はてなキーワード: プレイとは
ゲーム目当てでプレイしてる人、キャラクター目当てでプレイしてる人、ストーリー目当てでプレイしてる人、共通の話題が欲しくてプレイしてる人、ジャンルに張り付いて惰性で読んでいる人が混在している。
そしてそれぞれによって評価軸が違うが、遠目から分かるのは「そのゲームに今人気があるか」ぐらいなのだ。
たとえば「ウマ娘」はそれが顕著で、初期の頃は「ゲーム目当て」「キャラクター目当て」「ストーリー目当て」が全員楽しんで遊んでいた。
だが段々とゲーム目当てのプレイヤーは離れていき、キャラクター目当てのプレイヤーも推しキャラの実装を待てなくなった人も離れ、そしてイベストーリーの酷さに呆れた人も離れた。
最後に残ったのは惰性でダラダラとプレイしている人達だけになった。
そこから定期的なアプデで少し盛り返すこともあったが、今はもうすっかり惰性プレイヤーだけの空間となった。
時折話題作が誕生することはあるが、新規で入ってきた人間もしばらく読むうちに「なんかしょーもないな」と離れていく。
ごくごく一部が定着していくことで何とかジャンルを支える最低限の人数はいるのだが、それでも様々な部分に感じる「劣化」「代わり映えのなさ」「成長のなさ」に対して失望が募り別ジャンルへと渡っていく者もあとを絶たない。
多くの人気ソーシャルゲームが同じ状況に陥っており、惰性で続けている者たちが日夜文句を言い続けつつ、下がりまくったハードルを超えることがたまにあるとそれをやたらと褒め称えるのである。
ミステリにおける「トリック重視」はまさしくソシャゲにおける「ゲームとしてちゃんと遊べる」のようなものであり、一時的にその方向性で伸ばしたはずの作家がしばらくすると全くソレができなくなるか、同じことの繰り返しなら上手く出来るが少し変えると駄目になるので同じことを延々やるかのどちらかになっていく。
ここでよく起こる間違いが、最高難易度を突破できるマニアであっても求めているのは「難しさの向こうの面白さ」であり、「難しさそのもの」は別に求めていないことの失念だ。
ちょっと複雑なことをして褒められたミステリ作家はすぐに「じゃあ次はもっと複雑にしよう」とやたらとこねくり回してしまうが、それは一部の「皆がクリア出来てないゲームをクリア出来ることにアイデンティティを感じられて嬉しくなってしまう」という寂しい人間たちにしか評価されない。
ここでその一部の人達と心中をする道を選んでも終わりだし、「とにかく簡単にしよう」と難易度のことだけに頭を向けてしまった場合も作家生命が急激に終わっていく。
この間違いをする作家の多さは、「ゲーム性」を取り違えて終焉へとひた走る元人気ソーシャルゲーム達のソレに極めて似通っている。
また、キャラクターの扱いについてもミステリ小説はソーシャルゲームと同じ衰退をたどりやすい。
一部の人気キャラクターにばかりスポットを当ててしまったことで物語の幅が狭まったり、ソレに対する批判にビビってダラダラと全員に出番を出そうとした結果キャラを出すこと自体にばかり意識が向き物語がおざなりになることがままある。
そもそも作品が面白ければキャラクターは勝手に魅力的になり、キャラクターに頼って作品がおざなりになればキャラクターの魅力は薄まるという基本を多くの創作者が忘れてしまうのだ。
人気の出たキャラクター小説やソーシャルゲームは最終的に人間が書けなくなっていくとは、このようにして起こる現象なのである。
※後日談(?)書きました
https://anond.hatelabo.jp/20240303012257
eスポーツ選手やってるんだけど、赤ちゃん扱いしてくるファン本当に本当に気持ち悪くて辛い
元Vtuberの方が「母親面やめて」って言ってそれが拡散されたのに全然減らないよ
eスポって基本民度低いというかアンチ・暴言の度合い凄いんだけどそれは別に気にならない
死ねとかしつこい人格否定とか少しのミスで消えろ辞めろいる意味ないとか…
慣れちゃダメなんだろうけど、そういうもんだと思ってるしただの野次馬だから気にならないしPV伸ばしてくれてありがとうくらいにしか思ってない
まず呼び方の時点でやばい「増田」が俺の名前で「まっすー」がニックネームだとしたら
「ますてゃ」「ましゅくん」「まーくん」みたいな みたいなっていうかもっときもい呼び方できついよ
自分だけの特殊な呼び方(まちゅちゅみたいな)作って、「私の呼び方を使ってる人がいたからブロックしました。不快です」とか言ってる人いてもうほんとなんなの?きつい
俺が一番ブロックしたいのは君だよ
「うちの増田くんが~」とかほんと何…?
