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2020-09-14

anond:20200914020120

わたし研究室先生は、奥さん誕生日は早く帰るし、朝は子供を送ってから行くし、子供が熱出したら休むし、サンタさんが何送るべきか相談してくるよ。奥さんも働いてるから進んで家事もしてるみたい。一方で家庭を顧みない先生もいるなーという印象。結局、研究者からとかは関係なくて、その人がどんな人間かってことだと思う。だから相手ポスドクからとか、研究価値があるからなんて考えて余計に悩む必要ないと思うよ。元増田に幸あれ。

anond:20200914004041

ドクターの時に学振通ってて、有名な教授がいる研究室にいて、本人にコミュ力があってどこかでポストが開いた時にまず声をかけてくれる人脈があれば可能性ある気がする。

結局研究者として上に行くのは、iPS細胞とかみたいに突出した研究テーマがない限り、人格とか人脈がモノをいう。

anond:20200914004041

ドクターの時に学振通ってて、有名な教授がいる研究室にいて、本人にコミュ力があってどこかでポストが開いた時にまず声をかけてくれる人脈があれば可能性ある気がする。

結局研究者として上に行くのは、iPS細胞とかみたいに突出した研究テーマがない限り、人格とか人脈がモノをいう。

2020-09-13

ぼっち満喫しているはずなのに

30代半ば。友達もおらず、休日は誰とも話さず一人で過ごす。

恋人結婚相手もいない。ぼっちである

ふいに昔のことを思い出してしまう。

胸がキュッとなるから思い出したくないのに。

小学校中学校高校と、それなりに友達もいて、楽しく過ごしていた。

休みの日によく遊びに行ったり、部活に励んだり、今考えると信じられないぐらい人と接していた。

よく恋もしていた。告白しないまま終わる恋ばかりだった。

勉強も真面目に頑張っていた。周りに褒められるために頑張っていた。

歯車が狂い始めたのは大学の頃。

一人暮らしで気が緩んだのか。勉強も頑張らなくなり、だらけた生活を送るようになった。

友達もできなかった。

高校までは自然友達ができていたから、大学に入ってもその内できるんだろうなと思っていたら、そういうわけにもいかず。

周りは周り同士で友達になっていくが、自分は溶け込めていけない。

どうしようもなくなって、同じ高校から入学したツレとばかり一緒に行動していた。

だんだんそのツレとも会わなくなり、自分はどんどん一人で過ごすようになった。

バイトを始めたが、バイト以外で遊びに行くほどの仲にはならなくて。

大学4年で研究室に入ったが、とりあえず最低限の研究だけしてなんとか卒業できた。

大学卒業式の日。

周りは友達同士でワイワイやっていたが、自分は親と出席していた。

親に友達がいないことを知られるのが嫌で、卒業式当日は、親に対してずっと不機嫌だった記憶がある。

卒業できるまで通わせてもらったのに。親不孝者だ。

それから社会人になって、10数年。

今ではぼっち満喫している。

今更友達はできない。恋人もできないままだろう。

それで良いと思っているはずなのに、何かがきっかけで昔のことを思い出してしまう。

心の奥底で、まだ憧れを抱いているのだろうか。

なんとなく抱き続けているモヤモヤを吐き出したくて、こんな日記を書いてみた。

書いたところで、モヤモヤは晴れないのだけれど。

体育会系ノリはコミュ障には楽だったという話

高校まで軍隊みたいな高校部活にいた。

体育会系というと今や前時代人間の屑みたいな扱いであり、時間はかかるだろうがこれからゆっくりと消えていく風習だろう。

ただ、生粋コミュ障である自分にとって、要求事項、こうしてほしいこうあるべきという指針が明確な体育会系集団は頭を空っぽにしても生きていける貴重な場であったことを白状する。

ひたすらガッツを見せて先輩を立てて、言うことは何でも聞く、規律絶対、これで大抵のことを乗り切れる体育会系のノリが実は嫌いではなく、ありがたかった。むしろ馴染んでいたとさえいえる。

高校卒業しそこそこ知られた大学に入った。するとそういう集団を見つけることができなくなった。体育会系みたいな関係が嫌いな人が多いように見えた。

新しい集団に入って自分がまず無意識に考えることは、「誰がこの中で一番強いのか」である(複数派閥があると面倒だが)。権力者に命じられれば道化だってだってやる。そうすれば大体生きていける。

しかしそんなものはなかった。後輩も先輩も過度に忖度せず自分意見を言う。もはや別世界で、これまで他人に合わせることしかせず自分意見を持たなかった自分微妙に浮いている(優しい人たちなのでハブられはしないが)。

ともあれ意見をはっきり表明する人の存在はありがたかった。それに合わせればいい。そういう態度をとっていると「いやお前はどうなん?」…?

