はてなキーワード: 出血とは
シェアオフィスを借りて働く女性もオフィスレディカウントでいいすか?
さて昨日初めてセックスした
当方どうも遊んでるように見られるらしくこういうの大丈夫でしょ?みたいな当たり前のノリで
だからやり目に出くわさないように金かけて婚活してみたんだが結局こうなった虚無感で拒否る元気がなくなり流されてしまった
まんじりともせず朝を迎え、相手が寝てるうちにホテル出て家帰って風呂入って何食わぬ顔で仕事へ
オフィス借りてよかったとこんなに思ったの初めて
切り替えられていいわ
昔からヤレると思われがち
見た目や立ち居振る舞いをいろいろ試してはみてきたのだが、男性と2人きりになったりするとなんかいきなりセックスの流れになってしまう
だからセックス自体は初だったけど誘われる手口はよく知ってて昨夜も慣れた感じで引き受けてしまった
男性が全員性欲おばけだと思うと気が楽になるんだが実際はヤレる女とそうでない女を選んでいておれっちが常に前者であるというだけなんだよね
今はただただ死にたいです
もう家族とか夢見るのやめて仕事で成すぞ〜!!と切り替えられたらいいんだけど親兄弟もなく天涯孤独で仕事頑張るの結構キツイす
タイトルの通り、健康というのとは違うがピル飲み始めてから血液検査の結果が良くなった。
あくまでもここの文章の記載内容は個人の体験であり、間違いもあるかもしれないし個人差もある。
就職を機にメインは避妊目的で、その他生理の安定性とかPMSもそれなりにあったのでそれも抑えられるといいよねということで飲み始めた。
ファボワールといういわゆる一相性で成分入ってる錠剤は全部配合成分が同じやつだ。ホルモン量が一定なのでホルモンの増減で起こるらしいPMSがあるんならこっちの方が絶対いいよ〜と言われて選択に至った。
飲み始めてからまず生理がほぼ確定で予測できるようになった。それまでは比較的安定しているとはいえやはり数日のブレがあって、うっかりフライングされて血塗れになったり、なかなか来なくてナプキンが空振りしてイライラしていたが、それがない。
薬ここまで飲んだから来るなって思うとちゃんと来てくれる。空振りも基本ない。
そして生理が軽くなったのだ。正直学生時代はテンション下げまくりで、学校来てすぐに湯たんぽ抱えてダウンし、授業のとき以外は基本的にソファーで寝てるか湯たんぽと膝掛けで完全防御で作業していた。それがピル飲み始めてから生理きても鎮痛剤飲み忘れるくらいになったし、出血量が少なくなった。高い多い日昼用のナプキンは引退し、今では夜用と普通の日の昼用だけで事足りてる。
ここまででも十分な成果であるのに、ここからが本題、冒頭の血液検査だ。これはあくまでも個人の感想だし、就職してから一人暮らしになったため食生活も変わったため必ずしもピルのせいではないかもしれない。でも、食生活に関してはぶっちゃけ下方修正なので、ピルの効果の方が濃厚な気がする。
というのも、私は献血が結構好きだ。20代前半だが、これ書いている時点で既に14回行ったらしいと献血カードに記載がある。献血は血液検査の結果が良くないとできない。基本的に400mlの方が厳しく、成分献血の方がゆるい。なので、私はいつも取れるなら400mlでお願いしますって言って打率5割くらいで成分に行っていた。
この際だいたい引っかかるのがヘモグロビン濃度だ。詳しくは知らないが、400mlだと12.5くらい必要なところ、私は12.0をギリギリ保ちながらフラフラする程度だった。
しかし、ピル飲み始めてからは13.0を割らなくなった。献血の血液検査2回、会社の健康診断1回の3回くらい検査受けてるが、全部13.0を超えてた。初めて見たよそんな値自分の血で。
おかげで既に全量献血の年間上限を突破して次できるのが成分以外は来年の夏らしい。もっと取ってくれ。
ここまで読んで気づいただろうが、ピルは飲んでいても献血できる。よく薬飲んでると献血できないというが、全ての薬がそういうわけじゃない。ピルは大丈夫な薬だ。詳しくは近くの献血ルームに行って欲しい。
