はてなキーワード: 出血とは
元々激重瞼のほぼ一重に見える奥二重で、何をどうしても芋にしかならない絶望的ブスだった。
あとオタクのコミュ障で友達は片手に数えられるくらい。彼氏なんか出来たこともない。
もちろん周りの人間もコミュ障ばっかりで、自分の話ばかりする女に囲まれうんざりしていた。
まあ色々あって病んで、大学進学を機に整形した。二重埋没法。
プチ整形だから大したことないんだけど、自分にとっては人生最大の決断。お金は親に頭を下げて出してもらった。
手術後は内出血した目で大泣きした。コンプレックスが消えて、解放されたような気分だった。治りが遅くなるから本当は泣いたら駄目だけど。
1週間ほど引き篭ってDTを乗り越え、完成した顔を見たとき思った。
あれ、私、可愛くないか?
色白でぱっちり二重の女の子が鏡の前にいた。今までコンプレックスだった部位も可愛く見えた。目が変わっただけで、こんなに印象が変わるなんて。
じゃあ最初から綺麗な二重の人はきっと生きるの楽だったんだろうな。とか、虚しい気持ちになったけど、次には嬉しさが勝った。これからの私は生きるのが楽になるかもしれない。
私は顔が綺麗なことで得られる様々な利益が欲しかった。美しい容姿には必ずメリットがある。そう信じていたし、実際それは正しかった。
大学入学のとき、入学式で隣がたまたま男子だった。思い切って話しかけたら、友達になれた。革命的な出来事だった。
全ての男性がそうとは言わないが、少なくともクラスにいた男には好かれていないと思っていた。オタクキモイとか、陰キャが喋るなとか、ブスは顔見せるなとか。
入学式の彼は違った。オタクでもなければコミュ障でもない。自分の話ばっかりしない。優しい。面白い。
私は憧れた。彼のようになりたかったし、彼と友達になれるような明るい人間になりたかった。
そこからはがむしゃらだった。女友達は欲しかったけど、まず一番は彼氏だ。男子に手当たり次第に声を掛けた。
好きな色は?と聞かれて、ピンクだよと答えたら「へえ、可愛いね」と照れながら褒められた。今でも覚えてる。いやピンクが好きな事実は可愛くないじゃん。可愛いのは私でしょ。
女友達も増えた。
新しく出来た女友達に「正直自分の顔に自信あるでしょ?」と半笑いで聞かれた。そんなことないよ、と答えたが図星だった。
いつもと違う系統の服を着たら可愛いと友達が言う。教習所のおじさんが「でもあなた可愛いから引く手数多でしょう」とからかってくる。
他にもあったけど、忘れてしまった。「可愛い」は言われる度にその価値が低くなっていくことを知った。高校時代は、決して忘れず日記にまで書き留めていたのに。
あるいは、自分が可愛いと自覚してる子と話せるようになったことで衝撃発言を聞いた。その二重美人は言ったのだ。
「泣いた次の日、一重になっててびっくりしたんだよね。すごくブスだった。私、一重に生まれてたら本当に死にたかったと思う」
一重とは死にたくなるほどのブスのことらしい。悔しかった。けど、私はそのブスを克服したのだ。私を元一重ブスだと思う人間はもういない。「そうなんだ」と笑顔で彼女に対応できた。
何よりの変化は、人と目が合うようになったことだ。
今までは街を歩いても視線なんて感じなかったのに、今はすれ違う人がちらりと私を見る。大きな違いだった。美人は注目されるのだ。
綺麗な人はこんな世界を生まれた時から見ているなんて。虚しかった。二重になっただけで、私を取り巻く世界は優しくなった。
もちろん、私に自信がついて振る舞いが変化したのも理由の一つだろう。でもその自信の源は、二重だ。
私もまた、顔に振り回されて生きている。
ここ1週間ろくに食事が取れず、3kgほど落ちた。BMIは15〜16くらい
生理始まったのが2週間前、だらだら出血が続いててさすがに気になっているけど、頭も体もごちゃごちゃしててめんどくさいんだよな
分かってるけど、苦しいんですと訴えたところで「だから何????」と言われるだけな気がするし、自分でも実際そんなことで…と思う
なにもかもめんどくさいな
もうかなり経って今の私は完全に立ち直ったけれど、友人の従兄弟も似たような目に遭っていると聞いたので書く。告発とまではいかないが、子供を塾に通わせてる親はマジで気をつけてほしい。
私がいじめを受けたのは小学生の時で、有名なチェーン塾に通っていた。名前は伏せるが、合宿でハチマキを巻いて勉強するタイプの進学塾だ。小学四年生で入って、小学五年生の夏に辞めた。原因はお察しの通りいじめである。
いじめが始まったのは、入塾して二ヶ月が経った頃だった。組分けテストで好成績だった私は、下の方だったクラスから、一番上のクラスまで一気に上がった。上がった翌日には、私が先生に媚びた上にカンニングして上がった、という噂が流れていて、いじめられるようになった。勿論事実無根だ。先生には度々質問しに行っていたが、媚びてなどいないし、カンニングもしていない。事実無根のたったそれだけの理由で、私は延々といじめられる羽目になった。