何を間違えただろうか。

自分要求意志がわかりやすく、それを支持すると機嫌が良くなる人はつきあいやすかった。しかしこの大学にいる人は、自分意志ははっきりしているもの他人から賛同されてもあまり上機嫌にならない。何なら反論されたい、合わせてほしくないとすら思っているようにさえ見える。

しかし本当に、自分意見を言って良いのだろうか?誰かの機嫌を損ねるのではないか経験現実がせめぎ合う。

研究室に配属された。自分意見を言わず指導教員意見に合わせていたら、「あなた何も考えてないよね?議論にならないよ」と言われる。

コミュ障には真人間のつきあいは難しすぎる。

2020-09-09

anond:20200909123447

それがない人たちもいるんだなぁ

ウイリアム症候群の子どもは他人への共感性が高く、警戒心を持たず、また人種的偏見もない

■極端にやさしい遺伝子を持つ、ウイリアム症候群の子どもと大人

感情移入についてのある実験で、大人実験者がテーブルに膝をぶつけてひどく痛がっている。研究室の録画では、一般的に発達している子ども達はただ見るだけで感情移入気遣いは示さない。しかウイリアム症候群の多くは実験者に近づいて彼女のひざをなでながら、”どうしたの?”と尋ねる。


 このような感情移入は警戒心の無さになる。実験記録での一般的なこどもは毛むくじゃらで動いているおもちゃクモに反応する、タガー・フラスバーグの留意することは、いたって普通のことだ。”彼女はそれに近づきたがらない。そしてそれに触ろうとして近寄る、ということもみられない。”


 ”ウイリアム症候群の子供たちが気持ち悪いクモを出されたら、どんな反応をすると思いますか? 彼らの多くはそれを可愛がるんです。"


 しかしながら、警戒心の無さは恐怖と紙一重でもある。別の実験で、タガー・フラスバーグは部屋に見知らぬ人間を入れた。ただの人ではない、野球帽をかぶり、濃いサングラスつきだ。お察しの通り、一般的子供たちは彼にまったく近寄らなかった。しかし、ほとんどのウイリアム症候群の子供たちは、彼に話しかけ、さらに彼におもちゃで遊ぼうと言い出すケースもあった。


 このような社会的な脱抑制と無邪気さは実生活で一大事となりうる。そして大人になるとさらにそれは拡大する。


 ニュージャージー州ウエストウッドに住むウイリアム症候群ケリーマーチン(34歳)の場合、いわゆる”友達”のからいじめにあって、彼らのためにお金を払っていた。ケリー母親アンが気づいたとき、その額は1,500ドル(十数万円)になっていた。

イヌが人懐こくなった理由は「難病遺伝子」に:ナショナルジオグラフィック

極端に社交的なイヌでは、GTF2IとGTF2IRD1という2つの遺伝子変異があることが明らかになった。一方ヒトでは、これらの遺伝子変異は、妖精のような独特な顔つきや人懐っこさなどを特徴とする「ウィリアムズ症候群」と関連づけられている

