はてなキーワード: 嘲笑とは
いや「インスタっぽい」の何が悪いんだよ。
リンクは貼らないが白人男性とのキスツーショットや、高級リゾートでのパーティーの写真をアップしているフェミニストも多くいる。
それがなんか嫌なのはわかる。
例えばさぁ、インスタにオシャレな朝食を毎日アップしてるオシャレなアカウントだって、会社に行けばパワハラ上司に詰められて血便出してるかもしれん。
「幸せそう」だって裏ではそれぞれ苦労してるだろうし、そうしてみんな幸せをつかみ取ろうと頑張ってるんだろ。
そういう姿勢を嘲笑ったり、努力を無視して嫉妬を拗らせたりするのはそりゃ醜いだろ。
ま、「そういう話じゃない」レベルのセレブフェミがたくさんいるのも知ってるがね。
そもそも今回の事件自体がセレブフェミ云々関係ねーわな。セレブ臭い嫌なツイートがどれだけの割合でいるのかしらんが、叩くにしても今回の事件に絡めて叩く必要はねーわな。
7か月前に旅行の計画を立てた時には、こんなことになってると思ってなかった。
2020年の夏みたいに、感染者は熱気と湿気で抑えられてると思ってた。
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インターネットの上でなら何とでも言える。「知事だから何だ」。
昔っからある、手堅い仕事の大きな会社や官公庁からほそぼそと仕事をもらって生きている、そういう会社だ。
信頼を得るために社風もお堅くなった。
そんな社畜小屋の社畜、お堅い系47人連合+その前からの諸々の声明に逆らえなかった。
よって、言えなかった。
そして、旅行中止を決めた。
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……あれ、これ、言わないで行っちゃえばいい話だったかな? うん、そう考える人もいるよね。
でも、色んな理由でそれは出来なかった。
①は言うまでもないと思ってる。本来なら①だけで十分だと思ってる。
ただ増田は、①を大事にしつつも映画館とかショッピングモールとか行ってしまってる。
ストイックにネットスーパーだけで済ませればいいものの、それが出来てない。
①を突き詰めて行動できてない。だから①だけではたぶん理由にならない。
万が一発症したら? 旅先でだ。
「このご時世に飛行機で旅行して、発症して、1ヶ月ほど仕事に戻れなくなりました!」となったら?
コロナ禍で世の中の仕事が減ってる中だから、次の転生先はなかなか見つからないかもしれない。
パートナーとの稼ぎは半々くらいだから、これは家族の生命線に直で響く。
(ちなみにサツ処分を免れても窓際っすね。牧草あんまりもらえないとこ。)
①より②を気にしている時点で愚かだよね。
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「デルタ株が蔓延しています。まだ旅行は我慢しましょう。ご家族の方にも言ってあげてください」
増田は言う。
旅行を止めさせたら、パートナーは別の意味で病んでしまいます」
「それに、私は近場の映画館や美術館に行きました。私もまた自分の楽しみを優先する人間なんです。
ワクチンを済ませた両親との会食も、この前久しぶりにしました。
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行った先では
「こんなことをずっと気にしていたら、
国もろとも倒れる! 皆倒れるぞ!