俺がいいプレイしたら「えらい」って何なの?
俺がたまにするミスに対して「また〇〇してー!もー!」とかさ、ほんとにファンなの??ってなる
ほかのチームの選手との写真アップしたら「写真とってって言えたのえらい!」とかほんと何???
ここまで書いたら「君がそういうキャラなんじゃないの?」みたいに思う人いるかもしれないけど違うんだよ
あんま詳しく書くと特定されそうだからあれだけどいわゆる女性ウケより男性ウケするタイプなんだけどこうなんだよ
本当にしんどいから「赤ちゃん扱いは有害なオナニー」って広まってほしい
これは俺しか思ってないかもしれないけど、赤ちゃん扱いよりかは「チンコしゃぶりたい」とかストレートに言われるほうがまし(それも嫌すぎるけど)
赤ちゃん扱いはなにかゆがんだものを感じて本当気持ち悪いのと恐怖で辛い
一応書いとくけど、いい女性ファンがほとんどだから女性たたきとかやめてね
あと、「運営やチームメイトが赤ちゃん扱いしてるから赤ちゃん扱いしてもいい」ってのは間違ってるよ あなたはファンなんだから
(追記)
運営やチームメイトが〜、っていうところは、露骨な赤ちゃん扱いじゃなくて
例えば選手Aが選手Bにほんとかわいいw子供みたいwって言っててもそれはAとBが長い時間ずっと一緒にいる仲間だからなだけでファンが赤ちゃん扱いしていい理由にはならないっていうだけだよ
なんて説明すればいいんだろう、例えば女性なら女性同士で◯◯ちゃんほんとかわいい〜ってキャッキャしてたところに急におじさん上司が割り込んできて「かわいいよね〜スタイルもいいし…フヒヒ」って言ってきてゾワゾワするみたいな
でも本人がぶりっ子しまくってるならまあ仕方ないしいいんじゃないみたいな…
がっつりBL的な消費されるほうがまだマシというか、赤ちゃん扱いって「自分は選手を性的にも見てないし男性として好きなわけでも付き合ってほしいわけじゃないです、だから何言っても悪く取らないでね母性だから」っていうのが透けて見えるのがきつい そういう人を拒否するようなアクションこっちが取れば「どうして!?私は無害なファンなのに!?キャーキャーうるさいファンじゃないのに!?」って反転アンチになるんだろうなあ
大袈裟だろって思われるだろうけど実体験した人にしかわからないかもしれない
あと、プレイで黙らせろって思うじゃん
「うちの子がこんなに大きくなって…!」ってなるだけなんだよな…
(追記2)
自分の考えを書き出したことで、もう1段階下の気持ちを掘り出せたんだけど
怒りというかまず悲しいんだなと思った
うまく言えないけど、本来のスポーツ観戦みたいな感じで一緒に盛り上がって一緒に嬉しさや悔しさを共有したいし応援してくれてる人が喜ぶところを見たいから頑張ってるというのがまずあるし
普通にうおー!すげー!かっこいいー!って同じファンたちと応援した思い出は青春としてその人の人生思い出に刻まれて、そんなに嬉しいことはないし俺も生涯忘れないけど
赤ちゃん扱いしてる人の心に残るものってなんなんだろうと心配になってしまう 余計なお世話なんだろうけど
これ書いたの女だろってコメントあったけど悪いけど違うよ そう思いたいならごめんね
だって思ってること全部ぶちまけて口汚く書いたら「不快」「お前が悪い」「ファンをそんな風に言うなんて人間的に終わってる」ばっかりになるじゃん絶対
(追記3)
なんで消えろより赤ちゃん扱いの方が辛いの?って
「選手がミスをした」っていう行為を受け止めて消えろって言われてるわけで試合を見て選手として見てくれてるわけじゃん(消えろとかコメントするのは当然やばいのは大前提として) あと空気を乱すのは消えろよりえらいねえだよね 消えろに対しては別のファンの頑張れとか惜しいでかき消されるけどえらいねえはなんか空気中に漂って匂いが残る
赤ちゃん扱いより性欲ぶつけられる方がまだマシっていうのは、赤ちゃん扱いっていっても結局性欲のようなものを隠してるんだからそれを隠して近づかれるよりストレートに言われる方が潔いと思ってしまう