新卒就活をしてみていいたくなったこ

半年近く前に就活自体は終わってるが、少し就活について考える機会が発生したので、これから就活する人に届けばなと思い書いています

2020-09-06

人生やり直せるとしたらどこからだろう

下手に大学実家を出ずに地元大学行ってたら

メンタル安定して優等生的な人生過ごせたんだろうか

大学サークルに入らず研究室勉強してたら良かったか

就職するにしたって地元大学の近くの企業なら良かったのか

何か外しまくっている気もする

けど一方でやりたい方に間違いなく進んできた気もする

変な話だが東大研究室を持っていると誤解されるというやつ。

予算をもらっているから、取材を受けるが、芸能人ではない、学者だ。というやつ。

2020-09-05

名前をググっても論文ひとつ出てこないやつ

多分研究室で干されてたやつだと思う。

修士までいって発表の1つもやってないやつは難あり。

2020-09-02

anond:20200901143750

現役医師です。かつてはあなたのような部分がありました。そして、あなたのような同級生もいました。

関西の有名私学→二浪→非医学部に2年通う→再受験地方国立医学部医者○年目。女。

発表パワポ作ってるフリしてこれ書いてる。

中学受験までは成績優秀だったけれど、入学後は成績が低迷。そしてあなたのように親から非難否定され続けてた。

文系進学を否定されたのも同じ。

医学部に入ったけれど、入った大学をいろいろ言われたか国立医学部に入り直した。

入り直した医学部レベルが旧帝じゃないからこれもいろいろ言われた。

幸運だったのは親元から離れられたことかな。攻撃も減った。

よくよく人生を考えた後、地元に戻って医者してる。


まず大変残念なお知らせだけれども、周りの学生人格については仕方がない。

医学部関係なく、一般的エリートと呼ばれる人の中にも頭の中は「酒、女、ギャンブル」だらけなんてたくさんいる。

世の一流企業セクハラパワハラニュースが絶えないのが論より証拠

働き出していろんな人を見ていると、むしろ医者医学部生はまだそのあたりマトモだなあ、と思うことの方が多い。


加えて、人間性医者としての力量は必ずしも相関しない。

よく患者さんの話を聞く人あたりのいい医者が、とんでもない治療していることはザラにある。

夜の街で飲みまくって遊びまくってる医者が、難手術をバリバリこなしていることもザラにある。

あなた軽蔑する同級生後者になっていくのを何人も見た。


あなた法律世界に行くことにしたとしよう。

しか法律世界にも、きっと「仕事はできるけれど人格は最低」という人はいるだろう。

それを目の当たりにした時に、あなた法律世界絶望するのでは、と私は心配している。

「ずっと願っていた世界」が現実のものとなった時、表からは見えない裏の顔が見えるようになっても

あなたは「法律が好き」という気持ちだけでがんばれるだろうか。

かつての私は経済勉強たかった。会計士になろうと思っていた。

紆余曲折あって、巡り合わせか会計士の夫がいる。

超一流大学を出て、司法試験と並ぶ超難関資格公認会計士試験パスしている。周囲もそんな感じらしい。

でも職場での話を聞けば聞くほど、「ならなくてよかった」と思ってしまう。パワハラセクハラオンパレード

今の私の勤めている病院の方が百倍マシ。バイアス入っているんだろうけれど。


アドバイスできるとしたら、医学部内ではない、でも医療系のコミュニティに入ること。

今はCOVID-19問題で難しいけれど、地域病院実習に行くとか、勉強会に顔を出すとか。

M3で来てくれたら、迎える側もとても嬉しいはず。私はとっても歓迎する。

医学部内でも、研究室に出入りするのもいいと思う。

教員先生方の中には、必ずあなたのような学生を非常に気にかけてくれるタイプいるから、それを見つけよう。

かつてはあなたのような学生だった教員医師結構いる。

早く、医療現場現実を見てほしい。

みんなが思いっきり悩んでそれでも生きて医療をしている様子を見てほしい。


あなたの育った環境と、それによって培われたあなた思考回路とは、長い年月をかけて折り合いをつけるしかない。

それについてはカウンセリングとか、認知行動療法とか、いろいろあるけれど、医学部生なら図書館で調べてられるだろう。

お金問題はあるだろうけれど、ぜひ自分でいろいろ試してみてほしい。その経験は非常に価値がある。

はいずれ歳をとって、弱くなる。だから長期戦ではあなたに分がある。今の時点で心折ってしまうのはもったいない


一口医師と言っても、バリバリ手術する外科医もいれば、研究に勤しむ博士課程の人もいれば

今まさに脚光を浴びる公衆衛生医師もいる。

厚労省の医系技官になって、「公務員としてしっかり働いて、法律にかかわる仕事」もいいんじゃないかな。

医師免許があることで取れる選択肢はとても幅広い。


今のあなた必要なのは、周りに自分のことをきちんと話すこと。

受験生、編入はいる?法律世界からやってきた医学生は時々いる。そういう人を探すのもいい。

オンラインで人と接さないのは楽だけど、問題の先送りでしかないと思う。

いっぱい話して、自分を開示しまくって、代わりにいろんな意見を吸収してほしい。

親や周囲の学生の、何十倍も何百倍も、自分を見つめてほしい。


個人としては、あなたのように悩んで悩んで悩みまくった人に、医師になってほしいです。

医療世界に入ってきてほしいです。

いつか直接でも間接でも、一緒に働ける日を待っています

2020-09-01

悪意はないけどナチュラルに失礼な人

高学歴の人や高度な技能を持った専門職の人にありがちだけど、茂木外相外国人記者への対応を見てそんな人の存在を思い出した。本人に悪意はないんだけど、全般的に素っ気なく少し癖のある言動相手違和感を与え、立場や経歴も相まって偉そうだとか失礼だとか思われてしまう人。