いくら小学生と言えど、受験を目指している子供だ。頭がいい。証拠が残ることは一切されず、されたのは教科書やノートを隠されたり(授業後に返される)シャーペンの芯を粉々にされたり、あとは無視と悪口と痕が残らない程度の殴る蹴るの暴力を一年と少し。
ご飯が食べられなくなり体重はごっそり落ちたし、髪もかなり抜けたが、受験勉強によるストレスだと思う親は気づかない。先生も授業が終わればすぐに教室を後にし、クラス付けの先生もいないので気づかない。自分から助けを求めようにも、何度冤罪だと訴えても聞いてもらえなかった私は、先生や親に訴えて、信じてもらえずに軽蔑されるのが怖く、誰にも言えなかった。自分がいるのは一番上のクラスなので、勉強してクラスを変えよう、というのも無理だし、下に落ちれば未来はない、と先生に言われているのに手を抜くのも無理だった。要するに逃げ場がなかったのだ。
そして小学五年生の夏、足を蹴られた私はそのまま倒れ、机の角に頭をぶつけた。浅く、結局痕も残らなかったが軽く出血し、先生が来て大騒ぎになり、全てが露呈した。先生と主犯格の親が家まで来て平謝りしていたが、当然私は塾を辞め、少しの間カウンセラーに通った後に転塾した。中学には第二志望に受かった。今ではそこそこいいとこの大学生をやれている。
ただ、もしあそこで辞められていなかったら私は自殺していたと思う。実際末期には、暇さえあれば死に方を考えていた。塾という場所自体がいじめが起きやすい場所だと、もっと社会全体で認識すべきだと思うのだ。勉強や先生からのストレス、大人の目が少ない閉鎖空間、頭が良い子が大半を占めていて、真面目な子供は気が弱い子が多い。むしろ学校よりも条件が整っている。学校でのいじめ対策をしっかりする取り組みは行われているけれど、塾となればろくに行われていないのが現状だ。塾に子供を通わせている親は、その面でもしっかり目を光らせてあげてほしいし、塾自体の仕組みとしても、もう少し対策をしていくべきだと思う。誰かが死んでからでは絶対に遅い。
いつも献血してるやつならわかるだろうけど
献血した血ってそうもたないの(加工はするけど)
夏とか飲み物飲みすぎて毎年貧血野郎がおおすぎてものすごいたりなくなるの
冬は意外とみんな血が濃いの
今みんながいっても別に~だよ
https://www.bs.jrc.or.jp/csk/tottori/m0_03_index.html
医療機関で使用する血液量は年間を通じ一定であるのに対し、献血のご協力には季節的な要因や特定の血液型によって一時的に血液が不足することがあります。 血液は長期保存ができないため、献血者が減少する時期のご協力をお願いします。 鳥取県では平成25年度 5・7・2月に不足が生じ、臨時献血にご協力いただきました。
経血量が1日目と2日目に多い方で2日目はよくナプキンが耐えきれず事故起こすかアホみたいにトイレ行って替える羽目になってた
めちゃくちゃ蒸れるし座ってると違和感あるしでストレスだったんだが何となくでタンポンにしようかと思った
ぶっちゃけ指一本入れただけで痛え!てなる身体だからタンポン入るのか不安だったけど意外と入る
生理中はこんな感じ
1日目〜2日目
3日目
8時間以上の連続使用はダメらしいので私は勤務中にタンポン、プライベートでナプキンという使い分けをしている
タンポンのここがいい
・蒸れない、におわない
ガチで。前述の通り私は多い方なのでタンポン+ナプキンの両刀使いだけど全然汚れないしストレスがない。
・あのどろっと出てくる感がない
立っても出血を意識しなくていいのが最高。中で直接吸うから外に漏れることがない。最高。
4日目とかに出てくる血は腟内に残ってるだけのやつらしい。タンポンは直接中で吸ってしまうから結果的にその残りカスも少なくなる=生理が短くなる…みたいな
でまあタンポン実際どうなのって不安に思ってたとこも挙げとく(あくまで個人の感想)
・入るのか?
入る入る。私はアプリケーター付きしか使わないけど入る。初めての時は2日目とかの多い日にやるといい(濡れてて入れやすいから)。丸いプラスチックなので意外とトゥルンと入る。指一本でやべえと思ってた私がいけるからいける。
・抜く時大丈夫?
いつもトイレでフンヌォォォォァァァァァアアて気合い入れて抜いてる。多い方なのでバチクソ吸って膨らんでしまってるんだなこれが。でも痛くはない。排尿の時は紐を後ろの方にしまって、前屈みになって濡らさないようにしてる。
・ゴミの処理どうしてる?
ポーチにサニタリー用ポリ袋入れて、袋に入れて汚物入れに。私はそうしてる。
・入れてる時違和感ない?
ない。説明書にも書いてあるんだけど奥の方が無感覚ゾーンとかいう場所らしく、上手く奥の方に入れられたら違和感皆無で過ごせる。
・手汚れない?
