はてなキーワード: 侮蔑とは
キズナアイはしゃべりの脚本家が特定されていない。今を生きる一人の少女がキズナアイの人格を代表して勝手に何でもしゃべってよいとされているわけではない。実際には、たくさんの萌えコンテンツ制作チームのおじさんたちが会議して一言一句精査したあげくしゃべる内容を決めてる。ここまではOK?
で、それって人間でいうと洗脳とか強要された状態なわけです。IS(旧イスラム国)がやってる性奴隷とかとおなじで、一見自然言語をしゃべっていても、本人の意志は完全にゼロの状態。
でも二次元だから、男性向けコンテンツだから、そして最後に人間のおもちゃとしてのAIだという了解が取れているから、そんなコンテンツも存在が許されたわけ。
もちろん現実女性もコスプレ風俗で働きたくなったら自分の意志で似合う衣装としてへそ出しを選ぶこともあるだろうし。
そういう成り立ちのキャラを完全に三次元扱いして実在女性と区別しないというのなら、
まずキズナアイの個性とか一貫した人格(本来の意味でのアイデンティティ)を見せてほしいんだ。
おじさんがだれでも勝手に使える「フェミからのかくれみの」ではないという証拠を見せてから、
じゃあ「本人の意志で着たならいいだろ!」って反論につかってあげてくれ。
ラノベや漫画のキャラが突飛な格好でもいいのは、エルフだから。異世界人だから。
現在のレベルでは、自律型AIが存在しないというのは文化庁の諮問委員も答申した事実。
もし萌え絵をたくさん食わせてAIが合成して吐き出したっていうなら、それも人間でいう洗脳だ。
萌え絵という現実で着るには同性や高齢者からの侮蔑さえ伴う、責任のある衣装を、
人格をもたせるつもりのキャラクターに、「現実」を知らせずに、
この後「えっこれってエッチなんですか、普通の高校生は制服・・キャア恥ずかしい」って
厚着に着替えるラブコメ展開の予定があるならちゃんといっといてくれ。
私見ではキズナアイの運営が今後それをやる気は絶対ないだろう(やる気があるならいままでにいつでもやるチャンスはあった)。
恥知らずな謝罪をたっぷりいわせてあとは手垢がつきすぎて誰も萌えられなくなるまで使い捨てられるだけの存在だろう。
そういう運営やNHKの女子キャラを女子キャラとも思わない態度も含めて怒っているんだ。
アダルトビデオのビジネスモデルっていうまでもなく判断力の乏しい10代~20代前半の女性の無知に「ライド」して売っているわけだけど倫理的観点から見てこれほど邪悪な産業はないと思う。
性を売る商売を侮蔑する風潮って全世界的にあるけどこれには一定の超越論的なものがあると思うわ。
一言で言えばアダルトビデオを撮るやつもそれに加担する人も「まともな大人のやることじゃない」んだよ。若者の判断力のなさを食い物にしてビジネスをしてるけど本来、大人がやるべきことは若者が向こう見ずに吸いこまれていくものに警鐘を鳴らすのが大人のすべきことだろ。ましてそれを儲かるから便乗して売ってしまえとかマジでどうかしてる。
性産業への批判ってそれ自体が陳腐化しててネットなんかではカウンターとして性産業も職業として認めろって意見をちらほら見るけど認めるってのも他人行儀な言い回しで大人がすべきは嫌われてもいいから認めないってことなんじゃねーの?