普段は同じレベル能力の人か能力忖度してくれる人に囲まれ仕事生活をしているので、本人にうすうす自覚があっても特に問題だと思ってないし治す気もない。だからその人となりを知らずにエンカウントすると、悪い人じゃないんだけどなんか失礼な人、という第一印象を受けることになる。個人的にはこういう人は面倒くさいけど、付き合っているうちに良さが見えてくることもあるので決して嫌いじゃない。

ただし、程度にもよるけどもっとコミュニケーションのとり方にもコストを割いて欲しいと思ってしまう。なぜなら、上司と部下といったパワーバランスに拘束された人間関係においてこういう人が上にいる場合、相性によっては実際にハラスメントする人とされる人というリカバリ不可能関係に移行してしまうことがわりとありがちだからだ。たとえば、大学研究室で起こるアカハラ、このパターンが多い気がする。

ちなみに茂木大臣の件、記者のやり取りを見たアメリカ人が、うちの政府高官の態度もまったく同じだよ、と完全に悪意として受け取っているコメントReddit投稿されていて興味深かった。なんでも中南米記者が痛いところをついた質問をすると、わざわざ下手くそハイスクールスパニッシュで聞き返すのがよくある風景らしい。

2020-08-29

anond:20200829144230

市販の高純度の鉄は1キログラム当たり100万~200万円する。超高純度鉄がそれを上回るのは確実」

研究室の中でのみ成立する”夢の材料

未だにハゲタカジャーナル論文を出している研究者を見かける

ハゲタカジャーナル」という言葉アカデミアに現れて数年が経つ。

  

査読あり論文」を「国際英文誌」にどのくらい出版たか研究者の「業績」で最も重要視されるものであり、競争資金の獲得も、大学研究所でのポジションの獲得も、一にも二にもどのくらい業績を持っているかが左右する。

競争苛烈だという問題はあるものの、研究という活動に、競争的要素がある以上、競争があるのはやむを得ない面もある。

査読第三者専門家による審査

  

しかしながら、10年程前よりこの業績評価の穴を突くような商売が現れた。

それが Predatory journal、通称ハゲタカジャーナル』と呼ばれる粗悪学術雑誌である

  

身もふたもない言い方をすれば「金さえ払えばお前の論文を『査読付き国際英文誌』に載せてやるよ」という商売である

オンライン上にしか存在しない「国際誌」を創刊し、「査読がある」と謳う。

投稿された論文は、実際には査読などされない。内容にかかわらず規定金額を支払えば、雑誌掲載される。掲載料は数万円から20万円くらいと聞く。

研究者研究費(そのかなりの割合公的機関から出ている。つまり原資は税金であるから掲載料を支払えばいいので、自分の懐は痛まない。

対価として得られるのは、「査読付きの国際誌に論文出版された」という業績である

  

上手いことを考えたもので、「業績が欲しい研究者」と「金が欲しい業者」の思惑はピタリと一致し、この商売流行りに流行っている。

日本では2018年ごろに新聞問題が報じられたことで学界においても良く知られることになり、ハゲタカジャーナル出版することは悪だという認識が広まった。

しかしたら、多くの研究者はそんな問題過去のものだと思っているかもしれない。

  

しかし、未だに数多くの日本研究者ハゲタカジャーナルとおぼしき雑誌論文掲載し続けている。

(ここでは具体的に雑誌個人名に言及することはしない。実際、普通オンライン雑誌ハゲタカ雑誌境界あいまいである

  

どのような研究者が未だに論文ハゲタカジャーナル掲載しているかは、簡単に調べることができる。

恐らく多くの研究者は、怪しい雑誌から論文投稿勧誘メールを受け取った経験があるだろう。

試しに、そのメール記載されている雑誌サイトを見てみよう。

多くの場合、そのような雑誌サイトには、膨大な数の姉妹雑誌掲載されている。

大手ハゲタカ雑誌場合雑誌横断的に語句検索可能だ。

試しに「Japan」と入れてみよう。

思ったより多くの日本人著者の論文が出てくるだろう。もちろん2020年出版のモノもゴロゴロ出てくる。

    