まあ上手くいかなかったら汚れるけど…パイパンにしとけばいいよ
・コスト高くない?
そんなに変わらんと思う。あまりコスパ重視しない人間なのでそこらへんガバガバ
こんな感じ
私は基本デスクワークなんだけど立ち仕事とか制服が決まってて漏れたら誰よりも問題のある人とかはタンポンおすすめ
と言ってもやっぱり相性はあるので2日目とかの多い日に試してみることをおすすめする
これは自分の備忘録であり、これから検査を受ける人、怖い思いをしたくない人には向かない内容になります
あとすごく長い
結果を言うと、特に異常はなかったけど、検査はすごく辛くて痛かった
でもこの痛みもすぐ忘れてしまうと思うと惜しいので、詳細を自分のために書いておくことにする(マゾなのでは?
現在二十代の女だけど、二十五を超えたあたりから胃腸がめきめきと弱っていくのを感じはじめた
半年に一回くらい前触れなく下血するし、便に黒いものが混じっているときがままある
最初はびっくりして、膀胱炎かとかかりつけの泌尿器科に行ったけど特に問題はなく、長引くことはなかったのでまあストレスかなとあまり気にも留めていなかった
8月頭のことで、寝不足だったし一日中炎天下を歩いてたのでその疲れだと思った
「でも痛くはないんだよね~なんでだろ?」と話をしたら、腸って何かあっても痛みに鈍いらしいよ、と言われ、腸しっかり自己主張してくれと思った
病院に行こうと思ったけど、仕事が忙しい時期でなかなか行けなかった
その後すぐに治り一か月くらい特に何もなかったが、また黒いものが混じりはじめた
見慣れているので普段は気にしてなかったけど、なんとなくネットで調べたら内臓が出血していると黒くなる、と見て、だんだん焦り始めた
もしかして大腸がんなのでは?と一度頭をよぎるとどんどん不安が増して、ますます胃腸が痛むのを感じた
その週の土曜に一度言ったことがある消化器内科の個人院に向かうことにした
軽い気持ちで行ったら、「症状聞く限り腸より胃だろう。胃カメラやりましょう。採血して、帰りに予約取ってね」
急か?
でも不安だったので、すぐに予約して二週間後に検査することになった
検査は鼻からと喉からの二種類があり、鼻からの方が辛くないと言うことで鼻からにした
そのとき医者から、鼻が狭いと入らず、喉からになる可能性もある、と言われた
自分は鼻が低く、小さいので嫌な予感がした
流れとしては歯医者で使うような麻酔を鼻に塗って、鎮静剤を打ち、鼻からカメラを挿入するとのことだった
検査までの間、もらった四種類もの薬(こんなにいるんか?とびびった)をまあまあ飲み忘れたりしながらも飲んでいるうちに胃腸の具合も回復してきた
これ検査しなくてもよくない?と逃げたくなったけど、せっかく有給取ったしこれで何かあって後で後悔したくないので、ポジティブに考えることにした
全くどうでもいいけど、私は同人女で、未知の経験をするとこれを創作に生かすか~とよく考える
鎮静剤を打つと聞いた時、正直わくわくした
いまの推しは研究者で、二次創作だとよく鎮静剤を検体に打っている
これで推しに打たれる検体の気分を味わえるじゃん、とそこはポジティブに考えた
私の周りのオタクもこんな感じだけど、推しを思えて前向きになれる分オタクでよかったな~と思った
検査前日の夜九時から絶食して、飲み物も色付きのものは飲まないでと言われていた
鎮静剤を使う場合は車の運転ができないので、有休をとり、家族に送迎してもらい病院に向かう
前室で胃の泡を消す水を飲んだ
まずくはないけど変な味がした
出血しないように収縮剤?鼻の通りをよくするものだったかな?忘れた
プールの水が鼻に直で流れたような感じ
これが結構ウッとなった 喉に残るし
前室ではたぶん大腸検査をする人たちが点滴のパック並みにでかい下剤を黙々と飲んでいて、これも大変そうだなと思った
しばらくして処置室に呼ばれた
緊張しいなので心臓がばくばくした
ストレッチャーに横になって、まず鼻にカメラが通るか管を挿された
看護師さんがうーんと唸って、拡張しましょう、と鼻に何か差された
少しして、また更に太い拡張機みたいなのを差す
左向きに横になって、腕に鎮痛剤を流す針が刺された
は~~なんとなく嫌な予感がしてた……
自分の鼻の穴が小さいのが問題なので、お願いしますと口からに変えてもらった
うとうとしたり眠ったりする、と予め調べていたけど、まあ確かにぼんやりとした感じ
目の前が一瞬黒くぼやぼやしたあとは、眠気とかも感じることなく普通
でもずっと心臓がそわそわしてたのが落ち着いたような感じはした
唾液を飲み込むと苦しくなるので、口の端から流しっぱなしにしてくださいと言われた
鼻から入れられた収縮剤で喉に違和感あってよく唾をのんでいたので、できるのが不安になった
怖いのでずっと目を閉じていた
これがめちゃくちゃ痛かった
喉の奥がとにかく痛い