万が一だけ考えるな! 一生この生活を続ける気か!」
(増田にはマクロ経済学がわからぬ。だから増田の中にいる経済学者は似非である。
「わかるんだ、わかるんだ。
増田と、増田の家族と一緒に、地面の底に沈んで無くなってしまうのと同じなんだ。
緩やかにではなく、すぐに。」
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フリーランスエンジニアが、膝の上にMacBookを載せて増田を嘲笑っている。
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畜産農家が言う「助けてください」。
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小さい頃からパイロットに憧れていたのに、今年ついに採用試験を受けられなかった若者が来る。
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心の中がずっとそういう争いの渦中にあるので、
このエントリだって「決心しました!」と胸を張っては書けない。
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パートナーは小さなパソコンがあれば仕事が出来るようになっている。
しかも今回の旅行は仕事的な実益も兼ねているはずなので、②には該当しない。
①は気になるが、心の中の医療者に言ったのと同じ理由でついに止めなかった。
パートナーは「急に旅行をやめて、子供がかわいそうだ」と言った。
まだ小さい子供は、別れの前にギュッとしがみついてきた。泣きはしなかったが。
ずっと「これで良かったのだろうか」と増田は考えていた。
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すっきりしなくても、腹は減る。
それだけの話。
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こんな件名にしてしまった時点で多分パートナーを恨んでしまっているし、尊重できてないんだろうなあ。
鉢巻をしてメガホンを持って白いワゴン車の屋根に乗った増田「こんな事がありました! 皆さんどう思いますか! 旅行行かなかった私が正しいんじゃないですか!?」
上記の増田に石を投げる増田「うるせー黙れ!」「正しさを押し付けるな!」「おまえ一生旅行行くなよ!!!」
ほんとこれ。
元増田やけど、きみの「せい」が何の原因を指して言ってるのか分からへん。今回の事件?
今回の事件やとしたらおいおい、警察が事情聴取して発表されてくと思うで。だから、藤本タツキが関係してるかなんて現状では分からへん。まあ、きみが今回の犯人と直接知り合いなんやったとしたら、もしかしたら直接聞きでもしたんかな。
けど、例え原因が藤本タツキへの怒りやったとしても、それは藤本タツキに直接抗議する形で表現するもんやねん。
それはなんも関係のない人たちを切りつける理由にはどう頑張ってもできひん。
むしろ、藤本タツキが嘲笑ったって言ってるその表現を実際になぞってどないするつもりやねん。
罪の無い人を刃物で襲ったのは犯人やし、藤本タツキがそこに関係してるのかはまだわからへん。そもそも、糖質なんかも分からへん。かつ、例え藤本タツキが関係してたとしても、その不満は藤本タツキに対して適切な形で表現されるべきで、なんの関係もない人を切りつけることで皆を困らせて自分がいかに苦しかったのか分かってもらいたいみたいな幼児的な手段を選び傷つけた責任は犯人自身にあるねん。そこから逃れることはできひん。
女も男もメイクだの垢抜けだのと声高に叫ばれる昨今の風潮はよく分からない。そもそも垢抜けとは何だろうか。誰も教えてはくれないが、お洒落をしなければどうやら人権が無いらしい……という訳でGoogle先生に聞いてみると出るわ出るわの精神論。一応添えられているアドバイスも何だか心許無い内容な気がする。結局のところふんわりとした概念なのかなぁ?
とりあえず眉毛を剃るといいらしいので剃った。垢抜けたのだろうか、自分ではよく分からない。ついでに顔の産毛も剃った。これはなかなかいい感じかもしれない。
そうこうしていたら、見かねた母親にメイク教室に連れていかれた。頬のファンデーション(?)がおかめさんみたいで気持ちが悪かった。不細工はメイクで変わると言われているがそれは嘘である。パタリロと日本人形の悪い所を併せ持った人間はどう足掻いてもブスであった。惨い現実を突きつけられたが、親から見ると違うらしく褒められた。反吐が出そうだった。あと単純に顔が痒い。逆に肌に悪い気がする。