アダルトビデオに出演している女優は若者ゆえの無知だったり好奇心や金欲だったりするのでまだわかるがいい大人がアダルトビデオを制作してるのは本当に反吐が出る。
元増田だが、関東人のために解説すると、このボケ突っ込みは元増田へのネイティブチェック&意見表示だ。
「バカ/アホ」の用法が関東・関西で異なるというのは、有名なネタであり、この話者は自分が関東圏の人間であることを「過剰に」強調している。おそらくネイティブ関東人ならこの一文に「バカ」をつける必要はないと感じられるだろう。なぜか? ネイティブ関東人にとっては「関西人」と呼ぶこと自体にナチュラルに侮蔑の意がこもるからである。「なに関西人がイキってんの」だけで充分すぎる侮蔑である、と関東人は思う。ちなみに、この侮蔑のニュアンスは関西人には理解しがたい(自分の出身地域に対して原則引け目を感じることがないから)。しかしたとえば関東で「東北かよ」みたいに言われることにどういう意味があるかを想像すれば、関東人でない人間を関東人が○○地方の人と呼ぶこと自体に、どのくらいのニュアンスがあるかは想像できるかと思う。おそらくこの書き手はそれも踏まえた上で「過剰に」関東人を演じてみせた、とここから推測される。
「道頓堀」というやけに具体的な地名をあげることで、話者はむしろその地域を具体的にイメージしている、と伝えてしまっているが、それがこの文の仕掛けである。相手を「田舎」と非難する場合、やけに詳しい内容を言うことは本当はおかしいわけで、この発言は、一見元増田を非難している風に見せかけながら、この書き込みが「ボケ」であることを雄弁に物語っている。突っ込んでいる風に見せながらボケているわけだ。つまり、自分を「落とし」ながら、何か別のことを伝えようとしている、ということが伝わる。
これは、関西人同士なら基本に属する軽いジャブのやりとりだが、この解説で、「喧嘩しているようにしか見えない」と言われる関西ネイティブの会話の内実の一端を、関東の方にも感じとっていただけたことと思う。この増田は、このボケ突っ込みを「本当に元増田が関西ネイティブだったら受けきれるはず」と信頼した上で、「こんな話を丁寧にしてもおそらく伝わらないから、さっさと店じまいした方がいいよ」という意見を、自分を「アホ」に仕立てながら(配慮)やんわりと元増田に伝えてくれているのである。関西ネイティブの同士である増田には、せっかく関西人らしいハイコンテクストなやり方でご意見をいただいたのに、それを全部ネタバラシするようなことをして誠に申し訳ない。が、それがあまりにも面白かったのでついつい解説してしまった。今は反省している。
http://scopedog.hatenablog.com/entry/2018/10/07/000000
についての補完です。
上記記事が綺麗にスルーしている旭日旗問題の起こり、よく言われる2011年AFC当時の奇誠庸の発言とメディアの動き、そして日本サッカー協会がどうしたかが次のサイトに残っていました。
http://momolunafever.blog64.fc2.com/blog-entry-618.html
この記事からは日韓戦以外でも旭日旗が問題なく使われていた事から、旭日旗が政治的意図、差別的意図など持たずして日章旗より少数ながら普遍的に応援旗として使われていたこともわかります。
どう見ても日本に非はないばかりか、日本を侮蔑した上にありもしない旭日旗でケチをつけられたことに対して日本サッカー協会は寛大にも不問としました。
しかし以降も韓国メディアは旭日旗があったこととして日本批判を走らせます。
http://specificasia2.blog12.fc2.com/blog-entry-4104.html
そして2012年、スポーツの場において立て続けに事件が起こります。
【8月】
https://japanese.joins.com/article/j_article.php?aid=157386
↓
