はてなキーワード: one pieceとは
10年前くらいはインターネットで「好きな漫画はONE PIECE!全巻持ってる!」と言っている奴は偽物みたいな風潮があったんだ。今じゃ100巻近くなり、みんながみんな話をしなくなって逆に全巻持ってる奴ガチでは?みたいな感じになってるけどね。つまり見る人や時代でそのコンテンツの評価って変わるんだよね当たり前なんだけど。
洋画と比べて邦画はゴミって奴いるけどさ、そりゃ洋画の方が種類多いから当たり前じゃない?面白いと思う映画が多かっただけでしょ。そもそもクソ映画見てないんじゃない?洋画のゴミみたいな作品もたくさんあるけど目につかないだけじゃないのか。
今の曲は薄っぺらい、昔の曲は良かったって言う奴。それはお前が老けただけなんだよ。流行りの曲は流行りに流れてく若者のためにあるんだからさ。そもそも昔の名曲だってご老人どもが若者の時に歌ってたんだからさ。新しい物を理解できないのは老化の第一歩だからお互いめんどくさいジジババにならないように頑張ろうな。
好きな実況者の再生数や同接の人数で戦う視聴者達。お前らは本当になんなんだ。テレビより距離が近いと関係者になった気持ちになるのかな?最近のファンって応援だけじゃなくて後方プロデューサー面で腕組みしながら他人と比べてグチャグヂャ言うのが主流なんだろうな。
自分が好きな物が「一部の知識人」「社会的な成功者」と同じって快感だよな。自分もそっち側に行った気持ちになるもんな?なるなバカお前は何も変わってないんだぞ。
(2021/08/11) 追加しようとするとテーブルの表示が崩れるようになってしまったので新エントリに移行
ジャンプの無料マンガアプリ「少年ジャンプ+」で「ONE PIECE 第1部」を読んでます! #ジャンププラス https://shonenjumpplus.com/search?q=ONE%20PIECE%E3%80%80%E7%AC%AC1%E9%83%A8
クロコダイルに翻弄されていがみあう国王軍と反乱軍は反五輪派と賛成派、あるいはワクチン推奨派とコロナはただの風邪派のよう
クロコダイルの陰謀を知り奮闘する麦わら一派はすべての医療関係者、彼らは真実を知っている
この一件になにかやらないとといっちょかみするも役に立たない海軍はまさに現政府
さてこのアラバスタ編、最後に争いが終わってコーザの父ちゃんが一人呟く
「たった3年。たったこれだけのこと」
コーザの父ちゃんは争いに参加しなかった。ただ雨が降るのをじっと耐えて待ってた。
このくらいの度量が今俺たち民衆には求められているんじゃないか?
もちろんコーザの父ちゃんの3年はそんな生易しいもんじゃなかった。何度も何度も砂嵐に襲われて、水もなく、息子(コーザ)は反乱軍に入って帰ってこず、痩せ細っていったけど、それでも言うんだよ。
たった3年、たったこれだけのこと。と。
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週刊少年ジャンプ2021年30号掲載の『ONE PIECE』第1017話で、衝撃の事実が明かされた。
それは、12年前、ゴムゴムの実が「政府の船」で「護送」されていた、というものだ。
ここからシャンクスやその他のキャラに繋げて与太話のような考察……というか憶測が飛び交っているが、
ここでは確実に拾える台詞だけを抜き出して、この真意について書き記したいと思う。
[第1話]ONE PIECE - 尾田栄一郎 | 少年ジャンプ+
物語の後半で、赤髪海賊団のベン・ベックマンは、山賊ヒグマにこう言う。
「ウチと一戦やりたきゃ」「軍艦でも引っぱって来るんだな」
軽く読み飛ばしてしまいそうな一言だが、違和感はないだろうか?