その論文PDFを開いてみよう。もちろん著者名が載っているし、著者の所属が明記されている。

ほとんどの場合、著者はちゃんとした大学研究所病院所属している。

どれどれ、著者の名前でResearchmapで検索してみよう…おお!ちゃんと出てくるではないか、確かに実在研究者だ。

研究室を主催している人間のようだ・・・当たり前のように科研費取得の経験もある。

業績欄を見ても、見知った雑誌名が並んでいる。…あぁ!そんな中に先ほどPDFを見たハゲタカ雑誌に載った論文もあるぞ…「査読あり」と明記してある…。

  

  

…そのようなことが当たり前に起こっている。

  

粗悪雑誌から距離を置き、誠実に業績を積んでいる研究者も、競争資金ポジションの獲得で競争相手が、このような粗悪雑誌を利用して業績を水増しした研究者である可能性がある。

競争が激しいのはやむを得ないが、せめてその競争は公平に行われてほしいと願う。

コロナでの大学研究のやりかた

コロナ人生が変わってしまった人は多いと思う。私も仕事雰囲気が変わり始めている。

私は運がいいことに、やりたいこと興味のあることを比較的できる研究者を某旧帝大でやれる機会に恵まれている。専門は化学。だが、それも音をたてて変わり始めている。

もともと将来の仕事を何にしようと明確に描いたことはなかった。幼少期に育った地域比較英才教育とは程遠い地域であり、貧困家庭も多かった。友人の家に行くと昼間からおじさんがゲームをしていたり、パチンコや酒に明け暮れている、そんな地域である小学校でありながらも学級崩壊に近いことが起きており、義務教育の内容をきっちりと終えることができなかったと記憶している。そんな状況を深く考えることはなく、私は周りの事象に対して疑問を持ち、調べるのが好きだった。なぜ水は雨として降ってきて、山を流れて、コンクリートの隙間から流れていくか。そんなことが気づいたときには不思議だったと思う。幸いにして先生にも恵まれた。疑問をもち、それを自分のペースで解決するのが好きであり、校庭のはじっこで疑問点などを書き出していたとき理科若い先生理科室に誘ってくれた。そこには違う世界があり、好きなだけ実験していいと言われてのめり込んだ。ガスバーナーをつけてよくわからない化合物を熱して色が変わる、気体がでる。一つ一つが楽しくてしょうがなかった。だが先生がある日突然学校に来なくなってしまい、程なくして全校集会が開かれた。持病の喘息でなくなったらしい。どうしたらいいのかよくわからいくらい、悲しかった。狭い実験室の僅かな道具から世界の広さをあれ程教えてくれた先生がこの世からいなくなってしまったのが悲しかった。学問世界を広げてくれるというのを肌で教えてもらえたと実感している。

当時はショックだったが、中学校から親の転職関係引っ越し比較普通地域引っ越ししまった。小学校ときにはサワガニを追ったり、カエルを捕まえて、ビーダマンからでてくるビー玉の平均距離などをひたすら数える子供であったが、引っ越し地域では勉強熱心な地域であり、誰も放課後には遊んでいる子供はいなかった。塾に行くとのはなしだったが、恥ずかしながら塾という単語を知らなかった。動物を捕まえた数よりも試験の点数を重視する地域であり、ひどく狼狽したのを覚えている。小学校での経験があってか理科数学が楽しくて仕方がなかったが、何故か閉塞感があった。あくま中学高校でのお勉強というのは与えられた範囲でやる学びであり、そこに自由度は少なかった。結果的勉強はできたのでとにかく自由を求めていた。高校には入ったが、倫理先生哲学議論ばかりしていた。こう考えると私は先生に恵まれているのだが、先生に学びの自由を求められる場所はと聞いたとき日本には殆どないと言われてしまった。あ、そういえばといって、それがきっかけとなり京都にある大学に行くことになった。