ここまで散々ピル飲んでよかった話をしまくったが、当たり前だがメリットだけではない。
服薬時間はiPhoneのアラーム毎日鳴らすようにして頑張っている。この時間は自分で決めていいので、朝にしても夜にしても構わない。吐き気を催すことがあるから夜の方がいいとよく見るが、私は朝7時に飲んでる。当然休みだろうと関係ないので、休みの日にも7時になれば布団を這い出て薬を飲む。正直もう少し寝たいこともある。忘れると1回くらいならまだしも複数回だとまずいので、これは大変だ。
血栓症と発がん率については散々医者に脅されている。血栓症予防のためにアホほど水分飲んでいてペットボトル買うと破産するので、水筒2本持ちだ。
がん検診も以前から子宮頸がんは受けていたが、それに加えて乳がん検診もこないだ初めて受けてきた。ありがたいことに私の加入してる健康保険は女性が子宮がんと乳がん検診が無料だった。だけど、がん検診の予約を取るのに一苦労。平日しかやってなかったり、土曜やってても予約が空いていなかったり。やっと取れてこないだ行ってきたけど、乳がん検診エコーでやるやつ死ぬほどくすぐったくて辛かった。脇の下集中砲火してくるの勘弁してくれ。
その他の副作用に関しては私は特になかったが、合わなくて副作用に当たる人はそれなりにいるように見受けられる。こればかりは運である。
そんなこんなでピルのおかげで非常に快適な生活を送れているので私は感謝している。月に何千円かする薬代も、いろいろ大変な自己管理も、これだけのメリットがあるなら十分だ。もちろんもっと安いと嬉しいが、それはまた別の話だ。
交番に包丁を持っていったら警察官が銃殺してくれる制度=安楽死があるじゃん
刃物持った男に発砲 腹部に命中、搬送先で死亡 さいたま市 https://www.sankei.com/affairs/news/190528/afr1905280048-n1.html
28日午後2時15分ごろ、さいたま市見沼区の路上で、警察官が包丁を持って向かってきた男に発砲し、腹部に命中した。埼玉県警は公務執行妨害の疑いで男を現行犯逮捕した。男は救急搬送されたが、搬送先の病院で死亡が確認された。
県警大宮東署によると、男は近くに住む職業不詳、鎌田幸作容疑者(68)。
午後2時5分ごろ、「男性が倒れている」との通報を受け、同署地域課の警察官2人が駆けつけたところ、左腕付近から出血した鎌田容疑者を発見。包丁を手にして向かってきたため、2回警告後、2人で1発ずつ発砲し、うち1発が命中した。
同署は「被疑者が亡くなったのは残念。現時点で拳銃使用については適正な職務執行であったと考えている」とコメントしている。
ブコメに任意なんだから強制じゃないでしょ、問題ないでしょって言う人もいるけど
ずっとつけてない人がいたとして、でもその人がつけたくなくてそうしてるのかどうか誰にもわからないし
もう閉経してるのかなとか生理ないのかなみたいな視点が「つけてないこと」で生まれてしまって
必ずしも「私はつけたくないからつけていないのです」とならないところに結構問題があると思う
周りの空気とかみんながやってるから、みたいな部分をめちゃくちゃ大事にするというか
周囲と同じことをやってないことに恐怖を覚える人の多い今の日本の現状ではすごくつらい思いをする人がまあいると思うんだよね…
生理のある人で本当はつけたくないけどガマンしてつけてる人とかも出てくるだろうし
そういう人にとってみればあの人はいっつもつけてない、みたいに思う人もいるかもしれない
私はつけるよ!恥ずかしくない!って人にとってみたところで、もしこの試みが長期化したとしてだけれど(でも数週間もあればかなり長い)
ずっとつけない人に対しては何かしらの理由があるだろう、ということそれ自体が「わかって」しまうのが結構乱暴に思えるんだよね…
若い女性にみんな順調に生理が来るわけじゃないし、その理由もホルモンの状態とか病気でとか摂食障害があるとか原因全くわからないとか様々だし
閉経してしまった人は人でその事実をいつも「つけてないこと」で提示してるわけで、これは結構神経にきそう
