はてなキーワード: 水族館とは
たまによ、「私服でお越しください」ってのにジーンズとTシャツで現れる猛者が居て個人的には好きなんだが、
似た感じで「カジュアルすぎない?」って面接官に突っ込まれて学生激怒、みたいなのもまあ聞くな。
釣りかも知れんが。
で、知らんことに対してまごつくのは当然で、俺だって知らんときゃググったりするから、
なんで増田かって言うと、どうやってもこのテの話題はファッションマスターが湧いて荒れる上に会社関連だとパワハラだ何だ言われるから。
ランチに行って水族館に行って、少し散歩をして予約したレストランで食事をして、まあ後は流れで、
みたいな保守派バリバリのデートを計画してたとしようか。相手もなぜか乗り気だ。
そういうときに紋付羽織袴を着ていくか?ジャージの上下で行くか?
そりゃ「普段のカッコで来てね。私も楽だし」って女の子から言われてて、
上下ジャージってのも、まあ自分を出すって意味では良いかもしれない。
最近はネクタイしてなきゃ入れてくれないレストランもまあ少ない。
じゃ、居酒屋イタリアンみたいな立ち飲みのガヤガヤしたイタリアンに行こうっつってOKもらってたとするな、
で、当日駅前で集合したら、ヒール履いてえらいキメキメのドレス着てたとする。
まあ、慌ててググって店を変更するってのが、誘った側としちゃ当然の流れだろう。
「居酒屋って言ったじゃん」って相手を責めるのはありえないし、そのまま強行するのもどうかと思う。
つまり、服装が本質じゃなくて、結局のところは、相手にどう感じて欲しいか、自分がどうするかという、関係性の話だ。
客人がフィンガーボールの水を飲んじゃったら、主催者としては一緒に飲むのがスマートだろう?
服装に関しては、実は大きく3つ手段がある。
これは「伝統的なスーツ」でもなければ「礼服としての正しさ」でもないし「ファッションとしての主張」でもない。
少なくとも「まあ、学生のスーツならこんなもんか」と全方位から許容してもらえる。
日本国内で、日本企業向けに、新卒採用として、服飾関係以外に就職活動をするという限定付きなら、これが最も無難だ。
就活で目立ちたくないってのは自己矛盾気味だが、右へ倣えも日本の美徳かもしれない。
さて、(モチロン喩え話だが)日本じゃフィンガーボールの水は「飲んでもいい」と思ってる人が多い。
フィンガーボールの水で手を洗うのは、礼儀作法としての正しさとしては真っ当だ。
こういう時に「フィンガーボールの水は飲むものであって、指を洗うものじゃない」と間違って理解してる面接官が居る可能性もある。
モチロンその面接官が無知で、社会人としてはちょっとどうかとは思う。
こういう時に、「正しい礼儀作法をしたい」と思ったら、遠慮することはない。
相手に恥をかかせないことと、媚びることとは、違う。
で、そういう「正しいスーツでの無難さ」で行くと、こういうパターンになる。
どこに行っても全く問題無く何の面白みもないビジネススーツのド伝統的なセットだ。
これで「そういうのはちょっと仕事用の背広としてどうか」と意見を付けるヤツは無知なので、それはもうしょうが無い。
世の中には、どの場面でも礼服は格式が上がれば上がるほど良いと思っている人も居る。
フォーマルとカジュアルというのは、別に相手への礼儀の深さを示すものじゃなくて単にTPOの違いだが、
ビジネススーツよりもダークスーツが、それよりもモーニングコートがより敬意を払っている、とかいう人も居る。
そういう人は、紋付羽織袴で面接に行ったら良い。それはもうその人の個性だろう。
話の枕に持って来といて番外編もなんだが、私服、な。
服飾関係での特殊例を除くと、私服でお越しくださいってのはビジネスカジュアルできてね、という事だったりする。
スーツの文化も独自の変容を遂げてる日本において、ビジネス場面でのカジュアルとか全員考えることが違ってると思って間違いない。
面接官が明らかにユニクロのポロシャツとチノパン履いてたりする場面を目撃したことがある。もはや何も言うまい。
で、そういう時にどうすりゃいいか迷ったら、以下のセットを自分の判断で選べば問題ない。
(作業服・ジーンズ以外)
相手のご両親に結婚のご挨拶に行く時に、ノーネクタイでスーツ以外のジャケット羽織るって縛りプレイしてると思えばいい。
相手のオッサンに通用すると思うなら、全身スパンコールでも構わんぞ。
俺は怖くてそんなことは出来んが、意外にそういう度胸のあるヤツは通るかもしれない。
世界標準のスーツ着てって落とされるなら、お互いのためにソレが一番いい。
就活での私服は、ジャケットノーネクタイの、作業服(ジーパン含む)以外。
迷ったら青山に行け。
これは明らかに不公平!!
