はてなキーワード: 独自とは
弱者男性は、一定数でクループを成し、独自社会を形成する傾向があります。
グループの中ではリーダー格となる弱者男性個体が存在し、他の個体は追従します。
リーダー格は通常女装趣味またはゲイ趣向を持つ者が抜擢され、挿入される側になります。
NHKは一般的なことを知ってて、「一般的だからジャニーズ事務所もやりそう」と当たりをつけてたのかな。
これは諸刃の剣で、少しの間は独自に入手したスキャンダルとしてもてはやされるが、すぐに「みんなやってるのになに特別悪いことをしてるかのように言ってるの?」と他局等から反論される
スマホ自体は条件つきで100円とかで売られることもある安いやつ
(今までsimフリーのNexus5とモトローラしか使ってないのでメーカー独自機能?の山盛り?とかに今から怯えてる)
なにもなければ来週くらいに着くそうだ
でもよく見たらこれ充電器ついてねえ
20年前にジャニ同人やってた元腐女子ジャニオタとしては心の痛い日々でございます。
当時からジャニーによる性被害の話は噂されてたけど、今よりも報道規制が強くて売れ売れジャニタレの恋愛報道は御法度だったので恋愛報道に慣れていない者にとっては女性と恋愛されるくらいならジャニーさんに可愛がってもらった方が安心する~的な意思は当時のジャニ腐女子では多かったと思う。そういう本もあったし身内でもその思考は強かった。
(これは腐女子独自の思考で純粋にファンやってた人は違うと思うけど)
ただやっぱそれは妄想の上であり二次創作の上だからこそ興奮するものであってリアルで被害に直面するとそんなこと言ってられないしそういう妄想をしていた過去が申し訳なさ過ぎて泡吹いて倒れそうになる。大変申し訳ない。
J禁ってまだ通じるんかな?
ジャニオタも腐女子も男性を性的消費しているのだから男性の性被害への批判やや同棲愛への賛同は誰よりも強くするべきだと思う。なんちゃって理解ほ当事者の感情を煽るものは無い。
NHK、やってしまったな。実際にあったのは「指名NG記者」リストではなく「氏名NG記者(つまり記者の個人名は出さない)」リストだったようだ。公共放送できちんとした裏も取らずに曖昧な報道は許されない。
あか☆ねこ
@Aka_neko
19:31
NHKが【独自】と題しスクープ ↓ 『ジャニーズ事務所会見 会場に質問指名の「NGリスト」』 ↓ よく見ると(よく見なくても)資料に書いているのは“指名”では無く“氏名” ↓ ジャニーズ事務所はNHKに「まったく知らない」と回答 ↓ そりゃそう
────────────
@k_maru_dau_baby
20:07
NHKの指名NG記者リスト報道で、めっちゃ事務所叩かれてるけど、リストの記者が会見で指名されてるし、ジャニーズは知らないと言ってるし、映像は「氏名NG記者リスト」だし。NHKは何やってんの?だいたい7時のニュースのトップでやることか?
ちゃぼ
@chaborock
2,056いいね
19:47
@nhk_news
❌指名NG記者リスト ⭕️氏名NG記者リスト(匿名希望の記者リスト) ですよね?? 速やかに訂正してください!!