喉の奥までなにかが入ってくる感じがする
ぼろぼろ涙がこぼれた
体が勝手に吐き出そうとびくびくする
看護師さんたちが優しく声をかけてくれてた
終わりです、と言われて、それにはちょっと驚いた
そのまま鎮静剤が切れるまで三十分くらい安静にしていた
看護師さんが来て起き上がろうとしたけど、まだ足元がふらついていたのでまた十五分安静にする
眠くはないのでとにかく退屈だった
本か携帯がほし~となった
途中で運ばれてきた、たぶん大腸検査をした男の人は、下半身に麻酔?しているとかで、二時間くらい安静にしていてくださいと言われていたのが聞こえた
携帯でお迎えの人に伝えて大丈夫ですよ、と渡されていて、私もほしいが?となった
また看護師さんがきて、正直まだ頭はぼんやりしてたけど待合室で順番を待った
温かい緑茶とヨックモックのお菓子を出してくれて、最高……と感動した
モリモリ食べた後、検査結果を聞いた
ちゃんと胃の写真があって、あれで奥まで撮れてるんだ、とびっくりした
自分の胃の画像はグロかったけど、綺麗じゃ?と思ってたら、先生にも綺麗ですね、と言われた
出血は得にないけど、逆流性食道炎の後がある、と白いあとを示された
仕事にはいま特にストレスはなく、ただ原稿の締め切りまえなどには脱稿できるか不安でよく胃が荒れる
それだろうな、同人やってる限り逃れられない宿命だな、と改めて思った
特に問題はなさそうなので、また何かあったら来てください、と言われ、迎えに来てくれた家族の車で帰った
この生まれて初めての経験をどこかに書こうと思ってここを開いたけど、書いているうちに本当にどうでもよすぎて途中で消そうかと思った
でもせっかく書いたので……
胃カメラはだくだく泣くほど辛かった
鼻なら辛くないのかな……どうなんだろう
もう口からは二度とやりたくないので、鼻の穴を広げたり、早割入稿余裕なスケジュールを組もうと思った
終わり
そんなん当たり前だろ。知らなかったのか?お前もフェミもやってる側の一人なんだよボケ。
見たくなければ目をそらせ。それが社会のルール。フェミ以外はたいてい皆そうやって生きてる。
万人が万人、ジャニーズだの西島秀俊だの野球だのオリンピックだの好きだと思ってるのか?
特に糞フェミのようなファシストの思想を開陳される側の身になって考えたことあるか?
いくら「表現の自由」があるからって、君にお隣の田中さんが下痢便を食って生じる絶頂感の共有を求めてタッパーに詰めた下痢便を勧めてきたらそれは性加害だし、その隣の鈴木さんが「男性の尿道に楊枝を差し込んで出血させるとこ見るとめっちゃ萌えるんですわ〜増田さんにも差し込みた〜い」なんて君に言ってきたらそれも性加害だろ。
この論には明確な誤りがあり、論ずるに値しない。
・君には田中さんと接点を断つ権利がある。それを行使すればよい。
・個人間の問題を社会の問題と同一化しようという詭弁、或いは認知の歪み。
こんな愚か者だからこそ、他人の表現の自由を侵害し社会から追放しようとするのだろう。
「ゾーニング」ってそういうことだぞ。
自分が常に「性欲を持つ側」「性的なファンタジーを他者に開陳する側」にいつまでもいられるわけじゃないんだよ。
いくら「表現の自由」があるからって、君にお隣の田中さんが下痢便を食って生じる絶頂感の共有を求めてタッパーに詰めた下痢便を勧めてきたらそれは性加害だし、その隣の鈴木さんが「男性の尿道に楊枝を差し込んで出血させるとこ見るとめっちゃ萌えるんですわ〜増田さんにも差し込みた〜い」なんて君に言ってきたらそれも性加害だろ。
君が田中さんのスカトロ趣味と鈴木さんの尿道SM趣味を押し付けられることに我慢する義務はない。「不快だからその話題はやめろ」と拒絶する権利がある。
だからって田中さんが糞を食うのに悦びを覚えることも、鈴木さんが男性の尿道に楊枝を差し込む様を想像して興奮するのも別に「それ自体」は悪じゃない。同意を得た同好の士とクローズドな場所で楽しむだけなら問題はない。
私も今7週目で鬱です。
6週目までは余裕だったんですが、今週に入ってからつわりの症状が出ています。ずーっと胃が重くて、飲み過ぎた次の日の状態が続く感じ。加えて、出血もあって心労がひどいです。
仕事にはもちろん支障が出ています。書類の締め切り間近なのに、ゆっくりのんびりしています。妊娠初期なので、職場にも伝えにくいですし(切迫流産が起こりやすい時期です)、自分のペースですることにしています。
私生活はとっ散らかっています。洗面台は汚れているし、料理も作りたくない。お弁当作るのもやめて、よい景色の見えるカフェで昼食をとっています。食事を摂らずにジュースで済ませたりもします。家に帰ってからは、洗濯するので手いっぱい。
普段よりよく寝て、ゆっくり働くことを自分に許して、なんとか生きています。