大学自由であった。毎年謎に作られる像やコスプレ卒業式で有名な大学であるが、学生多様性がまったくもって違っていた。そこでも縛られるのが苦手な私は大学で授業に行けなかった。ただ、大学図書館にはホコリを被っていながらもたまらなく刺激的な書籍が非常に多くあり、図書館毎日通った。楽しくて楽しくて仕方がなかった。たぶんそれは小学生の時に一人で課題を設定して、問題解決をする。そういうプロセスであっただろう。数式、活字が踊っているようにすら感じた。一般教養の授業でもムラ社会議論する授業や、紙飛行機を飛ばす授業など色々あり、不思議な授業であったと思う。ただ相変わらず大学の専門の授業は指定教科書から逸脱していなく、面白くなかった。ある意味授業に関しては圧倒的に劣等生であったが、たまたま行った授業のときに言われた印象的な言葉がある。「結婚は何回でもできるが、研究室選びは一度しかできない。」人生パートナー何度でも選べるが、人生の専門となる研究室は一度しか選べないとのことだった。へそ曲がりな私は研究室で変わったことがやりたいと思い、研究室を巡ったが、どれもこれも古臭いホコリを被った図書館で聞いたことがあるような内容だった。日本最高学府学問として理解できてしまうということが非常に悲しかった。ただ、たまたま非常に尖った研究室があり、そこで私を拾ってもらえた。やはり私は先生に恵まれていた。研究室は今思えば世界的に有名で先駆的な研究室であり、そこで自由研究を行う機会に恵まれた。朝から晩まで先輩後輩教員ディスカッションしながら、自由自在に研究をすることができる。研究費も潤沢であり、装置も多くあるために闇実験自分の考えるすべての実験ができてしまった。卒論テーマ自分でかってにテーマ設定をして卒論発表までさせてもらえた。今思えばあんなことに、というテーマであったが、当時は楽しくて仕方がなかった。卒論が終わった当日、テーマの変更を推奨された。初めて方向性提示されたが、一言であった。ここには恩師の力があったと思う。結果的に与えられたテーマとは関係なく、M1勝手実験をして修士論文を3本書いた。楽しくて仕方がなく、博士課程に進学した。博士では論文12本書いた。ちょっとした自慢である

博士資格名刺の角に書くことができる運転免許のようなものであるというのはよく言ったもので、単なる認定試験である。友人が大学ポジション公募に出す中、私は自分学問を切り開くのだと思い、博士研究員をすることに決めた。なんとなく海外日本より風通しが良いだろうと思い、日本研究から支援をうけて、海外に2年間いけることになり、それまでに一切したことがない分野に飛び込んだ。将来学問を切り開くためには甘んじて先達のいる学問をすすめるよりも、開拓者であるべきという精神である。ただ現実は厳しかった。言った先の研究室では私は初めての外国人であり、装置の使い方、実験の仕方、単語すらわかっていなかった。学部生に単語意味から教えてもらいながら、教科書を端から端まで読んで、理解した。論文は2年間で3000報くらい読んだ。めちゃくちゃ勉強し、1日の睡眠時間は3時間程度だった。結果的に分野での最高峰論文誌に数報報告することができて、ライフワークが見つかったと思った。ただこの辺りから研究に対する見え方が変わってきたと思う。日本人会でいつも飲んだくれている友人がいた。大学では見たことがないが日本人の友人を探しているようだった。何が楽しくて研究をしに海外に来ているのかというふうに聞くと彼は出身研究室に戻るので1年間遊びに来ていると話していた。悪い冗談かと思っていたが、実際に彼は日本出身研究室で職を得て戻っていった。不思議ものである

当時の海外での受け入れ研究室教員にぜひともこの国で残って研究をすすめるべきだと言われた。日本講座制の影響もあり若い研究者活躍しにくいということを聞きつけていてくれていたらしい。ただそのときに今まで私を支えてくれた恩師たちの姿が頭をよぎり、日本に恩返しをするべきではないかと思った。施されたら施し返すという精神である日本に戻るためには公募書類を出さないと行けないのだが、不思議と通らない。面接にすら呼ばれない。それまでに分析していなかった私が悪かったのだが、どうやら日本ではコネというのが幅を効かせているらしく、面接にすら呼ばれない。それとずっと付き合っていた婚約者との結婚もあり、フットワークの軽い私はならば日本に帰ろうと、日本に帰り、講演ツアーを行った。幸いにしてその一つが目に止まり研究プロジェクトの一環で雇ってもらえた。そこでも好きに研究をしていいと言われ、論文を好きに書いた。楽しかった。研究だけしてたまに論文を書けばいいというのは至極楽しかった。ただ、学生研究ができないのがとてつもなく寂しく、コネはなかったが、海外の訳のわからない研究室研究をしているよりも経験つん日本研究している私は魅力的に見えたのか、公募に通った。めぐり合わせというのは不思議ものである