教師や親は子供に対して、夢や希望には厳しい年齢制限があって歳を重ねるごとに選択肢が減っていくという事実をしっかり教えるべき!!
実際、メジャーマイナー人気不人気を問わず日本で就ける職業の殆どは、その職に自分が就きたいと思った頃には完全に手遅れになってるパターンばかり!
以下年齢制限別に見ていくと↓ (*一部の例外など、個々の特殊な事例を除く)
警察官 ― 25くらいまでには警察学校に入らないと現実的にまず無理
医師 ― 25くらいまでには医学部に入学してないと開業医の子息でも無い限り現実的に無理
獣医 ― 25くらいまでには獣医学部に入学しておかないと現実的に無理
薬剤師 ― 25くらいまでには薬学部に入学しておかないと現実的に無理
看護師 ― 25くらいまでには看護系学校に入学しておかないと介護系以外の求人激減
保育士 ― 25くらいまでには保育系学校で学んでおかないと求人激減
美容師 ― 25くらいまでには美容系学校で学んでおかないと求人激減
弁護士 ― 25くらいまでにはロー進学を決めておかないと合格してもタダのゴミ
作家 ― 専業で食べていくには現実的にこのくらいの年齢で入賞でもしていないと無理
有名企業正社員 ― 新卒を逃せば新卒プロパー至上主義の有名優良企業への就職&出世は絶望的
公認会計士 ― 大学卒業までには専門学校で学び始めていないと合格しても実務経験積めずに終了
声優 ― これくらいの年齢までに育成機関に通わなければ専業で食べていくのはほぼ絶望的
お笑い芸人 ― この年齢までにコミュ力を磨かなければ大勢の人前に立って笑わせることなど不可能
俳優・女優・役者 ― 遅くとも成人までには劇団・舞台なんかに立っていないとテレビのレギュラーなど夢のまた夢
芸能人・タレント ― この年齢までに一芸を磨いて「東京」にいることが絶対条件
ダンサー ― プロダンサーとして食べていくにはこの年齢までになんらかのダンスを始めることが必須
傭兵 ― 20までに体をつくっておかなければいくら頑張っても体力的に無理
パティシエ ― この年齢までに菓子作りの基礎を学ばなければどうあがいてもチェーン店の電子レンジ職人止まり
ホスト・ホステス ― 業界でやっていくには成人と同時にこの世界に飛び込まなければ後は商品価値が下がる一方
大道芸人 ― ハタチを超えてまったく一から大道芸人を目指して成功した奴など皆無
官僚 ― ほぼ現役での東京大学もしくは旧帝国大学or有名私大に入らなければまず無理
検事・裁判官 ― ほぼ現役での東京大学もしくは旧帝国大学or有名私大に入らなければまず無理
テレビ業界・テレビ局勤務 ― ほぼ現役での高偏差値大学への進学が必須条件
アナウンサー ― ほぼ現役での高偏差値大学への進学と「顔」が必須条件
ゲームクリエイター ― ほぼ現役での高偏差値大学への進学が必須条件
宇宙飛行士 ― ほぼ現役での高偏差値「理系」学部への進学が必須条件
