はてなキーワード: 掲示板とは
というか現在進行形で「引き剥がし屋」が社会問題になる程度に発生しているらしいぞ。
親が駅の掲示板にXYZって書き込むことにより引き剥がし屋が家にやってきて引きこもりを強制収容所に送り込む(もちろん、その後家には帰れない)ようなんが結構あるんだと。
今はこれが一件50~200万円とかでやり取りされてるらしいけど、どうせ親子の縁を切る前提なら預かった人間を利用してビジネスすることも可能な訳だから「無料で」請け負うようなのも今後増えてくるだろうな。
最近私はvtuberを見るのにハマっており、特ににじさんじ、ホロライブのvtuberの動画を見ている。
これらのvtuberはゲーム実況や雑談配信などのライブ中心であり、対極的なvtuberはおそらく動画中心のvtuberであると思う。
自分語りをつづけると、以前某ゲーム実況&演劇をするvtuber集団をかなりの頻度で追っていた。
といっても入れ込んでいたわけではないのであの一件以降も特に精神的障壁を感じることなく動向を追っていたし、むしろ彼らの問題自体にとても興味があった。
問題は公式が”Ctuber”という言葉で皮肉にも的確に表現してしまった概念についてのものだったように思える。
これらは対比されて某SNS上で大いに取り上げられたように思う。
簡単に言えば“ガワ(キャラクター設定)”と“前世(中の人)“の問題である。
ライブ中心のvtuberは”中の人”の特徴が支配的になるのに対して、動画中心のvtuberは極端な話が”ガワ“があれば中の人は代替可能であると、そういう話だったと思う。後者のあり方を公式は”Ctuber”と呼んだのだと自分は解釈している。
そしてこれも個人的な観測に基づくものだが”Ctuber”という概念は視聴者層、とくに”信者”層にあまり受け入れられなかったように思う。ライブが中心でない彼らでさえそうだった。
彼らに対する印象をSNSや某掲示板で見ているときに上の一件を思い出して面白いことに気がついた。
俗にいう”信者”と“アンチ”のやりとりを見ていた時のことである。(心象への影響が面倒なので肯定派、否定派と呼ぶ)
否定派があるvtuberの“前世”がした倫理的にはあまり許されることではない過去を取り上げて攻撃していた。
上の一件をもとにして考えるならば、ライブ中心のvtuberは“前世”にも大いに依存した存在であり、そこを擁護するべきのだと私は予想した。
肯定派の意見は、”ガワ”と”前世”は完全に分離されて然るべきだ、と言っているという意味でvtuberとは”Ctuber“であると言っているのと変わらない。
むしろ”前世”が中心的なライブ中心vtuberにおいて、その肯定派に”Ctuber”理論を主張するものが多いというのはどういうことなのだろうか?
また、一つ穿った見方をすると、”ガワ”を守るために”前世”を切り捨てて見ないフリをするというのはいかがなものか、ましてや活動が”前世”の力量に大いによっているvtuberにおいてはどうなのか?