こうしてやっとただの研究者から大学教員になることができた。恒久的に研究ができるというのは非常に幸せであり、研究以外も楽しんだ。毎週の授業というのはライブである。そのへんのストリートミュージシャンよりも自分の一つ一つの発言学生に聞いてもらえることができ、研究に対するスタンスなど伝えることもできる。学問というのは積み重ねの学問である。積み重ねがあるから新しさがわかる。ひとつひとつ丁寧に教えていき、学問の楽しさを伝えたが、やたらと聞かれるのは単位がとれるかかどうかであった。研究室でも熱意をもって新しい実験の仕方や、研究分野の掘り下げのための論文読み込みを学生と一緒に行った。ただ、学生から文句が出てそんなに頑張りたくないとも言われてしまった。悲しい。私はそんなに魅力がないのだろうか。大学教員というのは研究以外の思った以上の雑用があり、それに追われていた。ただ、そのたびに今まで知的教育享受してき立場からそれを授与できる立場にならねばと思い、一所懸命に振る舞った。その結果ここでの学問結果をなんとかして論文にすることができた。これからすべてが軌道に乗る、そう思っていた。

そんな先のコロナである実験を専門としている私は当然大学に来なければ研究をすすめることができない。だが、緊急事態宣言あおりをくらい、研究室での研究活動オンライン中心になり、さらに愛妻は妊娠中であったために下手な行動はできない。研究が中心であった私の生活は転換を余儀なくされた。学生と最新の実験成果を共有できない、授業はオンラインとなりzoomの先では、全く授業を聞いていない学生いるかも知れないという状況で苦しかった。価値観も変わらざるを得ない矢先に子供が生まれた。福音であった。

学問というのは先んじてその場で役に立つものではないが積み重ねだと思っている。子供も同じで、毎日毎日状況が日進月歩である。首を動かすことがしんどそうだった子供が、今では自分の力で首を動かし、光の導く先を必死に見ようとしている。大学で学びをしている学生一時的にやる気を失っている子もかつては私の子供と同様日々ひとつひとつできていくということが楽しかったのだろう。相変わらず大学での研究活動制限されている。以前ほどの自由担保されておらず、どうしても何かしらを管理する必要がある。その一つ一つの行為が私には苦しい。ニュートンスペイン風邪タイミングで新たな学問をみつけた。私にはそれほど頑張ることはできるかわからないが、研究を行い、学生希望や考え方を論理的に教えるというのが現在の職での義務であろう。間違いなく私の研究生産性は下がったが、価値を下げず上げることが義務であると思い、日々努力している。

2020-08-28

anond:20200828133554

理論研究室院生やってるけど、登校禁止が解除されてからほとんど研究室に行ってない。

研究室サーバーログイン情報見ると、他の学生らもほとんど自宅から繋いでる様子。

研究室に登校するのは1日に2人とか3人とか、そのくらい。

自粛間中モニター、外付けキーボードwebカメラを買い揃えたので、

スピーカー音楽流してアイス食いながらプログラム書く毎日を送ってる。

一方で、研究室内のコミュニケーションの場はかなり減った。

リモート体制既存人間関係があってこそなので、新しく研究室に入ってきた学部4年生は中々辛そう。

コロナ禍のおかげで理論研究めっちゃ捗る

anond:20200827235740

新型コロナの影響って,ほんとに学問分野によって違いが大きいよね.

フィールドワークができない,遠隔地の紙資料アクセスできない,密を避けた実験室のスケジューリングを考えると泣きそう \(^o^)/ とか,大学内の多くは阿鼻叫喚の模様.

大量のオンライン教材も急遽準備しないといけなかったり,忙殺されてる先生方もたいへん多い.

そんななか,大学の片隅で理論研究をやってる身からすると,ここ最近研究がめちゃくちゃ捗ってしまっていて,なかなかに後ろめたい,

まず,なによりも在宅ワーク理論研究の相性がたいへんよろしい.研究室に居ると,やれ訪問者だ,電話だといって,まとまって集中する時間がなかなか取れない (脳内に置いてた数式とイメージが消えちゃうこともしばしば.お願いします,邪魔しないで (;_;) )

在宅ワークでは窓口がメールに一本化されているので,こちらの都合の良いときしか見なくて良くて,ものすごく快適! (30分おきくらいには見るよ!).

コロナが落ち着いても週に数日は在宅ワーク続けたいなぁ…….

あと,海外研究者 (アメリカヨーロッパ) とのコミュニケーションも急にとりやすくなった!

これまでは,向こうは近場で集まって議論して,あとから要点をメールで報告してくれることが多かったんだけど,最近ではみんなでリモート会議するようになったので仲間に入りやすい! (いや,共著者なんだからもともと仲間ではあるんだけれども).どうせみんなオンラインなので,時差以外は距離を感じにくくなったなーと思う.

