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はてなキーワード: なすのとは

2024-01-06

性加害があったとみなすのはありで

性加害がなかったとみなすのセカンドレイプって

ちょっとめちゃくちゃ過ぎるだろ

落ち着いてくれみんな

常識で考えてくれ

事の詳細は、当事者しかからないんだから

どちらかと言えば、性加害の告発に関してはなかったものとして扱って

事実裁判等で認められたらそこからきっちり叩いて行けばいいんだよ

それでいいでしょ

じゃないと事実告発と違った時に受けたダメージ被害は取り戻せないだろ

何で事実が分かる前に叩かなきゃいけないの?

何で事実が分かる前にあったものとして扱わなきゃいけないの?

2023-12-31

RTいいねポイントゲットSNSキャンペーンが心底嫌い(Roootfan)

タイトル通り。

ソシャゲやってると「特定ハッシュタグがついたツイートRTいいねポイントゲット!ためたポイントゲームアイテムと交換しよう!」っていうキャンペーンあるじゃん?あれ。

私はあのキャンペーンが本当に嫌いだし、心の底から嫌っているのでちょっと話を聞いてほしい。

あ、もちろんそういうキャンペーン好きな人がいること否定しないし、嫌いになれとは言わない。私が嫌いな理由を列挙しているだけ。

キャンペーンの具体的な参考例) https://www.rooot.biz/post/fan_marketing_ugc

まず、「やらない人が損をする」キャンペーンであることが許せない。

公式アカウントキャンペーンって、他には「この投稿拡散してooRT/xxいいねアイテムゲット!」とかがあると思う。あれは許せる。

なぜならSNSをやっていてもいなくても、「全てのユーザー恩恵を受ける」から。全員が得をし、誰も損しない。

(SNSをやっていないユーザーフリーライダーであるというデメリットはあるけれど、SNSをやっているユーザーがことさら得をしているわけではないので個人的には許容)

でも、この「RTいいねポイントゲットキャンペーンだと、「やってない人間が損をする」仕組みになっている。SNSをやっている人間が、毎日コツコツポイント積んで、ポイント貯めて、交換までして、やっと得をする。

そもそもとして、該当のソシャゲをしてるユーザーが全員SNSをやっている前提でキャンペーンを組むな。

そして、SNSをやっていたとしても、話題に出さずにプレイングするようなアカウント運用をしている人間だったら?

そんなユーザーが、急に今まで話題にしなかったゲームのよくわからないハッシュタグがついた投稿にめちゃくちゃ反応するようになったら、その人のフォロワー迷惑じゃないか

ゲームアカウントのない私は、興味ないゲーム話題フォロワー迷惑をかけるのが毎回本当に忍びなくてつらい。

からさまにゲームっぽいプロフィールでもない私が、「やらないと損をする」から、期間中毎日そのゲーム以外で、普段全く交流のない知らない人の投稿に反応する作業を数日分日課としてこなすの、キツい。

間中がどのくらいかというと、たとえばさっきあげたリンク先のサンプルでは16日だったし、前自分が参加した(せざるを得なかった)キャンペーンも2週間近くだった。

(ちなみにそのキャンペーンに対して、攻略サイトコメント欄でそこそこの否定的なコメントがつき、2回めは5日間に短縮された)

で、さらに、キャンペーン対象ソシャゲしかやってないならまだしも、ソシャゲをかけもちしてるユーザーデイリーミッションが増えることになるわけで。

もちろんキャンペーン対象ソシャゲは好きだからやっている。

でも、ユーザーに「SNSアカウントを準備して」「毎日コツコツポイント積んで、ポイント貯めて、交換させる」、ゲーム以外に余計な手間を増やすキャンペーンを心の底から嫌っている。

開発者には悪いが、世の中は「SNSファン投稿」だけで回っているわけではない。

2023-12-22

中国の小中学校先生事情

anond:20231221122708

中国人の甥が中学生で、中国人義理の妹公立小学校先生をしている。

中国にもたくさん中国人の友人、知り合いがいて、毎日のように現地の教育現場の様子について知ることができる。

上記リンク投稿にも書かせていただいたが、中国人義務教育課程はとにかく徹底的な詰込み教育公的な授業時間日本よりも長い。

また宿題が大量に課せらえるので、それを終わらせるだけでも手一杯な状態中学卒業まで続く。

こういった話題になるといつもスポットにあたるのは子供の方で、中国人の間でもこういった子供への過度な教育に疑問を持つ人は少なくない。

しかし冷静に考えるとこういった教育現場を支えているのは紛れもなく学校先生たちであり、当然先生たちの負担も大きなものになっている。

中国SNSが非常に浸透している国だと思う。どのくらい浸透しているのかと言うと、チャットツールWeChatは老若男女問わずスマホを持っていさせすればほぼ確実にアカウントを持っており、日常的な連絡からオンライン決算などにも頻繁に使われ社会インフラ化している。

アリババが開発運営する釘釘(Ding Ding)と呼ばれるアプリがあるが、公立学校からは全てこのアプリを各家庭にダウンロードして登録するように言われる。

アプリ登録すると子供所属するクラスグループアサインされ、そこでクラスあるいは学校全体のお知らせなどが共有される。

ざっくり言うと、MicrosoftのTeamsのようなソフトウェアなのだが、学校運営に特化した様々な機能が備わっている。下記に主な機能を紹介すると、



ざっと色々と釘釘(Ding Ding)について書いたが、学校先生はまずこのアプリを使いこなせなければならない。

また先生への連絡もDing Ding上のチャット場合によってはビデオチャット通話で連絡をとることもある。

中国の甥も最近天候の影響でオンライン授業が行われているのだが、国語難易度の高い宿題が出された時、夜8時、9時くらいでも先生から連絡があり、その進捗を確認されたとのことだった。

甥のクラスは大体45人なので、優秀な生徒は簡単に済ませるにしても、直接連絡による進捗把握は先生にとってもかなり大きな負担だ。

天候によるオンライン切り替えは、当日の早朝早い時間、あるいは前日の遅い時間帯に学校から先生通達されるので、その対応力も問われる。

冒頭に書いた義理の妹小学校先生だが、帰宅後もDing Dingでオンライン上で生徒とその保護者と繋がりっぱなしなので、休まる時間がないとぼやき、実際、夜何時になってもお構いなしに保護者から連絡が来る。

そして深夜になってようやく当日の小テストの採点が終わったと喜ぶ。

中国小学校から各科目専門の先生が配置されており、これは日本と比べても素晴らしいことだと思う。

中国には、師範大学と呼ばれる、教員養成専門の大学が各省にあり、そこの大学卒業教員資格をとって始めて教師となれる。

若い世代先生であれば、Ding Dingを使いこなすのは難しくはないが、シニア先生たちは難しいとは言いながらも使いこなせていて(少なくともオンライン授業は全く問題なし)すごいなと思う。