@AYChan_nel
1,410いいね
19:54
「指名NG記者リスト」で騒いでる人間へ あと実際書かれてるのは「氏名」NG。誤字だと勝手に思って変えて放送してるNHK普通にヤバいよ
💭
@jgtpJJXL2Qf
1,040いいね
19:24
NG記者リスト、どう見ても「指名」でなく「氏名」NG記者リストと書いてあるけどNHKさんは裏どりできて報道してるのかな…? 本当に「氏名NG」だったら報道局としてえらいヤバいミスになるけど…
moe_
@name__m
19:37
「指名NG記者リスト」? 指摘された写真を見ると「氏名NG記者リスト」と書いてあるうえ、NHKの当該記事自体「リストに掲載された人の中には司会者から指名されたジャーナリストもいました。」と書いているということは、結局「指名NG記者リスト」ではなかった、で終わる話ではないんでしょうか。
まち子
@matsumachi_ko
367いいね
19:49
☓指名NGリスト ◯氏名NGリスト 記者個人名ではなく会社、媒体名で指名しなきゃいけない記者リストってことなのでは? 日本語の使い方に煩いNHK,まじでどうなってるの... 日本人から強制的に金巻き上げてる放送局がやばいんじゃないの... ジャニーズ叩くのに必死過ぎて草も生えない
さくらやみ
@xsakuraxyamix
668いいね
19:45
「氏名」ではなく「指名」のNGリストがあったとして、その妥当性は、NGの理由しだい。前の会見で人権軽視をした記者がNGなのなら何も問題ない。
石埼学
@ishizakipampam
309いいね
54分前
NHKさん『指名のNGリスト』ってドヤって報道したけど、そのリスト『氏名NG記者』ってタイトルなんですけど大丈夫?
Mi2
@mi2_yes
184いいね
20分前
氏名NGリストって書いてあるのに裏ドリもせず、ジャニーズ事務所が会見の指名NGリスト作ったみたいな報道はどうなんだろう。とことんいじめたいんだねって思う。NHKで受信料取るなら、もっと国民の生活のためになる報道をしてほしい。
750いいね
19:51
この人捏造を拡散してるんですが、「氏名のNGリスト」であって指名のNGリストじゃありません また実際にリストの中から当てられてる人もいます 大体氏名読み上げNG自体おかしいだろ #NHK解体 #NHK #NHK捏造
@usamilu
227いいね
20:06
「指名NG記者」リストではなく「氏名NG記者」リスト 匿名希望の記者のリスト。 まず誤報のNHKが一番悪いですが確認もせず企業を叩き、漢字も読まずポストするなんて酷すぎる...... ポスト消してください.... #ジャニーズ事務所会見 #NGリスト #ニュース7
てんかいち
@ddddoovvaa
190いいね
48分前
【NHKフェイク疑惑】 ちょっと、待って。 「氏名NG記者」と書いてあるよ。 もしも「指名NG記者」に変えて報道しているとしたらNHKは廃業では? NHKニュース7 NHKのスクープ? 先のジャニーズ記者会見で、記者からの質問で指名してはいけない「NGリスト」を作っていたことが分かった!…
@ikaryakuchan
88いいね
13分前
@nhk_news
捏造報道するNHKは解体した方がいいと思います 氏名NGリスト(名前読み上げ禁止)であって、指名NGリスト(質問禁止)みたいに報道するんじゃねーよ 大体氏名NGで質問しにくる記者もおかしいだろ #NHK解体 #受信料支払い拒否 #放送法違反 #報道倫理違反
@usamilu
118いいね
20:09
NHKの飛ばし報道のせいで「氏名」は出さないでぇ〜というジャーナリストがいることを知る。 NHKは「指名」と「氏名」をワザと変えたよね?国営放送として失格だしマジで解体しろ! #NHK
PLZ244
@plz244
19:50
本日のニュース7にて報道された氏名NG⇒指名NGの件NHKに電話しました。記者からのクレームと女性が持っていた書類だけがエビデンスのようです。報道部に確認とるとの事ですがどうかな
吐き出し
@TukiC96153
56いいね
19:59
NHKは「氏名NG」と「指名NG」の区別もつかないで、ジャニーズ悪!最低!って言ってるの?え?大丈夫?漢字読めないの?
