はてなキーワード: 好調とは
『カゲロウプロジェクト』が好きです。すごく好きで、だから映画が公開されると聞いた時はとても嬉しくて、前売りも買って、初日に見に行きました。だから、あの作品をどう捉えればいいのか分からないんです。捉えたくないと言うのもあるのかも知れなくて、あれから何日たっても消化しきれずにいます。「駄作だった」の一言で割りきれないんです。認めたくないんです。いままで好きだったことを、否定したくないんです。そういう話です。
前提として。カゲロウプロジェクトというのは(知っている人も多いだろうけれど)所謂メディアミックス型のコンテンツで、楽曲、小説、漫画、アニメ、それぞれが同じ夏の日を繰り返すルートの一つとして機能しています。ストーリーとしては「目にまつわる能力」を持った少年少女たちが、繰り返される夏の日の謎とその能力について迫っていく~という感じです。ハルヒのエンドレスエイトの設定が細かい感じ、と捉えると分かりやすいです。
小説なんかが発売される前、楽曲しかなかった頃。作者の「じん」さんの手によって投稿された楽曲群の一つ(コノハの世界事情、というボーカロイド曲)にドはまりしました。中学二年生のなんともアレな感性にあの熱い中二的世界観ががっちりはまったというか。それまでろくに曲を聞いたことの無かった私にとって、あのニコニコ動画という友達の知らない場所の、ボーカロイドという大人は知らない「特別」なコンテンツはすごく心を惹きました。それぞれのルートの共通点、明らかになる事実から徐々に全容を割り出す謎解きの感覚、個性豊かなキャラクター。今も好きです。初めて買ったCDも、初めて手を出した二次創作も、初めて買った同人誌も全部カゲプロです。アルバムは何百回も繰り返し聞いて、カラオケに行けば必ず一曲は歌います。SNSもカゲプロを語り合うために始めました。青春全部捧げました。服の趣味がパーカーとジーンズに固まったのも影響受けてます。それぐらい大好きで、多分相当にこじらせてます。私は、そういう人間です。
(勿論、パーカー着てる奴を蹴り飛ばしたりとか絡んでくるとかデマかよく分からない厨とか呼ばれるそういう輩と私は違います(同じに見えるだろうけれど)。ああいう輩のせいで普通に好きな人たちまでひとくくりにされることがすごく嫌でした。)
ある日、アニメ化の情報が明らかになりました。制作会社はシャフトでした。西尾維新さんも好きな私はアホみたいに舞い上がりました。あの大好きなカゲプロのキャラクターがガハラさんと同じシャフ度を!シャフ度をかましてくれる!放送まで毎週1人ずつ公開されていくキャスト、この子の声は誰だろう、とワクワクしながら同じく好きな友人と語り合いました。
そうして始まったアニメ。私は「どうして、こんなにつまらないんだろう」と首をかしげることになりました。
面白くないんです。なんというか、脚本が無理矢理な感じがして、うまく没入できない。ぎこちないというか、詰め込みすぎているというか、無闇に前衛的な表現をして失敗しているように思えました。画面前で、何度もいたたまれなくなりました。これをみている一般の人たちのことを考えると胃がいたくなりました。しかしツイッターに流れてくる意見は肯定ばかりだったから(フォローしてる人がクラスタしかいないんだから当たり前)、私は、己の認識を疑うばかりで、それにうまく返せなかったと思います。
あまりにも無茶が過ぎる脚本に構成で作られたこのアニメを、エンディングから考えるに恐らく最後の繰り返し=トゥルーエンドのルートになったこのアニメを公式と認めたくなかったです。でも、否定したくもありませんでした。
いやにあら探しばかりしてしまう性格だった事をすごく恨みました。ダメだった、という意見を口にすることが自分のせいで憚られるばかりで、盲目になれたらきっと幸せだったのかなと思います。拗らせていたはずなのに、結局私はその程度にしか好きになれていなかったと、そんな風に思いました。だって好きなものは否定したくないんです。大好きで大好きで大好きだっていい続けて二年たって、もうこの頃には私にとってカゲプロ大好きということは義務でした。というか、なんで嫌いって言わなきゃいけないんですか?という感じです。『カゲプロ大好きであることが私』、みたいな。