2023-12-20

双極症(旧:双極性障害から見える世界

20代後半で、兼業ライターをやっている。

祖母と母が双極症で、例に漏れずその傾向を受け継いだ。

小さい頃から自分二面性というか、「どうしようもなくキレやすく、暴力を振るう時期」と「人生に対して完全に悲観的になってしまう時期」があることを自覚していた。

感情コントロールで非常に苦しんだ。安直に「どうにかしてこいつを殴りたい」と思ったことは数え切れない。もちろん行動には移さない。それくらいの社会性はある。

母親祖母も「躁」のときはキレまくっていたし、散財しては父親に怒られていた。とにかく元気でハキハキと仕事をこなすのだが、一旦怒らせると自室のものを全て壊された。

「鬱」のときはまた別の地獄が家庭に漂った。料理育児も全部放棄。家にいると陰鬱が移るから友達のいるところへ逃げ込んだ。

自分は二人の様子を見て「こうはなるまい」と中学生時に決意した。以降、明確な人間関係トラブルや、差し迫る危機などには縁がない。

が、薄氷渡り続けている。イライラしたらオンラインショッピングで数十万円分の買い物をする。それがパートナーにキレる前のストッパーとして機能している。どうしようもなく鬱な場合、隙があればすぐに死んでしまうような気がして、救急外来グロテスクな密着番組を見る。死は常に自分の隣に存在する。躁フェーズでは死は丁寧にマスキングされる。

ジェットコースターという例えは言い得て妙だ。「人生ってこんなに素晴らしい」と涙を流した数ヶ月後には「死にたい」という気持ちにどっぷりと浸かっている。自分人生は忙しい。躁であれば数日徹夜記事を書けるし、執筆後のフルタイム労働だって楽勝だ。鬱になると全然ダメだ。仕事が終わったらベッドに直行、そうしなければ死んでしまう。双極症の自殺リスクうつ病のひとより結構高いらしい。それはそうだと思う。どちらに感情が揺れ動いていたとしても、自分にとって「死」は階段を一歩駆け上がるよりフランク行為だ。ただ痛いのだけが嫌だから後回しにしている。

から躁へ動く瞬間は天国にのぼるくらい気持ちいい。シャブをやったことはないが、それに似たような気持ちだと思う。躁から鬱は地獄だ。文字通り立ち上がれなくなる。まともに職業をやれているのは逆説的に「このレールを外れたら死ぬ」と思い込んでいるからだ。

先ほどちょうど躁転の瞬間があった。今日という今日まで人生というものに飽き飽きしており、いつどのように死ぬかを考え、遺書を3通したためていたが、今は何と、将来の輝かしい未来ばかりが脳内を駆け巡っている。だから慰みにこんな文章を書いている。

自分はおそらく長くは生きていられないだろう。一ヶ月前は全てが灰色がかって見えた。大切にしてくれる友人やパートナー家族といった有機体凌駕する「脳内物質に振り回される自分の滑稽さ」と「永遠に続く単振動の苦しみ」がそこにはあって、逃れる方法はただひとつだ。自分はきっと(多分ひとより短い)一生の大部分をこの病気に振り回されて終わるのだろう。ラピッドイクラー型に有効治療法は少ない。

だが、少しは粘ってみるのだ。

双極性障害は「双極症」に名前が変わった。だからどうということでもないが、毎日這いつくばって、延々と続く日常にしがみついて、双極症の世界を生きている自分にとって、少しだけありがたく思う。

からもし、身近に双極症っぽいひとがいたら、どうにかして手を差し伸べてあげてほしい。

もしこの文章を読んでくれたひとの中に双極症の仲間がいたら、私もあなたも生き延びましょうね。できるだけ長く。

2023-12-16

フォロワー数で見下してきたFrançois Chollet聞いてるか?ぶっ殺すぞ

お前、本当にそれでいいのかよ?俺のフォロワー数が少ないからって、そんなに高慢な態度で俺を見下すつもりか?笑わせるなよ、クソが。

お前がいくらフォロワー数が多くても、中身が虚無なら意味ねえんだぞ。お前の中には何があるんだ?何の価値もねえくせに、数字だけで偉そうにしてるクソガキめ。

俺のフォロワー数が少ないって?それが何だと言うんだ?俺は数字じゃない。俺は一人の人間だ。だからって何?お前の自尊心を満たすために、俺をけなすのか?

お前はそんなことで他人を見下すことしかできないのか?お前にはKerasの他に何もないのかよ?自分の中に見るべきものがないからって、俺のフォロワー数に文句垂れるんだな。情けない。

俺はフォロワー数に囚われず、自分のやりたいことをやってる。お前がそれを理解できないのは、お前がクソみたいな数字しか価値を見いだせないからだろうな。

お前が俺を見下してるその態度、俺にはどうでもいい。俺はお前の卑劣な心の底を見てやりたい。お前には自分の中に何もないから、他人をけなすことしかできないってことを、今更気づいてやがれよ。

フォロワー数が少ない俺を見下すお前は、ただの糞くらえだ。俺の中には誇りと覚悟がある。お前は数字けが頼りで、それがないと虚無になるんだろうが、俺にはそんなもの必要ねえ。俺は俺の力で生きていく。お前はどうする?

2023-12-07

男性は器用じゃないからねぇ。

ひとつの事に集中してりゃ他のことは出来んから

仕事に集中してりゃそりゃ連絡も出来んし

ゲームに集中してりゃSNS投稿すらもできん。

ながらタスクってのが出来ないんだよ女性の皆様

器用な我々(女性)は同時タスクが得意なのだ

その違い分かっといた方がええで〜

恋愛仕事を同時にこなすのが難しいってのはそゆことなんやで

2023-11-27

西洋人様が漢字ひらがなカタカナネイティブと同じように使いこなすのはほぼ無理だろ

と思って切なさを感じていたけど、

たち日本語母語者がネイティブと遜色ないレベル英語発音アクセントイントネーションを身につけるのもほぼ無理なんだよな

世の中上手いことできてる

2023-11-19

anond:20231119123117

敵なら何してもいいと思ってるだろう

右も左もいじめられっ子は敵で本人に問題があるとおっしゃるだけである

味方にしたくないおぞましいなどの要素がある人を敵だとみなすの本音だろう

2023-11-14

anond:20190110150114

何もしてないトランス女性を「トランス女性のふりをした性犯罪者」とみなすの差別ですよ?