http://news.livedoor.com/article/detail/6849042/
↓
そしてとばっちり
「ユニフォームが旭日旗を連想」と難癖 韓国で日本体操メダル剥奪要求
https://www.j-cast.com/2012/08/13142714.html?p=all
【9月】
一方U-20女子W杯において日本サッカー協会は旭日旗を一時持ち込み禁止としました。
http://deliciousicecoffee.jp/blog-entry-4776.html?sp
読みづらいので要点のまとめだけ抜き出すと…
発端 韓国のオリンピックでの蛮行。この行為の逃げ道に韓国は旭日旗を持ち出してきた。
↓
1.日本サッカー協会(JFA)、U-20女子W杯会場への『旭日旗』持ち込みを禁止に
↓
2.日本サッカー協会(JFA)、HPにU-20女子W杯会場への『旭日旗』持ち込み禁止を明記→該当ページ削除される
↓
日本サッカー協会は当初、政治的なトラブルを招くという理由で観客の旭日旗所持を禁止した。
しかし大会開幕直前に突然、「FIFA規定の拡大解釈があった」とし、禁止方針を撤回した。
小倉純二日本サッカー協会名誉会長も28日、「日本国内で禁止したのではない。旗の搬入は止めない」と明らかにした。
↓
4."旭日旗持ち込み許可に抗議”…韓国サッカー協会、U-20女子W杯をボイコットか
↓
韓国メディア、日本のサッカーファンは普段より激昂している。明日は旭日旗登場か
↓
こうして韓国や日本サッカー協会による旭日旗を巡る問題に関して在特会の反発まで招いた結果、scopedog氏が上げているあえて旭日旗だらけのデモにつながります。
氏が上げている写真も2012年9月末のもの。ドンピシャです。
おまけですが2010年の在特会のデモの様子。スポーツの応援と同様、旭日旗はあっても少数です。
http://shinn1968.seesaa.net/article/139254289.html
これ以降も発端である“ありもしなかった旭日旗”に関する反省はないばかりか、旭日旗は戦犯旗と言い、旭日旗に関係ないありとあらゆるただの旭日デザインにまで現在進行形で旭日狩りを進めているのが韓国です。
ちなみに韓国の旭日旗に対する批判は2011年以前もありました。
https://matome.naver.jp/odai/2137549386765563801
しかし当時、そこまで問題化していなかったのは2011年以前、普通に応援旗として使われていた事からもわかります。当の韓国人が使用するくらいには内輪な話だったのでしょう。
日本で言えば太極旗を身にまとった日本人を在特会が批判するくらいの事だと思います。
それがなぜ2011年、あの時から国際問題化させたのか?これにはちょっとした推察があります。
それまでは韓国に差別的な在特会もネトウヨも、韓国批判のために旭日旗を大して持ち出した事がなく、韓国の旭日旗批判は空回っていたのだと思います。
そこを結びつけたのが奇誠庸の嘘「旭日旗を見て涙した。」だったんでしょう。
つまり、『日本の極右が旭日旗を使って韓国人を煽ったから』と言う大義名分を彼らは得たわけです。
信じ込んだ韓国人が2ちゃんねるにサイバー攻撃を仕掛けたことは先に上げたサイトに残っていますね。
以降その嘘はどこ吹く風、彼らが既成事実として論うのはscopedog氏も同様、在特会による2012年以降のデモや、旭日旗でのスポーツ応援となりました。
ちなみのちなみに上記まとめにある韓国発の記事は2006年から。2005年末に親日罪を制定した反日ムード真っ盛りの盧武鉉政権下からのものが多いですね。
旭日旗問題についてこのサッカーとの関係性はどう見ても切り離せないし、調べればすぐに出てくる事実なんですが、普段歴史的資料に勤勉で成り行きを順序立ててデマを批判されるscopedog先生がなぜこのサッカーの話を見落として旭日旗問題に触れられたのか。
猿も木から落ちるでしょうか?