小学校教師 ― ほぼ現役での大学への進学(教員課程)が必須条件
中学校・高校教師 ― ほぼ現役での大学への進学(教員課程)が必須条件
動物園の飼育係 ― ほぼ現役での大学への進学(学芸員課程)が必須条件
水族館の飼育係 ― ほぼ現役での大学への進学(学芸員課程)が必須条件
アニメーター ― この年齢までに絵の素養を磨いていなければまず無理
イラストレーター ― この年齢までに絵の素養を磨いていなければまず無理
ファッションデザイナー ― この年齢までに一般的なオシャレというものに興味を抱いていないような奴にはまず無理
歌手・ミュージシャン ― この年齢までになんらかの音楽活動を始めなければ自称ミュージシャン志望が確定
競馬騎手 ― 15歳までには騎手になるぞという意志を固めていなければ現実的に競馬学校への合格は無理
バイオリン職人 ― 15歳までには楽器職人になるぞという意志を固めていなければ専業で食べていくなど夢のまた夢
ファッションモデル ― この年齢でほぼ容姿背恰好は固まるので低顔面偏差値低身長にはどう抗っても無理
漫画家 ― 15歳くらいまでには絵を描き始めなければ実質的に時間切れ
プロサッカー選手 ― 12歳までにはサッカーを始めなければまず無理
プロスポーツ選手 ― 12歳までになんらかのスポーツを始めていなければまず無理
ピアニスト ― これくらいの年齢からピアノのレッスンを受けなければまず不可能
指揮者 ― これくらいの年齢からピアノ他のレッスンを受けなければまず不可能
プロオーケストラ楽団員 ― これくらいの年齢から楽器のレッスンを受けなければまず不可能
サーカス団員 ― 6歳くらいまでにはバレエ等のレッスンを受けなければまず不可能
将棋棋士・囲碁棋士 ― 小学生のうちに打ち始めなければまず不可能
伝統芸能演者 ― 親・親戚が伝統芸能に携わっていないと最初から可能性ほぼゼロ
茶華道家元 ― 親・親戚が茶華道家元でも無い限りに最初から可能性ほぼゼロ
政治家 ― 親・親戚が政治家でも無い限りに最初から可能性ほぼゼロ
外交官 ― 親・親戚が外交官でも無い限りに最初から可能性ほぼゼロ
農家 ― 親・親戚が農家でも無い限りに最初から可能性ほぼゼロ
漁師 ― 親・親戚が漁師でも無い限りに最初から可能性ほぼゼロ
冒険家・探検家 ― 親・親戚が冒険家でも無い限りに最初から可能性ほぼゼロ
そもそも有名人気職業を除いて、棋士や楽器職人なんて子供の頃は存在すら知らなかったし!
ピアニストや騎手だって身近にそういう親戚でもいない限り自分の未来の職業として、リアルに考えてみるという行為それそのものすらしたことがないのが普通だろ!!
文化資本の低い家庭出身の俺は家族親戚一同高卒ばかりで大学進学すらテレビや物語の中の世界だったわけだが!!!
国は小学校入学と同時に13歳のハローワークを全児童に配布・熟読させて、道徳の時間の変わりにキャリアプランの時間を小学校教育に組み込むべき!!
一刻も早く!!
ジャジャン!!
