はてなキーワード: ルーズとは
妻は妊娠、出産の一時期は専業主婦をしていたものの、徐々に仕事に復帰し始めて、今はフルタイムで勤務している。最初の勤務先に復職しているのではなく、新たに就職し始めた感じ。とはいえ、もう全部合わせると5年以上のフルタイム勤務を続けている。
妻はもともと僕との会話で、延々と愚痴を話すような人間だった。それは付き合いたてのころもそうだし、結婚したての頃も、妊娠・出産して専業主婦をしているころも、そしてもちろん今も。
結婚前は職場での立場の低さからくる給与と仕事内容のバランスの悪さや、友人たちとのライフステージに対する焦燥感についてのもの、その矛先はしばし僕に向き、いつになったら態度をはっきりして結婚に向けて進めてくれるのか、一人暮らしはいい加減に疲れたし、家賃がもったいないから、そろそろ一緒に住みたいみたいなことを毎日毎日電話で一日に30分以上話していた。休日に顔を合わせると一日中そういう話を僕にしていた。
その頃の僕は、前の彼女と別れた理由が「僕が彼女の話を聞かず、僕の愚痴ばかり話すこと」だったこともあって、自分が話すより相手が話してくれる楽さと頼られている心地よさに身をゆだねていた。
結婚してからの愚痴は、仕事のものが一気に増えた。彼女の転職先がひどいパワハラ職場で、いつも莫大なストレスを抱えていたからだった。かつ、仕事時間が基本的に孤独な環境になりやすかったこともあり、同僚と共有するような感じになりにくかったこともあったようだ。
そして、仕事のストレスの八つ当たり的に僕に対して、「子供を作る気はあるのか」「いつまでこんな狭い家に住む気なのか」とか詰め寄り続けた。僕は仕事でかなり大きな問題を抱えていたが、それを妻に愚痴ることなく、休日はマンションのモデルルーム見学に何度となく歩き回った。あの時期、おそらく全部で20件はマンションを見たと思う。彼女はどこに住みたいとか具体的なイメージを持つことなく、僕がネットや分厚い情報誌(当時は電話帳くらいの住宅情報誌が毎週出ていた)を探しながらリストアップしたマンションに対し、この町は好きだけど、部屋が狭いとか、このマンションはすごく雰囲気がいいけど、街が嫌いとか、この地域は好きだし、マンションも好きだけど、駅から遠すぎて通勤のイメージがつかないとか、ずっと文句を言い続けた。結果的には、最初から3番目に見たマンションを半年近くたって完成目前のタイミングで再度見学をしたら、運よく出物の部屋があり、そこに決めた。
子どもは結婚3年目でできた。3年目ならごく普通のタイミングだと思うのだが、彼女は30代前半のうちに何とかほしかったらしく、最後の方は不妊外来にも通っていた。一度は僕も精液検査をしたのを覚えている。
子育てが始まると生活のリズムを完璧にしたい彼女は、僕が子どもの就寝時間に帰ってくるのをひどく嫌って、そういう時間に帰宅するとものすごく不機嫌になった。そして、ママ友の家の話をしたりして、その夫の献身ぶりや子煩悩ぶりを延々と僕に愚痴った。僕は休日には子供とべったり過ごして、買い物や妻の食事の世話をしたり、妻を休ませるために子どもと二人でぶらぶらと散歩したりした。それでも妻の愚痴は止まらなかった。その愚痴の中には「子供は二人いないとかわいそう」という、一人っ子の僕に対して、何を本気で言ってるの、それ、みたいなことも含まれた。
とはいえ、数年後に子供はもう1人できた。子どもが二人になると子どもと家庭に関する愚痴は2倍かと思ったら3倍になった。僕の家事労働力は飛躍的にアップした。僕はたまたま休日に子どもの体調が悪かったりすると僕が一人で病院に連れていくことも日常茶飯事だった。土曜日なら小児科でも父親だけで連れてくる家庭は少なくないだろうと思ったが、全然そんなことなく僕は母親たちに紛れて、子どもと待合室で絵本を読んだりしていた。それでも週末に登山だキャンプだ、アクティビティだと繰り出したりすることが苦手な僕は、妻から見ると子供との時間をさぼってる夫に見えていたようだ。そして、そういう体験を与えなかったことで、子どもたちがインドアになったと今でも思っている節がある。
下の子どもが幼稚園に通い始めたタイミングで、徐々に妻は仕事に復帰し始めた。朝の幼稚園の送りは僕の仕事になる機会が増えた。幼稚園に送るとどうしても朝の出勤時間が数十分間に合わなくなり、それが毎日続くので、上司に白い目で見られた。僕は事情を説明して了解をとったものの、やっぱり、それは時間にルーズなイメージを作っており、若干査定に響いた(数年後にコアフレックスになったので、今の後輩たちは自由に送り迎えをしている)妻は子育ての愚痴に加え、仕事の愚痴が爆発的に増えた。仕事の内容的にブランクが足をいろいろ引っ張るらしく、しかも、年齢的にはかなり厳しい状況で新領域にチャレンジすることもあり、その悩みは大きかったのは薄々わかるが、その愚痴を吐き出す先は僕一人だった。妻の職場環境や同僚などについて僕はひどく詳しくなったけど、たぶん妻は僕が今どんなことを仕事にしていて、どんな人と働いているのかは全く知らない。たぶん、会社辞めてもしばらくは気づかないんじゃないかな。