暫く経ってからまとめサイトの嘲笑う記事をみて、ああ、私の感性は間違ってないんだと思う反面、けれど大好きなコンテンツがおもちゃにされていることにすごい不快感を覚えました。否定したくないし、否定されたくもありませんでした。それが事実なんだとわかっていても。
勿論、良いことも一杯ありました。主人公のシンタローは寺島さん、その相方のエネは阿澄さんが声をつけてくれたし、彼らが動くところをみられました。新しい曲も作られて(dazeというめっちゃかっこいい曲、EDのボーカルはじんさんがよく使うボカロのIAの人が!)、楽曲のアレンジ版ではアニソン歌手のLiSAさんが歌ってくれたり。
でも、やっぱり私はアニメが、カゲプロに自ら汚点のレッテルを貼ったように思えたアニメが嫌いでした。だから、子供ながらに、アニメのDVDを買わないことを唯一の反抗としました(それ以外の関連商品は全部買ってました。ここで一旦、カゲプロに関する私の収集癖が止まったのでそれは良かったです)。
アニメの後、それまでバカみたいに追いかけていたのが多少我に返ったのか、カゲプロに対する熱は冷めていました。逆にラブライブへめっちゃハマりました。曲からハマったカゲプロと同じようにハマりました。クラスでもスクフェス(アプリゲーム)が流行っていて、カゲプロは、時折ちょこちょこ入るカゲプロ漫画の情報を確認、発売する小説を読む程度でした。カゲプロクラスタじゃなくて絶好調にラブライバーでした。まきちゃん。
じんさんは自分の音楽活動に絶好調のようでした。私が好きなのはカゲロウプロジェクトを作ってるじんさんなので、さっぱり興味もわきませんでした。それ以外ほぼ何の動きもない期間が二年くらい続いて、今年。
長らく音沙汰の無かった小説の新刊が出て、舞台となる夏にはいつもよりこったイベント(ニコ生)があって、そこでアニメ二期と映画化が発表された時、久しぶりに己の中の炎が燃え上がるのを感じました。ああやっぱり私はカゲロウプロジェクトが好きだったんだ!と、その時何処か安堵しました。じんさんはカゲプロを忘れていなかった。わくわくが止まらなくて、嬉しくて嬉しくて。ものすごくテンションが上がりました。皆とうらぶとあんスタの話しかしてなかったのに、またカゲプロの話をしていて、その光景によくわからないけどありがとうって思いました。
映画の公開は11月。作画監督を、カゲロウプロジェクト全体のキャラクターを担当している「しづ」さんが務めると知りました。個人的には、しづさんの実力は文句のつけようがないと言っても過言ではないくらい、全てにおいて長けていると思います。シャフトの絵は私はそうでもなかったけれど、否定的な人も多かったので、今度こそ、ととても期待が持てました。
私はこの時点で、映画にたいして「カゲロウプロジェクトの面白い作品」ではなく「カゲロウプロジェクトの違和感を持たない作品」を求めていました。エンターテイメント性ではなく、普遍性をお願いしたかったんです。「最高の作品」じゃなくていい、「いろいろ言いたいことはあるけど、でも良かったと言える作品」が見たかったんです。変なギミックも要らない、無駄な挑戦も要らない、普通の、贔屓目にみられる人なら躊躇いなく面白かったと言えるような。
公開前に投稿された主題歌は控えめに言って最高でした。もう高ぶりが止まらなくて、ヘビロテしまくりました。若干判明していた作画や20分という短さへの不安が瞬間吹き飛びました。これ、いけんじゃないか……?アニメを忘れさせてくれるような、そういう存在になってくれるんじゃないか、と僅かながらに期待して。
容赦なく希望を踏み潰されました。なんだあれ。今でも言葉がないです。あんなクオリティーに1900円とか詐欺じゃねえか。意味のわからないストーリー、メアリースーじみた超展開、観客を置いてきぼりにする視点変更、ファンであることが前提だとしてもあまりにも置いてきぼりな紹介。無駄な4DX、ぶれる作画、絵すらないエンディング。たった二十分すら安定させて持たせられない。かくかくしたキャラクター絵はシャフトの方が数倍増しだと思わざるを得ません。(詳しくはねばーまとめとかとぅぎゃったーとかに物好きがまとめてると思うのでそれを)