左翼の人達がちょっと気に入らない相手だと「下」に規定して侮蔑するのを何度も何度も見た。
知能が下とか経済的に負け組とか学歴が低いとか異性にモテないとか。
これを見た瞬間に感じるのは左翼のほうが数段難しいということ。
左翼をちゃんとやれるぐらいに人類が種全体で進化出来たら左翼の方がすばらしいのはわかる。
けれどもそれは絶対無理なので左翼は捨てて、右翼にも警戒し、なるべく中道を探るというのが現実案になるのだろう。
このように左翼になるか右翼になるかの二つに一つだよ、のように
整理してると見せかけて選択肢をその二つに絞って提示するのは嘘だし有害だよなと。
左翼か右翼のどっちかにならなきゃ駄目といわれたら政治に足を踏み入れたくなくなるだろう。
左翼おじさんも右翼おじさんも自分達の醜態に気づいてない&自分と自分の敵以外の道が無いと思ってるところが老人だと思う。
『労働者』と『資本家』ならそう書くべきところを「下と上」と書いた以上はそこに別の情報や別の意図を見出すのは当然(今回取り上げた人だけが使ってる言い回しでもない)であって、『労働者』と『資本家』だとして読むべきなんだよ、と言いだされても困る。『労働者』と『資本家』があまりにもアナクロになったので別のアングルや別の敵を求めた結果「下と上」のような言い回しが使われ出してるのであって、個人の言い間違いではないのだから。
別の人が(後出しで)「って話なんだけどね」と別の話を言い出してるわけで、それは別の人の別の見解として自覚を持って言ってるならいいけど(それを私に言われても困るんだけど)、元となってるnagaichiさんやそれを支持する人たちについて解説・擁護してるつもりならおかしいよね。
そのとおり。「本来の意味」や「本来の用語」を捨てたことには必ず意味や秘められた意図があるので「下と上」について論評するのであり、そこに「正しくは資本家と労働者だ!」なんて基本的なことをドヤ顔で言われても困るのであり、一人目の人はもうちょっと考えてから書いてほしい。
この人は、本文で言っている平等が「同じ程度に心が弱い」という人間の仕様の根本の話をしていることを理解できず、偏差値や知能のような末梢のスペックの話を思い浮かべてるのだと思う。
そういう単純で硬直的になったパラダイムに反対する、という話も読めてないのだと思う。
残念ながらそういうきれいごとは結果的にとっくに嘘になっていて、「下と上」というパースペクティブを持つせいでひそかに(または公然と)人間に上下をつけることは左翼の方が右翼より激しくなっている面すらある。
右翼は自分達の”当然の権利”を守ろうと言う権利護持活動になっていて、左翼は”下の者”にわからせようという劣等攻撃活動になるという転倒現象を見たことがない人は少ないと思う。
左翼が”下の者”を苛烈に侮蔑して興奮しているのを何度も見ることは冒頭に既に書いた。
左翼が右翼に劣ると言ってるのではなく、同じ人間なので同じ程度の知的能力があり、思想は左翼思想のほう目的地も難易度も高いために人間に実装すると左翼のほうが嘘や矛盾が多くなる、という話をもう1回繰り返す羽目になった。
この方も。本文の「能力」が何を示唆するか読解できずに学歴等の話だと思い込んでる時点であなたの好きなそういう末梢の指標で言えばあなたは劣等だよね。(個人的にはあんまりそんなところに意味は感じないんだけど私の偏差値はたぶんはてなの殆どの人より高いです。)
元のコメントは恐らく松尾匡先生の言葉を引っ張ってきていて、そこで言う上、下は資本家と労働者階級のこと(松尾先生はマル経なので) 世界を一面的に切り分ける方法が人により違い、それが思想になるということだ
その思考法やカテゴリ分け自体が脳硬化した老人のパラダイムなので若者にいきなりぶつけて若者の脳味噌を狭めないでほしい、という話をしているんです。