プライドうんぬんとかではなくて、なんだろうな、全然将棋興味ないおっさんが清楚な女性見るためだけに将棋見て、その女性が試合で負けて悔しくて唇噛んでるとこをキャワイイって言ってるけど「女性として見てるんじゃない!棋士として見てるんだ!」って主張してるみたいなしんどさ
じゃあ最初から「かわいい女性棋士がダイチュキなんです!清楚な女性の真剣な顔が性癖なんです!」って言ってる方がきしょいけどある意味誠実だろみたいな どっちも地獄だけど
売られてないものをむりやり買ってるみたいな
どこまでが赤ちゃん扱いなの?に関しては人によって変わるだろうけど
かわいい、えらい(は微妙だけど)と言われること自体は変だとは思わない 言われたくはないけど
例えばなんでもないこと話してる雑談とかでかわいいって思ったりコメントするのは自由だけど
試合とかゲームそのものについて話してる雑談やゲーム配信で真面目にやってる時にかわいいえらいねえはよく分からない
そういえば全然関係ないゲームやった時に「そこ気付けたのえらい」って言われた時は「でしょw」と返せた
あまり書くとあれだけど自分が若めなのもあるとは思ってるけど30歳以上のゲーム配信者さんとかにもママ気取り大量にいたりするから年齢じゃないのかもしれない
男性多めの配信によしよし系の女性ファンくる→あ、そうしていいんだみたいに既存の女性ファンがよしよし系になり出す→男性ファンが出ていく→よしよし系しかいなくなる みたいな地獄わりとよくある
自分とこはまだそこまでは全然いってないけど、定期的によしよし系を排除しようとしてちょっと雑な言葉使いで話したらなぜか(今なら分かるけど)よしよし系が余計増えたから最近はもう諦めて素でやってる
っていう気持ちにさせる動画広告よくあるじゃないですか。あれってよくできた誘導ですよね。
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あれと同様の心理状況で、ゲームプレイだけじゃなくてゲーム本体そのものについてもそう思えるときありますよね。「このゲーム、この仕様をこういう風にすればもっと面白くなるのに!」みたいな。
(実際は、そんなことわかってても納期とか社内リソースの関係でやりたくてもできなかった事例が多数だろうけれど)
「ぼくのかんがえたさいきょうのドラクエ (FF)」みたいな妄想をしたことのある人も結構いるんじゃないでしょうか。
今では個人開発の自作ゲームをスマホアプリやSteamなどでリリースできるようになって、いい世の中になったなあと思います。
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一方でネットゲームなどでは、ゲーム本体(面白さ)というよりも、サービス運営の観点でそういうことを考える人もいるかもしれませんね。
「このサービス、ここをこういう仕様にすればもっと効率よくマネタイズできるのに!」みたいな。
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ゲームの分野だけでなく、ネットサービス全般・会社経営全般についても同様のことを考える方もいるかもしれません。
もしもその人が世界有数のお金持ちだったら、改善したくてモヤモヤするサービスや会社に対して、金にモノを言わせて「ぼくのかんがえたさいきょうの会社経営・サービス経営」を自由自在にできちゃうかもですね。夢のある話です。
まあ、何事にもそういう事情になった経緯や理由があるので、そんなことになったらそのサービスの当事者やユーザーにとってはたまったものじゃないですけれども。
ホラーが苦手。怖いのが苦手。
映画って怖い要素が大抵入ってるから、これで映画の3割以上が見れない。
任天堂ですらルイージマンションとか出すし、マリオのテレサも苦手。
ゲームって怖い要素が大抵入ってるから、これでゲームの3割以上がプレイできない。