一番嫌なのは、それなりを払って、期待して、好きなのに。それなのに、そんな否定的な言葉しかでないことです。認めたくないです。好きなんです。どんなものでもよかったって受け入れたいのに。周りの皆は絶賛しまくりで、私だけがおかしいみたいで、まるで二年半前のアニメ放送時の再現のようでした。
広げすぎた風呂敷は畳むことが出来るんでしょうか。アニメ二期もこのクオリティーなんでしょうか。日にちが経つにつれ不安ばかりが増していきます。なんで私は自分の好きなものが落ちぶれる様をみなくちゃいけないんだ、と変な怒りすらわきそうで、でも、嫌いになれないんです。きっとどんなひどいものを見せられても、イヤになったってキライにはなれないと思います。それくらい好きなんです。今だって好きになりたいと思っています。批判された所を否定したくて、でも否定できないことが一番悔しいです。辛いです。
これからも好きでいたい。でも、好きでいることで幸せになれないのなら、私はなんで好きになってしまったんでしょう。もし、むやみに話を広げすぎて謎すら解明されないまま終わってしまったなら、私が追いかけてきた意味はどうなってしまうんでしょう。今、そう思わせるだけのものがそこにはあるんです。昔は、期待ばかりあったはずなのに。
そんなに金が欲しいんですか?雑で手軽なコンテンツで大量に搾取できればなんでもいいんですか?ふざけるな、といえるような偉い立場じゃないことは分かってます。でも、少しくらい、良いものを提供してくれたっていいじゃないですか。
良かったって言わせてください。好きで良かったって言わせてくださいよ、お願いだから。
辛いのでFGOやります。以上です。
観葉植物を育てだしてもう十年近い。
増やしたり、減らしたりしてきたけどここ五、六年は枯らしたことはない。
肥料をやらなかったり、根詰まりさせたり、冬に外に出していても、基本的には日光に当てて水やりを失敗しなければ観葉植物はなかなか枯れない。
とはいえ、肥料をやらないのは無駄に大きくしないためだし、根詰まりさせるのも似た理由で、屋外に出していても排熱で暖かいところに置いたりしている。
と言うか、基本的には植物を観察していれば枯れる前に兆候が解る。
一番難しいのは水やりのタイミングであるんだけど、このコツをたまに聞かれる。
観葉植物の調子を判断しやすいのは葉っぱの状態であるのだけど、この表面を僕はいつもチンコの亀頭に見立てて判断している。
更に落ちると明確なシワがよる。
葉っぱを見ていたら分かるのだけど、乾燥が進むと葉っぱの光沢がなくなり、その一段下の状況まではまだ水をあげない方がいい。
勃起はしているのだけど、亀頭にシワがよりはじめた状態こそが水のあげどきである。
そうなったらジャバジャバみずをかける。
そうすると一週間ほどしてまた亀頭が光る。
ただし、冬はやはり勢いがなくなるのでマックスで光らない勃起までしか回復しない。
それでもシワはよるので判断はつく。
http://d.hatena.ne.jp/shi3z/20161020/1476918294
NYに住んでる者だが、日本で話題だったので先週末日曜日にタイムズスクエアのAMCで観てきた。
別に会場は終始いたってずっと静かだった。ゴジラが下に火を吐いたシーンは迫力があったが、それ以外はだれも興奮していなかった。アメリカ人は普通ちょっとでもアガるシーンがあればオーディエンスがすぐに反応する。手を叩いたり、大笑いしたり、Hooo!と叫んだり。特に公開初週の週末ではなおさらだ。それがほとんどなかった。最後申し訳程度に拍手がパチパチあったくらいだ。
後ろに座っていたアメリカ人二人組は明らかに終始失笑していたし、トイレに立った際に出会ったアメリカ人は「ゴジラ(第一形態)がなんだかweirdだね」くらいの感想だった。子供は「ママ、ゴジラが全然出てこなかったね」と言っていた。
個人的な感想としては「よくこんな3流の映画で日本全体盛り上がれるな」ということだった。まあ日本にしてはマシな作品を作ったということなんだろうが、それでもあの盛り上がり、持ち上げは異常だ。