一般人の口語であれば、そんな定義を明確にはしないだろう。だが、これは漫画で、作者、(アシスタント)、担当編集、編集長と、複数のファクトチェックが入る。
「軍艦」「戦艦」「艦隊」……いくつもの言い換えができるが、この文脈で言いたいのは「個ではない戦力」のはずだ。
それならば、より攻撃的なイメージを持つ「戦艦」を使うべきではないだろうか。
日本大百科全書(ニッポニカ)では「軍艦」をこう定義している。
“「一つの国の軍隊に属する船舶で、当該国の国籍を有する船舶であることを示す外部標識を掲げ、当該国の政府によって正式に任命されてその氏名が軍務に従事する者の適当な名簿またはこれに相当するものに記載されている士官の指揮下にあり、かつ正規の軍隊の規律に服する乗組員が配置されているもの」”
長ったらしいが、要するに“一つの国の軍隊に属する船舶”を軍艦と呼ぶ、ということだ。
デジタル大辞泉では“海軍の艦艇で、戦闘力をもつものの総称。”とある。
「軍」艦、である。『ONE PIECE』世界を考えるなら、「海軍の戦力」と読むべきだろう。
「うぬぼれるなよ 山賊………!!」
一騎当千の赤髪海賊団(他の四皇と比べて「高い懸賞金アベレージを誇」ると評されている)と
戦うには数が足りない、それなら船でも持ってくるんだな、山賊だけど、という煽りであれば、
なおさら「戦艦」と言うべきだろう。「軍艦」を持ってくることなどできないのだから。
――つまり、ベン・ベックマンは、ヒグマが「軍艦」を「引っぱって来」られることを知っていたのだ。
話は第1017話に戻る。
政府の護送していた、CP9の乗る船で、ゴムゴムの実を護送していた。
行先はマリンフォードか、エニエス・ロビーか、インペルダウンか、マリージョアか。
いずれにせよ、海軍以上の組織の手に渡るはずのものだったのだろう。
ならば、それで終わるだろうか。海賊の襲撃に遭ってロストした、で納得するだろうか?
見せしめとして当時CP9だったフーズ・フーは投獄された。しかし、それは「解決」ではない。
政府直属の諜報機関サイファーポール、あるいは海軍といった組織が、奪還に動かなければおかしい。
ヒグマの懸賞金額は「800万ベリー」だ。また、「56人殺した」と言っている。
つまり、この手配書は偽物だったと見るべきだ。殺したのは、CP9として、だ。
「軍艦を呼べて」「殺人が許されている」……ヒグマはCP9であるとしか思えない。
「ウチと一戦やりたきゃ」「軍艦でも引っぱって来るんだな」
違和感がある。ヒグマがCP9であることを知っていたのなら、「軍艦で来い」と言うはずだ。
「引っぱって来い」……。
海軍から権限を譲渡されたCP9が「軍艦」を「引っぱって来」ることといえば――
つまり、ここの“煽り”というのは、「山賊は戦艦を用意できない」ではなく、
「CP9ですらバスターコールが発令できない」という意味だったのだ。
それは、四皇であるシャンクスに喧嘩を売る以上に、ゴア王国がガープの故郷だからだ。
四皇と海軍の英雄、両方に泥を塗れないだろう、という煽りだったのである。
命だけは助かりたいから? 否。フーズ・フーを見ていれば、お咎めなしにならないことは自明だ。
ゴムゴムの実は、政府が護送するほどに重要な悪魔の実だったのだろう。
来るべき時、来るべき者が口にするために、命を賭してでも――
昔のジャンプの連載陣の主人公年齢もまとめないと片手落ちだろ。
2000年なら
1990年だと
結局のところ二次創作はジャンルとしてはもっぱら「恋愛小説」なので、例えば冒険とかアクションとかミステリーとかそういうのはあまり求められていないかもしれない。
たとえばONE PIECE(冒険バトルもの)とかるろうに剣心(時代劇、剣戟アクション)とかの二次創作でも原作の主題抜きに、読み手は恋愛が読みたいのね。なぜなら原作では恋愛こそオマケでそれを詳細に描写する暇がないのだから。
二次創作では、原作の行間を埋めるお話が求められる。原作のアナザーストーリーを展開するのは、原作同様、話のテンポをよくするためにキャラの日常や人間関係の描写を犠牲にしなくてはならないので、読者のニーズは満たせない。
それに、物語を展開させると、どうしてもストーリーの面白さの為に原作から逸脱させないといけなくなるのだが、そうするともうそれは二次創作とは言えなくなるじゃん? そういうのが上手い字書きもいるけど、小説は漫画と違って絵で二次創作であることを示せないから、読者はなんか違うもの読まされてるって思ってしまう。