「場」の中で閉経したことを知られないために生理がきてるんだよ~って示すために嘘をついてつけることもつらそう
妄想しすぎwって言われるかもだけど十分に考えられることだと思う
もしもその人が普段は女性を降りられてラクだわ~、というように思っているとしても、それは他人に対して明示してない状態だったからで
その事実が周囲の女性や閉経のことをよく知らない男性に改めて可視化されることって結構キツいのじゃないかと思う
どう思われてるのかとか考えてしまったり、改めて自分の身体や社会での立場みたいなものを考えてぐらぐらしてしまいそう
それを改めていつも認識し続けることってすごくつらそうに思う すごく若くて閉経する人もいるし 病気で月経に関わる器官を失ってしまった人も黙っているけどいるかもしれない
更年期障害の人も(これも若くてもなる)自分のプライバシーたる生殖能力の状況を外側に向かって公開したりしなかったりすることには
(あとそれを意識している空間の中に自分がいる、と思う事なども)
どちらにしても外側からの意味や感情や評価のようなものがどうしても付加されると思う
まず生理がある/ないだけじゃなくて「ある人」の中でも一人一人あまりにも月経って千差万別で、
重かったり軽かったり痛かったり痛くなかったり出血量ひどすぎて救急車で運ばれたりするレベルの人とかまでいたりして、誰もが同じ「生理」を持ってるわけじゃない
そういう当たり前のことが男性はもちろん女性自身にも広く知られていないのにも関わらず、決まった生理の形がある、と思われていて
こうあるべきとかこうでなきゃならない、もっとオープンにすべきとかそんなこと言うなんてけしからん、みたいなものは方向が真逆だとしてもそれぞれに根深く
一元化して扱うことのできないものだからこそ今はまだ時期尚早なんじゃないかな…という気がしている
「生理ちゃん」のあの回、私も読んですごくいいな!こうなりたい!って思ったけど、私は今よりもうちょっと先の未来の話として読んだ
あそこにいくまでにもっと社会でやらなきゃいけないことがあって、それを侃々諤々しながらやってようやくそこへたどり着いた先の社会の姿だと思ったから、
反応がその物語を受け取ったときと今この現実の出来事を受け取ったときとで違うことはべつにふしぎではないと思う
ああいう理想にたどり着くために「生理ちゃん」のあの回は必要だし、あの社会と今の社会とどこが違ってどうすればあそこに近づけるか、
って考えたときに浮かぶ問題を議論して考えて解決していくのがすっごい大事だと思ってるから、あれを今いきなりやってもきっとうまくいかないと思った
女性の側が生理を穢れとして隠してるのだ!みたいなこともよく聞くけれど
初潮以前の本当に幼い頃から「女の子は性にまつわることはなるべく表に出さないようにするのが嗜み」という風に
やんわりとでも厳しくでも常日頃親や教師なんかに言われたり小言のもとにされて育ってきた中での刷り込みはなかなかうまく打破できなくて、
もちろんそこを変えていくことが女性自身にとってこれからすごく大事なことだと私も思うしそうなっていけばいいと思うから
まず月経そのもののことやそのパターンなんかのことをきちんと教育で両性に周知することからスタートするのがいいんじゃないかなあ…と思ってしまった
生理そのものをわかられていない状態でバーン!といきなりやっても今は社会の側が成熟してないことから発するリスクの方が高いという気がする
こういう下地があって女性同士でも自分の内面にある生理を他人同士で押し付け合う感じに現在でもなってるので
(この表面が可視化されると「女の敵は女」っていう人がいるけど、前述の下地があっての問題なのでそうじゃないですよ、と言いたい)
生理は多様であるってことを女性自身もどんどんシェアし合って学び合っていけたらそれこそが「オープン」ってことなのかなあ…って思った
頻度が低いのはともかく、なめとって終わり程度ってうらやましすぎる
人間なんて人によっちゃオムツ欲しくなるレベルの出血だし、毎月来るしすんげー腹痛腰痛オンパレードなのに...