妊娠もつわりも知らなかった頃は、妊娠初期になるべく避けた方がいいことや、ダメなこともしてしまいました。
だけどもう気にしないことにしました。
最も重要なことは、自分自身が健康で生きていることです。赤ちゃんも大事だけれども、今ここにいる妊婦さんが一番大事です。
憂鬱で、体が動かない時も多々あります。私には守ってくれる夫も親も近くにいませんのでまだ気楽ですが、元増田さんはまだ周囲に気を遣って暮らしている段階なのでしょう。そんなものはどうでもいいので、逃げ出したっていいので、とにかく元増田さんが生きやすい環境で過ごしてください。ワガママになってもいいんです。とにかく、毎日辛いですが、生きぬきましょう。
辛かったらここに何でも書いてください。
この子は命日が決まってるんだな。
安楽死を決めた時、私はそう思った。
疲労と虚しさMAXだった若かりし頃、実家の犬を恋しがる私に知人が囁いた。
「猫なら手がかからないよ」
あれこれ言い返したと思う。それでも知人は言葉巧みに猫の良さを吹き込み続けた。
結果、私は一度でいいから飼ってみたい、とメインクーンを選んだ。
いい子が安く買えるかも、と安易な思いつきでネットを検索し、ブリーダーからそれはそれはかわいいブラウンクラシックタビーの男の子を譲ってもらった。
買い手がつかず生後半年のその子は、7万円で我が家にやってきた。
残念なことに重度の食物アレルギーを持っていたその子は、メインクーンとしてはあまり大きくなれなかった。
メインクーンの成長が止まるまで三年ほど。その間、血便を伴う下痢を何度もくり返し、体質に合う処方食が見つかるまで一年かかった。
ベスト体重は6.4kgの、男の子にしては小さなメインクーンになった。
ただ、私の猫はとても朗らかだった。
と積極的に会いに来てくれる人もいた。
7歳の時にアレルギーが改善したのは幸いだったと思う。アレルゲンの除去療法に成功したのだと思うけれど、詳細は医学系の情報をあたっていただきたい。
10年生きればいい、と言われた猫は、13歳になった。免疫力が落ちてきたのか、鼻炎で鼻水を垂らすようになったけれど、月に一回の通院で点鼻治療を続けた。獣医が言うには加齢によるものだから、対症療法しかないとのことだった。
13歳になったある夜のこと、帰宅すると猫が倒れていた。体温が下がり、呼吸は荒く、今にもしんでしまいそうな様子だった。
近所のかかりつけ医に連れて行くか、救急病院に連れて行くか、それとも家でこのまま看取るか、悩んだのは10分くらいのことだった。
私は猫をキャリーバッグに詰め込んで、タクシーに飛び乗っていた。
朝まで元気だった。食事を少し残したことが気になったけれど、それだけだ。わけもわからず失いたくなかった。
向かったのは、夜間診療もしている以前のかかりつけ医だった。引っ越しして何年も経つが、カルテが残っていた。
タクシーの中から電話をしたので、急患として即座に処置を行ってくれた。電話を聞いて急いでくれたタクシーの運転手さんにも、病院スタッフの皆さんにも、その間待ってくださった他の患畜の皆さんにも、感謝している。
原因はわからないが肺に水が溜まっている、無気肺を起こしている、心臓が肥大している、明日はないかもしれない、そのようなことを言われた。
今夜が峠ですってやつだな、と頭のどこかで考えていた。原因がわからない以上、治療のしようもなく、とにかく今晩頼んで帰宅した。
妹猫が、不安そうに待っていた。抱きしめて泣いた。
ほとんど眠ることができず、翌朝病院が開くのと同時に向かった。酸素ハウスの中で猫は、ぐったりと寝ていた。声をかけて触ると、目だけでこちらを見た。
猫は三日間何も口にせず、病院に許可を取って自宅からフードを持参した。四日目の朝だ。朝ごはんを完食したとうれしそうに看護師さんが教えてくれた。猫は酸素ハウスの中で座って、帰りたいと鳴いた。
どこかで見た記憶を頼りに、ペット用の酸素ハウスをレンタルして、自宅で看取ると連れて帰った。猫はなかなか酸素ハウスに入ってくれなかったけれど、その間は酸素マスクをそばに置いた。明日にもしぬかもしれない猫を、無理矢理ハウスに入れるつもりはなかった。
毎日好きなものを食べさせた。後にいうちゅ~る食べ放題まつりだ。
内服薬だけはと飲ませながら、一ヶ月、二ヶ月、三ヶ月。酸素ハウスを返却した。猫は普通に歩いていた。
猫の中で何がおこっているんだろうと、もう一度病院へ連れて行った。色々と再検査をし、二回目のCTを撮った。前回の入院で右の肺は半分ほど潰れてしまっており、心臓が肥大していた。
「あのあと他の先生たちにも聞いてみたんです。猫ちゃんは重症喘息による無気肺です。あの時は肺炎が合併してああなったんでしょう。また繰り返す可能性はあります」
うちの猫が喘息だったなんて、全く気づかなかった。鼻水を垂らしてくしゃみをしている、と思ったのは咳だった。それと知ってから注意して見ると、くしゃみをする時と、咳をする時があった。喘息の治療をすべきだったのに放置していたことを、深く後悔した。
