はてなキーワード: 猟奇的とは
程度にもよりますが、微塵も他人をバカにすることのできない世界のほうがどう考えても猟奇的なので
ただし、著しい場合は発言社個人と十分な義務を果たさなかった関連が対応することにはなります。
低学歴というのがなにをもって低学歴歌がわからないため、一般論であれば、そういう主義主張であると表明することはお気持ちの表明なので問題有りません。
きちんとした統計を取った訳ではないけれど、ボーイズラブ・少年愛を取り扱った作品の作者は体感では9割以上が女性だと思う。
何故ボーイズラブというジャンルはそこまで女性達に愛されるのか。好き嫌いの話だから正しい答えなんて初めから無いかもしれないけど、それでも考えてみたい。
「好きなキャラクター同士が絡んでいる所を見たいから」という主張は正しいと思う。ハンバーグに目玉焼きを乗せて食べるのは美味しい。
「推しは受け」という言葉もあるように、一番好きなキャラがグイグイと攻められる可愛い所が見たい、という話をよく聞く。
ただそれなら好きな男性キャラと女性キャラの組み合わせでも良い訳で、無理に男性同士の組み合わせに拘る必要は無い。
上位の女性が下位の男性を攻める作品も無くはないが、一般的なBL作品と比べればあまりに数が少なくはっきり言って嗜好としてはドマイナーだろう。
またBL作品において女性の存在感が極めて薄い事を考えると、BLを嗜む女性は女性という存在が嫌いなのだろうか。
しかしその割にはBLという大きなジャンルの中にはトランスセクシャルや女体化というシチュエーションもあり、それも中々の人気を博しているらしい。
それも「ある日男性が女性になってしまった」いわゆる後天的女体化ではなく、「ある男性キャラがもし女性として生まれていたら」という後天的女体化の方が圧倒的人気があるそうな。
初めから女性として生まれていたら…というifはもう女性キャラと変わらないような気がするけれど、BLの一種としてTSを嗜む人からすればまた違うのであろうか。
また、BLにおける「受け攻め」の受けは女性役として扱われる事が多く、女性のように可愛らしく周囲の男性達に愛され、時には「お姫様」として扱われ、セックスの際には必ず挿入される側でなくていけないらしい。
このセックスの際に挿入する側とされる側がいつも同じである事を「固定」と言い、時々逆になる事を「リバ」と言うそうな。一般的にBLは固定を愛する人間が多く、リバはゲテモノ食いの邪道として忌み嫌われている。
BLはファンタジーという言葉があるように、ボーイズラブで描かれる恋愛は現実の同性カップルの恋愛とは大きな隔たりがある。はっきり言えば少女漫画の女性キャラクターの側を男性に置き換えただけの物が大多数ではないだろうか。
なら何故異性愛では駄目なのか?男性キャラに女性役を演じさせるほど男女の恋愛を見たいのに、そうまでして女性キャラを見たくないのか?門外漢ながらBLや腐女子について調べている内に出会った解けない疑問だった。
ある日、自分にとって結構しっくりと来る解答に出会えた。「BLで男性が女性役になるのは、女性が酷い目に遭う所を読者である女性が見たくないから」という、言われて見ればああ、なるほどなぁ…と理解出来る答えだった。
「風と木の詩」のジルベール・コクトーや「BANANA FISH」のアッシュ・リンクスは魔的な美貌で周囲の男達を骨抜きにする絶世の美少年として描かれる。また、過去に男性から暴行された事のある性暴力の被害者でもあった。
自分はこれらの作品に触れた時「美形なのは分かるけどこの作品ホモが多すぎない?」と違和感があった。ここで、「仮にジルベールやアッシュが男性でなく女性で、絶世の美少女だったら?」と考えるとこの違和感が途端に無くなった。
そうした作画以外で、本作の持つ少女漫画的要素といえば、主人公の白人少年・アッシュが女性的立場で描かれていることが挙げられる。ニューヨークのストリートキッズグループでボスを務めるアッシュだが、美しく華奢な容姿が原因で、幼い頃から同性の大人たちから性的暴行を繰り返し受けてきた。そうした経験は彼にとってトラウマとして記憶と身体に刻まれており、自分に性的な眼差しを投げかける人々に対しては、嫌悪の感情を向けている。だが、彼の立ち振る舞いからは、同時に“諦め”のようなものも感じられるのだ。
こうした諦めの感覚は、男性にはなかなか理解されにくいものかもしれない。だが、アッシュは男性でありながら、我々女性と同じサイドに立っている。理不尽に性を搾取されることへ嫌悪を示し、それに抗いながらも強くあろうとする彼の姿には、女性だからこそ大いに共感してしまうのだ。