来世は猫になろう
https://anond.hatelabo.jp/20191120180107
お前は大事な一点を見逃している。
それは「トイレで『用を足している最中』の無防備なHagex」に低能先生が襲い掛かった点だ。
大体の男性は経験があると思うが、小便を出している時に驚くと一旦小便が止まるんだよね。
なので、最初の一刺しで終わっていればHagexは最小限の粗相で済んでいたかもしれない。
しかし、低能先生はHagexに30回以上にも渡る滅多刺しを敢行しており、こうなると小便大放出どころか出血性のショックで垂れ流し状態になっていても不思議ではない。
低能先生がトイレから立ち去った後に残されたのは、血と尿の海に塗れた禿げた中年男の死体。(出血性のショックで脱糞もしてたかも)
生理は大して重くありませんでしたし生理前も何も感じませんでした ただ面倒だったので1ヶ月2000円で回避することにしました
休薬期間には消退出血という生理に似た現象が起こるので、それも避けるために休薬はほぼしないです(詳細は後ほど)
低容量ピルのノベロン/マーベロンを安心通販マートで買っています 偽物だったらどうしようか少し心配でしたが実際に生理が来なくなったので本物と思われます
血液検査は献血なら無料でできますが私は注射が怖いのでやっていません
もちろん婦人科などで受けてもいいです
気分や体調の変化は感じませんし体型も恐らく変わってないです 性欲が落ちると聞きましたが残念ながら飲み始める前を覚えていないので比較できません
急に飲み始めると吐き気などの副作用が出るらしいので最初はカッターなどで一錠を4つ割りにして朝晩ひとかけら飲んで一ヶ月慣らしました
(つまり1日1/2錠ですね)
副作用はありませんでした
この慣らし期間の避妊効果は無いので(試した人はいないと思われますが、無いと言い切れるでしょう)気をつけてください
慣らし終わった後も2つ割りにしてひとかけらを朝晩飲むようにするとピルの血中濃度が激しく上下しないのでいいです
ピルの仕組み
妊娠中は生理が来ませんし、子宮が満員なので精子が通せんぼされて入れなくなります
ピルを飲むと体が妊娠中と勘違いするので生理がなくなり避妊もできるのです
つまりピルは妊娠避けの薬というより妊娠済み(偽)の薬であるといえます
ふつうは21日飲んだら7日休薬して消退出血 つまり普通の生理周期と見かけ上は同じになるように飲むとされていますが
先ほど言った通りこれは妊娠の真似事なので実は28日周期にする必要はないです 実際ヤーズフレックスなどは90日周期です
これはピルの開発者も当然知っていましたが、自然な生理周期に合わせないと文化的に受け入れられないと考えわざわざ休薬期間を入れたと聞きました 真偽はわかりません
私は28日周期ピルを自己判断で半年に1週間程度しか休薬せずに使っています 健康的には良くないかもしれませんが日数計算がいらなくて楽です
あなたもそれなりのお金と健康があれば生理なし生活を試してみてはいかがですか
http://finedays.org/pill/index.html
お世話になったサイトです
https://www.j-cast.com/2007/10/04011960.html?p=all
容疑者は9月29日午前1時35分ごろ、川越市南台の市道上で無職の男性(51)を足で蹴る暴行を加え、同日の8時半頃に腰椎骨折などによる後腹膜出血で死亡させた疑い。
07年9月には、船橋市本町のスーパーで万引きした男性に暴行を加えて死亡させたとして、スーパーの店長(40)が傷害致死罪で逮捕・起訴された。
店長は9月4日夜に缶ビールを万引きした男性(56)を店の資材置き場に連れて行き、殴る蹴るなどの暴行を加え店近くの路上に放置し死なせた。
万引きした男性は過去にも2回このスーパーで万引きしており、店長は「懲らしめてやろうと思った」などと供述していたという。
ということわ
そのへんは発達が差がありすぎるし、早い子が中学生でとおりすぎたことを一生中学のまま生きる人もいる
早い子のほうは「スプラがよくてなぜPUBGはダメなの」って言い出す頃でも有る(たしかに味付けが違うだけでゲーム構造としてはほぼ同じ)。
不器用な子はゲームによくある性役割を過剰に内面化したりもするけど
かといってゲームにある性役割だの人間性描写が全く嘘というわけではない。
人気があるものでもたとえば