物心ついた時から周りより頭ひとつ分以上背が高く、小学6年生で170センチを超えていた。
小さな頃は年相応にセーラームーンやキティちゃんなど可愛いものが好きで、よく身につけていた。
だが、自分が可愛いものが似合わないのではないか、と気づき始めたのは幼稚園の時。
発表会で笠地蔵をやることになったのだが、その中に狐の役があった。
黄色いふりふりの衣装がとても可愛らしく見え、私はその役に立候補した。
だが、他にも複数候補者がおり、1人狐役を諦めなければいけない。
本来ならジャンケンなどで決めるのだが、そのとき私にはそれすら選択にはなかった。
なぜなら当時の担任直々に「狐役は諦めて欲しい」と言われたからだ。
衣装のサイズの問題や、おばあさん役の方がぴったりだからと言われた。
そのとき、ふと目の端に見えた狐役の子たちは皆平均身長でとても可愛らしく見えた。
そのとき私は「背が高いと可愛いものは選べないんだな」と思うようになった。
幼稚園児が考えることなのであまりにも極端だと今は思うが、己の顔立ちやそもそもの体型なども、幼いながら人より劣っていると気づいていたのだと思う。
それから少しずつ可愛いものに興味を示さなくなった。だって、似合わないものを身につけてもダサいだけだし、と。
気付いたら女らしさ皆無な子供に育っていた。
うぜぇ、だまれ、カスなど口走るなんとも可愛げのないクソでかい女の子が誕生していた。
また、中学でスポーツ系の部活に入ったことにより、髪の毛もベリーショートに切り、服のサイズもメンズ物しかなかったため、見た目はどこからどう見ても男にしか見えなくなった。
デパートなどの女子トイレに入ればすれ違うひとに驚かれトイレマークを確認されることは毎回のことなので慣れた。
最初は気のせいだと思っても、それは気のせいではなかった。
友達から「今あの人あなたなのとみてたよ、すごくびっくりしてた」と毎回報告されていたからだ。
(中途半端な田舎だからっていうのも1つの理由だったのかなと思う)
恋愛対象で見られることは皆無だったが友人としては仲良くやれていたので特に気にはしなかった。
少女漫画も少年漫画と同じくらい読んでいたし、こっそりと片思いもしていた。
けど、振り向かれることはないとわかっていたので告白も何もしなかったけれど。
そんなこんなで大学生になったある日。
見た目さえわからなければみんな私を1人の女の子として接してくれることにとても感動した。
それからは毎晩寝る前にいろんな人と話をした。
みんな優しくしてくれたし、声を少し高めに話すと可愛いと褒めてくれた。
今まで体験できなかったことが沢山体験でき、自尊心が満たされた。
今まで相手には身長のことすら言えなかったのにその人には話せた。
それでも引かれることはなく、魅力の1つと言ってくれた。
大学生になっても、私の服装は相変わらずでダボっとしたパンツにTシャツやパーカーばかり着ていた。
そのことを話すと、彼は
「なんで女に生まれたのに女を捨ててるの?」
と質問してきた。
「好きでその格好ならいいけど、女らしい服装をしたって良いんだよ」
「似合う似合わないじゃなくて、似合わせようとするんだよ」
と。
あ、と思った。
本当にあ、と。
可愛い格好してもいいんだ。
面長で重たい一重。
鼻も高くない。
その身長があるならモデルになりなよとみんな言うけど、頭身もないし腕も足も短い。
だから、女の子らしいは似合わないから、みんな変に思うから、楽なメンズ服に逃げていた。
そうなんだ、別にいいんだ。
それから少しずつ女らしさを取り戻していった。
といっても、完全に女として生きていけるようになったのは社会人になってからなんだけど。
田舎町から都会へ引っ越して、人の視線を感じることが少なくなったのも1つの要因だった。
ヒールの靴も痛いからあまり履かないけど、6センチのヒールを履いて出掛けたこともある。
少しずつ、少しずつ。
気付いたら前よりも女の子扱いされることが多くなった。
性の対象にすらみられてなかったのにそういう目で見られるようになる。
可愛いと言ってくれる。
髪の毛長い方が似合うよと言ってくれる。
もちろん、モテているわけではなくて基本的には友人としてしかみられないこともあるし、この身長にドン引きされることも多々ある。
けれども私は女になった。
ずっと女になりたかった。
ここまで拗らせるには他にもいろんな要因があって、自分に自信をなくして、自分を男に見立てることに逃げていたけど、もうそんな自分にはならないだろう。