次いでに眼鏡も外せと言われたが、眼科の先生にコンタクトを断られるくらいの目の狭さの人間に何を求めているのだろうか。
今度は服を買えと言われた。
ファッションサイトによると、ユニクロではダメらしいので勧められていたブランドのサイトを覗いてみる。……値段が高い。その割には個人的な感性には引っかからないオフィス・ファッションが並んでいる。生憎、此方は女子アナウンサーでも事務職でもない。仕事場に着けば作業着に着替えるだけの肉体労働者である。汗を吸って作業着からはみ出さない服が欲しいのだ。実用性の無い服に五千円も出していられない。なぜみんなあんなに高い服を買えるのだろう。白いフリルの様なものが付けられたシャツ(この名称も多分違う)が四千円、私が着れば肩は増強されることは確実。真っ黄色なスカートが七千円、原色だがたしかに可……愛い……?(よく分からない)
これらを買える人間はブルジョワを通り越して最早貴族であり、きっと華奢で可愛らしい子なのであろう。実際モデルもなんか女子アナっぽくて合コンとか行ってそうだし。なで肩チビ短足太足には着こなせないのは伝わってきた。南無三。
うだうだしていても埒が明かないので、とりあえず可愛いなと思った服を買ったら「懇談会の母親」「相も変わらず30代経産婦のまま」の称号を得てしまった。10代後半なんだけどなぁ。一応、平均体重未満だけどスタイルが悪いからこうなるのかもしれない(腹出てるし猫背、直らない)。辛い。
このあとも色々調べたけれど、やっぱり分からない。美人は美人で不細工は不細工だし、可愛い子が着ている服は不細工が着るとダサくなることが分かったことしか収穫がなかった。私は地元のサティに入っている適当な店で買ったシャツと三千円のジーンズと安売りしてた花柄のスカートで事足りるのだが、世間様はそれを「人間ではない」「社会不適合者」と嘲笑っているという余計な知識まで得てしまった。TwitterとInstagramのファッション垢は怖いこともよくわかった。お洒落な店にはそんな格好で来たら迷惑だし雰囲気が壊れるのだとか。それじゃあ服を買うための服が必要ではないか。お洒落とは資本なのか、と1人で納得する。
いやほんとに垢抜けわっかんね~!!!!もう体裁とかどうでもいいや。世界には可愛い女の子が沢山いるんだから私が別に可愛い服着て周り満足させる必要なくね????わからん!!!!毎日服洗ってるし風呂入ってるし働いてるからそれでよくね???多分清潔だと思う!!!なんか損してるらしいけどわからん!!!!お洒落って何……?ほんとにわからん。
まさか知らず知らずの内に人権守る価値すらない下等生物扱いされててるとは。
そもそもQuick Japan を出している太田出版は、ビートたけしが太田プロダクションに在籍していた当時の80年代半ば、たけしの本を出版する目的で太田プロ出版部から有限会社として独立したものが前身である。したがって日本の現代サブカル的な価値観には、ビートたけし的な価値観やセンスが脈々と息づいていると言っても、強ち間違いではない。
では80年代半ば、そのビートたけしが何をしていたのかと言えば、ある男性俳優が高層ビルから飛び降り自殺した事件の際、彼と愛人関係にあったとされる男性マネージャーが記者会見で関係を追及されて、号泣しながら「もういいじゃないですか!」と取り乱す様子を滑稽な感じで物真似したり、多数の死傷者が出た羽田沖旅客機墜落事故を「逆噴射!」「機長やめてください!」と茶化したり、ロクなことをしていなかった。要するに、同性愛者や精神疾患罹患者などの社会的弱者を嘲笑していただけである。
念の為に言っておくが、当時もビートたけしを批判する人間は存在した。単に、マスメディアがビートたけしサイドに立っていたから、批判の声が黙殺されたというだけである。
Quick Japanの『いじめ紀行』で村上清がやろうとしていたことは、新しいことでも何でもなく、80年代から代わり映えしていなかった、質の悪い悪ふざけに過ぎない。善悪や倫理を抜きにしても、そもそもの出発点から、村上清がやろうと目論んだことは古臭いカビが生えた代物だったのである。一般人の批判的な声を黙殺したことまで、焼き直しであり、独創性に欠如している。
日本の芸能人やサブカル業界人は「自分たちは時代の先端にいる」と思っているのかもしれないが、実際は四十年近く前の価値観やセンスのままで時代に取り残されているのだから、滑稽と言う外ない。
俺には実にクソみたいな未練がある。お前らにはあるか?