アッシュは容姿端麗だが、ただ「強くてかっこいい」、「かわいそうな過去があるから応援したくなる」といったタイプの主人公ではない。女性が自分の姿を重ねられるような存在で、さらに、多くの女性が抱えているのと共通した苦悩を背負いながら彼は生きている。そうした類まれな立ち位置にいるからこそ、女性たちはアッシュというキャラクターに惹かれてしまうのだろう。
「風と木の詩」や「BANANA FISH」がBL作品か否かは意見の分かれる所だと思うけど、何故BL作品に女性が登場せず、男性が女性としての役割を担っているかはこういう意見を見て理解出来た気がする。
BLが好きな女性はある意味男性の事が嫌いなのかもしれない。女性が男性と性的な行為を行う事にどうしようもない嫌悪感があるのかもしれない。だから好きな男性を女性として扱って疑似的な異性愛を楽しんでいるのだろうか。
TSや女体化も同じで、「元は男性」なので女性の体であっても女性ではないという扱いなのかもしれない。女性が男性に犯されるのは可哀想だけど、男性が男性に犯されるのは有りという事なのだろう。
男性向けの作品の中にも似たような空気のジャンルがある。「女性視点」「女主人公」物だ。一般的に全年齢向けの女性主人公作品は女性向けの物が多めだが、これがR-18物になると一気に男性向け作品の数が増える。
一般的に男性向け「女性主人公作品」の主人公は酷い目に遭う。とてもじゃないけれど人間的な扱いがされないのは当然と言っていい。リョナという言葉もあるけれど、冷静になって考えると猟奇的なんて言葉では言い表せない。
これが男性向け「男性主人公作品」となると主人公はサディスティックな人物が多く、マゾ向けと言われている物でも「女性主人公作品」の主人公よりは大分マシな扱いだと思う。
昔「サキュバスの巣」という小説サイトがあったけれど、どれも男性が女性の罠にかかり悲惨な結末を迎える物ばかりだった。そのサイトの管理人であり小説を投稿している作家さんは女性だった。女性だから、書けたのだと思う。
創作物においても同性にはどうして自分を重ねたり同情をしてしまうのでそこまで加虐する気になれず、逆に異性なら何の躊躇いもなくどんな性的な行為をさせても心が痛まない人間は多いのかもしれない。朝から何を書いてるんだろう。
たいから書く。今期アニメの『ID:INVADED イド:インヴェイデッド』って作品が個人的に毎週楽しみすぎるので、ぜひ多くの人に観て欲しいので投稿してみる。
毎週次の展開が楽しみなんだけど、どうにもあまり話題になってない気がする。とてもいい作品なのに、ケムリクサと同じく1話切り上等のスルメ作品なんで辛い…。
展開を端的に説明すると、謎の銃で連続殺人犯の殺意を捉えて、その殺意の思念粒子から創造された意識世界に謎の機械でダイブする。
ダイブした人間は記憶を失うのだけど、「カエルちゃん」に遭遇すると自分が名探偵であることを思い出す。
そして謎を解いていき犯人を見つけ出す。という流れ。文章に書いても全然わからないですよね…。
謎ばっかりだけど、劇中のキャラクターたちも自分たちが使用している機器がどういう原理なのかわかっていないで使っている。そこもまた面白い。
いま佳境に入って来ているけれど、その謎を解くのもストーリーの重要な点になっている。
殺意とか銃とかPSYCHO-PASSを思い浮かべそうだけど全然違う感じ。
謎解き要素の雰囲気が似ているのは、監督のあおきえいさんが関わったこともある『櫻子さんの足下には死体が埋まっている』が近いのかも。
直接的な描写は少ないけれど、結構メンタル的に猟奇的な話が多いので苦手な人は注意して。
毎週のように頭のネジが3本ぐらい飛んだサイコパス犯人と物理法則が無茶苦茶なSF世界が出てきては使い捨てで、制作はすっごい大変だったはず。
監督のインタビュー見ると少人数スタッフで時間をかけて制作したとのこと。このへんもirodoriっぽい。観ててものすごく丁寧に作っただろうなというのが伝わってくる。
主人公の声優をしている津田健次郎さんの鳥肌モノの演技力もヤバい。声だけでこんなに感情揺さぶっていくるのかっていう。
ここまで読んでちょっと面白そうと思ってくれた人がもしいたら、是非Netflixかdアニメで追いかけてほしい。(追記:アマプラでも観られるようです。ブコメ感謝!)