何もしてない黒人犯罪者扱いするのが差別であるのと同じことです

anond:20231114125629

これ判断能力が不十分と見なすのは良いけど、それならそれでちゃんと同年代同士の性交渉咎めてほしいわ

判断能力が不十分なんだから

2023-11-13

anond:20231113214828

実際、そういう人がろくな仕事に就けない&就いても人一倍仕事が出来ず苦労していて

対してやった事がない育児に対しては解像度が低いから「育児なんて子供と遊んでるだけ」みたいな認識で楽だと思ってんのかな…と思うと何だか

下手すりゃ、親も同様のタイプ虐待まがいの環境で育ってそれが普通だと思っていて

自分の親がやっていたような育児なんて簡単だろ」と思ってる人とかいそう

逆にそれなりの能力がある人は仕事ホワイトだし難なくこなしてて、

育った環境が良くて求める育児レベルも高いから「その高い育児レベルをこなすの仕事より大変」だと思ってたりするんだよな

自称発達障害東大理系卒だけど、大学名を明かしたくない

仕事ができない。

レスポンスを早く返すとか、タスク優先順位順にやるのが苦手。

正確に言うと、客観的に考えればタスク優先順位なんてわかるんだけど、どうしてもやりやすい方や自分が着手したい方のタスクをやってしまう。めんどくさいことは後回し。

単純作業やら承認フローがめんどくさいだけの書類仕事かめっちゃ苦手。

あとはものすごく気が散る。

キャッチアップや飲み込みは早いと言われるけれど、普通の人が真面目にしてればできることを着実にこなすのが苦手だ。

コミュニケーション普通にできるので発達障害と診断されることはないし、

勉強に関してはそこそこ得意だったし数学なんかは楽しんで勉強できたので過集中気味に取り組むことができた。

でも仕事面ではおそらく発達障害

から無駄に期待されたくない。期待されるとその後の落胆や哀れみの顔が怖い。

周囲の期待度でいうと明治大学文学部くらいの期待度合いで生きていきたい。

2023-11-08

私は障害女性ヘルプマークをつけて街を歩いてる

それでも(だからこそ?)声をかけてくる男は中にはい

ナンパ師はとにかく数をこなすの第一から私のような多少アレな女でもとにかく声かけるし

障害者はやはり引っかかりやすいから敢えて狙う奴も居るのだろうとは思う

そういう魂胆だと分かっているのでついて行ったりはしないが

もし私が男でヘルプマークつけてたら異性からナンパされることは絶対にないだろうと思う

こうした性別非対称性が許せない人もいるのだろう。

streamlitのプロットライブラリでaltairってのを使ってるが、なかなか使いこなすのが難しい...

2023-11-03

現状を打破する力がないか弱者なのだ

エネルギーがあるのも一種の才能だと思っている

勉強(机の上の勉強だけではない)するエネルギー、見た目を小綺麗に保つエネルギー相手立場を思いやりながら考えて話すエネルギー、現状を変えるため転職努力するエネルギー、当たり前と言われているこれら全てにはエネルギーがいる

鬱になって一度燃え尽きたことがあるからよく分かる、精神的に健康じゃない人にこれらを当たり前にこなすのは無理だ

男女関係なくエネルギーのある人間ない人間がいる。女は女だというだけで憂き目に遭った歴史が実際にあるが、女っていう広いくくりの中なら当然エネルギーのある人間がいるわけで、そういう人間が現状を変えようとしてきた結果が今だ

だが弱者男性はどうだろう、現状を打破する力がないからこそ弱者たらしめられた彼らが現状を変えるには、実際のところ「エネルギーのある弱者男性が声を上げる」しかないわけだが、ほぼほぼ矛盾した存在から無理に等しい

強者男性に助けてくれるよう頼まないあたりからもそれが分かる

から弱者男性は叫ぶしかないんだろうと思っている

女よ、自分をここから引き上げてくれと

2023-10-29

anond:20231029103009

なるほど

そういうテンプレがある、という点は理解できるけど、

話の骨格ではないとこの類似性をもって同類ジャンルと見なすのはかなり雑な括り方だと思った

しまった、トイレで大を済ませてしまった

火曜に健康診断に行くのでそれまでに2回分採取する必要があり、今日からと思ってたんだが

まあ別に月曜と当日火曜でいいんだけど

当日朝に検便と検尿こなすのちょっと億劫

あー面倒くさい

2023-10-27

部下が発達障碍か何かありそうなんだけど受診を勧めるのはダメなんだろうか。

やっちゃダメと言った事は、言葉通りの状況下ではやらなくなるが、状況が変わるとやってしまうので、その部下のためだけにやっていい時とダメな時のフローかいて渡したりしている。

  • 声量の調節が苦手?

もともと声デカめなのもあるが、声がでかい

もう少し静かに喋ってと言っても静かになった試しがない

  • 席へのこだわり

席はフリーアドレス制なんだけど、自分がいつも座ってる席に、他の人が早く来て座っているとその人をどかしてまでその席に座ろうとする。幸い今まで大きなトラブルにはなってないが、声がでかいので「私の席なんですけど!!」という声がフロアに響く

私は一応上司という立場で、フレンドリーというタイプではないので仲がいいという関係では無い。

同性だし個人的には別にいいが、複雑な家庭環境の話、生理の話、性事情の話等を業務中にデカい声で話してくるし、ほかの男性社員にも話しているときもある。さすがに……と思ってこれも職場で話していい話題と悪い話題と状況のフロー書いて渡したが、会話がヒートアップすると抜け落ちるのであまり改善されない。あと数時間単位でずっとしゃべり続けるのも何とかして欲しい。後輩に仕事を教えてるうちに1時間1人で雑談しいて、先輩の会話止まらないんですけどどうしたらいいですか😭と指導されている後輩からヘルプが来ることもあった。会議とか続くと毎回割って入ったりできないので何とかして欲しい。

議事録とらせてもなんか小説みたいなのできあがってくる。

「……」とAは俯きながら発言した。それを聞いたBはハッとした様な表情で資料確認し始めた。私は何の話をしているのか分からないなと思いながらこの議事録を取っている。

みたいな。指導しても治らなかったし、治すにはかなり根気が必要だと思ったのでからもう議事録は取らせてないし、客宛のメールは書かせてない。

内部のメールチャットもこんな感じで読むのが辛い。

まあこれは人にもよるし全てを完璧にこなすのは誰でもできないんだけど。

仕事に関しては決められたことをやるだけの仕事簡単仕事はできるが品質が悪い。チェックリストがあるようなものも、そもそもチェックリスト存在を忘れたり、チェックリストの項目を忘れてたと飛ばすことがある