「なぜか全年齢ゲーム内で台風のあとのボランティアが疲れきった被災者ともめる様子のエピソード」があったりする。
となると、親が子供の様子を見て一緒に選ぶ(または社会性より体調・心の調子を優先でブレーキを掛ける)しか無い。
某献血ポスターの件でまたあちこちが燃えているけれど、フェミニズムについて両陣営がよく理解していないまま戦争しているなあ、と考えていたらふと学生時代に書いたレポートを思い出したので供養しようかと思う。
これは「ポルノグラフィの法規制」に対してのフェミニズム的観点がテーマであって今回の件とは必ずしも直接は関与しないが色々なところが補助線として使えるのではないかと思うのでもし議論の整理に何らか役立てば。
字数が切れていたので分割。
以下本文
----------
1. 問題設定
本レポートでは、ポルノグラフィとその法規制について、いくつかの観点から検討する。ポルノグラフィは、フェミニズム運動の中でリプロダクティヴ・ライツやセクシュアル・ハラスメントなどと並んで一定の地位を占めてきた。一方で、その規制は、日本国憲法21条や米国憲法修正1条にいう表現の自由と正面から激突するものでもある。本レポートにおいては、日本国憲法の射程に限定しつつ、これらがいかに衝突するものであり、どう分析されるべきかを簡単に整理することを目標とする。
最初に検討されるべきは、規制の対象たりうるポルノグラフィがいかなるものと定義されるかということである。もちろん、いかなる性的な描写もポルノグラフィであって規制の対象たりうる、という立場自体は不可能ではない。しかし、表現の自由が強く保障されることを前提としたときに、容易には首肯しがたい立場であるということは言うまでもない。表現の自由への制約は可能な限り小さくなくてはならないというのが前提であるとすれば、規制の対象となるべきポルノグラフィもそれ自体また狭く定義される必要があるであろう。
まず、一般的なポルノグラフィの定義について俯瞰する。いわゆる四畳半襖の下張事件において、「わいせつ性の判断に当たっては、文書全体としてみたとき、読者の好色的興味に訴えるものであるかどうか否かなどの諸点を検討することが必要で、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、チャタレー事件で示したわいせつ三要件に該当するといえるかどうか判断すべきである」という判断がなされており、わいせつ三要件(通常人の羞恥心を害すること、性欲の興奮、刺激を来すこと、善良な性的道義観念に反すること)をベースとしたうえで、社会通念に照らして文書等のわいせつ性が判断されるという判例を構築している。
判例の立場は、わいせつ性が前面に出ているのか否かという観点を取り入れることによって性的な対象を扱った作品であっても、芸術的価値の高さなどに応じてわいせつ物該当性を認めないという形で一定の制約を設定しているといえる。ここには、表現の自由との緊張が見て取れる。つまり、本来は性的表現であっても、直接他者に危害を与えるものでない限り、国家によって自由を制約されるべきではない。しかし、わいせつ該当性があるならば、例外的に規制することが許されるとしていわゆる定義づけ衡量を行ってわいせつ図画を規制しているものであるといえる。
一方で、Andrea DworkinやCatherine McKinnonはポルノグラフィをいかに定義したか。それは、実際に彼女たちが起草した反ポルノグラフィ条例に見て取れると考えられる。ミネアポリス市の反ポルノ条例第三条 は、「ポルノグラフィとは、図画または文書を問わず、写実的に描写され、性的にあからさまな形で女性を従属させるものであり、かつ次の各事項の一つまたはそれ以上を含むものを言う。(1) 女性が人間性を奪われた形で、性的な客体、もの、または商品として提示されている、(2) 女性が苦痛や辱めを快楽とする政敵対象物として提示されている、(3) 女性がレイプされることに性的快感を覚える性的対象物として提示されている、(4) 女性性が縛られ、切りつけられ、損傷を加えられ、殴られ、または身体を傷つけられた性的対象物として提示されている、(5) 女性が性的服従の姿勢で提示されている、(6) 女性が、その身体の部位……に還元されるような形で示されている、(7) 女性が生まれつきの娼婦として提示されている、(8) 女性がモノや動物によって挿入された状態で提示されている、(9) 女性が、貶められたり、傷つけられた李、拷問されたりする筋書きにおいて、汚らわしいものないし劣等なものとして、または出血したり、殴られたたり、傷つけられたりして描かれ、かつそれらの状態を性的なものとする文脈の中で提示されている」と詳細に定義している。最高裁判例の打ち立てた上記の基準と比べるとこれは、はるかに明快である。