ちょうど先週ニコ生で一挙放送があったので、プレミアム会員の人はタイムシフトで観るのもいいかも。明日で視聴期限だから急いで!
https://twitter.com/idinvadedanim/status/1236122854699089920
ハマる人は4話くらいで世界設定がわかってきて「おおー?おもしれー!」ってなるんじゃないかな。なってくれるといい。
ちなみに「マヨはない ええよ」ってEDの空耳にも注目。待ち構えてるとクセになる。
【雑な用語集】
名探偵酒井戸:カエルちゃんを見ると自分が名探偵酒井戸であることを思い出す。元警察官の犯罪者。(井戸を誤字ってました。スマン!)
ワクムスビ:PSYCHO-PASSの銃みたいな形状の端末。殺意を感知し、その思念粒子を採取する。
こんなに精神的にキツいとは思わなかった。
きっかけは思いつきだった。
引越しを予定していて、物を減らしたいなと思ったんだ。
「DMMいろいろレンタル」というサービスで、断裁機とスキャナーのレンタル予約をした。
レンタルした断裁機は費用対効果に優れた製品だが、能力に限界はあって
だから
①ハードカバーをとる
②厚い本はカッター等で分割する
ことくらいはやらなけりゃあいけなかった。
これがキツかった。
厚い本を分割するために本を逆方向に折るんだ。
で、そのあとカッターで分割するの。
何かの首を切ったような錯覚に陥ったよね。
いや、思わなかったんだ。
「(誤解しないでほしい。)」
「(良いことをするつもりだった。)」
「(こうすれば、君(本)のことをもっと読んでもっとよく知れると思った。)」
「(ただ殺したんじゃない、生まれ変わるんだ。)」
「(こうすれば、君とずっと一緒にいられる。)」
「(それになんていったってコンパクトだろう?)」
犯罪者がするような言い訳を重ねても本の無残な姿は変わらない。
これで見た目元どおり。読もうと思えば読める。
ああでも、実は死んでいるのだ。壊れているのだ。
まともなように見えていても。
僕は気分が落ち込んだ。何が自炊だ。
凄く非倫理的な行いだ。本を殺して腑分けする行為だ。猟奇的だ。
そこまで考えがいたって、気付くことがあった。
なんだって、動物を殺して腑分けしている本当の自炊がよくて、本を殺すのがダメなんだ?
殆ど笑いたいような、泣きたいような、変な気分だった。
この倫理観は壊れてる。
それでも腹は減るしメシは食う。
本は破るし、断裁はする。
彼は高校の頃からの友達で、元々本を読むのが好きらしく、国語の担任とヘッセや星の王子さまの作者(名前失念)の話を楽しそうにしていた。
オタク趣味がない女の子も深夜帯で放送していたアニメ「君に届け」を視聴していたり、当時アニメは市民権を得ていたが、彼はアニメを馬鹿にするわけでもなく、ただ単に興味が無いようで全く観ていなかった(最後まで観たのは世界名作劇場のハイジとラスカルぐらいらしい)。かと思えば、昔の少女漫画について異様に詳しかったり、腐女子のBLトークに顔色ひとつ変えず介入して「それって~~ってことなの?」と楽しそうにやりとりしていたりと、本当なら担任と本について話していた方が楽しいだろうに、自分の嗜好を棚に上げて自分の土俵外で相手まで楽しませる彼を私は尊敬していた。
高校卒業してから彼とは何度か食事に出かけていて、この間中野ブロードウェイに遊びに出かけた。彼がどんな漫画を手に取るのか、気になったという下心もあった。
彼に「どんなの読むの?」と聞くと「古いのが多いかなぁ、最近のはわからいんだよねー」といつもみたいに笑って答えた。
ガラスの仮面が好きな彼だから、きっとパタリロでも漁るのかな、と思ったが、違った。私はこの日初めてガロの存在を知った。
彼が手に取ったのは、丸尾末広、ねこぢる、山野一、山田花子、花輪和一、根本敬。
本当に彼はラスカルとハイジしか見なくて、担任と楽しそうに本の話をして、誰からも話題を楽しそうに引き出す穏やかで柔和なあの時の彼と同一人物なのだろうか。とてもショックだった。
話によると中学生の頃から親の本棚を漁って読んでたらしい。その時に上記らの作者を知ったそうだ。彼の穏やかさの土台にこんな猟奇的で気持ちが悪い物があったとは夢にも思わなかった。
「面白いの?」と聞いたら「うん、まあ、でも人に勧めるものでもないかな、好き嫌い別れると思うし」と笑ってた。
