人生は泡沫の夢のようなものと喩えることがあるが、そんな泡なら弾けてしまえばいいのに。
Instagramを久々に開いた。
基本的にInstagramはリアルの友人たちと、「会ってはいませんがまだかろうじて繋がっていますよ」という体裁を保つために私は続けている。
そこで、高校時代の友人のストーリーで気になる記述を見つけた。
「このオイルはコロナワクチンのシェディングにも効くそう!これでご高齢の方とお会いするのも安心!」
という文言が載っていた。
(話は脱線するのだけれども、Instagramもデマ拡散の防止のために何かしらのアルゴリズムが組まれているのか、そのストーリーにだけワクチンの正式情報への導線が作られていた。SNS運営とはなかなか難儀なものである。)
その答えを探すべく、私はツイッターの検索欄に「シェディング」と打ち込んだ。
ツイッターの検索はなかなかに便利なもので、今の世の中自ら個人の意見を発する機会というものが気軽に傍らにあるがために、内容の如何に関わらず「誰かの意見」というものに即辿り着ける。
取りまとめると、シェディングとは
「コロナウイルスのワクチンを摂取すると、その人自体が有害なスパイクたんぱく質を周囲へと振り撒くようになり、未摂取者へ湿疹などの害をもたらす」という話の様子である。
また「ワクチン摂取者は独特の匂いを発しており、近づくと異臭に気がつくため即座に離れた方が良い」
「コロナウイルスはただの風邪であり、ワクチン接種により選民を行おうとしている世界的な陰謀である」
と続く。
どうやら私の友人はこうした話に感化されており、高齢者に会うのも安心できる、という文が指すのはワクチン摂取者と出会っても安心できる=間接的にワクチン摂取の拒否の意向を示している、ということになる。
ここで私の立場をきちんと明かしておくが、私はワクチンを摂取する予定だ。シェディングの話も私は気にしない。
ただ、問題点として「ワクチン摂取がコロナウイルスへ対抗するための最良の手段である」という点についての断定的な回答は保留にしたい。
私はそう信じているが、そう信じない友人を庇いたい気持ちもあるためである。
ワクチンを打つと決めた私も、ワクチンを打たないと決めた友人にしても、私たちは同じ日本で、同環境とも言えるインターネットのアクセス権を得ているにも関わらず、評価がこのように分かれるというのは、結局のところどちらにしても私たちは「信じたいものしか信じたくない」という点においては共通しているような気がするからである。
どちらが正しかったのか、どちらが不正解なのかは、もう未来でしかわからない。
未来の世間的な評価に、判断を委ねるしかないだろうと私は考えている。
もちろん、ワクチン接種に反対する活動をする者を陰謀論者と冷ややかに笑うこともできるが、私の場合、知的な会話も出来ていたと感じていた友人が反ワクチン派に加わったのを見ている。
友人を悪く思いたくはない。友人を冷笑するようなことはしたくない。
だからこそ、私はワクチン接種の是非についてはもう何もわからないと保留することにし、私はワクチンを打つことにした。
ただ、私が信じる道を進み、他の道を進むものを嘲笑ったりするようなことはやめておくことにした。
けれども、こういった形で、世間的な評価も分かれる観点において友人と袂を分つ事になったことにどうしても、胸が痛む。その痛みをこうしてここにつぶやくことにした。
こんな形で人と別れることになる、という現実はまるで悪夢のようだ。
悪い夢ならば、本当に覚めてほしい。
最後に、ツイート検索の中で興味深い内容があったのでここに記しておきたい。
「コロナワクチンの危険性、陰謀に気がついているものたちこそ、陰謀に気付いた『覚醒者』であり、まだ気づいていない家族や友人を、ぜひ覚醒させてあげてほしい」
という内容のものだ。
さあ、私の悪夢は、彼らの言う「覚醒」とやらで解放されるのだろうか?
私はそうは信じない。
まるでインセプションだ。