うちの会社はリモートワークを導入し、僕の出勤回数は大きく減った。自宅で仕事をするようになると必然的に家事の一部を僕が賄うようになる。僕が平日の夕飯をつくることも大きく増えた。もともとサポートしていた掃除、洗濯も僕がやることが多くなった。
妻はリモートワークがしずらい職種なこともあり、出勤を続けている。4月ごろは日々減っていく通勤客と自分が感染するかもしれない恐怖を毎日30分くらい愚痴っていた。それ以外にも職場の愚痴を1時間程度、子どもたちに関する愚痴(主に一日中ごろごろしてるとか部屋が汚いとか)を1時間程度話している、その話はたいてい僕がしっかり怒らないからだという結論に収斂される。この辺の愚痴は今に至るまでずっと続いている。僕は本を読んだり、スマホを見たりしながら3割程度耳を傾けて聞いている。家事に関する愚痴が大きく減ったのが救いだ。まあ、部屋の掃除がちゃんとしてないとかあるけど。
考えてみると妻が日常生活で楽しかったこと、感動したこと、面白かったことを聞いたことはこの5年はない。テレビの番組でストレス発散できるタイプならいいのだが、なんでもかんでもnot for meにしてしまうので、僕への愚痴に収斂してしまう。お前の大好きだった80年代や90年代のバラエティより今のほうが面白いものもはるかに多いよ。ネットの記事に心をざわつかせてるのに、子どもがYouTuberの話をうのみにするのをバカにするのはダブルスタンダードだと思うんだがね。子どもがボカロとかネット音楽を好きなのと、お前が90年代のクラブポップが好きなのは何も変わらないといつになったら気づくのかね。
もう足掛け15年程度は妻の愚痴を聞き続けているが、いつの間にか自分に限界が来ているように思う。毎日家で仕事をしていても妻が帰ってくる時間が憂鬱になる。妻が最初に何について愚痴るのかを考えると気が重くなる。妻と過ごす寝るまでの6時間程度をどうやってやり過ごそうかを考える。日々、やり過ごすだけで過ぎ去っていくように思う。新しいことは家でも仕事でも何もしていない気がする。家庭のある人、NetflixとかAmazonプライムとかどうやって見てるの? そんな自分のためにテレビを使う時間なんてどこにもないんだけど。というか、自分のために時間を確保するなんて、子どもができてから家の中では微塵もない。
最初のうちは気も合うし優しいしいいやつで、リアルでも交流して楽しんでた。結構年の差があることがわかったけど、どうでもよかった。
でも3年くらい関わってみると相手が時間や物の扱いにルーズなことがわかり、5年くらいすると金銭感覚も結構違っているとわかり、勘弁してくれという気持ちを飲み込むことも多くなった。
その上3年前くらいから精神的に変調をきたしつつあるらしく、普段のツイートも攻撃的で正直見苦しい。こちらまで辟易させられるほどだ。
だから、ここ数年は大きなきっかけがなかっただけで気持ち自体は切れてしまっていた。その上あちらからこちらにアクションしてくることも月に一度あるかないかくらいである。
じゃあリムブロすればいいじゃん、と思うかもしれない。これがなかなかうまくいかない。
長年の交流があるとなんだかボタン一つで切るのももったいないような気もするし、何より、なんというか、気になってしまうのだ。
たとえるなら動物園の檻の向こう側のようなもので、明らかに頭がおかしい相手、だが、こちらに害が齎されない限りはその奇行を覗いていたくもあるという感覚。
ちなみに今も相手は巡り巡って同じジャンルにいる。しかし愛でているキャラや方向性や創作の中身が全く違うので、本当に同じジャンルなんだろうか、と時々不思議な感覚に襲われたりもする。
今日も相手のTwitterを何となく眺めたが、最近は言動すら生理的に受け付けなくなっているなあと思って、ちょっと笑った。
本人に自覚があるかないかは分からないが、どちらにせよ果てしなくめんどくさい。
「この人なら理解してくれそう」と思わせることが何度もあった。
知り合ってからそんな間もないころから距離感もぐいぐい詰めてきていた。
1体1での関係を築くことを好み、よくDMで話していた記憶がある。
本人からすれば仲良く話しているつもりなんだろう。
ただ、仲良しと話しているだけでそう感じることが何度もあるか?