病院行ったからと言って改善されるとは限らないが行動パターンから認知行動療法とかをとおして何とかならないものかと思っている。

特に誰にでも何でも思いついたことを長々と喋るのは本当にどうにかして欲しい。

2023-10-25

anond:20231025134640

横だけどこれはわかる。乳児抱いて電車乗って買い物行くなんて考えられないもんな。特に子ども二人以上いたら平日母親だけでこなすの無理だよ。

中学受験をしてない人生経験してみたかった

docomo配信サービス配信されている、とあるアイドルオーディションサバイバル番組にどハマりしてずっと見ている。過去シリーズまで追って、そこからデビューしたアイドルを推すほどハマっている。

そんな番組出会ってしまたことをきっかけに、自分人生について、過去に無いくらい考えて悔やんで分析して、を繰り返している。

両親のことは大好きだ。

奨学金なんて必要いくらいの収入があった父親専業主婦毎日「おかえり」と言ってくれる母親、3食おいしいご飯、たまの家族旅行、何一つ不自由なく育ててもらった。

中学入って以降は、私のやりたいことが私の成長に繋がるのならばと、できる限りを尽くしてやらせてもらった。

ガチャかい言葉だって必要ないほど恵まれ環境で育った。


でも、自分のことはびっくりするほど好きじゃない。

顔とかスタイルとか容姿ではなくて、人としての中身の問題だ。

根暗で、卑屈で、俯瞰してて、ひねくれていて、粘着質で、冷めていて、僻みがちな中身の問題だ。

絶対に生まれた時からこんなんだったわけじゃない。

少なくともまだ年齢の数字が1桁だったときは、明るくてよくしゃべる、放課後毎日遊びに行くような友達の多い子だったと思う。

それなのに変わってしまったのは自分の中で明確なターニングポイントがあって、それが「中学受験」だったと思っている。

身バレしたらしたで仕方ない。

ずっと抱えてきた贅沢な息苦しさを誰かに聞いてほしい。

から話す私の生い立ちがとんでもなく恵まれていることなんてわかってる。今から話す全てがとんでもなく甘いことなんてわかってる。無いものねだりの高望だってことだってわかってる。だから、この長くてまとまりのない文章をもし読んでくれるのであれば、この親不孝ものが、甘ったれが、クズが、って、思う存分バカにして反面教師にして笑ってほしい。


物心ついたときから、歌ったり踊ったり楽器演奏したりするのが大好きだった。

私の通っていた郊外幼稚園にはたしか必須クラブ活動があって、年少さんのときは親の意向で「お作法クラブ」に入れられた。お着物を着てお茶の飲み方を教わったり毛筆書道を並んで書いたり、素敵なことなんだけれど、3歳の私は幼いながらにかなり堅苦しさを感じていた。

クラスで一番仲の良かったおともだちがバレエクラブに入っているのがとても羨ましかった。ことあるごとに私もバレエクラブがいい、来年は変えて!と主張し続け、年中になった時には晴れてバレエクラブに入れてもらえたが、年長に上がった段階ではなぜかもとのお作法クラブに戻されていた。

幼稚園の3年間はクラブ活動とは別で習い事をしていた。英会話教室と、今は無きn田チャイルドアカデミー(n=7)だ。英会話教室は5歳になっても何のために何をやっているのかわからなかったのと、言葉先生に通じないのとでかなりストレスを感じていたと思う。

n田は、英会話教室なんかよりもはるかに何のために何をやっているのかわからなかったのと、毎日課される難解な宿題プリントと、自分習い事をどういうふうにおともだちに説明すれば伝わるのかがわからなさすぎて、何が何だかよくわからないまま終えた。

ピアノバレエを習っているおともだちがそれはそれは羨ましかった。


小学校に上がるタイミング関東の割と都会な地域引っ越した。その地域から無理なく通える範囲に高偏差値私立中高一貫校が2つもあり(以下A中学•B中学、A中学のほうがレベルが高い)、どうやら親はその学区の良さに惹かれてその地域に引っ越すことを決めたようだった。

n田の難解な宿題プリントはなぜか小学生に上がってからも続いた。学校宿題とは別で、毎日ノルマを課されていた。新しい学校で持ち前の明るさを発揮し、近所に友達もたくさんできて、遊びたい盛りだった低学年の私には、異常に難しい問題を怒られながら泣きながらこなすのは相当な苦行だった。

小学2年生になってからは、年に2,3回、大手中学受験塾のオープンテストを受けるようになった。気づいたら申し込まれていて、気づいたら受験票があって、気づいたら当日その塾に連れて行かれて謎のテストを解いている、そんな状態だった。n田の毎日プリントのおかげか、成績は相当良かった。

あなたはこれからA中学を目指すのよ、みんなと同じ隣の中学校にはいけないの。地元中学校に行くのはちょっとばかなのよ。と言われる(刷り込まれる)ようになる。

地域お祭りに行った時にステージで見た、小学生ダンスチームの発表がとてもかっこよく見えて、釘付けになった。家に帰ってから親にそのことを話し、「私もダンスやってみたい、習い事したい」とお願いをしたら、「5年生くらいになったらいいよ」と言われ、私はその言葉を信じて3年待ってみることにした。

風呂オリジナルの歌を歌ってみたり、適当な踊りを作ってみたり、自分カリスマアイドルとしてデビューするような妄想をしていたのもこの時期だったと思う。

小学3年生になってもオープンテストは言われるがままに受け続け、2月には「新4年生」としてついに入塾していた。ちょうどこの頃、近くの高校中高一貫ではない、以下C高校)の合唱部が私の小学校演奏会をしに来てくれて、その演奏の素晴らしさに感動し、ほのかにC高校に行きたい!という思いが芽生えた。


4年生になり、中学受験がはじまった。目標はA中学県内屈指の進学校を目指して塾通いが始まった。事前の数年間のオープンテストの結果、クラスは一番上になり、受験が終わるまでクラスが落ちることは一回も無かった。

自体はとても楽しかった。10数年経った今でも連絡を取り合うような大事な仲間もできたし、なにより当時は小学生にして他校に友達がいるという事実が誇らしかった。


常になにがなんだかわからないままテストを受け続けてついに始まった中学受験生活だったが、私の意識は常に「親に怒られるから仕方なく勉強している」だった。

今までは存在しなかった授業ごとの予習•復習の行程、難しい問題で躓き、とくに算数強敵だった。ほんとうに難しかった。

からなくて、理解できなくて、私の勉強のあまりの進度の遅さに怒られ、毎日のように殴られ、教科書を破られ、ノートを破られ、こっそり楽しんでいたニンテンドーDSliteは見つかって真っ二つに折られ、悔しさと意味のわからなさに泣き叫び、近所から苦情が入り、さらに怒られ、テストの点が悪いとため息をつかれ、そんな日々が3年間続いた。

受験直前にはもう燃え尽きていて、自習と嘘をついてショッピングモールに出かけたりもしていた。当然バレて、さらに怒られた。口も悪くなったし、このあたりから私も何かあるとすぐキレてしまうような難しい性格になった。