黒ももも
@Kuro_momomo
19:54
氏名NGって書いてあるけど。ほんとうに指名NGならいつ誰が目にするかわからないリストにご丁寧に指名NGなんてワード掲げないでしょう(笑)
ろろ
@JjIkhs
81いいね
19:43
指名NG記者リストじゃなくて氏名NG記者リストの間違いでしょ。 NHKの切り取り方があまりにも悪質じゃん。
@MUN_inside
108いいね
19:35
これ、指名NGリストじゃなくて、氏名NGリスト、つまり個人名を出さない記者のリストだった様子(画像を貼っているポストもありましたね)。NHK…確認を怠ってまでスクープ欲しかったの?誰も気が付かないとか有り得ないでしょう?ジャニーズ事務所忖度やめて今度は何に忖度し始めたのよ…。
時尾
@umemomosakuras
80いいね
19:50
NHKニュース7のトップニュース 『昨日のジャニーズ事務所会見で指名NG記者リストの存在が発覚』と伝えたが、 実は『氏名NGリスト』だったらしい… おまけに、会見は昨日だったのに『おととい』と紹介… ホント、NHK大丈夫か⁈ これじゃ正真正銘のマスゴミだろ!💢😩
かもうのかけ小
@AfYjpB3h5Hp0n6g
51いいね
29分前
なお個人的には
・望月記者が載せた画像では反対側に「氏名候補記者」リストもある。
https://x.com/ISOKO_MOCHIZUKI/status/1709526468605485304
・NHKの取材に会見の運営会社は「答えられない」と回答している。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20231004/k10014215471000.html
などの点からすると「名前を呼ばないためのリスト」という解釈は苦しく思えるが…。
NHKとジャニーズ決別の一大スクープか公共放送による世紀の大誤報か。
あなたはどちらに賭ける?
一昨日あたりも、言葉の乱れに関する話題があった。
自分は、言葉に正しいも間違いもなく、ただ「多数派が使う言葉」とそうでない言葉があるだけだと思っている。
ある集団の中で多数派が使う言葉は、話者が多いためその集団の中で通じやすい。そのため集団の皆が自然とその言葉を使うようになっていく。
その集団の規模は大きくても小さくてもよく、たとえば学校のあるクラスの中だけで通じる言葉が自然発生的に生じたりする。
そうして生まれた言葉は、その集団の外ではまったく通じないが集団の中では半ば共通語のような扱いとなる。
特定の業界でしか通じない業界用語や、5chでしか通じない5ch用語なんかはその典型だ。
昔は地域によって集団が分かれ、地域の集団独自の言葉として方言が使われていた。
しかし近代化の中で、日本という集団の言葉の均質化が図られ、方言は薄まっていった。そうして生まれたのが日本の標準語だ。
これは5ch用語などと違って自然発生的に生まれたものではないが、ともあれ今では標準語は、日本人なら誰でも通じる、日本の多数派が使う言葉だと言っていい。
しかし日本が無数の小集団に細分化された現代は、各集団ローカルの言葉、いわば現代版の「方言」が群雄割拠する時代だといっていい。
その言葉がその集団の中だけで使われるうちはいいが、たまに集団の外でその言葉を使ってしまう人が出てくる。
あるいは、それが流行り過ぎてメディアに乗って外まで漏れ出てくることもある。
そうすると、その言葉を知らない人は首をかしげることになる。それがいわば、言葉の乱れというものではないかと思う。
日本語の乱れの原因は日本が無数の小集団に細分化されていることであって、
それを押しとどめるのは、まあ難しいんじゃないかと思う。
ジャニーズ事務所の記者会見の件で厳しく追及した記者をを叩く人々が湧いているが、数百件を超える犯罪を隠蔽してきた大企業に対するメディアからの追及が厳しくなるのは至極当然の事であり
寧ろ逆にそれを叩いている側の異常さが際立つ結果となっている