http://www.ustream.tv/channel/toba-aquarium2/theater
ウミガメや、熱帯チックな色々な魚がみられる。
http://town.commufa.jp/channel/aquarium/kuroshio.html
名古屋港水族館の水槽をコミュファ光という会社が生中継してくれているもの。(たぶん)24時間見れる。
おすすめは黒潮水槽。イワシの群れが雲のようで、左上に固まっていることが多いけれどたまに底面に皆して沈んでいる。
サメやマグロやマンボウがいるけれど、うつりこんでいない時が多い。
イワシはいつもいる。
http://www.aquarium.gr.jp/live/index.html
ブックマークに入れて思い出したように見るけれどいつもメンテナンス中。
■Monterey Bay Aquarium
乙女ゲームやテニスの王子様やハガレンのキャラクターにガチ恋していて、夢小説を読みあさっていた。
百合にもはまっていた。ゆるやかなBLにもはまっていた。ファンサイトめぐりが趣味だった。
アニメイトでグッズを買っていたし学校でそれを使っていた。イラスト集、設定資料集、缶バッジ……
当然のように、アニメキャラに満たされるし、グッズは無限にほしいし、アニメできゃーきゃーいっていた。
でも数日の間だけだった。
萌えアニメ、ゲームに出てくるデフォルメされたキャラクターがみんなダメ人間に見える。
この人は童貞こじらせ、この人は共依存、この人は執着心が強い、これは空気読めないタイプ、この人コミュ障じゃん……など
現実世界の感覚が萌えの世界にまで侵食してきて、萌えられなくなってしまった。
アニメイトで売っているアニメグッズのクオリティは恐ろしく低い。
とても買えなくなった。そんなグッズが作られているのが悲しくなった。
予算と人員が足りないと思うので仕方がないと諦めるべきなのだが、どうにもこうにもお茶の濁すにしてもグダグダで、田舎っぽかった。
自由がなかった。閉鎖された村だった。
前科ものなので今でも萌えアニメや乙女ゲームを見ると飛び込みたくなってしまうのだが
昔は勢いで黙殺できていたものが、できなくなった。
わたしは感情を表に出すのが不得意なことがあって、何かと面倒を見てもらうことが多かった。生まれてからの十数年で、周囲の顔ぶれはがらりと変わっている。それでもいつも、少しうつむくことがあると「おなかへったの。お菓子でも食べましょうか」とビスケットだのをいただけたり、おでかけのときに何の気なしに見ていたお品物を買っていただけたりしていた。その様なことに感謝はすれど、特になにの疑問も抱くことはなく、微笑んだり、「ありがとう」と言ってみたりして、楽しい毎日をすごしていた。
すこし前から、とある青年とお付き合いをさせていただくことになった。彼もわたしも同性ばかりの学校に身を置いているため異性になれておらず、お互いにあいさつを忘れ、ほとんど言葉も交わさず、仲人である共通のお友だちの質問に首を振るばかりだった。そんな出会いであったため、わたしの周囲は心配したがとても運が良かったらしく、共通の趣味を有していることもあり、仲はすこぶる良好だ。現在は手をつなぐのもためらうほどの清い交際を続けつつ、いつ互いの両親に相手の顔を見せるかというタイミングをはかっているところである。
年のちかいことが信じられないようなビルのように高い背や、聞き覚えのない張りのある低い声に戸惑った。だがもっとも戸惑ったのは、彼がデートの予定を決めるときに「○○ちゃんはどこに行きたい?」と、わたしの意見をあおいだことだ。その問いを投げかけられたときに気づいたが、今まで自分でなにかを選んだことがほんとうに一度もなかった。ぼんやり振り返ってみると、お出かけのお誘いはいつも母かお友だちからで、わたしから声をかけたことなんてなかった。「美術館に行きましょうよ」と言われれば頷き、「百貨店に行かなきゃね」と言われれば頷き、「新しい水族館ができたの」と言われれば頷いた。「どこに行きたい?」は初めて聞く言葉で、心底「このひとは一体なにを言っているんだろう」と不思議だった。ほぼ反射的に「わたしはあなたと行くならどこでもいい」と答えたが、彼も「ぼくも一緒ならどこでもいいよ」と答えたため、わたしの言葉はあまり巧い返しにはならず、甘酸っぱい思いをしただけだった。結局そのときは決められずにまちをぶらぶらと散歩して、喫茶店や書店、雑貨店をのぞいたりした。
