はてなキーワード: 一世とは
残り二つは同一視しても良いが、敢えて分けるならゲームクリエイターに一人その表記のDaigoがいるらしい
元々はDAIGO⭐︎STARDUSTという名前だったが、BREAKERSというバンドを結成した時にDAIGOに改名
出生名は内藤大湖
よく本に囲まれて立ちながら早口で喋っている人の動画を見かけたらそれ、DaiGoです
弟が三人いる
配信を始めたことで割とフランクにズバズバ言ってくれるタイプだと判明
ちなみにウメハラがぁ!の実況の方はがまの油という人
俺はやったことない
絵は可愛い
大悟:
でもどっちもなんよって言うので
どっちかっていえば
なんよで目が細い方がノブで
この時代にタバコ吸ってるところが映っても「こんな阿呆がまだおるんや」で許されるタイプが大悟
電車に誰も乗ってなかったわよ。
つまりそう言うことよ。
まあ私はここの事務所はあんまりそう言うの関係ないから来るときは来るってだけだけど、
あまりにも暇というか、
でさ、
操作もまだおぼつかないまま
私は飛び込み前転をするかの如く
まだレヴェル1の若葉ファイタータマネギ戦士と言ったところかしら。
目の前に敵が操作できなくて、
美味く応戦できないの!
でね
ぜんぜん操作が思った通りに操れないけど、
まぐれで敵チームの人をやつけたら、
私ごときの若葉ファイターのタマネギ戦士にやられるなんてよほどのものね。
10年早いわよ!
って今日から始めたばっかりの人に言われるこの屈辱を味わいなさい!って言いたいわ。
基本やられっぱなしなんだけど
なんとかレヴェル4ぐらいまで言ってお小遣いも貯まってきた頃で
色々なギアやブキを買えるわけなの。
いわゆる、
ここで装備していくかい?ってあの武器屋のマスターが言ってくれるカッコいいセリフキター!って感じで、
私は新しいブキと洋服とかいろいろ買い込んで装備してまた戦場カメラマンの渡部陽一さんのゆっくり解説しそうな勢いの飛び込み前転でインターネッツの人たちとまたチーム戦を繰り広げるのよ。
でもブキを新しく新調したところで
やっぱりぜんぜん打たれるばかりなの。
でも、でもよ。
あのロボットバクダンが私の敵を取ってくれてやられる間際にロボットバクダンを2発お見舞いしてやったのよ。
私が死んでもロボットバクダンがしばらく歩いて敵チームの人に歩いて向かって炸裂してくれるから
私の敵を恩で返すよう仇のように敵討ちをしてくれたの。
やったー!って
なんかブキいろいろあるけど、
どれも一長一短あってなんか上手く使いこなせないわ。
でね、
チーム戦で疲れたら
いきなり初戦ボスのパン焼くトーストのお化けのボスが倒せないのよ。
倒し方は分かるけど、
パンが焼けたよ!って出てくる瞬間ペンキを塗って以下になって泳ぎ登っていく一連の操作ができないの!
頭では分かっているのに頭では分かっているのに、
全然登れない前前前世の呪いでもかかってるのかしら?って思うほど登れないの。
でね、
あの焼きたてパン!
いやあの焼きたてパンを恨む前に私がポンコツ操作を繰り広げるものだから
ゲームのコントローラーと一緒に身体が動くダサいやつを地で行くように私もやってるわけなのよ。
でさー
チーム戦で背後に敵に回られたとき、
ぐーってコントローラーを後ろに回しても身体が回ると画面が見えなくなるから、
うわ!私の状況も今このマルチーズ犬のようになってないかしら?って
かの一世を風靡した、
年収低すぎお姉さんや
あーあ。
またやられちゃったわって。
レヴェル1のヤツが来たぜ!最悪だな!って同じチームの人たちは文句一つ言わずに私と一緒に戦ってくれるのも
不思議と私をスプラトゥーンが受け入れてくれているかのように思えるわ。
たぶんみんな自由にしゃべれるなら
お前何やってんだよ!って言われかねないこのご時世、
またスプラトゥーンでも生きづらい世の中の縮図にならないだけまだマシだわ。
まあとにかくまだ私はひよっこ新米若葉ファイターのタマネギ戦士なので、
お小遣いもいろいろ貯めて
スマブラで見た!ってここで進研ゼミのこの問題やった!って感じが出てて、
これが憧れのあのステージだったのかー!って思ったのよ。
でね、
本当に落ちたらアウトなところも普通に進めるわけ。
要は落ちて自滅しちゃうって事なんだけど、
柵作っとけよ!って思ったわ柵を!