不気味なほど居心地がよく、つい気を許して信頼してしまいそうになる。
トラブルメーカーであることを察知する前からそこに恐怖を感じていた。
私は警戒心がまだある方だから運よく気づけただけで、
距離感が近いことに違和感を抱かない人や甘やかされたい女なんかは即堕ちだと思う。
実際に今思えばそういうヤツをいたし、今はわたしの身内が一週間足らずで堕ちてる。
チョロくて笑えない。
自分かわいいアピの頻度が異様に増えたし、語尾にハートマークつけるようになったり、もう最近は毎日深夜通話していて、通話できない日があると寂しいとか言ってたり。マジで変わっちゃった。
かまってメンヘラ姫かよ。ふつうの友達は毎日寝落ち通話なんかしない。
そいつは以降姫女と呼ぶ。
それだけならただのたらし男なのだが、その男は短期間に同界隈で何度かトラブルを起こしている。
1件目は仕方なかった。でも後の案件は努力次第で大揉めにならずにすんだ案件なのだ。
だがアイツは加害者と断定した者のことを把握しようとも理解しようとも譲歩しようともしない。
そこはお互い不満に思うところあるかもしれないけど、表面だけでも互いに謝りあって終わりとか
そういう器用なことはできねえのかよ。
そこに垂れ込ませた姫女を携えるのだからさあ大変。
今回の案件は、私は中立者として見守っていたのだが、今被害者たる姫女が泣き腫らすものだから訳が分からなかった。
その子は時間に何度か遅れたくらいで泣くような子ではなかった。怒ったりはするが、
当の姫女も時間にルーズなため、まあそういうこともあるね、で流せる子だった。
それが何度か遅れた程度で泣き腫らすのだ。少し泣くとかじゃない。
翌日に目が腫れるほどの大号泣。正直引いた。
そして姫女は、例の案件を毎日毎日あの男に通話で聞いてもらっていたと語っている…………。理解してもらった気にさせるのが上手いあの男に…
そしてこの時ついに気づいた。
これ絶対あの男問題しかないなと。あの男は女を依存させ堕落させると。
なので勇気をだして問題点を薄めのオブラートに包み本人に語ったのだが、人の話を聞かないのだ。
私の問題点を棚に上げ、姫子はもっとしんどいから〜などと論点ズレたキレ方されて終わり。他にもあいつの味方は俺しかいない王子様みたいなこと言ってたな。
あれ?前も加害者の事情を把握してくれないか?とやんわり打診した際にこんなことあった気が…
揉め事はもちろん、日常会話でも人の話を聞いていないということが何度もあった。
その時にもう救えないと思った。だから今はどう距離を置くか考えているのだが、二人とも自分の価値観に近い相手とべたべたする事が当たり前になっていて、他人の意見や価値観を受け入れる器量と譲り合いの精神が皆無になっている。
だから私がブロ解やミュートで分かりやすく動けば、悪者に仕立て上げ槍玉に上げられる可能性があり動くに動けない。
今だから言えることだが、彼は初対面の時から言葉に表せない違和感を感じていた。問題がハッキリした今になってやっと言葉に表せる。
SNSをやっていて学んだのだが、初対面〜知り合いになる過程で違和感を抱いたやつに大体ろくな奴はいない。
皆は違和感を大事にして生きてほしい。まあいい所もあるし…などと思っていればあなたも姫女のように餌食にされる日が来るかもしれない。
いやキズナアイや輝夜月が話題になりはじめた頃からチラチラ見てはいたんですよ。
ただまあ最近の商業Vtuberはほら、にじさんじとかホロライブとか、「箱」での売り出しが主流じゃないですか。
YouTubeのリコメンドで流れてきたのをたまに観るくらいで。
それがここ一週間くらい、とあるVtuberにドハマリしてるんですよ。
文野環っていうんですけど。
文野環、知ってます?