学校環境も少し問題だった。

小学4年生ともなるとだんだん人間味を帯びてくる。ヒソヒソ話や悪口友達グループ化が激化する。塾に行くようになってからは遊びに行くことも減り、放課後も付き合いがあるような友達も減った。

塾に行くようになったことで、授業中の発言普段言動に対して「いい子ぶってんじゃねーよ」「頭いいからって偉そうにしないでくれる?」と言われるようになった。

自分問題があるんだと思い、明るかったのが嘘のようにあまりさな子どもになった。実際何かしら偉そうに聞こえるような言動はあったんだと思う。

5,6年生のときクラス3分の1が中学受験をしている子たちだった。

学年の受験生がほぼ固められているにもかかわらず、次の担任中学受験に対する理解がまるで無かったので、日記帳を1日見開き1ページ書くという宿題毎日出た。

大体の日はそれにプラスしてワークなどがあった。当然、学校宿題の量と塾の与復習の両立に苦戦した。家ではそれが原因でさらに怒られた。

周りの受験生も学校宿題が大変と愚痴をこぼしていたので、私だけじゃないと知って安心した。

クラスで私を仲間はずれにした女子のことを陰で女王様揶揄っていたら、誰かにそれを担任にチクられ、授業をひとつ潰してまで説教された。

泣いて謝り許しを乞うまで説教は終わらなかった。世の中には私の味方なんていないんだと思った。

そういえば、2年生だったあのときから待ちに待っていた5年生になったので、めちゃくちゃダメ元で親に「ダンス、習わせてくれるんだよね…?」と聞いたら、何わけわかんないこと言ってんの勉強に集中しなさいと一蹴された。

中学受験中にダンスなんてやってる場合じゃないのはわかってはいたけど、それはそれでつらかった。

頭打ちの成績、勉強に対するやる気の無さ、新しいクラスでできた友達とも遊びたい、そんないろいろな要因が重なって、家庭内でも勉強をしたがらない私に対する怒鳴り声は常に飛んでいた。

怒られない日の方が珍しかった。

自分の気力、体力、学力には到底合わない高いレベルの内容には正直ついていけていなかった。

当然勉強は嫌いになった。少し理解できない問題が続くとなんでそんなにできないのと怒られ顔を引っ叩かれ毎日泣いて、ある日勇気を出して「受験をやめたい」と言ってみた。

親にはA中学B中学に行くとこんなにいいことがあるんだよお前の将来の選択肢が広がっていい大学にもいけるしいいところに就職できるんだよ、それはみんなは高校受験競争率が高い中やることだから中学のうちにやっておいた方がいいんだぞ、それでもお前は受験をやめるのかと言われたが、私はある日にはC高校に行きたいと自分意思で思ったんだから高校受験でそこを目指したいんだと強い意志を持って受験をやめる選択をした。

地元中学に行く奴はバカと言われて育って来たので少しプライドが許せなさそうだったが、それよりもこの受験生活が、「私のため」の名のもとに暴言暴力の飛び交うこの異常な家庭が嫌だったので、受験をやめる決断をできたことにほっとしていた。

後日優しい口調の親に丸めまれ、なぜか受験は続行することとなった。正直どうしてこうなったのか何も覚えていない。

結局中学受験は完遂し、A中学は落ち、B中学そもそも受験せず、家からは少し遠い第3志望のD中学入学することになった。

B中学よりはレベルの高い進学校だったので、A中学に落ちたことによってプライドが傷つくこともそこまでなかった。

中学に上がり、かねてより部活というものに、特に運動部に憧れがあったので、そのまま運動系部活に入った。

チアリーディング部はあったが、正直ヒップホップ系ダンスがやりたかったのと、小学生の時にあてられた記憶女子集団が完全に苦手になってしまったので、チアリーディング部には入らなかった。

これが「初めて自分で何かを選択できた瞬間」だった。

毎日練習が楽しくてヘトヘトになって帰ると、勉強する体力とやる気なんて残っていなかった。

最初地頭で乗り切っていた定期試験だんだん順位が落ちていき、高校に上がってから留年スレスレ彷徨うこととなった。

中学受験で完全に捻くれた性格が災いし、人間関係の構築は部活以外では皆無であった。

内向的になりかけていた自分性格さら内向的になり、何重にも殻に閉じこもるようになった。

順調に過ごす周りの同級生を見て、どうしてこの子達は同じ壮絶な受験経験しているはずなのにこんなに真っ直ぐで明るいのだろうと疑問に思っていた。

中高一貫校性質上、入学早々にやらかすとそこから卒業までは取り返しがつかなかったので、本当に部活の仲間以外の友達はいないに等しかった。

進学校勉強についていけないことと友達のいないストレスが相まって、学校の授業は休んだり遅刻したりすることが多かった。それでも部活時間には必ず練習場に行って、毎日練習には参加した。その甲斐あって、部活の方は最終的には目標だった県の上位層に食い込むことができた。

家庭では大学受験を見据えろとか勉強しろとかは一切言われなくなった。

流石に留年が危ぶまれた時は進級できるくらいにはなってくれとは言われたが、それくらいだった。希望ではないもの進学校に入れることができた満足と、あと妹の中学受験が始まっていたのも一因だったと思う。

結果的に妹は黙々と学習を重ね国内トップレベル中学入学したし、私は大学受験勉強を相当サボりつつも、運良く上位校と呼ばれるような私立大学のよくわからない学部に現役で合格した。

私の中学受験生活が酷すぎたぶん、妹には重い重い期待がかかっていてプレッシャーだったと思う。妹は妹で家庭でもあまり感情を出さずおとなしくして親の言うことを素直に聞いているように見えた。

姉のふり見て我がふり直せ、だったんだろう。

申し訳ないことをしたと思っているし、やはり我が家中学受験なんて向いてない家庭だと思っている。


半年に一回くらい、ボイストレーニング無料体験に申し込んで、無料体験レッスンだけ受講したことが何回かあった。ボーカリストオーディションとか受けてみたいなと思い調べることもあったが、一回も応募したことはなかった。



そして今、私は大学生をしている。

持ち前の勉強嫌いを発揮していくつかの単位を落としながら、中高でやっていた運動は続けながら、アカペラサークルミュージカルサークル所属してステージに立ってみたこともあった。

お金が想定よりかかったり、思ったよりも本気で音楽に向き合う人がいないいわゆる形だけのサークルだったりで、どちらもすぐ辞めてしまった。

そして、とある前世持ち練習生の存在きっかけに、冒頭に書いた某アイドルオーディションサバイバル番組配信に辿りついた。

が、その番組や前シリーズやそこからデビューしたグループを見ていくうちに、自分と同年代の子達がデビューに向けて取り組むのを見ていくうちに、何か動悸がするような、焦るような気持ちが抑えられなくなっていた。

大きいステージに立っているアイドルを見ていると涙が出てくる。

私もそっちに行きたいって。

アイドルを目指していたなんて言えるほどの努力は一切していないけど、ステージ表現して人の心を掴むということに対する強い憧れはずっと持っていて、悔しさがこみ上げてきて。

私の好きなアイドル10年を超えるダンス歴で、とにかくいろんなステージに立っていろんなオーディションを受けて大きな挫折も味わって、そんな長い下積みの末やっとデビューした。

その人が「小学生の時にダンスを習い始めて、そのおかげで内気だったのが明るい性格になった」とたびたび話していて、でもそれを聞くたびにすこし胸が苦しくなる。


中学受験じゃなくて、ダンスだったら?