小さいころから、褒め言葉の定番の「まるでお人形さんみたいね」をいただくことに至高の喜びを感じていたが、外見だけでなく中身までもお人形さんだったわけである(余計なはなしだが、ただ「かわいいね!」といわれるよりは「お人形さんみたい!」と具体的に言われるほうが、女の子はうれしいことが多い)。「感情を表に出すのが不得意」なのではなく、なにかを選択することができなかったのだ。たまごが先かにわとりが先かは分からないが、選ぶことができないのと、周囲が甲斐甲斐しく世話を焼いてくれのを繰り返したことで、結局そうなってしまったのだろう。ただ、この年まで疑問も嫌悪感もなくそうして生きてこられたことは、ほんとうに幸せなことだと思っている。
しかし、せっかく気づいたのに、このまま今までどおりたゆたって生きていくのも惜しい気がする。最近は積極的により幅広いジャンルの雑誌や本、様々なブログ読んだりして、自分の好みや考え方の確立をはかっている。徐々に自分の世界観ができあがってくると意思表示もできるようになって、以前よりは周囲に感情をさしはからせたり、同行の方に何かを買わせてしまったりということは少なくなった、とわたしは感じている。ごくたまに「前の生活のほうが楽だったかもしれない」と思うこともあるが、今のところはとても楽しくくらしている。
都会と田舎対決が再燃しているので、僕の話も書こうと思う。
昭和40年代当時では、周りには兼業農家は少なく、いま思えば異質な家庭だっただろう。
子供の感覚は敏感なもので、なんとなく座りの悪さを感じていた。
勉強は好きだったが、教師はやる気が無く、授業は面白くなかった。
ある日、憲法について子供ながらに議論をふっかけてみても、教師は生意気言うなと言いながら僕の頭を叩いただけだった。
部活に入ってみたが、先輩の理不尽なしごきに耐えられず、噛み付いて喧嘩。そして退部。
そのころは気づかなかったが、教師も、部活の先輩も、田舎特有の濃密な監視とネットワークの一部なのだ。
それに気づかなかった僕は学校で浮き始め、そして、学校に行かない日が増えてきた。
何がいけなかったのだろうかと、自分の行動を思い返した。
僕はこの退屈な村で、同級生と同じように一生を過ごすのだろうか。
いや、そうではない。村を出るべきだ。
そして、どうせ村を出るなら、僕のことを蔑んだ人々を見返してやるのだ。
大学生活は自由だった。
新しい人間関係に囲まれ、バイトに明け暮れ、充実した毎日だった。
ただ一つ不満だったのは、当然ながら周りも東大合格者だったことだ。
あの村で僕が光り輝いたのは一瞬の事だった。
ときはバブルのまっただ中だったが、民間企業は眼中になかった。
霞ヶ関は民間を動かせるから、民間よりも上だと思っていたし、なにより、僕の村からはまだ官僚が出ていなかった。
駆け出しは駆け出しなりに、その醍醐味を味わうことができる反面、地味な仕事が多かった。
そんな中、ある市への出向を命ぜられた。
そのころは気づかなかったが、国会議員も、上司も、霞ヶ関特有の濃密な監視とネットワークの一部なのだ。
それに気づかなかった僕は浮き始め、そして、はじき出されたのだ。
職員からすれば僕はお客さん扱いで、まともな仕事はさせてもらえない。
しかし、目立つ成果を挙げられないと、霞ヶ関に僕の存在を知らしめることはできないし、ひょっとしたら片道切符になる可能性もある。
そんなある日、生まれた村に帰省し、同窓会に参加した僕は愕然とした。
僕が主役ではないのだ。
東大に合格し、官僚になり、日本を動かしている僕が主役ではなく、親父の寿司屋を継いだあいつがクラスの中心なのだ。
そう、あのほこりっぽい教室のヒエラルキーそのままだったのだ。
何がいけなかったのだろうかと、自分の行動を思い返した。
この退屈な村で、何の刺激もなく一生を過ごす同級生に、なぜ僕の凄さがわからないのか。
あの日、村を出ることで、僕のことを蔑んだ人々を見返したはずなのに。
僕の力で、何も無いこの村を、都会的な村に変えて見せるのだ。
必ず、全国から取材や視察が殺到する村にしてみせる。
村役場ホームページのアメーバピグへの全面移行や、村営水族館の民営化など、霞ヶ関に、いや、宇宙に衝撃を与えるアイディアは山ほどあるのだ。
僕はずっとこの村があるかぎり村長で居続けるつもりだ。
この村に僕以上に村長に適した人材などいない。気に入らなければ選挙で落とせばいいのだ。
続く