また、キャラぶれが生じ易いのも問題。登場人物の人間性は、たった一言、たったひとつの動作で大きく変化する可能性がある。オリジナル小説だったら、キャラぶれをするに任せて後のストーリー展開まで方針変換をすることもできるけど、二次創作でそんなことをすると「飛影はそんなこと言わない」という大事故を起こして顰蹙を買う。
文章が長くなればなるほど、物語が進めば進むほど、キャラぶれは起こり易くなるもの。むしろキャラの変化を楽しむのが小説の醍醐味のひとつであると思えば、二次創作小説で長編小説を書くのはかなり難しいと思う。できなくはないけど、かなりの技量が要る。
という訳で、読んでもらいたいなら諦めて恋愛小説として二次創作を書くのがおすすめだね。物語を書くのが諦められないなら、思いきって一次創作に転向して、なろうやカクヨムで書こうか。
だがしかし! 世はキャラ萌え時代というかなんというか、ストーリーの面白さだけを追求してもなかなか読者は食いついてくれないので、それなりユニークで愛されるキャラ作りをしなきゃいけないのだが、文章だけで愛されキャラを描くというのはなかなか至難の技である……。
商業BL小説の大人気タイトル。BLは少女漫画から派生したジャンルだと、凪良先生はAbemaTVの何かの番組で仰っていたのだけど、その言葉通りに恋愛漫画定番のネタを次々とくり出してくるのだが、それがどれも「そう来たか」とクスリと笑ってしまうような斬新な描写のされかた。糞ベタなネタでも書きようによってはこんなに面白いし萌えるという見本。登場人物の心理描写も秀逸でキャラが立ってるので、またこの主人公達に会いたいと思い再読してしまうのである。
『幽遊白書』(冨樫義博)の二次創作漫画。漫画家 榎本ナリコがプロになる前に野火ノビタ名義で書いていた同人誌の再録。ちなみに第1巻は『新世紀エヴァンゲリオン』の二次創作で、第3巻には幽白二次漫画をオリジナルに焼き直した作品が収録されているはず。私の小説が確かならば。
そもそも原作『幽遊白書』は、ストーリーの為に人間関係の描写を惜しげもなく切り捨てつつ、確かにそこにはキャラ同士の確かなリレーションシップが存在するというのを端的に描写した点が秀逸。二次創作のし甲斐のあるコンテンツなのである。
本書はそんな幽白の二次創作であるのだが、漫画という表現方法の強みを存分に活かして無茶苦茶をやっている(誉め言葉)。
特に飛影の人物描写がかなり思いきっていて「飛影はそんなこと言わない」の連発なのだが、絵が飛影なんだから飛影だよな(絵柄もだいぶ独創的なので、ツンツン頭やあの服装で飛影だとやっとわかるくらい。)……と思いつつ読んでみれば、思わぬ所ですごく飛影みのある描写を差し込んでくるので、驚嘆させられる。
メインカップリングの蔵馬×飛影が振り切っているのに対して、蔵馬と海藤の会話は原作に非常に忠実で、再現力がすごすぎてすごい。
収録されている『宇宙士官候補生』は蔵馬と飛影のその後ifを描いたSF作品なのだが、そこまでやる!? って感じのオリジナリティの高い漫画である。オリジナルでやれったって、主人公達が蔵馬と飛影じゃないと何だか分からない話になっている。ベタな恋愛コメディ同人に食傷した上級者向け。蔵飛ラブラブやおい漫画大隆盛という背景事情あってこその、切ない物語。
KADOKAWAから出版されているので「商業BL」の括りには入らないのだが、中身は実質主人公総受けBL。
主人公は、男性カップル専用一見さんお断り連れ込み宿の長男坊、という萌える設定だったのに、なんと、シリーズ第二作目にして、早くもその美味しい設定はカットされてしまう! 江戸情緒の残る怪しい宿屋での情事はどこへ。以降はそんな設定などなかったかのように、作者独特の世界に読者は引摺り込まれていく。これはこれで面白いけど、なんか違う所来ちゃった感。面白いけど。
設定にホイホイされて寄ってきた読者達にど派手な裏切りをかましてマイワールドに引きずり込むなどという暴挙が許されるのはプロの小説家だけ、という見本。
ベルセルクが未完に終わって、一番悔しいのはベルセルクの作者だと思う
ONE PIECEの作者は集英社の歴代担当者すべてにONE PIECEの最後の結末を話してるし
コナンの作者は、最終回の原稿を金庫に入れて保管してるらしいし
もしかしたらベルセルクの作者は亡くなる間際に最終回まで描ききることができなかったことを後悔しながら亡くなったのではないか
漫画家は漫画を描くために生きてるようなもんだし、自分のすべてを漫画に注ぎこんでるんだから
私が漫画家だったら、急死する間際に「あぁ、嘘まだ連載終わらせてないのに…」と仕事のことを考えて死ぬと思う