にじさんじの人なんですけど。
https://www.youtube.com/watch?v=o5lQ815Wsgs
・自転車でごはんバーガーを買いに行く(そのあいだ無言で配信継続中)
・一時間後に再開
これぞ文野環というシロモノです。
「人の話を聞かない」
「軽い虚言癖」
しかし楽しく観られる。
ほら、インターネットには障害者をイジって遊んでる集団がいるじゃないですか。
シャムとかなんとか他に知らんけど。
ああいうのって相手はだいたい顔出ししてるから趣味の悪さが滲み出てくるんですよ。
でもVtuberは可愛い美少女なので、オブラートに包まれてるんですよね。
キチガイでもギター抱えてりゃカリスマロックンローラーみたいな話です。
V>視聴者という権力構造が生まれるんですよね(いまのところは)。
ましてや障害者イジリ界隈だと完全にヲチャ>踊り子ですからね。
でもVtuberにはどんな奇行をしても「個性」「魅力」として尊重される文化がある。
それがばーちゃるゆーちゅーばーなんだよなあ。
増田でも「Vtuberは終わった」ってたくさん言われてるし、
と思ってたら普通に頑張ってやってるじゃないですか。
このコロナ禍でテレビ局は収録を行えず、音楽番組は歴代のヒットソングを流し続けている。
私はこの手の音楽番組は嫌いじゃない。小中学生時代にうんざりするほど聴いた曲を「懐かしむ」という新鮮な感覚で聴けるようになった今は、テレビの中の歌手と大合唱するのが楽しくて、つい観てしまう。
この日もまた、その手の音楽番組で盛り上がっていた。学生時代、熱心に聴いていた00年代のヒットソングメドレーとなると、私は息つく暇もなく歌声を重ねる。
歌詞を見ずとも完璧に歌えるその数々に酔いしれ、天井を仰ぐご機嫌な私の歌声は、ある曲がかかった途端ピタリと止んだ。
2005年のヒットソング、レミオロメンの「粉雪」。この曲は、当時14歳だった私の「初体験」を彩るテーマソングだ。仰いだ天井とそのイントロが、あの日のラブホテルの天井をだんだんと思い出させる。
中学校生活の終わりをもうすぐ迎える私は焦っていた。その焦りとは、受験や、進学で離れ離れになる友達との別れに対するものではない。「初体験」を済ませていない自分に対する、ハッキリとした焦りだった。
私の周りの女の子たちは皆早くて、それぞれどこかで仕入れた「年上の男」とさっさと初体験を済ませていた。
中には「2回目は公園でヤった」とか、「毎日学校のトイレでパコってる」と語る者もいて、私は公園やトイレに行く度に「ここでパコパコ…」と感心していた。
一方私は、友達の家でファミチキを食べて帰るだけの中学生。身なりはギャルで、毎日公園やトイレでパコっていそうなのに、処女なのだ。
私は心底情けなかった。親からも毎日公園やトイレでパコっていると思われているのか、夕食の時に突然「コンドームは付けなさい」と注意される自分が。「まだパコってねえよ!」とも言い返せず、部屋にこもってeggのアニマルトークを読む日々が。
そもそも、中2の時に「塾に行きたい」と親に頼んだのが間違いだった。周りの女の子たちと同じように、夜中にどっかの年上の男にナンパされ、雑木林で初体験を済ませることを夢見ていた私は、夜遊びをするために塾に通うことを思いついたのだ。
それで私は、親に「高校に通いたいから塾に通わせてくれ」と懇願した。雑木林でパコりたい私の目論見を知ってか知らずか、親は「そうか、そうか!」と快諾し、私に2人の家庭教師を付けた。
高校に通いたいなんて嘘をつかずに、「雑木林でパコりたいから塾に行くフリをしたいんだ」と正直に言えばよかった。バカだからと2人も家庭教師を付けられ、週4日、16時から始まる授業に間に合うように、家に帰る生活を送ることになるとは。
だからといって、親に反発することはなかった。「お金がない」と言いながら月謝を払う親を裏切ることはできなかったし、口火を切ったからにはやってやるというギャルの意地があったから。
そうして夜遊びと無縁な日々を送った私は、2人の優しい先生のおかげもあって、中3の夏頃に実施された定期テストで89点という高得点を数学で叩き出した。
それ以外は50点前後というしょっぱい点数で、この奇跡の89点は功を奏さず、成績の5段階評価がオール1からオール2に上がる程度だったが、私の中にはいつしか「高校に行きたい」という思いが芽生え始めていた。噓から出た実とはまさにこのことである。
そうなると志望校を決めなければならない。しかし、私の学力でいける校則のゆるい高校を探すのは困難を極めた。いくらページをめくっても、「ゥチの高校は鬼ギャルの格好ができるょ↑↑」とか、「ルーズは120センチまでォッケー⭐︎」と、eggのノリで高校を案内しない『首都圏高校受験案内』に何度失望したことか。
選べる身分ではないことに気付き始めた頃、私はインターネットの力に頼った。すると早速、OBが受験生の質問に答えてくれるという優しい掲示板を探し当て、「ゥチの行ってた高校はギャルの格好ができるょ↑↑って人L lますヵゝ??」と書き込んでみた。
