今までははいくらになります、言っていわれたあとで店員さんにお金を手渡しするプロセスがあった。
だけど今はレジ打ち後に駅前のきっぷのようにお金を入れて店員は突っ立っている。
結局ゆくゆくは全自動化してゆく流れだという話なんだけど、そこにあった目線を合わせる行為がない。
例えば店員さんにお金を渡すときちらとでも顔は目に入るし、そうでないときでも手はみてしまう。
このときになんとなくこの店員さんはこんなひとなのか、がさつなのか丁寧なのかという感覚がある程度想起される。
ところが、自動支払は商品をレジに提示して向こうが適当に機械をいじったらもううつむいてる。
本来商行為は値切りであったり、娘さん元気にしてるなんて会話が発生したり、今日は新鮮な魚が入ったよという呼び声があって、それ自体がコミュニティだった。
今の商行為殆どがコミュニティではないことは約一世紀過ぎてるから仕方ないにしても、商から人間を切り離す行為なんじゃないかと思ってしまった。
その行く突き先は資産管理、つまりビットコインなんかの仮想通貨。
みんながめんどくさくなるので、むしろ宅配業者と話すなんてこともない。
実際自分も宅配業者とは話さない。自分が気持ち悪く感じるし、宅配のひとも迷惑だろうから。
この世界観はカードを使ってるひとからしたら当たり前だったんだろう。
しかしカードとはまた別次元の、ひとを介さない世界が出来上がろうとしている。
大衆が大衆のためのコミュニティスペースを持つ場はどんどんなくなってる。
個人的に、全ての人間がテレワーカーになればいい、程度に考えていたものの、そうした光景が消えること自体にはもの寂しさがある。
人を介さない買い物のほうが楽でいいです。個人的には。いままでコンビニレジで「クイックペイで!…いやクイックペイ…これ、これです。はい、クイックペイ」というくだりを何十...
安い店行くのやめて高級な接客にコストを支払う店に通えばいいと思う