実際多くの人は完全な右や左の思想を持ってる訳ではなくて、話題によって賛成も否定も無関心ある。どんな政党の主張でも政策ごとに支持も不支持もする。一部のネトウヨやアベガーの人達が超現実を生きているだけだ。
おっしゃるとおりなので(ネトウヨとかアベガーすら脳硬化の香りがするので好きな言葉ではないが)、政治の話と聞くと古臭い二分法パラダイムを持ち出す(右や左と言う分け方、右の中で内や外、左の中で下や上という分け方、)人がしゃしゃりでて人気上位コメントになる現象の老人臭きつすぎると感じる。
「わしらと同じ単純な切り分けをしない奴は半端もん」。老人怖すぎでしょ。
Cunliffe 間違いなく下半分というか1割に入ってしまうネトウヨ、リフレカルト、ニセ科学批判カルト、原発推進派に憐れみ掛ける奴なんていないでしょ。 これはひどい しねばいいのに こいつバカ
「左翼はそんなんじゃない」とか白々しくとぼけられるとめんどくて困るので実例ありがたいです。
filinion 「下の味方」というのは、貧困層やマイノリティなど社会的弱者に味方する、という意味であって、倫理的に下劣な人間の味方をするという意味ではない、というだけの話。経済力や知能が低い人は社会の保護が必要。
だからそうやって「倫理的に」「下」とか「劣」とか見極める能力や資格があんたにあると思うのは巨大な思い上がりで、一度そういう思考法を許したが最後「下」や「劣」を見下すことに熱中するしょーもない人間に成り下がるんじゃないですかね。
というかもう成り下がってるからこういう話が理解も出来ないし、理解できないなりに自分達の”権利”に是非をかけられて脅かされてることだけは敏感に察知して激しく反発してるんだよね。
っていうのも何様なんだよ。貧乏人や低知能がいつあんたみたいな偉そうなだけの無能に救われたいなんて言ったかね。幻聴もいい加減にしたら?
しかもさ、「社会的弱者に味方する」とか見栄切っておいて「社会の保護が必要」ってずいぶん後ずさった他人事じゃん。
実際あんたはあんたの言ってる「社会的弱者」や「経済力や知能が低い人」を助ける活動を何か日常的にしてるの?偉そうな勘違い馬鹿でも最低限それをやってるなら認めるよ。
たとえば毎休日つぶして貧乏な家の子のために身銭や労力切って食堂や寺子屋やってるならそういう左翼は超尊敬する。してるの?どうなの?
ほっとんどの左翼はしてないよね。毎日毎日人助けもせず暇な時間は全部ネットにつないで「下」を見下してるだけじゃんか。あんたらが何の役に立ってるんだよ?
取引先と飲んでいるとき、部下が「若い自撮り女性の承認欲求の痛さ」について語り始めて、それに対して取引先の女性が「過去自分が自撮りしていたこと」を語り返し、空気が凍った。
取引先の女性は一見落ち着いていて、自撮りをしなさそうなタイプ。部下は取引先にサービスしているつもりで、一緒に嘲笑しようとして自撮り女性をネタにしたつもりが、
結果的に取引先の女性の過去を侮辱した。いわゆる自撮りをしてそうな人に見えなくても、過去はわからないし、「共通の侮蔑対象」で仲良くなる手法はリスクが高い。
自分が侮辱されなくても、その手法を使われただけで下品な印象を持つ人もいるので、距離を詰める手段として良くない。使えるコミュニティでは、今でも使えるんだろうが。
「「Kimonoは『人種差別主義』『帝国主義』」芸術イベントで理不尽な日本批判 https://www.sankei.com/west/news/180905/wst1809050009-n1.html
読めばすぐ分かることだが、ライターの方はボストン美術館に寄せられた批判に対しておっそろしく頓珍漢な反論を行っている。