しばらく経って、スレッドが埋まりかけた頃、ようやく1件のレスがついた。「教えてあげるから、会わない?」という、見るからに怪しいレスだった。
その怪しさに、私は戸惑うよりも先に沸き立った。「この怪しいレスをつけた人に会えば、初体験を済ませられるかもしれないぞ」と。このバカは、いくら優秀な家庭教師でもなおせなかったのだ。
私はうぶなふりをして、20歳の男のメールアドレスを聞き出し、「静かなところで話したいから、ホテルで会わない?」という誘いに乗った。ああ、お父さんごめんなさいなんて、一瞬も考えなかった。
私にもついにこの時が来たかと思うと、感慨深いばかり。土曜の昼間のラブホテルだなんて、夜中の雑木林より立派じゃないか。誕生日を間近に控えた14歳の冬にして、ようやく初体験を済ませることになったのだ。
いつもより濃い化粧と派手な服に身を包んだ私は、待ち合わせ場所の改札前で20歳の男を待っていた。あと10分もすれば、初体験の相手が改札の向こうから現れる。
周りの女の子たちには、インターネットで出会った男と昼間にパコったなんて恥ずかしくて言えないから、夜中にナンパしてきたギャル男とラブホでパコったと言おう。そういろいろと考えていると、後ろから「あの…」という細い声が聞こえた。
振り向くと、うつむいた男が立っている。私は、その男が何者かということより、「私より髪が長いなあ」というぼんやりとした感想を抱いて、返事もせずにその長髪を眺めていた。
すると男は「…行こうか」と言って歩き出した。私はようやく「この男が私の初体験の男なのだ」ということに気付き、何とも言えぬままなびく髪を追いかけた。
道すがら、男は何かを話しかけてくるのだが、喧騒に遮られて聞こえない。その何かが物騒なことだったらどうしようと、この期に及んで恐怖を感じた。
それでも私は、時々見える男の表情が笑顔であることだけを頼りについて行く。男の声がはっきりと聞こえたのは、ラブホテルのロビーに入ってからだった。
男は「どこでも良いよね」と言って光るボードのボタンを押すと、小さな窓から鍵を受け取り、エレベーターのボタンを押した。その一連の流れを見て、こう言っちゃなんだが、こんなもさい男でも慣れているんだなと変に安心した。
部屋に入り腰掛けた瞬間、私はどんな顔をしていればいいのかわからなくなって、一気に緊張した。もしかしたら本当に高校について教えてくれるだけかもしれないけれど、黙ってテレビを眺める男の様子からはその気配を感じられない。
男が突然、「俺、宮崎あおいが好きなんだよね」と呟いた。テレビを見ると、宮崎あおいが何かの新商品をとびっきりの笑顔で宣伝している。そして、「シャワー浴びてくる」と言って風呂場へ消えていった。
その時、なぜかわからないけど落ち込んだ。この感情は、同級生の男の子に告白をした時、「今は勉強に集中したいから」と言ってフラれた悲しみに似ている。だけど、それとは全く違う。なぜかわからないけど、泣きそうになった。
タバコの匂いとシャンプーの香りが入り混じる部屋で、私はシャワーの音が止むのを待った。そして、揺れる長い髪と、かすめるラブホテルの天井を、私はぼんやりと見つめていた。
別れ際、男の顔が聖徳太子に似ていることに気付いた。参考書でよく見た顔だからか、それとも肌を重ねた相手だからか、この時になってようやく男に親近感が湧く。しかし男は名残惜しむことなく、私の「ありがとうございました」をかき消すように「じゃあ」と言って、改札を抜けていった。
私は、股が痛くて歩きづらいことや血は意外と出ないという、ありきたりな初体験の事後を実感したけれど、この心と体にしっくりくる初体験の感想は見つからず、モヤモヤした。
それからしばらくして、いよいよ志望校が決まった頃、私はまだ何かに焦りながら音楽番組をよく観ていた。誰かの曲の歌詞や声、MVの演出といった美しいものに、あれからずっと見つからなかった初体験の感想を当てはめて、早く落ち着きたかったのかもしれない。
そして私は、「粉雪」を歌うレミオロメンのボーカルを見て「聖徳太子に似ているな」という感想を抱いた時、ようやく落ち着いた。求めていた美しいものではない、その味気ない感想が、初体験の感想としてしっくりくるものだったのだ。
揺れる長い髪やかすめた天井、宮崎あおいや最後になぜか聖徳太子に似ていることに気付いて沸いた親近感、「何がありがとうございますだったんだろう」と考えながら歩いた帰り道、全てが無色だったことに気付いたのだ。
聖徳太子に似ているような気がするレミオロメンのボーカルが、私の初体験を彩る色はなかったことを知らせるように、心と体の深いところで鳴り響いただけなのだ。
天井をぼんやりと見つめている間に、音楽番組は10年代のヒットソングメドレーを流していた。初体験を白く染められたなら、この天井よりももっと高いところに返せるのになあ、などと考えている間に。