近所のかかりつけ医は信用できないと、遠くの病院まで月に一回ほど通うことになった。そんな生活を7ヶ月ほど続けた。
ある時、帰りのタクシーの中で猫が粗相をしてしまった。ペットシーツのおかげで大事には至らなかったが、粗相するほど我慢させたことが申し訳なくて、近所に開院した別の病院に連れて行った。
その頃猫はまた鼻水を垂らすようになっていた。それから右目だけ瞬膜が出るようになっていた。年を取ると瞬膜が出っぱなしになりやすいというが、右目だけ? と少し気になっていた。
これまでの経過を聞いた先生も、それが気になると言っていた。ひとまず二週間分の喘息の薬をもらって、信頼できそうな先生だと安心した。
二週間後、先生が言った。
「顔の右側が腫れてきている。鼻の悪性リンパ腫の可能性があります」
そうか、と思った。ショックもあったが、もしかしたら、と思っていたからだ。
「すごく腫れます。ぼこぉって変形してくると思います。最後は悪液質で亡くなることになります」
私の猫は片肺の13歳だ。抗がん剤の治療には耐えられないと判断して、ステロイドによる治療を選択した。
けれど腫瘍を抑えることはできなかった。ステロイドを増やしても、どんどん腫れるばかりだった。
25mg/日を10日間内服させて、それでも腫れが進行していた。鼻血と浸出液で、可愛かった顔は汚れるばかり。けれど拭かせてくれなかった。
ステロイド25mgは5錠になる。朝3錠、夜2錠。追加して抗生剤が半錠ずつ。
苦しみながら飲む猫に、私は治療の中止を選択した。自己満足にしか思えなかった。
薬剤性の高血糖で血糖測定やインスリンもしていたが、全てやめた。
ごはんを食べて、寝る。そんな穏やかな生活は、5日しか続かなかった。
鼻からは鼻血、口からはよだれが大量に出るようになり、ペットシーツが欠かせなくなった。それでも気を抜けば部屋のどこかが血だらけになっていた。
カリカリを食べなくなった。ウェットなら食べてくれたのも2日ほどだった。それからはちゅ~るしか受け付けなくなり、ちゅ~るさえ食べない日もあった。
視神経が圧迫されたのか、目が見えなくなった。突然の全盲であちこちぶつかりながら、恐恐歩くのが可哀想でベッドの上を区切ったらそこで眠るようになった。
トイレにいけなくなった。連れて行くとおしっこはするときもあったが、どんなに踏ん張ってもうんちは出せないようだった。
2週間が経った。
ちゅ~るも食べなくなった。食べられなくなった。
最初は食べようとしたけれど、ひどくむせて鼻からも口からも出血する。鼻と口が繋がってしまったようだった。そのうち猫は食べることを諦めた。
当然水も受け付けない。脱水がひどくなり、あれほど出ていた鼻血も浸出液もピタリと止まった。
このまま家で見ていても、数日で亡くなるだろうと思った。
けれど、体の置き場がないとフラフラになりながら寝返りする姿や、一箇所でぐるぐると回る姿、とうとうベッドの上でおもらしして自分でショックを受けている姿を見て、安楽死を考えるようになった。
別れたくない。悲しい。寂しい。
それと同じくらい、楽にしてあげたい。
戻れないことはわかっていた。朗らかで、やんちゃで、甘えて鳴いてばかりのあの子はもう戻ってこない。
自分だったらどうだろう。ガンの痛みに苛まれて、目が見えなくなって、鼻からも口からも色々な体液が出て、お腹が空いても食べることができなくて、そして今は脱水症状に苦しんでいる。
動物病院に状況を報告した。安楽死も選択のひとつだと思うと先生は言った。
苦しみの合間、眠っている猫を見て思った。
この子は命日が決まってるんだな。
苦しんで鳴く猫を撫でて、体をトントンして、そうすると猫は15分くらい寝る。それからまた起きて苦しむ。
愛しさと諦めが交互にやってきた。
行きたくないと言って泣いた。ずっと一緒にいたい。家で最期まで看取りたい。
猫は眠る時間が少し長くなったように思った。昏睡に近かったのだと思う。
やっぱりやめようか、と言ったのは予約時間5分前だ。
猫は起きて、苦しそうに叫んだ。
看取りたいというのは自分のエゴだと思った。泣きながら猫をキャリーに入れて、病院へ連れて行った。
病院は昼休みだった。着いたときから先生も看護師さんも泣いていた。おとなしい猫のことを、かわいいかわいいと言って撫でてくれた人たち。
点滴の針を刺す。処置室へ移動する。気が済むまで二人で、と先生たちは出て行った。たくさん話しかけてあげて、と。
けれど、声を出したら号泣してしまいそうで、やっぱりやめると言ってしまいそうで、囁くように「いいこ」「ありがとう」とくり返していた。
猫はぐったり寝ていたけれど、起きて、また鳴いた。苦しい、と。
顔を出した先生に、私は言った。