あんまりステージがどうなってるのか分からないからとりあえず飛び降りてみました!って軽いのりで飛び降りたらやられちゃったわ。
私が復活するまでの間チーム戦が不利になってしまってゴメンなさい!って謝りたいぐらい。
旧暦の七夕祭りやってるところを探して短冊にお願いを書いて吊したいところよ。
うふふ。
そばとそーばだけにね。
一晩じゃ味が薄いようなお茶っ葉が足りないのか分からないけど、
ごくごく飲んでる瞬間は味を感じないのよね。
ふっとしたときに味が来るのよ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
大学生の頃、教職課程の介護実習でデイサービスセンターに5日間お世話になったことがある。そのとき90歳も越えようかというあるおばあちゃんと色々とお話したことが今でも印象に残ってる。そのおばあちゃんは僕の顔を見ると毎日口癖のように「今あなたが生きてるのは親のおかげなんやから親に感謝しなあかんで」と言っていた。僕自身恵まれた家庭環境で育ったわけではないし、何より哲学という捻くれた学問を多少なりともかじっていたこともあって、彼女の言葉を素直に受け取ることができなかった。「いやいや、『存在』の原因の話をするなら第一原因にまで遡るべきだし、神ならまだしも何で親で遡及を止める必要があるんだ」とか思っていた。哲学を少しでもかじったことのある人間は基本的に、肯定するにせよ否定するにせよ、いま・ここという仮象の世界と、そうではない真実の世界という二元論を前提として持っている。そして得てして二元論を持つ自分は一元論に留まる大衆よりも正しい仕方で豊かに世界を認識していると思いこんでしまう。もちろん自分もその例外ではなかった。おばあちゃんの説教はとても素朴な一元論の立場からの言葉にしか聞こえなかったし、そこに道徳的、政治的なある種の危うさすら感じた。そして実際そういう側面はあったのだろうと思う。けれどもおばあちゃんを不快に感じたことは一度もなかった。一人で起き上がることすら出来ないほとんど骨と皮だけになったしわしわのおばあちゃんを見ていると、その言葉が実際のところ何に規定されているのであれ、少なくとも一世紀近く生きてきた中で彼女自身が確信してきた信念から出てきた言葉なのだということを感じた。だからと言ってその人生哲学だか生活哲学を無批判的に受容すべき理由にはならないのだが、そうなのだが、あのおばあちゃんをイドラに囚われた啓蒙すべき人間としか見なさないような哲学に豊かさはあるのかと強く思う。
スマブラのDLCとしてテリーとカズヤが参戦したことで、forからのリュウ、SPからのケンと合わせてスマブラに格ゲーを代表するキャラが4人も揃った。
最後にDLCで格ゲーキャラが来たら格ゲー四天王じゃないか。さて誰がふさわしいだろうか。
言うまでもない。バーチャファイターのアキラだ。miiコスでもう出ている。
格ゲー四天王と言ったら、ストファイ、餓狼、バーチャに鉄拳。鉄板だ。
じゃあ四天王二軍はどうだろう。
早い。もう埋まった。
冷静に考えると、四天王が二軍まですぐに埋まるゲームジャンルはなかなか無い。
落ちものパズルだと、ぷよぷよ、テトリス、あとはパッと思いつかない。
FPSは、PUBG、フォートナイト、荒野行動、APEXで四天王は埋まるけど次はない。
シューティングゲームは、ゼビウス、インベーダー、グラディウス、ツインビー、ダライアス、怒首領蜂、人によっては東方Project等々…と四天王すら決まらない。
明確に名作が4本、その下に秀作が4本あるゲームジャンルは、なんやかんや言ってかつて一世を風靡したジャンルだと思い知らされる。
各メーカーが凌ぎを削り、名作と呼ばれるゲームだけが現代に語り継がれているのだ。それが伝説の格ゲー、格ゲー四天王と格ゲー四天王二軍だ。
だが待ってほしい。まだ二軍落ちの中にも名作と言える格ゲーはある。
人気や名声は四天王や四天王二軍には劣るかもだけれど、間違いなく楽しんだ人がたくさんいるゲームが溢れている。
サムスピ、BLAZBLUE、DOA、ソウルキャリバー、龍虎の拳、ヴァンパイア、ジャス学、メルブラ、まだまだあるはず。