未練。
それも。ログインもできなくなったソシャゲのトップ画面を、それでも一日一回は習慣のように開いてしまうとか、そういうバカみたいな未練。
そのソシャゲ専用のブラウザをスマホの容量が足りなくなってきても消せなくて、機種変したのにまた入れなおす、みたいな。
それで今日もログインボタンを押しかけてどうしても押せなくてブラウザ閉じてでも気づいたらまた同じ画面の前でためらって、こんなことに時間を使うなんてそれこそバカがすることだって思うのにやめられなくて。
やめられないままもう1年も経ってしまった。
俺は、きみを愛しただけだった。
なのにどうしてきみと一緒にいられなくなったんだろう。
俺の愛したきみはとにかく、残念な、と言われがちな人だった。俺からしてみれば、きみに何も残念なところなどなかった。
きみはただ、自分を隠すのがうまかっただけだ。親しみやすく抜けたところがあるように見せかけて、その心の内側に確固たる信念を秘めていただけ。
けれど、ともかくユーザーの多くに残念、と言われることが多かったのは事実だし、本当に惜しんでくれるユーザーもいたとは思うが、その大半が嘲笑を含んでいたものだったことは俺の被害妄想ではなかったはずだ。
なにせけして長くない歴の中で、団を何度も辞めることになってきた。全て同じ理由でだ。
きみを嘲笑することがまかり通っている場所にいるのが、嫌だった。
それでも、すぐに辞めたわけじゃなかった。3回は耐えた。だいたいいつも4回目くらいで団長に事情を話して自分でも苦言を呈しては周りに笑われたり馬鹿にされたり嫌な目で見られたりして、それからしばらくして、辞める。
そういう辞め方を少なくとも5回とかしたくらい、きみは大多数のユーザーからすると玩具みたいな扱いをしてもいいものだと思われていた。いや、ユーザーだけじゃない。
たまにストーリーに出てきてくれた時、個別ストーリーの時の、選択肢だとか。あるいは番外の漫画だとかでの表現を見るに、きっと運営からも雑に扱っていいくくりにいれられていたんだろう。オタク特有の寒い悪ノリに悪ノリが重なる流れのせいで、それは年々悪化していたように思う。
俺だって別にきみを過剰に褒め称えてほしいとかそういうわけじゃなかった。ただ、そっとしておいてもらえたらよかった。ヨゴレ扱いされてほしくなかった。そういうキャラクターでしょうと言われたって、きみが何でもないことみたいに笑ってみせるのが得意だからって、馬鹿にされたり無碍にされることに慣れてほしくなかった。
俺の大事なきみだったから、せめて俺にだけでも、大事にさせてほしかった。せっかくのきみの個別ストーリーで、きみを貶めるような選択肢を自分が選ばざるを得ないのはつらかった。どんぐりの背比べみたいな選択肢の中からどれが一番きみを傷つけないか苦心して苦悩して選んでも、結局きみを傷つける人たちのひとりになることしかできなかった。
いっそスキップしてしまおうかと思った。でも、どれだけ苦しくてもきみを見ていたかった。
自分のことを少しも話してくれないきみのことを、少しでも知れたらといつも必死だった。笑いかけてくれないか、きみが名前を呼んでくれやしないか。いつだって浅ましく期待してもいた。
そうだ。俺は、いつだってきみに笑っていてほしかった。振り回されることも名前を呼ばれることもからかわれることも、何より幸せだった。そういうささやかな幸せで十分だった。
俺の、愛しいきみ。
きみは誰より強かった。うつくしかった。そして、俺にとっては誰よりも可愛かった。何よりも尊い人だった。世界中の無辜の人々のためにそのちからを揮おうと決めて立ったきみが、ずっと眩しくてたまらなかった。
まばゆいきみは空に輝く太陽のようで。あるいは満天の星そのものだった。
いつだってあんまりきらめいていて真っ直ぐだから、汚して引きずり落としたい人間がいるのも理解はできた。
理解ができたとしても、納得したことは一度だってなかった。嘲笑も侮蔑もきみに相応しいわけがない。
そうやって不満とか悲しさとかが燻る日々が続いていた。