「なにか私でも読めるのある?」と聞いたら「うーん」と言いながら、全く別のコーナーまで歩いて冨樫義博の『レベルE』をすすめてくれた。ちがう、そうじゃない、さっき見てたの中から教えて欲しかった。と思ったが、ちゃんと相手の土俵に立てるのもまた彼なんだろう。レベルE面白かった。
家に帰って、ガロ系の作者について色々調べて見たら、気分が悪くなってきた。悪趣味だな、と純粋に思ってしまった。そして高校時代から変わらない彼の柔和さを思い出し、とても複雑な気持ちになる今日この頃。
こんばんは、アジです。
人間界では我々が懸命に生きた肉体の頭を落とし、半分にかっ割き、小麦粉からせっかく生成したふっくらパンをなぜか粉砕してできるというパン粉なるものを塗りたくり、水を沸騰させるのでは不可能なほどの常軌を逸した高温の油にぶち込んでできるというアジフライが、貧乏人の食べ物として貶められていると聞いて衝撃を受けています。
我々はかつて、イワシを嘲笑していました。イワシというのは漢字で「弱い魚」と表記されるそうで、しかもそれは弱肉強食の底辺に位置するということではなく、市場で弱い(市場価値が低い)という意味なのだと知って、顔を合わせるたびに「死んでからも弱いってざまあ、ゴミ以下だなおまえら」と嘲笑し、自尊心を保っていました。
しかし、アジフライ。貧乏人の食べ物なんですか。何かの間違いなんじゃないんですか。
人間界にはバラバラ殺人なる猟奇的犯行が世間に衝撃を与えることがあるそうですね。人は人を殺してはならないのにさらにバラバラにするなんてどうかしている、と。
だけど、こうは考えられないでしょうか。バラバラ殺人は犯行者の罪悪感を薄めるために敢行されると。殺してしまった死者の状態を人間としての実体から遠ざけるためにバラバラにし、ある者は焼却炉で燃やし、ある者は薬品で溶かし、ある者はあちこちの山川に各部位を遺棄するのです。
死んでしまった当該人間をバラバラにもせずにそのままにしておける神経のほうがどうかしているとは思いませんか。
そう考えれば、人間はマグロに対しては相当な罪悪感を持っていると言えます。各部位にバラバラにした後に喰らっているからです。逆に鮎には罪悪感を全く抱いていないようです。その姿のまま串に挿して焼くだけだからです。
さて、そう考えるとアジフライとは何なのでしょう。開いて、パン粉を付けて、揚げる。開くとは何とも中途半端な行為ではないでしょうか。このことについてはホッケも言及していました。半分にして塩焼きって何だね。
アジフライにパン粉を付ける工程は罪悪感からの隠蔽なのでしょうか。常軌を逸した高温に沈めることは? 我々の魂に気を遣っているという証左でしょうか。それとも、やはり貧乏人の食べ物として嘲っているのでしょうか。
唯一の希望は、アジフライが正三角形であることです。みなさん三角形が好きですね。それはおにぎりが綺麗な三角形であることからも一目瞭然です。みんな大好きはんぺんもわざわざ包丁で三角形にしてから調理しますね(はんぺんの原材料は「白身魚のすり身」であり、その苛烈さはバラバラ殺人を凌駕した事態です。はんぺんが美味しいのは実体からあまりにもかけ離れているからこそ食べれば動物を殺したという罪悪感が極度に薄まり、その快感が美味しいに昇華されていると考えることができますが、これはまた別の話)。
誰でも自分が持たないものを求めます。人は四足歩行の動物から進化して二足歩行になりました。決して三足歩行ではありませんし、そうなることはあり得ません。なぜなら、三足歩行というのは昆虫の領域だからです。物体は3つの支点があれば安定します。その考えに基づいて昆虫は3×2=六足歩行なのです。
人が不可逆である進化の遥か昔にノスタルジーを感じて三角形に執着しているのかどうかはわかりませんが、少なくともアジフライは三角形です。ホッケみたいに完全に半分にして、不格好な三角形とも言えないような形状にしても良かったであろうに、綺麗な正三角形以外のアジフライは見たことがありません。
この際、貧乏人の食べ物でも構いません。我々が命をかけて生きた肉体を三角形という愛らしい形状に調理してくださり、我々は感謝しています。そこには人間の私たちへの愛情が垣間見えます。それだけで充分です。
どうか今後アジフライを食べる際には、三角形の可愛らしさやパン粉のサクサク、醤油vsソース論争だけでなく、パン粉に隠された我々の生きた証をも味わって頂き、酒の良きつまみにしてもらえたらと思います。