決まりきった四天王や二軍ではない、20年前の格ゲーブームの頃のかすかに残る楽しかった思い出のゴリ押しかぶつかり合う、面白い議論が巻き起こりそうだ。
スマブラで初めてテリーやカズヤを見た人間たちに向けて、まだ見ぬ格ゲーをアピールすれば、格ゲーというジャンルが復活するかもしれない。20年ぶりに新たな同好の士に出会えるかもしれない。そんな流れが続いたら、もしかしたら若者の格ゲー離れ的なアレは解消されるのではないか。もしかしたら四天王三軍の中に、スマブラ最後のDLCだっているかもしれない。そう思うとなんだかワクワクしてこないだろうか。
何より人が揉めているのは見てて楽しい。
「契約を確かに履行する国であることの証明」、これ一点である。
資源もない、技術もない、外交力もない、金もない、学力は長期低下、スポーツも主要競技は万年二線級、政治家は与野党ともに利権と忖度だらけで国民そっちのけ…
そんな日本が唯一世界から賞賛されているのは、契約履行に対しては極めて遵守意識が高いことだ。
例えばサッカーのプロリーグでは、契約通りに給料を払うのは日本のJリーグくらいだという。額面は決して高くないが、給料が決まった日に確実に支払われることを魅力とみて日本に来る外国人選手は珍しくない。元名古屋のストイコビッチが長く名古屋に居てくれたのはそのためで、「ある日社長に呼ばれたから何事かと思ったら、事務ミスで給料振込が1日遅れるという謝罪だった。なんの問題もなかったよ」という笑い話が実在する。
昨年のコロナ禍でもJリーグのクラブで給料不払いは一件も出なかった。J2以下も含めて。日本は如何に契約履行を重視してるかの好例だろう。逆に海外から高額オファーをもらって意気揚々と日本から出ていくも、現地で不払い食らって右往左往する事例は多数ある。最近だとA代表の浅野が現在進行形で食らっている。
中国、東南アジア、中東、欧州などは契約書は参考程度にしかならず、契約通りに金を払ってくれたり任務を遂行してくれることのほうが少ない。例えば二週間の作業を委託した場合、二週間で半分くらいしか終わってなくても平気で作業を打ち切られるのが普通だ。
契約不履行が当たり前の世界にあって、契約を何としても履行する日本はそれだけで特筆すべき価値があるのだ。だから日本はいまだに先進国扱いしてもらえてると言ってよい。
が、仮に五輪を中止してしまうと、その価値がゼロになってしまう。
資源もない、技術もない、学力もない、金もない、契約も守らない…
そんな国、誰が相手してくれるのだろうか。
今までははいくらになります、言っていわれたあとで店員さんにお金を手渡しするプロセスがあった。
だけど今はレジ打ち後に駅前のきっぷのようにお金を入れて店員は突っ立っている。
結局ゆくゆくは全自動化してゆく流れだという話なんだけど、そこにあった目線を合わせる行為がない。
例えば店員さんにお金を渡すときちらとでも顔は目に入るし、そうでないときでも手はみてしまう。
このときになんとなくこの店員さんはこんなひとなのか、がさつなのか丁寧なのかという感覚がある程度想起される。
ところが、自動支払は商品をレジに提示して向こうが適当に機械をいじったらもううつむいてる。
本来商行為は値切りであったり、娘さん元気にしてるなんて会話が発生したり、今日は新鮮な魚が入ったよという呼び声があって、それ自体がコミュニティだった。
今の商行為殆どがコミュニティではないことは約一世紀過ぎてるから仕方ないにしても、商から人間を切り離す行為なんじゃないかと思ってしまった。
その行く突き先は資産管理、つまりビットコインなんかの仮想通貨。
みんながめんどくさくなるので、むしろ宅配業者と話すなんてこともない。
実際自分も宅配業者とは話さない。自分が気持ち悪く感じるし、宅配のひとも迷惑だろうから。
この世界観はカードを使ってるひとからしたら当たり前だったんだろう。
しかしカードとはまた別次元の、ひとを介さない世界が出来上がろうとしている。
大衆が大衆のためのコミュニティスペースを持つ場はどんどんなくなってる。