銀魂の空知も、自分の体調がボロボロなときでも、血尿だしても高熱が出てても命をかけて銀魂の原稿を描いていた
銀魂を誰よりも愛しているのは空知だから自分の体よりも銀魂を優先した
まあ、でも多分最終回の結末は出版社の担当者に話してるんだろうな。
生前は「ベルセルクはハッピーエンドで終わる」とおっしゃっていたようだから結末は決まっていたんだろう
このまま未完で終わらせる可能性もあるが
ゼロの使い魔は、作者の創作ノートが残っていたから匿名の作者が続きを描くことができたけれども、
そういう作者以外の誰かが続きを描くことは稀だろうから
地方各地のショッピングモールでは、期間限定のジャンプショップが巡回していて、ジャンプの人気連載漫画のキャラグッズを販売している。
モール内の売り場スペースの入場口・出場口には、鬼滅の刃の巨大なタペストリーが掲げられている。ショッピングモールの入り口には、呪術廻戦の登場人物たちの等身大パネルが設置されている。タペストリーやパネルの前では自撮りや記念撮影している人たちが絶えない。傍から見ていても、ヒットしている人気作品の凄さを感じる。
地方だと「あのジャンプショップが某ショッピングモールに来た!」みたいな感じでテレビCMまで流している。そのテレビCM画面には、ジャンプ漫画の主人公たちが全員集合したイラストが映る。
それと同じイラスト広告がショッピングモール入り口の掲示板に貼られて、ショッピングモールの来訪者に「何階の何々スペースでジャンプショップ開催中!」と知らせている。
呪術廻戦の等身大パネルとの自撮りも終えて、これから帰るところと思われる若い女性の二人組が、モール入口の掲示板に貼られたイラスト広告を見ながら言っていた。
一瞬、何を言っているのかと思ったが、どうやらONE PIECEの主人公が全員集合イラストの最前列の真ん中にいることを指して言ったらしいと察した。
ジャニーズカウントダウンコンサートでワンマンショーをやり始めた近藤真彦も、会場のジャニーズファンから同じようなことを言われていたんだろうな。
ONE PIECEが実家ジャンルと言っていいほど大好きなんだけど、最近のTwitterでの差別表現=害悪論を目にすると自分の好きな作品にも差別表現があるんじゃないかと考えてしまってモヤモヤする
根本的になぜ差別表現はダメなのかとかなぜ差別表現やインモラルな表現は規制されるべきなのかとか色々考えてしまう
ONE PIECE未履修のフォロワーさんがそういうツイートをしてると尚更モヤモヤする。自意識過剰なのは分かってるけど。
でもやっぱりONE PIECE見てると癒やされるわ、冷静に考えればフォロワーとの人間関係なんかより好きな作品を好きな気持ちの方がよっぽど大事だよな 手段と目的を取り違えちゃいけない
しばらくTwitter離れようかな
『貧乏舌』という言葉がある。共通理解としては「本当に美味しいものを食べた経験が無い人間は、食べ物の美味しさを理解する能力が乏しい」といった意味合いの言葉であると言っても差し支え無いであろう。
悲劇的かつ喜劇的な話だが「貧乏舌」の人間は、本人には自覚が無いことが屢々ある。一つ例を挙げる。
この文章を目にしている貴方も知っていると思うが、松本人志という有名なお笑い芸人がいる。昔の話だが、松本は彼の子分である木村祐一のことを「キム(=木村祐一)の作る料理はめっちゃ美味い!」と褒めていた。それもあってか「『あの』木村祐一が監修した!」という触れ込みで、料理本が出版されたこともある。
ある時、テレビで「料理が得意な芸能人が作った料理をプロの料理人が採点する」という企画が行われた。件の木村祐一もチャレンジした。しかし、結果は悲惨であった。プロの料理人たちは、木村の料理には低い評価しか与えなかったのだ。
松本人志はことある毎に「オレは金持っとるねん」と言いたがることで有名である。しかし、松本のテレビ・ラジオを視聴している、もしくは嘗て視聴していた人間ならば知ってのとおり、だいたい松本の「食に関する話」というのは「チェーン居酒屋」や「コンビニ飯」ぐらいのものである。そんな人間が褒める「美味しい食べ物」を、苟もプロの料理人が評価する訳が無いのである。
かつてフランスの文筆家は次のような箴言を残した。「富めることと同じく、貧しさもまた一つの才能である。貧しい人間が富を手にしたならば、贅沢な貧しさをひけらかすであろう」と。
まあ、飲食物に関しては我々一般人も松本人志と五十歩百歩であろうし、あくまでも「貧乏舌」の事例の一つとして出しただけなので、松本の話はここで終わる。