「お願いします」
病院がきらいな子ではなかったけれど、一番好きなのは家に決まっている。
最初に繋がれたのは麻酔薬だった。プロポフォールだと思う。しみる薬剤だから、薬が入る時、猫は苦しそうに泣いた。前投薬をお願いしなかった私のミスだ。
数十秒で猫は眠って、呼吸が浅くなった。
そのあとに二種類入ったけれど、そちらが何だったのかはわからない。猫は呼吸が止まり、心拍が止まった。
二人とも号泣しながら、とりとめもなく話をした。
先生は、前は安楽死に反対していたけれど、自分の猫の時に限界まで頑張らせてしまって、後悔してからは賛成していると言っていた。
「やさしい選択をなさいましたね。いいおねえちゃんでよかったね」
先生は私も、猫も褒めてくれた。
帰ったらお風呂に入れてあげるといいと言われて、本当はもう何も本人の嫌なことはしたくなかったけれど、少し悩んで体を洗った。
たっぷりとシャンプー、リンスを使って、血の塊やこびりついていたおしっこを全部洗い流した。
体を拭いて一番涼しい部屋に連れて行くと、留守番していた妹猫が不安そうにしていた。
帰ってきた兄猫、もう呼吸の止まっている兄猫、私を見て、鳴いた。
「どうして」
体を乾かして、耳や口に脱脂綿を詰める姿を妹猫はじっと見ていた。
すべての処置が終わって、ダンボールに入った兄猫のところにもう一度行って、悲しそうに見ていた。
猫が"死"を理解しているのかはわからないけれど、どんどん具合が悪くなる兄猫が妹猫の相手をしなくなって、苦しそうにしている姿をずっと見ていた。
「もう大丈夫だよ」
妹猫を撫でて、一緒に寝た。兄猫のように朝まで一緒にはいてくれなかった。
猫が生きている間に葬儀社を見繕ったり、アイスノンの用意をしたり、体が収まるサイズのダンボール箱を用意したりするのはつらかった。
でも、しておいてよかったと思う。きちんと見送ってあげることができたから。
鼻血や浸出液の塊を洗い落とした猫の顔は、やっぱり私にとって世界一かわいかったけれど、同時に諦めがつくほどに哀れだった。
大きくなった腫瘍が鼻の穴を塞ぎ、裂いて、口の中まで入り込んでいた。
処置をしなくてもあと2~3日だっただろう。
けれど、その2~3日あとには更に腫瘍が広がっていただろう。
どれほど頑張ってくれたのかわかって、うれしかったし、ありがたかった。
姉が言った。
「いっぱい愛してもらったね」
そう。猫に愛されていたのは、私だった。
安楽死を悩んだ時、はてな匿名ダイアリーの記事がとても参考になった。
自分のペットに対して安楽死を選択したことは、あまり口にできないことだと思う。
それから、鼻腔内腫瘍、鼻の悪性リンパ腫の転機についても可能な限り詳細に記した。
目に見える病気はつらい。これからどうなるんだろう、最後はどうなるんだろう。調べてもわからなかった。
もちろん、早期から悪液質になり、眠るように息を引き取る子もいるとは思う。
ただ、私にはそういう例が見つけられなかった。
ペットロスに関しても、亡くなる前の方がキツかった。
対処法を調べても亡くなったあとのことばかりで、毎日毎分生きてるか不安に思いながら涙する感情に対処する方法は見つからなかった。
結論から言うと、どうにもならない。だからどこにも書いていないのかもしれない。
とりあえずいつでも仕事をやめられるように貯蓄に励むといいと思う。かけられる人は不労保険とかもかけたらいいんじゃないかな。
自分に関して言えば、家で付き添うようになってからの方が不安は少なかった。
4日間の入院で15万円ほどかかった。
薬代が月に1.5万円~3.5万円。
CTが4万円。
もっともこれはミニマムな治療だった。良心的な動物病院だった。
抗がん剤を使っていたら、入院が長期に渡っていたら、考えるとキリがない。
これはもう、べきとか、なるべくとかではなく、事実として。
最低賃金上がればいいのに。
いつかどこかの誰かと猫の、役に立ちますように。
「twitterで感想を見かけたよ」と友達が教えてくれたので、検索して全部読んだ。
自己満足と、もし検索に引っかかればって気持ちで書いた乱文に、たくさんの言葉をありがとう。とてもうれしかった。
今でも歩いている時に何の前触れもなく涙が出たりするけれど、愛の量だと思ってる。
安心してるんだ。もう苦しんでいないって。
でも、私の帰りを待っていることはないって、それがどうしようもなく悲しいんだ。
話が複雑になるので詳細は省いたけれど、妹猫の話を少ししようと思う。
今回記事に書いたメインクーンが超絶寂しがり屋で、一頭飼いしてたら精神的におかしくなってしまったので、保護猫だった年上の女の子に来てもらったのが最初(便宜上姉猫)。
姉猫は10歳で先立ってしまった。その時も色々あったけれど、今回は触れない。
姉猫が亡くなってしばらくはメインクーン一頭飼いだったけど、やっぱり寂しかったみたいで、妹猫に来てもらった。