複数ヒロインもののラブコメの終盤といえばファンの間で煽り合いになるのが常である。
俺妹は刑事事件になるまで発展したが、そうでなくともニセコイの惨状や政宗くんのリベンジ(最終巻の表紙を師匠にしたのは許していない)の局地的な荒れ具合、綺麗な終わりを迎えた神のみですら荒れたことを見ていればわかるように、概ね人気作品であれば炎上はするものである。当たり前だがそのキャラが好きな人がいなければ炎上などしないからだ。
ラブコメの炎上とは作品がどれだけ愛されているうちに終われたかのバロメータと言い換えてもいいと思う。(ハヤテとかハヤテとかハヤテなんかは荒れすらしなかった)
ラブコメが終わる間際の祭りのような雰囲気が大好きだ。恋が叶わないことが分かりきっているヒロインをそれでも応援したいし、九割九部九厘結ばれるであろうヒロインがそれでも結ばれるか不安になりたいのだ。真面目な考察を読んだり掲示板を見たりして感情を揺さぶられたいのだ。
単体ヒロイン全盛の時代にほぼ同時期に開始し、どちらもアニメ化までした人気作品の「五等分の花嫁」と「ぼくたちは勉強ができない」がどちらもクライマックスを迎えようとしている。
私にしては珍しくどちらも推しヒロインが結ばれそうでドキドキしているが、同時にこの後に夢中になれそうな複数ヒロインものが見当たらず、終わった後のことを考えるとふと寂しくなる。(真面目に早乙女姉妹くらいしかないような気がしてる。末期だ)
旧速ステマ移民の嫌儲民だ。表題の件だが、ここまで毎日のようにミソジニーとミサンドリー(含有フェミ)が血で血を洗うような戦場をインターネット有史以来見たことがない。ホッテントリでもそうだが、某掲示板某板ですらそれらのトピック/スレが乱立している。俺の記憶が確かなら、旧速の頃はマンコがどうのこうのでスレ立ってたけど、生粋のマンコ嫌い以外は適当な煽りレスがあるくらいで平和だったような覚えがある。ところが、現在はその掲示板ですら男女煽りが凄まじい。「今まで見えなかっただけで女性の発言が増えてるのよ!」とかいうのも見たけど、果たしてそうなのだろうか。陰謀論脳と言われても構わんが、なにか妙な方向から力が発生している気がする。
気にしても仕方がないのだが、トリガーが気になる。
3歳になる頃には、オナニーを覚えていた。小学生になると、ひっそり電動歯ブラシでオナニーするようになった。そんな頃、しょっちゅう掲示板に投稿していた。クンニしてほしい、満足するまで男の顔に跨ってイきたい。セックスよりも、生身の男を使ったオナニーに興味があったのだ。たまに会おうと言う男がいたが、私は幸か不幸か臆病過ぎて、男にちんこの写真を送らせて、非通知でのテレフォンセックスを楽しむくらいしかできなかった。そんなわけで幼い私はずっとクンニなどされたことのない、大人しい子供のままだった。
高校生の時の彼氏に初めてクンニされたとき、受け身でいる自分に違和感を覚えた。クンニ「してほしい」のと、クンニ「させたい」のはどうやら違うらしかった。大学生の時に、初めてM男と付き合った。しかし、こちらはこちらで要求が多い。叩いて、縛って、アナルをいじめてetc…クンニさせるころには疲れている。
そして、はたと気づいてしまった。長々と男を懐柔してクンニさせるには、小学生の方が都合が良かったのだ。25になってしまったわたしは十人並みの容貌で、さほどの魅力もないただの女だ。もはやマンコには価値がない。しかし、小学生のマンコには価値があった。幼女のマンコ舐め放題。あーあ、価値のあるうちに舐めさせたかったなあ。イきまくりたかった。
創作者は多大な労力を払って創作しているし尊敬していますので、ここに書かれてることは真に受けないでください。
なろうの中でも相当長いこと連載している話。確か書籍にもなってるはず。
話が面白くなりそうで絶妙に面白くならない吸引力の高い危険なクソ小説。
主人公がサイコパスで虫を殺すような感覚で人を殺すクズ野郎。どうやら作者はこのドぐされサイコパスをカッコよくイカした好青年だと思ってるらしくて、物語の登場人物や話の流れはその体で進むので、まぁ読んでいてずっと気分が悪い。
いつしか主人公がしょんべんちびらせながら命乞いするシーンが出てくることを心から強く願っている自分に気が付きます。
最悪なことにこの小説にそんなシーンはありませんし、ずっとカッコいいていで、胸糞サイコパス君が周りの人々に褒めそやされてるのを見せつけられつづけるので、発狂しそうになります。