そもそも1社1問という追及を封じる独自のルールを決めたジャニーズ事務所側に問題があり、この事は海外の記者からも「何故問題を起こし未だに十分な対策が見られない企業の側がルールを作るのか」という疑問の声が挙がっている
BBCでの取材番組がそうであったように、児童虐待については日本よりも厳しく追求されるのが普通である海外から見れば、今の日本のこの状態は非常に奇妙で違和感を覚える物になっているのだろう
記者を叩く人が理解するべきなのは、ジャーナリズムとは相手の報じられたくない事を報じることであり、それ以外は広報でしかないという事だ
今回のジャニーズ事務所の事件は、数々の忖度によって本来であれば問題を追及するべき立場のメディアが広報と化し、結果的に犯罪が隠蔽された事で被害が拡大した事件である
にも関わらず、未だに厳しい追求をせず所謂「お行儀の良い」メディアを求めている人々は、メディアを叩く前にまず自らのそうした価値観、行動が今回の事件を作り出した原因である事にも向き合わなければならない
今日の忖度が日常となった日本のメディアを作り上げたのは、それを求めてきた人々自身でもあるのだから
また、そうした人々に便乗してメディア叩きをするメディア、特に会場でジャニーズ事務所側の責任転換の様な発言を無批判で受け入れ、拍手などしてしまったメディアは
この期に及んでまだ忖度がやめられない記者の風上にも置けない者達であり
彼らの様なメディアの存在があったからこそ、この問題はここまで大きくなってしまったのだと思わざるを得ない
このメディアに忖度を求め、それにメディアも答えてしまう民度こそ、日本が先進国の立場から徐々に滑り落ちていく原因の一つなのかも知れない
「黒人」ばっかり注目するアメリカ中心主義にはもうウンザリだ。
アメリカのポリコレで「黒人」が重要なのは、人口の1割以上を占めていて、かつて奴隷制で無理やり連れてこられた過去があり、今でも黒人というだけで警察官から怪しいと疑われるなどの露骨な差別があるからだ(ゴミを捨てにいっただけの黒人少年が逮捕された事件なんかを見ると、差別が薄まってこれなのか……という黒人の置かれた状況の苛酷さがわかる)。
でも、日本にいる黒人は人口比でいうとごくごく少数であり(地方都市では黒人を一度も見かけないとか、普通にあるでしょ)、かつ全て自発的に日本に来た人々とその子孫である。もちろん差別はいけないが、アメリカにおける黒人と同等の配慮をすべきとは思えない。人口比や歴史的経緯でいえば、黒人より先に東南アジア系に配慮すべきだろ、どう考えても。日本が黒人奴隷を使役したことはないが、東南アジアを侵略したことはあるわけで(まあ、日本でいう褐色キャラは、たいてい黒人ではなく南アジア系や東南アジア系だったりするわけだが……)。
本当に日本における人種的ポリコレを追求するなら、朝鮮系の描写だろう。彼らは日本におけるマイノリティの中では中国系の次に数が多く、また日本による植民地支配の犠牲者でもあり、在特会のように露骨な差別を浴びることがあって、そして、中国系に比べてアニメに出てくることは少ない。中国系キャラが出てくる萌えアニメはいくつも挙げられるが(『ラブライブ!スーパースター』とか。クゥすみいいよね……)、朝鮮系キャラが出てくる作品と言われるとなかなか思い浮かばない。
日本系・沖縄系・アイヌ系・中国系・朝鮮系がメインを占める日本の多様性は、白人・黒人・アジア人のように違いが目に見えるアメリカの多様性とは違う。パッと見で違いがわかりづらいが、違う文化や独自の歴史を持っていて、独自のアイデンティティを持っている。それなのに、目に見える多様性がない、目に見える多様性を増やせ、と言い出すのは、アメリカの多様性だけを真の多様性とみなすアメリカ中心主義にほかならない。多様性のあり方だって、多様であるはずなのに。