ところでこの二つの定義には、その明確性を超えて、根底的な部分でのポルノ観の相違が明々白々と見て取れる。これは、ポルノ規制を日本において考える際にも重大な差異であると考える。
最高裁におけるわいせつ概念の定義は、三要件を用いたその定義から明らかに、社会的性道徳、善良な性風俗といったものを保護の対象としている。つまり、過度に扇情的なポルノ作品が市場に氾濫することで、社会を成り立たせている道徳基盤が破壊されることを防ごうという目的である。いわゆるチャタレイ事件の控訴審における判決理由中の「かゝる文書が猥褻文書として排除せられるのは、これによつて人の性慾を刺戟し、興奮せしめ、理性による性衝動の制御を否定又は動揺せしめて、社会的共同生活を混乱に陥れ、延いては人類の滅亡を招来するに至る危険があるからである」という文章は、まさにこの懸念がわいせつ文書を規制するべき理由であるということが念頭に置かれているものであると考えられる。
ミネアポリス市ほかいくつかの都市で起草された条例は、こうした目的のもとにポルノグラフィを規制しているのではない。それは、McKinnonらの論文や、また、条文そのものから明白である。ここで、ポルノグラフィはまさしく「女性差別」そのものとして認識されている。
ポルノグラフィは、女性を隷属させ、性的に対象化objectificationするものである、とラディカルフェミニストたちは考える。つまり、「ドウォーキンはいう。『女性の従属においては、不平等そのものがセクシュアルなものにされる』。マッキノンも次のように述べている。『ポルノグラフィーは女性の不平等をセクシュアルなものにする。それは女性の不平等をセクシーなものに仕立て上げる。それは、言葉の最も広い意味で、支配と服従をセクシュアルなものにする』」 。
ここで、ポルノグラフィに対する定義が、二方向のアプローチを有しうることが示されている。つまり、ポルノが消費されたときに、社会が倫理的、道徳的にどのような影響を受けるかという観点と、道徳的観点を一切取ることなく、ポルノの中で女性がどのように扱われているか、またポルノを消費する男性が女性に対してそれを再演することでどのような危害が生じるか、という観点である。
Millの提示した危害原理を素直に適用する限り、後者の観点の方が規制の根拠としては明らかに優れている。前者において、明白な危害は存在していない。先に引用した人類滅亡論などは、まさしく論理の飛躍であろう。一方で、後者のアプローチをとるならば、それが証明される限り、実際の危害が生じていると言える。これは、いかに表現の自由の価値を絶対視し保護するとしても、しかしそれを規制する十分に強力な根拠たりえる。次章では、ここで主張される危害について検討する。
ポルノグラフィが「危害」を有するものであるならば、それは表現の自由を主張してもなお規制に当たることは言うまでもない。表現の自由に対して強く保護を与えることを主張したアメリカのOliver Wendell Holmes Jr.判事であっても、満員の劇場で「火事だ!」という嘘を叫ぶことをいかなる表現の自由も保護しないと明言している 。また、実際にポルノグラフィが一般的な危害を生ぜしめないとしても、上記の条文を見るに、発生しうる危害から逆算的にポルノグラフィが定義されており、これは限定列挙であると考えるべきであろう。
もっとも、注意しなくてはならないのは、ここで挙げられたものは、危害を「創作」したものまで範疇に含まれることである。つまり、女性が傷害を受けるという「現実」の存否にかかわらず、そうした創作は、ポルノグラフィとして定義される。そうした映像が、現実における傷害と必ずしも一致しないことは、あらゆる劇作の前提である 。そして、実際に生じた傷害については、こうした条例や法律にかかわらず民事上、刑事上の責任を負わしめることが可能である。