性格も最悪で気に入らないやつを適当に殺す。だけどなんかマスコット的な生き物から慕われている。そのマスコットも息をするように人を殺す。
殺すところにとくにカタルシスとかはないく良心の呵責とか、悪人を殺した爽快感とかも描写せず「シナリオ上」必要だから殺しているっていう感じで、キャラの情緒とかとちぐはぐにストーリは進んでいき、読んでて嫌悪感が凄いです。
そんな小説を、いつか面白くなるのかもしれないと毎日コツコツ何ヶ月も読んだのが本当に最悪だった。
つまんねーと思った小説はだいたい面白くなることなんてないんだよ!という人生の大事なことを教えてもらえた一冊です。
レジェンドで長編クソ小説のヤバさを知っていたので割と早い段階で切ることが出来たのが唯一の救い。それでも1-2ヶ月くらいは読み込んでしまったのでダメージはある。
ちょっとクソ小説って言ってしまうのは酷かもしれないけど、まぁ面白くなりそうで全然おもしろくはならなかったので、俺の中ではクソ小説分類です。
主人公の性格はそこまで悪くないし理解できないようなサイコパスではないが、ストーリーの主軸とかがなく、だらだら世界設定を描写しつつ物語の起伏も発生せず、だらだら主人公が、物語世界のVRゲームを淡々とやり続けるだけっていう内容です。
最初の頃はいろいろ主人公とかほかのキャラとのやり取りとかもあって読んでられるんだけど、最終的には主人公が淡々とダンジョン探索している描写を描写するだけとかになってて苦痛。
物語はとにかく内容がなくスカスカで作中ゲームの内容がそのまま描写されているだけ、主人公がモンスターを狩ってレベルアップして召喚獣読んで、新しいダンジョンを開拓していくとかいう内容。ようするにゲームしてるのを見ているだけ。
そのゲームの内容もなにかパンチがあったりエッジがあったりして魅せてくれるところがあればまだマシだったんだろうけど、なんの特徴もないThe MMORPG を思い浮かべてもらったら、それを2ランク下げて凡作にしてください。それがこのゲームです。
とちゅうとちゅうに2chを模した掲示板の書き込み的な表現で、キャラ同士の匿名の交流とかが出てくるけど、誰が誰とかわからんし、ぶっちゃけリアルでも2chのやり取りとか見るのかったるいのに、小説で表現されてももっともっとかったるい。
主人公キャラは割と好印象あるし、格闘経験者がVRで実績を出すところとかワクワク出来たし、途中までは面白くなりそうな気配はあったんだけどなぁ〜。
レジェンド読むまでは俺の中でダントツ過去最高のクソ小説。これが国民的小説らしいのですが、国民は頭おかしいのか!?って感想です。
とにかく幻想的で綺麗な文章を使って、村上さんの脳内に想起された文字列を垂れ流し、小説っぽく印刷された物質。
どこから面白くなるのかなーと我慢して読んでも、ハゲ散らかした伏線は全然回収されないまま適当に終わる。
この小説も主人公がよくわからん。なんの目的もないのになんか女とセックスとかやってる描写とか適当にいれてるだけで、面白くない。
面白くないのにこまっしゃくれた、気取ってるいけ好かないブランドの名称とかをてきとーに、かき並べて、おしゃれっぽくしてるから癪に障ってイライラしてくる。
内容が薄いのにやたら長いのもレジェンドを彷彿とさせます。主人公が無味無臭なのでレジェンドよりは読んでて苦痛は少ないです。文章きれいだし。
あとから知ったことだが村上春樹さんは純文学の人らしく、この本は小説ではなく純文学だったらしい。
小説の体をして売るのはやめてくれ。
海外で超絶の人気を誇るドラマ。外人はろくなコンテンツないのかよ。っていう感じ。
似たような顔の外人が大量のファンタジーの専門用語(国名、家の名前)を撒き散らしながら、いきあたりばったりに適当に話が展開するドラマ。
1シーズン最後まで見たけど、最後まで面白くなることはなかった。適当にドラゴンが出てきて終了。画面の前で「は?」っとなったのは言うまでもない。
このドラゴンを付加させた女はとある部族に嫁いだやつなんだけど、シーズンまるまる使ってなんかずっと移動しながら嫁いでセックスして子供流産してドラゴン生まれてまで、ずっとサイドストーリーとして流されてるんだけど。
話の展開とかは視聴者置いてけぼりで、見ててもだから何?っていう感じです。このサイドストーリーが主人公格の家の話に交わることなく進んでいくんです。
シーズンまるごと使って一切交わらないってなにそれ。なめてんの?