このコロナ禍でテレビ局は収録を行えず、音楽番組は歴代のヒットソングを流し続けている。
私はこの手の音楽番組は嫌いじゃない。小中学生時代にうんざりするほど聴いた曲を「懐かしむ」という新鮮な感覚で聴けるようになった今は、テレビの中の歌手と大合唱するのが楽しくて、つい観てしまう。
この日もまた、その手の音楽番組で盛り上がっていた。学生時代、熱心に聴いていた00年代のヒットソングメドレーとなると、私は息つく暇もなく歌声を重ねる。
歌詞を見ずとも完璧に歌えるその数々に酔いしれ、天井を仰ぐご機嫌な私の歌声は、ある曲がかかった途端ピタリと止んだ。
2005年のヒットソング、レミオロメンの「粉雪」。この曲は、当時14歳だった私の「初体験」を彩るテーマソングだ。仰いだ天井とそのイントロが、あの日のラブホテルの天井をだんだんと思い出させる。
中学校生活の終わりをもうすぐ迎える私は焦っていた。その焦りとは、受験や、進学で離れ離れになる友達との別れに対するものではない。「初体験」を済ませていない自分に対する、ハッキリとした焦りだった。
私の周りの女の子たちは皆早くて、それぞれどこかで仕入れた「年上の男」とさっさと初体験を済ませていた。
中には「2回目は公園でヤった」とか、「毎日学校のトイレでパコってる」と語る者もいて、私は公園やトイレに行く度に「ここでパコパコ…」と感心していた。
一方私は、友達の家でファミチキを食べて帰るだけの中学生。身なりはギャルで、毎日公園やトイレでパコっていそうなのに、処女なのだ。
私は心底情けなかった。親からも毎日公園やトイレでパコっていると思われているのか、夕食の時に突然「コンドームは付けなさい」と注意される自分が。「まだパコってねえよ!」とも言い返せず、部屋にこもってeggのアニマルトークを読む日々が。
そもそも、中2の時に「塾に行きたい」と親に頼んだのが間違いだった。周りの女の子たちと同じように、夜中にどっかの年上の男にナンパされ、雑木林で初体験を済ませることを夢見ていた私は、夜遊びをするために塾に通うことを思いついたのだ。
それで私は、親に「高校に通いたいから塾に通わせてくれ」と懇願した。雑木林でパコりたい私の目論見を知ってか知らずか、親は「そうか、そうか!」と快諾し、私に2人の家庭教師を付けた。
高校に通いたいなんて嘘をつかずに、「雑木林でパコりたいから塾に行くフリをしたいんだ」と正直に言えばよかった。バカだからと2人も家庭教師を付けられ、週4日、16時から始まる授業に間に合うように、家に帰る生活を送ることになるとは。
だからといって、親に反発することはなかった。「お金がない」と言いながら月謝を払う親を裏切ることはできなかったし、口火を切ったからにはやってやるというギャルの意地があったから。
そうして夜遊びと無縁な日々を送った私は、2人の優しい先生のおかげもあって、中3の夏頃に実施された定期テストで89点という高得点を数学で叩き出した。
それ以外は50点前後というしょっぱい点数で、この奇跡の89点は功を奏さず、成績の5段階評価がオール1からオール2に上がる程度だったが、私の中にはいつしか「高校に行きたい」という思いが芽生え始めていた。噓から出た実とはまさにこのことである。
そうなると志望校を決めなければならない。しかし、私の学力でいける校則のゆるい高校を探すのは困難を極めた。いくらページをめくっても、「ゥチの高校は鬼ギャルの格好ができるょ↑↑」とか、「ルーズは120センチまでォッケー⭐︎」と、eggのノリで高校を案内しない『首都圏高校受験案内』に何度失望したことか。
選べる身分ではないことに気付き始めた頃、私はインターネットの力に頼った。すると早速、OBが受験生の質問に答えてくれるという優しい掲示板を探し当て、「ゥチの行ってた高校はギャルの格好ができるょ↑↑って人L lますヵゝ??」と書き込んでみた。
しばらく経って、スレッドが埋まりかけた頃、ようやく1件のレスがついた。「教えてあげるから、会わない?」という、見るからに怪しいレスだった。
その怪しさに、私は戸惑うよりも先に沸き立った。「この怪しいレスをつけた人に会えば、初体験を済ませられるかもしれないぞ」と。このバカは、いくら優秀な家庭教師でもなおせなかったのだ。
私はうぶなふりをして、20歳の男のメールアドレスを聞き出し、「静かなところで話したいから、ホテルで会わない?」という誘いに乗った。ああ、お父さんごめんなさいなんて、一瞬も考えなかった。
私にもついにこの時が来たかと思うと、感慨深いばかり。土曜の昼間のラブホテルだなんて、夜中の雑木林より立派じゃないか。誕生日を間近に控えた14歳の冬にして、ようやく初体験を済ませることになったのだ。
いつもより濃い化粧と派手な服に身を包んだ私は、待ち合わせ場所の改札前で20歳の男を待っていた。あと10分もすれば、初体験の相手が改札の向こうから現れる。