まず演技が下手すぎる。最初のだらだら続いた閣僚内の会議のシーンは学芸会かと思った。あの防衛大臣みたいな女性の間抜けなしゃべり方や、菅直人チックな首相役のおっさんの過剰な決断力のなさの演出、こういうキャラがいた方が面白いんだろと言わんばかりの半沢直樹に出てたへこへこするおじさんのキャラ作り。ギャグ映画としてみていいのかシリアスな展開を表現したいのかさっぱりわからなかった。アニメキャラにしゃべらせらば違和感はないのだろうが、「そんなこと普通言わねーだろ」というセリフと大げさな演技オンパレードで、小難しい単語を連呼すれば緊迫感がでると思っている演出と相まって、チープさがすごかった。なんか映画観た後で批評を調べたらあのあたりの前半の会議のシーンを「リアリティのあるポリティカルサスペンス」などと形容しているようだが、失笑ものだ。。24やHouse of Cardsの政府内のやりとりなどと比べて欲しい。
そもそも、「国にとって重大事が起きた時の政治の決定力のなさ」を描きたいのかもしれないが、そんなの東日本大震災の時に見たばかりなのでなんの新しいメッセージもないし、見ていてちっとも面白くない。あれだけ前半時間を使って視聴者にストレスをためさせたくせに、全然それを映画後半のシナリオで解決させていない。閣僚たちが死ぬシーンももっとちゃんと描くべきだし、いっそ国会を木っ端微塵にすべきだった。主人公の矢口の立ち位置も中途半端で、これまでの決断力のない日本の政治システムを変えていく毅然とした態度があったかというとそうでもない。むしろ、矢口チームがギリギリまで粘ったが結局国連に核爆弾を落とされてしまった、東京は再び焼け野原になった、これを機に本当に日本は変わらなければいけない、という展開の方が、中途半端にゴジラを停止させてしまうよりメッセージ性が際立って良かっただろう。
あとCGがひどかった。第一形態のゴジラは敵の雑魚キャラかと思ったし、笑えた。街が壊されていくシーンのCGも、ボートとかCG感丸出しでチープさがすごかった。予算がないのだろうが、それならもっと夜のシーンを増やすとか、工夫できる余地があったはずだ。最終形態になって夜に大暴れするシーンは格好良かったから、もっとああいうシーンを増やすべきだった。血液凝固剤を使ってゴジラを止めるシーンでは、絶対にゴジラがまた振り切って動き出すと思ったが、なぜか米軍ミサイルなんかよりよっぽど威力のないであろう電車爆弾で都合よく倒れ、倒れたところに都合よく潰されず待ち構えていたポンプ車で放水開始し、それを都合よく口を開けたゴジラが都合よくチューチュー吸い続けて、結果止まってしまった。劇場全体が「えっ止まっちゃったよ」感でいっぱいだった。
あとなにより全体的なプロットの未完成感がすごかった。例えば今年DisneyのZootopiaを見たが、最初から最後までの1シーンも無駄がない。最初に出てきたなんでもないシーンも、実は伏線で、映画の最後の方にきちんと回収され、いささか伝統工芸品かのような緻密な構成美を感じさせてくれる。対してシン・ゴジラは、「今のやり取り必要あった?」と思う部分だらけだ。教授の調査を記者みたいな人に依頼するシーンとか、必要か?そもそも教授の動機や背景など最後までよくわからずじまいだし、石原さとみ役の人物の背景の説明が弱いから感情移入できず、最初から最後まで終始全ての言動が突飛で違和感しかなかった。
シン・ゴジラや君の名は。を絶賛する層には受け入れがたい認めにくい批判にあう映画なのかもしれないが
今のところ今年一番好きなオリジナル映画はこれ。
ゴジラや君。にあった「社会情勢」は「カープ好調」で表し、現代問題については「カープ女子って妊婦でも可愛く見えるよね。だからまぁ赤い服が重要じゃないの?」を提起している。
年代層もデスメタルを好む若者から、矢沢永吉にグッとくる良いオッサンオバサンたちまで幅広くカバー。
ラストの怒涛の展開に観終わった後「なんか負けた」感が味わえるのも、上記2作品と類似している。
またそのラストでの音楽との絡みも最高であり、君の名は。RADWIMPSくらいの調和感を持っている。冒頭のデスメタルバンドにテルミンなんか最高だった。
人間の生死について考えるところも、今年のヒット作と類似している。果たしてモヒカンは大事にしただろうか。
こう書くとヒットしなかったように思えるが、広島じゃ大作押さえて初週1位を記録しロングランになった。じゃけぇ、見るとおどりゃーも広島人になるんかもしれん。
とにかく、そういうわけだから、見てくれ。
あらすじか?モヒカンが、故郷に、帰るだけだ。それ以外に必要なのか?マッドマックスだって行って帰ってきただけだろうがあああ!