ジャンプラですらダンダダンとか出すし、チェンソーマンの悪魔も苦手。
漫画やアニメって怖い要素が大抵入ってるから、これでアニメや漫画の3割以上が見れない。
ホーンテッドマンションはもちろん無理だし、ゾンビものも全部無理。
ディズニーですらハロウィンパレードとか出すし、USJのハリーポッターも苦手。
遊園地って怖い要素が大抵入ってるから、これで遊園地の3割以上が乗れない。
プレイバック Part2
27歳女。
2021年の秋に「私、ドMだ!」って確信したイベントがあり、それ以来何となく『Mの可能性確かめたいな』と思ってたから。
月日が経ち、近くにSMバーがあるのを検索で知る。その週の土曜に「初見さん歓迎」みたいなイベントがあったので、早速行ってみた。
入店した瞬間、「いらっしゃ〜い」という声と喘ぎ声が聞こえた。
こちらにどうぞ、とカウンター席に案内してもらい、同じく1人で来ていた初見さんの可愛らしい年上の女性と挨拶しつつ、喘ぎ声の正体を探す。
この瞬間を見たときに、『酒飲もう』と思い、ビールを注文した。酒を飲まないと状況の整理ができないと思ったからだ。
横に座って飲んでいた男性が自身の好きなこと(性癖)をいきなり語ってくれて、そこで一気に『ここはそういう話をいきなりして良い場なんだな』と思った。
それから、横の同じく初見さんの女性が「オーナーに縄で縛られたい」とのことで、縛られてた。
私はそれを外野から見てたのだが、あれ、「何??」ってなる。縄で縛ってるだけで、めちゃくちゃイってる。
しかも、さっきまで横に座ってた可愛らしい女性がイってて、なんかそういうの見てはいけない気がする罪悪感もある。しかも、それがこのバーでは普通の光景なので、周りの人はみんな普通に飲んでる。
彼女の縄が終わると、1セックス?(セックスはどの単位でカウントするのか教えてください。)以上の満足げな顔が読み取れた。
オーナーから「あなたは縛られなくて大丈夫?」と聞かれたが、なんかあの光景が自分の身に起こると思うと若干怖くて、「今日は大丈夫です。」と言ってしまった。
まあ、その後に他のお客さんに「軽く縛られますか?」と言われて縛られ、優しくムチで叩かれたりした。
SMバーに行ってみて、SMプレイってセックスが基礎になって、その上に成り立つものだと思ってたけど違うんだなって感じた。
セックスはお互い与えたり与えられたりするけど、SMって与える・与えられるみたいな役割がはっきりしてるし、それで満足してる感じが凄かった。
人口多いのか帯域のせいなのか知らんが、野良だとほぼ毎試合マッチングしてあまりにも不快だった。
Splatoon自体は好きだから、環境からリッター消えてくれれば嬉しいんだけどな。
観戦はしてるんだけどエナスタ環境とかもあって甲子園とか上位帯では活躍してないようだから、イカ研は静観するんだろうか。やだなぁ
場所を選べ。強烈なライバルがいるソープ街で働くな。吉原は今は止めとく方がいい。
自分が精神的に病まない出勤頻度&勤務時間を把握しろ。病んだらそもそも出勤できなくなり稼げない。
こいつは二度とねえわと思える客は普通にNGにしろ。良客はちゃんと他にいる。
男性スタッフにちゃんと最低限愛想よく接しろ。そして適切に頼れ。スタッフに愛想悪い嬢は嫌われる。
リピートして欲しい客にはちゃんと営業しろ。業務用の連絡先を作っておけ。でも来ないくせにやたら連絡してくる奴はNGにして良い。
目の前の男にちゃんと奉仕しろ。内心でどう思おうが自由だがニコニコ笑顔を作るのを忘れるな。
マグロはやめろ。マットができなくてもまあ良いがプレイにちゃんと自分から誘導しろ。これは身を守る手段でもある。誘導しないと(悪気無く)無茶する男は普通にいる。
接客を学べ。ソープは接客業だ。ランカー嬢でも意外と見た目はビミョーだったりするが、そういう嬢はとにかく接客が素晴らしい。
大学生兼ピンサロ嬢だった時、20代前半かつ非喫煙者なのに肺腺癌(肝転移あり)になった私の発覚の経緯
マイク「〇〇シート!〇〇シート!