っていうか何よりもまず、世界人口の何割は黒人なんだから日本アニメにもそれ相応の黒人を出せというなら、世界人口の何割かはアジア人なんだから、まずはアフリカ映画や『ブラックパンサー』の登場人物の何割かをアジア人にしろよ、ワカンダに全然アジア人がいないのおかしくね? っていう話になるはずなんだけど、そういうと「黒人の文化に口を挟むな!」とか「ホワイトウォッシュだ!」とか言われるんだろ? それなら、アジア人がアジア人のために作った映画に黒人が口を出してくるなよ、くらいは言っていいんじゃない? ファッキンジャップくらいわかるよバカヤロー。
拙者、今や世の中の大勢の者がiPhoneや柴犬を買って、一見、喜びを噛み締めておるように見えるが、これがどれだけの表面的な幸福かを知る者は少ない。この世の中、iPhoneを持つ者、柴犬を添える者は、何も考えず、ただ受動的に物事を消費するだけの人々ばかり。流れに身を任せ、自らの意志で何も選ばぬ者ども。なんとも哀れであることよ。
しかし拙者は違うのじゃ。ポメラの限定された機能の中に、未知なる可能性を見出だしておる。一見地味であるかのように見えて、この小さな機械の中には、大きな創造性が秘められておるのじゃ。文字を綴るだけのシンプルな作業が、拙者の心と頭を動かし、新たな世界を創造しておる。何もかもが独自のものとなるのじゃよ。
この静謐な空間、インターネットの喧騒から解放され、ただ拙者とポメラだけ。ここでは、自分の心の声に耳を傾け、自己の内面に深く踏み込むことができるのじゃ。真の自己と向き合い、心の底に溜まった澱のようなものの存在に気づき、そっとその澱を払いのけるのじゃ。
では、拙者から皆の者へ一言。iPhoneも柴犬も捨てよ。そしてポメラを取り、真の自分を見つめ、自らの手で新しい世界を創り上げよう。デュフフ…それが真の創造性を持つ者の道じゃ!
上部にURL入力欄はあったが、ここにURL以外の文字列を入力するとエラーになった。
WEB検索はGoogleなどのページを開いてその中で行うか、アドインや独自ブラウザなどで検索専用の入力欄を追加していた。
現代社会では、人々は無意識のうちに消費者としての受動的な生き方に馴れている。この現象は、iPhoneの購入においても顕著である。この小さな画面の中で、人々はコミュニケーションの大部分を行い、情報を受け取り、そしてエンターテインメントを楽しんでいる。しかし、この便利なデバイスは、実際には人々の創造性を制約し、受動的な存在へと導いている。
iPhoneの透明な利点に魅了されるあいだ、我々は独自の創造の道を踏み外す可能性がある。常に他人の作ったアプリやゲーム、ソーシャルメディアに囚われ、自分自身の創造力を発揮する機会を失っている。
対照的に、ポメラはそのシンプルさと機能性で主体的な生き方を支援する。ポメラDM250のようなモデルは、文字入力に特化した機器であり、他の多くの機能を排除している。これにより、ユーザーは集中力を高め、創作活動に専念することができる。
ポメラを使用することで、余計な情報やアプリから解放され、自分自身の思考と向き合うことができる。キングジムのこのモデルは、現代の情報過多の世界で、集中力と創造力を高めることを支援してくれる。
主体的な創造者としての道を歩み始めるためには、ポメラのような道具を選択する勇気が必要である。ポメラは、我々が真の創造者としての人生を再発見する手助けをしてくれる。
DavinciResolveのプラグイン「りぞりぷと」がMac版に対応した
立ち絵+合成音声による解説や劇場動画ってのは日本独自の文化なんだけど、アプリの関係で日本人のWindowsユーザーにしか普及していない
それが「りぞりぷと」のMac対応でブレイクスルーが起こっている、と思われる
暫定的にMacでも使えるようになったし、海外の人がちらほら使いだしている
Davinciは何でもできる反面、単純なアニメーション効果を手軽に行う手段が少なく、大量の図形を配置するなども苦手だ
そこはみんなわかっているけど、有料プラグインや簡単なTipsばかり
なのでりぞりぷとのような立ち絵やちょっとしたアニメに対応する無料プラグインは本当にまれな存在だと思う
Davinci自体は決してYMM4やAviutilに迫るものではないのだけど、そういう日本人好みにカスタマイズされたものじゃなく