個人的に、全ての人間がテレワーカーになればいい、程度に考えていたものの、そうした光景が消えること自体にはもの寂しさがある。
今私が住んでいる所の話じゃなくて、私の実家のある市の話だ。
ちょうど、アラフォーの私の世代で、突然子供の数が急減し、以降微減を続けて三十年ほどで、こうなった。
まあ、全国的に少子化な訳だし、要因は主に経済的な事情だ。しかしこんなにも減らなくてよくね?って考えたとき、ふと思ったんだが、そもそも辺鄙な田舎に昔は何で小学校が五校以上もあったのか?っていう。
市内の風景を見ると、家自体はあまり減ってない。私が高校生くらいの頃はむしろ盛んに宅地開発が行われていて、世帯数は増えたくらいだ。なのに子供の数は減少の一途をたどり続けた。何校もの小学校が必要だった理由は世帯数の減少ではないんだ。
じゃあ多くの小学校が必要だった本当の理由って?って更に考えた結果、単に一世帯の子供の数が昔はクソ多かったからだと気づいた。
私の父なんぞ十二人兄弟だった。母だって六人兄弟だ。一世帯だけで、現在の5~10世帯ぶんの子供がいた。
その沢山の子供達の中で、生まれた場所に残れたのは基本的に家を継いだたった一人だけだ。近場で結婚できた女性も残れたかもしれない。あとは全員家を出ていった。多くは地元に職がないので遠くに行った。親が土地をくれて家を実家の近所に建てられた人もいるかもしれない。だがそれはごく一部だ。
沢山の兄弟を持っていた人達で、自分も沢山の子供を儲けたという人はあまりいない。二人か三人兄弟が多い。当然、一世帯につき小学校に通う子供の人数は少なく、通う期間も短い。
それは認識が間違ってるね。
ダイの大冒険が登場して以降も少年コミックにおいては和製ファンタジーって長い間不人気ジャンルだったんだよ。
ハリポタや指輪の映画がヒットして世間的にはファンタジーブームが巻き起こってるさなかでさえも。
ダイ大がヒットしたのはジャンプ的バトル漫画として優秀だったからであってファンタジーとかドラクエとか結局のところ重要なところではなかった。
ジャンプ王道的でない目新しさでいえばダイの大冒険より先に始まったバスタードのほうがあらゆる意味で上なわけだし。
当時のジャンプの目次見ておきながらなぜファンタジーRPG的な漫画の先駆のバスタードを無視できるのか不思議。
それはさておき、バスタードもダイの大冒険もピンポイントで人気が出ただけで、ファンタジー漫画の市場を形成するには至らなかった。
ヒカルの碁やデスノートで一世を風靡した小畑健もファンタジーRPGをベースにしたBLUE DRAGON ラルΩグラドでは壮絶に爆死したことでもわかるように、大人気作家が描いて競合がいない状況でも凡作ファンタジーが生き残れるような余地はジャンプには存在しなかった。
近年こそなろう系ファンタジーがラノベやアニメを席捲しているけれども、少年コミックの世界ではいまでもなろう系やドラクエ的ファンタジーが幅を利かせるような余地がほとんどない。
ダイの大冒険ってけっきょくキン肉マンや聖矢やドラゴンボールにつらなるジャンプバトル漫画の人気作品のひとつに過ぎず少しもエポックではないんだよね。
美しい言葉ではあるが、しかしこれは根本的に間違った考え方だ。
多くの人々は「奇跡」と聞くと、上記のセリフと同様に、例えば病気が突然治ったなどの
めったに起こらない超常現象のひとつだと考えるが、実はそんなことはない。
それは別に、病気が突然治るなどの不可思議な現象を必要としない。
それどころか、病気が治らない、突然の事故にあったというマイナスの事象でも、奇跡として説明できるのである。
それはこういうわけである。突然の事故に遭った人物を例として考えることにしよう。
もし、その人が大ケガながらも死に至らなかったのであれば、そのことに奇跡を告げることができる。
「死なずに済んだのは、奇跡ですよ」というふうに。
それが軽傷ならば、無傷ならば、そのことを奇跡と呼ぶことはより容易であるだろう。
病気が悪化したとしても死なないのならば奇跡を見いだせるのであり、回復すればもちろん奇跡である。
これらの例のように、プラスな事象が起これば、それを奇跡と呼ぶことは容易であり、