私「こんにちは♡ありがと〜♡(あれ?こいつ無愛想だったけど本指かよ)」
客「あ、うん…」
私「ん…ん…ん…」
客「あ、いく…」
事後
私「かふ!こふ!かは!」
客「さっきから良くない咳だね」
客「病院行った方がいいよ」
別れ際
私「また来てね〜♡ってどうしたの?」
私「おーだん?」
次の日
私「あいつに黄疸とか咳とか言われて怖くなった…ネットで調べたらもっと怖くなった…」
看護師「〇〇番の方〜」
私「失礼しま…あ…」
私「咳が続いて…目とか黄色っぽいなって…」
『オーバーウォッチ2』に低ランクストリーマー大量発生:ブリザード「スマーフやめて」 配信者「コーチングだ」 一般プレイヤー「通報」
https://fpsjp.net/archives/457789
ゲームのランクにおいて、上のランクの奴らが低ランクを虐めるのがいいはずがない。
ここは共通認識。
しかし、今回の「ストリーマーによるGMチャレンジ(最低ランクから最高ランクにあがるチャレンジ)」(と、それに伴ってどうしてもスマーフになってしまうこと)が問題だとは思えない。
そもそもOverWatch2は、
キャリー(一人の強い人がゲームを支配する)がめちゃくちゃし辛いゲーム性で有名なのだ。
ヘッドショット一発で相手を殺せて、リスポーンなしのラウンド形式のため、
また、日本でも有名なApexでは、
某有名プレイヤーが「平均キルレート30以上をたたき出す」のが普通だったりしたが、これもまた「スマーフがしやすいゲーム」であることがわかると思う。
(Apexはロビーに60人いる。つまり、ロビーの「半分以上」をたった一人で殺し続けている)
(もちろん、彼の場合はスマーフでキルレ30以上を出したわけではない点は断っておく)
しかしOverWatch2は、
FPSでもトップクラスに敵の体力が多く、敵もリスポーンし続け、さらには「共通のオブジェクトを保持し続けるのが目的」というゲーム性のため、
「5人のチームプレイ」が他ゲームよりも圧倒的に重要視される。
よほどのランク差がないと、スマーフによるキャリーがしづらいのである。
さらにValorantは1試合が30分~40分かかるが、OW2は1試合10分。
OW2はそもそもランクを開始するまでに「カジュアルで50試合する必要がある」。
この時点で内部レートは変動する。
その上で5勝でランクが変動し、さらに飛び級もあるので、Valorantよりも短時間でランクが上がってしまうため、
記事中にも「2時間でGM達成」の例がある通り、ストリーマーによるGMチャレンジは、一瞬で低ランクを駆け抜けるのが特徴でもある。
「繰り返し低ランク狩りを楽しむ(そのために、低ランクにい続けるためにわざとトロール負けをしてランクを下げる)」スマーフプレイヤーであって、
正直、ストリーマーによる害そのものはあまり存在しないのではないかと思う。
(チャレンジ中のストリーマーに当たった低ランクプレイヤーはもちろん文句を言ったり通報していいと思うが)
ストリーマーという有名人による一般プレイヤー(でスマーフする奴)への影響であって、チャレンジ動画によるスマーフ行為そのものではないはず。
そもそも、「多くの(ほぼ全ての)OW2コミュニティが常に不満を表明している」のは、「運営によるゴミ格差マッチング」である。
「ダイヤモンド帯にGMプレイヤーのスマーフがいる」ことを問題視している人がいるが、
「ダイヤ帯がGM帯と一緒になるゴミマッチが常態化している」のだ。
この記事では「なぜかその点には一切触れず」、ストリーマーだけを批判する構図になっている。
ストリーマーによる「教育」という言葉についても、誤解を与える書き方しかしていない点。
あたかも強プレイヤーに轢き殺されることを「それも勉強だ」と煽っているかのように書いているが、実際には全く違う。
記事のなかで槍玉にあがっているAwkwardというストリーマーは、
チャレンジ動画中は本当にずっと(例えば8時間なら延々8時間)、「どうやったらそのランクから上がれるのか」のコツを低ランクプレイヤー向けに解説しながらプレイしている。
リスナーから「お前のエイムがいいだけ」と批判されたときには、
エイム感度を何倍にもあげたり、逆に何分の一にも下げて、「エイム力がない状態でも立ち回りで上達できる」ことを動画で解説している。
また、実際に低ランク帯にコーチングするアカデミーを主催しており、それを動画化したものもある。
OW2はチームプレイが重要であるがゆえに「味方プレイヤーのせいにしがち」なのだが、
Awkwardは「他人のせいにせず、自分の力だけでランクを上がる重要性」を強調するのも特徴。
「強いプレイヤーと戦うことに喜びを感じるべき」という彼の言葉も、それを含めた文脈なのである。
OW2でマジのトップオブトッププレイヤーでありながら、Awkwardはきちんと初心者のことを考え、必要なことを「教育」し続けているストリーマーなのだ。
コミュニティや初心者にとって大事な働きをしている彼を悪質配信者のように記事にすることに対して、本当に怒りを感じる。
加えて、Dafranというプレイヤーについても「元はスマーフを否定していたのに寝返った」かのような書き方をしているが、