飼いたくてメインクーンを選んだけれど、飼ってみたらあんまりに愛しくて、猫のことを色々調べるようになって、保護猫問題やペットショップの不適切販売を知ったんだよね。
私は安易に猫を飼いはじめてしまったけれど、だからこそ2匹目は保護猫って決めてた。
妹猫は兄としてメインクーンを慕ってくれて、本当に仲が良くて、その姿は癒やしだった。
その時に弟猫だったメインクーンは、兄猫になったんだ。
妹猫は寂しそうだし、悲しそうにしてる。人間と同じように、悲しみを抱いて生きてくんだと思う。
「別れがつらいから二度と飼えない」って人に伝えたいことがあるんだ。
姉猫が逝った時、もういいかなって私も思った。兄猫が寂しがらなかったら、妹猫は来てなかった。
それは、亡くなったあとも、思い出が増えていくってこと。
妹猫を見て、姉猫はああだったな、こうだったな、って思い出すことが増えた。
最初はちょっとつらかったり、姉猫と妹猫を比べるようで申し訳なくなったりしたんだけど、すぐに違うなって気付いた。
妹猫を通じて、姉猫の思い出がどんどんやさしいものに変わっていった。当たり前だった記憶のひとつひとつが、キラキラ色づくようだった。
亡くなったあとも姉猫を愛しく思う気持ちはずっと続いていた。
兄猫がさみしがらなければ、妹猫が来てくれなければ、知らなかったこと。
きっとこれは、新しい子を迎えるつもりはなかったのに迎えることになったから気付けたことだったので、共有しとく。
別れはつらいけれど、悲しいし寂しいけれど、次の出会いを恐れる必要はないと思うよ。
いつかあなたが、愛し愛される家族とまた暮らすことができますように。
世界一をひとつしか持っちゃいけないって誰が決めたんだ。少なくとも私の辞書にはないな。
生きててくれるだけでよかった。逝ってしまっても愛してる。
あとな、創作って言ってた人な。
創作だったらいいな。
そしたらきっと今頃、どの子もうちで伸び伸び寝てて、パソコンに向かってる私のところに兄猫あたりが飛び込んでくる。
ずっとずっと愛してるよ。
ところでなんで増田なのか(あとでぐぐっとく)
家の近くの居酒屋で友達と飲んで、家でもうちょっと飲み直すかって
自転車が1台いたんだけどちょっと目を離して前をみたらいないわけ。
一緒に居た友人に「あれ?今自転車いたよね?」って聞いても
まあ道曲がったとかそのへんの家に帰ったとかもあるわなと思って
いなくなったところまで行ったら自転車とおっさんが側溝に落ちてた。
酔っ払ってて溝に気づかないまま車止めに引っかかって落ちたらしい。
こわごわと「大丈夫ですか?」と声をかけると反応があった。
僕「今落ちましたよね?」
おっさん「そうですね、落ちちゃいました」
僕「ですよね。起き上がれそうですか?」
受け答えはしっかりしてるんだけど、どうも危機感がないというか、
何かそれがちょっと怖かった。
目に見えて大量出血とか骨が出てるとか足が変な方向に曲がっているとかはなかったので、
友人に近くにある救急指定の病院に事情を伝えてもらうように向かってもらい、
僕はどこが痛いとかどうしてほしいとかそういう話を続けていた。
救急の患者が来た時に病院をあけることはできないと(そらそうだ)。
だから救急車呼んでくれって言われたということでその通りにした。
この頃になるとおっさんも少し動けるようになってきて、
血は出てなかったんだけど(擦過傷とかは別)とにかくコブがひどくて
頭打ってるみたいなんで一応念の為救急車呼びますねーって伝えつつ
119番の向こう側には「かなりヤバそうなので早めにきてください」って言ってた。
「君たちはもう帰っていいよ」って言われて帰ったんだけど、
おっさんが乗ってた自転車何ヶ月もその場所に置いたままになってて
半年くらいしてなくなったんだけど鍵もかけてなかっただろうし
容疑者は9月29日午前1時35分ごろ、川越市南台の市道上で無職の男性(51)を足で蹴る暴行を加え、同日の8時半頃に腰椎骨折などによる後腹膜出血で死亡させた疑い。
07年9月には、船橋市本町のスーパーで万引きした男性に暴行を加えて死亡させたとして、スーパーの店長(40)が傷害致死罪で逮捕・起訴された。
07年9月11日には墨田区のカードショップで漫画本1冊を万引きしようとした男性(29)が店員に取り押さえられ意識不明になる事件が発生。店員2名が翌日に傷害容疑で逮捕された。万引きした男性は漫画本1冊を万引きしようとしたところを店員に捕まえられ、殴りかかるなど暴れたため、押し倒して首を絞められた。男性は1週間後に死亡。警視庁は傷害致死の疑いもあるとして捜査していた。
万引きが「近年増えたということはない」
「全くないわけではないが、多発しているという話は聞いていない」(セブン&アイHD)
「近年増えたということはない」(ローソン)