ゆ~きよ、いわ~よ、われらーが宿り
ふふふん、ふふふん、ふふふふふふふん~
祝日ね。
損した気分じゃないかしら?
うふふ。
や~まはしろがーねー、かぜきるはや~さ~
ふんふんふん。
山の歌って雪山な感じが多いわよ、
夏の感じに涼しいかしら
と言って今日は山とか登らないけど。
そうそう、
ウイスキーがお好きでしょ、
って歌あるじゃない、
あの歌を浸っていい感じに歌い上げてる女は
飲ませてくれるわよ!
やっぱり心なしか茶葉が多い感じがするので、
うーん、このくらい少なくても大丈夫かしら?って心細い感じの量でも
やってみるときは、
出だしを見てから調整してみてね。
お口の中がスッキリ爽快よ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
チャオ!アミーゴ!
タイトルが言いたいことの全てなのであとは蛇足なのだけれども。
シン・ゴジラ、観た。もうなんていうか最高なのだけれど、他にいろんな人が感想を書いてくれているのでここでは書かない。
ただ、一つだけ思うことは。この映画の動員が多くの人を動員して、興行収入が歴代ゴジラ最高とか、そうはいかなくても今年のトップ収入になるぐらいになってほしいなあ、と。
この映画、徹頭徹尾、総監督・脚本である庵野秀明の考えが注ぎ込まれている。その考えを実現するために、樋口真嗣が、東宝が、その他大勢のスタッフと役者が頑張っている、という構図に思える。庵野秀明の「やりたい!」を、周りの皆が「やろう!」と考えて実現している。
これ、かなり凄いことなんじゃないか。クリエイターの考えたことを思う存分サポートして、こうやって作品として完成させている。ある人物のこだわりを貫き通して、それが形になっている。クリエイターとしては最高の環境だ。
クリエイターが想いを貫き通すことで、商業的にも成功すれば、「クリエイターには金を与えて思う存分やらせよう、スポンサーは口出ししなくていい(しないほうがいい)」という流れができるのでは。スポンサーの政治力によって、クリエイターがやりたくもない要素(取って付けたような恋愛要素、作品に不釣り合いな主題歌、不相応な大根役者のゲスト出演などなど)を強いられる、といったことが少なくなったらいいなあ、と思う。
http://news.livedoor.com/article/detail/11834365/
作品の好き嫌いはあるとは思うのだけれど、とかく多くの人が観て、好きになってくれる人がもっと増えてほしい(その分嫌いな人も増えるのは仕方が無い)。
お家の俎が反ってきちゃってるので、
たくあーん切るときも繋がってちゃんと切れないのよね。
ねえねえ、俎さん
そんなに反ってると、たたき割って焚き付けの薪にしちゃうわよ!
って言うと、薪にされるのが嫌なのか
元に戻ってまっすぐになるの。
たくあーんも、ちゃんときれいに切れるのよ!
お湯がなかなか出なかったり、
途中で止まっちゃったりするの。
私が給湯器さん、今までありがとうね、しくしく。とそう言って惜別の念を惜しんでいると、
捨てられるのが嫌なのか
そういう気配を察してなか
あら、あなた急に頑張りだしてももう手配しちゃったわよ!
悲しいけれどもうお別れなの。
機械って、たまにそういうこっちの気持を聞いてるかのような振る舞いするときあるわよね。
機嫌良くなったり損ねたり。
でも、アンルイスばりに、ああ無情よ。
とても滋養がつくわよ!!!
すいすいすいようび!
今日も頑張りましょう!