周りの女の子たちには、インターネットで出会った男と昼間にパコったなんて恥ずかしくて言えないから、夜中にナンパしてきたギャル男とラブホでパコったと言おう。そういろいろと考えていると、後ろから「あの…」という細い声が聞こえた。
振り向くと、うつむいた男が立っている。私は、その男が何者かということより、「私より髪が長いなあ」というぼんやりとした感想を抱いて、返事もせずにその長髪を眺めていた。
すると男は「…行こうか」と言って歩き出した。私はようやく「この男が私の初体験の男なのだ」ということに気付き、何とも言えぬままなびく髪を追いかけた。
道すがら、男は何かを話しかけてくるのだが、喧騒に遮られて聞こえない。その何かが物騒なことだったらどうしようと、この期に及んで恐怖を感じた。
それでも私は、時々見える男の表情が笑顔であることだけを頼りについて行く。男の声がはっきりと聞こえたのは、ラブホテルのロビーに入ってからだった。
男は「どこでも良いよね」と言って光るボードのボタンを押すと、小さな窓から鍵を受け取り、エレベーターのボタンを押した。その一連の流れを見て、こう言っちゃなんだが、こんなもさい男でも慣れているんだなと変に安心した。
部屋に入り腰掛けた瞬間、私はどんな顔をしていればいいのかわからなくなって、一気に緊張した。もしかしたら本当に高校について教えてくれるだけかもしれないけれど、黙ってテレビを眺める男の様子からはその気配を感じられない。
男が突然、「俺、宮崎あおいが好きなんだよね」と呟いた。テレビを見ると、宮崎あおいが何かの新商品をとびっきりの笑顔で宣伝している。そして、「シャワー浴びてくる」と言って風呂場へ消えていった。
その時、なぜかわからないけど落ち込んだ。この感情は、同級生の男の子に告白をした時、「今は勉強に集中したいから」と言ってフラれた悲しみに似ている。だけど、それとは全く違う。なぜかわからないけど、泣きそうになった。
タバコの匂いとシャンプーの香りが入り混じる部屋で、私はシャワーの音が止むのを待った。そして、揺れる長い髪と、かすめるラブホテルの天井を、私はぼんやりと見つめていた。
別れ際、男の顔が聖徳太子に似ていることに気付いた。参考書でよく見た顔だからか、それとも肌を重ねた相手だからか、この時になってようやく男に親近感が湧く。しかし男は名残惜しむことなく、私の「ありがとうございました」をかき消すように「じゃあ」と言って、改札を抜けていった。
私は、股が痛くて歩きづらいことや血は意外と出ないという、ありきたりな初体験の事後を実感したけれど、この心と体にしっくりくる初体験の感想は見つからず、モヤモヤした。
それからしばらくして、いよいよ志望校が決まった頃、私はまだ何かに焦りながら音楽番組をよく観ていた。誰かの曲の歌詞や声、MVの演出といった美しいものに、あれからずっと見つからなかった初体験の感想を当てはめて、早く落ち着きたかったのかもしれない。
そして私は、「粉雪」を歌うレミオロメンのボーカルを見て「聖徳太子に似ているな」という感想を抱いた時、ようやく落ち着いた。求めていた美しいものではない、その味気ない感想が、初体験の感想としてしっくりくるものだったのだ。
揺れる長い髪やかすめた天井、宮崎あおいや最後になぜか聖徳太子に似ていることに気付いて沸いた親近感、「何がありがとうございますだったんだろう」と考えながら歩いた帰り道、全てが無色だったことに気付いたのだ。
聖徳太子に似ているような気がするレミオロメンのボーカルが、私の初体験を彩る色はなかったことを知らせるように、心と体の深いところで鳴り響いただけなのだ。
天井をぼんやりと見つめている間に、音楽番組は10年代のヒットソングメドレーを流していた。初体験を白く染められたなら、この天井よりももっと高いところに返せるのになあ、などと考えている間に。
自分の年収だとこんなに色々もらえるのか。どんな組み合わせにしようかな。似たような品物でも自治体によって少し違うな。選ぶのは楽しかった。ピークだったかもしれない。
お返しにみかんや鰻、牛肉などをもらって、どれも美味しく頂いた。
でも同時に、脳裏に「確定申告しなきゃ」というモヤモヤしたものが生まれた瞬間でもあった。そしてそれは、数カ月にわたって頭を悩ませ続ける。
ふるさと納税にはワンストップ納税という制度があり、ワンストップ納税を選ぶと確定申告が不要になる。
でも、期限までに自治体に用紙を記入して郵送しないといけない。
切手代が勿体ない。自治体数×100円くらいが無駄になる。記入も郵送も面倒。
確定申告が面倒臭いための人の制度の割に、それ自体が面倒くさいというよくわからない制度だ。
今考えればこれは茨の道だった。
2月から3月くらいにかけて、毎日のように確定申告やらなきゃというプレッシャーが自分を締め付けた。
確定申告期限延長。
コロナの影響で一ヶ月くらい期限が伸びるっていうのを見て、とりあえず3月はやらなくていいやと思った。
気が軽くなった。
4月になった。