マイナスな事象が起こったとしても、あなたは死ななかったという切り口で奇跡を見いだすことができる。
ただ生きているだけで素晴らしい、という考え方も、生存という素朴なことに奇跡を見いだしているわけである。
さらに、死という究極のマイナスな事象についても、奇跡を見いだすことができてしまう。
例えば、その時期まで生きられたことに奇跡を見いだすことができてしまうのだ。
つまり、余命半年だったのに1年間生きられたとすれば奇跡だし、
それが3ヶ月しか生きられなかったとしても、家族と交流を深める時間を十分持てた、
最後に自分のやりたいができたなどと告げて、それこそが奇跡だと伝えることができるわけだ。
よって、その事象を奇跡だと言い張ることは、何事においても可能なのである。
ここまでの事例からわかる通り、人々は奇跡を超常現象のひとつだと思っているが、
その人が究極的なマイナス(例えば、死亡すること)に陥っていないことを指して、
そのギャップを奇跡だと言い張ればよいのだ。つまり奇跡とは、下を見て満足せよということなのである。
だから、宗教も修行と称して、様々なマイナスとなる事象を味わわせ、
そこに奇跡という超プラス思考を感じられるよう訓練したりする。
超プラス思考という奇跡を感じられる考え方を、修行などと称して信じ込ませるプロセスの方が大事なのである。
言いたいことはタイトルまんまなんだけど、楽しみにしてくれる支援者に申し訳なくて自分の気持ちをどうしたらいいかわからなくなってる。 バレたらバレたでもういい。それより、ファンに申しわけがない。
自分がクラウドファンディングで作ってるのは、一度死んだゲーム。もう死んだゲームだ。でも、ファンが沢山いたから出資者も集まった。ニュースにもなった。いいことだ。 でも、色んな人が期待してくれて、出資もしてくれてるけど、集まったお金に見合うクオリティになるなんてとても思えない。ウチの会社は前にPV詐欺紛いのタイトルを出してしまっているから、ファンも察してるかもしれない。ウチにはps3より、いやps2より進化したグラフィックのゲームなんて作れないんだ。シナリオだって滑ってた。もうあんなものは求められてないんだ。
お金を先に貰ってるから、何としてもゲームは出さないといけない。できないところもある?出るだけマシ?そうだね。でも、ウチがこれをやったら今度こそ会社はおしまい。愛されてきたはずのシリーズに泥を塗って今度こそ死ぬ。 時間をかければいい?無理だ、資金が尽きる。追加でお金を集める?そうやってズルズル引き延ばすの?いつまで? そうやって見苦しくクオリティの低いゴミを作るくらいなら、いっそあのシリーズはそのまま眠っていた方が良かったんだ。PV詐欺のあの作品を送り出してしまったから、このタイトルでまで同じことをして欲しくない。 このジャンルのゲームは確かに需要が減ってきた。
でも、この手のゲームを作るのにクラウドファンディングが必須というわけでもない。 スマホ向けで時代に合わせて、かつて一世を風靡したゲームの遺伝子を受け継いで作っている同業他社もいる。彼らは本当に素晴らしい。彼らだってお金は無いだろうに、ウチとは大違いだと思う。 また別の会社はゲームそのもの以外でもキャラクターを上手く使って生き残っていたりする。ゲームを作るだけが生き残る方法じゃないって考えるのも大変だったと思うのに、すごい。 それに比べてウチはPV詐欺でゲームの内容をごまかすことくらいしかできない。何年も発売延期になっていたゲームでファンの期待を裏切ったゲームだったけど、あの時は支援者からお金を募っていなかった。だからまだいい。でも今回は違う。あの時とは話が違うんだ。もう俺達はお金をもらってしまっている。開発の報告も体験版の配信も遅れている。信用を失っていく。
ファンのみなさんごめんなさい。 俺たちはあなたがたの期待をまた裏切ります。
それから、開発側も忙しいんだろうとかわかった気になってる素人さんのツイートがあったけど、そういうのは最高額の寄付をしてからいった方がいい。他にも大勢支援者はいるんだから……。そういうわかった気になってる勘違いって、自称ファンほど多い気がする。