彼がチャレンジをしていることが「そもそもOW2において、GMチャレンジによるスマーフの影響が少ない」ことの証明だと思う。
さらにその上の「トップ500(その名の通り上位500人)を目指すチャレンジ」が特徴である。
こうした誤解を与えるように情報を作り上げているのが、あの記事の悪質さである。
ランクのあるゲームにおいて、「スマーフ」が大きな問題であることに異論はない。
今あるのは
①悲しい俺に寄り添って励ましてくれる曲
僕が死のうと思ったのは/中島美嘉(amazarashiによるセルフカバー版も)
Gifts/superfly
②よし、気合い入れてがんばるか……!みたいになる曲
The show must go on/QUEEN
③しょうもなくて悩みが馬鹿らしくなる曲
こんな感じ。
どれにも分類されないやつでもいいしこの歌手の曲いろいろ聴いてみ、とかでもいいからさ
(追記)ごめんな、鬱になりたいとか落ち込みたいとかの気分があると思わなくて「どうしようもなく沈んだときに聴いてなんとか生きる」の意味で言ってた。せっかくだし④どんなに浮かれていても冷や水を浴びせられて悪い意味で現実と向き合える暗〜い曲も挙げてってよ。1~3と4で方向が逆だから4だけは4ってことを明らかにしてくれや。
自分の宮崎駿監督に対する身勝手な期待とか甘えを供養するために書く。今作品は期待半分、不安半分という気持ちだった。宣伝なしということだったし、宮崎駿監督作品を事前情報一切なしで視聴できる機会というのはおそらく最初で最後であろうと思ったので、早バレ等も避けるために数日SNS断ちして初日に見に行った。ただ映画館に向かう足取りの中で最後感じていたのは恐怖感だった。子供のころにもののけ姫を見たときの衝撃を再び与えられて、おっさんになった今再度、人生観を揺るがされるかもしれないと―。
さて、いざ蓋を開けてみると、途中まではリアル物なのかファンタジーのどっちなの?というドキドキや不安感。方向性が確定したときに期待感はMAXとなったが、それ以上膨らむことはなくしぼんでいった―。
美術、アニメーションの美しさは申し分ないが、ストーリーは感情移入できない半端な作りと言ったところで、結局、いつもの宮崎監督後期作品という他ない。今、振り返ってみると監督のキャリアハイとしての作品は千と千尋の神隠しあたりになるのだろうが、その千と千尋も後半から、この半端さの片鱗がある。例えば終盤、千尋は豚の中に両親がいないことを見抜くが劇中にその説明はない。しかしながら説明不足ではあっても、千尋とハクとの心のふれあいみたいなものが十二分に描かれているから、感情的に押しきれている。手を離すシーンとか思い出しただけで泣けるわ。
しかしながら、君生きはストーリーっぽいものや感情の揺らぎみたいな表現はあるものの、説得力というか、それ自体の根拠がはっきりと提示されないから、大抵の観客は感情移入できずに戸惑いを覚えると思う。例えば劇中で主人公の自傷行為や継母の拒絶が描かれるが、その感情の根っこが分からないので観客は困る。自傷はもっと構ってもらいたかったのかな?とか拒絶はやっぱり連れ子がうざかったのかな?とか想像はできるけど見てる側はそれを確定させる要素がないから、多分こうだろうとか理由を補完して見ていくしかない。つまり作品に気を遣う状態になるわけで、それは相当きつい。忖度は要求されるが、圧倒的な感情の「分からせ」がない(※)。監督が一人で突っ走ってる。観客は置いてけぼり。かつて宮崎監督は、見終わったあとに2階から出てくる感覚になるような映画がいいとか言っていたような気がするが(ソース探したが見つからず)、君生きは観客が一生懸命2階への階段を必死に探すものの見つけられないまま塔の中で迷子になり、最後にパヤオだけが悠然と2階から出てくるという感じだろうか(画・浜岡賢次で想像してもらいたい)。
あとはヒロイン?3人は多すぎる。実母に継母に婆さんでしょ?詰め込み過ぎて破綻する典型。正直、継母は全部削除して、序盤で実母エピソード増やして、実母を探しに塔に行く形にして、最後、実母ときれいに別れてで多少は形になったろうにね。もっとシナリオ段階で練ればいいのに…もったいない。
もう一つ、主人公が大叔父と話した後に、急にインコに囚われてるシーンになるが謎過ぎる。壁につながれた手が映ってからの下にパンしたときに、実母でも継母でもなくお前かーいってなったのが一番面白かったかもわからない。宮崎監督が過去、インディジョーンズの潜水艦移動を批判していたが( https://ei-gataro.hatenablog.jp/entry/20131030/p1 )、それと似たり寄ったりだろう。いくら異世界?だからといってワープしすぎである。
※ 宮崎監督とも対談したことのある養老孟司は「バカの壁」において強制了解という語をつかった(p.41)。例えば数学においては前提と論理を共有しているのであれば同じ結論に達せざるを得ない。ある定理の証明を正しく説明されたのであれば、その正しさを了解せざるを得ない。そういった強制力を強制了解と呼んだ。そうした強制力は感情においても成立する。例えば電車で子供が騒いでるのをぼけっと放置している父親がいたとして、普通はそれを理解できないが、もし父親が「実は母親が病院で亡くなって帰る所で、これからどうしていこうかと悩んでいたところなんです」と説明されれば、事情は理解できるだろう。事情が分かれば感情を了解できる。それは物語を受容する過程でも同じことが言えると思う。