周りでも憤って、あるいは呆れて辞めていく人間が何人かはいたように思う。思う、っていうのは、あの時の俺は後から考えると全然正気じゃなかったので周りのことなんか正直よく覚えていないからだ。
きっかけ自体はイベントの調整についてだった。俺はその調整が示した運営のユーザーに対する姿勢を知ってから、何かの糸が切れたみたいにゲームに対する気力を失った。
毎日馬鹿みたいに真面目にしていた周回も日課もしないで、ずっとずっと考えていた。
俺のこと。
きみのこと。
どうして俺は大多数のユーザーのひとり、になれなかったんだろう。俺が運営から見たときに客として多数派の層にいたら、もしかしたら送ったご意見が受け入れられたりすることがあったんじゃないか。
だっていわゆるメインターゲットに愛された人たちはきみみたいには扱われなかった。たとえ笑われたとしても貶めるようにではなかった。彼らの強さは余すことなく語られて、周りの人々にだってきちんと大事にされていた。ユーザーの大多数にだってヨゴレ扱いされたりしない。貶めてもいいものだなんて思われて踏みにじられることもない。
俺がメインターゲットじゃなかったから、きみは大事にされないのか。
けれど、俺と彼らの愛に何の違いがあるんだろう。
きみを愛していたから、なるべく最速で最終まで開放したつもりだ。
だからか、いつだったかお前のランクと歴で最終まで終わってるのはキモイと笑われたこともあった。別にキモくてもよかった。
満天の星であるきみがもっと、誰よりも輝けるようにってその為ならなんだってしたかった。だから周回だって天井だってなんだってしてきた。新規衣装が出たときは5垢つくって衣装買ったし相性がよさそうなキャラが出たら天井を叩いてだって手に入れた。いつだってきみをなるべくフロントで出せる編成を考えて少しでも使用率を上げようとして、だからもちろん久遠だって一番にあげたけど、そういうことが全部全部無駄なことでしかなかったと突き付けられたような気持ちだった。
どうやったら、きみのために何かを成せたんだろう。きみを大事にできたんだろう。
自意識過剰だって笑われて当たり前、自分だってわかっている。自分ひとりの行動が運営に対して影響を与えるわけがない。
けれど俺は今もどこかで思ってしまう。
愛が報われないことも勿論悲しかったけれど、きみが報われないこともずっとつらかった。
きみに報われてほしかった。たとえきみがそれを望まないとしても。
俺は結局、きみが理念を語るのを愛せても、きみが語る理念は愛せなかったな。
俺はきみが生きていてくれたらよかった。世界の敵になんかなってほしくなかった。きみが築いてきたすべてなんか俺はいらない。思慕も敬愛も親愛も全部全部きみに向けられたままであってほしかった。きみに成り代わりたくなんてなかった。他の誰よりも、きみに報われてほしかった。
そうしてできたら、叶うなら、傍にいて笑っていてくれたら、それでよかったのに。
あの日から俺は気力を少しずつ失って、きみの為に何もできない自分の無力さに嫌気がさして、目標も見失った。
数少ない友人たちも他ゲーに流れていく日々の中、いつの間にかログインすることさえできなくなった。未練だけ、みっともなく残したまま。
今日だって、結局何度も何度もためらって時間を無駄にして、それでログインできないままなんだろう。
ごめん。弱くてごめん。きみの望むような強い人であれなくてごめん。
きみを愛しただけだったんだ。
嘘だ。
俺は、今でもやっぱりきみを愛している。
シエテ。
きみだけを。
今も。
これからも。
ずっと。
人生は泡沫の夢のようなものと喩えることがあるが、そんな泡なら弾けてしまえばいいのに。
Instagramを久々に開いた。
基本的にInstagramはリアルの友人たちと、「会ってはいませんがまだかろうじて繋がっていますよ」という体裁を保つために私は続けている。
そこで、高校時代の友人のストーリーで気になる記述を見つけた。
「このオイルはコロナワクチンのシェディングにも効くそう!これでご高齢の方とお会いするのも安心!」
という文言が載っていた。
