作、過酷な長時間労働の地獄があり、知的ボーダーの客層による退廃があった。
たとえば同人誌という分類がある。二次創作という名目でアニメキャラに、変態性欲の性行為をさせる独自制作の漫画・アニメ作品を販売するとんでもない退廃主義的世界が、東京コミックマーケットを中心に勃興していた。石原都知事の時代には一部は18禁化されたが、堂々と非実在児童の性を含んでいる。
美術史の中ではバルテュスを筆頭に、その種の児童性愛の表現や、ギリシア美術とか江戸の春画などに由来した変態性欲的なエロス表現は多かれ少なかれ容認されている。つまり同人誌もサブカルの派生物として、未来では昭和~平成・令和期の主に東京での大衆芸術の姿と歴史化されてはいるだろう。
京都は中世、「上方」と称し、大衆蔑視の高踏的な文化傾向を自認していた。が上述の任天堂や今回被害にあった京アニはそうではない。京都府民の一部は東京文化を自らとりこみ、多かれ少なかれ低俗な大衆芸術を販売しはじめた。これは質的変容でもあるし、アニオタによる炎上事件の伏線にもなっている。
サブカルなるものは低俗で無教養な一般大衆を相手に客商売するところに発生した。しかもアニメは単なる売り上げの為ますます「大衆の中で最も愚かな者」を最大公約数の客層にしようと幼児退行じみた卑俗化を極めていった。その極点に起きたのが某アニメ制作陣への脅迫事件や今回のガチ炎上事件なのだ。
今日、アニオタと呼ばれる人々には、おそらく東京のキー局によるテレビのニュースでコメンテーターが訳知り顔でいいそうな「犯罪者予備軍」といった客層が確かに含まれている。それは例えば高IQな知識人とかハイカルチャーの客層(日本ではほぼ絶滅しているが)に比べてより多めに含まれているだろう。
なぜなら、上に述べたとおり、東京や京都のアニメなるものは金儲けを目的に、できるだけ量的に俗受けする為、どんどんと卑近な表現に自らを変質させていったからだ。要は、下流相手に客商売しているので、当然ながら犯罪者や反社会的な知的ボーダーの部類もアニメファンには含まれてしまうことになる。
なぜ彼ら下流的な知的ボーダー層に昨今のアニメが宗教とみなされているかだが、私のみたかぎり、彼らは知識社会に全然ついていけていない。当然ながら幼稚極まりない娯楽作品しか理解できない。資本主義の手順に従い広告費やグッズ販売などを目的に次々流される深夜アニメが彼らのたまり場なのだ。
ニコニコ動画は、今では国際レベルでビリビリ動画にお株を奪われたが、嘗ても今もこのアニオタ層と極めて親近していた。2chねらーを誘引した西村博之氏らが匿名コメント機能をつけたので、名誉どころか恥も外聞もない反社会的犯罪者との境界例にとって極めて居心地のよい居場所になったからだった。
もう一つ、注目すべき事件があった。悠仁親王をアニメ『エヴァンゲリオン』内で引用された、ロンギヌスの槍とほぼ同じピンク色に塗った二股の刃物で、或る被疑者が脅迫した事件だ。この槍は神学上、磔刑後のイエスを突いて聖性を否定した遺物とされており、王権神授説の否定を意識した事件だったろう。
アニメオタクはそもそもが、虚構を現実と多かれ少なかれ混同し易い脳の性質の持ち主が大半であろう。さもなくば作り話にいつまでも夢中になるわけもない。いわゆる偶像崇拝の禁忌という私徳が弱い人達といいかえてもいい。この点では、ポケモンGO等を禁止した一部のイスラム法学者は正見を述べている。
そして虚構と現実を混同し易い脳は、一般に子供の時点でそうなり易いのが経験的に明らかなかぎり、いわゆる精神年齢の低い人々により多くみられるはずだ。つまりアニオタは単に批評言語が拙いだけではなく、アニメ内で表現された思想を宗教的に鵜呑みにしがちで、かつ知的ボーターも相当混じっている。
識から、多かれ少なかれ類似の退廃がみられる他のサブカル(例えば小説とかも)含め、一切近づかないことにした。その内部にいる人々は特定の宗教信者とほぼ類似のエコーチェンバー(残響室)内にいると自覚し、サブカル批判を進んで行うのが賢明だ。
https://twitter.com/suzukiyuusuke3/status/1151922241971478528
2019/07/19
ただ書きたいだけで書いてみるのでこれから書く文章に微塵も意味はない。
無性に書きたくなっただけなので。
何を書くべきかも考えながらであるけれど、脳内で読み上げながら書いているので、きっとたぶん読みやすい日本語ではないでしょうか。語尾の揺らぎはよろしくないが。
で、これは眠れないくらい眠いのを我慢するために書いている物でもあります。仕事中に眠るよりはキーボード打っているほうがまだいいよね。多分。
昨日10時に寝た結果3時に起きたのは理由の一つにしか過ぎない。二度寝せずにゲームしていたことが2つ目で、一昨日布団に入ったのが2時を回っていたのが3つ目だろう。こんな不規則な睡眠が眠気につながるのだ。
その上、このままだと頭痛がしそうな圧迫感が額の真ん中にある。じわりじわりと広がって、こめかみに来たらアウトだ。頭が痛くなりそうになりそうな感覚を説明できる私スゴイと考えて気を紛らわせる。
とっちらかった思考は眠気の蜘蛛の巣にかかって回転を落としている。元から意味はないので問題ない。引っかかりやすくなった分、簡単に横道にそれたり、飛躍する機会が増えるだけですので。
こういう時に痛くなるのは右のこめかみから目の奥に向けて、親指一関節ほど入ったあたりだと決まっているので、目の前に立つ自分の頭蓋骨を外して痛みを切り取って捨てる自己暗示をかける準備をしておく。大丈夫、いつでも痛くなくなるから大丈夫。一度で効かないなら何度かするまで。
まだ眠い。