危害がどの広さで認識されるべきかということについては、確定的な見解はいまだ存在しないものと考える。元来はMillのいう危害原理、すなわち身体的な危害を指していたものであるが、現代的にはこれを精神的(に深刻)な不快の限度にまで拡大した不快原理offense principleと言われるものまで提唱されている 。もっとも、身体的な危害については明確で客観的な基準の定立が可能である一方で、主観的な不快およびその深刻性については、客観的な判断が困難であり、現行の法システムに馴染むのかという点で深い疑義がある。
ラディカル・フェミニズムの主張する「危害」がそうしたグラデーションの中でどこに位置するものであるかは、詳細な分析を必要とする。McKinnonの言明する危害は、ポルノグラフィはそれ自体性差別であり、それによって女性が従属化されるということである。そして、そのポルノグラフィの撮影において、また、ポルノグラフィが再演されることによって、女性は「縛られ、殴られ、拷問され、貶められ、時には殺される場合さえある。あるいは、単に犯され、使用されている。視角ポルノに映し出されているあらゆる行為のために、女たちは実際に、縛られ、切りつけられ、焼かれ、猿ぐつわをはめられ、鞭うたれ、鎖でつながれ、肉吊り棒や木からロープで吊り下げられ、あるいは、……放尿させられ、排泄物を食べさせられ、ウナギやネズミやナイフやピストルで貫かれ、喉の奥までペニスで侵され、血や泥や糞便や精液で汚される。……ちなみに、膣にペニスが挿入されるという意味での性交は、そこでは副次的なテーマに過ぎない」 。すなわち、ポルノグラフィは、男性の女性に対する性欲そのものが充足されるためのものではなく(それは副次的なテーマに過ぎない)、もっぱら女性に対して暴行を加え、二級市民化することによって従属せしめることが目的とされ、そのためのプロパガンダとして成立しているものであるとされる。「ポルノグラフィは女性憎悪の純粋蒸留物であり、女性の経験の中でレイプ、女性殴打、近親姦、強制売春と結びついている。そのことを考えるなら、ポルノグラフィを擁護して発言する自称フェミニストがいったいいかなる道徳的・政治的原則にもとづいているのか、とうてい理解することができない」 と彼女は断言する。
実際にこれらが物理的危害として発生しているのならば、それは全く看過することのできない危害そのものであり、規制はされてしかるべきものである。しかし、これらは実際の刑法典、民法典の規定によって補足可能ではないか? という疑問が生じてくる。McKinnonはこれに対して、現実にそうした摘発がなされていないことをもって実質的に法は存在せず、それゆえ国家及び社会がポルノグラフィを公認していると見做される旨主張する。
McKinnonの熱烈なポルノ批判に対し、Drucilla Cornellはポストモダン・フェミズムの立場のもと、一定の距離を置く。「私たちは、ポルノグラフィの生産に対してとられるべき法的行為=措置を、ポルノグラフィの配給に特化してとられるべき行為=措置から区別すべきである。私は、この区別が、ポルノワーカーを含めた女性たちが、人格となるプロジェクトを引き受けるのに十分なだけ自己を固体化していく、というフェミニストの目的に根本的に寄与すると主張する。この産業の女性たちを連帯に値しない不幸な犠牲者として扱うことは、彼女たちの基本的な尊重を拒絶することである」 という言葉は、ポルノワーカー女性について、「ポルノグラフィに出演している女性の多くは、子どものときに性的虐待の被害者であった。……自宅から性的虐待を逃れて都会に出てきた子どもたちは、そこでヒモに拾われ、レイプされ、殴られ、麻薬づけにされ、売春やポルノグラフィに従事させられるのである。ポルノグラフィに出演している女性の多くは貧しく、たいてい教育を満足に受けていない。ポルノグラフィが存在している社会は、女性が経済的に不利な立場に置かれている社会である」 と記述するMcKinnonらを批判の対象としている。Cornellはさらに、「私は二つの特殊フェミニスト的な理由から、ポルノグラフィの規制を法律に過度に頼りすぎることに対して懐疑的である。第一に、反差別法の基礎としてステレオタイプな女性性を強化すべきではない。言い換えると、キャサリン・マッキノンの仕事のように、女性を「ファックされる者 fuckee」か犠牲者に切り詰めたうえで、そのような存在としての女性に対する保護を要求するような、文化的にコード化された女性性を促進するような法はいらない。そういうわけで私は、マッキノンやアンドレア・ドゥウォーキンのそれのような、ポルノ規制の適切な法的手段としての市民権条例案を拒否する」 と言う。