事件は当時有名になったから、ご存じの方も多いと思うが、教科書なんかにも載ってるモネの「ラ・ジャポネーズ」の絵の前で着物を着せるイベントを企画したら、アジア系の人からクレームがきた、というものだ。これは、当時大変盛んだった Cultural appropriation(文化の盗用/文化簒奪)やという視点に基づく批判の典型である。つまり、「弱者であったアジアの文化を、強者だった西欧人が真似して楽しむ、というのは、西欧がアジアから簒奪してきた歴史への反省や異文化に対する敬意を欠いた尊大な振る舞いである」という主張だ。日本でも、近年ようやく「ステレオタイプな異文化理解やその模倣が、異文化に対する敬意を欠いた失礼な振る舞いになる」ということにいくらかコンセンサスが生まれつつあるが、自国内で異文化と日常的にふれあう経験が少ないせいか、これを重要な問題と理解することがなかなか日本人には難しいようだ。
個人的に、この「文化の盗用」論に100%賛同するわけではない。特に、あまりにも過敏な反応は、逆に内なる差別性の表明、あるいは強者の驕りではないかと思う場合すらある。少なくとも、モネの絵の前でその真似をしたくらいで目をつり上げるほど怒る必要はないと思う。それは、「真似をする」行為がリスペクトを意味しもするという風に感じられるからだ。
しかしながら、「相手の真似をする」という行為は、一方で相手を侮蔑したり揶揄したりするときにも行われることも考えておくべきだ。大人しく着物を羽織ってる程度ならまだしも、そのまま椅子に腰掛けたら? その程度なら問題ないだろうか。では、たとえば撮影した写真に滑稽なタイトルを付けてSNSにアップすることは? あるいは、その着物を羽織ったままわざわざ眼鏡をかけ首からカメラをぶら下げる真似をしだしたら? どの時点からそれは「アウト」なのか。もちろん「リスペクトのない行為はダメです」とは言えるだろう。だが、残念ながら「内なるリスペクト」とやらを検証する方法はない。リスペクトを言い訳にすれば何をしてもいいのか。あるいは、結局、みている日本人の「お気持ち」だけが判断規準になるのだろうか。そんな明文化できない規準を我々はいちいち振りかざすべきなのだろうか。
それよりも、単純に「少なくともそういうこと(文化の盗用と疑われること)は軽々しくやっちゃだめ。少なくともダメだと言われたらすぐやめましょう。」というあたりが、今のところ落としどころになっている。今のアメリカでの「文化の盗用論」というのは、おおむねそういう風に理解しておいたらよろしいと思う。
以上の話を踏まえれば、御年73歳のこのコラムのライターの「分かっていなさ」「恥ずかしさ」がよく分かると思う。この方が引用した3人の批判者の主張はこのイベントが「アジア人に対する人種差別主義」であり、ステレオタイプが抱く「異国情緒」を楽しむ低俗なイベントであり、そして「帝国主義」的であるというものだった。そして、ライターの方はこれを「日本批判」と捉えたらしいがとんでもない誤解で、明らかに事実はその反対なのである。彼女らの主張は、「文化の盗用」と見えるイベントを企画したボストン美術館の姿勢自体に「アジア人に対する人種差別」があり、モネの絵のような「ステレオタイプ」なヨーロッパの東洋のとらえ方に基づく流行(=ジャポニズム)を今また模倣することは、かつての西欧の帝国主義の無邪気な肯定にすらなっている、ということである。そこには、日本に対する一欠片の批判の意図もなく、彼女らはむしろ「西欧帝国主義のおもちゃにされている(と彼女らが信じる)アジアと日本文化の尊厳」を守るべく、ボストン美術館に対して声を上げているわけだ。(かれらが掲げるプラカードも、体験する来館者に対して「あなたが着物をきてキュートで異国的に見えたとしても、それは差別じゃないの。美術館のイベントでなければね!(It's not racist if you look cute・exotic in it. Besides MFA support this!)」という、美術館批判の趣旨の言葉である。)
ネットに残る写真に写る方々が中国系アメリカ人なのか、日系なのかは知らないが、彼女らの出自などというつまらないことで邪推し、彼女らが「日本を批判しているに違いない」と思い込んでヒートアップして美術館に手紙まで送ったこのライターの方の行為は、相当差別的で恥ずかしい。