あとから面白くなるとかいってるあほたれいるけどよ、1シーズンつったら他のドラマはそれで話が始まりキャラの熱い思いとかやり取りとかをへて、カタルシスをうまく視聴者から引き出して完結するわけですよ。
なんだこのクソドラマは!視聴者舐めるのもたいがいにしろよな。
適当にセックスシーン入れたりグロ描写入れたりは良いよ。それが面白ければな。面白くないんだよ。尺埋めるために適当に出してるだけだろう!
専門用語大量に並べられても覚えてられないし、並行して複数の話が進むんだけど、似たような顔の外人が似たような怒り方してトラブル起こして、やってることもだいたい家どうしのプライドだの家柄だの、地位がどうのこういって全然興味もわかないし共感もできない。
悪人の心情もわからなければ、主人公格の家の奴らの心持ちとかもピンとこないしで、終始何見せつけられてるんだろうっていう感情が凄いよ。
いきなり王子様っぽいやつがファビョって周りのやつ殺したりとかしててて、全体的にキャラの情緒が不安定で、理不尽な展開がおおすぎる。
あとからあれはこういう背景があったからとか、私が話の筋をうまく読めてません、とかあるかもしれんけど、それをわからせるのが製作者の仕事だろ。日本のクソドラマだって一話見のがしたくらいでも話の大まかな流れは終えるんだよ。なんで最初からずっと見てるのに意味わかんねーんだよ。アホか。
以上です。
なろう作品はもっとクソ作品はあったけど、まぁ大体は読み始めたらすぐ「クソ小説」ってわかるので回避しやすかったりするんでね、多くはかきません。
レジェンドとサモナーさんは長い作品なので傷が深くなる前に、撤退できる人が現れるかもしれないとの願いを込めてここに記します。
デス・ストランディングを文句言いながらやってるゲーム実況見てたら思い出してしまった。
幸いクソゲーを掴んだことはあんまりないので、それは良いかなって感じがする。
リア充感あふれる写真上げて「自分は不器用です」って、うーん(苦笑)
おれ、いけてるでしょ、ってむーんむーんと漂う自意識
うん、そのマウンティング、何?(怒)
どんだけ自慢なんだよ。
えっと、こないだの日本人講師による講座はほとんどスルーだったくせに。
自分が一番、それ強く持ってるから、余計反発するんだけど、なんか、なんか、なんか、
私、この人嫌い。
後から入ってきたくせに、なんでそんな仕切ってんの?
多分、私が愛猫の写真をアイコンにするのと同じ感覚なんだろうけど
子供の写真をアイコンにする人に、言わないけど内心「はぁ?」って思う。
猫嫌いな人には私のアイコンもそう見えるんだろうけど。
でも、仕事のアイコンだし、、、って私も仕事用、猫写真だった。
slackのチャンネルに「パパママチャンネル」なんてあって、「はぁぁ?!」って
内心思った。何それ、まじで。
や、入れてもらっても話わからないし、全く興味ないけど、
なんだろう「独身チャンネル」はないの?(とはいえ、あっても入らないか)
なんかさ、仕事用の掲示板なのに、当たり前に「◯◯さん、お子さんのお迎えの時間
大丈夫?」とか書かれてて、ギョッとするんだよね。
この仕事の前も、子持ちの主婦パートさんたちたくさんいたけど、仕事の連絡ノートに
そんな個人的なこと書く人いなかったし、朝の9時?10時?が子供の迎えの時間、とか
旦那の朝食の用意とか(は?って思った。大人なのに妻が用意してあげるの?って)
それが共通認識としてあって、オンライン会議の時間設定で当たり前のように日中の
昼間とかに設定されるんだけど、独身子なしとしては、午前中か夜がちょうどいいんですが!
夜の22時以降なら子供が寝てるからって、私も眠いわ!朝早いんだよ!
たぶん、世間一般の人より結婚願望薄めだけど(子供は死んでもいらないし)、
もし結婚したくてもうまくいかない人だったら、相当嫌だったろうなぁ。
当たり前のように「主婦の常識?」を押し付けてくるけど、わたしには理解不能。
職種柄、子持ちの母親率が高いのはわかるけど、それ以外も普通にいることを理解していただきたい!