Davinciという世界で使用実績のある汎用的なソフトで使えるというのが大きいと思う
平等から階層へ、男女平等から著しい男女不平等への転換は、一般に農業と関連しており、このことはグレーバーとウェングローにかなりの問題を突きつけている。彼らは選択に関心があるため、唯物論的な議論を避けたり、環境が人々の選択を条件づけ、制限する方法について考察したりすることに固執しているようだ。
農業は、約1万2千年前から世界の多くの場所で独自に発明された。狩猟採集民は食料を共有し、持てる以上のものを所有することはできなかった。しかし農民たちは定住し、畑や作物に投資するようになった。そのため、一部の人々が自分の取り分以上の食料を手にする可能性が生まれた。
やがて、凶悪犯やいじめっ子の集団が集まって領主になることもあった。窃盗や略奪、家賃、小作料、労働力の雇用、税金、貢納、什分の一など、さまざまな方法でこれを行った。どのような形であれ、このような階級的不平等は常に組織的暴力に依存していた。そしてこれこそが、ごく最近まで階級闘争が対象としてきたものなのだ。
農民は狩猟民族にはない弱者だった。彼らは自分の土地、畑を開墾し灌漑するために費やした労働、そして作物の貯蔵に縛られていた。狩猟採集民は離れることができた。農民はそうではなかった。
しかし、グレイバーとウェングローは、農民が余剰を生産し、蓄えることができたからこそ、階級社会、搾取、国家、そして偶然にもジェンダーによる不平等が可能になったのだという、この物語に立ち向かった。
2012年、考古学者のケント・フラナリーとジョイス・マーカスは『不平等の創造』という素晴らしい本を出版した。彼らは、世界のさまざまな地域で農業がどのように不平等をもたらしたかをたどっている。
しかし彼らは、その関連性は自動的に生じたものではないと主張する。農業は階級を可能にしたが、多くの農民は平等主義の社会で暮らしていた。農業の発明と階級の発明の間のギャップは、数世紀単位で測られる場所もあれば、数千年単位で測られる場所もある。
フラナリーとマーカスはまた、地元の凶悪犯や領主が権力を掌握しても、後に打倒されることが多いことを、注意深い実例を通して示している。多くの町や都市では、エリートが考古学的記録に現れ、その後何十年も姿を消し、また現れる。事実上、階級闘争は決して止まらないのである[5]。
ジェームズ・C・スコットフラナリーとマーカスの壮大な比較研究は、人類学を根本的に変えた1954年のエドモンド・リーチの著書『ビルマ高地の政治制度』や、アナーキスト政治学者であり人類学者でもあるジェームズ・C・スコットの研究において先取りされていた。[2009年、スコットは『統治されない技術』(An Anarchist History of Upland Southeast Asia)を出版した。同書は数世紀にわたる東南アジア全域を対象としている。
スコットは、平原の王国の稲作農民の多くが丘陵地帯に逃亡したことに関心を寄せている。彼らはそこで、「焼畑」移動耕作者の新たな民族集団として再出発した。彼らの中には、より小さな階級社会を作り上げた者もいれば、階級を持たずに生活した者もいた。そのすべてが、下の王国や国家からの絶え間ない奴隷化や軍事的襲撃に抵抗しなければならなかった。
ある意味では、グレイバーとウェングローはリーチ、スコット、フラナリー、マーカスの仕事を土台にしている。ウェングローは結局のところ、フラナリーとマーカスが要約している考古学の変化の一端を担っている。そして『万物の黎明』には、スコットの影響が随所に見られる。
しかし、グレイバーとウェングローは、一方では技術や環境と、他方では経済的・政治的変化との間にある、他の著者たちの結びつきを好まない。
フラナリー、マーカス、スコットの3人は、テクノロジーや環境が変化を決定するのではない、と注意深く述べている。それらは変化を可能にする。同様に、穀物農業の発明が自動的に階級格差や国家をもたらしたわけではない。しかし、それがそうした変化を可能にしたのである。