しかしながらもっと恥ずかしいのは、「文化の盗用」のような、現代の「差別」をめぐるごく基本的なワードや議論を全く知ることなく、このような稚拙な内容のコラムをそのまま掲載してしまった産経記者のあきれるような無知である。こういうところで「所詮は二流新聞」とあなどられることになる。それがイヤなら、産経は好き嫌いをせず、あおり記事ばかり書かせる練習をするのでなく、記者にもっときちんと勉強をさせるべきだと思う。できればライターや読者にも。
なお、参考までに、事件当時も似たような方々が大量に湧いていたらしい。こういうのなんて言うんだろう。セルフ釣り?(参考:https://togetter.com/li/845708)
最近「ガイジ」を軽率に使うんじゃない、的な啓発をよく目にする。おそらく本当の障害者に「ガイジ」と言うようなことはしないから、「ガイジ」で傷つく人のことを考えない軽率さが生まれるのだと思う。それでも「ガイジ」を軽率に使うな!と言う人がいるのは、健常者を「ガイジ」と侮蔑することは、障害者は侮蔑されるものである、ということを含意しているからだろう。しかし、「ガイジ」を使う側に障害者を侮蔑する意識があるとは思えない。
「ガイジ」を使わないで!と呼びかけるよりも効率的な「ガイジ」駆逐の方法がある。それは、「ガイジ」を軽率に使う人たちが表現したい侮蔑のニュアンスを含む、よりキャッチーで当たり障りのないなフレーズを普及させることである。
私がよく使う表現は「害悪」だ。「ガイジ」と語感が少し似てるので、「ガイ…悪」と踏みとどまれるという特徴もある。「ガイジ」のように特定の人に流れ弾が当たることもない。良い侮蔑表現だと思う。
言葉狩りなどの議論では、「言葉を禁止しても、差別する心が変わらなければ意味がない」という意見が見られる。私が提案した手法はまさに、「言葉を変えるが、侮蔑する心はそのまま」にするものである。しかし意味はある。「ガイジ」の軽率な仕様の問題点は障害者への流れ弾だ。人を侮蔑してはいけない、という根本的解決は非常に難しい。それに、謙遜の文化がある日本で「自分を侮蔑してはいけない」ということを徹底させるのは非常に困難ではなかろうか。
これは軽率でない「ガイジ」の使用、つまり障害者にも「ガイジ」と言ってしまうような層を改善するものではない。これはやっぱり、差別する心をどうにかしないとどうにもならないと思う。
こういう層から生まれた言葉が軽率に広く使われないように、いたちごっこではあるが、当たり障りのない侮蔑表現を広めていこう。
こういう人ほど問題があるんじゃ?という人がいるけど、まさにそのとおりだと思う。
じゃあどういう人は問題がないのかっていうと、犯罪もせず、生きることに真面目な人だよと。
むしろそれが関係しているのは、現代の経済力の低下による貧困化でしょ。
企業が低賃金で人を殺そうとして、年功序列だなんだと言っている老害が偉そうにしている世の中。
挙げ句にその老害が今度は車の逆走やら、様々なことで若者を殺しに来てるじゃん。
もし婚歴が人間性に関係があるというのなら、婚歴を持っている老害たちは人間性の異常があるってわかるよね。
結局、婚歴なんか関係ないわけだよ。
本当に相性が合う人が身近にいないってだけで結婚しない事もおかしくはないでしょ。
妥協して結婚してあとで離婚するようなアホみたいな事をしているほうが、よっぽど人間性に問題があるんじゃないの。
お決まりのセリフで「価値観の違い」とかいってたら、なお救えない。
リアルも充実してるだろうし「他人が結婚してないことに人間性に問題がある」なんて言わないと思うよ。
人間性に問題があるから、他人を指さして結婚しないのは人間性に問題があるなんて侮蔑の言葉を投げているんだろうし。
結論として、婚歴の有無で人間性は関係ないし、関係あると考えている人間こそ問題の塊であると考えられるよ。
なんでこんな人ばかり世の中に増えちゃったんだろうね。