痛々しいまでのせこい限定版商法も下品だ。過去のファンを食い物にしているだけで、そのファンだって自称ファンが多過ぎて恐ろしいんだから……。
そして、同業他社のみなさんにお願いがあります。 財政的に厳しくても、クラウドファンディングには手をださないでください。 あれは個人レベルがやるならともかく、会社がやったら身を滅ぼしかねない。 絶対にやるorできることが決まっていて、それでも話題作りのためにやりたい、ちょっとした資金にしたい、だったらいいと思いますが。本当にお金がないから製作費が欲しい、と思ってやるのなら、諦めたほうがいいと思います。 少なくとも、過去のタイトルの復活なんていって、シリーズを殺さないでください。
https://anond.hatelabo.jp/20210205123417
これね。
自動車メーカー、特にトヨタだが非常にレベルの高い仕事をしている会社なのに舐められすぎていると感じる。
仕事でいろいろな業界と関わってきたが、日本ではやはり自動車業界の厳しさは段違いだと感じた。
(関わったのは何年か前なので現在の状況を正確に知っているわけではないが)
少なくとも、アップルと比べて生産、品質管理、サプライチェーンマネジメントなんてそもそものレベルが違いますよ。
今や日本で唯一といっていいBtoC向けで世界でトップをとれている業界、さらにその盟主たるトヨタはやはりそれだけの厳しさを持っているんですよ。
仕事では二度と関わりたくないし、取引先はもちろん自社の社員でさえ強烈に締め上げる会社です。だからこそいまだ日本が唯一世界で戦えている。
そんなトヨタがEV化に自動車メーカーの中で一番危機感を持っている。さすがですね。。。
トヨタが危機感を抱いているのはアップルの生産、品質管理、サプライチェーンマネジメントなんかではない。
それが活かせるのであれば、まだまだ日本の自動車業界は安泰でしょう。
EV化によって自動車の構造が簡単になり、誰でも簡単に自動車が作れるようになってしまうこと、
それこそ中国のぽっと出のメーカーが簡単に自動車を作れるようになってしまうこと、
そうなれば、自動車を製造するということよりも、ソフト面(例えば自動運転とかね)の付加価値が圧倒的に高くなってしまうことになる。
そういった、この自動車業界というそのものの構造が変化してしまうことに強烈な危機感を抱いているのだ。
元の記事を読むと、
→日本のメーカーではなく、日本の自動車メーカーの厳しさを知らないで言っているという印象。
ましてやスマホの部品と自動車では求められる品質、性能レベルが違いますよ。。
・契約は私は担当ではなかったので知らないが、部品の品質に関してはすごく厳しかった
→自動車メーカーは部品の種類が何万点もあり、その部品一点一点を月に数万~何千万個単位で管理しているんですよ。。
しかもその全てが人の命に係わる自動車に求められる品質で、です。
定年までもてばいいので気楽な業界の日本メーカーで茹でガエルのようにのんびりしていたい
●追記
元記事が消えてしまったので、ブコメ見てるといまいち趣旨が伝わりにくくなっているので追記すると、
アップルから自社に発注が来て品質管理、サプライマネージメント管理がすげーよ、うちのレベル上がったよ
↓
でも死ぬほど厳しいから自動車メーカーはアップルカー作るなら覚悟しろよ
↓
作らなくても中国のEVメーカーがアップルによって技術力が向上させられるからどっちにしろやばいよ
で、その内容に対して、
アップルの生産、品質管理、サプライチェーンマネジメントのレベルは自動車メーカーには及ばないよ(特にトヨタ)ってことが言いたい。
皆さんが思う以上に日本の自動車産業は非常にレベルが高いですよ。
で、以下は蛇足なんだけど、
じゃあなぜ、トヨタが強烈な危機感を抱いているかというと、EVによって、自動車の構造が簡単になり、
自動車製造という付加価値が相対的に下がり、ソフト面の付加価値が高くなってしまう。
ということなんですよ。
ちなみに下記は元記事をもじって書いただけです。。
「定年までもてばいいので気楽な業界の日本メーカーで茹でガエルのようにのんびりしていたい」