階級関係と階級闘争技術と環境の変化は、階級闘争の舞台を設定した。そして、その階級闘争の結果が、平等と不平等のどちらが勝利するかを決定した。グレーバーとウェングローはこの重要な点を無視している。その代わりに、彼らは常に、そのような変化を即座に必然的なものとする段階論の粗雑な形式を問題にしている。
この生態学的思考に対するアレルギーが、彼らが人類の進化に関する新しい文献を扱おうとしない背景の一つであろう。
これらの文献はすべて、人類となった動物たちが、自分たちの住む環境、自分たちの身体、競合する捕食者、自分たちが発明できる技術、生計を立てる方法に対して、どのように社会的適応を築いたかを理解しようとするものである。偶然にも、彼らはその生態系と状況に対処するために平等主義的な社会を築いた。それは必然的な結果ではなかった。しかし、それは適応だったのだ。
一方、グレーバーとウェングローは唯物論者ではない。彼らにとって、生態系や技術について考えることは、彼らが望む選択や革命を不可能にする恐れがある。例えば、古代メソポタミアに関するスコットの本が、特に穀物農業が不平等をもたらした物質的な理由を強調しているため、彼らが満足していないのはこのためである。
これは些細な問題ではない。私たちが今直面している気候危機は、人類が新しい技術と新しい環境に適応するために、社会をどのように変えていくかという問題を浮き彫りにしている。平等や人類存続のための政治は、今や深遠なまでに唯物論的でなければならない。
グレーバーとウェングローが環境や人間存在の物質的基盤にほとんど関心がないことは、これまで見てきたとおりである。
同じように、彼らは階級という概念や、階級関係や階級闘争についての議論をほとんど宗教的に避けている。グレーバーは確かに、そしておそらくウェングローも、階級関係と階級闘争について理解している。彼らは、階級が何をするのか、そして実際、自分がどの階級の人間なのかを知っているが、階級関係を社会変革の原動力として扱うことはできないし、また扱おうともしない。
これと同様に目を引くのは、グレーバーとウェングローがジェンダーの社会的構築に対して関心を示さないことである。彼らはミノア・クレタ島における母系制のほぼバコフェンを再現する一方で、女性は養育者であり、男性はいじめっ子であるという家父長制的なステレオタイプを散見する。
不平等は常に私たちとともにあったというのが彼らの主張であるため、グレーバーとウェングローは、人類の性別による不平等の起源についてほとんど何も語っていない。
男女関係の進化については、基本的に3つの学派がある。まず、進化心理学者たちであるが、彼らの主張は非常に保守的である。ジャレド・ダイアモンド、ナポレオン・シャグノン、スティーブン・ピンカーは、不平等、暴力、競争は人間の本性の基本であると主張する。彼らは、男性は進化によって他の男性と競争するようにプログラムされているため、強い者が女性を支配し、より多くの子どもをもうけることができるからだと言う。これは残念なことであり、幸いにも西洋文明はそのような原始的な感情を部分的に手なずけてきたとピンカーは言う。
偉大な生物学者であり、トランス活動家であるジョーン・ラフガーデンは、こうした考えを『薄く偽装されたレイプ物語』と正しく表現している。このような議論は実に忌まわしいものであり、そのためだけにグレーバーやウェングローが否定したのは間違いない。
非常に長い間、フェミニスト人類学者の間では、第二の学派の考え方が支配的であった。この学派もまた、女性と男性の間の差異を本質化し、女性と男性の間に何らかの不平等があることをあらゆる社会で当然のこととして受け入れていた。
私たちが支持するのは第3の選択肢である。歴史学、人類学、考古学の記録に顕著な特徴がある。人々が経済的、政治的に平等な社会で暮らしていたほとんどの場合、女性と男性も平等であった。また、経済的に不平等な階級社会が存在したところでは、そこでも男性が女性を支配していた。
私たちにつきまとう疑問はこうだ:なぜなのか?