子供の話されても、全く興味ないし、よくわからないから共感できないし、そもそも
子供が大っ嫌いで、slackアイコンの子供の写真載せられるだけで、家族写真入りの年賀状を
大して親しくない人からもらった時のような虚しさを感じるんだけど。
嘘でもかわいいですねーって言うみになってよ。
嫌いなんだよ、ガキ。まじで。
はー、鬱陶しい。
私はおっさんずラブが好きだ。
S1の途中から視聴して、おっさんずラブの世界が好きになった。六話を見たあとの一週間は生きた心地がしなかったし、最終回で春田が牧を追いかけて想いを伝えるシーンは、思わず泣いてしまった。
ドラマが終わり映画が始まれば何度も劇場に足を運んだ。展示会にだって何回も行った。それくらいの熱量で、私はおっさんずラブS1が好きだった。
それから、おっさんずラブS2のキャストが決まって。たった二人を残して一新されたキャストを見て、初めは私も受け入れられないと思った。どうして牧くんがいないの、というのが一番の感想だったし、今考えてみてもこの公式の判断は間違っていると思う。
もう少し期間を置くなり、いっそキャストを全員変えるなり、やり方は幾らでもあったように思う。S1のファンが、S2を見れないというのもよく分かる。実際私も、S2が始まる直前まで視聴を迷っていた。
そうして始まったS2の1話をおそるおそる見て、案外受け入れられた自分に気づいた。
S1とS2の春田は、似たようで別人のように感じられたし、なにより成瀬やシノさんといった新たなキャラクター達に魅力的に感じたからだ。
そうして私はS2の世界も好きになって、毎話放送を見るのが楽しみになった。
他の人の感想が見たくて、Twitter内で検索をかけたり掲示板を覗くようになった。
そこでは、S1とS2の視聴率や、グッズの売れ行きを比べて、いかにS1が優れていたかを語る人や、キャストや脚本の批判をする人が沢山いた。掲示板は、いつでもS1の話題で荒れている。
私のようにあっさり受け入れられる人が全てではないだろうし、別に批判すること全てが悪いとは言わない。
けれど、わざわざ楽しんでいる人の目に付くようにタグ付けをしたり、掲示板に乗り込んでまでアンチする必要があるだろうか。
挙句の果てには、S2の放送を取りやめろという署名まで目にしてしまった。
これら全てが、S1放送中は仲間だと思っていた人達によって行われていることがショックだった。
こんなことをしているのは一部の過激な人達だと思っても、S1のファンに対しての悪印象は拭いきれない。
もちろん相手の許可を取って顔は映らない角度にして撮ったものだ。
元々はブログでマニアの間だけでやっていたのだけど、ツイッターに移行したらかなりPVを稼ぐようになってしまった。
驚いたことに、動画を見た人から「私にもクンニしてください」とDMが来るようになった。
ヌードモデル募集掲示板で探していたクンニ相手が、向こうから来るようになった。
ここから変なサイクルが回りだした。DMがきて、それを動画に撮ってアップしたら、またDMがくる。
撮るのはだいたい平日の夜。ラブホか、たまに相手の家に行くこともある(滅多にないが)。
別に動画が凝っているわけじゃない。簡単なプロフィールと女の子が喘いでいるだけである。
動画を上げるたびにクンニ依頼が来る。あまりにも依頼が来るので、とうとう有料にした。1回1時間1万円。
これで月に数件ぐらいになるだろう、と思っていたが驚いたことにほとんど減らなかった。
もちろんすっぽかされることも少なくない。だが先月はクンニだけで30万以上の副収入となった。
今のところ年末まで24件の依頼が埋まっている。リピーターも多い。プライベートなんてなくなってしまった。
会社行ってクンニ相手と会って、家に帰って寝るだけの毎日だ。休日は3件とか入っている。
顧客で一番多いのは20代後半~30代前半。それより下はほぼいない。
面白いのは今は「動画撮らないの?」「アップしないの?」と向こうから言ってくること。正直、もうあげなくても依頼はくるんだが、せっつかれるのでアップしている。
対人関係を育むのが苦手なので、その場のノリで仲良くする人はいても心をさらけ出せるような親しい友人を作ることができなかった。一人でいることがそこまで苦ではなかったのも、今となっては不幸なことだったのだと思う。