(話は脱線するのだけれども、Instagramもデマ拡散の防止のために何かしらのアルゴリズムが組まれているのか、そのストーリーにだけワクチンの正式情報への導線が作られていた。SNS運営とはなかなか難儀なものである。)
その答えを探すべく、私はツイッターの検索欄に「シェディング」と打ち込んだ。
ツイッターの検索はなかなかに便利なもので、今の世の中自ら個人の意見を発する機会というものが気軽に傍らにあるがために、内容の如何に関わらず「誰かの意見」というものに即辿り着ける。
取りまとめると、シェディングとは
「コロナウイルスのワクチンを摂取すると、その人自体が有害なスパイクたんぱく質を周囲へと振り撒くようになり、未摂取者へ湿疹などの害をもたらす」という話の様子である。
また「ワクチン摂取者は独特の匂いを発しており、近づくと異臭に気がつくため即座に離れた方が良い」
「コロナウイルスはただの風邪であり、ワクチン接種により選民を行おうとしている世界的な陰謀である」
と続く。
どうやら私の友人はこうした話に感化されており、高齢者に会うのも安心できる、という文が指すのはワクチン摂取者と出会っても安心できる=間接的にワクチン摂取の拒否の意向を示している、ということになる。
ここで私の立場をきちんと明かしておくが、私はワクチンを摂取する予定だ。シェディングの話も私は気にしない。
ただ、問題点として「ワクチン摂取がコロナウイルスへ対抗するための最良の手段である」という点についての断定的な回答は保留にしたい。
私はそう信じているが、そう信じない友人を庇いたい気持ちもあるためである。
ワクチンを打つと決めた私も、ワクチンを打たないと決めた友人にしても、私たちは同じ日本で、同環境とも言えるインターネットのアクセス権を得ているにも関わらず、評価がこのように分かれるというのは、結局のところどちらにしても私たちは「信じたいものしか信じたくない」という点においては共通しているような気がするからである。
どちらが正しかったのか、どちらが不正解なのかは、もう未来でしかわからない。
未来の世間的な評価に、判断を委ねるしかないだろうと私は考えている。
もちろん、ワクチン接種に反対する活動をする者を陰謀論者と冷ややかに笑うこともできるが、私の場合、知的な会話も出来ていたと感じていた友人が反ワクチン派に加わったのを見ている。
友人を悪く思いたくはない。友人を冷笑するようなことはしたくない。
だからこそ、私はワクチン接種の是非についてはもう何もわからないと保留することにし、私はワクチンを打つことにした。
ただ、私が信じる道を進み、他の道を進むものを嘲笑ったりするようなことはやめておくことにした。
けれども、こういった形で、世間的な評価も分かれる観点において友人と袂を分つ事になったことにどうしても、胸が痛む。その痛みをこうしてここにつぶやくことにした。
こんな形で人と別れることになる、という現実はまるで悪夢のようだ。
悪い夢ならば、本当に覚めてほしい。
最後に、ツイート検索の中で興味深い内容があったのでここに記しておきたい。
「コロナワクチンの危険性、陰謀に気がついているものたちこそ、陰謀に気付いた『覚醒者』であり、まだ気づいていない家族や友人を、ぜひ覚醒させてあげてほしい」
という内容のものだ。
さあ、私の悪夢は、彼らの言う「覚醒」とやらで解放されるのだろうか?
私はそうは信じない。
まるでインセプションだ。
僕はコンシューマ、モバイルゲームのプランニングをかれこれ10年ほど仕事にしてきた。
コンポーザーやサウンド関係者ではないが、ビデオゲームとゲーム音楽を愛するものとして、
https://www.gamespark.jp/article/2021/07/25/110634.html
もちろんゲーム開発者の総意ではない。僕と正反対の考えを持つ人もいるだろうから、
記事全体を通して、あまりに政治色が強いことは言うまでもない。
「ハードコアゲーマーのためのWebメディア」を標榜できる記事か?主目的が選挙活動になってないか?