なお、この流れで養老は他人の気持ちが理解できることを重視すると同時に、「個性」信奉を批判する。そんなに個性が大事かと。存分に「個性」を発揮している人は病院にいるという。白い壁に毎日、大便で名前を書く患者がいるらしい。芸術的にみればすごいかもわからないが、現実的には大変迷惑でたまらないだろうとのこと。奇しくも本作においては継母の美しい顔が鳥糞まみれになる描写があるのでそういう個性的なスカトロジー的芸術に理解を示す人はいるかもしれない。
こうした一見てんでバラバラに見えるような物語の断片も、もしかしたら宮崎監督だけには分かるのかもしれない。スピルバーグだか有名監督が誰にも分らない映画つくるのはホームムービー撮ってるのと同じだ的なことを言っていた気がするが、もしかしたら本当に宮崎監督はホームムービーを撮ってしまったのかもしれない。自分だけがわかる映画作品を作れるとしたら、映画監督としては最高の贅沢だろう。自分用の映画、私小説と言われたらなるほどという気もする。今回、宣伝がなかったという点でも符号する。これはもはや天才にだけ許された所業なのかもしれない(現実に実行可能という意味で)。
ナウシカだったと思うが、興行的に大失敗とはならなかったことから次の作品を作るチケットを手に入れたみたいな監督のインタビューがあった気がする。ジブリブランドが確立するまではコケたら次はない状態であったろうから、興行面は大変重視されたことだろう。つまり天才は大衆に合わせてくれていたわけである。しかしブランド確立された今となっては、大衆を気にすることなく好きな作品を作れるというわけである(ジブリの体制を維持できなかった点には目をつむるとして)。だから今もしかしたら「天才が本当にやりたかったこと」を我々は目にしているのかもしれない。
過去、パヤオ的感性としてはもっとアニメーション表現に全振りしたかったのだろうが、それじゃあ興行的に成立しないから、ストーリーもしっかりさせていたというのが過去の名作への向き合い方だったのだろうか。我々、一般大衆は天才の現実的な妥協のお陰で、(大衆的には)名作となる過去の珠玉を見せてもらえていたということなのだろうか。凡人が天才にちょっと付き合ってもらったという感じ。天才はちょっと退屈していたのかもしれない。大衆は今の退屈を嘆くのではなく、昔、天才に付き合ってもらっていたということを感謝すべきなのかもしれない。
この作品のそういった諸々の分からなさに対してなんとか理解しようとする感想や、なんとか説明しようとする解説記事などが上がっているのを見かけるが、なんとも物悲しい。めっちゃ面白い作品を骨までしゃぶりつくしたい!という渇望から生まれてくる文章はいい。例えばもののけ姫においては「『もののけ姫』を描く、語る 」というムック本があったのだが、それには一ファンから文筆家まで様々な人々の作品に対するとてつもない熱量で溢れている。でも味のしない作品をなんとかして食えるようにしたいという動機から解説を書いたり、それに群がることの虚しさよ。宮崎監督だから面白いはずなんてことはない。権威主義的だし、もうそれは諦めて次に行こうよ。これを知っていれば、本当は面白いんだよって本気で思っている人もいるかも知れない。でもそういう解説を必要とすればするほど、その面白さが作品内で素直に伝わってないことの裏返しである。野球の大谷がいくら凄いからって彼の(打者としての)ファールや三振をありがたがったりしないでしょ?今回の打席は残念だったねでいいじゃんね。(もちろん宮崎監督の場合、次があるかは分らんが)
さて、作品の表題に立ち返ってみると、これは疑問形である。作品としては名作とはとても言い難い。しかし聴衆に対する問いであると捉えたらどうであろうか。物語がてんで成立していないのに問いかけを見出すことができるのか?うーん正直、自分には無理。味がしないんだから問われたとも感じない。
しかし確かに思ったことがある。それは、大叔父のようなお爺さんに期待するんじゃなくて、自分が見たい作品があるのなら、他にそれを提供してくれる別の人を見つけるか、もしくは自分で作るべきだということ。初めから品質保証なんてものはなかった。自分が勝手に期待して、勝手に失望しているだけのことである。
最後に話がそれるが、しかしながらなぜ我々大衆は次々と名作を望むのであろうか。新作を批判すると「じゃあ、過去の名作繰り返し見とけや!」って言われるかもしれない。そう言われるとちょっと答えに窮する。何度も見ればストーリーも覚え、感動も薄れてくる。やっぱり初見の衝撃に叶うものはないということだろうか。それを再び味わいたくて次の名作を追い求めているのかもしれない。キリがないし、わがままだなって思われるかもしれないが、正直人としての性としか言いようがなくないか?そこを内省しだしたら仙人になるしかない気がする。
あとは現実がつらいからね。時には金払ってちょっといい気分になりたい!ぐらい許してほしい。こっちは作者の高尚な構想にがんばってついていく苦行やマラソンじゃなくて、自動で楽しませてくれるジェットコースターに乗りたいの!