歳をとるにしたがって、若い頃特有の永遠の無敵感が薄れていくのを感じる。些細なことに不安を感じ、将来に絶望する。その些細な事を誰かに相談することで気を紛らわせたり新たな解決策を探ったりすれば良いのだろうが、少し考えなくとも相談する人間が誰一人いない。
ネットの相談掲示板的な所を見ると、似たような悩みを書き込んでるやつは結構多い。そのトピックを自分に当て嵌めて解決すればいいのだろうがちょっと違う。おそらく私は私の話を聞いてもらい、同意でも否定でもいいから意見が欲しいのだ。
誰か私の話を聞いてくれ。そこまで難しい話じゃないよと笑ってくれ。
心をさらけ出せる人が欲しい。
ウェブページの話
フロントエンドが複雑だとか言われたりはてなでこういうデザインが作れるとか紹介してるブログがあったりする。
本来ウェブページって複雑な CSS やら JS はなくてもいいはずだ。
HTMLやらMarkdownと言った文章構造を表したデータだけあれば十分。
変にごちゃごちゃしたデザインを押し付けられるよりも見る側が好きにできるべきだ。
それなのに、無駄な凝ったものを作っては難しいとかなんとか言ってる。
画面関係で、「それを対応するのは難しいので~」とか言った場合はほとんど見た目の都合。
ゲームみたいな特別なものでもなければ、余計なデザインは不要なんだから、最初からそういうのなしでと言っておけば良いと思う。
CSS がどうこう言ってるブログを見ても自分で余計なことしてるんだろとしか思えない。
デザイナがお金もらうためになくていい仕事を作ってるのにみんな乗せられ過ぎなんだと思う。
実際デザインとか興味ないエンジニアが作ったような機能のみのシンプルな見ためのシステムで何も困らない。
外部向けならまだわかるが、社内向けとか業務系システムにデザインなんかつけていったいどうしたいのか。
実際、増田を見れば明らかだと思う。
すごくシンプルでほとんどデザインなんかあってないようなもの。
本来の意味での使いやすさ的なデザインはあるのだと思うが、デザイナが自己満足で作るような鬱陶しいデザインはない。
それでも多くのユーザが使ってるわけで、重要性のないデザインのために高いお金を払ったり、時間を書けたりするのは無駄だと思う。
シンプルな HTML だけでいいウェブになってほしいものだ。
最近の風潮は CSS が便利になりすぎたのが一つの問題かもしれない。
なければそもそもできないものなので、昔の掲示板のようなシンプルで良い見た目になるはずだ。
できてしまうから調子に乗ったデザイナが「俺こんなことできるぜ」とか「〇〇じゃないとかダサい」とか言い始める。
まあ、昔の HTML でも変に文字が動いたりチカチカしたり見づらいこともあったが。
ただ、今のデザインはそれの延長だと思ってる。
小6の冬、わたしはGoogle検索で適当に見つけた悩み事相談掲示板に書き込みをした。
「母親が不倫しているようです。父も妹もそのことを知りません。このまま私が黙っていれば何も問題は起きない、とは分かっていますが辛いです。誰にも相談できず困っています。」
実際にはもう少し稚拙な文章だった気がするが、当時ママと呼んでいた女性のことを母親と記したり少し背伸びして、大人に真剣に答えてもらえるよう書いたことを覚えている。
一晩のうちにいくつかレスがついた。最初は「釣乙」。これは嬉しかった。私の文章は大人が書いたように見えるのか、やったー。その後、「他の家族や先生など周りの人に相談しよう」それができたらこんなところで相談してないっての。まぁ今考えたらこれが1番まともな意見だ。そして最後に四十代か五十代のおっさんから「お母さんを責めないであげて。結婚してたって1人の女性。恋することは罪ではありません。」そうだとしても小6に言うことじゃなくね?おっさんヤバくね?と当時思った。今も同意見だ。
ここで優しい言葉を掛けられていたら私は間違いなく栃木に行っていた。運が良かった。
そんなこんなで特にパッと目の前が広がる回答は得られず鬱々と時を過ごし、高1から今で言うパパ活を覚え、そこで出会った男性と高3でデキ婚して、、、といろいろあったがここでは割愛。