私は音楽が好きで、自分で何かを表現たかったという気持ち絶対にずっとあって、それを無理に抑えてこなかったら?

中学受験の時のあの地獄のような家庭環境が無かったら、ダンスというずっとやりたかたことで自己表現ができていたら、もっとまっすぐな明るい子だったのではないか

小学校からダンスや歌を本格的にやらせてもらっていたら、私もあの番組ステージに立てたのではないか

私の勉強嫌いは完全に中学受験からきているわけで、それが無かったら別に高校受験からでもこの大学に入ることはできたんじゃなかろうか。勉強自発的にできるようになって、もっと良いところに行けてた可能性もあったんじゃなかろうか。逆も然りだけど。

今考えたらあの習い事クラブ活動も全部親の決めたもので、私の意思なんてこれっぽっちもなくて、全てが勉強につながるようなもので、だから今の私は勉強がとてもとでも嫌いだし、大学生になった今でも勉強自分のためではなくて新卒大卒獲得のためにやらされるものだと心の底では思っている。

中学受験の時の生活は今考えたら虐待だったね本当にごめんねと親は言ってくるけれども、明るかった小学3年生以前の私の性格はもう帰ってこない。

元の形の記憶を失うほどにねじれて拗れてズタズタになってしまったあの時の私から変われる気配なんてない。今から明るく優しい子になんてなれない。

家庭内でたまに言い方がきついと怒られそれがきっかけで大きな喧嘩になることもあるけれど、あの多感な時期に毎日怒られ怒鳴られ殴られ続けて親の口調が移らないわけない。私の口調と親の口調はびっくりするほどそっくりだ。


全部、中学受験のせいだと思ってしまう。


私のために全力でサポートしてくれたんだと思う。でも別に中学受験させてくれなんて頼んでなかった。あんな怒鳴り声と泣き叫ぶ声と暴力の絶えない家にしてくれなんて頼んでなかった。あんなんなるなら、地元中学でもよかった。


やりたいことなんて何もできなかったし私の話なんて微塵も聞いてくれなかったなと思ってしまう。


それでも、ここまで育ててくれて、私のことを考えて人生設計の手助けをしてくれて、中高大10年間の私立学費を惜しみなく出してくれた親には本当に感謝している。本当に恵まれた家庭で何ひとつ不自由なく育ったと思う。


それに、本当にダンスや歌がやりたかったなら、中学に上がったタイミング部活に入らずに、今度こそダンスを習わせてほしいボイトレに通いたいと親を説得することだってできたはずだ。そうしなかった段階でそこまで本気じゃなかったんだと思う。このことに気づいて、初めてあ

中学受験をしてない人生経験してみたかった

docomo配信サービス配信されている、とあるアイドルオーディションサバイバル番組にどハマりしてずっと見ている。過去シリーズまで追って、そこからデビューしたアイドルを推すほどハマっている。

そんな番組出会ってしまたことをきっかけに、自分人生について、過去に無いくらい考えて悔やんで分析して、を繰り返している。

両親のことは大好きだ。

奨学金なんて必要いくらいの収入があった父親専業主婦毎日「おかえり」と言ってくれる母親、3食おいしいご飯、たまの家族旅行、何一つ不自由なく育ててもらった。

中学入って以降は、私のやりたいことが私の成長に繋がるのならばと、できる限りを尽くしてやらせてもらった。

ガチャかい言葉だって必要ないほど恵まれ環境で育った。


でも、自分のことはびっくりするほど好きじゃない。

顔とかスタイルとか容姿ではなくて、人としての中身の問題だ。

根暗で、卑屈で、俯瞰してて、ひねくれていて、粘着質で、冷めていて、僻みがちな中身の問題だ。

絶対に生まれた時からこんなんだったわけじゃない。

少なくともまだ年齢の数字が1桁だったときは、明るくてよくしゃべる、放課後毎日遊びに行くような友達の多い子だったと思う。

それなのに変わってしまったのは自分の中で明確なターニングポイントがあって、それが「中学受験」だったと思っている。

身バレしたらしたで仕方ない。

ずっと抱えてきた贅沢な息苦しさを誰かに聞いてほしい。

から話す私の生い立ちがとんでもなく恵まれていることなんてわかってる。今から話す全てがとんでもなく甘いことなんてわかってる。無いものねだりの高望だってことだってわかってる。だから、この長くてまとまりのない文章をもし読んでくれるのであれば、この親不孝ものが、甘ったれが、クズが、って、思う存分バカにして反面教師にして笑ってほしい。


物心ついたときから、歌ったり踊ったり楽器演奏したりするのが大好きだった。

私の通っていた郊外幼稚園にはたしか必須クラブ活動があって、年少さんのときは親の意向で「お作法クラブ」に入れられた。お着物を着てお茶の飲み方を教わったり毛筆書道を並んで書いたり、素敵なことなんだけれど、3歳の私は幼いながらにかなり堅苦しさを感じていた。

クラスで一番仲の良かったおともだちがバレエクラブに入っているのがとても羨ましかった。ことあるごとに私もバレエクラブがいい、来年は変えて!と主張し続け、年中になった時には晴れてバレエクラブに入れてもらえたが、年長に上がった段階ではなぜかもとのお作法クラブに戻されていた。

幼稚園の3年間はクラブ活動とは別で習い事をしていた。英会話教室と、今は無きn田チャイルドアカデミー(n=7)だ。英会話教室は5歳になっても何のために何をやっているのかわからなかったのと、言葉先生に通じないのとでかなりストレスを感じていたと思う。

n田は、英会話教室なんかよりもはるかに何のために何をやっているのかわからなかったのと、毎日課される難解な宿題プリントと、自分習い事をどういうふうにおともだちに説明すれば伝わるのかがわからなさすぎて、何が何だかよくわからないまま終えた。