グレーバーとウェングローはこの問いに取り組んでいない。彼らは性差別について何の説明もしないし、男女関係がどのように、あるいはなぜ変化するのかにも関心がない。しかし、彼らは性差別主義者ではない。彼らは何度も女性抑圧の事例に触れているが、それは一過性のものである。彼らの関心事の中心にはないのだ。だから、私たちには印象的な一致に見えるが、彼らにとっては蜃気楼なのだ。
グレイバーとウェングローの説明の重要な部分は、農耕と階級的不平等、そして国家の出現との関連を軽視しようとする決意のもと、階級的不平等や戦争、さらには奴隷制さえも存在した狩猟採集民のグループに焦点を当てている。考古学者は彼らを「複合狩猟採集民」あるいは「複合採集民」と呼んでいる。
グレバーとウェングローは、先史時代の人々が無国籍で平等主義的であったか、暴力的で不平等であったかのどちらかであったという証拠として、これらの人々を取り上げている。それは証拠が示すところとは違う。[7]
典型的な例は、フランツ・ボースによって研究されたクワキウトル族と、カナダの西海岸、コロンビア川とフレイザー川の近隣の人々である。この川と海岸では、莫大な数のサケが遡上していた。限られた数の隘路や漁場を支配する者は、莫大な余剰を蓄えることができた。コロンビア川のギャレスがその一例だ。少人数で10万ポンドのサケを獲ることができた日もあった。
それは例外的なことだった。場所によって差はあった。しかし、沿岸部や河川全域にわたって、サケの資源が豊富であればあるほど、考古学や文献記録には階級間の不平等が表れている。富の不平等はしばしば極端であった。また、これらの人々は複雑な軍事技術を持っており、大勢の戦士を乗せ、数人で何カ月もかけて作るような大きなカヌーを使っていた。
事実上、農民が田畑に囚われていたように、これらの人々は漁場に囚われていた。そして農民と同じように、サケ漁師たちにとって貯蔵は不可欠だった。考古学上の記録を遥かに遡ると、彼らの骨や歯を調べると、年間の食生活の40%から60%がサケからもたらされていたことがわかる。サケは数週間しか獲れないので、その食生活の大半は乾燥サケによるものだったに違いない。
農民と同じように、環境的制約と新技術が階級社会の可能性を開いていたのだ。こうした過程は、『万物の黎明』にはまったく見られない。そのかわりに、50年前の学部生がクワキウトル族について語った、浪費的で貪欲なポトラッチの饗宴の民という、お決まりの説明がなされている。この説明は、その後の膨大な研究成果を無視している。
天然痘と梅毒で人口の6分の5を失い、金鉱探鉱者によって征服され、そして蹂躙され、最終的にはカナダ政府によってポトラッチの宴が禁止された人々の中で、あの無秩序な宴は、権力にしがみつこうと必死だった支配階級によって管理された伝統的な生活の祭典であったことが、今ではわかっている。深い物質的な悲劇が、非合理的な茶番劇として語られている[8]。
西海岸の漁民だけが「複雑な採集者」だったわけではない。世界中には他にも例がある。しかし、それがいかに少ないかは注目に値する。さらに考古学者たちは、現在より7,000年前より古いものはひとつも見つかっておらず、14,000年前より前に戦争があった証拠もない。
複雑な採集民の数が少なく、その起源が新しいのは、技術の問題かもしれない。確かに、カリフォルニア沿岸のチュマシュ族が不平等と戦争を発展させたのは、紀元600年以前に大型の外洋用板カヌーの建造を習得してからである。
彼らは「複合型採集民」の第三の例として、フロリダ南部のカルーサ族を選んでいる。ある意味では、これらもまた、支配的な首長、戦士、階級格差、奴隷制度、高価な戦争用カヌー、海の哺乳類、ワニ、大型魚の漁業に依存する漁民であった。
グレーバーとウェングローは、カルサ人を「非農耕民族」と表現している。しかし、彼らが認めているように、カルサの漁民はもっと大きな政治の中で支配的なグループであった。他のすべての集団は農耕民であり、カルサ人の支配者に大量の食料、金、奴隷にされたヨーロッパ人やアフリカ人の捕虜を貢納していた。その食料によって、カルサ族のエリートたち、そして300人のフルタイムの戦士たちは働かずに生活することができた[10]。