後増田氏と同盟を結んだ増田(八)軍は西から進撃してくる増田軍を迎撃するため、みやこの脇を流れる増江川に陣を張った。
東の増田軍公称十万の指揮官は、数倍の敵(今日の友)を何度も破った武功でその敵に推薦されて大抜擢された増田左混であり、
大将が後増田家の人間ということもあり、彼らは四万の兵を派遣し、残りが増田家(八)の兵である。
西の増田軍は後顧の憂いがないことを活かして、八万と号する全領地の兵をひっくるめ、当主が指揮している。
両軍はまず、川を挟んで向き合い、小競り合いを繰り返した。
後増田軍の部隊は勝つこともあったが、雑魚ナメクジの増田軍は美しいほど全てに負けた。
自信をつけた西の増田軍は伍除海の計をかけた上で、敵前渡河を強行した。
それに対して東の増田軍は、何もしなかった。
増田金吾が
「敵の半分が渡ったところを攻撃するべきです」
と勧めても、
「敵が隊列を整えている間に仕掛けるべきです」
あまりに余裕のある敵の様子に、西の増田軍は疑心暗鬼に駆られた。
前当主なら「舐められたらおしまいだ」と攻撃を仕掛けるのだろうが、
それより慎重な弟は(何か策があるのでは?)と勘ぐってしまう。
おりしも増田(四)軍が待ち伏せの策略により奇跡的な勝利を収めた後でもあった。
しばらく睨み合っていると西の増田軍に不吉な空気が流れはじめる。
「小競り合いで負け続けたのも、わざとなのか?」
殿は我々がそのような兵だともうされるのか!?」
敵が動かず結果的に背水の陣になったのだから、ひどいいちゃもんである。
このままでは戦えないと判断した当主は、下策と知りつつ再度川を渡って後退することを決めた。
何もしていないのに敵が下がっていく――
東の増田軍は目の前の情景に目をみはった。
一戦もしていないため隊列は整い粛々とした動きだ。しかし、士気が落ちているのは明らかだった。
「半分が渡ったところで攻撃を仕掛けるべし」
増田金吾はいきおいこんで主将に訴えた。今度ばかりは増田左混も重々しく頷いた。
こうして川に分断された敵を勇躍襲撃した増田軍は――ボコボコに殴り返された。
東岸に残っている増田軍は精鋭ばかりであり、数ほどは戦力が低下していなかった。
このとき、増田軍は「釣り増田」と同時に「捨てトラバ」を用いた。
捨てトラバ(トラバース)とは、下がる部隊が次々と横に動くことで雁行をなし、
反撃に際しては一瞬で斜線陣に化ける戦術とされる。
また、雁行の法則性から敵部隊を追っていくと、途中が忽然と消えており、
肩すかしを食らったところに斜め前後の隊列から挟撃を受けることもあった。
「これは地方とみやこの戦いにござる」
「なんだと!?」
「なんだと!!?」
「おう、そうだな」
「武功をあげろよ」
後増田兵は釣り増田に引っかかりまくった。「増江のダボハゼ」の異名を授かるほどだった。
なお、増田兵(八)は話題に加わらず(田舎者同士が何を言ってやがる……)と上から目線でさげずんでいた。
ちなみに大将の増田左混は本当に何も考えていなかった。以前、彼が連勝したのは敵が弱すぎたのと多大な運のおかげであった。
もっとも、増田金吾の献策通りに戦っても結果は変わらなかったであろう。それくらい両者の実力は隔絶していた。
東の増田軍は増田家(八)諸将の導きで、ほうほうのていで撤退した。
みやこ周辺は彼らにとって逃げ慣れた道である。あがりはじめた満月が彼らの退路を照らした。
いっぽう、西の増田軍はみやこを陥落させた。
前回
http://anond.hatelabo.jp/20160615052605
次回
今東証一部の企業に勤めているけど、社内の50歳以上の人達と話していて驚くのは、日本や日本企業を未だに一流だと勘違いしていることだ。若い世代の平均給与が驚くほど低いことも知らなければ、「サムスンが好調なのは一時期だけ、そのうち日本企業が復活する」とか真面目な顔で言われて返答に困ったりする。
あの人たちは何であんなに現状認識力が低いんだろう。その下の世代になってくると、流石にもう日本や日本企業が一流なんていう意識はなくて、没落国は没落国らしく生きていこうという意識があると思うんだけど、企業の上層部にいる人達が未だに勘違いしまくっているせいで、さらに国や企業の劣化が進んでいるような気がする。