ピアノバレエを習っているおともだちがそれはそれは羨ましかった。


小学校に上がるタイミング関東の割と都会な地域引っ越した。その地域から無理なく通える範囲に高偏差値私立中高一貫校が2つもあり(以下A中学•B中学、A中学のほうがレベルが高い)、どうやら親はその学区の良さに惹かれてその地域に引っ越すことを決めたようだった。

n田の難解な宿題プリントはなぜか小学生に上がってからも続いた。学校宿題とは別で、毎日ノルマを課されていた。新しい学校で持ち前の明るさを発揮し、近所に友達もたくさんできて、遊びたい盛りだった低学年の私には、異常に難しい問題を怒られながら泣きながらこなすのは相当な苦行だった。

小学2年生になってからは、年に2,3回、大手中学受験塾のオープンテストを受けるようになった。気づいたら申し込まれていて、気づいたら受験票があって、気づいたら当日その塾に連れて行かれて謎のテストを解いている、そんな状態だった。n田の毎日プリントのおかげか、成績は相当良かった。

あなたはこれからA中学を目指すのよ、みんなと同じ隣の中学校にはいけないの。地元中学校に行くのはちょっとばかなのよ。と言われる(刷り込まれる)ようになる。

地域お祭りに行った時にステージで見た、小学生ダンスチームの発表がとてもかっこよく見えて、釘付けになった。家に帰ってから親にそのことを話し、「私もダンスやってみたい、習い事したい」とお願いをしたら、「5年生くらいになったらいいよ」と言われ、私はその言葉を信じて3年待ってみることにした。

風呂オリジナルの歌を歌ってみたり、適当な踊りを作ってみたり、自分カリスマアイドルとしてデビューするような妄想をしていたのもこの時期だったと思う。

小学3年生になってもオープンテストは言われるがままに受け続け、2月には「新4年生」としてついに入塾していた。ちょうどこの頃、近くの高校中高一貫ではない、以下C高校)の合唱部が私の小学校演奏会をしに来てくれて、その演奏の素晴らしさに感動し、ほのかにC高校に行きたい!という思いが芽生えた。


4年生になり、中学受験がはじまった。目標はA中学県内屈指の進学校を目指して塾通いが始まった。事前の数年間のオープンテストの結果、クラスは一番上になり、受験が終わるまでクラスが落ちることは一回も無かった。

自体はとても楽しかった。10数年経った今でも連絡を取り合うような大事な仲間もできたし、なにより当時は小学生にして他校に友達がいるという事実が誇らしかった。


常になにがなんだかわからないままテストを受け続けてついに始まった中学受験生活だったが、私の意識は常に「親に怒られるから仕方なく勉強している」だった。

今までは存在しなかった授業ごとの予習•復習の行程、難しい問題で躓き、とくに算数強敵だった。ほんとうに難しかった。

からなくて、理解できなくて、私の勉強のあまりの進度の遅さに怒られ、毎日のように殴られ、教科書を破られ、ノートを破られ、こっそり楽しんでいたニンテンドーDSliteは見つかって真っ二つに折られ、悔しさと意味のわからなさに泣き叫び、近所から苦情が入り、さらに怒られ、テストの点が悪いとため息をつかれ、そんな日々が3年間続いた。

受験直前にはもう燃え尽きていて、自習と嘘をついてショッピングモールに出かけたりもしていた。当然バレて、さらに怒られた。口も悪くなったし、このあたりから私も何かあるとすぐキレてしまうような難しい性格になった。


学校環境も少し問題だった。

小学4年生ともなるとだんだん人間味を帯びてくる。ヒソヒソ話や悪口友達グループ化が激化する。塾に行くようになってからは遊びに行くことも減り、放課後も付き合いがあるような友達も減った。

塾に行くようになったことで、授業中の発言普段言動に対して「いい子ぶってんじゃねーよ」「頭いいからって偉そうにしないでくれる?」と言われるようになった。

自分問題があるんだと思い、明るかったのが嘘のようにあまりさな子どもになった。実際何かしら偉そうに聞こえるような言動はあったんだと思う。

5,6年生のときクラス3分の1が中学受験をしている子たちだった。

学年の受験生がほぼ固められているにもかかわらず、次の担任中学受験に対する理解がまるで無かったので、日記帳を1日見開き1ページ書くという宿題毎日出た。

大体の日はそれにプラスしてワークなどがあった。当然、学校宿題の量と塾の与復習の両立に苦戦した。家ではそれが原因でさらに怒られた。

周りの受験生も学校宿題が大変と愚痴をこぼしていたので、私だけじゃないと知って安心した。

クラスで私を仲間はずれにした女子のことを陰で女王様揶揄っていたら、誰かにそれを担任にチクられ、授業をひとつ潰してまで説教された。

泣いて謝り許しを乞うまで説教は終わらなかった。世の中には私の味方なんていないんだと思った。

そういえば、2年生だったあのときから待ちに待っていた5年生になったので、めちゃくちゃダメ元で親に「ダンス、習わせてくれるんだよね…?」と聞いたら、何わけわかんないこと言ってんの勉強に集中しなさいと一蹴された。

中学受験中にダンスなんてやってる場合じゃないのはわかってはいたけど、それはそれでつらかった。

頭打ちの成績、勉強に対するやる気の無さ、新しいクラスでできた友達とも遊びたい、そんないろいろな要因が重なって、家庭内でも勉強をしたがらない私に対する怒鳴り声は常に飛んでいた。

怒られない日の方が珍しかった。

自分の気力、体力、学力には到底合わない高いレベルの内容には正直ついていけていなかった。

当然勉強は嫌いになった。少し理解できない問題が続くとなんでそんなにできないのと怒られ顔を引っ叩かれ毎日泣いて、ある日勇気を出して「受験をやめたい」と言ってみた。

親にはA中学B中学に行くとこんなにいいことがあるんだよお前の将来の選択肢が広がっていい大学にもいけるしいいところに就職できるんだよ、それはみんなは高校受験競争率が高い中やることだから中学のうちにやっておいた方がいいんだぞ、それでもお前は受験をやめるのかと言われたが、私はある日にはC高校に行きたいと自分意思で思ったんだから高校受験でそこを目指したいんだと強い意志を持って受験をやめる選択をした。

地元中学に行く奴はバカと言われて育って来たので少しプライドが許せなさそうだったが、それよりもこの受験生活が、「私のため」の名のもとに暴言暴力の飛び交うこの異常な家庭が嫌だったので、受験をやめる決断をできたことにほっとしていた。