長々と話してきたが何を言いたいかといえば、味覚以外の感性が関わる分野に於いても「貧乏舌」はある。例えば、ジャンボ尾崎ヘアーを「イケている」と感じて我が子に施すような親は「ファッションに関する貧乏舌」の持ち主なのである。
漫画のような「子供でも味わうことが可能な娯楽コンテンツ」でも同様である。漫画を描いたり読んだりする行為に於いても「貧乏舌」はある。率直に言うが、星の数ほど漫画が有り、しかも優れた作品が数多有るという2021年現在の日本社会に暮らしていて、ONE PIECEキャラのコスプレをするのは、よほどの「漫画に関する貧乏舌」の持ち主しかいないと私は踏んでいる。現代のリアルタイムで少年ジャンプを読んでいる子供たちから見れば「何か知らないけど昔から連載されている漫画。でも、誰が、何のために、今は何をしているのかがよく分からない漫画」である。「親が単行本を持っているから」と言う人もいるが、他の漫画が有る状況で子供たち自身に選択させれば、子供たちは十中八九ONE PIECE以外を選ぶ。このカシオミニを賭けてもいい。
私と妻の間に子供はいない。その分、愛情の捌け口(?)として甥っ子・姪っ子を可愛がっている。彼らの成長の記録を見るのは楽しい。夫婦揃って「親馬鹿」ならぬ「オジ馬鹿」と「オバ馬鹿」状態と言っても過言ではない。甥っ子・姪っ子が日々成長する姿、お友達と楽しく遊ぶ姿を見ていると脳内再生で小田和正の歌が流れる。ハロウィンイベントでお友達と一緒にコスプレしてる遊んでる姿は、あまりにも可愛い過ぎる。
写メを見ると、ウチの甥っ子・姪っ子たちは鬼滅の刃キャラに扮していたが、お友達も鬼滅の刃キャラに扮している子は多かった。女の子たちは胡蝶しのぶが大好きだと改めて知った。他には、ディズニーキャラやアメコミキャラに扮している子も、負けす劣らず多かった。個人的にはちびスパイダーマンの男の子が可愛いかった。
そういえば先日、家の近所を散歩していたら河原の土手で、若い母親らしき女性とその息子らしい幼い男の子が、木の枝で「●●の型!」とか言いながら鬼滅の刃ゴッコをしている姿も見かけた(女性がセリフを間違え、男の子が正しいセリフを教えていた)。家の近くにある祠のお地蔵さんも、去年の秋頃から、鬼滅の刃キャラの羽織と同じ柄の帽子と前掛けをしている。あれを作っているのは同じ町内会の御老人なのだが、孫や町内会の子供たちに「この柄にして」とリクエストされたのかもしれない。当にこれが流行というものなのだろう。
ところで、ONE PIECEのキャラに扮している子供は一人も見かけない。試しに甥っ子・姪っ子に訊いたが「自分たち(=甥っ子・姪っ子)もお友達も『ONE PIECE』は興味無い、読んでない」とのことだ。
最近話題になっている、某不登校YouTuberがONE PIECEの主人公に扮しているサムネイル画像を見ると「親の好みを押し付けられているのではないか?」とか「子供が観たいと思ったコンテンツを、親に観せてもらえず制限されたりしてはいないか?」と、他人事ながら心配になる。一昔前には「ジャンボ尾崎ヘアーの幼児」をよく見かけたものだが、あれを見た時と同じ感情になると言えば私の気持ちを理解してもらえると思う。
旧来のジャンプ的少年漫画の王道文法と呼ばれる要素の一つに、社会性のない獣のような主人公が成長して(ある程度は)人間的になっていくというものがある。
無いです。
スラダンや幽白は単なる不良漫画の系譜であって悟空なんかとは明らかにキャラが違います。
キン肉マンも北斗の拳もキャプ翼も聖闘士星矢もジョジョもるろ剣もハンタもONE PIECEもBLEACHもNARUTOもそんな話ではありません。
まあドラゴンボールとチェンソーマンだけ見て思いついたことを補強するために我田引水した感じですね。
ところで、鬼滅関連の記事かTwitter投稿か何かで見たのだが、今の小学生はジャンプを読まないそうである。何を読んでいるのかというと、コロコロとかだそうだ。ジャンプは中学生のお兄さんやお姉さんが読む雑誌らしい。
土肥: 『コロコロ』の読者ターゲットは、小学4~6年生の男子なんですよね。この層は150万人ほどいるのに対し、雑誌の発行部数は80万部。
160万部の12.8%なんで20万部ぶんくらいは小学生が読んでいる計算です。
小学生向けに特化して80万部と、全年齢を見据えたうちの20万部。
どういう捉え方をするかはともかく、そうした具体的な規模感は把握しておくべきです。
そのくらいの手間も惜しんで出元の曖昧な伝聞情報を信じ込んでいるのがおまえの馬鹿さ加減を表しています。