でもあと10年〜15年はあの世代が居座るわけで、その間に東京オリンピックやらリニアやら将来的に全く必要のないことを推し進めてどんどん日本を苦しめていくのだろう。どうにかならないもんだろうか。
サッカー日本代表の岡崎慎司が所属するプレミアリーグのレスターシティが優勝して話題になっている。
開幕前に優勝オッズが5000倍と言われていたくらい奇跡のおとぎ話で、この5000倍に賭けてた人は25人らしい。
実は私も5000倍ではないが、これに万越えのお金を賭けており、一気に隠居出来る金が貯まった。
実は昨季から賭けはしていたんだけど、ナイジェル・ピアソン率いるレスターが勝ちまくっていた時期があって、レスターが弱いチームなだけあって勝ちに賭けるとかなり倍率が良かった。
だから昨季終盤からレスターの勝ちにちょこちょこ賭け続けていた。
そこで今期もいけると思っていたところ、優勝オッズが5000倍。
ネタで万札賭けようか迷ってた。
そんな時、ピアソン監督の息子の不祥事でピアソンが解任され、代わりに壊し屋と言われるラニエリが監督に就任した。
(「壊し屋」とは、不調のチームをいじって毎回初めは上手く立て直すのに、軌道に乗ってきてもいじり続けて結局ダメにしてしまうラニエリのあだ名。)
だから賭けるのを一旦控えてた。
途中で賭けを降りて小金をもらうかも迷ったけど、最後まで粘って正解だった。
一生これだけで食ってはいけないけど、適当にネットビジネスでもしながら生きていけると思う。
みんな「ビッククラブは勝つ」とか思ってマンチェスターユナイテッドとかアーセナルに賭けたり、自分の論理で「絶対勝てる!」とか思って賭けて負けるけど、結構弱いチームに負けたりしてて、私の友達も大損したりしてるのね。
それよりも、弱い扱いされているけど、実はホームはめっぽう強いチーム(グラナダやローマ)、なぜかホームで勝てないチーム(マルセイユ)、毎回同じ結果に終わるジンクス(アーセナルはギリギリCL出場、ベスト16で散る。レアルはCLで準優勝しない。CLで2年連続優勝はない、など)なんかに賭けた方がいい。
ジンクスや傾向って言うのは、私たちが思う論理では納得出来なくても、なにかしら理由があってそうなっているから。
勿論負ける時もあるし自己責任。そもそも19歳以下はやってはいけないし、損する事もある。
でも、やっぱりスポーツが好きなら賭けるとそれだけ熱も入るし、なにより私みたいに儲かる人もいる。
日本ではパチンコは合法でカジノは違法。多分既得権益のために日本ではこうなっているだけで、海外ではブックメーカーは合法だし、イギリスに住んでいたときもサッカーファンはみんな試合前にブックメーカーチェーン(イギリスでは町を歩けば日本のタバコ屋みたいにどこでもある)で予想をし合って楽しんでた。
ちなみに私は日本語があるのでWilliam Hills(http://bit.ly/1jeHsTC)を使っているけど、bwin(レアルのユニフォーム広告やってるとこ。 http://bit.ly/1f5mE2F)
私はもう隠す必要がなくなったので、賭けの戦略を上に書きました。
直近だとレアル優勝、セビージャ>グラナダ、レノファ山口>ツエーゲン金沢なんかがおいしいと思う(私も賭けましたが、勿論自己責任で。)
入社して数年
月収は30万円くらいだが、今まで一度も自分が給料分の仕事をしている実感がない
というのも自分は会社ではあるサービスのバックエンドに携わっており、
さらにいえば、そのサービスはどの利益がどこ由来ものなのかも測定できないくらい複雑に色々なものが絡み合っている
サービスと言ってもなんてことはない
単純なサイトだが、一人でコツコツ改善してり、機能追加したりしている
今では1日に500人以上がそのWebサイトを訪れてくれている
1ヶ月前にアフィリエイトを導入した
今月は現時点ですでに4000円程の利益が出ている
思った以上に好調だ
月30万働いて得るよりも自分一人の力で0から作ったサービスが生み出す4000円の方が嬉しい
自分が会社でやっていることが30万円も生み出しているとは甚だ思えない
自分がいなくても会社の利益は1円も変わらないのではないかと時々思う
というかいないほうが経費が減ってむしろいいのではないだろうか
どうして30万稼ぐのはこんなにも簡単で、こんなにも難しいのか