で、初見という点で最近思っていることは「私の体験」を大事にすることが重要なんじゃないかと思っている。ゲームでもなんでもあまりレビューを見ずに体験するように心がけている。あらかじめレビューを見て他の人が面白い!星4以上!と言っている作品なら、安定して面白いかもしれないが、半分ネタバレのようなものではないか?
若い人にはタイパを優先しすぎて自己の視聴体験やプレイ体験を損なっていないかと問いたい。面白さの保険料として自身の体験・感動を売っていないか?と。おじさんおばさんは子供のころに自分で図書館で本を表紙で選んで借りた体験とか、ネットもない時代にゲーム屋で「クソゲーかも知れんがままよ!」と覚悟してゲーム買った記憶とかを思い出してほしい。そういう多少、損するかもと思ってもクソ作品を引く勇気をもって、一対一で作品と向き合う、ぶつかってみるということを時々でもした方がいい気がする。だから、今回、作品に対しては残念だったが後悔はない。純度100%の自分の感想を持てた。展覧会的な感じでいろんなアニメーションを見せてもらったという感触では数千円も損したという気もしない。今後もどんどん色んな作品に触れていきたいと思っている。例えばポノックの次作品はちょっと子供向けだろうけど、子供と一緒に見に行こうかなと思ってる。
視聴しながら、ぼんやりと宮崎監督がゲド戦記作るとしたらこんな感じだろうなと思った。影との戦いでゲドは船で移動するし、ところどころの魔法感や大叔父は大賢者になったゲドのイメージだなと感じた。大叔父のイケオジ度は過去最高かも分らんので一見の価値はあると思う。
インコの大王を追いかける時に螺旋階段を落とされるシーンがあったが、長靴をはいた猫での魔王と主人公たちとの大立ち回りを彷彿させた。この作品の監督は宮崎ではないが、そのクライマックス部分は大塚康生との二人で原画担当した箇所であり、とにかく面白い( https://www.ghibli.jp/shuppan/old/pickup/nagagutsu/ )。1969年の作品なので絵のきれいさはどうしても現代の作品には見劣りするがアニメーションの面白さは今でも通用する。未見の人はぜひ見て欲しい。君生きよりよっぽど面白いと思う。で、君生きでは大王がラスボスっぽくでてくるが大した戦いもなく終わってしまうのであっけない。長靴をはいた猫でのアクションを思い出しただけに、「あ、これだけなのか・・・」という虚しさが半端なかった。念入りに階段落とさせたり、序盤で主人公の着替え丁寧に描写するぐらいならもっと面白いカット増やした方が良かったろうにって思っちゃう。
使いまわし多いし、特に盛り上がる曲もなし。3日で作りましたと言われても信じるレベル。久石譲も「これぐらいの作品ならこれでいいや」って感じだったと思う。絶対、名曲ストック持ってるだろうと思うが、映像側がそれを引き出せなかったというのは至極残念に思う。米津曲も悪くはないけど、作為がちょっと鼻についたかな。いつも何度でもみたいな作品とのマッチ感は正直ない。と言っても作品の味がしないのでどうしようもない気もする。そういう意味では米津もかわいそう。