後日優しい口調の親に丸めまれ、なぜか受験は続行することとなった。正直どうしてこうなったのか何も覚えていない。

結局中学受験は完遂し、A中学は落ち、B中学そもそも受験せず、家からは少し遠い第3志望のD中学入学することになった。

B中学よりはレベルの高い進学校だったので、A中学に落ちたことによってプライドが傷つくこともそこまでなかった。

中学に上がり、かねてより部活というものに、特に運動部に憧れがあったので、そのまま運動系部活に入った。

チアリーディング部はあったが、正直ヒップホップ系ダンスがやりたかったのと、小学生の時にあてられた記憶女子集団が完全に苦手になってしまったので、チアリーディング部には入らなかった。

これが「初めて自分で何かを選択できた瞬間」だった。

毎日練習が楽しくてヘトヘトになって帰ると、勉強する体力とやる気なんて残っていなかった。

最初地頭で乗り切っていた定期試験だんだん順位が落ちていき、高校に上がってから留年スレスレ彷徨うこととなった。

中学受験で完全に捻くれた性格が災いし、人間関係の構築は部活以外では皆無であった。

内向的になりかけていた自分性格さら内向的になり、何重にも殻に閉じこもるようになった。

順調に過ごす周りの同級生を見て、どうしてこの子達は同じ壮絶な受験経験しているはずなのにこんなに真っ直ぐで明るいのだろうと疑問に思っていた。

中高一貫校性質上、入学早々にやらかすとそこから卒業までは取り返しがつかなかったので、本当に部活の仲間以外の友達はいないに等しかった。

進学校勉強についていけないことと友達のいないストレスが相まって、学校の授業は休んだり遅刻したりすることが多かった。それでも部活時間には必ず練習場に行って、毎日練習には参加した。その甲斐あって、部活の方は最終的には目標だった県の上位層に食い込むことができた。

家庭では大学受験を見据えろとか勉強しろとかは一切言われなくなった。

流石に留年が危ぶまれた時は進級できるくらいにはなってくれとは言われたが、それくらいだった。希望ではないもの進学校に入れることができた満足と、あと妹の中学受験が始まっていたのも一因だったと思う。

結果的に妹は黙々と学習を重ね国内トップレベル中学入学したし、私は大学受験勉強を相当サボりつつも、運良く上位校と呼ばれるような私立大学のよくわからない学部に現役で合格した。

私の中学受験生活が酷すぎたぶん、妹には重い重い期待がかかっていてプレッシャーだったと思う。妹は妹で家庭でもあまり感情を出さずおとなしくして親の言うことを素直に聞いているように見えた。

姉のふり見て我がふり直せ、だったんだろう。

申し訳ないことをしたと思っているし、やはり我が家中学受験なんて向いてない家庭だと思っている。


半年に一回くらい、ボイストレーニング無料体験に申し込んで、無料体験レッスンだけ受講したことが何回かあった。ボーカリストオーディションとか受けてみたいなと思い調べることもあったが、一回も応募したことはなかった。



そして今、私は大学生をしている。

持ち前の勉強嫌いを発揮していくつかの単位を落としながら、中高でやっていた運動は続けながら、アカペラサークルミュージカルサークル所属してステージに立ってみたこともあった。

お金が想定よりかかったり、思ったよりも本気で音楽に向き合う人がいないいわゆる形だけのサークルだったりで、どちらもすぐ辞めてしまった。

そして、とある前世持ち練習生の存在きっかけに、冒頭に書いた某アイドルオーディションサバイバル番組配信に辿りついた。

が、その番組や前シリーズやそこからデビューしたグループを見ていくうちに、自分と同年代の子達がデビューに向けて取り組むのを見ていくうちに、何か動悸がするような、焦るような気持ちが抑えられなくなっていた。

大きいステージに立っているアイドルを見ていると涙が出てくる。

私もそっちに行きたいって。

アイドルを目指していたなんて言えるほどの努力は一切していないけど、ステージ表現して人の心を掴むということに対する強い憧れはずっと持っていて、悔しさがこみ上げてきて。

私の好きなアイドル10年を超えるダンス歴で、とにかくいろんなステージに立っていろんなオーディションを受けて大きな挫折も味わって、そんな長い下積みの末やっとデビューした。

その人が「小学生の時にダンスを習い始めて、そのおかげで内気だったのが明るい性格になった」とたびたび話していて、でもそれを聞くたびにすこし胸が苦しくなる。


中学受験じゃなくて、ダンスだったら?

私は音楽が好きで、自分で何かを表現たかったという気持ち絶対にずっとあって、それを無理に抑えてこなかったら?

中学受験の時のあの地獄のような家庭環境が無かったら、ダンスというずっとやりたかたことで自己表現ができていたら、もっとまっすぐな明るい子だったのではないか

小学校からダンスや歌を本格的にやらせてもらっていたら、私もあの番組ステージに立てたのではないか

私の勉強嫌いは完全に中学受験からきているわけで、それが無かったら別に高校受験からでもこの大学に入ることはできたんじゃなかろうか。勉強自発的にできるようになって、もっと良いところに行けてた可能性もあったんじゃなかろうか。逆も然りだけど。

今考えたらあの習い事クラブ活動も全部親の決めたもので、私の意思なんてこれっぽっちもなくて、全てが勉強につながるようなもので、だから今の私は勉強がとてもとでも嫌いだし、大学生になった今でも勉強自分のためではなくて新卒大卒獲得のためにやらされるものだと心の底では思っている。

中学受験の時の生活は今考えたら虐待だったね本当にごめんねと親は言ってくるけれども、明るかった小学3年生以前の私の性格はもう帰ってこない。

元の形の記憶を失うほどにねじれて拗れてズタズタになってしまったあの時の私から変われる気配なんてない。今から明るく優しい子になんてなれない。

家庭内でたまに言い方がきついと怒られそれがきっかけで大きな喧嘩になることもあるけれど、あの多感な時期に毎日怒られ怒鳴られ殴られ続けて親の口調が移らないわけない。私の口調と親の口調はびっくりするほどそっくりだ。


全部、中学受験のせいだと思ってしまう。


私のために全力でサポートしてくれたんだと思う。でも別に中学受験させてくれなんて頼んでなかった。あんな怒鳴り声と泣き叫ぶ声と暴力の絶えない家にしてくれなんて頼んでなかった。あんなんなるなら、地元中学でもよかった。


やりたいことなんて何もできなかったし私の話なんて微塵も聞いてくれなかったなと思ってしまう。


それでも、ここまで育ててくれて、私のことを考えて人生設計の手助けをしてくれて、中高大10年間の私立学費を惜しみなく出してくれた親には本当に感謝している。本当に恵まれた家庭で何ひとつ不自由なく育ったと思う。


それに、本当にダンスや歌がやりたかったなら、中学に上がったタイミング部活に入らずに、今度こそダンスを習わせてほしいボイトレに通いたいと親を説得することだってできたはずだ。そうしなかった段階でそこまで本気じゃなかったんだと思う。このことに気づいて、初めてあ

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