もしかしたら今日が締め切りかもしれないと思いビクビクしながら毎日を過ごした。
もう終わった。取り返しつかない。死にたい。
なんて思ってたらまた朗報が目に入った。17日以降も柔軟に受け付け。
よかった。一応はまだセーフみたいだ。柔軟って言葉から滲み出る特別対応感にすごく気がひけるけど、とりあえずまだ大丈夫側にいたことを知った。
しかしもう分かってる。
今こうやって安心しても、絶対にまた明日から追われるような夢を見る。
一日一日あっという間に過ぎていく。
もっと安い風俗試した?挿入しないとダメかどうかはやってみないとわからん。ヘルスの通常プレイで満足できる人もいる。
結婚10年目のアラフォー子なし会社員の男だけど、セックスレスが辛くて仕方ない。
夫婦仲は良好で、セックス以外に不満はない。むしろ精神的な相性は良い方で、ちゃんとした夫婦喧嘩をできるくらいにはコミュニケーションもできている。
レス解消のアプローチは色々やってみて、その度に暫くは復活するのだけど、結局レスに逆戻りというのが何度か続いてからの完全レス5年目。妻が言うには元々セックスが嫌いで、今まで付き合っていた人とも避けていたらしい。それを言われたのは完全レスになってからなので、後の祭りなんだがな…。
とはいえ、自分のセックスに問題があるならともかく、行為自体が嫌いという理由で断られたら強いるわけにもいかない。一方で風俗やセフレについては許容すると口では言っていたので、性欲だけは外で発散する方向でやっていくことにした。
いくら許容されても堂々とやるのは憚られたので、最初のうちは月に一度くらい、会食と称して仕事帰りにソープへ通ってみた。お気に入りの人も見つけて、よく言う「体は満たされるけど心は虚無」みたいな感覚もなかったので、経済的な問題を度外視すればやっていけるかなと思った。まぁ、その経済的な問題が大きかったのだけど。
我が家は子なしとはいえ、妻が病気がちで働けていないので自分の収入だけで生計を立てている。独身であれば月イチどころか、大衆店なら週イチで通っても余裕で貯金できるくらいには収入はある。ただ妻を養うとなったら諸々のコストや家賃は倍になる上、医療費もバカにならない。障害年金や手帳のことも検討したけれども、そうした補助の対象にはなっていない。そんな状況なので、入り用の月だと一度ソープに行ったら月の収支がトントンということもしばしば。
そんなわけで、今度は出会い系に手を出してみた。よく出会い系はトータルコストでは風俗よりも高くつくと言われるけれども、お互いに体だけの関係と割り切っているならば、食事やデートとかの無用なコストは省けると考えていた。
甘かった。
自分の場合は運の良い方だったと思う。援デリと呼ばれる業者の罠は避けられたし、いくら課金しても出会えないということもなかった。出会い系を始めて1週間くらいで、アプローチして意気投合した同年代の既婚女性と会うことになった。出会い系でリアルに人と会うのはもちろん初めてだ。
相手の第一印象は知的なキャリアウーマン。その印象通り会話はウィットに富んでいたし、食事や掛かった費用は全て割り勘にしたいと向こうから持ち掛けられた。奢られるのは相手に支配される感が出るから嫌らしい。そういう部分にいちいち好感を持った。
そう、好感を持ってしまったのがいけなかった。割り切った関係なんて口では言っていても、心を完全に制御できるなんてできるはずもなく。それは相手も同じだったらしい。この関係はすぐにセフレではなくて婚外恋愛の方へ向かってしまった。妻に関係が知られる前に、また相手と完全な肉体関係へと至る前に終わったからよかったものの、あのまま突き進んでいたら危なかったかもしれない。
その後は出会い系で業者ではない個人でやっているような人と何人か会ってみた。そういう関係と割り切っていれば、さすがに恋愛関係に発展などしないだろうと思ったからだ。ただ、その手の人達はどうにもルーズなタイプが多くて、毎度遅刻されたり借金を持ち掛けられたりと、なかなかディープなクラスタだと思い知らされた。そのくせ相場的にはホテル代と合わせると大衆ソープとそこまで大差ない。結局この路線も長くは続かなかった。
そんなこんなで、今はコロナのおかげで「外で性欲発散」なんて言ってる場合ではなくなっている。
妻とのセックスはもうあり得ないし、ソープは経済的に厳しい。出会い系は問題のある相手か、無ければ無いで恋愛になってしまう。お互いに性欲の発散だけを求めていて、手間の掛からない関係とかってあり得るんだろうか?
妻と離婚すれば経済的な課題は無くなるし、そもそも普通に恋愛してセックスして良くなるのだけれども、離婚を突き付けるほど嫌いになるのは難しい。結局は妻とセックスのどちらを取るかという究極の選択なのかもしれないけれども、セックスという動物的な本能に縛られているのが本当に辛い。だからこそ、その欲求の部分は何とかサクッと発散したいのだけれども、どうしたものかとずっと逡巡している。