検索してようやく見つかるようなクローズドなものまで標的にしているから何も考えていないと思うよ。
「真空パック アダルトビデオ」で検索して吐き気。仮に作り物であったとしても、あれに性的に興奮するのは猟奇的。猟奇的な嗜好も内心に留まるなら自由だけどその嗜好が表出した表現物には恐怖を覚えるとしか。本当に真空パックにしているなら即刻全現場でやめるべき。死人が出かねない。— 弁護士 太田啓子 (@katepanda2) September 3, 2017
でも宇崎ちゃんが献血のコラボとして適切とは思えない。あれを、免疫のない人間が見たときにセクハラだ!と言われても否定はできない。
でもBiSHが献血のコラボとして適切とは思えない。あれを、免疫のない人間が聞いたときに猟奇的だ!下品だ!攻撃的だ!と言われても否定はできない。
自分はピクシブでゲイのイラストレーターが描いたイラストを見るのが好きだ。
べつに18禁絵ではない。ただの筋肉むきむきで比較的ピタっとしたティーシャツを着たセクシーな髭面の男性の絵だ。
宇崎ちゃんと一緒で、この魅力的なイラストを免疫のない人間が見たらセクハラだとか性的だとかいやらしいと受け取るだろうことは想像に難くないから。
すべて自分にとっては見慣れて親しんだものだ。免疫がある。だから免疫がない人がどういう不快感を感じるのかは実際にはわからない。
増田のブログって三割は誰かが書いた記事の引用だと思う。それを我が物顔で鬼の首を取ったように世間を鋭い角度で見ている自分に投影する事で賞賛を得ようとか浅はかな考えの人が多い事多い事、自分は何もしないし生み出さないけど賞賛は得たい、欲求を満たしたいそんな身勝手で甘い考えはすぐにバレるからやめとけ。
そこにお前の意思があるか? お前がどう思ってるかでブログを書いたらいい。馬鹿にしたり批判的な人はよっぽど一流でもない限り噛み付いて石を投げなきゃ気が済まないんだよ。きっと部活で一生懸命やってレギュラー勝ち取った人に向かって部員でもないのにレギュラーになれたとこで所詮学校の中だけの話で頑張ったって日本一にもなれるわけ無いしましてやプロに成れるわけでもないのに馬鹿みたいだなとか言っちゃう可愛そうな人なのかもしれない。
可哀想なのは何も積み重ねてなくて人を批判して自己を保っている側ような人なのに。
話が脱線した。結局世の中ってふと気が抜けて死にたくなる気分の時もあるし大人になるにつれて面倒臭い事が増えてもう全部がどうでも良くなって投げ出したり壊してしまいたくなったりが重なって事件や事故を起こしてしまう事だってあると思う。決定的に何か辛い事があったわけでもないけど徐々に本当に少しずつ溜まっていったものがダムの決壊のように前触れもなく壊れてしまうように突発的な出来事が起きてしまうし、逆に前触れも何にもなく強い風が吹き抜けるように今まで好きじゃなかった人が好きになったり今まで出来なかった事ができたりそんなことを日々繰り返しながらそれでも生きていくんだと思う。ネットに溢れるAだからB、理論は果たして本当にそうだろうか曖昧なグレーゾーンな部分があるのが人間で僅かな差で揺れ動く繊細な感情を持つのが人間なのではないだろうか。例えば猟奇的な事件を起こした人が暴力的な漫画やゲームを好んでいたからそういった事件を起こしたのか、どうでも良いようなクレームを入れる人は心が満たされていない人なのだろうか、そうやって比較することで自分はこうじゃないから大丈夫、あの人はああだから嫌い、やばい人と決めつけるのは杞憂で一度疑ってみることが必要なんではないだろうか。
他人がどう思うかなんて分からない、何を考え生きているかなんて人心把握出来ない。だから無責任に身勝手な理由で自分の意見を押し付けたり正論を盾にして相手を不用意に傷つけたりするのは何とも言い難い歯痒い気持ちになる。言ってることは正しいのかもしれないけど歯切れが悪いというかモヤモヤする。もう少しで良いから相手の気持ちを尊重する。否定しない受け入れて理解する。その上で自分の考えを相手に伝える。それが正しいコミュニケーションなんではないだろうか。それこそが対話なんだと思う。お互いが気持ちよく会話ができれば自分の周りが変わり始めるそれが連鎖のように皆の意識が変わりやがては世の中が良い方向へと変わるそんな気がする午後23時5分。