それに,在宅でやってると心理的安心感(?)みたいなものがあって,なぜか論文書くスピードが上がるんだよね.4月からずっと,「トップジャーナルじゃんじゃん通すぞー!」ってモチベーション継続していて,こんなに精神が安定してるのは人生で初めてかもしれない.

コロナ禍のおかげで理論研究めっちゃ捗る

anond:20200827235740

新型コロナの影響って,ほんとに学問分野によって違いが大きいよね.

フィールドワークができない,遠隔地の紙資料アクセスできない,密を避けた実験室のスケジューリングを考えると泣きそう \(^o^)/ とか,大学内の多くは阿鼻叫喚の模様.

大量のオンライン教材も急遽準備しないといけなかったり,忙殺されてる先生方もたいへん多い.

そんななか,大学の片隅で理論研究をやってる身からすると,ここ最近研究がめちゃくちゃ捗ってしまっていて,なかなかに後ろめたい,

まず,なによりも在宅ワーク理論研究の相性がたいへんよろしい.研究室に居ると,やれ訪問者だ,電話だといって,まとまって集中する時間がなかなか取れない (脳内に置いてた数式とイメージが消えちゃうこともしばしば.お願いします,邪魔しないで (;_;) )

在宅ワークでは窓口がメールに一本化されているので,こちらの都合の良いときしか見なくて良くて,ものすごく快適! (30分おきくらいには見るよ!).

コロナが落ち着いても週に数日は在宅ワーク続けたいなぁ…….

あと,海外研究者 (アメリカヨーロッパ) とのコミュニケーションも急にとりやすくなった!

これまでは,向こうは近場で集まって議論して,あとから要点をメールで報告してくれることが多かったんだけど,最近ではみんなでリモート会議するようになったので仲間に入りやすい! (いや,共著者なんだからもともと仲間ではあるんだけれども).どうせみんなオンラインなので,時差以外は距離を感じにくくなったなーと思う.

それに,在宅でやってると心理的安心感(?)みたいなものがあって,なぜか論文書くスピードが上がるんだよね.4月からずっと,「トップジャーナルじゃんじゃん通すぞー!」ってモチベーション継続していて,こんなに精神が安定してるのは人生で初めてかもしれない.

anond:20200828003704

>>研究者になればいい

研究者の道を少し覗いていますが、

ADHD無能凡人にはきつい世界に思えます

霞を食ってる天才研究者か、実家暮らし生活保証がある研究者ちゃんと各種申請奨学金を使いこなしている方

などが生き残っており、私はどれも無理だなぁと思いながらぎりぎりで研究室落ちこぼれをやっています

2020-08-27

大学先生やっているんだ

大学教員になってはみたもの

教員ってさ、なるまえはすごくやってみたいけど、やってみると意外となんでもないもんだな

教育、授業は義務としてやっているけど、やらずに済むなら辞めたい

特に実験は準備+実験当日の残業レポート採点とシャドウワークが増えるのでコスパ悪い

教授に騙されて当てられちったんだ(てへ)

研究室は楽しくないね学生との溝を感じる

研究室運営憂鬱で、日に日に学生のやる気が腐っていくのが辛い

自分能力不足を感じる

好きなはずの研究愚痴を言う相手もいないので、辛い

計算して、合わなくて、実験して、合わなくて

重ならないグラフを見つめ続けて寝れなくなる

研究が好きだったはずなのに、ひたすら論文を書かされるという無間地獄に落とされた気分だ

大学運営意味を見出せない

時間を食う、精神をすり減らす、それでいて何も得られる感じがしない

書類を作る、意見を集める、すり合わせる、ひっくり返される


なんか、こんなに終わりのない仕事休みなしで続けながら、みんなそれほど辛そうじゃない

僕にはポリシーがない

場当たり的ですべてが雑務になっている

いったいどこで、仕事矜持なんて見出せるのだろう

2020-08-24

anond:20200823084838

京大ハエをずっと暗闇に入れといて、どうなるかをひたすら観察してる研究室があるらしい。

anond:20200823084838

あるよ。

細菌を何十年もかけて研究室進化させる実験をしてるとこがある。

しか進化の各段階の株は冷凍保存してあるので、任意の段階からふたたび進化再現を行うこともできる。

https://wired.jp/2017/03/31/richard-lenski/

2020-08-20

anond:20200820151416

ほな東大の院でも行ってこいや

あそこは研究室さえ選べは簡単学位取れるで

入試も枠がガバガバから簡単やしな

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