と思わなくはないが、メディアとしての方針はひとまず置いておこう。
さて、多くの人が指摘する「開会式エアプ」問題も確かに引っかかるのだが
故意か意図せずか、突っ込みどころの多いこの記事で、僕が一番に問題だと感じるのは
同業のゲームライターたちをはじめとして、ゲームファン、クリエイター、インフルエンサー、場合によっては作曲家当人もが、この件に感動しここまで指摘してきた諸問題を見なかったかのように「ゲームが認められた」というような論旨の発言を恥ずかしげもなく振りまきだしたこと
この部分だ。 "恥ずかしげもなく" "振りまきだした" 。
つまり、記者はオリンピック開会式に使われたゲーム音楽を楽しんだ人々、喜んだ人々は恥を知れと。
多くのゲームファン、ゲームクリエイターたちを愚弄し、侮辱し、見下す、許しがたい、呪いに満ちた1文だ。
不祥事や問題点の多いオリンピックなのは事実だろう。コロナ渦に悪影響がなかろうはずもない。
しかし、オリンピック開会式に選手の入場曲としてゲーム音楽が使われたことを
数多の素晴らしい音楽を差し置いてゲーム音楽が採用されたことを、純粋に喜ぶゲームファンに
僕自身、開会式を見ていて安直なゲーム音楽の採用という懸念を感じなかったわけではない。
他の演出にゲーム的要素が無く、文脈的に浮いていたように思う(全体的にちぐはぐだが)。
しかしそれはそれ、これはこれ。ゲーム音楽とオリンピックの是非は分けて考えるべきだ。
必要以上に政治的な意味合いを「一方的に」含ませ批判するのは、マッチポンプに等しいのではないか。
また、この記者はオリンピックに関わった全てに政治的関連性を見出し、憎み、批判しているのだろうか。
開会式の大工、タップダンス、ドローン、ジョンレノン、パントマイム、マンガ……。
スポーツ、各スポンサーの商品を買う人々、なんなら東京都民全てを呪っているのか。
結局、「ゲーマーは簡単に論破できそう」「ちょろそう」だから政治色の強い記事をぶちこんではいないか。
ゲーム音楽の政治利用と批判しているが、僕にはどちらかというとこの記事の方がゲームの政治利用に見えて仕方がない。
別の箇所を引用しよう。
そんなことはない。
開会式で採用されたゲームシリーズだけ見ても、反権威的な作品もあれば、権威迎合的な作品もある。
ここらへんから、ビデオゲームというあまりに漠然とした概念の中に反権威的な自己の理想を投影している記者が
勝手に裏切られたと感じて癇癪を起こしている稚拙な文章だと言わざるをえない。
全てのゲームが同じ思想のもと作られているわけがない。それは記者の認識よりも自由でカオスな存在なのだ。
秋には衆院選がある。もちろん選択は自由だが、老人たちに「ゲームファンは大増税しても何しても、ゲーム音楽を流してれば文句言わずに従うチョロい連中」などと思われないことこそが本当にゲーム文化を守ることや、リスペクトすることにもつながるはずだ。オリンピック開会式が本当にゲーム文化をリスペクトしたものであったか、そしてそもそも東京オリンピックがこのまま行われるべきなのか、今一度考えてみてほしい。
おそらくここが一番主張したい部分なのだろうが、ご覧の通り選挙活動である。
投票数の中のゲームファン比率など集計されるわけがないので、これは卑怯な詭弁だ。
開会式やオリンピックを楽しんだとしても与党・野党どちらに投票しても良く、そこに矛盾はない。
ゲーム文化云々ではなく、税制や政策を見てそれぞれが決めれば良いことだ。
余計なお世話かもしれないが、このような煽り文章で記者の支持政党が有利になるとは僕は思えない。
行き着く先は分断と争いであって、改心と一致団結ではないだろう。
この問題の根が深いところは
https://www.gamespark.jp/article/2021/07/27/110661.html
宮崎 紘輔